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《2023.May》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのXXII京都福知山~才ノ神の藤・普門寺の藤を訪ねて~<br /><br />3月に時期外れのイルミネーションを見に伊豆を訪れた。時期外れというのは一般的な解釈であり、堂ヶ島のように2月から4月と春の時期に敢えて開催している場所もある。しかし夜に輝く〝LED〟を楽しむのがイルミネーションの醍醐味だとすると、日没時間が日に日に遅くなる時期だとどうしても楽しめる時間は短くなると言っても過言ではない。ただ今年に限って言うなれば、花の開花時期が早まったことにより、本来ならばイルミネーション散策とは別の時期に花見をする筈が、同時期に楽しめるものとなり、昼間の桜と夜のイルミネーションin伊豆ツアーになったのは〝棚ボタ〟だったと言えるだろう。おまけに一年で2回の週末開催イベントである〝土肥金山の桜ライトアップ〟も訪れることができ、コロナ禍の落ち着き次第では例年通りの〝旅歩き〟ができる〝きっかけ〟になりそうだと感じていた。しかしそう容易く変化することはなかった事実があった。旅行最終日=仕事初日と無事に推移したと思いきや、3日間は何事もなく日々が過ぎて行ったが、1日休日を挟んだ翌日に座っていないと耐えられない程の体調不良に襲われる。結局その日は数時間勤務をしたが、一向に治らない体調に〝コロナ罹患〟という最悪な展開も心したが、会社で行った簡易検査では陰性だったために、まぁ年甲斐もなく無理な行程を組んで疲れが溜まったのだろうから、一日休めば大丈夫だとタカを括っていた。しかし帰宅するために向かった駅のバスターミナルで状況は急変し、激しい〇〇でトイレから出られなくなってしまった。そのまま病院に直行する案件なのだろうが、そんな余裕も無かった。取り敢えずバスの時刻数分前までトイレに籠り、ギリギリの時間にバスに乗車。足元がふらつく状況下で目を瞑りながら15分のバス乗車を終え自宅に到着する。帰宅しても動くことはほぼ不可能で、寝て→トイレ→寝てを繰り返す。翌朝も症状は改善せず数年ぶりの病欠を2日間取らざるを得なかった。その後たまたま三連休を取っていたので欠勤にはならなかったが一日中横になっている日々を過ごし、発症6日目に医者に行こうとするも足がないために動けなかった。この辺りからノロ・ロタの疑いもあったので家庭内でも隔離される日々を過ごしていたが、医者に行けなかったことから休む〝理由〟が無くなってしまい、具合が悪いまま出勤せざるを得ない状況となる。診断名はアデノウィルスによる感冒性胃腸炎。所謂〝風邪〟が胃腸に来た症状である。一般的な風邪の症状同様〝薬〟はない。出されたのは〝整腸剤〟だけで、後は自然治癒を待つしかない。ストッパや正露丸といった止瀉薬は胃腸に刺激を与えるために下〇を引き起こすため使えない。そんな状態が3週間に渡って続くとは夢にも思わなかった。症状がある程度落ち着いても身体のだるさは残っており、休みの日は横になっている日々を過ごしていた。<br /><br />そんな日々を送っていた時期に桜の見頃は過ぎてしまった。漸く出掛けてみようかと思ったのはGWが始まる頃になってからであった。しかし体調はともかく気力がついて来ず、GW前半に取った連休は、手付かずだった伊豆旅行のデータ整理に費やした。後は単発の休みだが、5月最初に〝藤〟が見頃を迎えていることを知り、行ってみることを決心した。5月3日がその決行日となったが、21:00迄仕事をして翌日朝に出掛けるのは相変わらずキツいのは確かである。しかし出掛けてみないとなにも変わらないことはわかっているため、意を決して出発することにした。前回の旅が伊豆旅行だったので1ヶ月以上の間をあけての旅は私にとってはかなり珍しい。出発迄にそんな紆余曲折を経て旅立つことになった今回の旅、さあどんなものになったのやら。それでは始めることにしよう。<br /><br />令和5(2023)年5月3日水曜日<br />前回の旅から1ヶ月以上が空いた5月2日、ハルに車を借りる旨を知らせた。使わないならば貸してくれれば良いものを渋られることも少なくない。しかし今回は珍しく1回でOKを貰い旅立ちが決まった。明けて5月3日は6:30起床、はっきり言って眠たいところはあるがそこは勢いで行くことにしている。7:47に南淡海の自宅を出発、今日は良い天気のようだ。出発してすぐにいつものローソンで一服をしながらナビ等の設定をする。ゴールデンウィーク後半の初日は道の混雑もあるため、スマホナビの指示通り走ることにする。目指す目的地は福知山の才ノ神藤公園、北近畿の藤の名所としても知られている。一般道経由であれば国道1号線から9号・27号線を通るのがセオリーかと思っていた。しかしナビの示す道は国道162号線を通るルートを指し示している。まぁこのような迂回ルートを示すにはそれなりの理由があるのだろうと〝良いよう〟に解釈し、ナビの指示通り走って行く。ただ出発前に気になっていたことだが、moveクンにガソリンが入っていない。メモリで言えば残りふたつだが、暫く走れはするものの今回のルートは山間の場所を巡って行くルートを辿るため、不安材料は出来れば摘んでおきたい。そんな理由からルート沿いにあるガソリンスタンドで〝格安〟のタグが付いている場所を探しておく。そして京都仁和寺近くの京善石油御室SSをピックアップし、ルートに組み込んでおいた。<br /><br />京都へと向かういつもの通りは然程混んではおらず快調に走って行く。しかし〝GW渋滞〟に間もなく遭遇することとなる。湖西道路の終点付近から京都東インターチェンジまではぎっしりと車が繋がっている。この辺りは知る人ぞ知る車線を通れば特に問題なく走ることが出来たものの、やはり五条通りはそれなりに混雑していた。ナビなしに京都の街中を走れるほどの知識はないのでナビの指示に従い、堀川五条で右折し堀川通りを北上する。丸太町通りを西進した後西大路通りを北進する。途中系列店の大将軍SSの隣を通るが、スタンドそのものの敷地も狭く、車を入れるのが困難と判断しスルーした。