2024/09/14 - 2024/09/14
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kojikojiさん
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「スワヤンブナート(Swayambhunath)」を参拝した後はバスに乗ってカトマンズ市内を移動して「ビスヌマティ川(Bisnumati River)」の畔でバスを降ります。ビシュヌマティは名前からもヴィシュヌ神の最愛の川を意味します。次の予定の「ダルバール広場(Durbar Square)」からは離れた場所のようです。細い路地を進んでいくと前からは欧米人のツアー客が歩いて来るので、バスが近くまで行けないことが分かりました。15分ほど歩いて広場の入り口に着いて、ガイドさんがチケットを買い求めるのを待ちます。カトマンズやその周辺の観光エリアに入るのには必ず「ツーリスト・エントランス・パス」というものが必要で、それを首から下げて観光することになります。外国人は1,000Rsで、インドなどの一部の国は500Rsでした。インドでもブータンやネパールの人と我々外国人との値段は15倍もありましたが、それに比べると1/2は高いような気がしました。広場はものすごい人出で、さらに毎年9月に8日間にわたって行われる伝統行事「インディラ・ジャトラ(Indra Jatra)」の準備が進んでいて山車車も組み立てられていました。もう少し来る日がズレていたら見られ譚かもしれないと思うとちょっと残念な気もします。広場で簡単な説明があった後は「クマリの館(Kumari Devi)」に入ります。個人で旅しているとなかなかタイミングが合わないという話を聞きますが、ツアーの場合はガイドさん同士で連絡を取り合って、待つことも無く会えるようです。程いゲートから中庭に入り、しばらくすると抱きかかえられたクマリ(Kumari Devi)が現れて、周囲を見回した後に隠れてしまいました。ほんの数十秒のことでしたが、ようやくネパールに来たんだなという実感が湧いてきます。「バサンタプル・ダルバール」から「ハヌマン像(Hanuman Dhoka)」を見て、広場を周った最後に「カラ・バイラヴ(Kala Bhairav)」の巨大な像にも参拝します。ここまででツアー2日目の観光もようやく終わりになります。夜明け前から遊覧飛行も楽しんだので長い1日でした。「ゴカルナ・フォーレスト・リゾート(Gokarna Forest Resort)」に戻った後は1階の「ダルバール・レストラン(Durbar Restaurant)」で夕食をいただきます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「スワヤンブナート(Swayambhunath)」を参拝した後はバスに乗ってカトマンズ市内を移動して「ビスヌマティ川(Bisnumati River)」の畔でバスを降ります。ビシュヌマティは名前からもヴィシュヌ神の最愛の川を意味します。このゲートの先の細い路地をしばらく歩かないと「ダルバール広場(Durbar Square)」にはたどり着けません。
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「ダルバール広場(Durbar Square)」の入り口では料金所の小屋があり、ガイドさんが料金を支払います。観光エリアに入るのには必ず「ツーリスト・エントランス・パス」というものが必要で、それを首から下げて観光することになります。外国人は1,000Rsで、インドなどの一部の国は500Rsでした。
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カトマンズ渓谷にある3つの「ダルバール広場(Durbar Square)」の1つで、同じ名前の広場はバクタプルのダルバール広場とパタンのダルバール広場があります。
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カトマンズを訪れる前にマッラ朝(Malla Dynasty)については調べたこともあり、漠然としたネパールの王朝( 1200年から1769年)については知識がありました。
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1428年にヤクシャ・マッラが統治をはじめると内政は成功し、国外にも勢力を伸ばして王朝は最盛期を迎えます。ところがその王の死も以て統一マッラ朝は崩壊してしまいます。1484年に「バクタプル・マッラ朝」から「カトマンズ・マッラ朝」が分裂します。さらに1619年に「カトマンズ・マッラ朝」から「パタン・マッラ朝」が分裂し、ここにマッラ朝は3つに分裂しました。
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三都はそれぞれ権謀術数を張り巡らし、カトマンズ盆地外のセーナ王国やゴルカ王国の力を借りました。そうしたなかゴルカ王国が三都の争いに積極的に介入してきます。
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1768年にプリトビ・ナラヤンによりカトマンズ・マッラ朝が滅ぼされ、パタン・マッラ朝に続き1769年にはバクタプル・マッラ朝がゴルカに滅ぼされ、三都マッラ朝の時代は終わりを告げて新たにネパール王国の時代が始まります。
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2015年4月25日にネパールで発生した地震ではカトマンズのダルバール広場、スワヤンブナート、ダラハラ塔、マナカマナなど歴史的な建造物や世界遺産の寺院などの多くが修復不可能な損傷を受けています。
