2016/08/24 - 2016/08/24
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blumentalさん
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毎年夏に夫婦で行く海外旅行も5回目となります。今回はドイツ中央辺りを東西に移動することを計画。ミュンヘンの2泊を終え、今日からアイゼナハに宿を移してドイツ中部の旅の始まりです。
まずはアイゼナハのヴァルトブルク城からです。この城がなかったら、ルターの新約聖書の翻訳という偉業は達成されなかったかもしれないという歴史的意義が大きいだけでなく、見どころも大変多い城です。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月21日(日) 11:00関空~16:35パリ経由18:15~19:45ミュンヘン着(ミュンヘン泊)
8月22日(月) オーバーアマガウ、エッタール、ミュンヘン(ミュンヘン泊)
8月23日(火) ザルツブルク(ミュンヘン泊)
★8月24日(水) アイゼナハ、
ゴータ(アイゼナハ泊)
8月25日(木) ライプツィヒ、ヴィッテンベルク(アイゼナハ泊)
8月26日(金) エルフルト、ナウムブルク、ヴァイマール(アイゼナハ泊)
8月27日(土) ボン、ケルン(ボン泊)
8月28日(日) ゾースト、ミュンスター(ボン泊)
8月29日(月) リューデスハイム、マインツ(マインツ泊)
8月30日(火) 11:45フランクフルト~13:00アムステルダム14:40~(機内泊)
8月31日(水) 8:50関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- KLMオランダ航空
-
朝のミュンヘン中央駅です。ミュンヘン2泊を終え、今日からアイゼナハに宿を移します。
ミュンヘン7:20発のICEでフルダ10:05着、10:14発のICEに乗り換えてアイゼナハ11:05着。結構長い移動時間です。 -
アイゼナハの駅はバッハの生誕地をアピール。昨日訪れたザルツブルクのモーツァルトと同じです。
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駅前のバンホーフ通りBahnhofstr.を西に進めばすぐにホテルKaiserhof、今日から3泊する宿です。名前も外見も由緒ありそうな感じ。
ホテルの向こう(右側)に旧市街の入り口となるニコライ門が見えます。 -
ホテルにチェックイン。部屋の窓から顔を突き出すとニコライ教会の尖塔が目の前。休憩なんぞしていられません、早速観光開始。
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ニコライ門をくぐりぬけた先はカールス広場Karlsplatz。広場から見た東側の風景です。左はニコライ教会。右がニコライ門。
ニコライ門Nikolaitorは、テューリンゲン方伯ヘルマン1世(在位1190-1217)による市壁建設(1200年頃)で造られた5つの市門のうち、唯一現存する門です。 -
広場の中央に立つのはマルティン・ルターの銅像。1895年、アドルフ・フォン・ドンドルフの作です(この人、後でも出てきます)。
ルターはヴァルトブルク城の方向を向いているそうです。 -
ルターの記念像は、1821年のヴィッテンベルクの第1号を皮切りに、19世紀後半ドイツのあちこちでルター記念像の製作が流行しました。最大なのはヴォルムスのルター像で(1868年作)、それがその後のルター・イメージとして流布していったようです。
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それにしてもルーカス・クラーナハの描いたルターに比べ、銅像のルターはかなりイケメン化しているといつも思うのですが。
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ニコライ教会 Nikolaikircheの塔は色も形もすごくいいと思います。
1180年頃にロマネスク様式で建てられたベネディクト修道院教会でしたが、宗教改革によって1529年に教会は一旦閉鎖され、1555年からプロテスタントの説教が始まりました。数回の損壊の後、1886-87年に現在の姿で再建されました。 -
中は簡素な作りです。すごくあっさりした感じ。1968-71年にかけて内部が復元されたそうです。
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内陣と祭壇。
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拝廊側も特に注目するものが見つかりません。
信者らしきおばあさんとすれ違いざま、会釈をしたら、突然教会の説明をし始めました。もちろんドイツ語で。こちらはチンプンカンプンでただ愛想笑いをするだけ。説明は延々と続くので、お礼を言って逃げ出しました。ごめんなさい。 -
広場のバス停Karlsplatzです。バスの路線図、バスナンバー、次の到着時刻などが示され、実にわかりやすい。ヴァルトブルク行は10番バスで、次は12:02。これに乗ってヴァルトブルク城に向かいました。
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バスが市街を南に抜けると、右手(西)の山にヴァルトブルク城が見えました。右折して上り坂(ロイター通りReuterweg)に進むのかと思ったら、バスは直進して1km先のマリーエンタールMariental地区まで行ってからUターンしてここまで戻り、今度は城に向かって坂を上りました。
