2022/06/26 - 2022/06/26
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SRさん
この旅行記スケジュールを元に
この度、東京国立近代美術館などで開催されていた「鏑木清方展」。
そこで展示されていた《築地明石町》のテーマとなった、築地居留地跡を歩こうと思います。
後半からは、上野の森美術館で「木梨憲武展」、SOMPO美術館で「シダネルとマルタン展」の、それぞれ最終日の模様をお届けします。
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《築地明石町》1927
美人画の大家、鏑木清方 (1878 - 1972) の代表作。長らく行方不明だったところを発見され、三部作を成す《新富町》、《浜町河岸》とともに東京国立近代美術館に収蔵されました。
そしてこの度「没後50年 鏑木清方展」として三部作揃っての公開。《築地明石町》の一般公開としては実に44年ぶりのことだそうです。 -
美人画でありながら、女性の髪型は当時の鹿鳴館に端を発する夜会巻き。
背景には西洋風の垣と、朝顔。そして一房、地面にぽとりと落ちている。
築地明石町は清方が幼い頃を過ごした場所の近くにあった、明治時代の外国人居留地。そこで見かけた、上流階級の女性を書いたものと言われています。
そして、その後築地明石町を含めた東京全体が、関東大震災により姿を一変させます。これは清方の脳裏にあった、既に今はない少年の日の印象を描いたものとも言えるでしょう。 -
顔の背景には、隅田川の向かいにあった佃島の帆船が書かれています。
女性の目線は、見返り美人の構図ではあるものの、やや遠くを、もう少し言えば失われた過去を振り返っているようにも見えます。
私としては、今の日本を席巻する「カワイイ」とは全く異なる、大人の美を発見したことに感動して、クリアファイルまで買ってしまったわけですが(笑)
そしたら次は、
「築地明石町って一体どこなんだろう」
という思いが膨らんできました。
そこで実際に、明石町の居留地跡を歩いてみることにしました。 -
有楽町線の新富町駅を降ります。
三部作の一つ、「新富町」の名がいきなりここで登場しますが、分かりやすい跡地が見つからないので、ここはおとなしく明石町へ向かいたいと思います。新富町駅 駅
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集団住宅の前にひっそりとガス街灯柱が立ちます。
ランプの部分は後でつけられたそうですが、コリント式の柱部分は実際に築地居留地で使われたもので、当時の雰囲気を伝えてくれます。ガス街灯柱 名所・史跡
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東京中学院発祥の地
東京中学院はアメリカのバプテストが設立した男子校で、関東学院の一つの源流になっています。東京中学院発祥の地 名所・史跡
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なんて雰囲気の良い学校だろうか・・・。
中央区立明石小学校は1908年(明治41年)東京市明石尋常小学校として開校。
今の校舎は関東大震災後の1926年(大正15年)に竣工したもの。 -
いや実に良い雰囲気。
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すごい真っ直ぐ成長しそう。私もここで育っていれば・・・(涙)
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現在の住所は、東京都中央区明石町です。
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カトリック築地教会聖堂
1878年(明治11年)、外国人居留地にギリシャ風のドーリア式の柱と彫刻を施した立派な聖堂として建てられました。カトリック築地教会 寺・神社・教会
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カトリック築地教会聖堂と銅製洋鐘は、貴重な文化財とされています。
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暁星学園発祥の地
聖堂の前に碑があります。
1888年(明治21年)、当時の築地司教座聖堂にて神父らによって開校し、移転後に「暁星学校」と命名されました。暁星学園発祥の地 名所・史跡
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"あなたがたは地の塩 世の光である"
と刻まれています。 -
小学校の角に、ガス燈とベンチ、そして碑があります。
築地居留地跡 名所・史跡
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明石尋常小学校の新校舎の階段で使われていた、花崗岩の石材を再利用したもののようです。
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「築地外国人居留地跡」の碑です。
1858年(安政5年)に結ばれた修好通商条約によって江戸の開市が決まりましたが、実際には明治元年に新政府のもとで外国人居留地が実現しました。 -
芥川龍之介生誕の地
外国人居留地であったこの場所に、大阪の実業家だった五代友厚の邸宅がありました。その死後、婦人が牛乳屋にその土地を貸し出しました。
そして牛乳屋に息子が生まれましたが、生後しばらくして母の実家である芥川家に預けられます。それが芥川龍之介でした。芥川龍之介生誕の地 名所・史跡
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聖ルカ礼拝堂
すぐ横に、工事中のブルーシートの中から礼拝堂の頭がちらりと見えます。 -
浅野内匠頭邸跡
江戸時代、この辺りは鉄砲洲と呼ばれ、大名屋敷がありました。
この聖路加国際病院を含む、築地川に面する広大な敷地はかつての赤穂藩浅野家の江戸上屋敷で、最後の当主はご存知、浅野内匠頭長矩でした。浅野内匠頭邸跡 名所・史跡
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近くに観光案内板があります。
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築地江戸前散歩
・・・日差しが強いので、反射光も尋常でないものになっています。 -
聖路加国際大学
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女子学院発祥の地
その前に碑があります。てっきり女子教育の発祥の地だと思いましたが、「女子学院」という学校名でした(無知でスミマセン)。
1870年(明治3年)に築地居留地に開設された「A六番女学校」をルーツとするようです。女子学院発祥の地 名所・史跡
