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蘭学事始地

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築地

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蘭学事始地 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10004621

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施設情報

施設名
蘭学事始地
住所
  • 東京都中央区明石町9
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(42件)

築地 観光 満足度ランキング 36位
3.35
アクセス:
3.43
東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約4分290m by Lily-junjunさん
人混みの少なさ:
3.56
石碑などを見ている間前の歩道を通る人が時折いる位でした by 風来坊之介さん
バリアフリー:
3.25
周りに段差が多少あるが整備されているので大丈夫でしょう by 風来坊之介さん
見ごたえ:
3.24
赤と黒の御影石で造られた立派な石碑なのに何の石碑なのか分からないのが残念に思います by 風来坊之介さん
  • 「慶應義塾発祥の地記念碑」へのアクセスは、東京メトロ日比谷線「築地駅」の3b出口を出て、右折し、「聖ルカ通り」沿いに290...  続きを読むmほど道なりに直進すると、「居留地中央通り」と「聖ルカ通り」の交差点のところにある三角州のスペースに「慶應義塾発祥の地記念碑」があります。
    「慶應義塾発祥の地記念碑」が何故ここに建立されたかというと、幕末の頃にまで遡ります。実は、現在の地(築地鉄砲洲)に「福沢諭吉」の出身である「中津藩中屋敷」があり、安政5年(1858年)に「中津藩中屋敷」内の蘭学塾に「福沢諭吉」が教師に就任したことが、「慶應義塾」のルーツということで記念碑が建立されました。そして、慶應4年(1868年)に、蘭学塾を芝の新銭座(現在の港区浜松町付近)に移し、イギリスのパブリックスクールにならって近代的学塾として、当時の元号にちなんで、「慶應義塾」と命名しました。そして、明治4年(1871年)3月23日に三田に校舎を移転し、「三田の慶応義塾」の歴史が始まりました。「慶應義塾発祥の地記念碑」は、昭和33年(1958年)4月23日に「慶應義塾創立100周年」を記念して、「聖路加国際病院」敷地内に建立されましたが、中央区の道路整備に伴って現在地に移されました。特徴的な書籍型オブジェには、「学問のすすめ」の初編初版本の活字と同じ字型で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の文字が刻まれています。また、その隣には「蘭学の泉はここに」の碑も立っています。ちなみに、築地鉄砲洲の「中津藩中屋敷」は、藩医であった「前野良沢」が「解体新書」を翻訳した地でもあるそうです。

    01_【「慶應義塾発祥の地記念碑」の一口メモ】
    所在地…〒104-0044 東京都中央区明石町11-11

    02_【「慶應義塾発祥の地記念碑」へのアクセス】
    ⑴ 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約4分290m
    ⑵ 東京メトロ有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩約6分450m
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    投稿日:2024/02/04

  • 『解體新書』はここで

    • 4.5
    • 旅行時期:2023/04(約1年前)
    • 0

    江戸時代末期に、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵ほかが、
    ドイツ語からオランダ語に翻訳された医書『ターヘルアナトミア』を
    ...  続きを読む苦労して日本語(漢文)に翻訳し、
    『解體新書』の原稿を作成したのが、
    当時の鉄砲洲中津藩屋敷で、現在は明石町のこの地。
    安永3年(1774年)発行のこの解剖学書が、西洋医学知識普及に役立った。

    杉田玄白らは、処刑された罪人の死体を『腑分け』したりして、西洋解剖学を学んだと聞いている。
    『顔の真ん中で、うず高きもの』は『鼻』というように、一つ一つの単語の翻訳から始めた苦労が偲ばれる地。

    中津藩と縁が深い慶應義塾図書館によれば、
    『当時、杉田玄白らは、原著者のクルムスをドイツ人ではなくオランダ人と思い、『Ontleedkundige tafelen』が、ドイツ語からオランダ語への翻訳本であることを知らなかったようです。』
    とされていて、グーグル翻訳などができる今日の常識では全く想像できない世界だったようです。
      閉じる

    投稿日:2023/05/24

  • 解体新書の図。

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/10(約2年前)
    • 0

    「蘭学の泉はここに」と「慶応義塾発祥の地」の碑が二つ並んで、看板には「日本近代文化事始の地」と書かれていました。慶應義塾の...  続きを読む碑のほうが、前にあって目立っている気がしましたが・・。並べて設置してもよさそうなものですが。蘭学事始の碑には解体新書の文字と人体図が刻まれていました。  閉じる

