2023/10/14 - 2023/10/14
22位(同エリア374件中)
kummingさん
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表紙の写真、正面の良い写真がなくて、横からの写真です。
とうとうこの日のを迎えました
いつかプーリアの風ふく中
その地に立ち、FDllと時空を超えてあいまみえたい、と夢に見た場所
Castello Fiorentino
レンタカーでないと行けない!
半ば諦めていた、そんな時ふってわいた絶好の機会、呼ばれているとしか思えない!?これは、行かないわけにはいかない♪
写真が多いのでLucera編、2個に分けてます。
編集すると、どれがどこ?になるのでそのままたれながしm(._.)m
写真多いので蘊蓄は少なめ?
最後にどばっとまとめてますが、through してくださいね(._.)
あと、URLだけ貼り付けるべき?な長文(-。-;、気になる方はどうぞ♪
最初にカステルフロレンテイーノを知ったのは、やはり塩野七生さんが言及され、文庫本「皇帝フリードリッヒ2世」に写真も載っています。そこに実際に行かれた(行けるんだ?)、大先輩しにあの旅人さんご夫妻のブログ、秀逸♪4tr史上最大級の傑作の呼び声高い、と思います。旅日記からは逸脱しているかも、ですが、ふつうの旅行記の範疇にはおさまらないスケールの大きさ。
あの頃、まさか私がここを訪れる日が来るとは!夢はかなう^o^
↓ こちらが、その格調高い文芸作品♪
https://4travel.jp/travelogue/11560254
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
まだ明けぬうちからカフェには人影
-
ついに訪れたこの日♪
-
60代日本人ばあば、シャンデリアの下敷きで圧死!
とかニュースになる事もなく、ぶじ朝を迎え -
これが「おいで~」
とわたしを呼んでくれた件のチャット
(因みに、あのフィッシングメールもこ~ゆ~「宿泊施設との個別チャット」に送られてきます) -
エレオノーラさんがエスプレッソをサービス♪
ご主人?が今日車を出してくださると、ここで9時集合のお約束
提示された50ユーロは良心的な設定、
と思っていたら、
この旅の途中でワンメーターで20ユーロのタクシーに出会い(;o;)
めちゃくちゃ、サービス価格やってん! -
片道30分、往復1時間
+
現地滞在2時間
の予定
一応、滞在予定時間も伝えています -
で、現地滞在中、ドライバーさんはどうするの?
「たぶん、待ってるでしょう」
とエレオノーラさん -
ドライバーさんに確認すると
「一旦戻って迎えに来るよ!」 -
待ってもらうのも、何だか申し訳ないような、
でも、『ぼっち』でぽつねん…も寂しすぎる…… -
そのドライバーさん
お名前はな~んと
Alexander the Great?
マルコくん、とか、フランチェスコくん、とか
聖者の名前のイタ男くんには何人も会った事あるけど(*_*) -
ぜ~んぶ、オリーブ
-
車中で交わす我らの会話
なにしろ伊語、全く分からん私
英語、まあ分かるかな?のアレクサンダーさん(←本人曰く) -
ホテルのお客で日本人は初めて?
日本には行った事ない
日本人をどこかに案内した事ありますか?
日本には行った事ないけど、中国とバリ島には行った
車は日本製ですね!
ニッサン大好き♪
ホテルの名前はFederico llに因んでるんですか?
もちろん!
ここから盛り上がる予定、が、
反応はも1つ、薄かった(-。-;
なかなか、かみ合わないながらも有意義なひととき♪ -
♪
-
途中で何やら廃墟が見えた
-
きた~
-
ここだ~
-
タワー(塔)
-
脚が
-
すくむような
-
基礎部分?
