2023/04/28 - 2023/05/06
755位(同エリア896件中)
RiEさん
旅行5日目(5月2日)、後編。
朝イチで景清洞を探索した後は萩へ移動して、長州藩ならぬ萩藩(萩時代を萩藩と呼ぶそう)ゆかりの地を巡る。
まず最初に吉田松陰を祀る”松陰神社“を訪れると境内には幕末維新に活躍した高杉晋作や久坂玄瑞ら志士が学んだ松下村塾や、謹慎生活を過ごした自身の実家でもある吉田松陰幽囚ノ旧宅をみることができた。
“萩反射炉”は江戸時代末期に外国からの脅威に備えて鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を試みた遺構で、勤勉な萩藩の粘り強さや試行錯誤を今に伝える。
道の駅で地産のしらす丼ランチを食べてから、萩藩の教育・人材育成の中枢を担った“藩・明倫舎”跡地に建築された木造施設を訪れて萩藩の歴史や近代への道のりを学んだ後は、重厚な白壁が眩しい武家屋敷や萩藩で活躍した偉人の生家が今に残す、かつて栄えた萩城下町散策して萩藩時代の残り香を懐かしんだ。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10:00過ぎに“松陰神社”駐車場に到着すると8割ほど埋まっていたので、早めに来て正解だった。
逆光で見づらいけど大鳥居横に建てられた石柱には少し右上がりな文字で「松陰神社」と彫ってあり、書簡などから文字を抜き出した吉田松陰自筆文字なのだそう。松陰神社 寺・神社・教会
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入ってすぐ目に飛び込んでくるのは「明治維新胎動の地」と刻まれた巨大な石碑。
今日は雲1つ無い快晴で日差しが強いため、GWらしい爽やかな風が抜けても日向は汗が滲むほど暑い。 -
安政の大獄で捕まり処刑を覚悟した吉田松陰が29歳のとき、1859年に両親に宛てた別れの書簡「永訣の書」で詠まれた吉田松陰の歌碑。
親思ふこゝろにまさる
親こゝろ
けふの音つれ
何ときくらん
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参道が二股に分かれているので右側を歩いて行くと、木造瓦葺きされた“松下村塾”の建物が見えてきた。
松下村塾とは幕末に吉田松陰が主宰していた私塾で、叔父が開いていた私塾を1857年に受け継ぎ、身分や階級に関係なく塾生として受け入れて明治新政府に活躍した多くの逸材を育て上げた。松下村塾 名所・史跡
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控えの間を覗いてみると門下生だった久坂玄瑞・高杉晋作・伊藤博文などの写真が飾られていて、これをみれば明治維新の原動力を育成していたのが一目瞭然。
ただ、教科書にも載るほど有名な松下村塾はわずか1年あまりで幕を閉じたのを、ここで初めて知って驚いた。 -
建物に沿って進んでいくと、控えの間と繋がった隣室が8畳の講義室になっており、吉田松陰の肖像画が描かれている掛け軸と石膏像が置いてある。
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松下村塾のすぐ裏手には吉田松陰の実家である杉家の建物“吉田松陰幽囚ノ旧宅”がある。
吉田松陰幽囚ノ旧宅 名所・史跡
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玄関は封鎖されているので裏手へ。
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建物には入れないけど建具や障子が開けてあるので庭から覗けた。
1854年に伊豆下田沖でペリー率いるアメリカ軍艦(通称:黒船)に乗り込もうとして失敗した際、最初は江戸伝馬町の牢獄に捕らえられた後に萩の野山獄に入れられ、その後は実家:杉家旧宅で預かりの身となった。
向かって中央の凹んだ位置にある庇のついた部屋が… -
吉田松陰が謹慎生活を送った幽囚室で、畳の数を見てわかるように3畳半しかなく非常に狭い。
松陰はここで孟子や武教全書などを講じるようになると次第に若者が集まるようになり、のちに松下村塾での教育が始まったそう。 -
隣室は6畳あるし、杉家旧宅自体大きいので幽囚室の閉塞感が強調される。
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幽囚室の向かいには松陰神社の本殿が見えるように建っていた。
松陰神社は1907年に創建された吉田松陰を祭神とする神社で、現在の社殿は1955年に完成した。 -
吉田松陰が終生愛用したという赤間硯(山口県下関市や宇部市周辺で作られている硯)と、父叔兄宛に書いた文書が遺言により御神体として収められている。
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少し間を開けて左端に建っているのは“松門神社”。
松陰神社の旧社殿を移築して塾生や門下生を御祭神とし1956年に建立された神社で、吉田松陰の門人52柱に加えて、吉田松陰の遺書「留魂録」を守り後世に伝えた沼崎吉五郎を合祀した53柱が祀られている。 -
松下村塾と吉田松陰幽囚ノ旧宅を囲うように設けられた参道は、木陰が出来る程木々が生い茂り整備が行き届いていて、神社というよりは小さな公園みたいだった。
