2022/04/05 - 2022/04/05
303位(同エリア567件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1767冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,474,177アクセス
- フォロワー169人
この旅行記のスケジュール
2022/04/05
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
4月最初の旅は「世界遺産高野山の宿坊に泊まる壇上伽藍ナイトツアーと吉野山千本桜2日間」という阪急交通社のトラピックスのツアーです。最近はすっかりトラピックスのツアーが多くなりました。今回は東京駅から新幹線こだまで三河安城でツアーバスに乗り換えて、奈良県の橿原神宮に参拝して、和歌山県の高野山を訪ね、宿坊に泊まった翌日は吉野で千本桜を観て帰ってくるという強行スケジュールです。東京駅の集合が午前6時20分なので逆算したら3時30分に起きないとなりません。集合が早くてよかったのは通勤ラッシュ前だったので電車に座って行けたことです。最近は前日に添乗員さんから電話がかかることはほとんどないのですが、今回はご丁寧にお電話いただきました。いくつかの確認の後に「今回のメンバーは何人ですか?」と尋ねると「35名です。」という言葉にちょっと気分がへこみます。ところが「今回はバス2台になりますので、18名と17名です。」嬉しい言葉が続きます。コロナ禍ということもありますが、1人で2席使えるか前後の席が空いているということですから。東京駅に全員揃ったところでホームに上がりますが、上がったところに駅そばの店があって、頭の中が天ぷらそばでいっぱいになります。でも妻が用意してくれた朝食があるので我慢しました。妻も同じ考えだったようで「どうしよう。そば食べたい。」と言いますがやっぱり我慢します。結婚してから2人で何か我慢したのはこれが初めてかもしれません。座席は2人掛けのDとFでしたが、ご夫婦でも3人掛けだったり、1人参加の方は3人掛けでした。隣が自由席の車両で空いていたので移られた方も多かったです。この日も天気が良く小田原辺りから雪を頂いた富士山がきれいに見えました。妻が新富士駅の手前で撮った写真を富士宮の兄にLINEで送ったら、家の前で撮った写真だと思って、玄関を飛び出したよと返事がありました。妻の家は玄関を出ると目の前に富士山が見え、居間の外には茶畑とその向こうに駿河湾が見えます。妻ののんびりした性格はこの景色のお陰なのだと思うことがあります。新富士から先をこだまで旅するのは初めてで、その後の1時間が長く感じられました。景色が良くても三河安城駅の間では浜名湖を見るくらいです。三河安城駅に午前9時21分に到着して、改札口で待っていてくれたバス会社のガイドさんの誘導でバスに乗ってあっという間に出発です。なぜ三河安城からと思っていましたが、駅も小さくてバスにも乗りやすくて高速にもすぐ乗れるので、最寄りの名古屋駅の中を歩いてと考えると理にかなっていると思いました。高速に入って名古屋南港のトリトンの3つの橋を越えると、昨年の旅で2度利用したフェリーターミナルが見えました。この時間ではフェリーが停泊していないのは分かっていましたが、懐かしい建物が見えました。バスは伊勢方面に向かい、少し早めのお昼は名阪国道の「名阪関サービスエリア」で自由昼食でした。味噌煮込みうどんとか食べられるか味噌カツも良いなと思いましたが、昨年の伊勢の旅で立ち寄った「御在所サービスエリア」とは違った少し古い感じのするところでした。レストランもちょっと暗い感じがしたので、セルフの食堂みたいなところでおろし唐揚げ定食をいただきましたが、名古屋に近いせいか鶏肉が美味しかったです。お昼の後は天理市に入って橿原神宮に向かいます。13年前のゴールデンウィークに1週間ほど奈良を旅した際に妻と自転車で明日香を走って、久米寺の「二十五菩薩練り供養」を見た後に2人で出来たことがありました。さらに47年前に父と洞川から大峰山と弥山を山伏修業した後に、京都に戻る前に立ち寄ったのが最初でした。そんなことを思い出しながら参拝しました。桜に時期に来るのは初めてで、深田池の周囲の桜はちょうど満開でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
