2021/10/15 - 2021/10/20
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かるあみるくさん
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この旅行記のスケジュール
2021/10/20
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ついに北海道旅行の最終日となってしまいました。この日は函館市内の観光の予定ですが前日の天気予報だと終日雨。ただ起きてみると雨は降っていなかったので函館駅周辺を散歩し、土方歳三最後の地碑を訪れた後函館朝市で食事を取りました。この日はカニ丼です!やっぱ美味しかった。
その後函館港に係留されている青函連絡船摩周丸の博物館へと向かいました。ただこの辺りから雨が・・・。摩周丸自体は他の青函連絡船の模型もあってり、操舵室がそのままの形で公開されていたりととても楽しめました。
そして函館と言えば元町地区と並んで有名な五稜郭。残念ながら五稜郭到着時には土砂降りになっていましたが、五稜郭を眺める事が出来る有名スポットの五稜郭タワーから五稜郭を眺めたり箱館戦争や五稜郭の歴史を学んだりといろいろと出来ました。
次のパートはいよいよ北海道旅行最終編になります。またちょっと忙しくなっているので少しアップまで時間がかかるかもしれないですがよろしくお願いします。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅行最終日の朝、6時50分代に起きてしまい窓の外から見ると天気は良くないですがまだ雨は降っていなくて思ったより明るかったです。予報では一日最悪な天気なのであきらめていましたが、朝は散歩できそうな天気だったので急いで準備をして近くを歩いてみる事にします。
JRイン函館 宿・ホテル
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朝7:30前に準備も出来てチェックアウト前に函館駅周辺を散歩して行ってみたい場所に向かう事にします。
平日の朝ですが函館駅周辺には人が少ないです。通勤が車中心なのはわかるんですが高校生が他の都市に比べても少ない気がしますが・・・原付?函館駅 駅
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行きたかった場所はここです。
函館駅前から歩いて10分程のところにある土方歳三最後の地碑です。1869年5月11日、箱館戦争の中で七重浜から上陸してきた維新政府軍と交戦する中でこの地で戦死したと言われています。1835年産まれで享年35歳。蝦夷共和国陸軍奉行並として事実上の防衛責任者として奮戦しました。土方歳三の死没地 by かるあみるくさん土方歳三最期の地碑(若松緑地公園内) 名所・史跡
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現在最後の地の碑が置かれている場所は函館市社会福祉協議会の建物があり、その周囲はちょっとした公園というか庭園の様になっていました。函館駅から歩いて徒歩数分の場所ですがとてもおちついた場所に感じます。
土方歳三の死没地 by かるあみるくさん土方歳三最期の地碑(若松緑地公園内) 名所・史跡
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当時この付近は箱館とその外を分ける境でこの地付近に一本木関門という関所が置かれていました。この関の近くで新政府軍と交戦し戦死したと言われています。辞世の句は「たとい身は蝦夷の島根に朽ちるとも、魂は東の君や守らむ」と言われています。蝦夷共和国総裁榎本武揚が降伏する6日前の事でした。
土方歳三の死没地 by かるあみるくさん土方歳三最期の地碑(若松緑地公園内) 名所・史跡
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石碑には真新しい生け花が供えられていました。地元の人が定期的に行っているのか、観光客の方が行っているのか・・・。どちらにせよ没後150年を越した今でも多くの人に愛されています。
余談ですが元浦賀奉行所与力として参戦した中島三郎助も子供と一緒に函館で戦死しており死没地には碑が建立されているそうです。郷土の偉人なので私としてはできればそちらも行ってみたかったです。
中島三郎助に関しては以下の旅行記二つで記してますのでもしよければ見てみてください。
2021年春・浦賀と久里浜で幕末を感じる日帰り旅・前編
https://4travel.jp/travelogue/11687061
2021年春・浦賀と久里浜で幕末を感じる日帰り旅・後編
https://4travel.jp/travelogue/11696806土方歳三の死没地 by かるあみるくさん土方歳三最期の地碑(若松緑地公園内) 名所・史跡
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土方歳三最後の地碑を参拝したあと少し函館駅周辺を散歩してみました。
早朝だったので閉まっていましたが函館駅から徒歩5分程のところにある「ひかりの屋台大門横丁」は横丁の名の通り小さな飲み屋やラーメン屋が集まっている場所の様です。塩ラーメンのお店も多いみたいなので観光にも向いているのかな。
まあこの時間にはやっていないですよね。それにしても少し日が差してきました。入ってみたかった~ by かるあみるくさんひかりの屋台大門横丁 名所・史跡
