2023/10/06 - 2023/10/10
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bunkichiさん
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ド素人ながらあれこれ建築を見てまわることが好きで、プラハ、ウィーン、ロンドンの建物を中心にウロウロさまよった旅行記です。
前旅行記では、ウィーン・ハプスブルク家の古き美しい宮廷建築を中心にウロウロしましたが、本旅行記は、ウィーンの街を取り囲んでいた市壁撤去(リングシュトラーセ建設)後の建築を中心にウロウロした旅行記(備忘録)です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ここは、「リンクシュトラーセ」です。
1857年、オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世が市壁を取り払い、道路敷設を命じて生まれた、ウィーン中心部の環状道路です。
(幅57m、全長約4km)
「リングシュトラーセ」沿道には、ウィーン都市大改造計画の一環として、当代一流建築家設計の劇場、国会議事堂、市庁舎などの公共施設が建ち並んでます。
ただし、デザインがバラバラということなので、先ずは、「リングシュトラーセ」沿いの建築を見て廻りました。 -
「ウィーン国立歌劇場(オペラ座)」1869年完成 ”折衷様式”
ウィーン都市大改造計画の一環として、ハプスブルク家の宮廷オペラ座を建替えられたものです。(設計者:A.S.V.ジッカルツブルク、E.V.D.ニル)ウィーン国立歌劇場 劇場・ホール・ショー
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今でこそ街に溶け込み、特に夜景は美しいのですが、建築完成時には人気がなく、まだ道路整地前から建築を進めたため、道路面が当初予定面よりも高くなる事態となります。『沈んだ箱』と酷評され、設計者、ニルは自殺、ジッカルツブルクは憤死したという切なく悲しい過去がある建築でもあります。
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「国会議事堂」1883完成 ”新古典主義建築”
デンマーク出身で、アテネ育ちの建築家テオフィル・フォン・ハンセンが設計を手掛けました。
民主主義発祥の地アテネ・ポリスの民主主義を継承する意味で、「ギリシア様式」を採用していると云われてます。国会議事堂 現代・近代建築
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正面入口の上部には、ギリシャ・ローマの学者と政治家たちの像が並び、その前の「アテネの泉」と呼ばれる噴水には、知恵の女神アテナ像が立ってます。
アテナ像の周りには、オーストリアハンガリー帝国の地域にまつわる寓話の彫像が並び、アテナ像の右の手のひらに、「勝利の女神ニケ」の像が乗ってます。(彫像だらけです.....。) -
「ウィーン市庁舎」1883年完成
フリードリヒ・フォン・シュミット設計 ”ネオ・ゴシック建築”
ブリュッセル市庁舎など尖塔のある、フランドル地方の市庁舎を手本にしています。ウィーン市庁舎 現代・近代建築
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なぜフランドル地方かというと、そこが都市自治が早期確立された地であり、市庁舎が尖塔のある建築であったことから”都市自治”の象徴として採用されたようです。
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「ブルク劇場」1888年完成(現在の位置)”ネオ・バロック様式”
ドイツ語圏演劇の殿堂もしくは、クリムトの天井画あることで有名な「ブルク劇場」ですが、ドレスデン宮廷歌劇場の実績がある、ゴットフリート・ゼンパーを皇帝フランツ・ヨーゼフが招き、設計・建築に当たらせた公共施設のひとつです。ブルク劇場 劇場・ホール・ショー
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劇場内観客席のカーブ形をそのまま外に反映させた外観になっています。
建物自体の機能を外に形で出すことで、より”劇場”の存在感(劇場らしさ)を示した建築だそうです。 -
「自然史博物館」1889年完成 ”ルネサンス様式”?
