安土城跡
名所・史跡
3.59
安土城跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
近江八幡・安土 観光 満足度ランキング 3位
標高約200mの安土山山上にあり、400年を経た今も石垣や礎石が往時をしのばせてくれる。 安土城は、織田信長が、天正4年(1576年)から3年有余をかけ完成した五層七重の、わが国最初の天主閣を有する城。本能寺の変で信長が倒れたのち、城下町とともに焼き払われ、天下の名城をわずか3年にして灰燼と化した。 当時は四方を琵琶湖と沼に囲まれていたが、今は大中の湖干拓地として田園が広がり、そう見寺跡から見る西の湖が美しく、わずかに二の丸跡の信長墓所や、秀吉、前田利家などの屋敷跡が戦国の世を語り伝えている。 織田信長(1534年?82年) 尾張に生まれたが、永禄10年岐阜城主となり、10年東奔西走して安土に移る。井の口を岐阜と改称した。本能寺の変に討死。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
「安土城跡」織田信長が最後に築城した場所!見応えあります。
5.0
- 旅行時期 2025/06
- by Yukinoさん
1576年(天正4年)築城 織田信長が3年かけて作った居城跡で、望楼型地上6階地下1階の天主です。 本能寺の変... 続きを読むの後、焼失して石垣だけが残っていると言う事で、登ってみる事にしました。 標高198mの安土山に、400段以上の石段ですから、入口で貸し出しされる杖が無いと、なかなかキツイです。 特に下り(笑) 場所によっては、昔の人は足が長かったの?ってくらい段差の高さが高い!! ただね、石垣や石段しか残っていませんが、当時の信長は本当に権力があったんだなと思わせる立派な作りになっています。 中央の急な階段は、帝(ミカド)が通る階段として整備され、その脇には豊臣秀吉の家や明智光秀のような家臣の家屋跡が配置されています。 わが国最初の本格的な天主の建築は、この安土城が始まりとされ、歴史上に名を残す名城跡だそうです。 軽く過酷ですが、城が無くともまた見に行きたい場所だなと思いました。 当時のままなので、見応えがかなりあります。 閉じる
クチコミ・評判
3.59
(120件のクチコミ)- アクセス:
- 3.07
- JR安土駅から徒歩、レンタルサイクル、タクシー。 by 夢追人さん
- 人混みの少なさ:
- 3.96
- 平日訪問のため何組しかすれ違わない by ゴンズイさん
- バリアフリー:
- 1.83
- 体力に自信のないやつは去れ! by ゴンズイさん
- 見ごたえ:
- 3.98
- 信長の城跡だからですが、ワクワクする城跡です by イチ・ニ・サン・シー・ニー・ニーさん
1~20件(全120件中)
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是非立ち寄るべき
- 4.0
- 旅行時期:2024/04(約2年前)
- 0
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石段の上りが険しいので、歩きやすい靴で!
- 5.0
- 旅行時期:2024/04(約2年前)
- 2
安土城は1579年に完成、その後本能寺の変の数日後に焼失しています。
3年の歳月をかけて完成していますが、わずか3年で焼... 続きを読む失しています。
豪華なお城で知られていますが、5層で内部は地下1階 地上6階の天守があり、信長が
その権力を誇示していた、信長の独創的なお城でした。
お城の最上部は金色、そのほかの階層も朱色や青色などの色で、内部には狩野永徳の画や金箔の部屋などがあったと伝わります。
天皇の行幸のために造られた本丸御殿は御所の内裏の清涼殿を模したものであったことも
発掘の調査からわかってきました。
こちらのお城も宣教師のルイス・フロイスの訪れた記録からも当時の様子がわかります。
京都に近く、また琵琶湖の水利も利用でき、北陸から京都への要衝でもあったという地理的な条件もよい場所でした。
現在は、礎石や石垣のみが残っているだけですが、お城の中腹にある見寺には三重の塔と仁王門が当時のまま残っています。
二の丸には信長の霊廟もあります。
麓から登っていくと、左右に羽柴秀吉、前田利家、徳川家康、森蘭丸の邸宅跡と伝わる場所もあります。
石段を登り、天守までの往復はおよそ1時間でした。
途中、石段の高いところや歩きにくいところもあったので、歩きやすい靴をお勧めします。また入口に無料の貸し出しの杖があり、利用するのも良いかと思います。
また、近くに、安土城考古博物館には安土城の発掘の遺物や、発掘の様子をビデオで紹介、安土城や織田信長についての展示が詳しく、こちらを先に見学すると、よりわかりやすいのかもしれないと感じました。
また信長の館では天守の5階6階部分を原寸大で再現した建物が展示されており、
内部の障壁画や仏教画などが再現され、こちらもビデオでルイス・フロイスを主人公とした安土城の紹介ビデオがあり、安土城跡の見学の前に、こちらも先に見ておくと
安土城の豪華絢爛な様子がわかりやすいと感じました。
閉じる投稿日:2024/05/02
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山の上に
- 4.0
- 旅行時期:2023/12(約2年前)
- 1
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摠見寺跡にも寄ってください
- 4.0
- 旅行時期:2023/08(約2年前)
- 0
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ほぼ山登りの安土城
- 3.0
- 旅行時期:2023/05(約3年前)
- 0
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ほとんどメンテされてないのに700円はどうかと思う
- 3.0
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
- 0
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織田信長の気分
- 3.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
