2023/09/23 - 2023/09/23
4位(同エリア209件中)
キートンさん
この旅行記のスケジュール
2023/09/23
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ストーンヘンジ
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セント・ポールズ・ガーデン
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この旅行記スケジュールを元に
アイスランドへの中継地として選んだのはロンドン。
中継地もついでに観光しちゃうのが私流ではあるものの、ちょこっと立ち寄り程度ではなく、ロンドンを起点に終盤の4日間、イギリスを観光します。
11日目の当初の予定は、鉄道でソールズベリーに移動し10:00発のバスでストーンヘンジ観光、その後ロンドンに戻り主にロンドン塔を観光というプランでした。
しかし、昨日の復路の鉄道遅延でホテルに深夜着になったので、朝はゆっくりめに出発したいところ。
ちょっと工夫してトータルで予定していた観光の内容を消化しようと思います。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- シンガポール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝7:00過ぎに目が覚めると、窓の外は雲ひとつない快晴。
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昨日は摂れなかったイビス・ロンドン・アールズコートの朝食。
大手ホテルグループらしく、朝食会場はビュッフェ式の広いレストラン。 -
惜しいことに、野菜系がほとんどない。
風邪気味なのでビタミン補給したいところ。
普段あまり食べないフルーツを多めに。イビス ロンドン アールズ コート ホテル ホテル
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ホテルを8:20過ぎに出発。
今日も徒歩でアールズコート駅へと向かう。 -
アンダーグランドのディストリクト線で移動し、9:00頃にタワー・ヒルに到着。
結局、午後に予定していたロンドン塔を最初に観光することにした。
通常の入場料は33.6ポンドなのだが、あらかじめエクスプローラーパスというのを購入していた。
エクスプローラーパスは、指定されたロンドンのアトラクションの中から2~7つを選択し、そのアトラクション数に応じて料金が異なる。
期限は60日あるので充分。
今回は、ロンドン塔とウェストミンスター寺院(通常入場料27.0ポンド)に使用する目的で、2を選び9,095円だった。
料金の高いアトラクションを選択すれば割引率が大きくなるが、料金の安いアトラクションを選択すると高くつくので注意が必要。
ただ、現地でチケットを購入する手間と時間が節約できるというメリットもある。
エクスプローラーパス↓↓↓
https://gocity.com/london/ja/products/explorer -
スマホでエクスプローラーパスを表示させて、スムーズに入場完了。
空は晴れ渡り、右(南)にはザ・シャードや球形のシティ・ホールなどが見える。 -
最初に南側城壁に上って、ロンドン塔を反時計回りに見学する。
ここから、エドワード1世(1272~1307)とその父ヘンリー3世(1216~1272)によって建てられたミディーバル・パレスというエリアを通る。 -
トレイターズ・ゲートの上部を通って、ウェイクフィールド・タワーへ。
エドワード1世の寝室を再現した部屋。 -
ウェイクフィールド・タワーのドーム状の部屋。
暖炉横にはヘンリー3世の王座。 -
ウェイクフィールド・タワーを出た城壁の上から見えるタワーブリッジ。
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ロンドン塔は概ね二重の城壁に囲まれている。
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その内側の城壁を歩いて行く。
こういう城壁巡りって、何だか楽しい。 -
東側城壁を北に向かって行く途中、木製の屋根付きになっている。
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コンスタブル・タワーにあった、ロンドン塔の模型。
テムズ川側(南側)から見ている。
現在の状況ではなく、ジュエル・ハウスの建物をはじめ、いくつかの建築物などがないほか、ホワイトタワーの南側の建物は現在なくなっている。