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大鳥居に向かって歩いて行くと大きな藤棚の先に茶室:花月楼が建っており、こちらも内部公開されていないものの障子の間から中を覗くことができた。
この建物は萩藩7代藩主:毛利重就が1776年に現在の防府市にある別邸に建築したものを、1959年に松陰神社の境内へ移築している。 -
“萩反射炉”は駐車場から10mほど高い場所にあるので、階段を上がっていく。
萩反射炉 名所・史跡
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木陰の通路先に見える小屋では9:00-17:00の間は無料ガイドが常駐しているので、前を通るとガイド案内の告知が行われていた。
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広場を人の流れる方向に進んでいくと、少し下がった場所に西洋式の大砲鋳造を目指して建設された金属溶解炉である萩反射炉が建っていた。
遺構は煙突部分にあたり高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)で、一般的な反射炉の7割程度しかない。 -
江戸時代末期、萩藩は外国からの脅威に備え軍事力の強化をはかるために鉄製大砲の鋳造に必要な反射炉の導入を試みようと、日本で最初に反射炉を造って反射炉の操業に成功していた佐賀藩へ1855年に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れたものの佐賀藩からは拒絶されてしまったため、萩藩は翌月に自ら発明した砲架旋風台という大砲台模型を藩士:小沢忠右衛門に持たせて再度交渉した結果、ようやく反射炉の見学を許され、小沢忠右衛門は反射炉のスケッチを作成した。
そして持ち帰ったスケッチを頼りにこの反射炉を建設したものの、結局成功することは無かった。 -
萩反射炉の仕組みは看板説明を見た方がわかりやすいので割愛。
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ランチのために向かったのは“道の駅 萩しーまーと”。
正午を過ぎたばかりなので広い駐車場は9割埋まっていて、館内レストランは大行列が出来ていた。道の駅 萩しーまーと 道の駅
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この道の駅には八百屋・肉屋・魚屋・乾物屋・練り物屋・プリン専門店など様々な商店が入店していたので、テイクアウトしてテラス席でランチすることに。
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【萩産しらす丼】800円
【ふぐすり身天】400円
しらす丼は2段式になっているので、自分で海苔と錦糸卵が入った温かいごはんに乗せる。
しらすのふわふわな食感と、カラフルな海藻のプチプチした食感のギャップが美味しかった。
ふぐすり身天は味が付いていて、プリプリな食感が楽しめた。 -
萩明倫学舎と萩城下町エリアの中間ある広い芝生が広がる“萩市中央公園”駐車場に車を停めて、ここからは歩いて観光を。
出庫時清算式で料金は時間無制限の310円だけど、萩博物館前駐車場・中央公園駐車場・萩・明倫センター駐車場の3箇所は当日限り共通料金で利用できるので、最初に利用した駐車場の領収証を提示すれば他2箇所は無料で停められる。萩市中央公園 公園・植物園
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広い中央公園を通り抜けて“萩明倫学舎”の敷地に入ると、最初に目に飛び込んでくるのがこの南門で、もともとは新明倫館の正門として建てられ、藩主が聖廟を拝する春秋の孔子祭や公式行事以外は開かずの門だった。
大型連休中だからなのか敷地内では、萩の特産品を販売する幾つものブースが出店していて賑やかだった。萩 明倫学舎 美術館・博物館
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全国屈指の規模を誇った萩藩校明倫館の跡地に建つ旧明倫小学校。
この校舎で2014年3月まで授業が行われ、その後は後の観光起点として萩・明倫学舎に生まれ変わった。 -
館内は結構広い。
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靴を脱いでスリッパに履き替えると、本館は明倫小学校の創立から現在までの歴史紹介・復元教室・スーベニアショップ・飲食スペースになっていた。
この木造校舎が建てられたのは1935年だそうで温かみのある雰囲気が素敵だったけど、私たちの目的は2号館なので渡り廊下を通って奥へ。 -
2号館は有料エリアになっていて入館料は大人1人:300円で、この入館券には市内38か所の協賛施設でお得な特典が受けれるクーポンが5枚付いており、萩市内観光の様々な場所で使える。
受付右側に進んで「世界遺産ビジターセンター」から見学を始めると明治期に起きた日本の産業革命について学べる様々なパネル展示があり、夫は食い入るように見学していた(室内は撮影禁止)。 -
長い廊下の先には幕末期にヨーロッパへ秘密留学した長州ファイブ(井上馨・遠藤謹助・山尾庸三・伊藤博文・井上勝)に囲まれながら記念撮影ができ、椅子も用意されている。