-
反対側からも
-
どきどき
-
ふと振り返ると
アレクサンダーさん、まだいてるやん? -
遮るもの1つない日差しの下
そこに、2000年12月13日に、フェデリーコ2世死去750年を記念して立てられた八角形の柱がある -
ラテン語の碑文
FRIDERICVS DEL GRATIA ROMNORVM IMPERATOR ET SEMPER AVGVSTVS
REX IERVSAIEM SICILIE DVX SVEVIAE
26-XII-1194 IEST 13-XII-1250 FIORENTINO
「フレデリクス、神の恩寵によって、ローマ帝国皇帝、常にアウグストウス、イエルサレムとシチリアの王、ズヴェイヴィア(シュヴァーベン)の公爵、
1194年12月26日イエージに生まれ、1250年12月13日、フィオレンテイーノにて死す」 -
ラテン語の碑文 アップで
FRIDERICVS
DEL GRATIA
ROMNORVM
IMPERATOR
ET SEMPER
AVGVSTVS
REX IERVSAIEM SICILIE
DVX SVEVIAE
26-XII-1194 IEST 13-XII-1250 FIORENTINO
「フレデリクス、神の恩寵によって、ローマ帝国皇帝、常にアウグストウス、イエルサレムとシチリアの王、ズヴェイヴィア(シュヴァーベン)の公爵、
1194年12月26日イエージに生まれ、1250年12月13日、フィオレンテイーノにて死す」 -
下段
26-XII-1194
IESI
13-XII-1250
FIORENTINO
1194年12月26日イエージに生まれ、1250年12月13日、フィオレンテイーノにて死す -
その名も
ラテン語読みで 「フレデリクス」 FRETHERICVS
ドイツ語で 「フリードリッヒ」 FRIEDRICH
イタリア語で 「フェデリーコ」. FEDERICO
八角柱の残る3面には、ラテン語、ドイツ語、イタリア語で記された一文が彫られている。
(イギリス生まれのベネデイクト派修道士年代記作者、マシュー・パリスによる年代記中の一文)
「この年、皇帝フリードリッヒが死んだ。世俗の君主の中では最も偉大な統治者であり、世界の驚異であり、多くの面で素晴らしくも新しいことを成した改革者であった」 -
ラテン語
OBIIT CIRCA
EADEM TEMPORA
PRINCIPVM
MVNDI MAXIMVS
FRETHERICVS
STVPOR OVOOVE
MVNDI ET
IMMVTATOR
MIRABILIS -
ラテン語
この『STVPOR MVNDI』 「世界の驚異」 ストウポール・ムンデイ
こそが以後のフリードリッヒの代名詞となる -
イタリア語
IN QUEL
TEMPO MORI
FEDERICO
IL PIU GRNDE
TRA I PRINCIPI
DELLA TERRA
STUPORE DEL
MONDO E
MERAVIGLIOSO
INNOVATORE -
ドイツ語
UM DIESE ZEIT
ABER STARB
FRIEDRICH
DER GROSSTE
UNTER DEN
FURSTEN DER
ERDE
DAS STAUEN
DER WELT
UND IHR WUNDER
BARER WANDIER -
言葉にならない、胸の内
-
プラテアマグナ(大ホール)
-
-
-
しばらく
歩いた順、見た通り、撮ったまま↓ -
-
-
-
都市部
-
-
教会
-
-
都市部
-
オーブン パン焼き窯
ベーカリー(パン屋) -
-
-
大聖堂
-
-
-
-
-
-
-
ドムス(ドーム) 宮殿
-
-
城壁
-
城壁
-
-
https://youtube.com/shorts/zSawct2XRho
https://youtube.com/shorts/KSgu9BiQkEA
どっちのBGMがこの場にふさわしいでしょう? -
-
セシデイット ソル ムンデイ 世界の太陽が落ちる
-
-
一帯は
トカゲ、イモリ、ヤモリの類の棲家
あれ? 写ってないやん -
考古学的な発掘が行われる前のフィオレンティーノ城の宮殿は、より包括的な方法で消滅したフィオレンティーノの町の問題に取り組みました。記録に記載され、伝統的に皇帝が亡くなった場所と考えられていたフレデリック2世の旧宮殿の遺跡は、東の塔の遺跡と識別され、町自体と非常につまらない?郊外との境界に位置しています。まだ完全に崩壊していない塔は、12 の放射状の壁でマークされたピラミッド台のような形をした高い足場の上にあります。
表面はすべて規則正しく配置されたレンガで構成されており、強大な (ほぼ完全に破壊された) 塔との明るいコントラストを生み出しています。灰ラースは足場のようにドレスアップされた石灰岩で作られており、発掘によって明るみに出た成形されたコミックです。
部分的に空洞になった(陥没した?)内部は、以前は洗練されたリブ付きの十字ヴォールトで覆われていました。しかし、現地調査により、防御機能と帝国のドムスの機能を組み合わせた巨大な建物の遺跡が検出されました。
規則的なレイアウト(2つの長方形の本体が隣り合って配置され、その内部の空間は、華麗なインポストによって提供されているように、横アーチで分割されていた)、大きな正方形で飾られた切り石に面した厚い壁、建物の居住目的を明確に示す装飾の痕跡(ヘリンボーン模様のレンガ床の破片、ステンドグラスの窓から色ガラスの破片、2つの暖炉の残骸、かつて窓を囲んでいた柱と柱頭の破片)
宮殿の上部は再建できないが、グラヴィナのドムス(The domus of Castle Gravina) との比較から、まだ発掘で発見された彫刻の断片の質からさらに推測されるように、宮殿には上層階があった。過去の栄光の痕跡に加えて、苦難の歴史、戦い破壊と再建、衰退の痕跡も現れている。
フィオレンティーノとそのドムスの運命は、実際にはスエビア王朝の運命と関連しているようです。フレデリックの死後、アンジュヴァン家は完全に軍事目的のために住居の特徴を改造しました。そしてすでに 1418 年以前に、宮殿はほとんどの調度品が略奪されており、宮殿は完全に朽ち果てた荒廃した廃墟とみなされていました。
ーCastel del Monte のBook Shopで購入した本ーより抜粋 -
最後
鷹狩りの最中に急に容態悪化した時は
ここから運び込まれたのか? -
-
-
-
-
お約束のお線香
と
ろうそく2本
火を灯す -
影を入れずに撮れないあんばい
直、陽光下
ばあばの直火焼きができそな日差し -
-
なぜ永平寺のお線香?
