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《2023.June》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのXXIII宇治田原~風鈴の音に誘われて2023~風鈴寺正壽院編~<br /><br />今年も6月を迎えた。もう半年も過ぎたのか?と思うのは年を取った証拠であろう。でも何かとプライベートでは忙しい月になりそうで、3年ぶりに慰霊の日に沖縄に行くことが決定しており、また風鈴まつりも早いところでは始まることを聞いている。勿論交通費の絡みもあるために、泊りがけで出掛けるという余裕もない。ならば近場で…という条件で調べると、やはり第一に出てくるのは宇治田原の正壽院であろう。何回か行っている場所ではあるが、広過ぎない敷地に所狭しと並んでいる風鈴は、やはり見応えがある。<br /><br />京都府で言えば南の方に位置する宇治田原町の正寿院は、交通の便等を考慮するとかなり手強い場所にあると言われているが、我が街石山ならば距離的に20km程で、車ならば1時間足らずで行くことができる〝手軽な場所〟なのである。思い立ったら即行動!という訳で本年令和5(2023)年度最初の風鈴まつりは正壽院参拝に決めた私であった。<br /><br />出発後はいつもの立寄地であるローソン大津市大平一丁目店に向かう。タバコと飲み物を購入し、一服後ナビをセットして出発する。暫くはナビを無視して走る。南郷中学前を通るルートは近道ではあるが、なぜかナビに示されることはない。そんな道を走りながら南大津大橋を経て滋賀県道・京都府道783号線にて宇治田原町の岩山へ。後は国道307号線を一旦西向けに走ってフレンドマート宇治田原店に立ち寄ってひと息入れた後に、最寄りの郷ノ口郵便局に立ち寄り旅行貯金をする。しかも順番待ちをしている間に元の上司に会ったりする。まさかこんなところで会うとも思わなかったが、向こうからすれば、石山の人間が何故に宇治田原に居るのか?だったのであろう…。<br /><br />住宅地兼商店街の郷ノ口郵便局の回りには稲荷神社があった。たた鎮座する場所や祠の規模からして〝個人〟の建立のように見える。そして車へと戻り、国道を東進し宇治田原郵便局に立ち寄って旅行貯金を行う。局名からするとこちらが集配局のようにも〝普通〟は思うのだが、あくまでも本局は郷ノ口郵便局である。勿論立地条件等を考えれば当たり前なのだが…。<br /><br />宇治田原郵便局を出て国道307号線を暫く走ると道路の様子がいきなり変化する。奥山田バイパス、平成31(2019)年3月開通の新道になるが、従来の国道はこの界隈狭窄路が多く、大型車の通行量が多いにも拘らず離合が難しい場所が多々あったことから交通のネックとなっていたのだが、大福トンネルを含む自動車専用道路で直進ルートにて通過できるようにすることにより、その不安要素を取り除き、バイパス化した前後の区間も含めて走りやすくした場所である。しかし目的の正壽院に向かうには、旧道ならば迷うことはなかったものの、バイパス化されたことにより大阪方面から来ると大福トンネルを出たところをすぐに左に取り、脇道を下りて行くルートを走らねばならなくなった。このルートは正壽院に初めて向かう参拝客からは余程分かりづらいものだったらしく、正寿院のアクセスマップにも〝バイパス開通〟によって…という記載がされていた程である。私が初めて正壽院を訪れた時にもその記載は残ってはいたが、大福トンネル入口に〝正壽院へはトンネルを出てすぐ左〟と書かれているのを知っていたために迷いはしなかった。しかし走り易くなった道路故に〝左折のタイミング〟を知らずに直進してしまい、バイパスが表示されないカーナビの〝空を飛ぶ〟状況下で戻るのに苦労した話はよく聞いていた。今回もしっかりとバイパスから下りる地点は間違わず側道に入り、ここで大型観光バスの離合は出来ないだろうという道をmoveクンで軽快に走り、迷うことなく無事正壽院第一駐車場に辿り着き、車を停めることができた。<br /><br />担ぐ物は写真機材だけ。しかも昼間の参拝なので三脚はなし。という訳でPixelとiPhoneだけを持って入山する。風鈴寺と但し書きされる正壽院だけあって、風鈴もオリジナルのものを飾られている。