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1933年に竣工した、聖路加国際病院の旧病院棟。これも、関東大震災で倒壊した旧棟に代わって建てられたものでした。
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"神の榮光と人類奉仕のため"
"ST. LUKE'S INTERRNATIONAL MEDICAL CENTER DESCIDED TO THE GLORY OF GOD AND THE SERVICE OF HUMANITY"
と彫られた碑があります。
これは1930年(昭和5年)に聖路加国際病院の定礎の際に披露されたもので、訳文の筆は、徳川家達侯爵によるものです。
しかし太平洋戦争中には、憲兵隊によって石版を遮蔽するよう命令され、御影石で覆われました。丸い穴はそのとき打ち付けられた釘の跡です。そのとき病院名も一時「大東亜中央病院」に変更させられています。
ですが戦争末期にこの町がアメリカ軍の爆撃を免れたのは、この聖路加病院があったからとも言われています。現在の明石町は一言でいうなら、聖ルカの町とも言えるのです。 -
トイスラー記念館
1933年に竣工し、聖路加国際病院の院長だったルドルフ・トイスラーに看護教育宣教師として招かれたアリス・セントジョン女史の宿舎として使用されていました。
1989年、現在の場所に保存のため移築されています。トイスラー記念館 名所・史跡
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アメリカ公使館跡石碑
1874年(明治7年)から1890年(明治23年)まで、この築地外国人居留地にアメリカ公使館がありました。
その遺物である5枚の石碑のうち、3枚がここに、他の2名は聖路加ガーデンにあるようです。 -
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星、白頭鷲、星条旗の石碑があります。
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アメリカの国鳥である白頭鷲の石碑。
星の数は、合衆国初期の13州を示しています。 -
その反対側にトイスラー院長の碑があり、そこに聖路加国際病院の理念が刻まれています。
"キリスト教の愛の心が 人の悩みを救うために働けば
苦しみは消えて その人は生まれ変わったようになる
この偉大な愛の力を だれもがすぐわかるように
計画されてできた生きた有機体がこの病院である" -
トイスラー記念館を通りから。
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立教女学院 築地居留地 校舎跡記念碑
立教女学院 築地居留地 校舎跡記念碑 名所・史跡
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”立教女学院は1877年キリスト教に基づく女子教育を目的に、米国聖公会により派遣されたC.M.ウイリアムズ主教によって、湯島に創立された。1882年立教女学院は築地居留地に移転して、新校舎を建設し、1923年の関東大震災までこの地にあってその教育事業を継続した。立教女学院のキャンパスは現在久我山にある。”
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聖路加国際病院の緑地は市民も歩けるようになっています。
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立教学院発祥の地
1874年(明治7年)に外国人居留地に開かれた「立教学校」という私塾がルーツで、1907年(明治40年)に「立教大学」を設置、1918年(大正7年)に現在の池袋に移転しています。
ちなみに立教の創立者ウィリアムズ主教と、聖路加国際病院の創設者トイスラー医師はともに米国聖公会に属していました。立教学院発祥の地 名所・史跡
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日本近代文化事始の地
宣教師に頼らず、自ら進んで西洋の学問を志す者達もおりました。日本近代文化事始の地 名所・史跡
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蘭学の泉はここに
中津藩中屋敷がこの辺にありました。その藩医であった前野良沢は、長崎でオランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』を入手します。江戸へ戻った前野は、1771年(明和8年)に刑者の解剖に立ち会い、書の正確さに驚いて翻訳を決意し、『解体新書』として完成させます。蘭学事始地 名所・史跡
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慶応義塾開塾の地
1858年(安政5年)、福沢諭吉が中津藩中屋敷にて蘭学塾を開きました。
これをもって慶応義塾の起源としているようです。慶応義塾開塾の地 名所・史跡
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同時に日本近代文化発祥の地ともなっているようです。
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なんと、キリスト教国でもない日本に「聖ルカ通り」があります。
でも英文は〔SEIRUKA DORI ST.〕なんですね。なんか、もどかしい(笑)聖ルカ通り 名所・史跡
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アメリカ公使館跡
先ほどお話したアメリカ公使館の跡地がこちら。その後赤坂の現在地に移転するまでここにありました。アメリカ公使館跡 名所・史跡
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そして、その場所に建つのが・・・現在の聖路加レジデンス。
旧公使館は、1890年(明治23年)に「メトロポール・ホテル」として暫く営業していましたが、1907年(明治40年)業績不振によりに帝国ホテルに身売りされ、1909年(明治42年)にはホテルとしての幕を閉じました。
この街にとってメトロポールは一種のランドマークだったようで、木下杢太郎の「築地の渡し」という詩にも詠われています。
房州通ひか、伊豆ゆきか。
笛が聞える、あの笛が。
渡しわたれば佃島。
メトロポオルの燈が見える。 -
聖路加ガーデン
中に入ってみました。
ふう・・・(すずしい)聖路加ガーデン 名所・史跡
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ヘンリー・フォールズ住居跡
飲み物を買って街歩き再開。指紋研究発祥の地(ヘンリー・フォールズ住居跡) 名所・史跡
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ヘンリー・フォールズ (1843 - 1930)