(たまたまうちにあったから) -
Fedeさまに届け!
日本のFederico ll 有志の会?の想い
『愛』を込めて
(同好の士、ファン、愛好会、フェデリコ主義者、どう呼べば?) -
4年前、あの時咲いていたあの花ですよね?
ボリジ(mistralさん説)
レモングラス(ももであさん説)
ございます
あっ、もう一つの、白い花、の名前当てっこ、でしたっけ? -
青い空と降り注ぐ陽光と
時おり吹き抜けるプーリアの風
ここには私とFD ll を遮るものもなく -
強い日差し
そろそろ引き上げどき -
何も書かない写真のみ、にした方が良い、と思いつつ、5~6年の歳月を経て悲願成就♪
Fedeさまに心酔していた頃から時間が経ち、興味の対象があちこち散漫になっていた時期を経て、今思い出せるあれこれを書き留めておく
1つ前のシチリア旅のパレルモからここへ繋ぐ Federico llの軌跡を巡る旅。パレルモは、幼少期を過ごした場所でもあり、それ以前のFedericollの母方の祖先に遡って、キリスト教徒とイスラム教徒が共存していた世界で、ここで後のFedeさまの宗教観、イスラム教徒へ態度、対応が形成された。
生後数ヶ月で父、3歳で母を亡くし、にもかかわらず、父方からは「神聖ローマ帝国皇帝」位を、母方からは「シチリア王」を継ぐという、その貴い血筋は彼の中に脈々と流れ、誰よりも自らの貴種を信じ、それ故に成すべき事への自負を抱いて成長する。
7つの言語を操り、その学問、興味の対象は広い分野に及ぶ。その一方で少しの間もじっとしていないほど活動的な少年時代を経て、フェデリーコが成し遂げた業績に目を向けてみる。
法による統治、中央集権国家を目指し、「ローマ法典」を基に「カプア憲章」→「メルフィー憲章」を制定、法治国家には欠かせない官僚、それもキリスト教の息のかからない知識、教養を持つ人材育成のため、ナポリ大学創設、(学長、教授陣はボローニャ大学からヘッドハンティング)。今で言う政教分離、世俗主義の先駆け。"法王は太陽、皇帝は月"と豪語して憚らないローマ教皇と、"皇帝のものは皇帝に、神のものは神に"と政教分離を掲げる皇帝、水と油の関係
エルサレムの無血開城。このそれまで十字軍には成せなかった偉業も、ローマ法王に破門(2度目の)されていた身とて、戴冠式の行われる聖職者が誰もいない聖墳墓教会の祭壇へ進み、皇帝フェデリーコは置かれていた王冠を自らの手で自分の頭上に載せる。
皇帝の宮廷で奨励された詩作は、ダンテの「神曲」に先駆けて、後の世俗語としてのイタリア語へとつながる。他にも当時キリスト教教義にそぐわないとして排除されていた学問、ギリシャローマ文明をイスラム世界から輸入、イベリア半島のイスラム系学者に翻訳させ、それはイタリアルネサンスへ、と学究の世界に及ぼした影響も枚挙にいとまがないほど。
正式な結婚だけでも4回、子を成したゆえ知られている女性だけで11人、そこで生まれた息子、娘は計15人。結婚は政略婚だが愛人は美女揃いだったので、庶出子は揃いも揃って美男美女ばかり。その愛人や子供たちへの気遣い、心配りも忘れないという隙のなさ。
ただ長男との関係構築にだけには失敗したのも、出来る人間は、自分にやれることは他人もできるはず、との思い込みが招いただけでなく、幼くして両親を亡くした事が影響していたのではないか、と思う。晩年、最側近の裏切りにもあう事になるが、まだ海のものとも山のものとも知れない、貴い血統と知力、可能性だけの若者に、当時のそうそうたる大人たちが長く付き従いその使命を全うしたのも、フェデリコの総じて人を魅了する知性、能力、魅力の成せる技だったのでは、と。 -
https://fondoambiente.it/luoghi/castel-fiorentino?ldc
興味のある方はどうぞ↑
トッレ フィオレンティーナとも呼ばれるカステルフィオレンティーノは、フロレンティヌムと呼ばれる小さな中世都市の遺跡がある場所の現在の名前です。レオーネ・オスティエンセの『Chronica monasterii Casinensis』で初めて言及され、1058 年以来ベネベント大都市の代官司教のリストに含まれています。当時、この教会には人口が多く、職人はほとんどおらず、裁判官は 2 人か 3 人、公証人もおそらく同数ほど収容されていましたが、大聖堂には約 15 の聖堂があり、市内には他に少なくとも 6 つの教会がありました。細長い支線に位置し、カピタナータの他のビザンチン都市と同様に、大きな縦長の通りと垂直な路地を備えた直交計画で建設されました。間違いなく、その拍車の終わりには、数十年後に建てられたノルマン人の城が立っていた。