その中でも最近はSNS映えするものとして、季節によって違う〝花が入った風鈴〟がここ数年人気を博している。年によって若干の違いはあるようだが、6月~7月初旬の〝あじさい風鈴〟、7月初旬~8月の〝ひまわり風鈴〟、9月には〝こすもす風鈴〟とその時々に合わせた花(造花)が風鈴の中より参拝客を迎えてくれる。そんな訳で最低年3回は来ないと正寿院の風鈴を〝コンプリート〟したことにはならないのである。我が街からここ宇治田原町の正寿院迄は20km強の距離故に1時間程で来ることが出来る手軽さもあり、訪れている年にはほぼ3回訪れている。<br /><br />蘊蓄はこれ位にして入山する。入山料800円と駐車料金として300円の合わせて1,100円を支払う。以前はお茶とお茶菓子のサービスがあったようだが、コロナ禍以降は〝お菓子〟の配布だけに変更となっている。入山券には客殿の入場料も含まれているために、無くさないように注意が必要だ。境内面積が際立って広いわけではなく、入山口に続く道を歩いていても境内の風鈴を見ることは可能であるが、やはりじっくり見るには境内に入ってみないとわからない。<br /><br />入口を過ぎてすぐのところにいきなり風鈴棚が待っている。中の花は6月なので〝あじさい〟である。多分同一種の風鈴だけの飾りであれば、それ程インパクトも無いように見えなくもない。敢えてそういう色の花を選んでいるのかも知れないが、青いあじさいの花が中に入っている風鈴だけだと、ガラスが透明であるがために、表面の光の反射と風鈴の音色だけの〝ありふれた風鈴まつり〟化してしまうことは想像がつく。しかしそこは風鈴寺の名の通りディスプレイも考えられており、青もみじの入った物や青赤といった〝原色〟の風鈴が絶妙のバランスで組み込まれており、見る方向が変わるだけでその印象までもが変わってしまうといった素晴らしい物となっている。<br /><br />そんな風鈴棚を潜ると本堂に至るのだが、堂内では日本全国から集めた〝特徴ある風鈴〟が吊り下げられている。こちらは風鈴まつりという〝イベント〟というよりも〝展示〟的な要素が強いのだが、やはりディスプレイが素晴らしく、単なる展示物というだけでは終わってはいない。御本尊は国指定重要文化財となっている木造不動明王坐像で鎌倉時代の仏師快慶の作である。快慶というと温雅な慈悲相の如来像を得意としていたことから、今に残るものも如来像が多いのだが、それ故に忿怒または動相の明王像としては大変珍しく貴重である。御本尊には近づけないために暗い場所にいらっしゃる不動明王様の様子をズームで撮影しても特徴が掴みづらいのだが、その辺りはちゃんと考えられており、不動明王様のお顔をパネルにしたものが置かれていた。こういった気遣いが嬉しいと思う。<br /><br />本堂の舟形庭園は靴を履き替えて見ることが出来るようになっている。手水舎の周りの壁にも風鈴が吊るされているのだが、ここには野菜を象った風鈴等ちょっと趣が異なるものが飾られている。本当にマンネリ化させない工夫が随所に施されていると感心する。ただここでひとつ気になることがあった。庭に出るためのスリッパは〝片道通行〟であるが故に、本堂に再入場する場所にどうしても集まってしまう。一応〝使われたスリッパは元の場所にお返し下さい〟とは書かれてはいるものの、それを守る者はいないのが現実であった。私が最後の一組を利用したために、次に訪れる方はスリッパが無い状態である。それも心苦しく感じるので、私が利用した物プラス二組のスリッパを返しておいた。早速利用はされていたようだが、どうやら私のような気持ちにはなれないようで、片道切符のままで終わっていたようであったが…。<br /><br />本堂を一周し風鈴の小径に出る。行きに全部見てきた筈だが、逆方向から眺めるとまた雰囲気が異なるから不思議である。居ようと思えば何時間でも居れそうな場所ではあるが時間の関係もあり、客殿へと向かうことにする。駐車場方向に少し戻り、左手に原色風鈴が飾られた風鈴棚があり、その奥に客殿の入口はあった。<br /><br />夏場は風鈴寺としての絶対的な人気のある正壽院ではあるが、その他にも猪目窓と160枚の天井画があることでも知られている。猪目窓とは古来から伝わる日本伝統文様のひとつであり、約1400年前からお寺や神社などの建築装飾として至る所に使用され、災いを除き福を招く意が込められている。