久し振りに羽田空港からの旅ではなく、今回は東京駅から新幹線で旅が始まります。ただ、集合が午前6時20分なので逆算すると午前3時30分に起きなければなりませんでした。
東京駅 駅
-
午前6時前には丸の内線を降りたので地上にも出てみました。
-
ほとんど誰もいない東京駅の赤レンガの駅舎です。
-
地下の改札にも人の姿はありませんでしたが、地上にも誰もいません。
-
八重洲北口まで自由通路を歩いて、早めに手続きを済ませます。2回以上の「ワクチン接種証明」と当日の「健康確認シート」と「身分証明書」は必須で、別の日の同じツアーでは3名ほど忘れた人がいて参加できなかったそうです。
-
以前両親と大阪南港から上海へフェリーで行った際、自宅から東京駅までタクシーでここに着いたことを思い出します。その後母を伴っての佐渡島のツアーでもここに集合したことがありました。
-
この日は6時57分発の「こだま703号」で三河安城駅まで移動します。朝ご飯を食べる時間が無かったのでおにぎりとゆで卵を持ってきました。
-
ところがホームにあった駅そばが美味しそうに見えてしまいます。2月の徳島の旅以来うどんばかりでそばを食べていないことにも気が付きました。朝ご飯の準備をしてくれた妻の手前そばが食べたいと言えませんが、妻もそばが食べたかったようです。
-
いつもであれば品川から新横浜を過ぎた辺りでお弁当なり食事を始めますが、周囲は同じツアーの人ばかりなのですぐに食事を始めました。朝だけど缶チューハイも1本空けます。
-
小田原辺りできれいに富士山が見えました。宝永山が一番左に見えるので、これから富士山をぐるりと回るのだなと感じます。
-
明神ヶ岳から金時山辺りの山並みもきれいに見えます。金時山には50年ほど前に登りましたが、山頂の金時小屋の金時娘はまだいらっしゃるのでしょうか?新田次郎の「強力伝」を読んだ父が登りたかったのだろうと思います。
-
我が家の金時娘が帰ってきました。
-
望遠レンズで宝永山を狙ってみますが、意外にきれいに写っていました。
-
やはりこれくらいの角度になる新富士駅の手前ぐらいがきれいですね。
-
新富士に差し掛かると製紙工場の煙突から昇る水蒸気がこの季節の風物詩のようです。子供の頃に東海道線に乗って京都の祖父母の家に遊びに行きましたが、田子の浦辺りではヘドロの臭いの臭さに閉口し、この辺りでも煙突から昇る煙には目が染みたことを覚えています。その頃に比べるときれいになったものです。
-
妻が富士宮に住む兄にLINEで写真を送りました。すると兄は家の前から撮った写真だと思って、妹が近所にいるのかと思って玄関まで出たようです。もっと富士山に近い浅間大社の上の辺りですが、玄関を開けるとこんな富士山が見えます。
-
毛無山の辺りはまだ雪が残っているようです。山の向こうは甲斐の国です。
-
富士川の鉄橋が見えてくると富士山ともお別れです。
-
天竜川を通過しました。新富士から西をこだまで移動するのは30年以上前の頃になります。まだ西武百貨店がセゾングループで、静岡や浜松や豊橋に店があった頃のことです。
-
浜名湖に差し掛かりました。富士山が見えなくなった後は浜名湖くらいしかビューポイントはありません。砂洲のある左側が弁天島で、正面の白い建物は「ダイワロイヤルホテル」の建物のようです。
-
橋の中央にある建物は「レイクランド弁天島」で、左の橋が「観月橋」で右側は「朝日橋」です。
-
湖に立ち並ぶ杭は浜名湖海苔の養殖のもののようです。浜名湖の海苔は江戸時代から始まったそうです。浜名湖周辺にはたくさんのウナギの養殖池があったと思うのですが、やたら太陽光発電のパネルに変わっているように思えました。ウナギの稚魚が不漁になったこともあり、衰退に歯止めがかからない状況が続いているようです。
-
「ボートレース浜名湖」のすぐ西側にある「サンマリンブリッジ」は、弓なりにそびえ立つ真っ白な柱とピンと張ったケーブルが印象的です。浜名湖から流れ出る大正川に架かり、湖に浮かぶヨットの帆をイメージしたそうです。高さ61メートルの主塔の両側から伸びる26本のワイヤーが全長260メートルの橋桁を支えています。
-
三河安城駅には定刻の午前9時21分に到着しました。改札には2人のバスガイドさんがお出迎えです。促されて駅舎を出ると目の前にバスが待ってくれています。今回のツアーは35名の参加者ですが、2台のバスに18人と17人が分乗します。前後の席が空席になっていますが、移動は自由ということでゆったり座ることが出来ました。昨年のHISの伊勢参りツアーでは新宿からバスで、しかも40人でバス1台でしたから天国のようです。
