2022/12/08 - 2022/12/10
845位(同エリア1177件中)
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SHU2さん
この旅行記のスケジュール
2022/12/09
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車での移動
6:40に起き、朝食7:45ホテルを出発し、8:15八幡山ロ-プウエイ無料駐車場に到着。
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近くの日牟禮八幡宮や八幡堀、古い街並みの新町通りを散策。
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その他での移動
8:54ロープウェイ乗り場に戻ってきて、 9:00始発のロープウェイ乗り山頂へ。
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山頂の八幡山城址や本丸跡にある村雲御所瑞龍寺、展望台などを見学し、9:30に山を下り、安土城跡へ
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9:55に安土城跡に到着。石垣だけの城の安土城に登城。
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武家屋敷跡や二の丸、信長公本廟、本丸跡、天主跡などを見学し総見寺跡へ。
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総見寺跡や二応門などを見学し、11:10に安土城跡を出発。13:38東海道の宿場町町(関宿)に到着。
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関宿では、東海道では唯一歴史的な町並みや創業300年以上のお店などを見学。
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さらに歴史資料館やまちなみ資料館、関の山車会館、西追分などを見学し、15:00伊賀上野城に向けて出発
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15:38伊賀上野城本丸に到着し、天守閣や周辺を散策。16:50伊賀上野を出発。
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奈良奥山ドライブウェイ等を通り、18:15若草山頂駐車場に到着し展望台から奈良の素晴らしい景観を見る
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19:20ホテル日航に到着。19:50 夕食のため奈良駅周辺へ
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JR奈良駅周辺や三条通りの飲食店を見て、松のや奈良駅前店で夕食。21:20ホテルに戻りお風呂で終了。
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この旅行記スケジュールを元に
旅行2日目は、7:45にホテルを出発し、近江八幡の八幡堀や古い街並みを見学。そして八幡山ロープウェイに乗り八幡山城址や琵琶湖の景色などを眺め、安土城跡に移動。安土城跡や摠見寺跡を見学後、甲賀の里を通り、13:38に三重の関宿へ。関宿は、三東海道では唯一歴史的な町並みが残る宿場町で、江戸時代にタイムスリップできました。15:00伊賀上野城に向けて出発し、伊賀上野城を見学。そして夜の奈良奥山ドライブウェイを走り、若草山展望所から新日本三大夜景の奈良の素晴らしい夜景を眺め、ホテルにチェックイン。夜は奈良駅周辺を少し散策し、2日目は終了。
3日目は、.奈良公園、大和郡山、大神神社、大宇陀などを巡ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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6:40、2日目スタ-トです。 部屋からは、滋賀県東近江市にある近江鉄道の八日市駅や電車を見ることができ、写真左側には縁起のいい名前の延命公園も見ることができます。 また八日市は古くからの市場町で、聖徳太子の時代から毎月「八」の付く日に市が開かれていたとされ、それが地名の由来となったそうです。
ホテルルートイン東近江八日市駅前 宿・ホテル
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6:50、 朝食はホテル1階のレストランで、6:30~営業をしています。レストランは綺麗で結構広かったのですが、総客室数が180室なので、8:00前後は非常に混むのではと少し心配です。
ホテルルートイン東近江八日市駅前 宿・ホテル
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朝食は和洋食のバイキングで、多種多数の料理やご当地メニューもあり、非常に美味しく大満足でした。
ルートインは、ビジネスクラスのホテルとしては料金はやや高めですが、ホテルの質や従業員のサ-ビスが良く、食事が良いです。
また朝食後、ロビ-で無料のコーヒーをいただけます。ホテルルートイン東近江八日市駅前 宿・ホテル
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7:45に ホテルを出発し、8:15八幡山ロープウェイ 無料駐車場に到着。始発は9:00(大人往復890円)なので、それまで八幡堀周辺のレトロな建築物の観光です。
八幡山ロープウェー 乗り物