また茶室などには猪目の文様を窓に装飾したことからその名が付けられたという由来があるそうだ。文章で記すと肩苦しくなってしまうのだが、今的な言葉で言うならばひと言〝ハート形の窓〟である。猪目窓を通して見る景色は四季によって色が変化し季節のうつろいが楽しめるものとなっている。春は桜のピンク色や夜桜、夏は新緑の緑、秋は紅葉の赤、冬は雪の白と四季を通して窓越しに〝色〟を楽しめるということである。春分秋分の日には、窓から差し込む陽の光がハートを描き、それがまた映えるものだということがSNSを通して広まり、この時期にはその様子をカメラに収めようと同じ目的の参拝客で混雑する。訪れた6月はそんなピーク時期ではないものの、やはりハートの窓を目的としている観光客はそれなりに居たようだ。しかし多いという程ではなく、人が捌けるのを待ってその景色をカメラに収めることは出来た。ただ窓から差し込む光はハート形ならぬ〝パンツ形〟だったのはカメラマンの腕ではどうすることも出来ないことであったのだが…。<br /><br />ちょうど人が居ない時間だったので、仰向けに寝て天井画をカメラに収める。しかし客殿則天の間の160枚の天井画はいくら超広角レンズを利用したとしても一枚の写真には収まりきらない。本来ならば〝寝て撮影〟→〝起きて移動〟の繰り返しをする筈だが、人が居ないことを良いことに〝寝たまま移動〟を決め込んだ。他人が見たらどう思うだろうと考えるも、数多い天井画を寝ながら見られることに優越感に浸っていた約一名であった。<br /><br />客殿に閉門ギリギリの時間まで滞在した後に本堂へと戻る。勿論閉門後なので境内には入ることは出来ないのだが、必ず人が写り込んでしまう風鈴棚が、この時間故に〝人が居ない〟状況でその景色を見ることが出来る。正式な拝観時間+αが所要時間となるために、私自身が平均滞在時間の倍程度を費やしているのはこのためである。<br /><br />勿論閉門後なので写真を撮りまくる事はできないために、写せる範囲で何枚かをカメラに収め車へと戻る。行きに来た道を引き返し、国道307号線を信楽方面へと走って行く。これは勿論奥山田バイパスを走り切るためではあるが、道中〝遍照院〟という行先表示を見て急遽立ち寄ることにした。高野山真言宗雲龍山遍照院(へんじょういん)というお寺さんだが、今回初めてその存在を知った次第である。それに加えて案内に書かれていた〝徳川家康の伊賀越え〟という〝サブタイトル〟もまた興味を引いた言葉である。<br /><br />天正10(1582)年6月2日の本能寺の変によって織田信長が横死し、堺にいた徳川家康が領国三河に戻る際に伊賀衆や甲賀衆に守られて無事に戻れたとされている。諸説はあるがこの折に伊賀越えをする際にこの遍照院に立ち寄って、ひと息ついたという伝承から〝家康公腰かけの石〟が境内にある寺院ということである。その他樹齢600年以上と伝わる高野槇をはじめとして四季折々の花が楽しめる。そして樹齢500年とも言われる紅梅は、龍が舞う姿に似ていることから〝飛龍紅梅〟と呼ばれており、例年3月中旬から4月上旬に可憐な花を咲かせて宇治茶の里の山奥に春の訪れを告げる役目を担っている。残念ながら花の時期ではなかったために境内にはツツジの花しか見受けられなかったのだが、〝家康公腰かけの石〟は確認でき、今はバイパス化されて分かり辛いが、国道307号線そのものが今なお主要地方道を担っていることからも往時を想像できるように思える。また境内の散策中に出て来てお話をして頂いたご住職の人当たりの良さも含め、歴史話やお寺の由来話を聞いているうちに戦国時代にタイムスリップしたように感じたのが不思議であった。最後にまた〝花の時期にいらして下さい〟との言葉を頂き、宇治田原の隠れた〝名跡〟の再訪を心に誓った私であった。<br /><br />今日はドライブがてらやって来たこともあり、早めに帰路につくことにする。遍照院の場所からだと信楽町朝宮を経て国道422号線を走って行く。途中コスモ石油セルフ&車検センター南郷SSでmoveクンのご飯とお風呂を済ませた後に、所用のために平和堂石山に立ち寄る。ここで少し時間を費やしたために車に戻った時には既に日も暮れていた。その後市営石山寺駐車場にてひと息入れた後に20:20に自宅に到着。56.4kmのドライブは久々に車に乗ったかな?と思えるものであった。<br /><br />  《終わり》