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順路に沿って2階へ。
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萩が歩んだ近代化への道のりを見学しながら進んでいく。
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突き当りは「幕末ミュージアム」になっており、入口看板には「おがわ是苦集」と書いてあった。
コレクションという漢字を初めて知ったけど、苦労して是を集めたという意味を込めた当て字だそうで、幕末ミュージアムは基本的に撮影OKという太っ腹さ。 -
薬箪笥には60個もの小さな引き出しと、下段に大きな引き出しが2個備わった多機能さに驚かされる。
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当時の地図や絵画などが展示されたスペースで、ひと際気になったのが…
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デフォルメが効きすぎているアメリカ使節のペリーと副将の肖像画。
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全て萩藩内で作成された長州鉄砲も展示されていた。
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山縣有朋の騎馬像は中央公園駐車場端、大通りに面していて軍服に身を包んだ像は勇ましく、威厳ある表情をたたえていた。
山形有朋銅像 名所・史跡
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駐車場横を通過しながら萩城城下町に近い出入口へ歩いて行くと、高杉晋作と並び称される松下村塾の門下生だった久坂玄瑞進撃像が建っていて、夫含めた前を通るほとんどの男性が「あ!久坂玄瑞の銅像だ」と足を止めていたのが興味深い。
久坂玄瑞進撃像 (萩市中央公園内) 名所・史跡
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萩城下町には萩藩を語るうえで欠かせない人物ゆかりの地が、徒歩圏内に散らばっている。
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入口由緒書きに“旧野田家住宅”と記された江戸時代武家屋敷の面影を伝えている建物。
現在も住んでいる人がいるため敷地に入れないけど、開けられた門から長い通路奥にある建物を覗けた。旧野田家住宅 名所・史跡
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旧野田家住宅から西に歩いて行くと壁の無い門が見えてきて…
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門の横には「晋作広場」「高杉晋作立志像」と立て看板があった。
高杉晋作の名前が入っているくらいだからさぞ立派だろうなと思ったら、結構広めの広場の片隅にポツン。高杉晋作立志像 名所・史跡
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広場を斜めに横切って菊屋横丁に入ると、邸宅前に“高杉晋作誕生地“と記された碑があり、入館料は100円で南側半分が公開されていた。
チラッと覗いてみたところ手入れされた入口通路はギリギリすれ違える幅しかなく、GW中ということもあり何人か並んでいたのでパス。高杉晋作誕生地 名所・史跡
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白壁が太陽の強い光に反射して輝く萩城下町。
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白壁からなまこ壁の土蔵に切り替わり、壁に沿って歩いて行くと…
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毛利藩の御用商人として藩を支えてきた豪商“菊屋家住宅”の建物正面に出た。
菊屋家住宅 名所・史跡
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日本最古の町家と言われる菊屋家住宅は主屋・本蔵・金蔵・米蔵・釜場が重要文化財に指定されていて、大人1人:650円(萩明倫館2号館を見学した際に貰ったハギトラベルパスを用いれば50円引き)で建物内部を見学できる。
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御成門前の石畳に沿って歩いて行くと突き当りに主屋が姿を現す。
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主屋入口で靴を脱ぎ、靴はビニール袋に入れて持ち歩きながら見学をする。
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入ってすぐのガラス戸には、松に鶴亀の刺繍が施されている淡い水色が美しい打掛が展示されていた。
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館内は掛け軸・萩焼・人形・時計などの宝物や美術品が展示されていて私設美術館のよう。
