2016/08/27 - 2016/08/27
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blumentalさん
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毎年夏に夫婦で行く海外旅行も5回目、今回はドイツ中央辺りを東西に移動することを計画。
観光6日目、3泊したアイゼナハから西へ大移動、宿をボンに移します。ボンは12世紀以降ケルン大司教(選帝侯)が支配していましたが、1815年以降プロイセンの支配下となって成長した街です。そして1949-90年までは西ドイツの首都だった街。でも旧首都関連の建物が全く目につかない街。そして首都のイメージとはかけ離れた、とても落ち着いた雰囲気の学生の街でした。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月21日(日) 11:00関空~16:35パリ経由18:15~19:45ミュンヘン着(ミュンヘン泊)
8月22日(月) オーバーアマガウ、エッタール、ミュンヘン(ミュンヘン泊)
8月23日(火) ザルツブルク(ミュンヘン泊)
8月24日(水) アイゼナハ、ゴータ(アイゼナハ泊)
8月25日(木) ライプツィヒ、ヴィッテンベルク(アイゼナハ泊)
8月26日(金) エアフルト、ナウムブルク、ヴァイマール(アイゼナハ泊)
★8月27日(土) ボン、
ブリュール、ケルン(ボン泊)
8月28日(日) ゾースト、ミュンスター(ボン泊)
8月29日(月) リューデスハイム、マインツ(マインツ泊)
8月30日(火) 11:45フランクフルト~13:00アムステルダム14:40~(機内泊)
8月31日(水) 8:50関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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アイゼナハ駅前から見た朝のヴァルトブルク城。
3泊したアイゼナハを離れ、西に大移動。今日から宿をボンに移します。アイゼナハ7:49発のICEで出発。 -
フランクフルト空港駅に9:49着。9:58発のIC(ハンブルク行き)に乗り換えました。
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マインツからライン川が登場。ビンゲン(ICは停まりません)を過ぎるとライン川の西岸を北上します。写真はローレライの岸壁。
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ザンクト・ゴアール(ICは停まりません)を過ぎると対岸にネズミ城Burg Mausが見えます。
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コブレンツ到着数分前に、対岸に見えたラーンシュタインのヨハネス教会Johannis Kirche。ラーン川がライン川に合流する場所です。
こうやってライン川を北上していると、ボンがかなり北にあるように思えてきますが、実際は今日出発したアイゼナハよりも南にあります。(ボンより北のケルンとアイゼナハが同じくらいの緯度です) -
ボン中央駅には11:42到着。駅舎を通り抜けられず、ホームから直接駅の外に出ました。外から見て納得、駅舎はこんな状態です。
駅前のホテルContinentalにチェックイン後、ボンの観光開始です。 -
駅前のポスト通りPoststr.を北へ行くと右手にミュンスター広場Münsterplatz。広場の南側にはボン大聖堂Bonner Münster。今は逆光でどうしようもありませんが、このシルエットを見ただけでもこの教会の特徴がつかめます。
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広場に面した大聖堂の北側の面に入口があります。
※「地球の歩き方」では、ウルムやフライブルクやコンスタンツのMünsterは大聖堂と訳しているのに、なぜかボンのMünsterだけはミュンスター教会と命名しています(意図が不明)。ミュンスターという名前の教会があるみたいで変ですね。 -
大聖堂の北側入り口、扉の上です。
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おお、カトリック教会。この3日間、プロテスタント教会たっぷりの街ばかり訪問していたものですから、違いがすぐに感じ取れます。
身廊の天井は非常に高く、柱も壁も白を基調に要所要所に装飾が施されています。
(左)内陣側。(右)拝廊側。 -
内陣に向かって。
11世紀にロマネスク様式の修道院教会として建てられましたが、現在の建物は1239年の火災後に再建されたもので、ロマネスクからゴシックの過渡期に作られました。 -
内陣は階段を上がって少し高い位置にあります。正祭壇はずっと奥、よく見えません。内陣入口の両側にバロックの脇祭壇があります。内陣の下には地下聖堂があるようです。
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内陣手前の階段より向こうには入ることができません。聖歌隊席を挟んで後陣までかなり奥行きがあるようです。写真はあきらめて、絵葉書を買いました。
祭壇はずっと奥です。後陣のドーム天井は絵画で覆われているようです。 -
17世紀以降、バロック様式の備品が追加されました。内陣両脇の祭壇もそうです。
写真は左側の脇祭壇のキリスト像。 -
内陣横の翼廊から歌声。何の集まりでしょうか、歌の練習中。
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しばらく鑑賞(観察?)。翼廊の壁面には興味をひく装飾が並んでいますが、これではあそこには近づけません。ということで内陣の地下へ降りました(写真右下)。