そして一条通を西進するように走って行くと、何故か仁和寺付近が渋滞している。やはりGWか~と思ったのもつかの間、仁和寺の門前付近が混雑していただけのようで、越えてしまえば普通に走れる。そんな感じで走りつつ、本日第二目的地の京善石油御室SSに到着する。<br /><br />このスタンドも敷地が狭い。一番奥の給油ポンプ迄行ってしまうとバックで出なければいけないようだがまあ仕方がない。取り敢えず2,000円分だけ給油をする。12.99L…滋賀県で給油する値段と9円違う。こういったお店が大津エリアにも欲しいものだ。給油を済ませるとフューエルゲージも2/3迄復活したので気兼ねなく走って行く。国道162号線なんて走ったことがあるのかないのか覚えていない程久しぶりである。京都市内ではあるがそうは見えない高雄から京北町へと進み、道の駅ウッディー京北に立ち寄って一息入れる。ここはGW観光客でかなり混雑していた。美山と言えば〝伽羅ぶき〟なので、早速買い求め、早々に出発する。ただ初心者マークを付けた車が多く、駐車場の渋滞を作り出している。先に進みたい気持ちはわからなくはないが、出る車を優先しないと駐車スペースがないことくらいはわかって車を運転して貰いたいと私は思う。<br /><br />道の駅ウッディー京北を後にして国道162号線から府道78・19号線、国道27号線と走り続け、道の駅和でひと息入れる。どこも同じなのか車やバイクでこちらもごった返していた。そのため喉を潤しながら一服しただけで出発する。出発後はナビの指示通り走り続け、綾部市に入り京都府道74・9号線を進むと福知山市の南有路交差点を右折し、大雲橋を左手に見ながら山手へと進んで行くと、本日の最初の目的地である〝才ノ神の藤公園〟に到着する。ここまでの走行距離は127.3kmと記録に残している。もし定石の国道9号線を走ると約110km、20km程迂回しているが、道の混雑はほぼなかったことから所要時間は寧ろ短かったかも知れない。<br /><br />地図を見る限り駐車場の奥に公園があると表記されているものが多いようだが、実際には最も奥が駐車場となっている。ログハウス様のトイレが完備されており、その背後の山肌にも〝ヤマフジ〟が咲いている。正しく〝藤の苑〟である。ただ〝才の神の藤〟と書かれた〝看板〟がなぜかトイレ前にたっていることに可笑しさを覚えてしまった。勿論この〝トイレ〟の整備にも幾多の困難があったことは知っているので、その過程を忘れないために敢えてこの場所に建立されたのかも知れない。そんな思いを待ちながら、京都府指定天然記念物の〝才ノ神の藤〟を見て回ることにする。<br /><br />〝藤の花咲く〟観光地と知られている才ノ神の藤ではあるが、藤の苑を作ろうとして出来上がったものではない。樹齢2,000年ともいわれる古木のヤマフジは、野生の物であり以前は御神木とされるケヤキの巨木に絡まって、根元より幹周り1mを越える6本の藤が立ち上がっていた。残念なことにケヤキの御神木は幾度となく受けた落雷によって、枝は折れ幹は裂け、樹幹のごく一部と一本の太い下枝を残すのみとなって辛うじて立っていた状況であった。しかしわずかに残った1本の太い下枝も平成25(2013)年の空梅雨の影響で遂に枯死し、かつての欅の面影を留めるものがなくなってしまった。今では小さな祠の裏手に聳えるヤマフジの古木の集まりがそのケヤキに絡まっていた姿を残し、現在にその歴史を伝えているに忍びない。また自生種のヤマフジは園芸種のノダフジと違って蔓の巻き方が違っている。ノダフジが右巻きに対し、ヤマフジは左巻きである。花穂の長い藤として知られているものはノダフジがほとんどであり、才ノ神の藤の様に花穂の短いヤマフジが、御神木のけやきの木に巻き付いた後に広がって行き、藤棚を形成するまで成長したことは長い年月をかけて自然の営みが創り出した貴重な自然遺産であると同時に奇跡的なことでもあるようだ。そのような歴史から信仰の対象となっており、藤棚の下に祀られている小さな祠がその中心となっている。信仰の歴史は大変古く第十代崇神天皇の時代に四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人として丹波に派遣された丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)がこの地を巡視された折、アリが群がる様子を見て〝人里の在りか〟を疑い、臣下の者に付近を探らせたところ、道のほとりの大木の根元にある石を拝む老人がいるのを見つけたという。不思議に思った供の者が〝いずれの神か?〟と尋ねたところ、その老人は〝才ノ神〟と答えたという。供の者がこのことを丹波道主命に伝えると、命は驚いて〝畏れ多い〟と叫び、直に駆けつけ拝んだという。この逸話よりこの地を〝蟻道(有路の語源)の里〟と呼ぶようになり、この神を祀り〝才ノ神〟として崇めるようになったと伝えられている。尤もこの丹波に赴いた四道将軍は丹波道主命の父にあたる〝彦坐王(ひこいますのみこ)〟だとしているものもあり、史実として考えるには曖昧な要素が多い以上〝伝承〟の域を超えるものではない。しかし丹波道主命はその功績により丹波国の国主となり、領国の豪族川上摩須の娘である川上摩須郎女を妻に娶り、二人の間に出来た姫の一人〝日葉酢比売(ひばすひめ)〟は第十一代垂仁天皇の后となり、その息子の大足彦(おおたらしひこ)が第十二代景行天皇となっている。この景行天皇の息子が伝説上の英雄である日本武尊(やまとたけるのみこと)であるとされていることは有名な話である。そのような繋がりから景行天皇の妹倭姫命(やまとひめのみこと)が三種の神器を奉じて丹波与謝宮に滞在されている折にこの地を訪れ、祖父である丹波道主命が基礎を作った〝才ノ神〟を改めてご祭神として崇め奉り、祠を大きく立派なものにしたという伝承も残されている。八衢比古命・八衢比売命・久名戸神と云った珍しい〝道祖神〟を祀る祠として、その後才の神は〝叡智の神〟として何事によらず祈願すれば叶えられ、道を問えば行き方を示され、道理を問えば筋道を明らかにされる、更に道祖神として旅や航海の守護神、婦人病、縁結びの神、安産の神、子孫繁栄の神としても信仰を集めて今日に至っている。