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信長が築いた城跡
- 4.5
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
標高約200mの安土山一帯にある織田信長の居城跡で国指定の特別史跡です。織田信長が約3年の歳月をかけて完成しましたが、本能... 続きを読む寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。
駐車場は無料、入山料は700円でした。入口付近に杖が置いてあり無料で貸してもらえます。入山後トイレはありません。
麓の大手門跡から本丸跡へと続く「大手道」は思った以上に急な石段です。
大手道の両側には、羽柴秀吉や前田利家など織田家臣の屋敷跡、二の丸跡と本丸御殿のあった本丸跡、天主跡の礎石、400年以上の時を経ても崩れることなく残っている石垣など見どころがたくさんあり、スケールの大きさを感じることが出来ます。 閉じる投稿日:2022/11/07
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信長の天下統一の夢のあと
- 4.0
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
- 0
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今も残る戦国の跡
- 5.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
- 0
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わずか3年で焼失した幻の城
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
織田信長の居城跡で、国の特別史跡に指定されています。麓の駐車場に車を停めて総見寺の拝観受付をします。安土城跡巡りの山登りは... 続きを読む総見寺の拝観という形をとるようです。ちなみに拝観料は700円。受付以後はトイレがないので駐車場で必ず済ませておきましょう。山登りはかなり急な石の階段を登ることになります。途中、石の階段にお地蔵が使われている所があります。築城の際に近隣の石材が集められますが墓石や地蔵までも集めていたという史実が偲ばれます。本丸や二の丸跡は礎石のみが残っています。礎石を見てもかなり大きなお城だったことがわかります。安土城は、実際にこの世にあったのは3年ほどの幻級の城です。城跡に自分が立ってみるとこの城の思いが感じられたような気がしました。 閉じる
投稿日:2022/07/20
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冬の幻の城を探索する
- 3.0
- 旅行時期:2022/01(約4年前)
- 0
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石垣が壮観
- 4.5
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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信長の夢
- 5.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
- 0
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秀吉、前田利家などの屋敷跡
- 3.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 1
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夢の跡
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
- 1
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杖があるのを見て
- 3.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 1
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結構歩く
- 4.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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織田信長が建てた、お城の跡。 山頂に石垣などが残っているようです。
- 3.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
- 1
大河ドラマ「麒麟がくる」にハマっていた時、明智光秀のゆかりの地巡りをしていて、訪れました。 まぁ、この場所は明智光秀のゆか... 続きを読むりの地ではなく、織田信長のゆかりの地と言った方が正しいですが。
かなり広い砂利道の駐車場に車を停めて、目の前にそびえる安土城跡(そのエリア全体が特別史跡になっている)へ。 夕方は早いうちに入口の門が閉められてしまうので、奥に行くことは出来ませんでした。
復元であっても、この山の上に安土城天守閣が建てられているなら、いつか頑張って登って見に行こうかしら?って思うけれど、遺された石垣だけを見る為だけに山登りするほどのパワーは私にはもうナイので、その時代に思いを馳せて帰ってきました。 閉じる投稿日:2021/04/06
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織田信長公に想いを馳せて
- 5.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
- 0
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
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