スコットランド一致長老教会の宣教師として来日、築地病院(聖路加国際病院の前身とは別)を開いて診療を行う。
大森貝塚の発掘に参加、土器に残された古代人の指紋に興味を持ち、人の指紋が固有のものであることを初めて発見した。 -
明治学院発祥の地
創立者はかの有名なジェームス・カーティス・ヘボンです。北アメリカ長老教会の宣教医として来日し、1863年(文久3年)横浜にヘボン塾を開設します。その後1877年(明治10年)には築地居留地に「東京一致神学校」を設立しました。この碑はそのことを記念しています。
そして、ここまでこの街に外国人宣教師の足跡が多い理由についてですが・・・。
そもそも、外国人居留地と聞いて真っ先に思い浮かべるのって、横浜の方だと思います。それもそのはず、この明石町は大型船が停泊できる施設がなかったため、商業、貿易の点では横浜にお株を奪われてしまいました。
しかし、静かな明石町には逆に宣教師たちがやってきます。彼らは同時に優れた教育者、科学者であることも多く、ここが西洋式教育の一大拠点になりました。明治学院発祥の地 名所・史跡
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女子聖学院発祥の地
集合住宅の脇にひっそりと置かれています。女子聖学院発祥の地 名所・史跡
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1905年(明治38年)、米国外国伝道協会から派遣されたバーサ・クローソンによって、婦人伝道者の養成を行うための女子聖学院が設立されました。
その後一般教育を行う女学校が附設されましたが、志願者が振るわない神学部が青山学院と合併し、普通科のみになったようです。
この碑は生垣に覆われて読めない部分もありますが、きれいな碑だと思います。 -
バス停「明石町」。
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青山学院記念の地
ふう・・・東京のミッション校総ざらいですか(笑)青山学院記念の地 名所・史跡
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青山学院の源流である、米国メソジスト監督教会の宣教師により創立された3つの学校のうち、「女子小学校」が「救世学校」を経て発展した「海岸女学校」がここにあったそうです。
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佃大橋に来ました。
《築地明石町》に描かれていた、佃島の帆船の風景が今どうなっているか、見に行きましょう。 -
隅田川に出たら、丁度水上バスが通りかかりました。
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タワマンと、タワマン・・・あとタワマンが見えます。
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佃大橋
1964年、オリンピックに合わせて隅田川に掛けられた橋で、それまで三百年以上通っていた佃の渡しに代わりました。佃大橋 名所・史跡
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中央大橋
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これが現在の佃島。左にある面白い建物が石川島灯台。真ん中に見えるのが住吉水門。
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運上所跡
江戸幕府が鉄砲洲明石町を居留地と定めたとき、ここに税関である運上所を置きました。つまりここが「東京税関発祥の地」でもあるようです。
この碑は「治作」という水炊きのお店の入口近くにあります。運上所跡 (東京税関発祥の地) 名所・史跡
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電信創業之地
電信創業之地 名所・史跡
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電信創業記念碑の由来
"明治2年9月19日(太陽暦10月23日)横浜裁判所と東京築地運上所に設けられた「傳信機役所」を結ぶ約32キロメートルの電信線架設工事が開始され、同12月25日に業務を開始した。これが、我が国における公衆電気通信の最初である。
この記念碑は、先駆者の業務を後世に伝えるため、昭和15年に建立されたもので、昭和53年、南南東約40メートルの地点から当地へ移設されたものである。" -
月島の渡し跡
月島の渡し跡 名所・史跡
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月島は明治になって新たに埋め立てられた島。その事業が完成してまもなく、1892年(明治25年)には早くも手漕ぎの船で渡し船が出るようになったと書かれてあります。
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備前橋跡
築地川公園 公園・植物園
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"築地から明石町へゆくには、軽子橋を渡るか、本願寺裏の備前橋を渡るかするのであるが、私は軽子橋を通つた。"
と清方も書いている備前橋です(渡ってないんかい)。 -
手前の、少しかまぼこ型に盛り上がった道路が、おそらく橋の跡でしょう。そして向こうに伸びる公園が築地川の暗渠、現在の築地川公園です。
これにて築地明石町歩きを終わります。明治期の少年にとって、まさに文明開化の渦中の街の人々を目の当たりにしたことは、幾つになっても忘れられない印象を残したのだろうと思います。 -
つきじかんの
築地と来たら、築地場外市場。
この日の気温は、まだ6月だというのに既に35度。
雲丹も溶ける、私も溶ける・・・しかし、味は最高。つきじかんの お弁当屋 グルメ・レストラン
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築地本願寺
この日は結婚式が執り行われていました。築地本願寺 寺・神社・教会
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参拝する気もないのに、とにかく水に触れたくて手を洗う。向こうの蓮の花が、本当に極楽浄土に見える・・・。
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西郷隆盛像
上野に来たでごわす。上野恩賜公園 公園・植物園
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上野の森美術館
木梨憲武展、最終日。上野の森美術館 美術館・博物館
