2022/04/06 - 2022/04/06
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kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
前日は午後10時には寝てしまったので午前4時過ぎには目が覚めてしまいました。部屋のシャワーで目が覚めて、部屋の片づけと準備をします。午前6時30分に本堂へ向かうとほぼ全員の方が揃っていました。朝の勤行になって数珠を持ってこなかったことと母の書いた般若心経の写経を忘れたことに気が付きました。最後に般若心経を読み上げて光明真言を唱え、大師御宝号の「南無大師遍照金剛」を唱えて終わります。その後に食事になり、食べ終えても午前7時15分くらいでした。宿坊の庭を散歩などしていましたが、することも無いので荷物を下に降ろして、「一の橋」から奥の院を少し歩いてみました。初めからこちらに来ればよかったとちょっと後悔しました。誰もいない参道をしばらく歩きましたが、時間切れになり「赤松院」に戻りました。庭を見ている時間があれば武田信玄や上杉謙信や明智光秀の墓も見ることが出来たと思います。午前8時に「赤松院」を出て、まずは近くのお土産物屋さんに立ち寄りました。ここは昨日「奥の院」を案内してくれた案内人の方のお店で、我々の1号車を案内してくれたのは娘さんでした。ここで出来たての生胡麻豆腐が買えました。友人にも高野豆腐と胡麻豆腐が買えてよかったです。何しろメインストリートの店で開いているのはコンビニだけですから。高野山を後にして「丹生都比売神社」に向かいますが、一度山を下りてまた昇るようなルートで、奈良と和歌山は山が深いなと感じます。1時間30分ほどで神社に到着して、20分ほどの参拝時間になります。「丹生都比売神社(にふつひめ)」は紀伊国一宮で、本殿、楼門および境内は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されています。空海が金剛峯寺を建立するにあたって丹生都比売神社が神領を寄進したと伝えられ、古くより高野山と深い関係にある神社です。神社背後の尾根上には高野山への表参道である高野山町石道が通り、丹生都比売神社は高野山への入り口にあたることから、高野山参拝前にはまず丹生都比売神社に参拝する習わしであったそうです。ここでの参拝を終えるとツアーバスは吉野に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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宿坊での夜が明けました。歩き疲れていたせいか、久しぶりにぐっすり眠ることが出来ました。2日目も快晴の天気で、気温も21℃と観光するにはもってこいです。
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午前6時30分前に1階の本堂に降りると皆さんお揃いで、読経も始まっていました。最後に般若心経をあげて、光明真言も唱えます。最後に「南無大師遍照金剛」を唱えて朝の勤行は終わりです。般若心経を唱えながら祖父から引き継いだ数珠も持ってこず、母が遺した写経も持ってこなかったことに気が付きました。
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母の書いた般若心経を持って、アンコールワットの堂守りのおじさんにお経を納めてもらったり、ボロブドゥールにも納め、ミャンマーのバガンの寺院やスリランカの寺院、大晦日の蘇州の寒山寺でもお坊さんに託したこともありました。せっかく高野山に来たのに自分で自分にがっかりです。
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ここにきて初めて守り本尊がお祀りしてあると知りました。左右に4体の仏様が並んでいます。十二支を守りますがいくつかの年は同じ仏さまが守ってくださいます。
子年生まれの御守り本尊「千手観音菩薩」
丑年と寅年生まれの御守り本尊「虚空蔵菩薩」
卯年生まれの御守り本尊「文殊菩薩」
辰年と巳年生まれの御守り本尊「普賢菩薩」 -
午年生まれの御守り本尊「勢至菩薩」
未年と申年生まれの御守り本尊「大日如来」
酉年生まれの御守り本尊「不動明王」
戌年と亥年生まれの御守り本尊「阿弥陀如来」 -
朝ご飯もこんな感じの精進料理です。がんもどきと大豆とヒジキ、大根のなます、みそ汁と漬物、海苔とお茶漬け海苔。2膳目はお茶漬けでいただきました。
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朝食の後に部屋に戻る前に宿坊の中庭に出てみました。
赤松院 宿・ホテル
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宿泊していた「明徳殿」です。とてもきれいな宿坊で、快適な1晩を過ごすことが出来ました。
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ベランダに妻が出てきました。勤行が早く終わって、朝食も早く済んだので出発まで時間が出来てしまいました。
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部屋でのんびりしても仕方ないので、荷物を降ろして表に出てみることにしました。もちろん妻は部屋に残っています。
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「赤松院」から「一の橋」に向かって歩いてみます。隣も「 清浄心院」という宿坊です。どこも風情があってよい雰囲気です。いろいろな旅行会社を見ても「赤松院」を宿泊先にしているツアーが多いのですが、何か事情があるのでしょうか。