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ロープウェイ駅から1~2分で、近江商人が信仰した日牟禮八幡宮に到着。
約4万4000平方mの広大な神域はエノキやムクの樹が生い茂り、楼門をくぐると、拝殿・本殿があります。さすが近江商人の守護神であると感じられます。
なお本来は八幡山の上のあったのですが、1585年に豊臣秀次が八幡山城を築城するため下の社に合祀され、後で代替地に祀りなおされるはずでしたが、1590年に秀次が領地替えになったためそのままになったそうです。日牟禮八幡宮 寺・神社・教会
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日牟禮八幡宮の前を通り過ぎると、次は観光名所の八幡堀にかかる白雲橋です。ここからの眺めはよく、さらに桜の時期の水郷めぐりは、大勢の観光客で溢れているそうです。
八幡堀 名所・史跡
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また白壁土蔵の商家が並ぶ風景を、和舟の上から楽しむことができ、近江八幡を象徴する景観です。 八幡堀を往復し(約35分)、大人1,500円です。営業時間は10:00~16:00。
八幡堀 名所・史跡
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白雲橋を渡り、日牟禮八幡宮の鳥居をくぐると正面には「白雲館」があります。明治10年に八幡東学校として建築された擬洋風建造物で、現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています。
白雲館 名所・史跡
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白雲館からすぐの所には、近江牛で有名な「千成亭 八幡堀店」があります。1Fはコロッケ(130円)や加工品、お土産品などの販売店舗で、2Fは近江牛のレストランになっていて2500円~で近江牛が食べれます。
そして隣には、寝具メーカー西川株式会社の歴代当主が暮らしていた屋敷がありました。千成亭 八幡堀店 グルメ・レストラン
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少し先には、メンソレ-タムで有名なメンタ-ム近江兄弟社(本社・工場・資料館)があります。マスコットキャラクターのリトルナースまたはナースちゃんは懐かしいですね。 小さい頃は良く使っていました。
近江兄弟社メンターム資料館 美術館・博物館
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さらにすぐ先の左側は、JR近江八幡駅の北方約2km前後の所になり、江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る、近江商人の街並み(新町通り)があります。なお古い町並みは、国の重要伝統的建造物保存地域になっています。
新町通り 名所・史跡
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その新町通りには、近江八幡屈指の豪商としての地位を築いた、旧西川家住宅(重要文化財)があります(見学可)。 そしてその隣には、古民家を利用した素敵な店や近江八幡市立資料館(郷土資料館)があります。
旧西川家住宅 名所・史跡
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またその向かいには八幡御三家(西川甚五郎家、西川庄六家、森五郎兵衛家)の1つである森五郎兵衛邸があります(見学不可)。現在も東京日本橋室町に近三商事として健在のようです。
新町通り 名所・史跡
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さらにその先には、西村太郎右衛門宅址に建てられた、旧近江八幡警察署庁舎を一部利用した市立資料館があります。 ただ建物は昭和28年に、アメリカ建築スタイルのヴォーリズ風建築に大幅に改築されています。
なお近江八幡には、ヴォーリズ建築が20軒余り存在していていろいろ見学もできます。近江八幡市立資料館 名所・史跡
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そしてその向かいには、寛永年間(1630年頃)に日本橋に出店しましたが、明治維新等の激動期に逆らえず明治20年に終焉した伴庄右衛門邸があります。邸宅はその後、小学校、役場、女学校、幼稚園、図書館、等の変遷を経て、平成16年に資料館の一部として開館しました(見学可)。
旧伴家住宅 寺・神社・教会
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新町通りから為心町通り移動し、白雲橋に行く途中にも立派な岡田弥三右衛門(八十次)邸があります。その岡田弥三右衛門氏は江戸時代初期の近江商人で、蝦夷地に進出し、その子孫の岡田半兵衛が1857年に登別に共同浴場を開設しました。まさにそれが登別温泉地としてのはじまりのようです。
まさかと思いましたが、約1年前に登別温泉に行った時に、岡田氏の名前を見た記憶がありました。 -
8:54 八幡山ロープウェイ乗り場に戻ってきて八幡山山頂マップを見ると、山頂駅から村雲御所瑞龍寺門跡(八幡山城跡)まで徒歩7分、1周歩いて30分の散策コースのようです。
八幡山ロープウェー 乗り物
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8:57 チケットを買って、いよいよロープウェイに乗ります。
時間がなかったので、売店で近江名物赤こんにゃくと肉巻きドッグを買うことはできませんでした。
ロープウェイは15分間隔で運転して、上り最終は16:30です。八幡山ロープウェー 乗り物
