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 7月に続き、相方と共に東京都美術館へ。「田中一村展」 奄美の光 魂の絵画を鑑賞しました。<br /><br />田中一村<br /><br />明治41(1908)年,栃木県に生まれる。幼い頃から画才を発揮し,7歳の時,父の濔吉(号稲村、稲邨)より「米邨」の号を与えられる。<br /><br />大正15年東京美術学校入学後,わずか2か月余りで中退,その後南画家として活動する。第19回青龍展に「白い花」を出品入選するが,その後中央画壇とつながりをもつことはなかった。<br /><br />昭和33年50歳で単身奄美大島に移住。紬工場で染色工として働き,蓄えができたら絵を描くという生活を繰り返し,亜熱帯の植物や動物を描き続け,独特の世界をつくりあげた。<br /><br />絵描きとして清貧で孤高な生き方を通した一村は,昭和52(1977)年69歳でひっそりとだれにも看取られずにその生涯を閉じた。<br />(田中一村記念美術館HPより)

東京都美術館「田中一村展」 奄美の光 魂の絵画

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2024/09/28 - 2024/09/28

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クリント東木

クリント東木さん

この旅行記のスケジュール

2024/09/28

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 7月に続き、相方と共に東京都美術館へ。「田中一村展」 奄美の光 魂の絵画を鑑賞しました。

田中一村

明治41(1908)年,栃木県に生まれる。幼い頃から画才を発揮し,7歳の時,父の濔吉(号稲村、稲邨)より「米邨」の号を与えられる。

大正15年東京美術学校入学後,わずか2か月余りで中退,その後南画家として活動する。第19回青龍展に「白い花」を出品入選するが,その後中央画壇とつながりをもつことはなかった。

昭和33年50歳で単身奄美大島に移住。紬工場で染色工として働き,蓄えができたら絵を描くという生活を繰り返し,亜熱帯の植物や動物を描き続け,独特の世界をつくりあげた。

絵描きとして清貧で孤高な生き方を通した一村は,昭和52(1977)年69歳でひっそりとだれにも看取られずにその生涯を閉じた。
(田中一村記念美術館HPより)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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