2016/08/28 - 2016/08/28
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blumentalさん
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毎年夏に夫婦で行く海外旅行も5回目、今回はドイツ中央辺りを東西に移動することを計画。
観光7日目、ゾーストの次にミュンスターを訪問しました。ミュンスターはノルトライン・ヴェストファーレン州にある人口30数万人の街です。教科書では(ヴェストファーレンではなく)ウェストファリア条約の締結場所として登場する街。大学生の多い街であり、自転車の数でもドイツトップクラスです。この日、ミュンスター城前の広場では乗馬の競技会が開催されており、予定外の体験をしました。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
8月21日(日) 11:00関空~16:35パリ経由18:15~19:45ミュンヘン着(ミュンヘン泊)
8月22日(月) オーバーアマガウ、エッタール、ミュンヘン(ミュンヘン泊)
8月23日(火) ザルツブルク(ミュンヘン泊)
8月24日(水) アイゼナハ、ゴータ(アイゼナハ泊)
8月25日(木) ライプツィヒ、ヴィッテンベルク(アイゼナハ泊)
8月26日(金) エアフルト、ナウムブルク、ヴァイマール(アイゼナハ泊)
8月27日(土) ボン、ブリュール、ケルン(ボン泊)
8月28日(日) ゾースト、
★ ミュンスター(ボン泊)
8月29日(月) リューデスハイム、マインツ(マインツ泊)
8月30日(火) 11:45フランクフルト~13:00アムステルダム14:40~(機内泊)
8月31日(水) 8:50関空着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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ゾーストを観光した後、12:48発のRBでミュンスターに移動しました(13:47到着)。
駅舎から外へ出る所で迷いそうになったのが、地下駐輪場への通路です。自転車都市ミュンスターですから、当然必要な設備ですね。 -
外に出て、駅舎を振り返るとこのとおり。ミュンスター駅は改修中で、どのような外観なのかさっぱりわかりません。
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駅前から北西に延びるヴィントホルスト通りWindthorstst.を進みます。
途中にあったマンホール。1993年が街の創立1200周年になっています。793年にフリジア(オランダ・フリースランド)の宣教師ルドガーがこの地に修道院を創設したのがこの街の始まりとされています。 -
駅前から600mほど歩くとルートゲライ通りLudgeristr.との交差点。ここを右折して北へ。
交差点に建つ携帯電話ショップ。白のペチュニアで完璧に統一された装飾は見事です。 -
ルートゲライ通りは歩行者天国。通りの向こうにランベルティ教会の尖塔が見えます。
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すぐに市庁舎の塔Stadthausturmが登場。ルートゲライ通りから見た塔の南側の面です。
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こちらは塔の西側の面です。
1902-07年にネオルネッサンス様式で市庁舎が建てられ、大戦時の空襲で市庁舎は破壊されましたが、塔だけが奇跡的に残りました。
但し我々の目指す市庁舎はこれではなく、4軒先にあります。 -
ここを南端として北にプリンツィパルマルクトPrinziplalmarktが延びています。通りの両側に切妻破風の建物が立ち並ぶショッピング街です。
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ショッピング街は全てアーケードになっています。今日は日曜なんで、買い物客はいませんが。
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ミュンスター旧市街は世界大戦で9割が破壊されましたが、プリンツィパルマルクトは1950年代にほぼ戦前の外観に再現されています。
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トゲトゲの破風って、すごく痛そうに見えます。
目的の市庁舎は写真中央の建物です。ただの市庁舎ではなく、Historisches Rathaus(歴史的市庁舎)なんて形容詞がくっついています。 -
ミュンスターが都市権を得たのは1170年。その頃の小さな市庁舎が14世紀に拡大され、さらに高い切妻屋根の現在のゴシック様式の建物になったのは1577年です。
1944年の空襲で焼失しましたが、1950-58年にほぼ忠実に再建されています(さすがドイツ)。 -
この市庁舎で最も重要な「平和の間」Friedenssaalと呼ばれる会議室を見学しました。この広間は約10 m×15 m程度の広さで、この部屋の木製パネルや天井などは、空襲前に他所へ疎開していたので被害を免れたそうです。
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広間にあった写真です。1648年、三十年戦争を終結するため、ミュンスターのこの部屋とオスナブリュックでウェストファリア条約が締結されました。
ミュンスターではカトリック派勢力の、オスナブリュックではプロテスタント派勢力の交渉が行われ、講和文書に別々に署名をしました。これは、両派の指導者がお互いに顔を合わせることを拒否したためです。 -
イチオシ
北壁の木製ユニットの前には裁判官のテーブルと市長の座席があります。
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西側の面には肖像画がずらり。ウェストファリア和平交渉中の主権者と使者の肖像画が、南側の壁と併せて全部で37掛けられています。
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板張りの座席には見事な彫刻が施されています。どの装飾も重厚です。