もう一方の端では、おそらく 12 世紀末以降のものです。都市は郊外によって拡張されており、航空写真ではっきりと確認できます。表面積は限られているものの、アペニン山脈以南の丘陵地帯にまで広がったこの都市の領土には、イスラム教徒によるルチェーラ占領中に消息を絶った農家、S. サルヴァトーレが少なくとも1軒あった。
都市の衰退は 13 世紀後半に始まりました。司教の座は次の世紀に消滅し、定住の最後の痕跡は 17 世紀の初めに消えたようです。大聖堂の遺跡は 19 世紀になってもまだ残っていました。フリードリヒ 2 世の無政府的な少数派の 20 年間、フロレンティヌムはレジーナ伯とチヴィターテ・マッテオ・ジェンティリスによって統治されましたが、1223 年に国有地に戻りました。カピタナータ領の再編成の一環として、フリードリヒ 2 世がいつ都市にドムス ソラシオラムを建設することを決定したのかは不明です。最近のフレデリック宮殿の形をしていないため、かなり初期に建てられたと考えられています。しかし、ドムスがノルマン城が立っていた場所(おそらくノルマン起源のよく守られたモット)を占領しており、城壁によって都市から隔てられていたことは明らかであるようだ。この防御城のドムスへの置き換えは、地域全体が周囲の城によって保護されるという考えによく対応しています。ドムス フェデリシアーナは既存の建物に接ぎ木され、後におそらくアンジュー時代に都市の領主によって改築されました。それは、長さ29メートル、幅17メートルのほぼ長方形の平面を持ち、有効内部空間は275平方メートルで、わずかにずれた2つの長い部屋からなる壮大な建物でした。厚さ1.5メートルの壁は美しい石で覆われていました。確かに、カステルフィオレンティーノのドムスの計画は、カステル デル モンテ、ルチェーラ、さらにはグラヴィーナの宮殿の計画よりもはるかに洗練されていませんでした。4 つの狭く保護された開口部により、外部からのアクセスが可能でした。の中に、壁は漆喰で覆われ、床はオプス・スピカタムに配置されたタイルで覆われていました。西の部屋には 2 つの暖炉があり、東の部屋の壁には石のベンチが設置されていました。3 つの凝灰岩のアーチが各部屋の天井またはアーチを支えていました。この建物には上層階もあったはずですが、保存されていませんが、おそらく彫刻された柱のある窓で装飾されていたと思われます。首都、柱や柱、コーニス、尖ったアーチ、多色のステンドグラスの窓の断片は、皇居の内部装飾の豊かさを証明しています。
フリードリヒ 2 世は 1250 年 12 月 13 日にカステルフィオレンティーノで亡くなりました。皇帝が亡くなった場所に関しては、おそらく真実の根拠がある伝説が生まれました。この話によると、占星術師たちは皇帝にサブフローレを「枯れさせる」必要があると告げました。 ; フレデリックは不死以外の何ものでもないことを望んでおり、その後、組織的にフロレンティアとフロレンティヌムを避けるようになりました。しかし、彼は予期せぬ罠にはまり、実際にカステルフィオレンティーノで亡くなった。 -
ーTorremaggiore市HPより抜粋ー
カステル フィオレンティーノ 考古学公園 フィオレンティーノ城
Torremaggioreトレマッジョーレの田舎では、市の9km南、ステルパローネと呼ばれる丘(ブファラ運河とカナレット川で区切られた川間支流)の西側に、古代の司教領であるフィオレンティーノの街の中心があった。
テイアヌム・アプルムからフィオレンティーノのルチェラにつながる重要な幹線に建設され、1018年から1023年にかけてビザンチンのカタパン、バジリオ・バイオハネスによって、トロイア、チヴィターテ、ドラゴナーラなどと共に、建設された。この都市は、ビザンチウム帝国の敵の攻撃に対抗するために、プーリア北部辺境の戦略的防衛システムに組み込まれた。
1250年12月、シュヴァーベン皇帝フリードリヒ2世は「アプトポルタムフェリームサブフローレ」で亡くなった。
この都市は1255年10月にローマ教皇庁との間の激しい闘争中に破壊された。生き残った住民の殆どが、すぐにではなく徐々にではあるものの、トレマッジョーレに避難した。フィオレンテイーノの生活は回復することはなかった。
