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「丹生都比売神社」を午前9時50分に出て、吉野には約1時間で到着しました。途中の道路が空いていたので良かったです。ツアーバスは上の駐車場を予約してあるようで、QRコード付きの予約券を見せていました。自家用車は午前11時前では山に登ることも並ぶことも出来ないようで、係員の方が移動するように捌かれていました。駐車場までは九十九折の道をしばらく上り、午前11時30分から午後3時まで自由時間になりました。バスのガイドさんは前々日にもここへきているようで、「金峯山寺蔵王堂」と「吉水神社」と「勝手神社」まで行って、戻って来るように言われます。また、中千本から下千本へ下る道にも下りないように言われます。実際に3時間30分ではメインストリートを「勝手神社」まで行きながら買い物をしたり食事をすると時間ギリギリでした。それくらい柿の葉寿司の「ひょうたろう」とか草餅の「萬松堂」など買い歩いているとどんどん時間が無くなります。何とか「金峰山寺蔵王堂」まで参拝しましたが、本堂の御開帳はものすごい人が並んでいるので諦めました。これは正解で並んでいたらお昼は食べられなかったと思います。お昼はすぐ近くの「やっこ」という店で桜のにゅうめんと柿の葉寿司のセット、デザートにわらび餅までついています。蔵王堂で買った散華の絵葉書を両親宛に手紙を書く時間も出来ました。ここまではほとんど商店街なので桜を眺める場所はありませんでしたが、食事の後は驚くような景色を見ることが出来ました。

トラピックス 世界遺産高野山の宿坊に泊まる壇上伽藍ナイトツアーと吉野山千本桜(5)ひょうたろうで柿の葉寿司を買い、金剛峯寺蔵王堂を目指す。

5いいね!

2022/04/06 - 2022/04/06

546位(同エリア781件中)

旅行記グループ 2022高野山・吉野千本桜の旅

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56

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

「丹生都比売神社」を午前9時50分に出て、吉野には約1時間で到着しました。途中の道路が空いていたので良かったです。ツアーバスは上の駐車場を予約してあるようで、QRコード付きの予約券を見せていました。自家用車は午前11時前では山に登ることも並ぶことも出来ないようで、係員の方が移動するように捌かれていました。駐車場までは九十九折の道をしばらく上り、午前11時30分から午後3時まで自由時間になりました。バスのガイドさんは前々日にもここへきているようで、「金峯山寺蔵王堂」と「吉水神社」と「勝手神社」まで行って、戻って来るように言われます。また、中千本から下千本へ下る道にも下りないように言われます。実際に3時間30分ではメインストリートを「勝手神社」まで行きながら買い物をしたり食事をすると時間ギリギリでした。それくらい柿の葉寿司の「ひょうたろう」とか草餅の「萬松堂」など買い歩いているとどんどん時間が無くなります。何とか「金峰山寺蔵王堂」まで参拝しましたが、本堂の御開帳はものすごい人が並んでいるので諦めました。これは正解で並んでいたらお昼は食べられなかったと思います。お昼はすぐ近くの「やっこ」という店で桜のにゅうめんと柿の葉寿司のセット、デザートにわらび餅までついています。蔵王堂で買った散華の絵葉書を両親宛に手紙を書く時間も出来ました。ここまではほとんど商店街なので桜を眺める場所はありませんでしたが、食事の後は驚くような景色を見ることが出来ました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス 新幹線 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • 和歌山県では「紀ノ川」と呼ばれていましたが、奈良県に入ると「吉野川」と名前を変えていきます。

    和歌山県では「紀ノ川」と呼ばれていましたが、奈良県に入ると「吉野川」と名前を変えていきます。

  • 近鉄吉野線の電車が吉野駅に向かっていくのが見えました。我々のバスは吉野橋を渡っていきます。吉野神宮 一ノ鳥居近くまで来ると、自家用車は山に上がることが出来ずに戻るように促されていました。午前11時では山頂の駐車場は満車のようです。観光バスもQRコードを確認されているので、予約が必須のようです。

    近鉄吉野線の電車が吉野駅に向かっていくのが見えました。我々のバスは吉野橋を渡っていきます。吉野神宮 一ノ鳥居近くまで来ると、自家用車は山に上がることが出来ずに戻るように促されていました。午前11時では山頂の駐車場は満車のようです。観光バスもQRコードを確認されているので、予約が必須のようです。