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北側の面には大きな暖炉。
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こちらも見事な木彫り。残念ながらオリジナル(1577年作)は1944年の空襲で建物とともに破壊されたため、別の建物にあった暖炉(1621年作)が設置されています。
ウェストファリア条約の一部であるミュンスター条約(オランダのスペインからの独立を承認)を締結したクラメラムトスハウスKrameramtshausにあった暖炉です。 -
イチオシ
次はプリンツィパルマルクトを北に進みます。町の中心のショッピング街ですが、長~いバスも走っているんですね。
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ここには切妻破風の建物がずらりと並んでいますが、それらの形がてんでバラバラなのが面白いですね。中世の裕福な商人の自己主張でしょうか。
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プリンツィパルマルクトの北端に建つのは聖ランベルティ教会St. Lamberti Kircheです。
1375-1450年に地元商人の寄進による市民教会として建てられました。後期ゴシック様式のカトリック教会です。 -
尖塔の南側の面に「洗礼者の籠」Täuferkörbeと呼ばれる3つの鉄籠がぶら下がっています。
再洗礼派の指導者ヤン・フォン・ライデンがミュンスターの王に君臨して千年王国を築こうとします(1534-35年ミュンスターの反乱)が失敗し、他の指導者2名と共に広場で処刑されました。そして見せしめに遺骸を鉄籠に入れて吊るされたのがこれです。
※帰国後、クリストフ・ヴァルツ主演のドイツTV映画「キング・フォー・バーニング」(原題König der letzten Tagen, 1994年作)を観て、この事件と当時の世相がわかりました。 -
尖塔は基礎構造の欠陥のため傾き始めたので、1871-98年に解体・再建されました。新たな尖塔は高さ90.5mで、フライブルクの大聖堂を模して造られています(確かによく似ています)。
尖塔を再建した後までも鉄籠をぶら下げ続けるとは....徹底していますね。 -
南側の教会広場にあるランベルティの泉Lambertibrunnen。老人や子連れの女性などの像がありますが、歴史上の人物ではなさそうです。
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泉の周りには、ガイドツアーのグループ。他にも街のあちこちで見かけました。
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教会南側ポータルの彫刻は見事です。教会の入口はこちらです。
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入り口の上にある彫刻は「エッサイの系図」Wurzel Jesseという、ダビデ王の父エッサイから始まるイエスの家系図を示したものです。
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面白いのは、プリンツィパルマルクトに面した教会西側ポータルの彫刻です。こちらにも聖人の彫像があるのですが、注目するのは右の扉の両側にある像です。
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伝道者ヨハネの姿をしているのはシラー(左)、伝道者ルカの姿をしているはゲーテ(右)なんです。何で? 意図がわかりません。
今回の旅行前半ではゲーテがらみの街が多かったのですが、まさかここでも遭遇するとは...。 -
教会の内部は明るかったです。身廊周辺も内陣、天井もカトリックにしては簡素な感じ。
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聖歌隊席の奥の方に小さな祭壇がぽつり。
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後陣のステンドグラス。
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拝廊側にあるメインのパイプオルガンは結構新しいです(1989年作)。
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パイプオルガンの右側にあったキリストの磔刑像。
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プリンツィパルマルクトを眺めながら市庁舎前まで戻りました。この商店街では店の看板のかわりに、アーチ上部の壁に店名が並んでいます。それにしてもガイドツアーのグループ以外、あまり人を見かけませんね。
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イチオシ
市庁舎前を少しだけ西に進むと大聖堂広場Domplatzです。広場の北側には聖パウル大聖堂St. Paulus Domが建っています(ミュンスター大聖堂Münster Münsterとは呼ばないようです)。
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805年に初代ミュンスター司教ルドガーによって、最初の大聖堂が建設されましたが、火災に会って1071-90年に2番目の大聖堂を建設。さらに1225-64年に大規模にゴシック様式で再建して3番目の大聖堂が完成、ほぼ現在の姿になりました。
大戦時の空襲で大部分が損壊しましたが、1946-51年に再建されています(さすがドイツ)。 -
ゴシック様式の大聖堂ですが、2基の塔だけはロマネスク様式です。南側(手前)の塔の高さは55.5m、北側(奥)の塔は57.7mです。
南に突き出た翼廊の先に、天国の門Paradiesportalと呼ばれる入口があります。 -