「ブルク劇場」を手がけたG・ゼンパーと弟子、K・V・ハーゼナウアーが設計したイタリア・ルネサンス様式を基本にバロック様式風が混在している建築です。
リングシュトラーセの王宮に近い敷地に「マリア・テレジア像」を間に挟んで、「美術史美術館」と左右対称に並んでいます。自然史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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王族、貴族の限られた人だけのコレクションを広く市民に展示提供することにより、市民の知性向上を図る、いわゆる啓蒙施設の役割も担っていたようです。
ファサードの彫像もインディアン夫婦像、自由の女神像あり、これまでの神話像だけの装飾とは少し違ってます。(彫像は非常に多い) -
余談ですが、「リングシュトラーセ」沿いのトラム停留所近くで”体重計”(有償)をいくつか見かけました。
1870年代には、既に設置されていたと云われてますが.、なぜ設置されたのかは....よく分かりません。
これも健康意識を高めるための帝国の啓蒙事業のひとつだったりして? -
さて、歴史主義建築巡りは、このくらいにしてウィーンの近代建築を語る上では欠かせない、”オットーワグナー”の建築を廻ることとしました。
ちなみに、このポスターの人物が”オットー・ワグナー”です。 -
「カールスプラッツ駅」1894年完成
ワグナーが手がけた駅舎のひとつです。
先に記した”歴史主義建築”が重厚構築な建築であったのに対し、真逆の薄い大理石の外壁と鉄骨で組上げた軽量構築な建築です。カールスプラッツ駅舎 建造物
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しかし、屋根の庇や壁面には、アールヌーヴォー特有の自然界の動植物(ここでは”ひまわり”)をモチーフにした見事な装飾が施されてます。
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同時代の建築家、ガウディ、ギマールらのデザインと比較すると、明らかに幾何学デザイン色が強く、黄金の装飾が施されてます。
このあたりが、同じアールヌーヴォーでも"ウィーン分離派(セセッシオン)"の特色でしょうか? -
現在、旧市街鉄道が地下鉄に転換されたため駅舎としては使用されていませんが、オットー・ワーグナー記念館及びカフェとして使用されているはずでしたが.....、
(オットー・ワーグナー記念館)
Otto Wagner Pavillon Karlsplatz(英)公式ホームページ
https://www.wienmuseum.at/otto_wagner_pavillon_karlsplatz_en -
コロナの影響なのか今もカフェは閉店されたままです。
しかも前が草ボーボーに落書き!
く(""0"")>なんてこった!! -
「ホーフパビリオン」 1899年完成
(シェーンブルン宮殿に隣接して建てられた皇帝専用の駅)オットー ヴァーグナー ホーフパビリオン ヒーツィング 現代・近代建築
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外観だけでも美しい装飾ですが、中央の大きな八角形の待合室には、マホガニーの羽目板と刺繍の壁が施されているそうです。
平日の早朝だったので、内部を見学することができませんでした。
見学予定の方はホームページでご確認下さい。
Otto Wagner Hofpavillon Hietzing(英)公式ホームページ
https://www.wienmuseum.at/otto_wagner_hofpavillon_hietzing_en -
皇帝のニーズに合わせた華麗な外観と豪華な調度品の駅でしたが、皇帝は2回しか使用しなかったそうです。
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「マジョリカハウス」1899年完成
現在も住宅使用されいるアールヌーヴォー様式の集合住宅です。
花をモチーフにしたマジョリカタイルで覆っているので、この名で呼ばれています。(内部見学不可)マジョリカハウス 現代・近代建築
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花の間に風のような曲線が走る、美しい装飾です。
マジョリカタイルを使用したのは、その素材特性である耐候性、メンテナンスの容易性から採用したと云われ、単なる装飾に限らず、機能性をも重視したワグナーらしい建築です。 -
凝った手摺、庇の装飾、右側は「メダイヨンハウス」です。
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「メダイヨンハウス」 1899年完成
柱頭にあたる位置に9個のメダイヨン(円形や楕円形の飾り板)を飾っているので、この名で呼ばれているアールヌーヴォー様式の集合住宅です。(内部見学不可)メダイヨン・マンション 建造物
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メダイヨンの内側には、ウィーン分離派の創立メンバーであるコロマン・モーザーによる乙女の横顔が描かれています。