  • 九十九折の道をしばらく上ると視界が開けて、下千本の桜が見渡せます。バスは吉野ロープウェイの山頂駅の手前の駐車場に停まります。この時点で御前11時30分です。再集合時間は午後3時なので3時間30分の自由時間になります。

    九十九折の道をしばらく上ると視界が開けて、下千本の桜が見渡せます。バスは吉野ロープウェイの山頂駅の手前の駐車場に停まります。この時点で御前11時30分です。再集合時間は午後3時なので3時間30分の自由時間になります。

  • 駐車場から先は歩行者天国になっています。観光バスもまだ少ないうえに、歩いている人も少ないようです。

    駐車場から先は歩行者天国になっています。観光バスもまだ少ないうえに、歩いている人も少ないようです。

  • まずはブラブラ散歩を始めます。思っていたより空いているうえに3時間の予定が30分も多い自由時間になりました。それでもバスガイドさんからはいろいろアドバイスがありました。

    まずはブラブラ散歩を始めます。思っていたより空いているうえに3時間の予定が30分も多い自由時間になりました。それでもバスガイドさんからはいろいろアドバイスがありました。

  • 散策はメインストリートだけで脇道に逸れないことと、「金峯山寺」の蔵王堂の御開帳は見たほうが良いこと、「吉水神社」と「勝手神社」を参拝した後は奥には行かないで時間調整しながら戻るということです。

    散策はメインストリートだけで脇道に逸れないことと、「金峯山寺」の蔵王堂の御開帳は見たほうが良いこと、「吉水神社」と「勝手神社」を参拝した後は奥には行かないで時間調整しながら戻るということです。

  • また旅行会社からは前日にOPの案内があり、吉野は混雑するのでお弁当を注文するように言われました。実際は飲食店に入れないことは無く、お弁当を注文しなくて良かったです。ただほとんどの方が注文していたようです。お弁当を食べるベンチは「金峯山寺」くらいまでは点在していますが、その先にはほとんど見かけませんでした。

    また旅行会社からは前日にOPの案内があり、吉野は混雑するのでお弁当を注文するように言われました。実際は飲食店に入れないことは無く、お弁当を注文しなくて良かったです。ただほとんどの方が注文していたようです。お弁当を食べるベンチは「金峯山寺」くらいまでは点在していますが、その先にはほとんど見かけませんでした。

  • 吉野山の桜は1300年も前から「ご神木」として崇拝され、手厚く保護されてきた歴史が大きな特徴です。 春には日本古来のシロヤマザクラを中心に約三万本という世界に類を見ない規模の桜が咲き誇り、その光景は「千本桜」「一目千本」等と形容されてきました。

    吉野山の桜は1300年も前から「ご神木」として崇拝され、手厚く保護されてきた歴史が大きな特徴です。 春には日本古来のシロヤマザクラを中心に約三万本という世界に類を見ない規模の桜が咲き誇り、その光景は「千本桜」「一目千本」等と形容されてきました。

  • この日は天気も良くほぼ快晴の天気でした。気温も20℃ほどで暑くも寒くも無い絶好の花見日和でした。絵巻物のように桜の景色が変わっていきます。今回吉野には初めて来ましたが、日本中の人が讃える意味が分かった気がします。

    この日は天気も良くほぼ快晴の天気でした。気温も20℃ほどで暑くも寒くも無い絶好の花見日和でした。絵巻物のように桜の景色が変わっていきます。今回吉野には初めて来ましたが、日本中の人が讃える意味が分かった気がします。

  • 少し行った先に「八十吉」という老舗の葛の店のカフェがありました。この時は時間に余裕があると思って、休憩しようと思いましたが先を急ぐことにしました。買い物したものは午後まで預かってもらうことにしました。結果として時間的にはカフェに入らなくて正解でした。

    少し行った先に「八十吉」という老舗の葛の店のカフェがありました。この時は時間に余裕があると思って、休憩しようと思いましたが先を急ぐことにしました。買い物したものは午後まで預かってもらうことにしました。結果として時間的にはカフェに入らなくて正解でした。