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そのまま歩いて函館朝市までやってきました。ブラブラと歩いたり景色や街並みを見ながらだったので距離の割に時間をかけて函館の街を見ていました。まあ観光地以外は歩いた範囲で見どころがあったわけではないですけど・・・。
予報では天気が崩れるという事でしたが朝は晴れ間も出ていたので気持ちの良い散歩でした。函館朝市 名所・史跡
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やっぱり函館というか北海道は蟹ですね。どこも蟹を強くアピールした看板を出しています。そこまで好きなわけではないですが蟹食べたくなってきます。
函館朝市 名所・史跡
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朝食は函館朝市で食べる事は決めていたのですが、早朝からやっていないお店も結構あり昨日と同様どんぶり横丁市場のお店に行くことに。昨日も美味しかったんですがせっかくなので同じ店は避けようと思い、一花亭たびじというお店に入りました。
新鮮でおいしい! by かるあみるくさん一花亭たびじ グルメ・レストラン
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昨日とはお店だけでなく食べるものも変えてみまして、かに丼です。メニュー悩むくらい北海道の海の幸は多いですよね。蟹も思った以上に乗っているどんぶりでした。
朝から大満足。
本当に朝市に気軽に来れる場所に宿を取って良かったです。新鮮でおいしい! by かるあみるくさん一花亭たびじ グルメ・レストラン
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朝市で食事後は一旦ホテルに戻り準備をしてチェックアウト、そして昼までは車を駐車場に置けるという事なので車に荷物を置いて函館駅近くに保存されている青函連絡船摩周丸の記念館に向かいました。さっきまでは晴れていましたが雲行きがとても怪しくなってきました(´・ω・`)。
羊蹄丸が2012年に解体されたので現存する青函連絡船はこの摩周丸と青森港に保存展示されている八甲田丸の二隻のみになっています。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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近くで見るとさすが青函連絡船、とても大きく感じます。現役の時にはこのハッチから鉄道車両の出し入れが行われていたはずです。この摩周丸の中では鉄道展示はありませんでしたが、青森港で展示されている八甲田丸の車輛甲板にはディーゼル機関車や客車が保存されていました。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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摩周丸は三菱重工で1965年に竣工した津軽丸型青函連絡船の第5船で竣工直前に新幹線色としてこの色に塗装が決定したそうです。当時は国鉄でしたしそもそも前年に開通した新幹線=東海道新幹線だったのでこの塗装だったんでしょうね。
津軽丸型は老朽化し危険視されていた戦時標準船を置き換える目的で建造され、浦賀船渠、三菱重工神戸、三菱重工横浜、日立、函館ドックなど多くの工場で建築されました。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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摩周丸に入ってすぐに出迎えてくれたのは補助汽船の錨。青函連絡船である摩周丸の錨にしてはとても小さかったので「えっ?」と思いましたがそりゃそうですよね。この錨で大型船で投錨するには・・・。
ちなみに青函連絡船の錨は投錨後に沈没してしまった洞爺丸の教訓として国鉄が独自に開発した頑丈な錨を利用していたそうです。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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すぐにでも土砂降りになりそうだったのでまず先に甲板に登ってきました。甲板も広いです。運用されていた当時も甲板に出る事は基本的にできたみたいですが、東京湾フェリーでも風が強くて甲板に立っているのが苦手な私には津軽海峡を渡る際に出るのは大変だろうなあと思ってしまったり・・・。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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空も暗くなっていて寒いのもあるんですが寒々しい雰囲気になってしまいました。
船の宿命ではありますが海風に当たり続けているのでかなり錆も目立ちました。2020年にはこの写真で奥にある函館どつくに曳航されて修理を受けたようですが船体には結構傷みが来ていました。いつまでも青函連絡船が残ってくれるといいんですが・・・。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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現在函館港ではクルーズ船用のターミナルを建築途中だそうです。函館もクルーズでは人気ありそうですものね。