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12:20終点のバス停Wartburgに到着(乗車時間20分)。城の入り口まではさらに坂道を10分ほど歩きました。
城へ向かう階段の横にはホテルauf der Wartburg。てっきり城の一部かと思いました。 -
イチオシ
到着、ヴァルトブルク城Wartburg。日本語では城が重複しますが、ヴァルト城では変ですね。
写真は城の南半分、城は真南の方向に突き出ています。 -
こちらは城の北半分。入り口側。
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城の入り口手前に展望台があります。
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北東の風景。アイゼナハの市街を撮ろうとしましたが、大半は手前の森に隠れてしまっています(ゲオルク教会の塔の先っぽだけ確認)。
山の上には風力発電。街がテューリンゲンの森に囲まれているって感じです。 -
三十年戦争(1618-48)以降、この城は荒廃していましたが、1777年に訪問したゲーテがここを気に入り、この城を博物館として残すことを提言。城が蘇ったのはゲーテのおかげ、そして今では世界遺産。
1995年にここに来た時はまだ世界遺産に登録されていませんでした。 -
城に入る門の手前部分は木製の跳ね橋Zugbrückになっています。
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門を通過すると一つ目の中庭です。右側にチケット売り場があります。ガイドツアー料金以外に写真撮影代2ユーロ取られました。
先には門楼Torhalleがあって城の中庭を北と南に分断しています。 -
城の中央にある門の館から南の風景。南の中庭の向こうに見えるのは南の塔Südturm。あそこが城の最南端です。
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門の館を通って第二の中庭へ。南側の中庭から見た門の館です。
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その右側(東側)には本丸Bergfried、そして手前に向かって本館が伸びています。
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南側の中庭。城の南端から北の風景。
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本館となる方伯の館Landgrafenhaus。城内ツアーの入り口は右下の所です(3階建ての1階より1段低いんで地階でしょうか)。
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12:40からのガイドツアーに参加。最初の部屋には2つの石碑が並んでいました。
テューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガー(在位1056-1123)の墓碑です。1067年ヴァルトブルクの城砦を建てたのはこの人、つまり初代城主。 -
そして、1157-70年にロマネスク様式の居館などを増築し、城を現在のようにしたのは孫であるこの人。
テューリンゲン方伯ルートビィヒ2世(在位1140-72)の墓碑。 -
騎士の間を経てたどり着いたのはここ、エリーザベトの間Elisabeth-Kemenate。色鮮やかなガラスと金箔のモザイクで覆われた豪華絢爛な部屋。
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1221年、14歳のハンガリー王女エリーザベトはアイゼナハで方伯ルートヴィヒ4世(在位1217-27)と結婚。幸福な結婚生活を送り三児をもうけましたが、1227年、方伯は十字軍で逝去。その後、方伯の弟や姑に疎まれてこの城を追われ、翌年エリーザベトはマールブルクに移りました。
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マールブルクでも彼女は救貧院を造るなど、貧民や病人のために尽くしましたが、1231年わずか24歳でお亡くなりに。死後わずか4年で「聖人」になっています。
昨年、彼女の葬られているマールブルクのエリーザベト教会を訪問しました。
(マールブルク2015)https://4travel.jp/travelogue/11448405 -
もともとこの部屋にはロマネスク風の歴史画が描かれていましたが、1902-06年、皇帝ヴィルヘルム2世によってこの部屋にモザイクが施されました。
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モザイク画は、テューリンゲンにおける聖エリザベートの物語に関係した9つのシーンが描かれています。
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続いて礼拝堂を通った後、歌合戦の間Sängersaalに来ました。
写真の人はガイドのお姉さん。 -
フレスコ画にはヴァルトブルクの歌合戦Sängerkrieg auf der Wartburgの模様が描かれています(1855年作)。方伯ヘルマン1世(在位1190-1217)が1206年に宮廷抒情歌人Minnesängerを集めて催したという歌会です。敗者は絞首刑という恐ろしいルール。
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3つのアーチが印象的な高座。柱の装飾も凝っています。後ろに書かれているのは歌合戦の碑文でしょうか。