別の説では才ノ神とは才能の神ではなく、塞(さい)の神のことで、〝塞〟は城塞と砦の意味もある。ここでは塞は国境を意味しており、塞ノ神は本来は村の境にあって外部からの悪しき物の侵入を防ぐ神様として祀られたものであるとしているものもあるようだ。<br /><br />神話の世界の話故どこまで本当かということは抜きにして、自然の産物であるヤマフジを崇拝し続けて今に伝えている地元の方々の信仰心から出来上がっているものを見ることが出来ることに感謝の気持ちしか浮かばない。来園者がどのような思いを持って散策していることは抜きにして私自身はそのように思えたのであった。<br /><br />約30m四方に広がる広い藤棚ではあるが、人が増えて来るとやはり窮屈感を覚えることは致し方ない。1時間ほど滞在して付近で後世に伝えられ続いている〝藤棚〟も見ておきたく、出発することにする。距離にして700m程走った左手の民家に〝上原さんの野田藤〟の藤棚はある。長年〝才ノ神の藤〟の世話を続け、藤保勝会の会長でもあった上原さんは、藤の季節には家の周りに藤の鉢植えを並べている。ご自慢の藤棚は家のすぐ横に作られた野田藤(九尺藤)の藤棚であり、才ノ神の藤へ行く途中の右手にある。5月上旬から10日頃にかけ花穂が100cm位にまで伸びて最も美しい時期を迎えるとあった。とは言え個人宅でもあるためあまり長居は出来ず、外観だけをカメラに収めて出発する。<br /><br />一旦才ノ神の藤に戻るように走り、いぼ取り不動尊を越えたあたり左側にある〝真下さんの野田藤〟の藤棚を訪れる。真下義雄さん(故人)の藤棚は古地の谷の一番奥にあり、長年藤公園の世話を続けてこられた方である。やはり上原さんのノダフジ同様5月上旬から10日頃にかけ花穂が伸びて見頃を迎えるとあった。お宅との表記がなされていたが、藤棚の隣には農作業の小屋らしきものがあっただけだったように見えた。<br /><br />真下さんのノダフジから才ノ神の藤までは道が狭いこともあり、一旦駐車場まで戻ってから折り返すことにした。有路まで出る前に左折した場所に第二目的地の普門禅寺がある。正式名称は曹洞宗圓通山普門禅寺といい、元は室町時代に現在の場所から1km程離れた矢津の権現山(ごんげんやま)に創建され、山号・寺号を普門山圓通寺と言われていた。室町時代中期の応仁元(1467)年頃に兵火で焼失し現在の場所に移され、山号・寺号を現在のものに改めている。文亀年間(1501年~1504年)に伽藍が再建され、門前は繁栄して市が開かれていた。その後幾多の盛衰を経て、延宝8(1680)年に田辺城桂林寺の末寺となる。江戸時代後期の寛政3(1791)年に火災に見舞われ山門以外の伽藍を焼失し、寛政11(1799)年に再建されている。その後本堂が豪雪・風雨などを老朽化し平成14(2002)年7月に現在の本堂が完成し、平成15(2003)年9月に客殿が完成して現在に至っている。本尊は十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)で本堂に安置されているということが由来書きに記されていた。桜や藤ツツジ、睡蓮など四季折々の花が楽しめる禅寺として知られており、才ノ神の藤が見頃の時期には特に多くの〝藤〟を楽しむ観光客が訪れるという。<br /><br />車を停め先ずはお寺参りをする。再建された本堂の他庭園も綺麗に纏められており。花のシーズンには素晴らしいものが見られるように感じる。藤が…と書かれているものが多いwebサイトが多い中で、その他の花々に囲まれている〝花の寺〟のイメージが私の中では残った感じであった。この時期の主役である〝藤〟は、寺標が建立されている広場に咲いており、20年程前に作られたものであるという。紫・白のノダフジが植えられているこの普門禅寺前の広場、種類の違いが微妙に花の時期をずらしていることが良くわかるものであった。紫のノダフジはほぼ見頃、白のノダフジは間もなく見頃といったところであろうか。こちら〝だけ〟という訳ではないとは思うのだが、一説には珍しい白藤を見ると〝不死身(藤見)〟につながり、長生きするといわれているとかと書かれていた。前回の旅以降健康に恵まれたい私にとっては〝肖りたい〟気持ちは大変強いのだが…と思いながら歩いて行く。一部手入れをされている〝途中〟なのかもと思しき脚立があったりと〝手作り感〟があるのは微笑ましい限りであった。<br /><br />次の目的地まで距離があることを踏まえ、山門前の〝藤庭園〟を散策して車へと戻り出発する。地元の藤シリーズで一ヶ所行けていなかったところを探すのだが、ここが良くわからない。〝中川さんの藤棚〟のことであるが、それらしき場所には行くのだが、その後ピンポイントの場所がわからない。帰ってから情報を整理すると〝上山勇さん(故人)から引き継がれた藤棚:引地の藤〟とされていることから、上原さんの野田藤同様ご自宅の〝敷地内〟を眺める必要があったことを遅ればせながら知った。もしこの時期にこの界隈を訪れることが出来たならば、事前に詳細な情報は必須ということを肝に銘じる。当日は見つからなかったので諦めて次の目的地へと向かうことにした。<br /><br />ナビの指し示すまま府道55号線を走り、国道9号線に入りひた走る。右折地点にあったドライブインやくので一息入れ、府道県道273号線を走って行くと白井の集落に辿り着き、右折を2回繰り返せば白井大町藤公園の駐車場に入る…筈だった。まあ筈だったと言えば後の展開はわかりそうなものだが、入口付近が結構渋滞をしている。そのため一旦藤公園の駐車場入口を通り過ぎ、ガードマンの指示に従って右折する。つまり県道に渋滞を作らないようにするための対策であった。県道脇に沿って走る狭い道を車は回される。とは言っても全く動かない訳でもなく、動いたら止まるの繰り返しという感じである。車を停めるときにパーキングブレーキを踏んでおくこともあったので、どれ位の駐車場待ちだったかを記録してみた。山間のエリアで日暮れ時間を感じさせるこの時間でもこれだけは渋滞するのだということを改めて認識する。5kmの距離を30分程かけてやっと白井大町藤公園の駐車場に辿り着いた。<br /><br />  《続く》