三河安城駅 駅
-
今回の旅程を考えると名古屋駅が最寄りになるのですが、大きな駅なので1つ手前の小さな駅の方がいろいろ都合がよいのでしょうね。高速に乗るのもすぐなので名古屋市内を抜けるよりも時間が読み込めるのかもしれません。
-
左手後方には雪を頂いた木曽の御嶽山が見えました。伊勢湾岸自動車道の懐かしい3つの橋が見えてきました。
-
伊勢湾岸自動車道のうち東海インターチェンジと飛島インターチェンジの間にかかる3つの橋を「名港トリトン」と呼びます。「名港東大橋」「名港中央大橋」「名港西大橋」の3つの斜張橋のことで、海神トリトンを由来としています。
名港トリトン 名所・史跡
-
右手には名古屋駅周辺の高層ビルが見えます。螺旋状の「モード学園スパイラルタワーズ」はスパイラル状のデザインが評価され、2008年度グッドデザイン賞を受賞しています。上部が白い2本のビルは昨年の旅で1週間ほど滞在した「JRタワーホテル」の入ったビルです。
-
バスの左手には「日本製鉄(株) 名古屋製鉄所」の赤くさびた工場も健在です。
-
こうやって眺めると名古屋駅まで近いように思えますが、バスで1時間近くかかった記憶があります。
-
懐かしい「名古屋港フェリーターミナル」の建物が見えました。この時間ではまだ仙台から来るフェリーは入港していないのは分かっていました。ここから「きそ」に乗って仙台に向かい、仙台から苫小牧は「きたかみ」に乗り、苫小牧から名古屋まで「いしかり」で戻る1週間の旅はコロナ禍でありながら地中海のクルーズを思い出すような旅でした。
名古屋フェリーターミナル 乗り物
-
もうすぐフェリーが戻ってくる時間なので左側の車窓に目を凝らしますが確認できませんでした。キリンのようなガントリークレーンが荷物の積み下ろしをしています。
-
セントレア空港もこの辺りからだとまだ見えないようです。昨年伊勢に行ったときはもう少し海岸線を走ったのできれいに見えた気がします。
-
「ナガシマスパーランド」の前を通過します。相変わらず観覧車とたくさんのジェットコースターが目に止まります。
ナガシマスパーランド 大観覧車オーロラ 名所・史跡
-
この遊園地ではハイブリッドコースター 白鯨(HAKUGEI)が有名です。
-
「4Dスピンコースター嵐(ARASHI)」もありますが、基本的にジェットコースター類は好きではないので乗りたいとは思えません。3月末の小松空港から羽田空港まですごい揺れだったのであれで十分です。
-
「ナガシマスパーランド」を過ぎるとセントレア空港の管制塔が何とか見えました。左の車窓から見える伊勢湾の景色もこの辺りで終わりです。
-
右側の席に戻ると三重県と滋賀県の県境の山々が見えてきます。進行方向の奥に見えるのは御在所岳のようです。
-
鈴鹿山脈を越えると琵琶湖があります。この辺りの山々は日本海側の気候を直接に受けるので、山頂付近には雪が残っているとガイドさんが説明してくれます。
-
「御在所ロープウエイ」の白い鉄塔と山頂の建物もきれいに見えました。鈴鹿の山々は縁が無かったようで、どこも登ったことはありません。
-
鈴鹿パーキングエリアの近くの防音壁が途切れると「椿大神社」の赤い鳥居が見えました。伊勢国鈴鹿山系の中央に鎮座する椿大神社は古来より背後の高山入道ヶ嶽と短山椿ヶ嶽を天然の社として、国つ神「猿田彦大神(さるたひこ)」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」と「栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)」を、配祀に「天之鈿女命(あまのうずめのみこと)」と「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」を祀っています。
-
猿田彦大神は天孫の瓊々杵尊降臨の際に天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に御先導を申し上げます。そのことより肇国の礎を成した大神として、人皇第11代垂仁天皇の27年の紀元前3年の秋に倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。。猿田彦大神を祀る全国2000余社の本宮として「地祇猿田彦大本宮」と尊称されているそうです。