いつの時代なのかは、残念ながら確認していない。 -
城壁の北東角にあるマーティン・タワー付近から見た内側の眺め。
中央がホワイト・タワー。 -
壁の上にマントヒヒのような影。
ロンドン塔は動物園として利用されていた時代がある。 -
北側の城壁を西へ歩く。
左にはジュエル・ハウスの建物。 -
イチオシ
北側の城壁からは、金融街の高層ビルが見える。
その手前の白い建物は、「007 スカイフォール」で審問会会場のロケ地となった、フォーシーズンズホテル・ロンドン。
ロケ地巡りで行こうと思っていたが、行けずじまいに終わった。 -
西側の城壁は歩くことができず、城壁から下りて南に進むとクイーンズ・ハウスという一角がある。
城内にしては一般の住宅に近い外観。
ヘンリー8世の2番目の妻、アン・ブーリンが処刑前に幽閉されたという。 -
内側の城壁を南に出たところにあるトレイターズ・ゲート。
ロンドン塔に投獄される囚人や処刑者が、小舟で運ばれこの門から上陸した。
「この門をくぐると生きて帰れない」と言われたという。
ロンドン塔は、1282年から身分の高い政治犯を収監、処刑する監獄としても使用されはじめ、14世紀以降は政敵や反逆者を処刑する死刑場にもなった。
9日間の女王として知られるジェーン・グレイもそのひとりで、エドワード6世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。
後に、その処刑の場面を描いた絵画をナショナル・ギャラリーで見ることとなる。
第二次世界大戦中、対英和平交渉を結ぶためドイツから来て捕虜となり1944年まで勾留された副総統ルドルフ・ヘスが、最後の塔の収監者となった。 -
中世の君主が贈り物として珍しい動物を交換し、ライオン、ホッキョクグマ、ゾウなどが王家への進物として贈られ、13世紀から1834年までロンドン塔は王立動物園としても利用されていた。
1834年には動物園は閉鎖されて、動物たちも他の動物園に売られていったという。 -
イチオシ
ロンドン塔の中央に建つホワイト・タワー。
ロンドン塔の始まりは、1066年にイングランドを征服したウィリアム征服王が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞を建設してから。
約20年で現在のホワイト・タワーが完成した。 -
ホワイト・タワーの内部は、現在博物館となっている。
1689年、特別に作成された14体の実物大の馬と人物の木彫像がロンドン塔に届けられた。
ホワイト・タワーの武器庫の武器甲冑で飾られたこれらの像が一般公開され、ライン・オブ・キングズ(歴代の王)となった。 -
イングランド王ウィリアム1世が、ホワイト・タワー内の一画に、クリスチャンのために築いたセント・ジョン礼拝堂。
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ホワイト・タワーの中で、最も神聖な雰囲気に包まれていた。
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15世紀頃までは、プレート・アーマーと呼ばれる甲冑が戦闘で使用された。
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江戸幕府の第2代将軍徳川秀忠が、1613年にイギリス国王ジェームズ1世に贈呈した甲冑。
イギリスと日本の史上初の貿易協定を記念する贈呈品のひとつだったという。
もともとは、1575年の長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れた武田勝頼のものだったようだ。 -
時代は少し進んで、銃の展示。
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ロンドン塔は何世紀にわたって武器庫として使われてきた。
いくつもの武器がイギリス兵士に即座に支給できるように保管されていたという。 -
ホワイト・タワーの次はジュエル・ハウスを見学する。
意外にも待ち時間なしで入場できた。
国王の即位の時に使われる王冠、宝珠、王錫といった宝器をはじめ、数々の宝物が展示されている。
中でも「アフリカの星」と呼ばれる3106カラットのダイヤモンドが見られるというので、展示されていたこぶし大よりひと回り小さいくらいの光沢のない白っぽい石が、そのダイヤの原石だと思った。
しかし後に調べてみると、カナリンと呼ばれる原石は主に9つにカットされ、そのうち最も大きなカナリンⅠが「偉大なアフリカの星」と呼ばれる世界最大のカットダイヤモンド(現在は世界第2位)で、王笏に飾られているのだった。
ということは、あの原石っぽいのはレプリカだったのか?