放棄された場所で進行中の考古学的発掘により、アンジュー時代の破壊と修復の兆候をもつ、フレデリック朝の「ドムス」が明らかになった。この大聖堂は、プーリア州遺産管理局AAASによる最近の調査対象であるサン・ミケーレ・アルカンジェロに捧げられ、市の南西部を占めて、ファサードはマグナプラテアに面している。
サン・ニコラの母教会や「コダチオ」として知られるトレマッジョーレの最古の中核の家の芸術的都市家具として再利用された中世の彫刻の大部分が、それらのものであると考えられる。 -
FDll への憧憬と追憶へと続く道
-
-
アレクサンダーさんが、
ず~っと待っていてくださった♪ -
東洋からはるばるやってきたばあばを
ぼっち残すにはしのびなかった?
(宿泊客に何かあったら困る、よね) -
帰りの車中はしんみり
-
1番のテーマを終えたこの後
残りの行程が消化試合になるんじゃ?とふと思う
が
旅は始まったばかり -
心満たされて
-
というわりには
邪念が鎌首をもたげ
↓
ついでと言ってはあれだけど
「ホテルじゃない処へ送ってもらうわけにはいかない、ものかは?」
とおねだり -
ローマ円形競技場へ
ホテルから歩くとちょい遠い距離
もちろん帰りは自力で
切符はカード払い
トイレあります
説明を読もうとしたら急に眠気がおそって来たので…
以下省略 -
最重要案件を終えたばかり
↓地下空間は何も見えず -
消化試合的に
見て、撮って、廻って
5が抜けている、が
引き上げましょう
今日の今日とて仕方ない -
日中は誰もいない街
し~ん
昨日、お線香のためのライター買ったタバッキ -
Basilica Cattedrale di Santa Maria Assunta
カステロフィオレンティーナからサラセン兵の想いと共に、再訪m -
サラセン兵たちの恨みの声が聞こえてきた、ような気が(昨日とは違うやん)
フォッジアからは18kmしか離れていないルチェラでも、この町が長年にわたってイスラム教徒の町であったことを示す痕跡は、今では何一つ残っていない。フォッジアで王宮にのみなされた破壊が、ルチェラでは町全体に対してなされた。 -
ここのどこに
カステルフィオレンテーノの大聖堂大理石が使われたのか? -
この高い塔?が気になりますが
-
ちょ
不気味なBabies -
この広場も見納め
lucera 訪問の際は
バスでココに着く、をおススメします -
切ないLucera最後の夜も更け
-
帰りは下り坂
早朝次の目的地、Foggiaへ -
その後、B&Bに荷物預けて
Barletta へ向かいます♪ -
明日からお天気は下り坂(;o;)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- しにあの旅人さん 2023/11/16 17:28:39
- 完璧な資料
- 私たちの旅行記、ほめていただいて感謝です。
By妻がとくにリキを入れて書いたので、喜んでいます。エンディングはほとんどBy妻です。
私たちにも、もっとも思い出の深い旅でした。
Luceraからだと20km以上あります。料金はすごく良心的。
私たちの時は4月、麦だか牧草だか、一面緑でした。10月だと刈り入れ後、もう耕運機で起耕したあとみたい。寂寥感ひとしおです。
フィオレンティーノですねえ。
登り口の廃墟もあのままだ。
プーリアの風を思い出します。
運転手さん、心配で、ずっと待っていたと思いますよ。付近にカフェひとつないし、女性一人残していけるはずはない。
だーれも来なかったでしょう。
観光客が来るところではないのです。
ラテン語、どうやって読んだのですか。
書き起こすだけでも大変なのに。
『STVPOR MVNDI』は書いてあることは知っていたけれど、探しもしなかった。
大聖堂まで行ったのですね。
私たちは雑草がひどくて近づけませんでした。季節で雑草がしおれただけじゃなくて、草刈りしてあるみたい。
LA CHIESAなんて案内気がつきませんでした。大聖堂以外に12教会があったそうで、そのひとつか。
私たちが見逃した案内板がいくつも写っています。
「セシデイット ソル ムンデイ」なんてどこにあったのだろう。感激です。
BGMはあとのほうがいい。画面の旋回も早すぎて、もっと遅くして下さい。じっくり味わいたい。
宮殿。
Castel del monteで購入された本、私がネットでみつけた資料と内容が一致して、もっとくわしい。
お線香、ありがとうございました。しかも永平寺!