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山頂までのロープウェーの乗車時間は約4分です。 車窓からは、近江八幡の町並みが見渡せます。紅葉の見頃は終わりのようでしたが、それなりに綺麗でした。一応紅葉の見ごろは、11月中旬~12月上旬のようです。
八幡山ロープウェー 乗り物
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八幡山ロープウェーを降り、標高約272mの八幡山の山頂付近に到着。建物を出て少し歩くと「村雲 おねがい地蔵堂」があります。なお八幡山のふもとにもお願いお地蔵さまがあるようです。 とりあえずお参りしてさらに先へ
八幡山城跡 自然・景勝地
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数分山を登って行くと、1582年に豊臣秀次によって築城された八幡山城址(西の丸)に到着。現在八幡山城は石垣を少し残すのみですが、出丸、西の丸、北の丸が配置された結構大きな城であったと推測されます。
ここからの景色は素晴らしく、琵琶湖を一望することができ、さらに琵琶湖の奥には比良山系の山々も見ることができます。 絶対にこの景色だけは見ていただきたいです。ただ比叡山は見えるかな?八幡山城跡 自然・景勝地
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北の丸から1~2分歩くと北の丸があり、ここからは彦根方面を見ることができ、一応安土城跡や観音寺城跡の山なども見ることができました。ただ木々の葉が覆い茂っていなければ、もう少し周辺の景色を見ることができたので少し残念でした。
なお八幡山城跡は恋人の聖地で縁結びのパワースポット? らしいのですが、城好きにはややギャップを感じますし、モニュメントもやや貧弱で必要はあるのか疑問ですね。八幡山城跡 自然・景勝地
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次は本丸ですが、標高286mの所にある本丸跡の桝形虎口跡には、山門が建てられていて、本丸跡には「村雲御所瑞龍寺」という日蓮宗唯一の門跡寺院が鎮座しています。なお門跡とは、一般の僧侶とは違い、皇族・貴族が住職をつとめる寺院をいいます。
本丸の虎口だけあって、隅部の石はかなり大きな石が使用されていて素晴らしく、 「日本100名城」に続く日本の名城リスト「続100名城」に選定されています。瑞龍寺 寺・神社・教会
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移築された本堂内部には、天皇家ゆかりの品々も展示されていて、また豊臣秀次公の銅像や釈迦三尊像、観音菩薩立像なども公開されています(有料)。さらに京都から移された庭園は名庭として知られていますが、残念ながら時間の関係で見学はできませんでした。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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瑞龍寺の本堂前にはベンチがあり、ここからは安土や近江八幡方面が良く見えましたがやや視界は狭いです。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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本丸跡から八幡山ロープウェー山頂駅に行く手前が二の丸跡で、現在はそこにも2階建ての展望台があり、近江八幡の城下町を一望する事ができます。 なお展望台の1階には八幡山城に関する資料が少し展示されていていましたが、資料は少なかったです。また2階の展望室からは、あんまり視界が開けてなく、外からの方が眺めは良かったです。
八幡山ロープウェー展望資料館 美術館・博物館
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展望台前からは近江八幡市内が良く見えたのですが、インスタばえしそうなモニュメントや周辺の木々が邪魔で、思ったよりいい写真は撮れませんでした。
NPO法人地域活性化支援センターが企画する「恋人の聖地プロジェクト」で「恋人の聖地」として認定されていますが、やや疑問ですね。いい観光地なのですが、はっきり言ってもったいない観光地になっていました(G.Gの個人的感想)。八幡山ロープウェー展望資料館 美術館・博物館
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9:35 八幡山ロ-プウエイを降り、安土城跡へ。
約15分で安土城跡入山者用無料駐車場に到着(9:55)。駐車場から1~2分の所に受付があります。 料金は500円かと思ったら、なぜか拝観料で700円です。約10年前は500円で、さらに約20年前は無料でした。維持費が大変な事はわかりますが、ちょっと高めですね。安土城跡 名所・史跡
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受付の裏が、けっこう急な大手道になります。 その大手道は、約20年前は現在のように整備されていなくてもう少し狭くけっこう荒れ放題でしたが、約10年前に来た時は下の方の石段などは整備されていました。 なお石段は、天守閣址までは約400数段で、さらに幅と高さが不規則で結構大変なので、受付裏にある自由に借りることができる木の杖をぜひ利用して下さい。
安土城跡 名所・史跡
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大手道を上がってゆくと右手に前田利家の屋敷跡と伝えられる場所があります。
この石垣の上に大手道を防備する隅櫓があり、前田利家邸になるようです。