残念ながら写真撮影禁止だったので、頼りない記憶だけでは何ともいえない。 -
最初の方で見たウェイクフィールド・タワーの西側にあるブラッディ・タワーを最後に見学した。
ヘンリー3世が1220年代に川の主要な入口として建設されたタワーで、門はこの滑車によって上げ下げされた。
政権争いなどで身分の高い人が、ブラッディ・タワーに幽閉されていたという。
よく知られるのは、15世紀後半、13歳で即位したエドワード5世とその弟リチャードがここに幽閉された後、行方不明となった。
その時即位したリチャード3世が、王座を手に入れるために邪魔な2人を暗殺したのだと考えられている。
2人と推測される遺体は約200年後にホワイト・タワー近くで白骨化して見つかった。 -
取調べの際に使用されたという拷問器具の展示。
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11:00過ぎにロンドン塔の見学を終えて、ロンドン橋の方へ向かう。
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11:20頃、ロンドン橋からタワーブリッジを見ると、偶然跳開部が上がっていた。
タワーブリッジが開くのは不規則らしく、1日に数回開く日もあれば開かない日もあるようだ。 -
ロンドンブリッジからアンダーグランドのジュビリー線でウォータールーに移動して、11:50発のソールズベリー行の列車に乗車。
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13:20過ぎにソールズベリーに到着。
駅前にはストーンヘンジ行のバスが停車していた。
ストーンヘンジの入場料と往復バスのセット券で36.0ポンド。
バス乗車時に車内で購入でき、クレジットカード支払い可だった。 -
2023年のソールズベリー~ストーンヘンジ間の時刻表と料金表。
夏(ピーク)と冬(オフピーク)で異なり、9月4日以降は冬(オフピーク)に該当する。
冬(オフピーク)は、最終便が夏より2時間早いかわりに、料金は少し安く設定されている。 -
2階建てバスの2階の席を確保。
時刻表では14:00発のはずだが、13:40前にバスは出発した。
土曜日なので臨時便なのかもしれない。 -
セット券を購入すると、ストーンヘンジの入場券とイヤホンがもらえる。
座席の背面にイヤホンジャックがあり、オーディオガイドを聞くことができる。
何カ国語かに対応していて、日本語はチャンネル10だった。 -
ヨーロッパらしい田舎の田園風景の中を走って行く。
曇りがちになってきたのが気掛かり。 -
14:00頃、ストーンヘンジ・ビジターセンターのバス駐車場に到着。
バス駐車場からビジターセンターまで少し歩く。 -
ビジターセンターの見どころのひとつが、360度スクリーンに映し出される、ストーンヘンジの時間毎季節毎の表情。
ストーンヘンジ ビジターセンター 博物館・美術館・ギャラリー
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ストーンヘンジの変遷を表した模型。
手前から、紀元前3000年、紀元前2500年、紀元前2200年、現在、らしい。 -
現在の模型は、それ以前のより明らかに縮尺が大きく、中心部のみの模型となっている。
原形の約半分が残っている感じか。 -
発掘された人骨、動物の骨、石器など出土品の展示されている。
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ビジターセンターとストーンヘンジは約2km離れている。
その間をシャトルバスが運行されている。
料金は入場料に含まれている。 -
ストーンヘンジ周辺には、いくつかの解説板が設置されている。
上空から見たストーンヘンジの写真。 -
シャトルバスを降りてから少し歩き、ストーンヘンジの周りを反時計回りに歩いて見学する。
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最初は北西側から環状の列石に接近する。
高さ4~5mほどのサーセン石と呼ばれる立石約30個が、直径約30mの円形に並べられている。 -
サーセン石(立石)の上に、リンテルと呼ばれるまぐさ石が水平に置かれている。
かつては、リンテルが環状につながっていたと考えられている。
4000年以上前の新石器時代に、巨石を立ててその上に巨石を載せるという技術を持っていたのは、驚くべきことだ。 -
イチオシ
内側に3つの巨石を門型に組まれたトリリトンと呼ばれる組石が3組残っている。
トリリトンはもともとは5組がU字型に配置されていたという。 -
ストーンヘンジは、祭壇として使われたというのが一般的な説である。