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日本のニュースで見る限りではかなりの被災場面が放映され、それによってネパールを旅しようという思いも長年封印されていました。ここ数年でかなり修復も進んだということでしたが、まだまだ完全な形ではないなと実感します。
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レンガを積み上げるネパールの建築ではその間に木材を組み込むような構造なので地震には弱いと感じます。ただその組み合わせには美しさを見つけることが出来ます。
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その美しさを際立たせているのが建物の窓、柱、扉などに施された繊細な彫刻です。特に透かし彫りの窓はネワール建築の大きな特徴で、寺院や王宮や一般の民家の窓にも見られます。
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カラフルなリキシャ―が広場の入り口に停まっていました。この日は曇天だったので雨除けのビニールがちょっと残念です。ピカピカに輝いて絵も美しかったので写真を撮りましたが、この後リキシャ―を見掛けることはほとんどありませんでした。
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バスに乗っていても流しのタクシーすらほとんど見掛けなかったのですが、調べてみるとスマホによる配車アプリがいくつかあるようで、値段交渉も無く快適に利用できるようです。
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バイクの横にはナンディン(Nandin)あるいはナンディ(Nandi)と呼ばれるヒンドゥー教に伝わるシヴァの乗り物とされる牡牛の像がありました。乳海攪拌の時に生まれた牝牛スラビーと聖仙カシュヤパとの子で、シヴァが踊りを舞うときの音楽を奏でる役を担い、全ての四足動物の守護神でもあります。
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広場の連なるレンガ積みの多段になった基壇は物売りにはちょうど良い高さのようです。地面はゴミが落ちていますが、ほんの数十センチ高い寺院の一部というだけで汚れさえ感じなくなります。
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ガイドさんによると「インディラ・ジャトラ(Indra Jatra)」の準備が始まっているということでした。その雰囲気は祇園祭を迎える京都の7月上旬のようでもありました。
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「クマリの館(Kumari Devi)」の前を通過しますが、先に広場で説明を行うようです。クマリにはいつでも会えるわけではなく、顔を見せてくれる時間が決まっているようで、ガイドさん同士で連絡を取り合っているようです。
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この館は1757年にカトマンズ最後のマッラ王朝の王であるジャイ・プラカース・マッラによって建てられた建物で、生き神と信じられているクマリが住んでいます。2頭のライオン像が入り口を守っています。
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広場には祭り前のせいなのか屋台のような店が並び、様々なものが売られています。ガイドさんの説明もいいのですが、気持ちの半分は並んでいる商品に行ってしまいます。
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毎年9月に8日間にわたって行われる伝統行事「インディラ・ジャトラ(Indra Jatra)」で使われる山車が何台も組み立てられています。京都の祇園祭の山車に比べると簡単な造りのようですが、この上にクマリが乗せられて町中を練り歩くということです。
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「インディラ・ジャトラ」はカトマンズ盆地に住むネワ―ル族の祭りで、「インドラ」はヒンドゥー教の神の名です。サンスクリット語で「強力な神々の中の帝王」を意味し、「ジャトラ」は「行列」を意味します。
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この祭りの大きな見どころは3つあり、1つは雨をもたらす豊穣の神「インドラ」を祀るために巨大な「御柱」が立てられること。生き神であるクマリが「山車」に乗ってカトマンズの街を巡行すること。そして毎夜繰りひろげられる「仮面舞踏」だそうです。
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1つ目の見どころ「御柱」はバサンタプールの敷石の一部をはがして柱を入れ大勢の人々が3本のロープを引いて立てられます。この御柱はバクラプルの奥にある村の松の大木を伐り出して、1週間かけてカトマンズ近くまで曳きだされ、ネワール族の人々によって運ばれます。