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《2023.May》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのXXII京都福知山~才ノ神の藤・普門寺の藤を訪ねて~

3月に時期外れのイルミネーションを見に伊豆を訪れた。時期外れというのは一般的な解釈であり、堂ヶ島のように2月から4月と春の時期に敢えて開催している場所もある。しかし夜に輝く〝LED〟を楽しむのがイルミネーションの醍醐味だとすると、日没時間が日に日に遅くなる時期だとどうしても楽しめる時間は短くなると言っても過言ではない。ただ今年に限って言うなれば、花の開花時期が早まったことにより、本来ならばイルミネーション散策とは別の時期に花見をする筈が、同時期に楽しめるものとなり、昼間の桜と夜のイルミネーションin伊豆ツアーになったのは〝棚ボタ〟だったと言えるだろう。おまけに一年で2回の週末開催イベントである〝土肥金山の桜ライトアップ〟も訪れることができ、コロナ禍の落ち着き次第では例年通りの〝旅歩き〟ができる〝きっかけ〟になりそうだと感じていた。しかしそう容易く変化することはなかった事実があった。旅行最終日=仕事初日と無事に推移したと思いきや、3日間は何事もなく日々が過ぎて行ったが、1日休日を挟んだ翌日に座っていないと耐えられない程の体調不良に襲われる。結局その日は数時間勤務をしたが、一向に治らない体調に〝コロナ罹患〟という最悪な展開も心したが、会社で行った簡易検査では陰性だったために、まぁ年甲斐もなく無理な行程を組んで疲れが溜まったのだろうから、一日休めば大丈夫だとタカを括っていた。しかし帰宅するために向かった駅のバスターミナルで状況は急変し、激しい〇〇でトイレから出られなくなってしまった。そのまま病院に直行する案件なのだろうが、そんな余裕も無かった。取り敢えずバスの時刻数分前までトイレに籠り、ギリギリの時間にバスに乗車。足元がふらつく状況下で目を瞑りながら15分のバス乗車を終え自宅に到着する。帰宅しても動くことはほぼ不可能で、寝て→トイレ→寝てを繰り返す。翌朝も症状は改善せず数年ぶりの病欠を2日間取らざるを得なかった。その後たまたま三連休を取っていたので欠勤にはならなかったが一日中横になっている日々を過ごし、発症6日目に医者に行こうとするも足がないために動けなかった。この辺りからノロ・ロタの疑いもあったので家庭内でも隔離される日々を過ごしていたが、医者に行けなかったことから休む〝理由〟が無くなってしまい、具合が悪いまま出勤せざるを得ない状況となる。診断名はアデノウィルスによる感冒性胃腸炎。所謂〝風邪〟が胃腸に来た症状である。一般的な風邪の症状同様〝薬〟はない。出されたのは〝整腸剤〟だけで、後は自然治癒を待つしかない。ストッパや正露丸といった止瀉薬は胃腸に刺激を与えるために下〇を引き起こすため使えない。そんな状態が3週間に渡って続くとは夢にも思わなかった。症状がある程度落ち着いても身体のだるさは残っており、休みの日は横になっている日々を過ごしていた。