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すぐに「一の橋」に着いてしまいました。案内の看板を読んで、この「一の橋」から「奥の院」を参拝するのが正式なのだと知りました。橋の名は正式には「大渡橋」または「大橋」と呼ぶそうです。日光東照宮の「神橋」と立山の芦峅寺の「布橋」と合わせて「日本三霊橋」に数えられます。参詣人を弘法大師がここまで送り迎えするという伝承があり、参拝者はここで礼拝してから渡るそうです。
高野山 一の橋 名所・史跡
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午前8時前の参道には人の姿はありません。たまに寺院の関係者らしい方が通られるので挨拶をします。「赤松院」の庭を見ていないでもっと早くこちらに来ればよかったと思いました。出発まで30分なので10分進んだところで戻ることと決めます。
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「奥州仙台伊達家墓所」
3つの鳥居があり1番左が2代藩主伊達忠宗、中央が3代藩主伊達綱宗、右側が宇和島初代藩主伊達秀宗です。伊達忠宗は伊達政宗の二男で、2代将軍徳川秀忠の養女振姫(池田輝政の娘)と結婚し、寛永13年の1636年に陸奥仙台藩伊達家の2代目藩主となりました。 -
「加賀前田家墓所」
前田家の墓所は昨日も見ていますが、高野山の奥の院には代によって5か所に分かれているようです。加賀前田藩第2代藩主前田家と第3代前田利常(微妙院殿)、第3代藩主前田光高(陽廣院殿)と光高の正室(清泰院殿)の五輪塔3基が玉垣区画内にあります。光高の正室は第3代将軍徳川家光の養女で水戸藩主徳川頼房の娘 大姫です。いずれの供養塔も寛文元年の1661年に第4代前田綱利によって建立されています。 -
「司馬遼太郎 文学碑」
平成20年(2008年)9月建立されたようです。司馬遼太郎のエッセイ「歴史の舞台-文明のさまざま」の「高野山管見(こうやさんかんけん)」の冒頭部分が刻まれています。「坂の上の雲」を読んで中国東北部の旅順と大連と瀋陽と長春と哈爾濱を旅し、「街道を行く」の蜀と南の道を読んでは昆明から麗江と香格里拉を訪ねました。いまだに旅のテーマだったり分からないことを知る事の出来る貴重な本です。
「美の脇役」では母方の祖父の生まれた二条陣屋について書いていただいていることもあります。 -
「薩摩島津家墓所」
島津家は奥の院内に計3ヶ所あり、奥の院「一の橋」を渡り、18町石先の法明上人供養塔東側にあります。正面の扁額には「慈徳院、浄国院、大玄院、宥邦院、圓徳院」と書かれており、向かって右から扁額記載順に、五輪塔が並んでいます。3代藩主から7代までの墓所になります。 -
いつもはツアーであっても事前に詳しく調べるのに、今回は1泊2日ということで疎かにしていたことが仇になりました。まさに「弘法も筆の誤り」です。
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誰もいない奥の院へ続く参道を歩くという贅沢な時間と空間を楽しみます。
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1200年の時を積み重ねた歴史の中に身を置いているようです。
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「岡山津山森家墓所」
宇喜多秀家が関ヶ原の戦いに破れたため改易され、当初西軍につきながら東軍に寝返り、徳川方の勝利の原因を作ったとされる小早川秀秋の支配下に入ります。しかし秀秋の死ですぐにお家は断絶します。次に美作国に入ってきたのが森忠政で、彼が初代津山藩主になり、津山城を中心とした城下町を作ります。その森家も4代で断絶し、その後1698年に結城秀康に連なる松平宣富が津山藩を治めることになります。 -
「森中将忠政墓所」
津山藩の初代藩主の森忠政の墓所です。津山森家墓所の隣にあります。森忠政は本能寺の変で主君の織田信長に殉じた森蘭丸の弟に当たります。 -
「角塔婆」
角塔婆は五輪塔が簡素化されたもので、世界を構成している五大物質を表しています。上から「空」「風」「火」「水」「地」の梵字が書かれ、その下に故人の戒名が書かれます。 -
板卒塔婆とは違った迫力を感じます。我が家も真言宗ですが、卒塔婆に書かれた文字があまりにもへたくそで受け取るたびに悲しくなります。
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「山口毛利家墓所」
毛利元就の孫である輝元を藩祖とする萩の毛利家の墓所です。毛利元就は厳島合戦で陶晴賢を自刃に追い込んだ後に大内家を滅ぼし、その後には尼子家を滅ぼし、毛利家を大大名にのし上げました。毛利元就の孫の輝元は父の隆元の早世により11歳で毛利家の家督を継ぎます。家督を継いだ輝元は叔父の吉川元春、小早川隆景とともに領土を広げ、最盛期には10ヶ国を領しました。輝元は豊臣秀吉政権下では五大老の1人となり、広島120万石を領します。関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となりますが合戦には参加していません。戦後は改易は免れますが、広島から萩へ転封となります。転封にあたり輝元は隠居し、子の秀就に家督を譲ります。子の秀就が初代萩藩主となり、以降明治まで続きます。 -
この参道を歩いているだけで歴史の重さに押し潰されそうになります。ある程度日本の歴史を知っていると余計にそう思えると思います。さらに尼子氏という名前が頭に浮かんでくると、横溝正史原作の市川崑監督の「八墓村」を思い出してしまいます。
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「羽後秋田佐竹家墓所」
秋田藩初代藩主の佐竹義宣、第2代藩主の佐竹義隆、第3代藩主の佐竹義処などの五輪塔が並んでいます。後の霊屋に入っている義重は名族佐竹氏の絶頂期を築いた人です。その子の義宜は関ヶ原の戦いにおいて石田三成を支援しますが動かず、戦後は出羽国秋田へ減転封されて初代秋田藩の藩主になります。 -