    葛の元祖 八十吉 花山店 グルメ・レストラン

  • 松尾芭蕉は伊賀上野の藤堂家に仕えた武士でした。主君が若くして病没したので故郷を捨てて京都に出て勉学にいそしみます。41歳の貞享元年の1684年に吉野山を訪ね、「野晒紀行」と名付けます。その4年後の元禄元年の1688年にも再び訪れて「笈の小文」という紀行にしるしています。吉野の花の句は一句も詠んでいないのはただ咲き誇る花に酔い、美しさに心奪われて口を閉ざしたようです。

    松尾芭蕉は伊賀上野の藤堂家に仕えた武士でした。主君が若くして病没したので故郷を捨てて京都に出て勉学にいそしみます。41歳の貞享元年の1684年に吉野山を訪ね、「野晒紀行」と名付けます。その4年後の元禄元年の1688年にも再び訪れて「笈の小文」という紀行にしるしています。吉野の花の句は一句も詠んでいないのはただ咲き誇る花に酔い、美しさに心奪われて口を閉ざしたようです。

  • 「大橋」に差し掛かりました。元弘元年の1331年に後醍醐天皇の皇子の大塔宮護良親王が鎌倉幕府倒幕にむけて吉野山で挙兵します。護良親王(もりよししんのう)は吉野山を城として立てこもり幕府軍に立ち向かいます。「太平記」によれば6万人の幕府軍を相手に3000人の兵で1週間にわたって持ちこたえます。この「大橋」の辺りは激戦となったようで、今でも「攻めが辻」と呼ばれています。敵の侵入を阻む濠が造られました。後にその窪みを渡るために橋が架けられました。

    「大橋」に差し掛かりました。元弘元年の1331年に後醍醐天皇の皇子の大塔宮護良親王が鎌倉幕府倒幕にむけて吉野山で挙兵します。護良親王(もりよししんのう)は吉野山を城として立てこもり幕府軍に立ち向かいます。「太平記」によれば6万人の幕府軍を相手に3000人の兵で1週間にわたって持ちこたえます。この「大橋」の辺りは激戦となったようで、今でも「攻めが辻」と呼ばれています。敵の侵入を阻む濠が造られました。後にその窪みを渡るために橋が架けられました。

  • ミツマタはその枝が必ず「三叉」、すなわち3つに分かれるために「ミツマタ」と名付けられました。最後にミツマタの花を見たのは中国の黄山だったと妻と思い出話をしました。

    ミツマタはその枝が必ず「三叉」、すなわち3つに分かれるために「ミツマタ」と名付けられました。最後にミツマタの花を見たのは中国の黄山だったと妻と思い出話をしました。

  • その横には真っ赤なボケの花もきれいに咲いていました。東京ではお彼岸に墓参りに行ったときに満開だったので、数週間は季節が遅いようです。

    その横には真っ赤なボケの花もきれいに咲いていました。東京ではお彼岸に墓参りに行ったときに満開だったので、数週間は季節が遅いようです。

  • 先日行った中野の哲学堂でも満開だった雪柳がここでも満開でした。

    先日行った中野の哲学堂でも満開だった雪柳がここでも満開でした。

  • 枯れた桜の木は薪にされるのでしょうか。花にばかり目が行きますが、その横では生涯を終えた桜の木もありました。

    枯れた桜の木は薪にされるのでしょうか。花にばかり目が行きますが、その横では生涯を終えた桜の木もありました。

  • 「タケノコの天ぷら」の看板に妻の足が止まってしまいます。1本250円で目の前で揚げてくれます。岩塩を振って熱々のうちにいただきます。

    「タケノコの天ぷら」の看板に妻の足が止まってしまいます。1本250円で目の前で揚げてくれます。岩塩を振って熱々のうちにいただきます。

  • お店の裏には赤い毛氈の縁台が置かれ、満開の桜を愛でながらタケノコの天ぷらは贅沢です。

    お店の裏には赤い毛氈の縁台が置かれ、満開の桜を愛でながらタケノコの天ぷらは贅沢です。

  • 巨大なヤドリギがありました。昨年宇治の平等院の近くでも見かけましたが、日本ではあまり見かけないように思います。ヤドリギを見るとヨーロッパのクリスマスマーケット巡りの旅を思い出してしまいます。