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地下礼拝堂です。実際の墓はさらにこの地下にありますが、限られた期間しか入れないようです。
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ここにはボンの守護聖人、カッシウスとフロレンティウスの聖遺物箱があります。3世紀、キリスト教徒である仲間のローマ兵を殺せというローマ皇帝の命令に逆らった彼らは、ボンのこの場所で処刑されました(おそらく伝説)。
遺物箱の周囲は青銅のフレームで固められています。 -
拝廊側。この大聖堂は二重内陣式で建てられたそうですが、現在はどう見てもこちら側は内陣とは思えません。
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北側の側廊の側面(説明下手)。
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パイプオルガン(1961年製作)。外函は木製の彫刻で飾られています。
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オルガンの下には聖ヘレナ(246-330)の像。彼女は皇帝コンスタンティヌス1世の母で、カッシウスとフロレンティウスのための墓を建て、この大聖堂はその上に建てられたということになっています。
とにかく彼女は伝説だらけ。キリストが磔になった十字架を見つけたのは彼女、キリストの脇腹を刺した槍を見つけたのも彼女、そして東方の三博士の遺物を見つけたのも彼女。すごい、トレジャーハンター! -
大聖堂の南側に連結して回廊があります。回廊の大部分は12世紀に建築された当時のままの姿のようです。
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中庭は綺麗に手入れされています。
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(左)中庭の北西側。(右)中庭の北東側。
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(上)中庭の東側。(下)中庭の西側。
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回廊は中庭の四面を囲んでいましたが、13世紀に大聖堂の拡張によって、回廊の北翼部分が大聖堂の側廊に変えられました。
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次は隣のミュンスター広場。ボンの象徴的風景といえばこれですね。
後ろの建物は旧郵便局Altes Postamt。1751-53年に修道院の大執事(司教代理)の邸宅として建てられました。1877年から2008年までは中央郵便局として機能していました。 -
今回の旅行の訪問先では、音楽家なんて全く意識していなかったのに、モーツァルト、バッハときて、今回はベートーヴェンが登場。
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)は、こちらの生まれ。
1845年8月にこの記念像の除幕式があり、後ろの建物のバルコニーにいたヴィクトリア女王夫妻は、幕が引かれた時、ベートーヴェンが自分達に尻を向けていたので驚いたそうです。 -
大聖堂の尖塔と一緒にシルエット。大聖堂の尖塔は5基あり、中央の尖塔は高さ81mです。
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次はこちら、ミュンスター広場からレミギウス通りRemigiusstr.を北に行くと三角形のマルクト広場Marktがあります。
広場の中央にはマルクトの泉Marktfontaine(水があったかなあ?)。1777年にケルン選帝侯(大司教)マクシミリアン・フリードリヒ(在位1761-84)の命令でオベリスクが建てられました。 -
マルクト広場の東側にはロココ様式の旧市庁舎Altes Rathaus(1737-38年建設)。
1944年10月の連合軍の爆撃で外壁のほとんどが焼失し、1949-50年に再建されましたが、以前あった漆喰の装飾は省かれたそうです。1949年にボンが首都になって以降は、国賓訪問の場となりました。 -
これがボン市の紋章ですね。
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1978年、別の地区に新市庁舎Stadthausができてからは、市政には使われていません。おっ、中に入れるみたいですね。入口は2階。
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確か3部屋ほど見ることができましたが、宮殿でも博物館でもありませんので、特筆することはありません。
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天皇皇后両陛下の御写真もありました(1993年3月)。日本のder Kaiserとdie Kaiserinです。
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市庁舎の階段の上から見たマルクト広場の北側風景です。頭が覗いている2基の尖塔はナーメン・イエス教会。
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市庁舎の階段の下ではベートーヴェンがレストランの客引きをしていました。ベートーヴェンっていつも不機嫌な顔のイメージですが、愛想笑いくらいできたのでしょうか。