そんな日々を送っていた時期に桜の見頃は過ぎてしまった。漸く出掛けてみようかと思ったのはGWが始まる頃になってからであった。しかし体調はともかく気力がついて来ず、GW前半に取った連休は、手付かずだった伊豆旅行のデータ整理に費やした。後は単発の休みだが、5月最初に〝藤〟が見頃を迎えていることを知り、行ってみることを決心した。5月3日がその決行日となったが、21:00迄仕事をして翌日朝に出掛けるのは相変わらずキツいのは確かである。しかし出掛けてみないとなにも変わらないことはわかっているため、意を決して出発することにした。前回の旅が伊豆旅行だったので1ヶ月以上の間をあけての旅は私にとってはかなり珍しい。出発迄にそんな紆余曲折を経て旅立つことになった今回の旅、さあどんなものになったのやら。それでは始めることにしよう。

令和5(2023)年5月3日水曜日
前回の旅から1ヶ月以上が空いた5月2日、ハルに車を借りる旨を知らせた。使わないならば貸してくれれば良いものを渋られることも少なくない。しかし今回は珍しく1回でOKを貰い旅立ちが決まった。明けて5月3日は6:30起床、はっきり言って眠たいところはあるがそこは勢いで行くことにしている。7:47に南淡海の自宅を出発、今日は良い天気のようだ。出発してすぐにいつものローソンで一服をしながらナビ等の設定をする。ゴールデンウィーク後半の初日は道の混雑もあるため、スマホナビの指示通り走ることにする。目指す目的地は福知山の才ノ神藤公園、北近畿の藤の名所としても知られている。一般道経由であれば国道1号線から9号・27号線を通るのがセオリーかと思っていた。しかしナビの示す道は国道162号線を通るルートを指し示している。まぁこのような迂回ルートを示すにはそれなりの理由があるのだろうと〝良いよう〟に解釈し、ナビの指示通り走って行く。ただ出発前に気になっていたことだが、moveクンにガソリンが入っていない。メモリで言えば残りふたつだが、暫く走れはするものの今回のルートは山間の場所を巡って行くルートを辿るため、不安材料は出来れば摘んでおきたい。そんな理由からルート沿いにあるガソリンスタンドで〝格安〟のタグが付いている場所を探しておく。そして京都仁和寺近くの京善石油御室SSをピックアップし、ルートに組み込んでおいた。