FD2はあ宗教に寛容でしたから、仏式にお墓参りされても、喜んでくれるた思います。
ロウソクは神式、kummingさんのおうちは神道ですか。
FD2は倍よろこんだはず。
「同好の士、ファン、愛好会、フェデリコ主義者」全部OKだと思います。
フィオレンティーノの解説の翻訳、ご苦労様でした。
くわしいことまでよく分かりました。
このつぎここに行く4トラベラーの貴重な資料になります。これ以上の日本語の資料はありません。
きっと後続がいらっしゃると思います。
Minstralさん、読んでいますか。行きたくなったでしょう。
Luceraのカテドラル、サラセン人の近衛兵は奴隷に売られ、イタリアのどこかの土になった。きっと残留思念(幽霊の科学的用語?)となって、どこかに残っているはず。
- kummingさん からの返信 2023/11/16 20:09:49
- Re: 完璧な資料
- しにあさん、コメントありがとうございます♪
今までもらった中でも、1番嬉しいかも^ ^
留年、または再履修を免れた学生時代の気分、ほっとしました。とりあえず、及第点、認知して頂けたと思ってよろしいですか?
これをきっかけに、もっと多くの方たちに、しにあさんご夫妻の作品をみてもらえたら本望です。
そうでしたね、しにあさんたちが訪れられた時は、春、一面緑の草原っでした。あれは4年前、で合ってますか? まだ4年しか経っていない?
当日は、日差しが強く朝10時から暑くて、身を隠す日影もなく、2時間弱で撤収という、根性なし(;o;)
部分的には道らしき処もあり、道標ははっきり見えていました。言われてみれば、ちゃんと草刈りして手入れされていたのかも? 城壁の手前にドムス、その右手奥に、あの「世界の太陽が落ちる」見つけまして、お線香はココしかない!この碑文には泣けました。
八角柱の碑文は、塩野七生氏が著書の中で紹介されていて、ラテン語訳はそこからの引用です。碑文がある事は著書で知っていたので、現地では全面写真を撮る!に徹しました。
Castel del Monteで買った本は、まだ旅の中盤だったので荷物増やしたくないし、で、撮り損ねたかも?な細部の写真が載っている小ぶりのものを購入。出版はMARIO ADDA EDITOR、PUGLIA IN TASCA(プーリア州をポケットに)というシリーズもの、他にもTRNIとか出してるらしい。著者はSTEFANIA MORA。
本の末尾に、FDll関連の記述、城塞や遺跡の解説もあり、ぼちぼち読んでいるところ。1つ前のブログでしにあさん懸案のシュヴァーベンアンジュー城塞についても説明あるので、いつかみてみます(←もっか先がつかえているので、いつになることやら?)。
えっ、仏式はお線香だけで、ろうそくは神道なんですか? うちはお墓でもお仏壇でも、両方灯しています(-。-;
FDllは宗教に寛容、共生主義なので、大丈夫かな?
長文が3個あるので、1個はURLだけにしようかと思っています。自分の訳だけでなく、ネット記事の訳も、日本語的におかしいところあるし。てか、読んでくださるのは、しにあさんだけでしょう(笑)
ありがとうございました♪
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