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次は方伯の間Landgrafenzimmer。この部屋の天井下、四方にずらりと絵が描かれています。その中で注目したのはこの絵(実はガイドさんが指さしたんで思わず撮りました)。
狩りに来たチューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが「待て(wart)山よわが城(Burg)となれ」と叫んだという、城の名前の由来となったシーンです。 -
どうもこの由来はこじつけのような気がします。
監視塔をWartturmあるいはWarteというそうですが、この山砦から周囲を監視していたという説の方が名前の由来として妥当だと思います。 -
次は祝宴の間Festsaalへ。
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イチオシ
奥行40mもの大広間です。ほとんど廃墟になっていたものが19世紀に再建されました。台形の格子天井は音響効果を上げるためで、現在はコンサートホールとしても使われています。
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1817年、約500人の学生が自由主義を否定するウィーン体制に抵抗し、民主主義決起集会をここで開きました。これはドイツ学生組合Burschenschaftの運動の一環でしたが、この学生集会を契機として反動的な書物を焼き払うなど過激化したため、メッテルニヒによって弾圧されました。
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祝宴の間のステージ。
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祝宴の間の背面の装飾。
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ガイドツアーはここで終わり(ちょうど1時間)。ここから先は博物館の自由見学になります。
ちらりと北の風景。城の入り口に架かる橋と展望台が見えます。 -
こんな部屋もありました。諸侯の寝室Fürstenschlafzimmer。それにしても寝台が小さい!
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美術品や家具・調度品などのいろいろな展示品がずらり。
何度かバイエルンを旅すると、こんな顔を見たらすぐにリーメンシュナイダーの名が浮かんできます。 -
マルティン・ルターとカタリナ・ルターの肖像(1526年クラーナハ作)。1525年、ルター41歳、カタリナ26歳で結婚。彼の結婚によって、プロテスタント教会における牧師の結婚という伝統ができました。
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当時の活版印刷機の復元模型が設置されていて、希望者は印刷を体験することができるようです。
ルターのドイツ語訳新約聖書は、グーテンベルクによって改良された活版印刷機によって1522年9月に初版が印刷され、広く民衆に普及しました。 -
ドイツ語圏の方言分布のパネル。点線より上は北部方言(低地ドイツ語 Niederdeutsch)で、下は中部・南部方言(高地ドイツ語 Hochdeutsch)。
現在、書き言葉としての標準ドイツ語は、ここテューリンゲン地方などで使われていた東中部方言Ostmitteldeutschです。東中部方言の特徴をもつルター訳聖書のドイツ語が広まって標準文語となったようです。 -
展示コーナーを抜けて、古い木製の廊下を歩いていくと。。。
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ルターの部屋Lutherstube。
ヴォルムス帝国会議(1521年)で帝国追放刑になったルターを、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(在位1486-1525)がここにかくまいました。 -
1521年5月から翌年3月までルターはここで新約聖書の古典ギリシャ語をドイツ語に翻訳する作業を行っています(完成は1523年9月)。翻訳作業中、ルターを誘惑しにきた悪魔にインク瓶を投げつけて出来た染みが机の前の壁に。
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イチオシ
場内見学が終わったら北の中庭に出ました(門の館から見た北の風景)。北の中庭は木組みの家で囲まれ、中世の雰囲気です。
もう14:00、ぶらぶらしながらバス亭に向かいます。 -
門を出て城をちらり。ここから眺めることができるのは城の東側の面ですので、午後は日陰になります。日当たりがいい午前の訪問がお勧めですね。
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14:25、バス停Wartburg発の10番バスでアイゼナハ駅に向かいました。
写真は山のふもとから見上げたヴァルトブルク城(車内から振り向いて撮るのに、脇腹がよじれました)。 -
14:41アイゼナハ駅に到着。
アイゼナハ観光は一旦中断、ゴータに行ってきます。 -
15:07アイゼナハ発のICEで15:21ゴータ着。ゴータの観光後、17:22発のRBでアイゼナハに戻りました(17:44着)。写真はゴータの旧市庁舎。
(ゴータ)https://4travel.jp/travelogue/11740832 -
再びアイゼナハのカールス広場からスタート。
今18:00ですがニコライ教会の時計はいつも12:00を差していることに気付きました。それにしても形の良い尖塔です。まるでうまく削れた鉛筆みたい(六角でなく八角ですが)。 -
カールス広場南端から見た北の風景。ここから西に伸びるカール通りKarlstr.を進みます。