紅葉もいいですね。安土城跡 名所・史跡
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また大手道を挟んで向かい側の対称の位置には、同様の規模の虎口があり、伝羽柴秀吉邸跡がありました。
なお名前の前に「伝」が付いているのは、あったと伝わる場所という意味です。安土城跡 名所・史跡
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さらに大手道を上がると右側に徳川家康邸跡(現在は摠見寺仮本堂)があり、特別公開実施日には、内部の拝観ができるようです。
また大手道沿いには鐘楼があり、いつでも自由に撞くことができるので、ぜひ心をこめて撞いて下さい。最高でした。安土城跡 名所・史跡
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大手道は、徳川家康邸跡の先を左に直角に曲がり、さらに急な階段を上がるとある石仏付近からの写真です。ここまでは受付から約130mで、ここから天守入り口の黒金門まではまだ約130mあり、急な石段は少なくなりますがジグザグな石段は続きます。 そしてその先が二手に分かれていて、右が天主跡へ、そして左は摠見寺跡へとなる三叉路があります。
安土城跡 名所・史跡
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三叉路を右に行くと、安土城中枢部への入り口である黒金門(写真)があります。なおこの周辺の石垣は、ここまでの石垣に比べて大きな石が使用されています。
また門を入ると枡形虎口になって、虎口を抜けたあとはまた左右どちらにも進めるようになっています(右が本丸で、左が伝長谷川邸で敵を迷わせる仕掛けになっています)。安土城跡 名所・史跡
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ここは二の丸の1段下の位置になり、さらに本丸に向け、南帯曲輪を進みます。そして急な階段を上がるとそこが二の丸跡になります。二の丸は天守の西側に構築された郭で、そこには石垣のような壁に囲まれた織田信長公本廟があります。
安土城跡 名所・史跡
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二の丸跡にある、信長公のお墓である信長公本廟です。
なお信長公は本能寺の変で自害した後、亡骸は見つかっていないため、羽柴秀吉が信長公の烏帽子、太刀、直垂などの遺品をここに埋葬して、一族や家臣と共に法要を行い信長公の本廟としたそうです。 そういえば、織田信長公のお墓は、京都の 阿弥陀寺や高野山など20カ所以上あるようです。安土城跡 名所・史跡
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さらに信長本廟から少し下りた長谷川秀一邸跡付近には、大和宇陀松山藩の藩主になった、信長の次男信雄以降四代の供養塔がひっそりとありました。
安土城跡 名所・史跡
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二の丸から本丸跡に進むと、東西約50m、南北約34mの東西に細長い本丸があり、現在は木々が生い茂り、天皇を招き入れる本丸御殿があった面影はほとんどありませんでした。
写真は天守台へ登る石階段で、ここを登ると天主の地階となります。安土城跡 名所・史跡
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本丸跡からさらに登ると、東西・南北それぞれ約28mの台地の天主跡に到着。本来ならここに5層7階の華麗な天主が立っていたところで、本能寺の変後の1582年6月15日に安土城は焼失しています。
現在の天守跡は、礎石が1.2mおきに整然と並ぶだけで、背丈ほどの高さの石垣に囲まれていました。安土城跡 名所・史跡
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天守台の石垣の上からの眺めはまあ素晴らしく、信長公も眺めたであろう天守閣からの琵琶湖の風景が堪能できます。 また天守台からも織田信長公本廟を見ることができます。
安土城跡 名所・史跡
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天守閣跡からは来た道を戻り、途中の三叉路を帰路の道(摠見寺本堂方向)に沿って約10分歩くと、信長公が安土城築城にあわせて建立した摠見寺(跡)がります。
創建時には本堂・拝殿・鎮守社・二王門・三重塔・表門・裏門があったようです。 なお摠見寺は安土城と同時に焼失したと思っていましたが、焼失したのは1854年で、本堂など主要な建物のほとんどを焼失しました。ただ二王門(重要文化財)と三重塔(重要文化財)だけは現存しています。安土城跡 名所・史跡
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摠見寺跡の西側からは、城下や西の湖、琵琶湖を眺めることができます。 当時は安土山の麓付近まで琵琶湖があり、約490年前に信長公が眺めた素晴らしい景色を眺めることができます。
安土城跡 名所・史跡
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摠見寺跡のすぐそばの、石段から眺めた美しい古塔・三重塔です。この塔は1454年の建立で、安土城築城時に近隣のお寺(近江国甲賀郡長寿寺)から移築された建物です。
なお堂や塔、伽藍が城郭内に建てられているのは、後にも先にも安土城だけのようです。安土城跡 名所・史跡
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三重塔から二王門までは、大手道と同じように石の大きさや段差などが不規則の石段があります。歩きにくいのですが大手道ほど長くなく、下りる時であったため比較的楽でしたが足元には注意必要でした。
