2016/08/22 - 2016/08/22
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blumentalさん
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毎年夏に夫婦で行く海外旅行も5回目となります。一昨年は北ドイツ、昨年は南ドイツを中心に移動したので、今回はドイツ中央辺りを東西に移動することを計画。とは言っても、大好きなバイエルンは外せません。初日はオーバーアマガウからスタートして、リンダーホーフ城まで行くことにしました。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月21日(日) 11:00関空~16:35パリ経由18:15~19:45ミュンヘン着(ミュンヘン泊)
★8月22日(月) オーバーアマガウ、
エッタール、ミュンヘン(ミュンヘン泊)
8月23日(火) ザルツブルク(ミュンヘン泊)
8月24日(水) アイゼナハ、ゴータ(アイゼナハ泊)
8月25日(木) ライプツィヒ、ヴィッテンベルク(アイゼナハ泊)
8月26日(金) エルフルト、ナウムブルク、ヴァイマール(アイゼナハ泊)
8月27日(土) ボン、ケルン(ボン泊)
8月28日(日) ゾースト、ミュンスター(ボン泊)
8月29日(月) リューデスハイム、マインツ(マインツ泊)
8月30日(火) 11:45フランクフルト~13:00アムステルダム14:40~(機内泊)
8月31日(水) 8:50関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- エールフランス KLMオランダ航空
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毎年夏に3年連連続してフィンエアを利用していましたが、なぜかこの夏は高かったので今回はKLMに変更。但し、行きはエアフランスとの共同運航らしくパリ経由です。
11:00関空発のエアフランスで出発、16:35パリ到着。 -
シャルル・ド・ゴール空港は20年ぶり。昔の記憶なんてないから、初めてみたいで新鮮です。
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18:15発の便に乗り換えて19:45ミュンヘン到着。写真はミュンヘン空港。
ミュンヘン空港駅20:25発のS-bahnに乗って21:10ミュンヘン中央駅到着。この日は夕食にも出歩かず、明日に備えてホテルでおとなしく就眠。 -
さて翌朝です。ミュンヘン中央駅は朝からいい匂い。
ホテルの朝食をたっぷり食べていても、もっと美味しそうなものが並んでいれば手が出てしまいます。 -
本日最初の目的地はオーバーアマガウ。インスブルック方面に向かうローカルトレインの乗り場は駅の端の方にあります。
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乗り込むのが早すぎたのか、一番乗り。ミュンヘン8:32発のRBで出発です。
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座席のテーブルにはこの路線の地図が刷り込まれていました(この図、ミッテンバルトの扱いが小さいですなあ)。
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だんだんと乗客だけでなく、自転車も増えてきます。
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9:27ムルナウに到着、ここで乗り換えです。(ムルナウは私にとってすごく懐かしい場所なんですが、本編と関係ないんで省略)
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ムルナウ9:42発のRBでオーバーアマガウに向かいます。
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我々の座った隣にKinderspielecke(子供の遊び場)と書かれた座席がありました。子供がテーブルに座って窓に張り付いています。
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この路線は単線なんで、途中の駅(Bad Kohlgrub駅)では列車行き違いのため反対方向の列車が待ってくれてます。ムルナウ、オーバーアマガウ間の駅で、プラットフォームが2つあるのはこの駅だけ。のどかな風景です。
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10:21に到着した終着駅オーバーアマガウは何か停留所みたいな感じでした。線路沿いの建物が駅舎かと思って撮ったら、スーパーと倉庫でした。
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駅舎なんてあったのかどうかわからないまま、駅前のバーンホーフ通りBahnhofstr.を東に進むとすぐにアマー川にでました。橋から北の風景、何という清々しさ。
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橋から南の風景。2か月前に山のないオランダを旅したので、こんな風景には大感激。バイエルンアルプスを見ると南ドイツに来た気がします。
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橋を渡って通りを東に進むと、花の装飾たっぷりのホテルが登場。ホテルSchilcherhofです。バルコニーに自転車が張り付いています。
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イチオシ
通りの名前がドルフ通りDorfstr.に変わったとたん、ぎっしりと並んだゼラニウムに目を奪われました。レストランHafner Stuben(兼ホテルWolf)です。
それにしてもメインストリートの名前が村通り(Dorfstr.)というのは素朴でいいですね。 -
ドルフ通りに面した建物。右は民族衣装の店Paulisch、木造のベランダがいい感じ。
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土産物屋が登場して、観光地の雰囲気が高まります。
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ドルフ通りにあるブロンズ像Rottwagen記念碑(2000年作)。ここでC国の観光客軍団がにぎやかに登場、なんか嫌な予感。
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つい写真を撮りたくなるようなこの建物はギフトショップKäthe Wohlfahrtです。
予想通り、C国観光客10数名は撮影スポットを占拠。ここで撮影していた我々に、自分らの集合写真を撮るのに邪魔だからと追い払う仕草をします。さらに彼らは交互に記念撮影を始めました。不快さの入り混じった風景です。 -
ここら辺りから、壁にフレスコ画が描かれた家が登場します。これはリュフトル絵画と呼ばれ、バイエルン南部からチロル地方の農村部で流行しました。
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村の中心地、ドルフ広場Dorfplatzに到着。広場というほどの広場ではありません。東西道路だったドルフ通りはこの広場でカーブして南に伸びています。
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まず目につくのは広場の北側に建つホテルAlte Post。とてもいい位置に陣取っています。
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広場の西側にはギフトショップDer Heinzeller。2階部分の北側の面(上)と東側の面(下)は全面フレスコ画です。背景が塗りつぶされているせいでしょうか、他の家の絵と雰囲気が違って感じられます。
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広場の東側には由緒ありそうな名前のホテル・ヴィッテルスバッハWittelsbach。バイエルン王家の名前を勝手に使ってもいいのか、それともゆかりの人がオーナーか。フレスコ画がないのは庶民の家と一緒にしてほしくないからか(全くの想像です)。