-
順調にバスが進んできたので少し早い午前10時50分に「名阪関サービスエリア」に到着しました。ここで正午まで70分のお昼休みになります。昨年の伊勢への旅では「御在所サービスエリア」では味噌煮込みうどんの山本屋本店や矢場とんの味噌カツの店があったので期待していました。
関サービスエリア (上り) 道の駅
-
今回のツアーバスは岡崎のオーワ観光の真っ黄色の車体でした。これは目立つので駐車場で間違えることはありません。バスガイドさんは東京には有名なバス会社さんが同じような色の車体でとおっしゃっていましたがほとんどはとバスと同じ色です。
-
「名阪関サービスエリア」は新しい「御在所サービスエリア」にお客を取られているのかとても空いていました。奥にはレストランもありましたが、閑散としているので入る気にはなれません。これといったメニューも無かったので、お土産物売り場の近くのフードコートにします。
-
妻は旨塩ラーメンを注文だけして、表に走って行ってしまいました。出来上がりを知らせる呼び出しベルが鳴ったので代わりに取りに行きました。
-
戻ってきた妻の手には松坂牛コロッケが1つ。
-
おろし唐揚げ定食は美味しかったです。やっぱり名古屋に近いと鶏肉が美味しいのかもしれません。
名阪関ドライブイン:https://sekidora.com/gourmet/ -
安藤広重の「東海道五十三次之内 関」が入り口わきのガラス前面に拡大されてありました。険しい鈴鹿山脈を越える鈴鹿峠の東に位置する「関」は古来より畿内周辺地域と東国(とうごく)を結ぶ交通の要衝として重要な場所だったようです。
-
確かに東西交通の大動脈だった東海道と奈良や伊賀方面へと通ずる大和街道、伊勢に向かう伊勢別(いせべつ)街道が交差する要衝でもあります。
-
一昨日も同じツアーを案内したバスガイドさんの言葉は信用できるので耳を立てて聞き漏らさないようにしていました。吉野からの帰りに立ち寄った道の駅が最後の買い物場所になるそうですが、伊勢の「赤福」は売り切れで買えなかったそうです。それ以外ではここにしか置いていないというので1箱買っておきます。
-
御木曳(おきひき)は伊勢神宮の神宮式年遷宮における大衆参加の行事で、その様子が再現されていました。式年遷宮で用いられる檜の用材を内宮用材は橇(そり)に積み五十鈴川を遡り内宮境内まで曳き上げる川曳(かわびき)、外宮用材は奉曳車に積み宮川河畔より伊勢市内を通り外宮境内まで曳く陸曳(おかびき)が基本的な形態だったようです。
-
お白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)は、神宮式年遷宮を構成する祭事の1つで、式年遷宮によって新しく建設された伊勢神宮の正殿の敷地に白い石を敷き詰める民族行事で、伊勢神宮の正殿のある御敷地(みしきち)には、白い石(御白石)と黒みを帯びた石(清石)の2種類の石が敷き詰められていますが、御白石は20年に1度の式年遷宮の際に取り替えることになっています。奉仕者はまず、宮川の川原で白い石を拾い集め、集めた白石は内宮へは川曳と陸曳で、外宮へは陸曳で神域へ運び込みます。そろいの法被を着て祓いを受けた奉仕者は新しい正殿の周りに御白石を敷き詰めます。一般の人が正殿を間近に見ることのできる唯一の機会でもあるそうです。
-
「虎屋のういろ」を1本買っておくことにします。宿坊でお腹が減ったら困りますから。この虎は奈良県信貴山の朝護孫子寺で売られているもので、張子の虎で有名です。信貴山歓喜院朝護孫子寺は寅の日には参詣者が多く、とくに正月の初虎では虎を売る店で賑わうそうです。写真を撮っているのを見ていた隣のお店のおばさんが「虎はピースしました?」と」尋ねるので、「ちょっと小首をかしげて、ウインクしてくれました。」と答えると笑っていました。
-
正午に「名阪関サービスエリア」出発すると車窓の景色はのどかな田園風景に変わっていきます。ちょうど桜の季節なのでついついシャッターを切ってしまいます。
-
バスガイドさんの伊賀と甲賀の忍者についての話しも面白かったです。甲賀忍者は「惣」と呼ばれる共同体で、参加する者の立場は対等なものだったそうです。一方の伊賀忍者も共同体によって組織の運営を行っていましたが、その意思決定は「上忍三家」と呼ばれる3つの有力者の意向が大きかったそうです。また依頼主との付き合い方は大きく違い、甲賀忍者は仕える主を次々と替える一面もありました。彼らは手を組む大名を佐々木六角氏から織田氏、豊臣氏と次々と変えています。本能寺の変の勃発後は堺にいた徳川家康は伊賀出身の服部半蔵らに守られて三河国に戻りました。この功績によって伊賀忍者は江戸幕府、そしてこの地を治めた藤堂家の支配下に組み込まれていきます。