また楼門形式の二王門は1571年に建立され、近江国甲賀郡柏木神社から移築されたものです。さらに門の左右両側にある約2mの木造金剛力士像は、1467年に甲賀で作られた像で、摠見寺創建時(1573年)に近江国甲賀郡柏木神社より移されたものです。 素晴らしいいの一言です。安土城跡 名所・史跡
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摠見寺本堂跡経由でニ王門と伝羽柴秀吉邸跡を通り、約1時間10分で受付に戻りました。
かなり整備されていて、安土城の石段や石垣も良かったです。また今回初めて見学した摠見寺の三重塔や二王門・金剛力士像は素晴らしく、ぜひ摠見寺(跡)や三重塔・二王門・金剛力士像も忘れずにを見学をして下さい。安土城跡 名所・史跡
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11:10 安土城跡を出発し、休みであった甲賀流 忍術屋敷の前を通り、13:38に関宿観光専用無料駐車場に到着。 なお関宿には、ここ以外にも東追分と西追分にそれぞれ無料駐車場があります(2つの追分間が関宿で、距離は1.8kmです)。
なお関宿は「東海道五十三次」の47番目の宿場町で3つの街並みになっていて、東追分から順に、木崎の街並み、中町の街並み、新所の街並みになります。関宿 名所・史跡
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駐車場から約160m歩くと、関宿のほぼ真ん中(東追分から1kmで西追分から0.8km)の東海道に到着。正面には、741年に奈良東大寺の僧・行基が諸国に流行した天然痘から人々を救うためここに地蔵菩薩(日本最古の地蔵菩薩?)を安置したと伝えられている、地蔵院(関のお地蔵さん)があります。
古くから近郷の人々や東海道を旅する人々の信仰も集め、多くの人々に敬愛されているようです。
またここには歴史の道の碑があり、「日本の道100選」にも入っています。関地蔵院 寺・神社・教会
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東海道をはさんで反対側には、鶴屋・玉屋とともに関宿で有数の大旅篭であった「会津屋」があります。現在は、江戸後期に建てられ連子格子造りの店で、手作りおこわと街道そばの店になっていました。
會津屋 グルメ・レストラン
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さらに東海道を東追分(木崎の街並み)方向へ少し歩くと、自動車は東海道を6時~20時は通行できません。 東海道では唯一歴史的な町並みが残る宿場町として、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているためか、往時の街並みが保たれていました。
なお写真左には、亀山まちかど博物館になっている「かじや」があり、鍛冶屋の道具一式(鞴・煙突など)や昔ながらの仕事場が見れるようでしたが閉まっていました。関宿 名所・史跡
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次に1分程歩くと右側には、関宿名物の志ら玉を江戸時代から売っている「志ら玉屋(前田屋製菓)」があります。 見た目も面白い志ら玉は、北海道産小豆で作ったこし餡を上新粉の生地で包んだ素朴な美味しい生菓子で、1個100円です。また粒あんの田舎饅頭(100円)も美味しかったです。
志ら玉屋 グルメ・レストラン
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その約100m先には創業約380年の「深川屋 陸奥大掾」があり、忍者の末裔により考案されたという、御室御所御用達のお餅菓子(関の戸)があります。
なお深川屋に掲げられた看板は 東海道で唯一現存していると言われている庵看板で、看板の文字が「関の戸」と書かれていれば江戸方向からの旅人で、「関能戸」と書かれていれば江戸方向に行く旅人になります。 今回はどちらの方向かな。深川屋 陸奥大掾 グルメ・レストラン
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店内はまるで時代劇に出てくるかのような雰囲気で素晴らしく、また御用菓子司だった当時の荷担箱なども展示されています。
なお銘菓 関の戸は、赤小豆のこし餡を求肥皮餅で包み、和三盆糖をまぶした、一口大の餅菓子です。見た目は派手さはありませんが、風情を感じることができ、お茶とよく合います。深川屋 陸奥大掾 グルメ・レストラン
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深川屋の向かいには「関宿旅籠玉屋歴史資料館」があります。その玉屋は江戸時代の旅籠で、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの、関宿を代表する大旅籠の一つであったようです。
入り口には番頭さんの蝋人形が置かれてて一瞬ドキッとし、その奥には見事な東海道の屏風などのみごとさに驚きます。関宿旅籠玉屋歴史資料館 美術館・博物館
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さらに急な階段を上がった2階には、江戸時代の旅籠の部屋や寝床を再現した部屋、そして当時の食事風景を見ることができます。さらに当時も蚊や蚤が大変であったらしく、蚤対策を紹介した面白い看板も見ることができました。
ここはいろいろな資料があり、面白く、江戸時代の風情を味わうことが出来、いろいろ勉強になりました。関宿旅籠玉屋歴史資料館 美術館・博物館