翼廊から入って洗礼盤Taufbeckenから身廊全体を眺めるとこんな感じです。大聖堂の奥行きは109mありますから、当然身廊も長いです。
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すぐ左手、身廊北側の柱に飾られた聖クリストフォロスの像(1627年作)。幼いキリストを肩に担いで運ぶお決まりの姿です。
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身廊南側の柱に飾られた司祭オットー・フォン・ドルゲーロの碑。精密な彫刻に感心します。
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身廊中央から内陣に向かって。
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身廊北側の柱にあるブラシウス祭壇Blasius-Altar。
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身廊南側の柱にあるローレンス祭壇Laurentiusaltarの彫刻部分。
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内陣には中央祭壇らしきものはありません。
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内陣中央に吊り下げられたキリスト磔刑像Triumphkreuz(勝利の十字架)。
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内陣に向かって右側(東の翼廊の南側)に設置されているメインのパイプオルガン(1956年設置)。
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内陣に向かって右側、後陣への周歩廊。
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ここにあるのは仕掛け人形付きの天文時計Astronomische Uhrです。1408年に作られた最初の天文時計は、1534年の再洗礼派の反乱時に壊されてしまい、これは1540-42年に作られた2代目です。この時計は反時計回りに動きます。
※翌年(2017年)から天文時計の修復が始まったことを知りました。運が良かった。 -
こちらは拝廊側(西側)です。
本来でしたら大聖堂の正面玄関(西側入口)であるべき場所が、戦後の再建時にここだけ大きく変更されました。入口は壁で覆われ、聖歌隊席が設けられました。 -
壁には12の円形の丸い窓とその内側に4つの窓が設置されています。綺麗なのかどうかよくわからないステンドグラスです。
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西側壁面にあるバロック様式の中央祭壇(1619年作)。戦前までは東側の聖歌隊席にありましたが、戦後の再建時に西側に移されました。
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大聖堂の西側です。本来あるはずの玄関は塞がれて壁になっています。
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大聖堂の西隣に建つミュンスター司教区Bistum Münsterです。
この建物の北側に沿って、西方向に少しだけ歩くと。。。 -
ユーバーヴァッサー教会Überwasserkirche(別名、聖母教会Liebfrauenkirche)があります。奉献は1040年頃ですが、現在のゴシック様式の教会は1375-1450年に建てられました。
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塔は高さ64.5m。上部が平らなのは、1534年の再洗礼派の反乱時に、尖塔の塔頂部分が破壊されたからです。その後一度は再建されましたが、1704年の大嵐によって再び塔頂部分が壊れ、以降再建されていません。
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イチオシ
教会広場の南側の木立の中に、特徴的な瓦屋根の家が数軒並んでいて、すごく雰囲気の良い場所です。
右端の像はベルンハルト・オーバーベルク(1754-1826)。近隣の神学校の校長やユーバーヴァッサー教会の神父を務めた人らしいです。 -
ユーバーヴァッサー教会の西側です。残念ながら教会は閉まっていました。日曜日の教会訪問は、不発に終わる確率が高いです。
さて、ここからフラウエン通りFreuenstr.を300mほど西に向かい、旧市街の外に出ました。 -
そこには、ミュンスター城へつながる通りと広場があるはずなんですが....何か雰囲気が違います。通りの脇にはテントがずらり。
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テントを覗くと、馬?
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何やらすごい人だかり、催し物があるようです。
催しと関係あるのかないのか、ずらりと並んだ車に感激、BMW、BMW、BMW、BMW.....。 -
何と乗馬競技の大会!! ショッピング街に人通りが少なかったのはこのせいでしょうか。
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ここは城前の広場、すぐ向こうにミュンスター城Schloss Münsterが見えています。
ポスターによるとこの馬術大会Turnier der Sieger(勝者のトーナメント)は8月25~28日、今日が最終日!! この大会は毎年夏に開催されるドイツトップクラスの馬術大会のようです。
有料か無料かわからないまま、競技場入口に進みました。 -
係員に止められたんで、「馬じゃなくて城を見に来たんだ」と言ったらすんなり通してくれました(いいかげんなドイツ語でも通じたんでしょうか)。入口から観客席へ進むと....。
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うわっ、こんな風景。城の前に庭園がない!