    巨大なヤドリギがありました。昨年宇治の平等院の近くでも見かけましたが、日本ではあまり見かけないように思います。ヤドリギを見るとヨーロッパのクリスマスマーケット巡りの旅を思い出してしまいます。

  • 風情のある山栗の焼き栗屋さんがありました。

    風情のある山栗の焼き栗屋さんがありました。

  • 狐のお面と目があったら黒澤明の「夢」の中の「狐の嫁入り」を思い出しました。

    狐のお面と目があったら黒澤明の「夢」の中の「狐の嫁入り」を思い出しました。

  • 「黒門」まで登ってきました。緩やかな登り坂なので息が荒くなります。この門は金峯山寺の総門で、吉野一山の総門でもあります。高麗門の様式で、城郭でよく用いられる様式です。昔は公家大名でもこの門から先は槍を伏せて馬から降りて通行したという格式を誇っていました。金峯山という名は吉野山から大峰山に至る峯続きを指し、修験道関係の寺院塔頭が軒を連ねていました。それらの総門がこの「黒門」でした。

    「黒門」まで登ってきました。緩やかな登り坂なので息が荒くなります。この門は金峯山寺の総門で、吉野一山の総門でもあります。高麗門の様式で、城郭でよく用いられる様式です。昔は公家大名でもこの門から先は槍を伏せて馬から降りて通行したという格式を誇っていました。金峯山という名は吉野山から大峰山に至る峯続きを指し、修験道関係の寺院塔頭が軒を連ねていました。それらの総門がこの「黒門」でした。

  • 先ほどの焼き栗屋さんの人が被っていたのと同じ狐のお面が売っていました。それは12月に行った「鵜戸神宮」で買い求めたのとも同じでした。

    先ほどの焼き栗屋さんの人が被っていたのと同じ狐のお面が売っていました。それは12月に行った「鵜戸神宮」で買い求めたのとも同じでした。

  • 「桜陰山本庵吉野葛」から続く古くからの商店が並び始めると桜の木は見えなくなります。桜を観に来たとは言えお店が立ち並ぶとそっちに目が移ってしまいます。

    「桜陰山本庵吉野葛」から続く古くからの商店が並び始めると桜の木は見えなくなります。桜を観に来たとは言えお店が立ち並ぶとそっちに目が移ってしまいます。

  • 「金峯山寺発心門(銅の鳥居)」は安芸の宮島の朱塗りの鳥居と大阪四天王寺の石の鳥居とならんで日本三鳥居の1つと言われるそうです。高さ約8メートルの銅製の鳥居は吉野山から山上ヶ岳まで4つある門のうちの最初の門で、扁額には「発心門」と書かれています。修験者は鳥居に手を触れ「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀の浄土に入るぞうれしき」と唱えて入山するそうです。東大寺大仏鋳造の際に残った銅で建立したとの言い伝えもあります。

    「金峯山寺発心門(銅の鳥居)」は安芸の宮島の朱塗りの鳥居と大阪四天王寺の石の鳥居とならんで日本三鳥居の1つと言われるそうです。高さ約8メートルの銅製の鳥居は吉野山から山上ヶ岳まで4つある門のうちの最初の門で、扁額には「発心門」と書かれています。修験者は鳥居に手を触れ「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀の浄土に入るぞうれしき」と唱えて入山するそうです。東大寺大仏鋳造の際に残った銅で建立したとの言い伝えもあります。

  • 昭和50年の1975年の夏に毎年のように京都の祖父母の家にいました。東京から休暇を取って来た父と待ち合わせて天川村の洞川から大峰山に登りました。西の覗きで逆さ吊にされ、山上ヶ岳の宿坊で1泊して弥山まで縦走して、京都に戻る前に橿原神宮へも立ち寄った旅でした。

    昭和50年の1975年の夏に毎年のように京都の祖父母の家にいました。東京から休暇を取って来た父と待ち合わせて天川村の洞川から大峰山に登りました。西の覗きで逆さ吊にされ、山上ヶ岳の宿坊で1泊して弥山まで縦走して、京都に戻る前に橿原神宮へも立ち寄った旅でした。

