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蘇州博物館の次は、昨日訪れた拙政園から見えていた報恩寺塔と蘇州シルク博物館(蘇州糸紬博物館)の見学です。

2025年 二度目の中国出張 (11) 蘇州市 その4 報恩寺と蘇州シルク博物館

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2025/06/07 - 2025/06/07

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kirinbxx

kirinbxxさん

蘇州博物館の次は、昨日訪れた拙政園から見えていた報恩寺塔と蘇州シルク博物館(蘇州糸紬博物館)の見学です。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 タクシー
旅行の手配内容
個別手配
  • 報恩寺の最寄り駅は地下鉄4号線の「北寺塔駅」です。5番出口を出てすぐ。営業時間は通常8:30~17:00で年中無休で開いており、入場料は無料です。

    報恩寺の最寄り駅は地下鉄4号線の「北寺塔駅」です。5番出口を出てすぐ。営業時間は通常8:30~17:00で年中無休で開いており、入場料は無料です。

    北塔報恩寺 寺院・教会

  • こちらが報恩寺の山門。赤い門と重層の中国式屋根がかっこいい。

    こちらが報恩寺の山門。赤い門と重層の中国式屋根がかっこいい。

  • 山門の中では立派な仁王像がお出迎え。

    山門の中では立派な仁王像がお出迎え。

  • 山門をくぐってすぐの広場に設置された大型の香炉。中には複数の線香が立てられていて、煙がゆらゆらと立ち上っています。

    山門をくぐってすぐの広場に設置された大型の香炉。中には複数の線香が立てられていて、煙がゆらゆらと立ち上っています。

  • 八角九層の構造を持つ高さ76mの歴史的な仏塔です。三国時代に呉王・孫権が母への恩を報いるために建立したことから「報恩寺」と名付けられました。布袋(ほてい)様は、中国では笑いの仏・福の神として親しまれているそうです。

    八角九層の構造を持つ高さ76mの歴史的な仏塔です。三国時代に呉王・孫権が母への恩を報いるために建立したことから「報恩寺」と名付けられました。布袋(ほてい)様は、中国では笑いの仏・福の神として親しまれているそうです。

  • 続いて訪れたのは、蘇州シルク博物館(蘇州糸紬博物館)の歴史館。報恩寺から歩いて5分位。

    続いて訪れたのは、蘇州シルク博物館(蘇州糸紬博物館)の歴史館。報恩寺から歩いて5分位。

    蘇州シルク博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 最初のホールは「古代庁」。漢・唐・宋など各時代の絹製品、織機、染色技術などが展示されていました。黄帝時代(紀元前17世紀~11世紀)には既に養蚕と絹糸の利用が始まっていたとされ、春秋戦国時代(紀元前770~221年)には技術が洗練され、用途が拡大したのだとか。<br />

    最初のホールは「古代庁」。漢・唐・宋など各時代の絹製品、織機、染色技術などが展示されていました。黄帝時代(紀元前17世紀~11世紀)には既に養蚕と絹糸の利用が始まっていたとされ、春秋戦国時代(紀元前770~221年)には技術が洗練され、用途が拡大したのだとか。

  • 古代集落の生活風景を再現したジオラマ。

    古代集落の生活風景を再現したジオラマ。

  • 前漢時代(202 BC~220 AD)の「錦(Jin)」と呼ばれる高度な織技術により色彩や文様を織り込んだ絹織物の残片です。<br />

    前漢時代(202 BC~220 AD)の「錦(Jin)」と呼ばれる高度な織技術により色彩や文様を織り込んだ絹織物の残片です。

  • 唐代から遼代へと移る契丹文化圏(現在の内モンゴル)における絹の使用を示すものだそうです。西暦941年(遼王朝の初期)に製作されたものとされています。契丹族による遼王朝が建国された少し後の時代で、彼らが唐文化や中原の絹織技術を積極的に取り入れていたことを示す重要な遺物です。

    唐代から遼代へと移る契丹文化圏(現在の内モンゴル)における絹の使用を示すものだそうです。西暦941年(遼王朝の初期)に製作されたものとされています。契丹族による遼王朝が建国された少し後の時代で、彼らが唐文化や中原の絹織技術を積極的に取り入れていたことを示す重要な遺物です。

  • 清代(1644~1911年)の「青地に鳳凰模様が織り込まれたチベット式の絹製礼服」です。チベット民族が儀式や公式な場面で着用する衣服の形式。丈が長く、袖が広いのが特徴。

    清代(1644~1911年)の「青地に鳳凰模様が織り込まれたチベット式の絹製礼服」です。チベット民族が儀式や公式な場面で着用する衣服の形式。丈が長く、袖が広いのが特徴。

  • 清代(1644~1911年)の刺繍入りの小袋。刺繍や工芸技術の精緻さがうかがえる作品です。

    清代(1644~1911年)の刺繍入りの小袋。刺繍や工芸技術の精緻さがうかがえる作品です。

  • 次は、磁器(特に康熙官窯)のコーナー。<br />明代(1368?1644)から清代(1644?1911)にかけて、景徳鎮を中心とする磁器生産が技術・品質・色彩の面で飛躍的に進化し、康熙帝(在位1662?1722)の支援により、官窯制度はさらに強化され、芸術的にも高水準の磁器が生産されたそうです。

    次は、磁器(特に康熙官窯)のコーナー。
    明代(1368?1644)から清代(1644?1911)にかけて、景徳鎮を中心とする磁器生産が技術・品質・色彩の面で飛躍的に進化し、康熙帝(在位1662?1722)の支援により、官窯制度はさらに強化され、芸術的にも高水準の磁器が生産されたそうです。

  • 織造局という、清代において宮廷の衣装や式典用の絹織物を専門的に製作する国家直属の工房。蘇州・江寧(南京)・杭州は、その三大拠点で、技術・規模ともに中国最高水準を誇りました。こちらの模型は、蘇州局。蘇州が中国古代において官営の絹織物製造の中心地であったことが示されています。

    織造局という、清代において宮廷の衣装や式典用の絹織物を専門的に製作する国家直属の工房。蘇州・江寧(南京)・杭州は、その三大拠点で、技術・規模ともに中国最高水準を誇りました。こちらの模型は、蘇州局。蘇州が中国古代において官営の絹織物製造の中心地であったことが示されています。

  • 清朝(1644-1911年)の官服。代の文武官が公式儀礼や朝廷の場で着用した礼服の形式を表しています。

    清朝(1644-1911年)の官服。代の文武官が公式儀礼や朝廷の場で着用した礼服の形式を表しています。

  • 色々な伝統的な木製の織機です。

    色々な伝統的な木製の織機です。

  • 絹糸の染色工程です。今も昔も変わりませんね。

    絹糸の染色工程です。今も昔も変わりませんね。

  • 最後はお土産コーナー。

    最後はお土産コーナー。

  • 外には桑畑がありました。

    外には桑畑がありました。

  • 繭から絹糸を紡ぐ体験もできます。

    繭から絹糸を紡ぐ体験もできます。

  • 「桑之宝」と題されたイラストで、桑の木が描かれています。絹産業の根幹である桑樹を讃える絵でしょうか。<br />

    「桑之宝」と題されたイラストで、桑の木が描かれています。絹産業の根幹である桑樹を讃える絵でしょうか。

  • 蚕と繭の展示もありました。実物の蚕が見られるのは貴重になりましたね。

    蚕と繭の展示もありました。実物の蚕が見られるのは貴重になりましたね。

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