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屋上の叫ぶ女性像、庇下の金細工装飾も美しい。
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「ウィーン郵便貯金局」 1912年完成
工業化されたアルミを初めて使用するなど”近代建築運動の幕開けを告げる建物”などと云われている建築です。
もはやアールヌーヴォー特有の自由曲線的装飾ではなく、むしろ機械美を追求した装飾が施されています。郵便貯金局 現代・近代建築
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郵便物搬出入口
柱はネジの形を模倣しています。 -
建物外壁は、花崗岩や白大理石の外壁をボルトで留めて、その頭をアルミニウムで仕上げています。
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屋上の輪【草の輪?】を持つ彫像
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隣の機械パーツ風オブジェ
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屋内
ガラス天井と床のガラスブロックによる美しい装飾を施すと同時に、天井ガラス屋根を2重構造にして断熱機能を持たせています。 -
当時最新のアルミ製暖房吹き出し
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アール・デコ風な階段
『芸術の課題は時代の課題であり、現代の建築は新しい材料と現代の要求に対応しなければならないとする』とするオットー・ワグナーの建築観がチョッピリ分かった気がした建築でした。 -
「ロースハウス」1911年完成
アドルフ・ロース設計
「装飾罪悪論」を唱え、オットー・ワグナーらの装飾性を攻撃した建築家、アドルフ・ロースの代表建築です。
低層部は紳士服店、上層部は集合住宅として設計されたものです。
店舗部分のファサードには緑色の大理石が用いられ、古典様式建築の装飾をそぎ落とした直線的なデザインで、モダニズムの先駆的な建築と云われてます。ロースハウス 現代・近代建築
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しかし、建設された場所が、ホーフブルク宮殿の入口であるミヒャエル門の前であったため、このシンプルなデザインは批判を浴び、ウィーン市の建設局から建設中止命令が出たそうです。
花を窓辺に飾ることで許可されたそうです。┐(´-`)┌ヤレヤレ -
「セセッシオン館」(Secession)1898年完成
ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ設計
街中にいきなり現れるこの奇っ怪な建築は、当時の芸術を牛耳っていた保守的団体(クンストラーハウス)に対して、不満を持つ若手芸術家達が、画家のグスタフ・クリムトをリーダーとして旗揚げしたウィーン分離派(ゼツェッション)の活動拠点建物です。
設計者は創設メンバーの一人であり、ワーグナーの弟子の建築家、ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒです。セセッシオン 劇場・ホール・ショー
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正面上部のドームは、3000枚の月桂樹の葉と700枚の木の実の組み合わせでつくられ、「金のキャベツ」と呼ばれています。
ドーム下には、"DER ZEIT IHRE KUNST,DER KUNST IHRE FREIHEIT"
(時代には芸術を、芸術には自由を)のモットーが掲げられ、入口上部には、ギリシャ神話の髪の毛が蛇と化した3人のメドウーサの像が飾られています。 -
側面に施されたレリーフ
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側面の三羽のフクロウ像(賢者の象徴)
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「ザッハールハウス」(Zacherlhaus)1905年完成
ヨジェ・プレチニク設計
オットー・ワーグナーの弟子のひとり、J・プレチニクが手がけた住宅兼ビジネスビルです。 -
屋上軒下には、マッチョな人型支柱(アトランテス)が配置されてます。
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ファサードに大天使ミカエルの彫刻が飾られてますが、この建築で注目すべき所は、そこではなく、一見、薄い鉄板に思える外壁ですが、灰色の花崗岩のパネルでできており、それを垂直の桟で押さえ、区切っていることが近代建設の先魁として高く評価されているそうです。
(ド素人の私はよくわかりませんが.....) -
設計者、J・プレチニクの彫像が外壁にひっそり飾られていました。
屋内楕円形の階段の吹き抜けには、殺虫剤で財をなした依頼者のザッハール家に因んで昆虫を模した照明があるのですが・・・・・・見落としました!!
