2016/08/26 - 2016/08/26
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blumentalさん
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毎年夏に夫婦で行く海外旅行も5回目、今回はドイツ中央辺りを東西に移動することを計画。
観光5日目、ナウムブルクからの帰り道、ヴァイマールに立ち寄りましたが、無計画に散策したので効率の悪い街歩きになりました。
ヴァイマールを要約すると、神聖ローマ帝国解体後はザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ大公国(長い!)の首都だった街。ゲーテが宰相を務め、ドイツを代表する文化人が住んでいた街。第一次世界大戦後に短期間(1919-33年)ながら最初の共和国になった街、ってところですかねえ。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月21日(日) 11:00関空~16:35パリ経由18:15~19:45ミュンヘン着(ミュンヘン泊)
8月22日(月) オーバーアマガウ、エッタール、ミュンヘン(ミュンヘン泊)
8月23日(火) ザルツブルク(ミュンヘン泊)
8月24日(水) アイゼナハ、ゴータ(アイゼナハ泊)
8月25日(木) ライプツィヒ、ヴィッテンベルク(アイゼナハ泊)
8月26日(金) エアフルト、ナウムブルク、
★ ヴァイマール(アイゼナハ泊)
8月27日(土) ボン、ケルン(ボン泊)
8月28日(日) ゾースト、ミュンスター(ボン泊)
8月29日(月) リューデスハイム、マインツ(マインツ泊)
8月30日(火) 11:45フランクフルト~13:00アムステルダム14:40~(機内泊)
8月31日(水) 8:50関空着
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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ナウムブルクの大聖堂を見た後、アイゼナハに戻る途中、ヴァイマールに立ち寄りました。
ナウムブルク14:44発のRBで15:12ヴァイマール着。 -
ヴァイマール駅はかなり幅のある駅舎です。歩こうかどうしようかと迷っているところにバスが来たので、1番のバスに乗ってゲーテ広場Goetheplatzで下車(一人2ユーロ)。
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イチオシ
ゲライト通りGeleitstr.を東に進むと左手にすごく目立つ、木組みの家を発見。白壁に黒い木枠が見事な家はレストランKöstritzer Schwarzbierhaus。1547年の建築です。
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さらに東に進むとヘルダー広場Herderplatz。広場の北側には通称ヘルダー教会Herderkirche。正式名は聖ペーター&パウル市教会Stadtkirche St Peter und Paulで、1498-1500年に後期ゴシック様式で建てられました。
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「古典主義の都ヴァイマール」としてまとめて世界遺産登録された建造物(15件?)の一つです。京都の世界遺産と同じ扱いですね。
それにしても外観がきれいすぎて、歴史が感じられません。この教会も宗教改革500年記念がらみで修復されたのでしょうか。 -
教会の前に立つヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803)の像(1850年建造)。彼は哲学者、文学者、詩人、神学者であり、ゲーテの文学指導の師でもありました。
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1776年、ヴァイマールで政治家をしていたゲーテの尽力で、ヴァイマール公国の宗務管区の総監督につきました(在職1176-1803)。プロテスタントの総監督はカトリックの大司教クラスに相当します。
彼と同様、ヴァイマールで亡くなったゲーテやシラーよりも先に記念像が建てられているんで、市の扱いとしては相当なものなんでしょう。 -
教会に入ると、いきなり拝廊にヘルダーの墓碑。何か新しすぎますね。ついこないだ亡くなったみたい。
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この教会は1945年のヴァイマール空襲で大部分が破壊され、1948-53年に再建されたものですから、外観も内部も新しい教会に見えます。柱、壁、天井は全部白色。
(左)内陣側。(右)拝廊側。 -
身廊と内陣。
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この教会の目玉となるのがこの主祭壇。ルーカス・クラーナハ父子による祭壇画があります(1552-55作)。クラーナハ祭壇は、1940年に他所へ移転していたので、ヴァイマール空襲による損害を免れました。
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3連画の中央パネルが「キリストの磔刑図」で、中心のキリスト磔刑場面の左側には、復活したキリストが足元に横たわる悪魔を退治する場面が描かれています。
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この絵で注目してしまうのはキリストの血しぶきです。タラタラでもなくドクドクでもなく、ピューっという感じがたまりません(残酷!)。右下の3人は、右からルター、クラーナハ、洗礼者ヨハネですが、何でルターではなく、クラーナハの頭に血が降りかかっているんでしょうか。イエスの血を浴びることは何を意味するのでしょうか(どなたか教えて下さい)。
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祭壇の左側にクラーナハの墓碑があります。彼は1553年、ヴァイマールで亡くなりました。遺体は別の場所です。ヴィッテンベルクで活躍していた彼は、亡くなる前年からヴァイマールで暮らしていました。
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内陣の左側にある脇祭壇。祭壇としては、主祭壇よりずっと豪華です。祭壇全体が見事な彫刻で覆われています。
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どの場所だったか、東方の三賢者Heilige Drei Königeの彫刻。
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拝廊側。