-
その藤堂高虎の治めた「伊賀上野城」も遠くに見えました。高虎は家康の信任が厚く、築城の名手でもあり、大坂の豊臣方との決戦に備えるための築城でした。五層の天守閣は建設中に倒壊してしまい、慶長19年の1614年の大坂冬の陣とその翌年の夏の陣で豊臣方が敗れます。その後に幕府は城普請を禁じたため、伊賀上野城では天守閣が再建されないまま伊賀国の城となりました。
-
現在の復興天守閣は当地選出の代議士の川崎克が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて藤堂高虎の天守台に建てたもので、昭和7年の1932年に着工し、昭和10年の1935年に完成しています。
-
遠くに生駒山の山並みが見えました。山頂にテレビやFM放送の中継局があるのですぐに分かります。昨年11月に羽田から伊丹へ向かう機内からもすぐ下に見えたことを思い出します。ここまで走ってきた名阪国道は「千日道路」とも呼ばれ、開通にあたっては天理教からの寄付も多かったとガイドさんから説明がありました。開通直後の昭和41年の1966年1月26日から天理教の「教祖80年祭」が行われています。
-
名阪国道から大和御所道路に入ってしばらくすると「畝傍山」が見えてきて「橿原神宮」が近いことが分かります。畝傍山をみると安田靫彦の「飛鳥の春の額田王(ぬかだのおおきみ)」という絵を思い出します。ちょうど今頃の季節だなと感じます。
-
この絵を初めて観たのは中学生の頃の昭和51年の6月の雨の日で、地下鉄に乗って行った竹橋の国立近代美術館でのことでした。その時の安田靫彦の絵に感動して、40年後に同じ国立近代美術館の展覧会には妻も連れて行きました。1月に行った足立美術館には「王昭君」が収蔵されているのですが、行った際には展示されておらず再会することは出来ませんでした。
-
「橿原神宮」には午後1時20分に到着して40分間の参拝時間になります。ここへ始めてきたのは47年前のことでした。当時夏休みは母の実家のある京都に1か月預けられていました。東京から休暇を取ってきた父と合流して奈良の天川村の洞川から大峰山と弥山を縦走した後に何故かここに立ち寄っています。
橿原神宮 寺・神社・教会
-
その後13年前に妻と1週間ほど奈良を旅した際にも立ち寄っています。明日香を自転車で巡り、久米寺で「二十五菩薩練り供養」を見た後に自転車を返却して立ち寄っています。もうサイクリングなんてできないだろうなぁ。妻は父から「奈良に行くならこれを読みなさい。」と会津八一の歌集を渡されていましたが、一度も読んでいないのを知っています。
-
「橿原神宮」は初代天皇である神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を祀るため、神武天皇の宮である畝傍橿原宮があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、明治23年の1890年に官幣大社として創建されました。
-
奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社で、紀元祭が行われる2月11日(建国記念の日)や神武天皇祭が行われる4月3日、および奉祝行事「春の神武祭」の開催期間にも多くの参拝者が訪れるそうです。
-
ようやく「南神門」までやってきました。平日のせいなのか参拝される方の姿は少ないです。観光バスの我々の2台意外には見掛けませんでした。
-
ツアーに参加しながらもゾロゾロ歩くのは好きではないのと、妻の足の痛みがまだ取れないのでゆっくり進みます。皆さんはもう参拝されているころでしょう。
-
背後の畝傍山にも桜の木が何本かあるのが分かります。
-
対になった「北神門」を進めば天皇陵に向かえますが、そちらまで行っている時間はありません。
-
「神楽殿」は本殿とともに安政2年に建造された元京都御所の神嘉殿で、明治23年当神宮創建の際に明治天皇から下賜されたものです。入母屋造桧皮葺で、宮殿建築の気品をよく表しています。
-