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資料館は広く、1階には店の間、帳場、客室、離れ、台所、風呂などと本物の歌川広重の浮世絵(撮影禁止)が展示されている土蔵があります。またコの字型の坪庭がある風情も素晴らしかったです。
関宿旅籠玉屋歴史資料館 美術館・博物館
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駐車場からここまでは約400mですが見るところがいっぱいで、まだ東追分まで約800mあり、写真のように街道に沿って伝統的建造物がず~と並んでいます。なお建物の二階は、江戸時代、明治時代、昭和時代と時代とともに順々に高くなっているようです。すなわち二階の高さで建物の時代が判断できるようです。
百六里庭 公園・植物園
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東追分方向に約100m進むと右側には「眺関亭」があり、門の奥には小公園(百六里庭)があります。庭は、関宿が江戸から百六里余りにあることからな名付けられたようです。また通りに面した建物(写真右)が眺関亭です。
百六里庭 公園・植物園
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眺関亭の上には上がることが出来、ここからは関宿の家並みが一望できます。方向的には今歩いてきた方向で、西追分方向を見ています。
江戸時代の街並みを歩い来たので気が付いた人もいると思いますが、ここは電線・電話柱がない町並みなのです。百六里庭 公園・植物園
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百六里庭・眺関亭から約60m右には、今度は江戸時代末期に建てられた、関宿を代表する町屋建築を使用した「関まちなみ資料館」があります。
なお関宿には、関まちなみ資料館や旅籠玉屋歴史資料館、関宿亀山まちかど博物館と、いろいろな資料館や博物館があります。関まちなみ資料館 美術館・博物館
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まちなみ資料館では、伝統的な町屋の内部が公開されていて、使われていた道具類や関宿に関する歴史書類などが展示されています。ただここは資料館と言うより、江戸時代の町家を見学できるという感じです。
関まちなみ資料館 美術館・博物館
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二階には、関宿に関する説明と、江戸時代から明治時代にかけての町並みの移り変わりを写真で展示してあり興味深かったです。
なお、関まちなみ資料館と旅籠玉屋歴史資料館、そして次に行く関の山車会館の、3館共通入館券があり、大人500円です。関まちなみ資料館 美術館・博物館
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関まちなみ資料館の2軒隣には、2021年11月にオープンした古民家カフェ・レストラン「エン」があります。 古民家をリホ-ムした「エン」は、石窯を使ったピザなどの料理が楽しめるカフェ・レストランで、古民家ならではの温もりもあります。ただ、私のようなG.Gには少しお洒落過ぎるお店で、女性や若者、ダンディなG.G向きなお店です。
エン グルメ・レストラン
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向かいには、三重県指定伝統工芸品店の「桶重」があり、既製品を一切使用せず、1つ1つ昔ながらの工程で、手作りで桶を作っています。そのため桶は受注生産で、作り置きはありません。 店の奥にある桶は輝いていました(たぶん)。
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桶重から約110m、約10年前にあった「百五銀行関支店」が、外観はほとんど変わらず名前が「亀山支店関プラザ出張所」に代わっていました。
前に来た時は、レトロ感ある建物であったのでリノベ-ションされた銀行かと思っていましたが、よく見たら関宿の町並みの景観に配慮した建物でした。でも地域への協力姿勢はいいですね。 -
さらに約50m進むと、2019年7月に開館した「関の山車会館」があります。この会館は、明治中期から昭和初期の三谷氏の町屋を(主屋、土蔵、離れ)をリノベ-ションし、それに山車収蔵展示棟を付け加えました。
関の山車会館 美術館・博物館
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山車収蔵展示棟には、関宿の夏祭りに曳き出される2台の山車を常時展示しています。なお展示棟は、高さ約5.4mの山車が出入りできるように入口の高さが約6.8mあります。また写真ではわかりずらいのですが、見送り幕や横幕、提灯などが豪華に飾り付けられていました。
関の山車会館 美術館・博物館
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土蔵には関神社でかつて使われていた神輿や、祭りの歴史などを紹介する資料が展示がされています。
また離れは、祭りばやしを練習する場所としても活用されていて、休憩・交流・伝承活動の場としても利用されていました。関の山車会館 美術館・博物館
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主屋は当時の町屋の姿に復元されていています。
また関の山車の上台部分の模型も展示されていました。なぜ上台部分だけかと思ったら、関の山車は下台から上の部分だけが回転する仕組みになっていました。関の山車会館 美術館・博物館