《2023.June》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのXXIII宇治田原~風鈴の音に誘われて2023~風鈴寺正壽院編~

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2023/06/12 - 2023/06/12

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

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2023/06/12

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《2023.June》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのXXIII宇治田原~風鈴の音に誘われて2023~風鈴寺正壽院編~

今年も6月を迎えた。もう半年も過ぎたのか?と思うのは年を取った証拠であろう。でも何かとプライベートでは忙しい月になりそうで、3年ぶりに慰霊の日に沖縄に行くことが決定しており、また風鈴まつりも早いところでは始まることを聞いている。勿論交通費の絡みもあるために、泊りがけで出掛けるという余裕もない。ならば近場で…という条件で調べると、やはり第一に出てくるのは宇治田原の正壽院であろう。何回か行っている場所ではあるが、広過ぎない敷地に所狭しと並んでいる風鈴は、やはり見応えがある。

京都府で言えば南の方に位置する宇治田原町の正寿院は、交通の便等を考慮するとかなり手強い場所にあると言われているが、我が街石山ならば距離的に20km程で、車ならば1時間足らずで行くことができる〝手軽な場所〟なのである。思い立ったら即行動!という訳で本年令和5(2023)年度最初の風鈴まつりは正壽院参拝に決めた私であった。

出発後はいつもの立寄地であるローソン大津市大平一丁目店に向かう。タバコと飲み物を購入し、一服後ナビをセットして出発する。暫くはナビを無視して走る。南郷中学前を通るルートは近道ではあるが、なぜかナビに示されることはない。そんな道を走りながら南大津大橋を経て滋賀県道・京都府道783号線にて宇治田原町の岩山へ。後は国道307号線を一旦西向けに走ってフレンドマート宇治田原店に立ち寄ってひと息入れた後に、最寄りの郷ノ口郵便局に立ち寄り旅行貯金をする。しかも順番待ちをしている間に元の上司に会ったりする。まさかこんなところで会うとも思わなかったが、向こうからすれば、石山の人間が何故に宇治田原に居るのか?だったのであろう…。

住宅地兼商店街の郷ノ口郵便局の回りには稲荷神社があった。たた鎮座する場所や祠の規模からして〝個人〟の建立のように見える。そして車へと戻り、国道を東進し宇治田原郵便局に立ち寄って旅行貯金を行う。局名からするとこちらが集配局のようにも〝普通〟は思うのだが、あくまでも本局は郷ノ口郵便局である。勿論立地条件等を考えれば当たり前なのだが…。

宇治田原郵便局を出て国道307号線を暫く走ると道路の様子がいきなり変化する。奥山田バイパス、平成31(2019)年3月開通の新道になるが、従来の国道はこの界隈狭窄路が多く、大型車の通行量が多いにも拘らず離合が難しい場所が多々あったことから交通のネックとなっていたのだが、大福トンネルを含む自動車専用道路で直進ルートにて通過できるようにすることにより、その不安要素を取り除き、バイパス化した前後の区間も含めて走りやすくした場所である。しかし目的の正壽院に向かうには、旧道ならば迷うことはなかったものの、バイパス化されたことにより大阪方面から来ると大福トンネルを出たところをすぐに左に取り、脇道を下りて行くルートを走らねばならなくなった。このルートは正壽院に初めて向かう参拝客からは余程分かりづらいものだったらしく、正寿院のアクセスマップにも〝バイパス開通〟によって…という記載がされていた程である。私が初めて正壽院を訪れた時にもその記載は残ってはいたが、大福トンネル入口に〝正壽院へはトンネルを出てすぐ左〟と書かれているのを知っていたために迷いはしなかった。しかし走り易くなった道路故に〝左折のタイミング〟を知らずに直進してしまい、バイパスが表示されないカーナビの〝空を飛ぶ〟状況下で戻るのに苦労した話はよく聞いていた。今回もしっかりとバイパスから下りる地点は間違わず側道に入り、ここで大型観光バスの離合は出来ないだろうという道をmoveクンで軽快に走り、迷うことなく無事正壽院第一駐車場に辿り着き、車を停めることができた。