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遥か昔に天に住むインドラ神は母親の大好きなパリジャートの花が天では見つからず、下界に咲いていたパリジャートの花を取りに降りて来たところを泥棒と思われて捕まってしまいました。この言い伝えにより、「御柱」の根元にはインドラが小さな檻に入れられているそうです。インドラ神はこの時の汚名を晴らすために下界の人々に五穀豊穣を約束し、これが「インディラ・ジャトラ」の祭の起源になったと言われています。
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この「御柱」はその様子からも信州の諏訪御柱祭の起源とは同じではないかとする説もあるそうです。実際に諏訪市博物館では「松の木を曳いてきて里に立てる祭り。見立て、伐採、曳行、川越し、柱立てとまさに御柱祭と同じ」とこの祭りを紹介しているそうです。「御柱祭り」はまだ観に行ったことが無いので、これを機会に行ってみようと思いました。
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もう1つの見どころはネパールの守護神タレジュ女神(Taleju)の生まれ変わりとされる生き神クマリが山車に乗ってカトマンズのネワール族の多く住む地域を巡行する「クマリ・ジャトラ」です。クマリの巡行は町の邪気を払い、繁栄をもたらすとされ、多くの人々がクマリを一目見ようと、またクマリからの祝福を受けようと巡行の山車を取り巻いて列をなして続きます。
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一説には人間の数より神々の数が多いとされるネパールでもクマリは独特の生き神とされます。このクマリは初潮前のネワール仏教徒のサキャ族出身の少女に限られます。3歳から5歳前後で子牛のようなまつげ、獅子のような胸、柔らかくしなやかな手足など32の身体の特徴と厳しい条件に合格した少女だけが選ばれ、その後「クマリの館」で初潮を迎えるまで暮らします。
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クマリが館の外に出る事はなく、館の中で人々の願望成就の祈願や占いなど日々の儀礼をおこないます。普段は館に住んでいて、この祭りを含めて年に数回以外は人々の前に出てくることはほぼありません。またクマリには家族や親しい人以外と話してはいけなく、喜怒哀楽の表情を表に出してはいけない、自分の足で歩いてはいけないなどの決まりがあり、この祭りの際も大人に抱えられて山車に移ります。
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「クマリ・ジャトラ」は8日間続く祭りの3日目と4日目、そして最終日の3日間だけだそうです。
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連日繰り返される「仮面舞踏」も一見の価値があり、夕方になるとカトマンズや近在の村々から多くの踊り手たちが「ハヌマンドカ」に集まり、神々の仮面をかぶりさまざまな衣装に身を包んで裸足で踊ります。ガネーシャ神を表現した白い象の踊り、チベットの仏教説話をベースにした踊り、バイラブ神とその2人の弟子の踊りなどがあるそうです。
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精巧な彫刻の施された出窓も見事ですが、化粧頬杖に施された諸仏の彫刻に圧倒的な美しさを感じます。ネワール寺院は通常は塔の形で建てられます。
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屋根は階段状になっていて、木製のパネルで支えられたこれらの柱は、一般的に神々や神話上の生き物の彫刻で飾られています。今回の旅ではこの建築様式に魅了されてしまいました。
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説明の途中でしたが、ガイドさんに促されて「クマリの館」に戻りました。周囲にいた各国のツアー客も一斉に集まるので、この時間にクマリが現れるのだと分かります。
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この館に施された彫刻も素晴らしいです。入り口のトーラン(Toran)と呼ばれる欄間彫刻はアンコール遺跡に残された石造の彫刻に非常に似ています。頂上部にはガルーダの姿と、その下には飛天や諸仏、下段の外側にはマカラと呼ばれる怪魚の姿もあります。インド神話発祥のディティールがアジア各地に伝わっているのだと感じます。
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分厚い木造のトンネルを抜けて中庭に入ると気分も高揚しtレ来ます。
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ネパールには数千もの神々がいると言われていますが、中でもクマリはネパール独特の生き神様です。ネパール国王の守護神でありタレジュ女神の化身とされ、民衆の望みが叶うようにと祈りながら日々を過ごしていると言われます。
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クマリは少女の間だけの神様で、血のけがれのない(初潮前)ネワール仏教徒のサキャ出身の少女から選ばれます。健康で、目、まつ毛、声など32の身体的条件を備えたうえで国や国王と星の相性が良くなければなりません。ダサインの8日目の夜の選考の時は寺院の真っ暗な小部屋に連れて行かれて1人で1晩過ごします。