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すごい行列。
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木梨憲武画伯 (1962 - )
一週間前。 -
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《Flower》
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《フラワー》
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《REACH OUT》
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《REACH OUT LOVE》
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《REACH OUT サンゴショー》
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《Innocent -無心-》
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場内の雰囲気なんだけど、なんとなく「陽」の気で満ちている。
「こんが才能なんだー」「すげー」って感想言い合いながら見てる感じ(笑) -
《REACH OUT・Glass》
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《REACH OUT Tree》
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マチダが入ってた。
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これは旅の絵シリーズ。
私が行ったところのある所の絵を見てみました。
まずはタージマハル。 -
そして香港。
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セーヌ川
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リアル過ぎでしょ。
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《セーヌ川》
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見ていて思うのは、木梨憲武はアーティストであると同時に、やはり生粋のエンターテイナーなんだということ。
これは会場の人も言ってたんですけど、みんな顔が笑っている。
作品も、こちらをクスッと笑わせてくれるようなものや、「陽」の気にさせてくれるものが多い。 -
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《フェアリーズー街ー》
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富士山シリーズ。
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《窓》
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《ouchi》
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この辺はダミアン・ハーストっぽい。
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《菜の花》
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あと思ったのは、これだけ多様な作風の作品を作り続けること自体、物凄く器用な人じゃないとできない。
そういう意味で、本当の意味でタレントなんだなと思いました。 -
《感謝》
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ありがとござました。
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おわりでごわす。
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喫茶室ルノアール
ただの水分ではなく濃い「冷」が欲しくなりアイス・カフェオレを。
バターチョコレートケーキも美味しい。 -
損保ジャパン本社ビル
最後の力を振り絞って新宿へ来ました。損保ジャパン本社ビル((旧安田火災ビル) 名所・史跡
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「シダネルとマルタン展」最終日です。
律儀にも、予約したものは時間通りに来る私です。 -
SOMPO美術館
副題は「最後の印象派、二大巨匠」。
アンリ・ル・ シダネル (1862 - 1939) は、モーリシャス島に生まれ、8年後にフランス北部のダンケルクに移り住みました。
一方のアンリ・マルタン (1860 - 1943) は南仏のトゥールーズ出身です。
同じフランスでも北と南が、どう出るかですね(それ以外よくわからんw)。
この展示は、4枚だけ撮影可の作品がありましたので、とりあえずそれらを見ていきます。SOMPO美術館 美術館・博物館
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マルタン《ガブリエルと無花果の木》
ある医師宅に4つの南仏の壁画を予定していたマルタンは、そのうち《田舎の昼食》の習作としてこの絵を描き上げました。 -
マルタン《二番草》
これも壁画のための習作と考えられています。南仏らしい美しい自然と陽光、人々の営みが描かれています。 -
シダネル《ジェルブロワ、テラスの食卓》
地味と言われるシダネルですが、のびやかな人の姿が描かれていたマルタンの作品とは違い、無人。しかし人の気配をそこはかとなく感じさせます。
ジェルブロワは、シダネルが移り住んでバラの庭を造り、村中にバラを勧めたお陰で現在「バラの村」として知られる美しい村になりました。 -
ゴッホ《ひまわり》
トリは、ゴッホのひまわり。
これは日本がバブリィだった1987年に当時の安田火災海上、現損保ジャパンが約53億円で落札したもの。
今回の印象派と何か関係あるの?というつっこみはなしで(笑) -
HP・MP共に底をつきつつあるので、もう帰りましょう。
東京モード学園コクーンタワー 名所・史跡
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モード学園コクーンタワー
2008年竣工。確かにその辺りから見かける気がする。
今度、入って中でコーヒーでも飲んでみますか。
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