現在のように石柱が並ぶ前は動物の骨が置かれたり、環濠墓地として使われたりと、時代によって用途はさまざまだったといわれる。
神聖な場所として人々から崇められていたことは確かなようだ。 -
環状の列石の周りは、直径約110mの土塁で囲まれている。
現在の土塁と思われる部分は、高低差が1mにも満たないくらいである。
環状の列石に最も接近するのは北西から西側の部分で、それ以外は直径約110mの土塁の外から見学することになる。 -
ストーンヘンジは、365.25日の太陽暦にもとづくカレンダーであることが有力視されている。
外側の環状のひとつのサーセン石(立石)を1日とすると30あるので1周で1ヵ月。
5のトリリトンは、30×12=360で1年365日に足りない5日を意味しているという。
4年に1度のうるう日を数えるために、ストーンヘンジの四方に配置されたステーション・ストーンを目印としたと考えられている。 -
最も高い石柱の上に、ほぞと呼ばれる突起が見られる。
鳥が止まるためのものではない。
ほかのサーセン(立石)の上にもほぞがあり、リンテルのほぞ穴にかませて上下の石を固定していたという。 -
ストーンヘンジの近辺には建物などの人工的な構造物は見られない。
ビジターセンターが2km離れた場所に建てられたのも、ストーンヘンジ周辺を完成形で存在した時代に近付けようと配慮したのかもしれない。 -
イチオシ
環状列石の北東方向に離れて立つ、ヒールストーンと呼ばれる玄武岩の巨石がある。
ヒールストーンとストーンヘンジの中心を結ぶ直線上に、夏至の日の朝日が昇るため、太陽崇拝の祭祀と天文観測を行う場であったと考えられている。 -
今から4000年以上昔をしのぶ、世界有数の古代遺跡。
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今もなお謎多きストーンヘンジ。
今も謎の解明が進められている。 -
約40分のストーンヘンジの見学を終えて、15:00頃のシャトルバスでビジターセンターへ戻る。
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イチオシ
ビジターセンターの東側には、復元された新石器時代の集落がある。
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その住居の内部。
中央に囲炉裏の跡、木の枝を敷いた寝床や簡素な棚が見られる。 -
旧石器時代の住居の外観。
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内部に何かの道具らしき物がある。
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屋根は木の枝とヨシのような植物で造っている。
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巨石の運搬方法の展示もあった。
ストーンヘンジに使われたサーセン石は、35tを超えるものもあった。
車輪が発明される以前なので、丸太を敷いて転がしたと考えられている。
これらの巨石は北に25km離れたウィルシャー州のウエストウッズから運ばれたことが、最近の研究で明らかになったという。 -
15:30頃のバスでソールズベリーへ向かう。
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富良野や美瑛のようなのどかな風景が続く。
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復路のバスは、遺跡のあるオールド・セーラムという街を経由する。
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ソールズベリー16:21発の列車に乗車し、17:50頃ウォータールーに到着。
徒歩でウォータールー橋へ向かった。
ウォータールー橋からテムズ川の上流側には、ロンドン・アイやウェストミンスター宮殿 が望める。 -
現在のウォータールー橋は、これといって特徴があるわけではなく、平凡な橋である。
ウォータールー橋、ビリケン、蛍の光。
この3つのワードでピンときた人は、かなりの映画通である。
ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー主演のアメリカ映画、原題「Waterloo Bridge」は、日本では「哀愁」というタイトルで知られる。
この映画で、小さなビリケン人形が幸運のお守り、蛍の光が主人公ふたりの幸福のひと時のBGMとして挿入されている。
ビリケンは大阪の通天閣、蛍の光は卒業式や大みそかのイメージがあるので、いかにも日本産っぽい。
実は、ビリケンは1908年にアメリカ人がデザインした幸運の神の像で、蛍の光の原曲は「オールド・ラング・サイン」というスコットランドの民謡である。
