蘭学事始地
名所・史跡
3.35
蘭学事始地 クチコミ・アクセス・周辺情報
築地 観光 満足度ランキング 34位
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
『解體新書』はここで
4.5
- 旅行時期 2023/04
- by ワンダラーさん
江戸時代末期に、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵ほかが、 ドイツ語からオランダ語に翻訳された医書『ターヘルアナトミア』を ... 続きを読む苦労して日本語(漢文)に翻訳し、 『解體新書』の原稿を作成したのが、 当時の鉄砲洲中津藩屋敷で、現在は明石町のこの地。 安永3年(1774年)発行のこの解剖学書が、西洋医学知識普及に役立った。 杉田玄白らは、処刑された罪人の死体を『腑分け』したりして、西洋解剖学を学んだと聞いている。 『顔の真ん中で、うず高きもの』は『鼻』というように、一つ一つの単語の翻訳から始めた苦労が偲ばれる地。 中津藩と縁が深い慶應義塾図書館によれば、 『当時、杉田玄白らは、原著者のクルムスをドイツ人ではなくオランダ人と思い、『Ontleedkundige tafelen』が、ドイツ語からオランダ語への翻訳本であることを知らなかったようです。』 とされていて、グーグル翻訳などができる今日の常識では全く想像できない世界だったようです。 閉じる
クチコミ・評判
3.35
(42件のクチコミ)- アクセス:
- 3.43
- 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約4分290m by Lily-junjunさん
- 人混みの少なさ:
- 3.56
- 石碑などを見ている間前の歩道を通る人が時折いる位でした by 風来坊之介さん
- バリアフリー:
- 3.25
- 周りに段差が多少あるが整備されているので大丈夫でしょう by 風来坊之介さん
- 見ごたえ:
- 3.24
- 赤と黒の御影石で造られた立派な石碑なのに何の石碑なのか分からないのが残念に思います by 風来坊之介さん
1~20件(全42件中)
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福沢諭吉がこの地で蘭学塾の教師にしたことから慶応義塾の歴史は始まります。
- 3.5
- 旅行時期:2024/01(約2年前)
- 0
「慶應義塾発祥の地記念碑」へのアクセスは、東京メトロ日比谷線「築地駅」の3b出口を出て、右折し、「聖ルカ通り」沿いに290... 続きを読むmほど道なりに直進すると、「居留地中央通り」と「聖ルカ通り」の交差点のところにある三角州のスペースに「慶應義塾発祥の地記念碑」があります。
「慶應義塾発祥の地記念碑」が何故ここに建立されたかというと、幕末の頃にまで遡ります。実は、現在の地(築地鉄砲洲)に「福沢諭吉」の出身である「中津藩中屋敷」があり、安政5年(1858年)に「中津藩中屋敷」内の蘭学塾に「福沢諭吉」が教師に就任したことが、「慶應義塾」のルーツということで記念碑が建立されました。そして、慶應4年(1868年)に、蘭学塾を芝の新銭座(現在の港区浜松町付近)に移し、イギリスのパブリックスクールにならって近代的学塾として、当時の元号にちなんで、「慶應義塾」と命名しました。そして、明治4年(1871年)3月23日に三田に校舎を移転し、「三田の慶応義塾」の歴史が始まりました。「慶應義塾発祥の地記念碑」は、昭和33年(1958年)4月23日に「慶應義塾創立100周年」を記念して、「聖路加国際病院」敷地内に建立されましたが、中央区の道路整備に伴って現在地に移されました。特徴的な書籍型オブジェには、「学問のすすめ」の初編初版本の活字と同じ字型で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の文字が刻まれています。また、その隣には「蘭学の泉はここに」の碑も立っています。ちなみに、築地鉄砲洲の「中津藩中屋敷」は、藩医であった「前野良沢」が「解体新書」を翻訳した地でもあるそうです。
01_【「慶應義塾発祥の地記念碑」の一口メモ】
所在地…〒104-0044 東京都中央区明石町11-11
02_【「慶應義塾発祥の地記念碑」へのアクセス】
⑴ 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約4分290m
⑵ 東京メトロ有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩約6分450m
閉じる投稿日:2024/02/04
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解体新書の図。
- 4.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
- 0
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解体新書とのつながり
- 4.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
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「解体新書」を翻訳した地
- 3.0
- 旅行時期:2022/05(約4年前)
- 0
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石碑の文章はかなり読みにくくなっている
- 2.5
- 旅行時期:2021/12(約4年前)
- 0
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蘭学研究や近代医学が芽生えるきっかけとなった場所
- 3.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 0
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築地にあったとです。
- 3.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 0
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「解体新書」を完成した場所
- 4.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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蘭学事始地
- 3.0
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
- 0
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解体新書の絵が使われている
- 3.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
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この石碑を 蘭学事始地 と言うとは気が付きませんでした
- 2.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
中央区明石町界隈を散策の折、聖路加国際病院の南側を走る聖ルカ通りと居留地中央通りの交差点の南西角の三角地で見掛けた二つの... 続きを読む立派な石碑だが、左側の石碑を「慶応義塾発祥の地」と言い、右側の石碑は「蘭学の泉はここに」と言うのかなぁ~ と思っていたところです。
それは、二つの石碑の前にある案内板に、「慶応義塾発祥の地」と「蘭学の泉はここに」と記されているからでした。
ところが、散策が終わってから知ったが、右側の石碑は、蘭学事始地 と言うらしいことです。
しかし、散策の折二つの石碑をいろいろ見た と思っていたが、蘭学事始地 と言うとは気が付きませんでした。
機会をつくりまた行ってみようと考えているが、初めて見ても分かるように説明書きなどを是非付けて欲しい と思います。 閉じる投稿日:2020/03/26
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解体新書の型をした石碑です
- 3.5
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
聖ルカ通りの聖路加国際大学向かいにある緑地帯に日本近代文化事始の地の案内板が立っています。「慶應義塾発祥の地」と「蘭学の泉... 続きを読むはここに」の2つが記されています。右奥に本を開いた型の石碑があります。それが中央区教育委員会が作成した文化財めぐりマップに載っている蘭学事始地です。豊前国中津藩藩医の前野良沢が杉田玄白らと共に中津藩奥平家中屋敷内で解剖書を翻訳し、解体新書を完成させました。この地に中津藩奥平家中屋敷があったことから蘭学事始地としたことがわかりました。さらに後に福沢諭吉が中屋敷で蘭学塾を始めたことで2つの石碑が立っていることに納得しました。赤石と黒石を使った2つの石碑は見ごたえあるものです。残念ながら蘭学事始地碑の左側の文章は見難くて読めませんでした。 閉じる
投稿日:2020/01/29
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慶應義塾大学の発祥地と解体新書の翻訳の地は同じ中津藩中屋敷だった
- 4.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
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初夏らしい光景でした
- 3.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
- 0
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解体新書の人体図が描かれていました
- 3.5
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
- 0
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聖路加ガーデンの近くにあります
- 3.0
- 旅行時期:2019/01(約7年前)
- 0
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解体新書
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
- 0
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解体新書
- 3.0
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
- 0
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蘭学事始の碑
- 3.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
- 0
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解体新書を翻訳した地
- 3.5
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
- 0
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