佐竹藩というと「佐竹本三十六歌仙絵巻」も思い出してしまいます。上畳本三十六歌仙絵巻と並んで三十六歌仙図のうちでも最古の遺品であり、鎌倉時代の大和絵系肖像画を代表する作品と評されていました。明治維新後に佐竹家は旧領の山林を政府に献納して国有林とし、藩政期に大きな収入源であった秋田杉を失ったことで、家計を維持できなくなります。大正5年の1916年に華族世襲財産法が改正され、華族が所蔵する古美術品を売却することが許されると東京両国の東京美術倶楽部で佐竹家の所蔵品300点の売立てが行われます。一度は実業家の手に渡りますが、第1次世界大戦の終戦による戦後恐慌に伴い、この絵巻は手放されることになります。美術品コレクターとして高名だった実業家の益田孝でも買い取ることが出来ず、絵巻は歌仙1人ごとに分割して、くじ引きで希望者に譲渡することとなります。
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「高野山町石道(ちょういしみち)」
昨晩の「壇上伽藍」のナイトツアーで案内人の方に教えてもらったことを思い出します。ローマ時代のマイルストーンをアッピア街道の終点のブリンディジで見た時は感慨深いものがありました。 -
古代ギリシアにはヘルマもしくは複数形でヘルマイと呼ばれるヘルメス神の石柱像があり、道端などに立てられていました。形状はこれに似ているなと思いました。
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「蛇腹路」にあった町石道は四町でしたが、ここでは二十町になっていました。
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ここで時間切れです。「赤松院」の庭を散歩していなければこのまま「中の橋大駐車場」からの近くまで歩けたと思います。この先には「武田信玄墓所」と「上杉謙信墓所」と「明智光秀墓所」があります。あと20分あれば見てくることが出来たと思います。
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泣く泣く「一の橋」まで戻りました。弘法大師空海は見送ってくれなかったようです。車道ではなく「 清浄心院」のきれいな道を通ることにしました。
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午前8時前に戻ってバスに乗り込みました。「東根院」の特別公開が前倒しになったのでスケジュールが短縮されました。朝一番でお土産物屋さんに立ち寄れることになりました。
清浄心院 宿・ホテル
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「中の橋大駐車場」の前にある「レストラン楊柳(ようりゅう)」で30分ほど時間がもらえます。ここでは朝出来立ての生胡麻豆腐を買うことが出来ました。それ以外にも地元の友人家族に胡麻豆腐と高野豆腐をお土産に買えました。お土産を渡したその日の晩から出来上がった高野豆腐の写真がLINEにアップされていくので甲斐があります。
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高野山では絵葉書が買えないと思ったので、家にあった絵葉書で両親に旅の報告をします。
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最後に弘法大師にお別れを伝えます。また近い将来に高野山に来たいと思いました。今回の旅では漠然とした高野山の概要を知ることが出来たと思います。
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「南無大師遍照金剛」と唱えます。
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案内人の方がバスまでご挨拶に来られました。2号車の案内人だった男性は彼女のお父さんでした。お父さんは「私が彼女の製造責任者です。」とおっしゃっていました。
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高野山で「南無大師遍照金剛」を唱えていて思い出したのが、中国の雲南省の麗江で見た黒板です。麗江電影城(映画館)の広告でしたが「変形金剛」が最初はなんだか分かりませんでした。そして思いついたのが「トランスフォーマー」です。この話を案内人の方にしたので、そのうち小ネタに使ってもらえるかもしれませんね。
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バスは高野山のメインストリートを走り抜けて、「大門」から同じ道で山を下ります。2日目の最初の目的地は高野山と縁の深い「丹生都比賣神社(にうつひめ)」に向かいます。
大門 名所・史跡
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周囲は人の住んでいる気配は全く感じられません。
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高野山を真言密教の根本道場として開いた弘法大師空海は、高野山全体を十六弁の八葉蓮華にたとえ、中心にある大塔の四方四隅の峰を「内八葉」、奥ノ院の外にそびえる八峰を「外八葉」と見立てています。
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現代でもこれだけ山深い高野山ですが、1200年前と植林された木々以外は変わらないのではないかと思います。
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バスは一度紀ノ川近くまで下った後に再び九十九折の道を登り始めます。この辺りでは斜面に植えられた柿の木がたくさん見えました。この辺りは富有柿の産地だそうです。