境内には桜が1本満開の花を咲かせていました。今回のツアーの目的は吉野の桜でもあるので楽しみになっていきます。東京のソメイヨシノはすでに散ってしまいましたから心配していました。
-
「外拝殿(げはいでん)」は畝傍山を背景にして、両脇に長い廻廊を連ねた壮大な入母屋造りの外拝殿です。昭和14年に完成した建物で昭和の神社建築の粋ともいうべき豪壮さがうかがわれます。
-
橿原神宮の設計は東京帝国大学(現・東京大学)の名誉教授を務めた伊東忠太によって行われました。
-
参拝される方が減ったので我々も参拝することにします。左横にある授与所で地元の友人たちのお母さんに「延寿箸」をお土産に買い求めました。自分の母親にもう買うことが出来ないのは寂しいことです。
-
「外拝殿」の石階段を上ると正面に「内拝殿」が見え、その屋根越しに幣殿の千木と鰹木が金色に輝いてそびえています。
-
気が付くと参拝している方はほとんどいなくなってしまいました。前々日の4月3日は神武天皇祭が執り行われたようなので賑わったのだと思います。その片付けが粛々と行われていました。
-
添乗員さんが授与所で巫女さんに「この外拝殿まで来るといい香りがするのですが、何の香りですか?」と尋ねますが分からないようでした。橿原の名前の由来はクスノキなので葉をもむとレモンやジンジャーの香りがします。そんな香だったような気がします。ただクスノキがどこにあるのかは分かりません。カシの木も葉をもむといい香りがしますし、橿原の名前の由来でもあります。
-
少し時間があったので「深田池」を経由してバスに戻ることにします。南神門広場の南方に明るい静かな水面が広がっています。対岸までの遊歩道が整備されていますが、そこまで行く時間もありません。
深田池 自然・景勝地
-
ポカポカ陽気なので亀が甲羅干ししています。
-
枝振りの良い桜はちょうど満開のようです。
-
対岸の桜は望遠レンズで撮っておきましょう。
-
訪れる人も少なく穏やかな春の日を楽しみました。
-
我が家の額田王(ぬかだおおきみ)は”ちょっと大きめ”にになってきました。
-
池の右手で魚に餌やりが始まると、数羽の鴨が慌てて飛んでいきます。
-
「橿原神宮廰」は入母屋造瓦葺で玄関は唐破風造銅板葺の立派な構えで、昭和14年に建造されています。
-
40分の参拝時間が終わりバスに戻ります。今回3回目の参拝だったので、「橿原神宮」には立ち寄らずに、お昼の時間も30分は多かったと思うのでその分をショートさせれば高野山でもっと時間があったと思います。
-
その分の時間で「金剛峯寺」の参拝と「高野山霊宝館」の見学が出来たのではないだろうかと思いました。
-
「橿原神宮」を出発してしばらくすると大和葛城山が見えてきました。この山並みの山頂は奈良県と大阪府を分ける県境です。
-
車窓から見えるこんもりとした小山はどなたかの陵墓なのだと思います。そんな陵墓も奈良県から和歌山県に入ると見えなくなっていきます。そして高野山へ登る山道に差し掛かります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2022高野山・吉野千本桜の旅
-
トラピックス 世界遺産高野山の宿坊に泊まる壇上伽藍ナイトツアーと吉野山千本桜(1)三河安城からツアーバスに乗...
2022/04/05~
橿原
-
トラピックス 世界遺産高野山の宿坊に泊まる壇上伽藍ナイトツアーと吉野山千本桜(2)高野山の奥の院で弘法大師御...
2022/04/05~
高野山周辺
-
トラピックス 世界遺産高野山の宿坊に泊まる壇上伽藍ナイトツアーと吉野山千本桜(3)妻の誕生日を精進料理と麦般...
2022/04/05~
高野山周辺
-
トラピックス 世界遺産高野山の宿坊に泊まる壇上伽藍ナイトツアーと吉野山千本桜(4)奥の院散策の後は高野山を離...
2022/04/06~
高野山周辺
-
トラピックス 世界遺産高野山の宿坊に泊まる壇上伽藍ナイトツアーと吉野山千本桜(5)ひょうたろうで柿の葉寿司を...
2022/04/06~
吉野
-
トラピックス 世界遺産高野山の宿坊に泊まる壇上伽藍ナイトツアーと吉野山千本桜(6)吉水神社を参拝し、一目千本...
2022/04/06~
吉野
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
橿原(奈良) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2022高野山・吉野千本桜の旅
0
89