( ̄□ ̄;)!! -
「エンゲル薬局」(Engel Apotheke) 1902年完成
オスカー・ラスケ設計
16世紀からある薬局で、1902年にオットー・ワーグナーのもとで建築を学んだオスカー・ラスケの設計によって、アール ヌーボー様式建物に建て替えられました。エンゲル薬局 現代・近代建築
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通りの正面から大理石と2人の天使のモザイクで装飾されています。
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グラーベン通り Graben 16 建築
バタバタとワグナー関連の建築を廻りましたが、チョコッとウィーンに来たぐらいでは、当然廻りきれません。
またワグナー以外のステキなアールヌーヴォー建築もまだまだ多くあるのですが、せめて街の中心部の面白そうな建築だけでもとウロウロします。
誰の設計なのか、いつ完成したのか分かりませんが.....。(_ _,)/~~ -
グラーベン通り Singerstraβe 1 建築
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ローテントゥルム通り Fleischmarkt 1 建築
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ローテントゥルム通り Schwedenpl. 25 建築
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コールマルクト通り Tuchlauben 1 ”CHANEL Vienna Store”
高級専門店の集まるコールマルクト通り沿いにも多くのアールヌーヴォー建築がありました。
他のエリアに比べ、高級店ばかりのせいなのか、垢抜けた印象です。
こちらも誰がいつ頃手がけたのかは、分かりません。 -
ウィーンでは、おじさんの人型支柱(アトランテス)ばかり見ていたので、妙に新鮮に感じました。
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コールマルクト通り Graben 20 ” Kohlmarkt LOUIS VUITON”
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こちらの人型支柱(アトランテス)は妖艶で、プラハの街を思い出しました。
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地下鉄に乗って、ウィーン中心からチョット離れた建築も見に行ってみました。
知らないうちに、駅のトイレもキャッシュレス化してたのですね!
Google Payで入場できますが、画面ロックを解除しないとエラーで入れません。
モバイルSuicaで慣れている人は要注意です。 -
目指す先は、ウィーン中心部の北部デーブリングにある建築です。
デーブリングは、ベートーヴェンゆかりの地で、東京・世田谷区とも姉妹都市を結んでいる静かな住宅地区です。
日本人の目からは少女を誘拐している風にしか見えない標識を見ながら、目的の建物を探します。 -
「ザッハール工場」( Zacherlfabrik ) 1893年完成
カール・メイレダー設計
キョロキョロ歩いているとアラビア・モスク風の建築がデーンと現れました!
この建物は、殺虫剤販売して富を築いたザッハール家、2代目のJ.E.ザッハールが殺虫剤を製造するために建設した工場(管理本部)です。
J.E.ザッハールは、先に記した「ザッハールハウス」の持ち主で、O・ワグナー、J・プレチニクのスポンサーでもありました。
O・ワーグナー門下の若い建築家を雇い、設計させたそうです。 -
オリエンタリズム溢れるファサードと屋根に使用されたセラミックは、今も美しく輝いてました。
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工場の建物とその庭園は数十年間空き地だったそうです。
訪れた時、門は閉まっていたので中に入ることはできませんでしたが、現在は芸術プロジェクトのために旧工場を開放し、毎年夏にこの建物で展覧会や音楽の夜会が開催されているそうです。 -
カール・マルクス・ホーフ(Karl-Marx-Hof)1926-30年建設
カール・エーン(O・ワグナーの教え子)設計
大戦に破れ、ハプスブルク王朝が崩壊し、市民の生活が困窮を極めるなか、社会民主党政権により、計画・建設された、ハイリゲンシュタットの駅前にある、巨大な集合住宅です。「赤いウィーン」の記念碑的作品と言われてます。カール マルクス ホーフ 現代・近代建築
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「シュピッテラウ焼却場」 1992年完成
フンデルトヴァッサー設計
最後にウィーンに来たからには、現代建築のフンデルトヴァッサーの建築も見てみたいと思い、地下鉄「Spittelau」駅からすぐの「シュピッテラウ焼却場」 へ行ってみました
美術館のある「クンストハウス・ウィーン」、「フンデルトヴァッサーハウス」の方が人気がありますが、片や改装工事中、片や混んでそうなので、こちらを選びました。
駅を降りると、それこそズドーンとハデな塔が現れました。
w(°o°)w おおっ!!シュピッテラウ焼却場 (ゴミ焼却場) 建造物
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巨大でありながら、なんとも言えぬこのユルさ.....が良い!
\(^O^)/ -
大阪・舞洲にもフンデルトヴァッサーがデザインした「大阪広域環境施設組合舞洲工場」、「舞洲スラッジセンター」がありますが、アクセスが悪そうなので、ウィーンの方を先に見てしまいました。
( ゚Д゚ )アラマッ.
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