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「丹生都比賣神社(にうつひめ)」には午前9時30分に到着しました。ここで30分ほどの参拝時間になります。外鳥居は両部鳥居の様式です。両部とは密教の金剛界と胎蔵界のことで、神仏習合が盛んだった神社によく見られ、高野山と縁の深い丹生都比売神社の鳥居にもみられます。
丹生都比売神社 寺・神社・教会
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丹生都比売神社に関しては弘法大師空海が高野山金剛峯寺を開いた際に地主神たる丹生都比売神社から神領を譲られたとする伝説が知られています。高野山と丹生都比売神社の関係を語る最古の縁起として、11世紀から12世紀の「金剛峯寺建立修行縁起」があるそうです。
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「金剛峯寺建立修行縁起」によると弘仁7年の817年に空海は「南山の犬飼」という2匹の犬を連れた猟者に大和国宇智郡から紀伊国境まで案内されのち、山の民に山へ導かれたというわれます。この説話は「今昔物語集」にも記載されており、説話における猟者は高野御子神(狩場明神)で、山の民は丹生都比売神(丹生明神)の化身といわれます。
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空海の死後はその弟子達により「丹生都比売神社」の神領はさらに高野山の寺領となり、「丹生都比売神社」が正式に高野山に帰属するようになったのは、10世紀末の高野山初代検校で第4代執行の雅真の頃とされます。手前の赤い橋が「禊橋」で、その奥に中鳥居があります。外鳥居と同様に両部鳥居になっています。
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「丹生都比売神社」は高野山との関係から古くは多宝塔や御影堂などの仏教建物が営まれていたことが古絵図によって知られ、神仏分離によってこれらは除かれましたが、神仏習合時代の遺構が良好に残されていることから、境内は国の史跡に指定されています。
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境内背後の尾根上には高野山への表参道である高野山町石道が通り、国の史跡で世界遺産にも登録されています。バスで大回りするよりも距離的には近いことが分かります。
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「花盛祭(はなもりさい)」が4月10日にあるようです。ご祭神に花を供え春の訪れを寿ぐ祭りで、当日は季節の花を竹筒に入れ参道に飾るそうです。午前の祭典では本殿の御扉を開けて祝詞を奏上し、子供たちが神前神楽「浦安の舞」を舞うそうです。
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「渡御の儀」は古く鎌倉や室町時代に行われ、神輿行列が和歌山市内の和歌浦にある玉津島神社までご巡幸した「浜降り神事」が起源となっているそうです。神輿と神様のお道具を持ち、狩衣を着た人々の行列が巡行する姿を見てみたくなります。
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「花盛祭)」が近いことを生けられた桜と花が感じさせてくれます。
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「本殿」第一殿から第四殿が左右に並んで社殿を構えています。平成26年の「平成のご造営」の修復工事で本殿の塗装を江戸初期の配色に戻してたそうです。
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参拝を終えると、そろそろバスに戻る時間になります。
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「楼門」は室町時代に建立された入母屋造りで檜皮葺きの堂々とした建物です。
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鏡池の中に祭られた祠はバリ島のヒンドゥー寺院のようにも見えます。
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「輪橋」は神様がお渡りになる神橋ですが、丹生都比売神社の輪橋は神さまのおかげをいただくために、参拝者も渡ることができるようになっています。ただし、中央部は人間には渡れないようになっています。 半円形に沿った形が別名である「太鼓橋」の由来になっています。
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高野山と縁が深いと思えないような静かな神社でした。我々35人がバスに乗ってしまうと参拝する人の姿もほとんどありません。
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ここまで登ってきた道をまた下ります。
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たまに通りがかる集落はどこも柿の木が植えられています。
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そして桃の花も満開でした。が、桜の木はほとんど見かけませんでした。
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遠くの竹林の中に1本だけ桜が咲いています。ちょうど満開なのでこれから行く吉野山の桜が楽しみです。
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和歌山県を後に奈良県に戻り、吉野山に向かいます。山深いところを観光するにはツアーは便利だと思います。特に車を運転しない我が家にとっては無くてはなりません。
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