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マルクト広場の西端から北へ延びるボン通りBonngasseに入るとすぐにナーメン・イエス教会Namen-Jesu-Kircheが見えます。
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でも、狭い通りに面しているため、斜めからしか撮れません。2基ある塔の高さは53m。
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ナーメン・イエス教会は1686-1717年にイエズス会が建てた教会です。現在は、1870年代にローマ・カトリック教会から分離してできたドイツ語圏の宗派である復古カトリック教会Altkatholische Kircheに属します。
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中に入ると人がぎっしり。これから何かの催しが始まるようです。さすがに前に出ていくわけにはいかないので、後ろからおとなしく撮影。
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中はバッロク様式ながらすっきりした感じ。特に柱の装飾が特徴的です。青の縦縞と点線なんて珍しいですね。
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正祭壇(1755年作)と説教壇。
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教会からボン通りを少し北に行くとベートヴェンの家Beethoven-Hausがあります。
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ベートーヴェンは1770年12月17日にこの家で生まれ、22歳でウィーンに移るまでこの家に住んでいました。そして彼は二度とボンに戻ってはきませんでした。
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ボン通りの路上にプレートが埋め込まれていました。当然ながら、この人はすぐわかるのですが。。。
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この人は誰でしょうか。きっとベートーヴェンゆかりの女性のはず、彼は独身でしたが、彼の恋した女性なら「エリーゼのために」のエリーゼ(と推定されるテレーゼ・マルファッティ)に違いないと思っていました。
でもこれは間違い。旅行記を書く時になって、これそっくりのクララ・シューマンの写真を見つけました。しかし、クララと何の関係があるのでしょうか。彼女のお墓がボンにあること以外、ボンとの関連も知りません。 -
ボン通りを北に抜けるとオックスフォード通りOxfordstr.という大通りに出ます。右折して東に進むとライン河畔ですが、その手前にあるオペラハウスOpernhaus。
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ライン河畔(川の西岸)のブラッサートゥーファー通りBrassertuferです。
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ライン川に架かるケネディ橋Kennedybrücke(長さ394m)。1945年3月、連合軍のライン渡河を防御するため、ドイツ軍自らで橋を爆破しました。同時期のレマゲン鉄橋の攻防は有名ですね。この橋は1948-49年に再建されました。
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ライン川を渡ろうかと思いましたが、この後行く予定のケルンで渡ることに。ライン河畔を南に進むと、ライン川KDラインのボン船着場もありました。
この後コンヴィクト通りを西にボン大学に向かいました。 -
大学の敷地内に入った途端、地下鉄の駅に出くわしました。すごいですね、キャンパス内に地下鉄とは。横を素通りしてレギーナ・パシス通りRegina-Pacis-Wegを南西に進むと。。。
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選帝侯宮殿Kurfürstliches Schlossの前、ホーフガルテンHofgartenに出ました。宮殿は現在ボン大学Universität Bonnの講堂です。
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とにかく広いの一言。ホーフガルテンは18世紀に、ケルン選帝侯クレメンス・アウグスト(在位1723-61)の宮殿庭園として造られました。この選帝侯が建てた別荘宮殿がブリュールのアウグストゥスブルク城です(これから行ってきます)。
向こう(南東)にぽつんと見えるのはアカデミー美術館Akademisches Kunstmuseumです。 -
1697-1705年に選帝侯ヨーゼフ・クレメンス(在位1688-1723)によって4翼からなる壮大な選帝侯宮殿が建てられましたが、1777年の火事で主要部分が焼失した後、ホーフガルテンに面した棟のみが再建されました(それがこれ)。
しかし1794年にフランス革命軍によって占領され、選帝侯の宮殿ではなくなりました。 -
イチオシ
ウィーン体制後はこの地はプロイセンの支配下となり、1818年にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世(在位1797-1840)はこの建物を利用して新たにボン大学を設立しました。正式名はラインニッシェ・フリードリヒ・ヴィルヘルムス大学Rheinische Friedrich-Wilhelms-Universität(通称ライン大学)です。