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我々のいる観客席は屋根付きの2階建てで、広場の三辺をコの字に囲み、城側のみ露天の座席です。でもこれじゃあ、城までは行けそうにありませんな。
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城は1767-87年にミュンスター司教マクシミリアン・フリードリヒ(在位1762-84)が建てたバロック宮殿です(でも完成を待たずして1784年に亡くなりました)。彼はケルン大司教(在位1761-84)でもあったので、ボンやブリュールの城と同様、ここも大司教の宮殿です。
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1902年以降、この建物はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)Westfälische Wilhelms-Universitätになりました。この名称はここを居城としていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に由来します。戦後、この建物の外観はオリジナルに忠実に再建されました。
現在この大学は15学部、学生数約45,000人を擁するとても大きな総合大学です。 -
全く想定外の体験です。馬術競技を実際に見たのは初めて、まさかこんな所で見るとは。
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後でミュンスター城の絵葉書を購入しました。
今回見たかったのは、こんな雰囲気の城です。宮殿前が馬術競技場になっているとは。 -
城見学は建物正面だけで諦めました。
そろそろ駅に向かう時間、とぼとぼと約2kmの道のりを歩いて駅に戻りました。 -
改修中のミュンスター駅。
ミュンスター16:10発のICでボンに戻りました(18:15着)。 -
ここからはボンです。
ボン駅前のホテルで一休みした後、大聖堂広場(ミュンスター広場)Münsterplatzへ。今日訪れたミュンスターの大聖堂広場はDomplatzでした(ややこしい)。
ベートーヴェンの後ろ姿が大聖堂の尖塔と並んだ風景は私のお気に入りです。 -
現在19:00ですが、昨晩と同じくすごい人だかり。やはり何かの催しでしょうか。
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昨晩と同様、ミュンスター広場から少し北のフリーデンス広場Friedensplatzにあるレストランで夕食。
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20:20、ホテルへの帰り道です。ミュンスター広場はまだまだ大賑わい。ボンの夜を楽しむべく、広場をうろうろ。
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お年寄りがバンド演奏するステージの前では、お年寄りの観客集団で大賑わい。最後には観客を煽ってステージ前でダンスが始まりました。
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若者は若者で盛り上がっていますが、高齢者の元気で楽しんでいる姿があちこちで見られました。シニア直前の我々も老後はこうありたいと思いました。
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これでボンの夜は終わり。とうとう明日は観光最終日。
明日は宿をマインツに移して、リューデスハイムに向かいます。
(リューデスハイム)https://4travel.jp/travelogue/11772669
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この旅行記へのコメント (2)
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- nekochanさん 2022/08/16 04:23:23
- たくさん調べていらっしゃるのですね。
- こんにちは blumental さん
つい最近ミュンスターに行ったので覚えているところがいっぱいでした。
(すぐ忘れてしまうのでー('';)
たくさん調べて行かれているんですね。
わたしと夫は本を買い込んだりなどしても、結局そのまま読まず調べずに出かけてしまい、いろいろなところを見逃すということが多いです。
わたしは旅行記を書くときに本を見て復習しています。
ミュンスター城の前の広場、Scholossplatzは催しものがあることが多いようですね。
乗馬大会が見られたなんてblumentalさんラッキーでした。
それでは。お気をつけて。
これからもよい旅を。
- blumentalさん からの返信 2022/08/16 09:33:36
- Re: たくさん調べていらっしゃるのですね。
- nekochanさん、
はじめまして、コメントありがとうございます。
旅行時に予習しているのは道順だけで、そんなに調べて旅行に行っているわけではありません。旅行記を書く時になっていろいろ調べ、昔の旅を思い出しつつ、再度旅行した気分になっています。でも、たくさんの見落としに気がついていつも後悔しています。
最近ミュンスターに行かれたそうで、あわてて4トラを見ましたら、ミュンスターの一番新しい訪問にnekochanさんの旅行記があるのに気付きました。ミュンスター城にも行かれたんですね。私らは城前の乗馬大会という異様な風景を見ましたが、nekochanさんのようにミュンスター場内を通り抜けて、裏の植物園まで行ってみたかったです。旅行記、じっくり拝見したいと思います。
blumental
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