京都へと向かういつもの通りは然程混んではおらず快調に走って行く。しかし〝GW渋滞〟に間もなく遭遇することとなる。湖西道路の終点付近から京都東インターチェンジまではぎっしりと車が繋がっている。この辺りは知る人ぞ知る車線を通れば特に問題なく走ることが出来たものの、やはり五条通りはそれなりに混雑していた。ナビなしに京都の街中を走れるほどの知識はないのでナビの指示に従い、堀川五条で右折し堀川通りを北上する。丸太町通りを西進した後西大路通りを北進する。途中系列店の大将軍SSの隣を通るが、スタンドそのものの敷地も狭く、車を入れるのが困難と判断しスルーした。そして一条通を西進するように走って行くと、何故か仁和寺付近が渋滞している。やはりGWか~と思ったのもつかの間、仁和寺の門前付近が混雑していただけのようで、越えてしまえば普通に走れる。そんな感じで走りつつ、本日第二目的地の京善石油御室SSに到着する。

このスタンドも敷地が狭い。一番奥の給油ポンプ迄行ってしまうとバックで出なければいけないようだがまあ仕方がない。取り敢えず2,000円分だけ給油をする。12.99L…滋賀県で給油する値段と9円違う。こういったお店が大津エリアにも欲しいものだ。給油を済ませるとフューエルゲージも2/3迄復活したので気兼ねなく走って行く。国道162号線なんて走ったことがあるのかないのか覚えていない程久しぶりである。京都市内ではあるがそうは見えない高雄から京北町へと進み、道の駅ウッディー京北に立ち寄って一息入れる。ここはGW観光客でかなり混雑していた。美山と言えば〝伽羅ぶき〟なので、早速買い求め、早々に出発する。ただ初心者マークを付けた車が多く、駐車場の渋滞を作り出している。先に進みたい気持ちはわからなくはないが、出る車を優先しないと駐車スペースがないことくらいはわかって車を運転して貰いたいと私は思う。

道の駅ウッディー京北を後にして国道162号線から府道78・19号線、国道27号線と走り続け、道の駅和でひと息入れる。どこも同じなのか車やバイクでこちらもごった返していた。そのため喉を潤しながら一服しただけで出発する。出発後はナビの指示通り走り続け、綾部市に入り京都府道74・9号線を進むと福知山市の南有路交差点を右折し、大雲橋を左手に見ながら山手へと進んで行くと、本日の最初の目的地である〝才ノ神の藤公園〟に到着する。ここまでの走行距離は127.3kmと記録に残している。もし定石の国道9号線を走ると約110km、20km程迂回しているが、道の混雑はほぼなかったことから所要時間は寧ろ短かったかも知れない。

地図を見る限り駐車場の奥に公園があると表記されているものが多いようだが、実際には最も奥が駐車場となっている。ログハウス様のトイレが完備されており、その背後の山肌にも〝ヤマフジ〟が咲いている。正しく〝藤の苑〟である。ただ〝才の神の藤〟と書かれた〝看板〟がなぜかトイレ前にたっていることに可笑しさを覚えてしまった。勿論この〝トイレ〟の整備にも幾多の困難があったことは知っているので、その過程を忘れないために敢えてこの場所に建立されたのかも知れない。そんな思いを待ちながら、京都府指定天然記念物の〝才ノ神の藤〟を見て回ることにする。