    投稿日:2023/01/06

  • 解体新書とのつながり

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/05(約2年前)
    • 0

    日比谷線築地駅から歩いて5分ほど、聖路加国際大学とあかつき公園の間にある小さな緑地にこの石碑がありました。石碑は本を開いた...  続きを読む形になっていて、右側に解体新書の人体解剖図、左側にその説明が刻まれています。文字はやや読みにくいですが、解体新書翻訳に至った経緯が記され、関わった人々の驚きと意気込みが伝わってきます。  閉じる

    投稿日:2023/03/07

  • 「解体新書」を翻訳した地

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/05(約2年前)
    • 0

    聖ルカ通りと居留地中央通りの交差点にある記念碑で、中津藩の藩医だった前野良沢が「解体新書」を翻訳した地だったことから「蘭学...  続きを読むの泉はここに」の記念碑が建っています。
    本を模した大きな記念碑ですが、併設されている「慶応義塾開塾の地」碑は由来も良く読めるのに対し、蘭学事始の碑は刻まれている文字はかなり読みづらかった。
    折角の記念碑なので改善を望みます。  閉じる

    投稿日:2022/12/22

  • 石碑の文章はかなり読みにくくなっている

    • 2.5
    • 旅行時期:2021/12(約2年前)
    • 0

    江戸時代の学者、杉田玄白が執筆した蘭学事始の記念碑が建てられていました。石碑には人体の解剖を記した解体新書が刻まれていて、...  続きを読む言葉の壁を超えるための大変な苦労が想像できました。石碑の文章はかなり読みにくくなっているので、説明書きがあると良かったのにと思いました。
      閉じる

    投稿日:2022/01/08

  • 中央区明石町には数々の史跡がありますが、こちらの史跡は東京都の指定文化財で、観光ガイド「中央区歴史・文化ガイドブック」にも...  続きを読む掲載されています。
    石碑が設置されている場所は、蘭学研究や近代医学が芽生えるきっかけとなった地で、シンプルで大きな石碑は風格充分という印象でした。  閉じる

    投稿日:2021/10/15

  • 築地にあったとです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2021/05(約3年前)
    • 0

    この蘭学事始地には今は石碑がたてられています。この場所は江戸時代には中津藩奥平家の屋敷があったのです。この場所で杉田玄白が...  続きを読む「蘭学事始」を書き上げたのです。解体新書への取り組みなどを書き残したのです。大きな本型の石碑です。隣には慶應義塾発祥の地の碑があります。  閉じる

    投稿日:2021/07/05

  • 「解体新書」を完成した場所

    • 4.0
    • 旅行時期:2021/03(約3年前)
    • 0

    聖ルカ通りぞいの三角地帯にあります。大きなモニュメントです。江戸時代に備前国中津藩奥平家の中屋敷があった場所です。中津藩医...  続きを読むの前野良沢、若狭国小浜藩医の杉田玄白、蘭方医の中川淳庵・桂川甫周などがこの屋敷に集まり、オランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」の解読を行いました。安永3年(1774)「解体新書」と題した翻訳書を完成させました。教科書でおなじみの・・と思い出しました。  閉じる

    投稿日:2021/04/10

  • 蘭学事始地

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/07(約4年前)
    • 0

    聖路加病院の近くにある蘭学事始地。
    当時日本の誰もやったことがないオランダ語の翻訳は大変困難な仕事だった。彼らは、オラン...  続きを読むダ語を文字で学んだのではなく、オランダ人が話す言葉を耳で聞いて覚えていったのだ。
    そして、杉田玄白らが、豊前国中津藩奥平家の屋敷で解体新書を完成させた。  閉じる

    投稿日:2021/06/27

  • 解体新書の絵が使われている

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/02(約4年前)
    • 0

    築地にあります。本の形をしており、右は赤い石で左は青い石になっています。右側に絵が描かれていますが、これは有名な解体新書に...  続きを読む使われた絵です。やはり蘭学=解体新書というイメージができるほど杉田玄白のしたことが偉大だということでしょう。  閉じる

    投稿日:2022/12/13

  •  中央区明石町界隈を散策の折、聖路加国際病院の南側を走る聖ルカ通りと居留地中央通りの交差点の南西角の三角地で見掛けた二つの...  続きを読む立派な石碑だが、左側の石碑を「慶応義塾発祥の地」と言い、右側の石碑は「蘭学の泉はここに」と言うのかなぁ~ と思っていたところです。
     それは、二つの石碑の前にある案内板に、「慶応義塾発祥の地」と「蘭学の泉はここに」と記されているからでした。
     ところが、散策が終わってから知ったが、右側の石碑は、蘭学事始地 と言うらしいことです。
     しかし、散策の折二つの石碑をいろいろ見た と思っていたが、蘭学事始地 と言うとは気が付きませんでした。
     機会をつくりまた行ってみようと考えているが、初めて見ても分かるように説明書きなどを是非付けて欲しい と思います。  閉じる