  • 詳しい資料や写真が残っていないし、亡き父に尋ねる手立ても無いので漠然とした記憶しか残っていないのが残念です。「金峯山寺発心門(銅の鳥居)」にはもう1つの目的があります。

    詳しい資料や写真が残っていないし、亡き父に尋ねる手立ても無いので漠然とした記憶しか残っていないのが残念です。「金峯山寺発心門(銅の鳥居)」にはもう1つの目的があります。

  • その鳥居の脇に柿の葉寿司の老舗の「ひょうたろう」があります。ここの柿の葉寿司をお土産に買いたかったのです。朝1番の商品は売り切れて、次回が12時30分からの販売になっていました。30分ほど待つことになりますが並ぶことにします。帰り道にはもっと長い列になっているのでこの選択は正解でした。

    その鳥居の脇に柿の葉寿司の老舗の「ひょうたろう」があります。ここの柿の葉寿司をお土産に買いたかったのです。朝1番の商品は売り切れて、次回が12時30分からの販売になっていました。30分ほど待つことになりますが並ぶことにします。帰り道にはもっと長い列になっているのでこの選択は正解でした。

    柿の葉すし ひょうたろう グルメ・レストラン

    桜の時期は購入の個数制限と商品の種類に限りがあります。並ばないで買うには予約が必須です。 by kojikojiさん
  • 1人2箱までしか買えないのですが、サーモンとサバの入ったものは10個入しかありませんでした。あとはサバだけの8個入りと12個入りしか選択肢はありません。関西の人は鯖ずしがポピュラーなのでサバだけでも良いのかもしれませんが、関東人はミックスの方が良いですね。

    1人2箱までしか買えないのですが、サーモンとサバの入ったものは10個入しかありませんでした。あとはサバだけの8個入りと12個入りしか選択肢はありません。関西の人は鯖ずしがポピュラーなのでサバだけでも良いのかもしれませんが、関東人はミックスの方が良いですね。

  • この店の柿の葉寿司は買った時点で食べるのではなく、翌日に食べるのがおすすめなのでお土産には良かったです。2人なので4箱買うことが出来ました。お土産に渡した友人は、翌日にはお取り寄せで注文したと連絡がありました。

    この店の柿の葉寿司は買った時点で食べるのではなく、翌日に食べるのがおすすめなのでお土産には良かったです。2人なので4箱買うことが出来ました。お土産に渡した友人は、翌日にはお取り寄せで注文したと連絡がありました。

  • 奈良県は柿が名産なので「つるし柿」も美味しそうでした。京都の伯母が母に送っていた渋柿は毎年干し柿になっていましたが、母が亡くなってからは1度だけ作りましたが、昨年は作りませんでした。

    奈良県は柿が名産なので「つるし柿」も美味しそうでした。京都の伯母が母に送っていた渋柿は毎年干し柿になっていましたが、母が亡くなってからは1度だけ作りましたが、昨年は作りませんでした。

  • 妻に「ひょうたろう」で並んでもらっている間に少し先の「萬松堂」に行きました。

    妻に「ひょうたろう」で並んでもらっている間に少し先の「萬松堂」に行きました。

  • 「萬松堂」では草餅と桜餅のセットを買い求めました。この店は並んでなくて良かったですが、ひっきりなしにお客さんがやってきて買い求めていきます。

    「萬松堂」では草餅と桜餅のセットを買い求めました。この店は並んでなくて良かったですが、ひっきりなしにお客さんがやってきて買い求めていきます。

    萬松堂 グルメ・レストラン

    よもぎの香りのする草餅と道明寺の桜餅が美味しい。 by kojikojiさん
  • 延々と草餅が作られていきます。昨年の11月に桂離宮に行った際に定休日を間違えていけなかった「中村軒」の草餅が大好きなのですがしばらく食べていません。

    延々と草餅が作られていきます。昨年の11月に桂離宮に行った際に定休日を間違えていけなかった「中村軒」の草餅が大好きなのですがしばらく食べていません。

  • ここまでお店の並んだ商店街を進んできましたが、「金峰山寺」の手前から参道の眺望が広がります。訪れた4月6日は下千本が、満開の日でしたが、中千本から上千本もきれいに色づいています。仁王門は大修理の最中で工事の囲いに覆われていました。