この写真を撮るために、ホーフガルテンの中央まで走りました。 -
これ以前にも別のボン大学があって、それは1777年設立のケルン選帝侯アカデミーKurkölnische Akademie Bonnが、1786年に学位授与できるよう改組してできたボン大学です。しかし1795年にライン川左岸一帯はフランスに併合され、この大学は1798年に閉鎖されました。
ベートーヴェンが学生だったのはケルン選帝侯のボン大学(1789年法学部入学)です。その後学生はウィーンに旅立ち、楽聖になります。 -
広ーいボン大学ですけれど、キャンパスはここだけじゃありません。確か市内に分散しているはずです。
写真はレギーナ・パシス通りの西から。宮殿の右端の塔部分が宮殿教会Schloßkircheです。 -
贅沢な恵まれた環境です。ここの大学生は授業の後、この広い芝生に寝っころがるんでしょうね。
次にレギーナ・パシス通りを西に通り抜けて、大聖堂方向に右折しました。 -
アム・ノイトーア通りAm Neutorの先に大聖堂が見えます。
手前左側にあるのはハリボーのお店。世界最大のグミ会社ハリボーは1922年にボンで誕生しました。私はグミは好みませんが。 -
イチオシ
マーティン広場Martinsplatzに出ました。
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やっとで、日当たりの良い大聖堂にお目にかかれました。
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大聖堂の南東側から。木で隠れていますが、左側が回廊部分になります。
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大聖堂の東側から。後陣部分です。
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大聖堂の北側に戻ってきました。ミュンスター広場側です。
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何やらお目出たいシーン。
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さて、ケルンに行くため駅に向かいます。
大聖堂の西側にあるのはマーティンの泉Martinsbrunnen。 -
聖マーティン祭(11月11日、カトリック教会の祝日)のごちそうのために子供たちがガチョウを捕えるという、ドイツ農村部で毎年行われていた古い習慣を表す記念碑です。
オリジナルの像が造られたのは1902年ですが、大戦中にブロンズ像は溶かされたので、1958年にオリジナルの石膏の鋳型で再鋳造されたそうです。よくそんな古い鋳型が残っていたものですね。 -
ボン観光は一旦中断して、ケルンとついでにブリュールにも行ってきました。
15:32ボン発のRBで15:45ブリュールに途中下車した後、16:13発のREで16:28ケルン着。ケルン観光をして、18:32発のICでボンに戻ってきました(18:55着)。
写真はケルン大聖堂とホーエンツォレルン橋。
(ケルン、ブリュール)https://4travel.jp/travelogue/11751079 -
イチオシ
再びボンに戻ってきました。先程より4時間後のミュンスター広場の姿です。明らかに人が増えています(今19:20)。
ベートーヴェンには悪いけど後ろ姿の方がいいですね。大聖堂の尖塔と並べて撮れるんで。 -
ミュンスター広場の北端からヴィヴァツ通りをVivatsgasseを西に行くと、半円形の塔がありました。
名前はシュテルン門Sterntor。英語でスターゲートと呼んだ方がかっこいいですね。これは門を真横から見ていることになります。半円でなく円形だったら、後ろを通り抜けられません。 -
門の表側に廻ってみると子供たちが噴水で遊んでいました。のどかな風景ですが、19:30でも水浴びをしているとは。
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正面から見たシュテルン門。
1244年に建てられた都市要塞の一部ですが、もともと50mほど北のシュテルン通りにありました。旧市街の最後の市門として残っていたのですが、交通障害と見なされ、1898年に取り壊されました。 -
1900年になって、代わりの門がここに建てられました。古い写真を見ましたが、オリジナルの門と全然違っています。半円形の塔の一部がオリジナルで、残りは他の市壁の部品を組み合わせたそうです。
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この通りのすぐ北にあるフリーデンス広場Friedensplatzにはたくさんのレストランがありました。その一軒で夕食。
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夕食後、ホテルに戻る途中のミュンスター広場、今20:40。
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広場はすごく賑やかで活気があります。この雰囲気を味わおうと、しばらくこの人ごみの中をうろうろしました。
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大聖堂の西側に沿ってガンゴルフ通りGangolfstrを帰っています。我々の宿のすぐそばにあったおもちゃ屋Puppenkönigの夜景。
観光日は残り2日。明日は北に向けてゾーストとミュンスターを訪問します。
(ゾースト)https://4travel.jp/travelogue/11753137
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