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クマリに選ばれた少女は3歳から5歳の頃に親元を離れ、この「クマリの館」での暮らしを始めます。年に数回のお祭りのとき以外に彼女が館の外に出る事はありません。喜怒哀楽の感情も表してはいけなく学校にも行けません。
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クマリは男性に抱えられて一番上の中央の窓からほんの数十秒顔を出して、なにも言葉を発することもなく姿を消しました。特に敬虔な宗教信者でもないのですが、言葉に表せない感情が湧き上がりました。
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広場に似つかわしくない「ガディ・バイタク(Gaddi Baithak)」はネパールとヨーロッパのスタイルが融合した新古典主義建築で、宮殿の外観は複雑な彫刻と華麗な装飾が印象的です。インテリアも同様に美しく修復された客室や華やかなシャンデリア、複雑な木工細工が施されているようです。
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1908年に当時のネパール首相チャンドラ・シュムシャー・ジュン・バハドゥル・ラナによって建設されました。この宮殿はラナ王朝の権力の拠点として機能し、ネパールの歴史において重要な役割を果たしてきました。残念ながら内部の見学はツアーには含まれていません。
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木彫で美しく金色に塗られたヤクの置物が気になって仕方ないのですが、持って帰るにはちょっと大きすぎました。ツアーの団体行動だと値段交渉している時間んもありません。
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広場にある「シヴァ寺院(Shiva Mandir)」は1690年にマッラ王朝時代にバクタプルの皇太后によって建てられた寺院です。この寺院にもヒンドゥー教と仏教の融合が見られます。建物の前にあるシカラ(白い塔)はシヴァ信仰を表すもので、屋根の装飾は仏教に見られるものです。ダルバール広場の中で一番高い建物がシヴァ寺院です。
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「シヴァ・パールヴァティー寺院(Shiva Parvati Mandir)」はネパールの初代国王プリトビ・ナラヤン・シャーの息子であるバハドゥール・シャーによって建てられました。 この寺院は2015年4月のネパール地震では被害を受けませんでした。
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赤いレンガと細かく彫られた木製の開口部はネワール建築の特徴です。ツンダル(Tundals)と呼ばれる木製のブラケットとアンキジャル(ankhijhyal)という格子窓は独特の装飾的で機能的な要素でもあります。
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これらの職人技はネワールの職人の高い技術を反映しています。床はテラコッタタイルまたは木の板の層を備えた間隔の狭い根太(dhalin)によって支えられています。
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この時急に小雨が降り始め、あっという間に「六角堂」や「パティ」と呼ばれる東屋の軒先は人で埋め尽くされてしまいます。
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通りから人の姿が消えることによって広場に建つ建物のシルエットが分かりやすくなりました。
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本当なこんな風に軒下で雨宿りしたいところですが、ツアーの全員は傘をさして見学を続けます。
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「ハヌマン・ドカ(Hanuman Dhoka)」は足場が組まれていて建物の全容は分かりません。「ハヌマン(Hanuman)」とはヒンドゥー教の猿の神で「ドカ(Dhoka)」は門のことです。ハヌマン像のある門が元々「ハヌマン・ドカ」と呼ばれていましが、今では旧王宮もその付近もすべて「ハヌマン・ドカ」と呼ばれています。
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旧王宮は17世紀に造られたもので、ネワール建築の集大成とも言えるすばらしい装飾を目にすることができるようです。ハヌマン像は17世紀にマッラ王朝のプラタップ・マッラ王によって作られました。像の横にある金のドアが旧王宮の正門にあたり、2頭のライオン像が入り口を守っています。
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ハヌマーンは赤い布と傘で飾られています。顔には赤いペーストが塗られています。左側にはナラシンハ神(Narasi?ha)というヴィシュヌ神の半人半ライオンの化身が悪魔ヒラニヤカシプをむさぼり食う石の彫刻があり、像の台座の碑文によると1673年頃のプラタープマッラ時代のものとされています。
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「インディラ・ジャトラ(Indra Jatra)」の1つの見どころである「御柱」はバサンタプールの敷石の一部をはがし御柱を入れ大勢の人々が3本のロープを引いて立てられます。