    ここまでお店の並んだ商店街を進んできましたが、「金峰山寺」の手前から参道の眺望が広がります。訪れた4月6日は下千本が、満開の日でしたが、中千本から上千本もきれいに色づいています。仁王門は大修理の最中で工事の囲いに覆われていました。

  • これは吉野の桜かと感じましたが、もっと絶景が後に待っていました。初めて来たので何を見ても「すごい!すごい!」と感動してしまいます。

    これは吉野の桜かと感じましたが、もっと絶景が後に待っていました。初めて来たので何を見ても「すごい!すごい!」と感動してしまいます。

  • 参道を回り込んで「金峰山寺 蔵王堂」の正面に来ました。

    参道を回り込んで「金峰山寺 蔵王堂」の正面に来ました。

  • 「四本桜」は蔵王堂の境内の石の柵の中に植えられていて、「大塔宮(だいとうのみや)御陣地」と刻まれた石柱が建っています。元弘3年の1333年に大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)が鎌倉幕府勢に攻められて、吉野落城を覚悟して最期の酒宴をされた所です。その際の陣幕の柱跡に植え続けられているのがこの桜です。

    「四本桜」は蔵王堂の境内の石の柵の中に植えられていて、「大塔宮(だいとうのみや)御陣地」と刻まれた石柱が建っています。元弘3年の1333年に大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)が鎌倉幕府勢に攻められて、吉野落城を覚悟して最期の酒宴をされた所です。その際の陣幕の柱跡に植え続けられているのがこの桜です。

    金峯山寺蔵王堂(国宝) 寺・神社・教会

  • 石柵の中に立派な青銅の灯籠が1基建っていますが、これは1471年の文明3年に妙久禅尼が寄進された物で、室町時代の秀作灯籠として重文に指定されています。

    石柵の中に立派な青銅の灯籠が1基建っていますが、これは1471年の文明3年に妙久禅尼が寄進された物で、室町時代の秀作灯籠として重文に指定されています。

  • 金峯山修験本宗 国軸山「金峯山寺」は7世紀後半の白鳳年間に役行者が本尊「金剛蔵王大権現」を感得し、その姿を桜の木に刻んで祭祀したのが始めで、平安から鎌倉時代に隆盛を極めましたが天禄2年の972年と寛治7年の1093年、嘉禄元年の1225年、文永元年の1264年に焼失し、その度復興し、正平3年の1348年に足利幕府の高師直の兵火で焼けた際には再建まで107年かかっています。天正19年の1591年に奈良の東大寺大仏殿に次ぐ棟高34メートルの「蔵王堂」が再建され、重層入母屋造で桧皮葺としては日本最大の建物といわれます。

    金峯山修験本宗 国軸山「金峯山寺」は7世紀後半の白鳳年間に役行者が本尊「金剛蔵王大権現」を感得し、その姿を桜の木に刻んで祭祀したのが始めで、平安から鎌倉時代に隆盛を極めましたが天禄2年の972年と寛治7年の1093年、嘉禄元年の1225年、文永元年の1264年に焼失し、その度復興し、正平3年の1348年に足利幕府の高師直の兵火で焼けた際には再建まで107年かかっています。天正19年の1591年に奈良の東大寺大仏殿に次ぐ棟高34メートルの「蔵王堂」が再建され、重層入母屋造で桧皮葺としては日本最大の建物といわれます。

  • バスガイドさんからは「吉野に来たら蔵王堂の日本最大の秘仏ご本尊の金剛蔵王大権現3体は必ず参拝してください。ただ拝観料は1人1,600円です。」と言われていました。蔵王堂の右手に受付があり、かなりの方が並んでいました。これくらいならと思いましたが、先にお線香をあげに段を上がると、奥にはものすごい人が並んでいました。

    バスガイドさんからは「吉野に来たら蔵王堂の日本最大の秘仏ご本尊の金剛蔵王大権現3体は必ず参拝してください。ただ拝観料は1人1,600円です。」と言われていました。蔵王堂の右手に受付があり、かなりの方が並んでいました。これくらいならと思いましたが、先にお線香をあげに段を上がると、奥にはものすごい人が並んでいました。