    投稿日:2020/03/26

  • 解体新書の型をした石碑です

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/01(約4年前)
    • 0

    聖ルカ通りの聖路加国際大学向かいにある緑地帯に日本近代文化事始の地の案内板が立っています。「慶應義塾発祥の地」と「蘭学の泉...  続きを読むはここに」の2つが記されています。右奥に本を開いた型の石碑があります。それが中央区教育委員会が作成した文化財めぐりマップに載っている蘭学事始地です。豊前国中津藩藩医の前野良沢が杉田玄白らと共に中津藩奥平家中屋敷内で解剖書を翻訳し、解体新書を完成させました。この地に中津藩奥平家中屋敷があったことから蘭学事始地としたことがわかりました。さらに後に福沢諭吉が中屋敷で蘭学塾を始めたことで2つの石碑が立っていることに納得しました。赤石と黒石を使った2つの石碑は見ごたえあるものです。残念ながら蘭学事始地碑の左側の文章は見難くて読めませんでした。  閉じる

    投稿日:2020/01/29

  • 築地の聖路加病院の道向かいに慶応義塾開塾の地と蘭学事始地の2つの碑が並んで立っていますが、ここにあった中津藩奥平家の中屋敷...  続きを読むがどちらも同じ舞台になっていて、ここで1771年に中津藩の医師、前野良沢が杉田玄白らと一緒に、オランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」(「解体新書」)を翻訳して、日本の医学の近代化がスタートした場所でもあるようです。  閉じる

    投稿日:2020/01/25

  • 初夏らしい光景でした

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/06(約5年前)
    • 0

    築地駅近くのビジネスホテルに宿泊した際、朝食後の散策中に史跡巡りをしました。「蘭学事始の地」の石碑は、「慶應義塾発祥の地」...  続きを読むの石碑と隣接して設置され、「日本近代文化事始の地」と記された案内板がありました。背後には緑が茂り、初夏らしい光景でした。  閉じる

    投稿日:2019/06/14

  • 解体新書の人体図が描かれていました

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/03(約5年前)
    • 0

    築地や月島あたりのエリアを散策中こちらの場所へ立ち寄りました。聖路加国際病院に近い聖ルカ通り沿いの三角地になったところに石...  続きを読む碑が置かれています。杉田玄白らが翻訳した解体新書を完成させたことから、ここが蘭学事始めの地とされているのだそうです。
      閉じる

    投稿日:2019/03/17

  • 聖路加ガーデンの近くにあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/01(約5年前)
    • 0

    中央区明石町の聖路加ガーデンの近くに蘭学事始地碑があります。この場所にはかつて中津藩下屋敷があり、中津藩の蘭学者・前野良沢...  続きを読むがオランダ語の医学書を初めて日本語に翻訳し、【解体新書5巻】を完成させたのだそうです。蘭学は武家屋敷から始まったのですね。   閉じる

    投稿日:2021/03/05

  • 解体新書

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/12(約5年前)
    • 0

    豊前国中津藩の藩医で蘭学者であった前野良沢と杉田玄伯らが良沢邸に集まり、オランダ語訳『ターヘル・アナトミア』を日本語に翻訳...  続きを読むした「解体新書」が西洋語からの本格的な翻訳書として日本初であることから中津藩の藩邸があったこの場所に蘭学事始地の碑が立っています。
    石碑を見ることで日本史を復習することが出来て良かったです。ただ、石碑の彫りが浅いので文字や図柄が良く見えないのがもったいない感じです。  閉じる

    投稿日:2018/12/31

  • 解体新書

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/05(約6年前)
    • 0

    築地の北東の明石町、聖路加国際大学とあかつき公園の間の通りの交差点に島中状の場所がありますが、そこに蘭学事始地の石碑は立っ...  続きを読むています。一緒に「慶応義塾発祥の地」もありますので、すぐにわかるかと思います。かつてこの地には中津藩の藩邸があったそうで、ここで「ターヘル・アナトミヤ」の翻訳が行われ、「解体新書」が作成されたことで「蘭学事始地」の石碑があるのですね。まさにこの地で翻訳が行われていたと考えると感慨深いですね。  閉じる

    投稿日:2018/12/24

  • 蘭学事始の碑

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/02(約6年前)
    • 0

    蘭学事始の碑は、聖路加国際病院の前の三角地帯に慶應義塾開塾の碑と並んでありました。江戸時代、この地で蘭学者の前野良沢、杉田...  続きを読む玄白らによってオランダ語の医学書である「ターヘル・アナトミア」が翻訳し、「解体新書5巻」を完成させたそうです。石碑は立派なもので解体新書の人体図が刻まれていました。  閉じる

    投稿日:2018/02/17

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