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この「御柱」はバクラプルの奥にある村の松の大木を伐り出し1週間かけてカトマンズ近くまで曳きだされ、そこからネワール族の人々によって運ばれます。
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本当にあと数日遅かったら祭りの様子を見ることが出来たのかもしれないと思うと残念でもあります。ただ、そのタイミングではツアーが催行されていないので、準備段階を見ることが出来ただけでもラッキーだったのだと思います。
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雨はどんどん強くなり、歩いているのは我々のツアーくらいになりました。
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人混みが無い分彫刻の細かいところまで目が行き届くようになりました。傘を差しながらの写真撮影は面倒ではありますが、ある意味神の恵みだったのかもしれません。
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「タレジュ寺院(Taleju Temple)」はネパールのマラ王朝の王女であるタレジュ・バワニ(ドゥルガ)に捧げられたヒンドゥー教の寺院です。1564年にマヘンドラ・マッラによって建てられ、寺院は年に一度のダシャインの日にだけ開かれます。
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閉ざされた門扉の枠には見事な彫刻が施されています。内側には蛇の姿のナーガの上にガルーダ、下に向かってマカラや金剛力士のような門衛神ドヴァラパーラの姿もあります。その外側には象の頭を持つガネーシャも見えます。
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水はヒンドゥー教でも仏教の儀式においても重要なものなので、壺がシンボルとなっています。マツヤと呼ばれる魚はヴィシュヌの最初の化身で、スヴァルナとマツヤの2匹の魚は海から救われたことを象徴しています。壺の胴の印はしリヴァスタと呼ばれる終わりのない光雲の結び目です。壺の上の白い法螺貝はシャンカと呼ばれ、ヴィしゅにのシンボルです。チャマルという白いハエ払いは幸運の8つのシンボルの1つです。目と眉毛は魔除けの意味があるのだと思います。
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レンガ積みの祠を破壊するように伸びた巨だな菩提樹の木がありました。スリランカの仏教遺跡を参拝した時に行ったアヌラーダプラの「スリー・マハー菩提樹」を思い出します。夜間は観光客は入れないようでしたが、同行したガイドさんが守衛さんと交渉して入ることが出来ました。
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紀元前3世紀にインドのアショーカ王の王女サンガミッタがブッダガヤの菩提樹の分木をスリランカのアヌラーダプラに運び、デーワーナンピヤ・ティッサ王が植樹したとされる聖なる木でした。
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「カーラ・バイラブ寺院(Shree Kaal Bhairav Temple)」の外壁の像です。左手には人間の生首をぶら下げ、右手には人間の頭蓋骨を半分に割った白いお椀を持っています。そして真っ赤な口を開けて、悪魔を足で踏みつけていて、像の前で嘘をつくと即座に死んでしまうと信じられているのです。
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インドのムンバイの沖合いにある「エレファンタ島」の遺跡の見学には昨年行き、そこでもバイラヴァ( Bhairav)の像を見ましたが、その姿の違いに戸惑います。
エレファンタ島:https://4travel.jp/travelogue/11915790 -
信者の方が多すぎて、さらに傘をさしているということもあってとても近くまで行くことは出来ませんでした。
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シヴァ神の化身であるこちらのバイラヴァ( Bhairav)もこの「インドラ・ジャトラ」の祭りの時のみご開帳されるようです。普段は木の扉では覆われていて見ることはできないので1年に一度の貴重な光景です。こちらもそのせいか近くまで行くことは出来ません。
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ご開帳されたバイラヴァ( Bhairav)の前では生贄の水牛の首が切り落とされ、地元に人たちによってきれいに磨かれそして華やかに飾り立てられるそうです。この神の前では家族が死者に対面するための儀礼が行われます。夜にはライトアップされその口から流れ出るチャンと言われるお米から作られた濁り酒が流れこれを飲むと身体が丈夫になるとされています。
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本当はここに半日くらいいて博物館なども見学したいところですが、格安の短期間のツアーでは1時間ほどしか滞在できませんでした。ネパールにはもう1度来ないとならないなとすでに感じ始めます。
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同じルートを「ビスヌマティ川(Bisnumati River)」の横の通りまで戻りバスに乗り込みます。この日の観光はこれで終わりなのでホテルに戻ることになります。