  • これは金剛蔵王大権現の思し召しと思いました。この列に並んだら食事も出来ないし、奥千本を望める「一目千本」にも行けなくなりそうです。

    これは金剛蔵王大権現の思し召しと思いました。この列に並んだら食事も出来ないし、奥千本を望める「一目千本」にも行けなくなりそうです。

  • お線香をあげて、授与所で散華の絵葉書を買い求めました。

    お線香をあげて、授与所で散華の絵葉書を買い求めました。

  • 「蔵王堂」から境内の西側へ下りる階段のところから「吉野朝宮跡」を望みます。京都花山院から吉野へ入った後醍醐天皇は、始め吉水(きっすい)院を行宮とされましたが、そこが手狭になったので「蔵王堂」の西下に在った「実城寺(じつじょうじ)」を行宮にされ、寺名を「金輪王寺(きんりんおうじ)」と改め、終始京都へ帰還する事を願いながら延元4年の1339年にここで亡くなります。その後の江戸時代に徳川家康が南光坊天海を吉野山の学頭に任じ、金輪王寺を元の実城寺に戻し、金輪王寺を下野国の日光へ移して輪王寺とし、吉野山を輪王寺の管理下に置きました。

    「蔵王堂」から境内の西側へ下りる階段のところから「吉野朝宮跡」を望みます。京都花山院から吉野へ入った後醍醐天皇は、始め吉水(きっすい)院を行宮とされましたが、そこが手狭になったので「蔵王堂」の西下に在った「実城寺(じつじょうじ)」を行宮にされ、寺名を「金輪王寺(きんりんおうじ)」と改め、終始京都へ帰還する事を願いながら延元4年の1339年にここで亡くなります。その後の江戸時代に徳川家康が南光坊天海を吉野山の学頭に任じ、金輪王寺を元の実城寺に戻し、金輪王寺を下野国の日光へ移して輪王寺とし、吉野山を輪王寺の管理下に置きました。

  • この辺りの話しになると星野之宣の「宗像教授伝奇考」を思い出してしまいます。朝廷に反乱を起こし首を切られた平将門が怨霊になったという伝説の残る地にはなぜか猿が祀られ、それは徳川家康のブレーンだった「黒衣の宰相」天海僧正が、将門と孫悟空を結びつけ、何事かをしようとしていたという奇想天外なストーリーでした。

    この辺りの話しになると星野之宣の「宗像教授伝奇考」を思い出してしまいます。朝廷に反乱を起こし首を切られた平将門が怨霊になったという伝説の残る地にはなぜか猿が祀られ、それは徳川家康のブレーンだった「黒衣の宰相」天海僧正が、将門と孫悟空を結びつけ、何事かをしようとしていたという奇想天外なストーリーでした。

  • 「蔵王堂」の前の境内から石段を南へ下りる所の石灯籠の横に石柱が1本建っています。写真では、「村上義光(よしてる)公忠死之所」と刻まれています。ここには「二天門」が建っていました。元弘3年の1333年の最後の御酒宴も終り、いざ決戦と云う時に大塔宮の忠臣である村上彦四郎義光が、宮の鎧兜を身に着けて宮の身代わりとなって「二天門」へ駆け上がり、腹を真一文字に掻き切って腸を掴み、櫓の板に投げ付けて壮絶な最後を遂げ、その隙に大塔宮は勝手神社横の谷を抜けて無事に高野山へ落ち延びる事が出来たといわれます。

    「蔵王堂」の前の境内から石段を南へ下りる所の石灯籠の横に石柱が1本建っています。写真では、「村上義光(よしてる)公忠死之所」と刻まれています。ここには「二天門」が建っていました。元弘3年の1333年の最後の御酒宴も終り、いざ決戦と云う時に大塔宮の忠臣である村上彦四郎義光が、宮の鎧兜を身に着けて宮の身代わりとなって「二天門」へ駆け上がり、腹を真一文字に掻き切って腸を掴み、櫓の板に投げ付けて壮絶な最後を遂げ、その隙に大塔宮は勝手神社横の谷を抜けて無事に高野山へ落ち延びる事が出来たといわれます。