〝藤の花咲く〟観光地と知られている才ノ神の藤ではあるが、藤の苑を作ろうとして出来上がったものではない。樹齢2,000年ともいわれる古木のヤマフジは、野生の物であり以前は御神木とされるケヤキの巨木に絡まって、根元より幹周り1mを越える6本の藤が立ち上がっていた。残念なことにケヤキの御神木は幾度となく受けた落雷によって、枝は折れ幹は裂け、樹幹のごく一部と一本の太い下枝を残すのみとなって辛うじて立っていた状況であった。しかしわずかに残った1本の太い下枝も平成25(2013)年の空梅雨の影響で遂に枯死し、かつての欅の面影を留めるものがなくなってしまった。今では小さな祠の裏手に聳えるヤマフジの古木の集まりがそのケヤキに絡まっていた姿を残し、現在にその歴史を伝えているに忍びない。また自生種のヤマフジは園芸種のノダフジと違って蔓の巻き方が違っている。ノダフジが右巻きに対し、ヤマフジは左巻きである。花穂の長い藤として知られているものはノダフジがほとんどであり、才ノ神の藤の様に花穂の短いヤマフジが、御神木のけやきの木に巻き付いた後に広がって行き、藤棚を形成するまで成長したことは長い年月をかけて自然の営みが創り出した貴重な自然遺産であると同時に奇跡的なことでもあるようだ。そのような歴史から信仰の対象となっており、藤棚の下に祀られている小さな祠がその中心となっている。信仰の歴史は大変古く第十代崇神天皇の時代に四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人として丹波に派遣された丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)がこの地を巡視された折、アリが群がる様子を見て〝人里の在りか〟を疑い、臣下の者に付近を探らせたところ、道のほとりの大木の根元にある石を拝む老人がいるのを見つけたという。不思議に思った供の者が〝いずれの神か?〟と尋ねたところ、その老人は〝才ノ神〟と答えたという。供の者がこのことを丹波道主命に伝えると、命は驚いて〝畏れ多い〟と叫び、直に駆けつけ拝んだという。この逸話よりこの地を〝蟻道(有路の語源)の里〟と呼ぶようになり、この神を祀り〝才ノ神〟として崇めるようになったと伝えられている。尤もこの丹波に赴いた四道将軍は丹波道主命の父にあたる〝彦坐王(ひこいますのみこ)〟だとしているものもあり、史実として考えるには曖昧な要素が多い以上〝伝承〟の域を超えるものではない。しかし丹波道主命はその功績により丹波国の国主となり、領国の豪族川上摩須の娘である川上摩須郎女を妻に娶り、二人の間に出来た姫の一人〝日葉酢比売(ひばすひめ)〟は第十一代垂仁天皇の后となり、その息子の大足彦(おおたらしひこ)が第十二代景行天皇となっている。この景行天皇の息子が伝説上の英雄である日本武尊(やまとたけるのみこと)であるとされていることは有名な話である。そのような繋がりから景行天皇の妹倭姫命(やまとひめのみこと)が三種の神器を奉じて丹波与謝宮に滞在されている折にこの地を訪れ、祖父である丹波道主命が基礎を作った〝才ノ神〟を改めてご祭神として崇め奉り、祠を大きく立派なものにしたという伝承も残されている。八衢比古命・八衢比売命・久名戸神と云った珍しい〝道祖神〟を祀る祠として、その後才の神は〝叡智の神〟として何事によらず祈願すれば叶えられ、道を問えば行き方を示され、道理を問えば筋道を明らかにされる、更に道祖神として旅や航海の守護神、婦人病、縁結びの神、安産の神、子孫繁栄の神としても信仰を集めて今日に至っている。別の説では才ノ神とは才能の神ではなく、塞(さい)の神のことで、〝塞〟は城塞と砦の意味もある。ここでは塞は国境を意味しており、塞ノ神は本来は村の境にあって外部からの悪しき物の侵入を防ぐ神様として祀られたものであるとしているものもあるようだ。

神話の世界の話故どこまで本当かということは抜きにして、自然の産物であるヤマフジを崇拝し続けて今に伝えている地元の方々の信仰心から出来上がっているものを見ることが出来ることに感謝の気持ちしか浮かばない。来園者がどのような思いを持って散策していることは抜きにして私自身はそのように思えたのであった。

約30m四方に広がる広い藤棚ではあるが、人が増えて来るとやはり窮屈感を覚えることは致し方ない。1時間ほど滞在して付近で後世に伝えられ続いている〝藤棚〟も見ておきたく、出発することにする。距離にして700m程走った左手の民家に〝上原さんの野田藤〟の藤棚はある。長年〝才ノ神の藤〟の世話を続け、藤保勝会の会長でもあった上原さんは、藤の季節には家の周りに藤の鉢植えを並べている。ご自慢の藤棚は家のすぐ横に作られた野田藤(九尺藤)の藤棚であり、才ノ神の藤へ行く途中の右手にある。5月上旬から10日頃にかけ花穂が100cm位にまで伸びて最も美しい時期を迎えるとあった。とは言え個人宅でもあるためあまり長居は出来ず、外観だけをカメラに収めて出発する。