担ぐ物は写真機材だけ。しかも昼間の参拝なので三脚はなし。という訳でPixelとiPhoneだけを持って入山する。風鈴寺と但し書きされる正壽院だけあって、風鈴もオリジナルのものを飾られている。その中でも最近はSNS映えするものとして、季節によって違う〝花が入った風鈴〟がここ数年人気を博している。年によって若干の違いはあるようだが、6月~7月初旬の〝あじさい風鈴〟、7月初旬~8月の〝ひまわり風鈴〟、9月には〝こすもす風鈴〟とその時々に合わせた花(造花)が風鈴の中より参拝客を迎えてくれる。そんな訳で最低年3回は来ないと正寿院の風鈴を〝コンプリート〟したことにはならないのである。我が街からここ宇治田原町の正寿院迄は20km強の距離故に1時間程で来ることが出来る手軽さもあり、訪れている年にはほぼ3回訪れている。

蘊蓄はこれ位にして入山する。入山料800円と駐車料金として300円の合わせて1,100円を支払う。以前はお茶とお茶菓子のサービスがあったようだが、コロナ禍以降は〝お菓子〟の配布だけに変更となっている。入山券には客殿の入場料も含まれているために、無くさないように注意が必要だ。境内面積が際立って広いわけではなく、入山口に続く道を歩いていても境内の風鈴を見ることは可能であるが、やはりじっくり見るには境内に入ってみないとわからない。

入口を過ぎてすぐのところにいきなり風鈴棚が待っている。中の花は6月なので〝あじさい〟である。多分同一種の風鈴だけの飾りであれば、それ程インパクトも無いように見えなくもない。敢えてそういう色の花を選んでいるのかも知れないが、青いあじさいの花が中に入っている風鈴だけだと、ガラスが透明であるがために、表面の光の反射と風鈴の音色だけの〝ありふれた風鈴まつり〟化してしまうことは想像がつく。しかしそこは風鈴寺の名の通りディスプレイも考えられており、青もみじの入った物や青赤といった〝原色〟の風鈴が絶妙のバランスで組み込まれており、見る方向が変わるだけでその印象までもが変わってしまうといった素晴らしい物となっている。

そんな風鈴棚を潜ると本堂に至るのだが、堂内では日本全国から集めた〝特徴ある風鈴〟が吊り下げられている。こちらは風鈴まつりという〝イベント〟というよりも〝展示〟的な要素が強いのだが、やはりディスプレイが素晴らしく、単なる展示物というだけでは終わってはいない。御本尊は国指定重要文化財となっている木造不動明王坐像で鎌倉時代の仏師快慶の作である。快慶というと温雅な慈悲相の如来像を得意としていたことから、今に残るものも如来像が多いのだが、それ故に忿怒または動相の明王像としては大変珍しく貴重である。御本尊には近づけないために暗い場所にいらっしゃる不動明王様の様子をズームで撮影しても特徴が掴みづらいのだが、その辺りはちゃんと考えられており、不動明王様のお顔をパネルにしたものが置かれていた。こういった気遣いが嬉しいと思う。

本堂の舟形庭園は靴を履き替えて見ることが出来るようになっている。手水舎の周りの壁にも風鈴が吊るされているのだが、ここには野菜を象った風鈴等ちょっと趣が異なるものが飾られている。本当にマンネリ化させない工夫が随所に施されていると感心する。ただここでひとつ気になることがあった。庭に出るためのスリッパは〝片道通行〟であるが故に、本堂に再入場する場所にどうしても集まってしまう。一応〝使われたスリッパは元の場所にお返し下さい〟とは書かれてはいるものの、それを守る者はいないのが現実であった。私が最後の一組を利用したために、次に訪れる方はスリッパが無い状態である。それも心苦しく感じるので、私が利用した物プラス二組のスリッパを返しておいた。早速利用はされていたようだが、どうやら私のような気持ちにはなれないようで、片道切符のままで終わっていたようであったが…。

本堂を一周し風鈴の小径に出る。行きに全部見てきた筈だが、逆方向から眺めるとまた雰囲気が異なるから不思議である。居ようと思えば何時間でも居れそうな場所ではあるが時間の関係もあり、客殿へと向かうことにする。駐車場方向に少し戻り、左手に原色風鈴が飾られた風鈴棚があり、その奥に客殿の入口はあった。