  • 「二天門跡」を下りた直ぐ横に稲荷社が建っています。これは「後醍醐天皇導きの稲荷」といわれます。北朝方との対立がはげしくなり、やむを得ず密かに京都の花山院を抜け出した後醍醐天皇が途中の夜道で迷われた際にある稲荷の前で「むば玉の暗き闇路に迷うなり我に貸さなむ三つのともし灯」と歌を詠まます。するとひとむらの紅い雲が現れて吉野への臨幸の道を照らし導き、延元元年の1336年に天皇は無事に吉野山の行宮(あんぐう)へ着きました。天皇を導いた紅い雲は金の御岳(かねのみたけ)の上空で消え失せたといい、その時の稲荷を勧請したのがこの「導きの稲荷」です。

    「二天門跡」を下りた直ぐ横に稲荷社が建っています。これは「後醍醐天皇導きの稲荷」といわれます。北朝方との対立がはげしくなり、やむを得ず密かに京都の花山院を抜け出した後醍醐天皇が途中の夜道で迷われた際にある稲荷の前で「むば玉の暗き闇路に迷うなり我に貸さなむ三つのともし灯」と歌を詠まます。するとひとむらの紅い雲が現れて吉野への臨幸の道を照らし導き、延元元年の1336年に天皇は無事に吉野山の行宮(あんぐう)へ着きました。天皇を導いた紅い雲は金の御岳(かねのみたけ)の上空で消え失せたといい、その時の稲荷を勧請したのがこの「導きの稲荷」です。

  • 御本尊の御開帳の参拝は出来ませんでしたが、「やっこ」という柿の葉寿司の店でお昼を食べることにしました。「金峰山寺」の前のこの辺りが一番混雑していましたが、5分ほど待ってテーブル席に座ることが出来ました。

    御本尊の御開帳の参拝は出来ませんでしたが、「やっこ」という柿の葉寿司の店でお昼を食べることにしました。「金峰山寺」の前のこの辺りが一番混雑していましたが、5分ほど待ってテーブル席に座ることが出来ました。

  • 桜のにゅうめんと柿の葉寿司とのセットにはわらび餅がついていました。

    桜のにゅうめんと柿の葉寿司とのセットにはわらび餅がついていました。

  • 色の薄い関西風のお出汁ですが、塩味が強く歩き疲れた体にはちょうど良かったです。

    色の薄い関西風のお出汁ですが、塩味が強く歩き疲れた体にはちょうど良かったです。

  • 妻はうどんとお稲荷さんと柿の葉寿司のセットには桜餅が付いています。

    妻はうどんとお稲荷さんと柿の葉寿司のセットには桜餅が付いています。

  • お揚げもしっかり甘辛い味が染みて美味しかったです。柿の葉寿司はサーモンとサバの組み合わせです。店頭ではサーモンが売り切れになっていました。

    お揚げもしっかり甘辛い味が染みて美味しかったです。柿の葉寿司はサーモンとサバの組み合わせです。店頭ではサーモンが売り切れになっていました。

  • ちょうど食べ頃になった柿の葉寿司は美味しかったです。今回3店舗食べ比べてみましたが、どこも甲乙つけがたいです。「ひょうたろう」だけは買ったその日ではなく、翌日くらいが食べごろです。

    ちょうど食べ頃になった柿の葉寿司は美味しかったです。今回3店舗食べ比べてみましたが、どこも甲乙つけがたいです。「ひょうたろう」だけは買ったその日ではなく、翌日くらいが食べごろです。

  • 桜餅を1個貰いました。

    桜餅を1個貰いました。

  • わらび餅半分持っていかれました。久し振りに冷たいわらび餅を食べたら頭の中にわらび粉を買おうという気持ちが浮かんできます。

    わらび餅半分持っていかれました。久し振りに冷たいわらび餅を食べたら頭の中にわらび粉を買おうという気持ちが浮かんできます。

  • 美味しい食事も出来て、自由時間も残り半分になりました。この「やっこ」は後日テレビの「バスサンド」の旅で出てきたのでびっくりしました。

    美味しい食事も出来て、自由時間も残り半分になりました。この「やっこ」は後日テレビの「バスサンド」の旅で出てきたのでびっくりしました。

    柿の葉寿司 やっこ グルメ・レストラン

    景色の良い席に座れるかは運次第ですが、美味しい柿の葉寿司がいただけます。 by kojikojiさん
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