「哀愁(Waterloo Bridge)」(1940年)
https://www.youtube.com/watch?v=pWlkk3QzWm0 -
「哀愁」の物語は、第一次世界大戦中から第二次世界大戦序盤の英独開戦の日まで。
現在ウォータールー橋から見える高層ビル群は、当時はなかった。
それどころか、ここでの現地ロケではなく、アメリカでの撮影だと思われる。
というのも、撮影当時イギリスはすでに第二次世界大戦の英独開戦後で、ウォータールー橋は1934年から一度解体され新たな橋の建設が完全に終わっていない状況だったと思われる。 -
ウォータールー橋で空襲警報が鳴りサーチライトが夜空を照らすシーンの背景は、目立つ建物はセント・ポール大聖堂くらい。
しかし、そのシーンはスタジオ撮影だと思われる。
なので、これはロケ地巡りというのではなく、映画の舞台訪問ということになる。 -
テンプルからアンダーグランドのディストリクト線でバロンズコートに移動し、北の方に10分弱歩いたところにあるセント・ポールズ・ガーデンという公園。
その公園の門は、半世紀以上変わっていないようだ。 -
公園に入ると、東側にレンガ造りの建物がある。
マーク・レスター、トレーシー・ハイド主演のイギリス映画、原題「Melody」は、日本では「小さな恋のメロディ」というタイトルで公開された。
映画の中でそのレンガ造りの建物は、学校の外観として出てくる。
「小さな恋のメロディ(Melody)」(1971年)
https://www.youtube.com/watch?v=z5Ri_08oEf8 -
この映画は本国イギリスでは不評だったらしいが、日本では大ヒットし、1970年代に3度もリバイバルされた。
主演のひとりトレーシー・ハイドはこの映画以外に目立った出演作はないものの、1970年代にデビューしたテータム・オニール、ジョディー・フォスター、ブルック・シールズ、ダイアン・レインなど、名だたる美少女スターにも引けを取らないない人気を保っていた。 -
学校のロケ地となった建物は、現在セント・ポールズ・ホテルという宿泊施設となっている。
小さな恋のメロディの日本での人気は、ビージーズの楽曲も要因のひとつだっただろう。
1970年前後のビージーズの楽曲は、映画のシーンによくマッチしていた。
それだけにビージーズの楽曲はこの映画の印象強かったのだが、70年代後半になるといち早くディスコ・ナンバー路線へと転換し、1977年には映画「サタデー・ナイト・フィーバー」でビージーズは絶頂期を迎えた。
70年代半ばをはさんで、同じアーティストとは思えない変化に驚いたものだ。
映画と楽曲の大ヒットで、「フィーバー」も流行語となった。 -
セント・ポールズ・ホテルにはレストランが併設されていて、その名は「Melody」。
少し奥には、映画の終盤で先生たちが駆け下りたらせん階段も残っている。
高校1年の時の学園祭で、3年生のクラスが作成した3本立ての映画が今でも記憶に残っている。
3本ともよくできた作品だったが、そのうちの1本のタイトルが「小さな恋のパロディ」だった。
タイトルから明らかなように「小さな恋のメロディ」のパロディ版なのだが、全編を簡潔な字幕とBGMで見せるサイレント作品だった。
映画といえばトーキー(死語?)が当たり前の時代に、サイレントであることが新鮮に写った。
元のストーリーはわかっているので、少ない字幕でも理解できるし、どうアレンジしているかも楽しめた。
当然詳細は忘れたが、ラストで逃げるシーンは、トロッコではなくて自転車に二人乗りという極めて庶民的な手段だったことは覚えている。 -
セント・ポールズ・ホテルから東の方に1km以上歩いて、TESCOというスーパーマーケットに着く頃には、どっぷりと日が暮れていた。
入口のひとつが閉まっていたので閉店かと思ったが、ほかの入口から入れた。 -
ホテルに帰ったのは20:00過ぎだった。
TESCOのお買い上げ品。
チーズパン(4個):1.20 ポンド
野菜サラダ :1.15 ポンド
スキール:1.00 ポンド
キャンディー:1.25 ポンド
アップル・レモン・ジンジャージュース:1.50 ポンド
合計:6.10 ポンド
風邪気味で喉がいがらっぽく、咳も出始めたので、レモンとジンジャー(ショウガ)のジュースとキャンディーを購入した。
体にだるさなどはなく体力的には今のところ問題ないが、風邪気味なのが良くならないのが気掛かり。
明日はウェーマスまで鉄道で移動し、ジュラシック・コーストのひとつラルワース・コーヴに行くの予定なのだが、雨が降るかもしれないうえに風が強そうだ。
変更案も考えながら寝ることにした。
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