一旦才ノ神の藤に戻るように走り、いぼ取り不動尊を越えたあたり左側にある〝真下さんの野田藤〟の藤棚を訪れる。真下義雄さん(故人)の藤棚は古地の谷の一番奥にあり、長年藤公園の世話を続けてこられた方である。やはり上原さんのノダフジ同様5月上旬から10日頃にかけ花穂が伸びて見頃を迎えるとあった。お宅との表記がなされていたが、藤棚の隣には農作業の小屋らしきものがあっただけだったように見えた。

真下さんのノダフジから才ノ神の藤までは道が狭いこともあり、一旦駐車場まで戻ってから折り返すことにした。有路まで出る前に左折した場所に第二目的地の普門禅寺がある。正式名称は曹洞宗圓通山普門禅寺といい、元は室町時代に現在の場所から1km程離れた矢津の権現山(ごんげんやま)に創建され、山号・寺号を普門山圓通寺と言われていた。室町時代中期の応仁元(1467)年頃に兵火で焼失し現在の場所に移され、山号・寺号を現在のものに改めている。文亀年間(1501年~1504年)に伽藍が再建され、門前は繁栄して市が開かれていた。その後幾多の盛衰を経て、延宝8(1680)年に田辺城桂林寺の末寺となる。江戸時代後期の寛政3(1791)年に火災に見舞われ山門以外の伽藍を焼失し、寛政11(1799)年に再建されている。その後本堂が豪雪・風雨などを老朽化し平成14(2002)年7月に現在の本堂が完成し、平成15(2003)年9月に客殿が完成して現在に至っている。本尊は十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)で本堂に安置されているということが由来書きに記されていた。桜や藤ツツジ、睡蓮など四季折々の花が楽しめる禅寺として知られており、才ノ神の藤が見頃の時期には特に多くの〝藤〟を楽しむ観光客が訪れるという。

車を停め先ずはお寺参りをする。再建された本堂の他庭園も綺麗に纏められており。花のシーズンには素晴らしいものが見られるように感じる。藤が…と書かれているものが多いwebサイトが多い中で、その他の花々に囲まれている〝花の寺〟のイメージが私の中では残った感じであった。この時期の主役である〝藤〟は、寺標が建立されている広場に咲いており、20年程前に作られたものであるという。紫・白のノダフジが植えられているこの普門禅寺前の広場、種類の違いが微妙に花の時期をずらしていることが良くわかるものであった。紫のノダフジはほぼ見頃、白のノダフジは間もなく見頃といったところであろうか。こちら〝だけ〟という訳ではないとは思うのだが、一説には珍しい白藤を見ると〝不死身(藤見)〟につながり、長生きするといわれているとかと書かれていた。前回の旅以降健康に恵まれたい私にとっては〝肖りたい〟気持ちは大変強いのだが…と思いながら歩いて行く。一部手入れをされている〝途中〟なのかもと思しき脚立があったりと〝手作り感〟があるのは微笑ましい限りであった。

次の目的地まで距離があることを踏まえ、山門前の〝藤庭園〟を散策して車へと戻り出発する。地元の藤シリーズで一ヶ所行けていなかったところを探すのだが、ここが良くわからない。〝中川さんの藤棚〟のことであるが、それらしき場所には行くのだが、その後ピンポイントの場所がわからない。帰ってから情報を整理すると〝上山勇さん(故人)から引き継がれた藤棚:引地の藤〟とされていることから、上原さんの野田藤同様ご自宅の〝敷地内〟を眺める必要があったことを遅ればせながら知った。もしこの時期にこの界隈を訪れることが出来たならば、事前に詳細な情報は必須ということを肝に銘じる。当日は見つからなかったので諦めて次の目的地へと向かうことにした。

ナビの指し示すまま府道55号線を走り、国道9号線に入りひた走る。右折地点にあったドライブインやくので一息入れ、府道県道273号線を走って行くと白井の集落に辿り着き、右折を2回繰り返せば白井大町藤公園の駐車場に入る…筈だった。まあ筈だったと言えば後の展開はわかりそうなものだが、入口付近が結構渋滞をしている。そのため一旦藤公園の駐車場入口を通り過ぎ、ガードマンの指示に従って右折する。つまり県道に渋滞を作らないようにするための対策であった。県道脇に沿って走る狭い道を車は回される。とは言っても全く動かない訳でもなく、動いたら止まるの繰り返しという感じである。車を停めるときにパーキングブレーキを踏んでおくこともあったので、どれ位の駐車場待ちだったかを記録してみた。山間のエリアで日暮れ時間を感じさせるこの時間でもこれだけは渋滞するのだということを改めて認識する。5kmの距離を30分程かけてやっと白井大町藤公園の駐車場に辿り着いた。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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