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パイプオルガンは1998-99年製作だから新しいですね。
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イチオシ
教会の南東側から。
外観は異なりますが、この教会はヴィッテンベルクの聖マリエン市教会と共通した印象を持ちました。どちらもクラーナハの祭壇画をお宝にしたプロテスタントの市教会であり、世界遺産だからでしょうか。 -
おっと、目の前を馬車が通過。
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ヘルダー広場の西側風景。観光馬車では何か解説中。左の路地フォルベルクス通りVorwerksgasseを東に行くと。。。
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ヴァイマール城Stadtschloss Weimarの西側に出ました。内部は城美術館Schlossmuseumになっています。この城も世界遺産。
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イチオシ
城の南西部分には門楼Torhausがあります。
ここは10世紀に建造されたザクセン・ヴァイマール公の居城だった場所です。1535年にルネサンス様式の城が完成しましたが、1774年の火災で塔と外壁を除いて焼失しました。 -
城の南側にまわります。この門楼はバスティーユBastilleと呼ばれています。
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城の塔は1774年の火災で焼けずに残りました。
1789年、カール・アウグスト公はゲーテを中心とした城建設委員会を招集し、1803年に城は再建されました。 -
イチオシ
ヴァイマール城の南側から。
城から南に伸びるデモクラティエ広場通りPlatz der Demokratieは交通量が多く、落ち着かない通りです。 -
デモクラティエ広場にあるカール・アウグスト公の像(1875年建造)。彼はわずか1歳でザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ公になりました(在位1758-1815、1815-28大公)。ゲーテをヴァイマールに招いたのは彼で、その後もゲーテの最も重要な友人であり支持者となりました。
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デモクラティエ広場の東側にはアンナ・アマーリア大公妃図書館Herzogin Anna Amalia Bibliothekがあります。アマーリア大公妃はカール・アウグストのお母さん。1691年創設の図書館で、これも世界遺産です。
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ゲーテは35年間、ここの館長を務めました。ゲーテが作った、入場料を払えば誰でも利用できるという規定は、当時としては画期的なことです。
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広場南のザイフェン通りSeifengasseを西に行くとゲーテの家Goethes Wohnhaus。1709年建築のバロック式邸宅です。1775年、カール・アウグスト公に招かれてヴァイマールにやって来たゲーテ(当時26歳)が、1782年から亡くなる1832年まで暮らした家で、これも世界遺産。
道路の反対側が工事中なので、後ろまで下がって撮れません。 -
ヴァイマールの観光スポットには偉人が暮らした家が多いのですが、今回のぶらり歩きではそんな時間はありません。全部スキップです。
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ゲーテの家からフラウエントール通りFrauentorstr.を北に進むとマルクト広場Markt。広場の西側にある市庁舎Rathausは3代目で、1841年にネオゴシックで建てられたものです。これは世界遺産ではありません。
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市庁舎前からカウフ通りKaufstr.を北に行くと突き当りにあった木組みの家。書店Eckermann Buchhandlungです。
バロック様式の邸宅よりも、こんな建物の方が目に留まります。ここで左折、マルクト通りMarktstr.を西に進みます。途中路地に迷いこみましたが、たどり着いた先は。。。 -
劇場広場Theaterplatzです。広場の西側には国民劇場Nationaltheater、そしてその前にはゲーテとシラーの記念像(1857年建造)。ヴァイマールの象徴的風景。
今16:30、この時間帯は劇場の陰でゲーテとシラーの周りは薄暗く、もっと光をって感じです。 -
シラーより背の低いゲーテを同じ身長に揃えて作成されたことは有名ですが、一体身長差はいくらあったのか? (出典や根拠も明確とは言えませんが)調べた中ではゲーテの身長169cm、シラー190cmが有力ではないかと思っています。
もしゲーテ、シラーと同時代の人がこの像を目にしたら、すぐに指摘するでしょうね。 -
どうも文学者よりも政治家のように見えます。私はウィーンの椅子に座った文豪らしいゲーテと、シュトゥットガルトのうつむき加減の詩人らしいシラーの方が好きです。
さて駅に向かう時間。ここからすぐ北にあるゲーテ広場のバス停をうっかり通り過ぎてしまったので、そのまま北へ1kmほど歩いて駅に戻りました。今回の旅行では唯一無計画に散策した街なので、すごく効率の悪い街歩きでした。 -
ヴァイマール16:59発のREでエアフルト17:12到着、17:20発予定のICEに乗り換えてアイゼナハ17:47到着の予定が、結局20分遅れでアイゼナハに戻ってきました。
写真はアイゼナハ駅から見たヴァルトブルク城。 -
明日はアイゼナハとお別れなんで、もう一度マルクト広場に。
広場の東側の面です。左端のピンクの建物はアイゼナハ市庁舎。 -
広場の南側にはゲオルク教会。夕食は一昨日と同じく、教会のすぐ横のレストランBrunnenkellerで。
今回の旅行で女房の万歩計は毎日2万数千歩程度だったのですが、今日は31,000歩。確かによく歩きました。 -
夕食後、広場から東へ「狭い家」Schmales Hausの前を通ってホテルに戻りました(20:30)。
明日はドイツ中部を西へ大移動、宿をボンに移します。バッハの街からベートーヴェンの街への移動です。
(ボン)https://4travel.jp/travelogue/11749612
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