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屋敷は藩の賓客をもてなす迎賓館のような役割も担っていたため、主屋書院に併設された江戸時代の枯山水庭園から…
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身分の高い人や賓客がそのまま入れるように、籠を置くための巨大な石や手水甕が配置されていた。
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【滅消病悪】と書かれた巻紙を持つ表情がユニークな掛け軸。
下に並べられている人形は明治末期に制作されたもので応神天皇と旗持。 -
最上段中央の大鎧は昭和63年制作だけど、それ以外は江戸期・明治期・大正期の五月飾りだそう。
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台所用品などが置かれた通路を横切って、本蔵(写真撮影禁止)や釜場を見学した後靴を履いて外へ。
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南側の新庭庭園は通常非公開になっているけど、春と秋だけの期間限定(4月中旬-6月下旬と10月初旬-11月末まで)公開され、今回は「春の新庭特別公開」に訪れることができたのでタイミングが良かった。
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木々に覆われた石畳を進んでいく。
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「明治期以降の広い美しい庭園」と案内があったので期待したけど、水路には水が通っておらず華となるポイントが無いせいか、どうしても芝に目が行ってしまい簡素な印象だった。
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江戸屋横丁に入って木戸孝允旧宅前を通り過ぎ、古い街並みを楽しみながら歩いて行くと…
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寺院だけど入口は石鳥居を構え、境内には十二支の彫刻が施された金毘羅社社殿があり、珍しい神仏習合の姿が現在も残る貴重な遺構“円政寺”が姿を現した。
ここは幼少期の高杉晋作や伊藤博文が学び遊んだ場所として知られている。円政寺 寺・神社・教会
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拝観料は大人1人:200円だけど、萩明倫学舎の入場券に付属しているハギトラベルパスを提示すると拝観料が20円引きになり、萩城下町の大きなイラスト地図も貰えた。
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向かって右に見えるのが金毘羅社社殿で、左に見える平屋が本堂。
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最初は十二支の彫刻が施された金毘羅社へ。
中国のことわざが彫刻された台座に鎮座する狛犬も見逃せない。 -
金比羅社の拝殿には頭上から大きな天狗面が見下ろし、自信たっぷりな表情をたたえていた。
円政寺は様々なエピソードを持っているため、至る所に説明や逸話が書かれているけど、この天狗については高杉晋作は幼少の頃病弱だったため、母親はこの金比羅社に健康祈願していたと書いてあった。 -
幼年期の高杉晋作や伊藤博文らが遊んだといわれる、1820年に寄進された神馬。
夕方だったため羽虫が多かったので写真を撮ってすぐに退散したけど、金比羅社の脇にある。 -
本堂手前に建つ巨大な石灯籠は1858年に寄進され、高さが5.07mあり山口県下最大規模を誇るそう。
正月に広島から日帰りで岩国へ遊びに行ったとき、岩国の神社境内の石灯籠や鳥居には小さな石が積み重ねられていて驚いた(後で調べたら山口県民の習性らしい)けど、ここではあの不思議な光景は見られなかった。 -
本堂を覗いてみると、大河ドラマ「花燃ゆ」に関連した場所だと説明が書いてあったけど未視聴なのでスルー。
放送当時はご当地巡りでにぎわっていたのかもしれない。 -
本堂横の黄菖蒲が見頃で華やかだったから、ちょうどいい季節に訪ねたみたい。
円政寺はコンパクトだけど見どころも多くて面白かった。 -
16:15に萩市内を出発してバイパス手前の「ようこそ萩へ」と書いてある門横にある“道の駅 萩往還”に立ち寄ると、萩藩士や萩の著名人の銅像が幾つも立っていた。
道の駅 萩往還 道の駅
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建物はコンパクトなのに取り扱っている商品は魅力的で、萩の銘菓やレアな水菓子・萩産のクラフトビールであるちょんまげビール・萩産のワインなど、市内で見つけられなかった土産が揃っていた。
明日は防府まで足を延ばし1日かけて防府観光する予定。
続きは07へ。
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博多
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