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ネパールで見掛けた唯一の頭の上に荷物を乗せた男性です。インドでは飽きるほど見掛けた光景ですが、それでも男性が乗せているのはあまり見掛けませんでした。
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町中を颯爽と走り抜ける白馬にもびっくりしました。これもこの1階だけでそれ以降馬などは見掛けませんでした。
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何度もこの工房の前を通りました。これまで見てきたレンガ造りの建物に組み込まれた窓や扉を造っているようです。時間があれば見学させてもらいたいくらいですが、ツアーバスは無情です。
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繁華街ではこのような綿菓子や風船を売っている人の姿もよく見掛けました。1日働いていくらくらいの稼ぎになるのだろうかと考えてしまいます。
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ホテルに戻るとちょうど1階の「Durbar Restaurant」が開いたところでした。この日の夕食はホテルでいただきます。おいしそうなベジタブル・ビリヤニ(Vegi-Biryani)です。元々はパキスタンの料理のようですが、ネパールでも広く食べられるようです。
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「クリクリ・ビヒンディ(Kur-kuri Bhindi)」は柔らかいオクラをスライスしてあげたスパイシーな料理です。
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「マタール・パニール(Matar Paneer)」はエンドウ豆とパニールというモツッアレラのようなナチュラルチーズのカレーです。
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「シチュアン・ポテト(Shchuan Poteto)」は何かと思ったらシチュアンは中国の四川省のことで、見た目の通り唐辛子の唐さの際だつ料理でした。
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「パーパド(Papad)」は極薄クラッカーの様な食べ物で、作り方は地域や家庭毎に異なりますが、一般的にはレンズマメやヒヨコマメ、ケツルアズキまたは米粉から作られます。南インドでは料理の付け合わせですが北インドでは食後に食べる習慣があります。
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「フィッシュ・マンチュリアン(Fish Manchurian)」は満州風の魚料理です。これもルーツは中国ですが、インドでは人気のあるレシピのようです。
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「ザフラニ・ムルグ(Zafrani Mewa Murgh)」は北インドのチキンカレーでした。
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フルーツはスイカとマンゴーとメロンがきれいにカットされて並んでいます。
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デザートも豊富に並んでいます。「レモンメレンゲタルト」
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「クリーム・キャラメル」などホールのままのデザートもいくつも並んでいます。
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ネパールではこのようなカラフルなケーキが人気のようで、これ以降のレストランでも同じようなデザートが多かったです。
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「ウォールナッツ・プディング」
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並んでいた料理の半分くらいで1プレートにしました。タコスまであったのにはビックリ。欧米人の観光客向けの料理なのだなと感じます。
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濃厚なマッシュルームスープも美味しかったです。サラダは生野菜よりもオリヴィエ・サラダのようなカット野菜のものが多かったです。
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ナポリタンのようなトマトソースのパスタも美味しかったです。
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デザートはフルーツとホールのプリンとクリームキャラメルを1カットでつ。
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美味しいカプチーノをいただいて長い1日が終わりました。
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