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広場の南側には木彫り彫刻の店Lang sel. Erben。オーバーアマガウは木彫りでも有名な村ですね。建物の北側の面。
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イチオシ
こちらは同じ店の東側の面。同じ建物とは思えませんね。しかし、どちらの面も素晴らしい。
この家は小説家ルートヴィヒ・トーマ(1867-1921)の生まれた家です(と言っても作品を知りませんが)。2階の右の方に書かれています。 -
広場の南側にあった噴水。名前は不明。
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広場の南端から北を振り返って。ここからドルフ通りは南に伸びています。左は木彫り彫刻の店Lang sel. Erben、右奥はホテル・ヴィッテルスバッハ。
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広場南端から南の風景。このままドルフ通りを南に進みます(キリスト受難劇場には無関心なルートです)。左の建物はクリスマスショップKäthe Wohlfahrt。
写真の背景にいつも登場する山はコフェル山Kofelです(標高1342m)。 -
ドルフ通りを南に。通りに面して靴店Laufgut-Wolf。フレスコ画の家が続きます。
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ドルフ通りを南に。教会の尖塔が見えてきました。
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ドルフ通りを南に。美容院と花屋が同居していますね。
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これはホテルやショップではなく、純粋な民家でしょうか。花で飾られたバルコニー、手入れの行き届いた緑いっぱいの庭。うらやましいお宅です。
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このお宅の庭越しに見えた西側の風景。この通りから外れてもフレスコ画の家はたっぷりありそうです。
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聖ピーター&パウル教会Pfarrkirche St. Peter und Paul。カトリックの教区教会です。
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教会敷地内への入り口付近にあった戦争慰霊碑Kriegesmahnmal。
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教会の敷地内に墓地が併設されています。完全火葬の国民にとって、土葬のお墓は興味あります。とにかく綺麗なのにびっくり。
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墓石も綺麗、花壇も綺麗、手入れが行き届いていますね。我が家のお墓も少しは手入れせねばと思えてきます。
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カトリック思想の影響で、以前はドイツは土葬主体の国でしたが今は違います。21世紀に入り火葬が増え、ドイツ全体の火葬の割合は2010年以降5割を超えました。
※2017年(旅行の翌年)のドイツの火葬率は62%になっています。 -
あまり期待せずに中に入ったらびっくり。見事なバロックの世界です。
外見は大したことないのに内部は豪華で美しいバロック教会がドイツ南部にはたくさんありますね。 -
天井を埋め尽くすフレスコ画に目を奪われます。
この教会は1735-49年にバロック様式で建設されました。 -
内陣です。主祭壇だけでなく、両脇の祭壇の周りまで彫刻でいっぱい。
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拝廊側。2階にキリスト磔刑像、3階にはパイプオルガン(1893年作)。
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オルガンの装飾は天井のフレスコ画とうまく調和しています。
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教会の前から南に伸びるエッタール通りEttaler Str.を進みます。通りに面した地ビールレストランAmmergauer Maxbräu。牛が顔を覗かせています。
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今歩いてきた北方向を振り返って。このままエッタール通りを南にどんどん進みます。
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イチオシ
教会から南へ500m、場所としては村はずれになりますが、通りを挟んでマリー・マットフェルド・ハウスMarie-Mattfeld-Hausの施設があります。道の東側には「ヘンゼルとグレーテル」の壁画の家がありました。
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壁一面に「ヘンゼルとグレーテル」のストーリーが描かれています。ド派手な外観ですね。
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ここはドイツ系アメリカ人のオペラ歌手マリー・マットフェルド(1900年代初めに活躍)の資金集めによって建てられた施設です(1922年設立)。最初は孤児院でしたが、現在では治療教育を含む統合保育所になっています。こちら側が施設の本館です。
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その向かい(通りの西側)には「赤ずきん」の壁画の家があります(1953年建設)。こちらはマリー・マットフェルド・ハウス別館の託児所のようです。
※「D社の歩き方」はこれらの施設を「普通の民家」として紹介していますが、ちょっと違うのでは。 -
家を眺めながら、子供に話を聞かせてやれそうな外観、まさにメルヘンハウスって感じです。これだけグリム童話に貢献していながら、メルヘン街道から遠く離れているのが残念。
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赤ずきんの壁画の家の左隣には施設の別館がもう一軒、「ブレーメンの音楽隊」の壁画の家。こちらの建物のフレスコ画は壁全面というわけではなく、ドアの上にぽつんと描かれているって感じでした。
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イチオシ
通りから西の風景ですが、あのコフェル山の向こう側にリンダーホーフ城があるはずです。次の場所に移動するためにバス停を探さねばなりません。
それにしてもここでは誰にも会いません。我々夫婦だけの静かな観光です。 -
エッタール通りをさらに南へ。通りでも誰ともすれ違わず、唯一見かけた人といえば、バルコニーから手を振ってくれたこのおっちゃんだけ。この建物は庭付きの宿泊所Villa Asihです。
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おっ、バス停を発見。バス停の名前はHexenstube、教会から800mの場所。
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バス停の裏には同じ名前のレストランHexenstube(魔女の部屋)がありました。店の壁には魔女のフレスコ画。
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店の入り口では魔女がお出迎え。
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バスが来るまでの数分間、のどかな風景を鑑賞。青空になってたらいいのですが。
間もなく9622番のバスが来ました。Hexenstube11:29発のバスで次の訪問地リンダーホーフ城に向かいました(11:55着)。
(エッタール)https://4travel.jp/travelogue/11714271
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