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山車会館付近から東追分まではまだ約500mもあり、平屋ないし中二階の比較的建ちの低い町家が多いですが、「木崎の町並み」は伝統的な町並み景観がよく維持されていました。
なお関宿のイラスト案内書は、ここから先は案内施設が少なかったのでUターンして西追分方向へ。関宿 名所・史跡
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急いで東海道を戻り、初めの駐車場からの道(地蔵院の門前)に戻りました。
次は西追分方向の「新所の町並み」です。
地蔵院の門前付近の新所東側は、中町と一体の家並みを形成し、 中二階の虫籠窓のある旧家が多く、主屋の横に庭を設けて高塀をめぐらす質の高い町家もみられます。ただお店などは、写真左の「カフェウ-ノボ-ノ」はありましたが、お店は少なかったです。ウーノ ボーノ グルメ・レストラン
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西追分方向にさらに進むと、鈴鹿山系の山並みがよく見えて来ます。
なお新所西側は 、その大半が小規模な平屋で、仕舞屋(商店をやめた家)風であるため、どちらかというと地味で落ち着きのある町並みです。ただ格子や建具など、伝統的な細かい装飾が残っている町家が比較的多く残っていて、昔ながらの宿場町の感覚を味わうことができます。西の追分 名所・史跡
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西追分(駐車場)に到着。「重要伝統的建造物群保存地区」や「日本の道百選」に選定された町並みは、インスタ映えするスポットは多いです。また間違いなく江戸時代に「タイムスリップ」します。
今まで大内宿、妻籠宿、馬籠宿、奈良井宿、海野宿、熊川宿など、全国20カ所以上の宿場町を歩いてきましたが、関宿は間違いなくトップレベルの宿場町でした。
駐車場に戻り、15:00伊賀上野城に向けて出発。西の追分 名所・史跡
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伊賀市営城北駐車場(平日無料)に車を止め、伊賀流忍者博物館近くを通り、15:38伊賀上野城本丸に到着。
伊賀上野城は、1585年に筒井定次によって築かれた城で、のちに藤堂高虎が改修しましたが1612年に発生した大暴風で天守閣は崩壊し、その後天守閣は再建されないままま幕末まで存続しました。そして明治になり多くの建物が解体されましたが、1935(昭和10)年に、木造3層3階の大天守と2層2階の小天守からなる、複合式模擬天守が再建されました。伊賀上野城 名所・史跡
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天守の内部は撮影がすべて可能です。 天守に入ると、すぐに「鳳凰雙飛」の扁額と藤堂高虎像、そしてマスコットキャラクターの「た伊賀ーくん」が迎えてくれます。
また藤堂高虎の黒漆塗の兜や戦国時代の甲冑、 兜・銃・鎗なども展示されていました。伊賀上野城 名所・史跡
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さらに伊賀の城ということもあり、演出として、1階の壁などいたるところに「伊賀忍者」が潜んでいます。忍者を探すのも楽しみの1つす。
伊賀上野城 名所・史跡
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2階には武家調度品や伊賀上野出身の俳人松尾芭蕉のゆかりの品、芭蕉旅笠などが展示されていました。 定番の日本100名城の写真もありますよ。
築約87年以上となると、木造の模擬天守ですがそれなりの貫禄が出ていて、戦国時代の雰囲気がありました。伊賀上野城 名所・史跡
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また天守最上階の天井には、横山大観などの色紙(絵)46点が飾られて、そこから城下町一円を見下ろす眺めは素晴らしいです。また周りを山で囲まれ盆地(上野盆地)であることが実感できました。
伊賀上野城 名所・史跡
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こちらは琵琶湖や安土城方向で、写真の奥の方にJR伊賀上野駅があり、写真右下には伊賀流忍者博物館があります。
なおJR伊賀上野駅方向は、どちらかというと上野市の郊外になり、お店は大型の郊外店が多いです。伊賀上野城 名所・史跡
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一方反対側が名張方面で、写真左端には赤い屋根とクリーム色の伊賀鉄道上野市駅(忍者市駅)の建物があります。そしてこちらの方向が、かつてはこの辺りも城内であった雰囲気を残していました。
すなわち上野市には、伊賀上野駅と上野市駅があるので注意を。伊賀上野城 名所・史跡
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また、日本1、2の高さ(約30m)を誇る、内堀の高石垣も見どころです。
柵などが無い怖い石垣の上から水堀をのぞき込むと、中央部の石垣より両サイドの石垣が少し前に出ていることがわかると思います。これは、忍者など侵入者に対して側面から攻撃をする横矢かがりのために作られた場所なのです。忍者の里なので忍者の対応もばっちりでした。伊賀上野城 名所・史跡
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天守を下り、急いで、上野公園(伊賀上野城)内にある伊賀流忍者博物館へ (16:18)。パンフレットや資料では、最終入館受付が16:30であったので間に合ったと思いましたが、閉館でした。 後で調べたら、2021年10月から平日の最終入館時間は15:30になっていました。 バカですね!