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マルクト広場Marktplatzに到着。
広場の北側(左)にあるのはアイゼナハ市宮殿Stadtschloß Eisenach。1745-48年の建築でザクセン・ヴァイマール・アイゼナハ大公の住居でした。現在はチューリンゲン博物館です。 -
広場の東側の面です。左のピンクの建物はアイゼナハ市庁舎Rathaus。
1508年に建てられたワイン貯蔵庫を1596年から市庁舎に利用。1636年の火災後、1641年に再建。 -
広場の中央にある聖ゲオルグの泉Georgsbrunnen。
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マルクト広場の南側にはゲオルク教会Georgenkirche。
1182年にテューリンゲン方伯ルートビィヒ3世(在位1172-90)によって設立、1525年の農民戦争での損壊後、1560年にルネサンス様式で再建。その後も何度も改装が行われており、高さ62mのネオバロックの塔は1898-1902年の増築です。 -
残念ながら、教会は閉まっていました(時間が遅いから仕方ないです)。21年前に購入した絵葉書で代用します。今でも中はこんなはず。
1221年にルートヴィヒ4世とエリーザベトの結婚式が行われたのはここです。 -
ルターは1498-1501年にゲオルグ教会付属のラテン語学校に通い、ここの聖歌隊で歌っていました。そして1692年に7歳のバッハも同じラテン語学校に入学し、1695年まで在籍しています。
こちらは教会の東側です。 -
マルクト広場の南東の角(教会の南)にあるのがクロイツナッハの家Creutznacher Hausです。商人コンラート・クロイツナッハが1539年に建てた家です。上が木組みで下が煉瓦造りの綺麗な家です。屋根も感じいいですね。
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クロイツナッハの家の南側にはルター広場Lutherplatzがあり、広場に面してルターの家Lutherhausが建っています。
15歳のルターは、1498年から3年間、この家に下宿してラテン語学校へ通いました。今はルター記念館で、ルターの部屋や関連資料、クラーナハの作品などが見学できます。 -
こちらも見事な木組みの家です。右隣のガラスの建物が入り口でしょうか。以前来た時はそんなものありませんでした。
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少し薄暗くなってきましたが、ルターの家の看板です。
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まもなく19:00、マルクト広場のレストランBrunnenkellerで夕食、ビールをぐびぐび。
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レストランを出るとゲオルク教会の真ん前、今20:00。ほろ酔い加減でホテルに向かいます。
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とは言っても、すんなり帰るわけではありません。ルター広場から東に伸びるシュメルツァー通りSchmelzerstr.を進むと突き当りはヨハニス広場Johannisplatz。
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その向こうに見つけました! 「アイゼナハの狭い家」Schmales Haus von Eisenachという不名誉な(もしかして名誉か?)称号を付けられた家です。
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イチオシ
間口はわずか2.05m、奥行き約11m、高さ8.5mの2階建てです。18世紀中頃の建築だそうです。ヴェルニゲローデには「最小の家」Kleinste Hausというのがありますが、これは間口2.95mですからこちらの方がずっと狭い。
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斜めから見たらどこにあるのかよくわかりません(ちゃんと写っていますよ)。気づかず素通りでしょうね。
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「狭い家」の前から南に伸びるフラウエンベルク通りFreuenbergを進むと。。。
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バッハの家Bachhausがあります。
ヨハン・セバスチャン・バッハが生まれてから10年過ごした家ということになっていますが、実際は近くの別の家らしいです。そんなことはどうもよくて、とにかくバッハ一族の家です。右側のモダンな新館は、21年前に来た時にはありませんでした。 -
新館の前に立つバッハ像。ルター像と同じくアドルフ・フォン・ドンドルフの作(1884年)。この像は1938年まではゲオルク教会前の広場にありました。
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バッハの家から西の風景。今20:20、かなり暗くなりました。左折して道なりに北へ600m歩けば、我々のホテルです。
明日は東へ、ライプツィヒとヴィッテンベルクを目指します。
(ライプツィヒ)https://4travel.jp/travelogue/11741815
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