夏場は風鈴寺としての絶対的な人気のある正壽院ではあるが、その他にも猪目窓と160枚の天井画があることでも知られている。猪目窓とは古来から伝わる日本伝統文様のひとつであり、約1400年前からお寺や神社などの建築装飾として至る所に使用され、災いを除き福を招く意が込められている。また茶室などには猪目の文様を窓に装飾したことからその名が付けられたという由来があるそうだ。文章で記すと肩苦しくなってしまうのだが、今的な言葉で言うならばひと言〝ハート形の窓〟である。猪目窓を通して見る景色は四季によって色が変化し季節のうつろいが楽しめるものとなっている。春は桜のピンク色や夜桜、夏は新緑の緑、秋は紅葉の赤、冬は雪の白と四季を通して窓越しに〝色〟を楽しめるということである。春分秋分の日には、窓から差し込む陽の光がハートを描き、それがまた映えるものだということがSNSを通して広まり、この時期にはその様子をカメラに収めようと同じ目的の参拝客で混雑する。訪れた6月はそんなピーク時期ではないものの、やはりハートの窓を目的としている観光客はそれなりに居たようだ。しかし多いという程ではなく、人が捌けるのを待ってその景色をカメラに収めることは出来た。ただ窓から差し込む光はハート形ならぬ〝パンツ形〟だったのはカメラマンの腕ではどうすることも出来ないことであったのだが…。

ちょうど人が居ない時間だったので、仰向けに寝て天井画をカメラに収める。しかし客殿則天の間の160枚の天井画はいくら超広角レンズを利用したとしても一枚の写真には収まりきらない。本来ならば〝寝て撮影〟→〝起きて移動〟の繰り返しをする筈だが、人が居ないことを良いことに〝寝たまま移動〟を決め込んだ。他人が見たらどう思うだろうと考えるも、数多い天井画を寝ながら見られることに優越感に浸っていた約一名であった。

客殿に閉門ギリギリの時間まで滞在した後に本堂へと戻る。勿論閉門後なので境内には入ることは出来ないのだが、必ず人が写り込んでしまう風鈴棚が、この時間故に〝人が居ない〟状況でその景色を見ることが出来る。正式な拝観時間+αが所要時間となるために、私自身が平均滞在時間の倍程度を費やしているのはこのためである。

勿論閉門後なので写真を撮りまくる事はできないために、写せる範囲で何枚かをカメラに収め車へと戻る。行きに来た道を引き返し、国道307号線を信楽方面へと走って行く。これは勿論奥山田バイパスを走り切るためではあるが、道中〝遍照院〟という行先表示を見て急遽立ち寄ることにした。高野山真言宗雲龍山遍照院(へんじょういん)というお寺さんだが、今回初めてその存在を知った次第である。それに加えて案内に書かれていた〝徳川家康の伊賀越え〟という〝サブタイトル〟もまた興味を引いた言葉である。

天正10(1582)年6月2日の本能寺の変によって織田信長が横死し、堺にいた徳川家康が領国三河に戻る際に伊賀衆や甲賀衆に守られて無事に戻れたとされている。諸説はあるがこの折に伊賀越えをする際にこの遍照院に立ち寄って、ひと息ついたという伝承から〝家康公腰かけの石〟が境内にある寺院ということである。その他樹齢600年以上と伝わる高野槇をはじめとして四季折々の花が楽しめる。そして樹齢500年とも言われる紅梅は、龍が舞う姿に似ていることから〝飛龍紅梅〟と呼ばれており、例年3月中旬から4月上旬に可憐な花を咲かせて宇治茶の里の山奥に春の訪れを告げる役目を担っている。残念ながら花の時期ではなかったために境内にはツツジの花しか見受けられなかったのだが、〝家康公腰かけの石〟は確認でき、今はバイパス化されて分かり辛いが、国道307号線そのものが今なお主要地方道を担っていることからも往時を想像できるように思える。また境内の散策中に出て来てお話をして頂いたご住職の人当たりの良さも含め、歴史話やお寺の由来話を聞いているうちに戦国時代にタイムスリップしたように感じたのが不思議であった。最後にまた〝花の時期にいらして下さい〟との言葉を頂き、宇治田原の隠れた〝名跡〟の再訪を心に誓った私であった。

今日はドライブがてらやって来たこともあり、早めに帰路につくことにする。遍照院の場所からだと信楽町朝宮を経て国道422号線を走って行く。途中コスモ石油セルフ&車検センター南郷SSでmoveクンのご飯とお風呂を済ませた後に、所用のために平和堂石山に立ち寄る。ここで少し時間を費やしたために車に戻った時には既に日も暮れていた。その後市営石山寺駐車場にてひと息入れた後に20:20に自宅に到着。56.4kmのドライブは久々に車に乗ったかな?と思えるものであった。

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