伊賀流忍者博物館 美術館・博物館
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少し時間ができたので、すぐそばにある1942(昭和17)年に建てられた「俳聖殿」を見学。松尾芭蕉生誕300年を記念する木造建築物で、外観は松尾芭蕉の旅姿を模したものとされ、二層の丸い屋根は旅笠、俳聖殿の木額が顔、一層の八角形屋根は蓑や衣装、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表現しているとのことです。凡人の私にはよくわかりませんでした。
駐車場に戻り、奈良に向けて16:50出発。俳聖殿 名所・史跡
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ナビの指示通り走行し、最後は奈良奥山ドライブウェイ(新若草山コース:530円/50円割引ク-ポン有)を通り、18:15 若草山頂駐車場に到着。 途中は道路が狭く暗い所もあったのでちょっと怖かったです。なお駐車場や展望台には灯りがほとんどないので、懐中電灯を持って行った方がいいと思います。
若草山 自然・景勝地
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暗くかすかに灯りがある歩道を約300m歩くと、標高342mの展望台に到着(18:20)。 ここからは視界をさえぎる物がほとんどありません。
昼間なら、奈良公園内の若草山のふもとの山麓ゲートからここまでは徒歩30分~40分かかります。そしてここからは東大寺、興福寺など、奈良の素晴らしい景観を眺めることができます。 また180度のパノラマ夜景は、新日本三大夜景に選定されていて、ロマンチックな夜景が楽しめます。若草山 自然・景勝地
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日本三大夜景の函館山、神戸市摩耶山、長崎市稲佐山から見る夜景にはやや劣りますが、広々とした芝生で覆われた展望場所からの夜景は見晴らしもよく素晴らしいです。 なお奈良駅(JR・近鉄)からは、ある期間の週末は夜景観賞バスが出ているよですが、車でなれれば来れないのが欠点です。
また展望場所からは奈良の街とかすかに京都方向の夜景を見渡すことができますが、展望場所のすぐ隣にある鶯塚古墳の上からが一番視界が開けてパノラマ夜景を見ることが出来ました。若草山 自然・景勝地
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ホテルから約250mの所にあるコインパ-キング(24時間500円)に駐車して、19:20 ホテル日航に到着。なおホテルの駐車料金は1200円なので、節約しました。
奈良市は、ビジネスホテル風のホテルや飲食店はJR近鉄駅付近に多く、近鉄奈良駅周辺は高級ホテルや旅館、そしてドミトリーが多いようです(個人的意見)。
ホテルの立地は、JR奈良駅の横なので交通の便はよく、飲食店やいろいろな店も近くにあるので最高です。ホテル日航奈良 宿・ホテル
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建物は少し古さは感じますが、それもまた素敵です。
部屋は、やはりビジネスクラスのホテルと比べれば室内は広く、綺麗で、備品などもすべてそろっていました。 またフロントの対応も最高でした。ホテル日航奈良 宿・ホテル
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ベットの寝心地も良かったのですが、唯一困ったのが部屋の鍵がキータイプであったことで、そろそろカード式にしてほしかったです。 と言いながら、不便で持ち運びに大変な古いキータイプも、G.Gには捨てがたいですね。
なおホテルには大浴場があります。ホテル日航奈良 宿・ホテル
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浴室は古い割には綺麗で、広くはないですが狭くはなかったです。またアメニティも必要なものは全部そろっていました。
宿泊料金はコロナ禍であったせいかリーズナブルでしたが、コロナ禍が落ち着いたら少し高くなるのかな。ホテル日航奈良 宿・ホテル
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部屋からの眺めは良かったのですが、残念ながら生駒・大阪方面でした。
19:50 夕食のため奈良駅周辺へホテル日航奈良 宿・ホテル
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20:03 JR奈良駅改札外の1Fにある、奈良県産アンテナショップ内のレストラン「農園直送レストラン古都華」に行きましたが、コロナ禍のため20:00で閉店でした(現在は21:00まで)。安くて美味しいのでお薦めです。
次に三条通りの飲食店を探しましたが、酒はあまり好きでないG.G向きのお店は少なく、またコロナ禍では混んでいる店は避けたため、入れるお店はほとんどありませんでした。JR 奈良駅 名所・史跡
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そこでお弁当屋さんを探していたら、JR奈良駅前に「松のや 奈良駅前店」を発見。その時は、松屋フーズが運営するチェーン店であることは知りませんでした。
店内はそんなに混んでいなかったので、テイクアウトはせずに店内で食べること。 -
店内は、カウンター席を中心としてテーブル席もあるた店舗です。 注文は、ロースかつ&ヒレかつ(豚汁)定食(税込み890円)で、肉の内容や豚汁付きであることからかなりリーズナブルでした。またソース・ドレッシングが何種類かあり美味しかったです。 昔と違い、女性客も結構いました。
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ホテルに戻り21:20、6階の大浴場(準天然:人工温泉)へ。 コロナ禍のせいか大浴場は混んでなく温泉も良かったのですが、部屋数に対して浴場の広さは少し見合ってなかったです。また朝は7:00~9:00なので、できれば6:30~にしてほしいですね。
お風呂も入り、これで2日目終了です。 明日は、奈良公園、大和郡山、大神神社、宇陀路などを見学する予定です。ホテル日航奈良 宿・ホテル
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