たぶんこのあたりが青函連絡船の接岸していた場所だと思うので時代が変わったんだなと思うのと同時に、函館港がまだまだ現役であるためにこの開発は必要なんでしょうね。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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甲板に出ているので位置を変えると360°見渡せます。函館山とその麓の元町地区が見えました。函館の代表的な観光スポットはこの写真にかなり集まっていますが、坂の街だけあって一昨日観光する際にはこの区域だけでもかなり疲れましたね。見どころはとても多くて楽しかったですけど。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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函館港の方を見ると浚渫船らしき船が活動していました。やはり湾の中はかなり土砂が貯まるようですね。浚渫をしながらでないと大型船の利用には障害になってしまうようです。結構存在感がありましたよ。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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操舵室のすぐ後ろにあるこちらは通信室です。基本的に当時のままの姿で残されているそうで、こちらも機器を触りながら操作を楽しむことが出来ました。ちなみにモールス信号機もあって操作をすることが出来ますが、ぱっと浮かぶのがSOSしかなかったので止めました。まあ繋がっていないのはわかるんですが・・・。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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機器が並ぶこのフロアはブリッジの操舵室ですね。北海道と本州を結ぶ大動脈という事もあり就航当時では最新鋭の器機をとうさいしていた様です。ブリッジは機器がそのまま残り触る事も出来る様になっていました。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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こんな感じで当時のまま機器が残っています。船の計器というのは正直なところまったくわからないのですごいなあとただ眺めているだけだったのがちょっと残念。
ただ1960年代の船ですから最新の船に比べるとアナログで機器も多かったのかなと思います。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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ブリッジというと機器が所狭しと置かれているイメージがありますが、機器はそんなに多くなく広々とした印象でした。そして一面の窓ガラスからかなり広い範囲を肉眼でも見える様に造られていて視界は広かったんだなと感じました。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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ブリッジから見た函館湾の様子。30年以上前に終航となった青函連絡船も出航の際はこんな感じで船長以下運行乗組員は函館湾を見ていたんでしょうね。函館港は随分と様相が変わっていますが、ここから見える景色はあまり変わっていないのかなと思います。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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ブリッジには当然ですがレーダーも置かれています。これは現存する当時のレーダー機器に当時を再現したレーダーを映し出していました。おそらく1978年にレーダー設備を更新した際に設置されたものだと思いますが、時代を考えるとかなり高性能なレーダーを積んでいたと思います。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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座席のほとんどは撤去されていますが一部座席が残っていました。手前の赤い座席はグリーン席、奥に少し見える青い座席が一般席です。グリーン席は古さもありますが相当リクライニングが利く仕様でした。
実際に運用していた当時はフロアを分けてあってグリーン席と一般席の客が混合しないように配慮はされていたそうです。また寝台列車も青函連絡船を経由していたので寝台席もあったそうです。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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こちらは一般席の座席です。たしかにグリーン車の座席に比べると結構簡易な感じもありますが4時間くらいならこの座席でもいいのかなと思います。
一般席も座席のシートが国鉄を思い出させる色ですね。私が物心ついた時には既にJRの時代でしたが、神奈川に乗り入れてくるJR東海車などはこんなモケットでしたね。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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こちらは青函行路で利用された記念切符などですね。国鉄の航路だったので切符も国鉄としての発行です。国鉄航路も宇高航路も廃止になり宮島航路のみが残る形になりました。それだけ便利になったわけですが少し寂しい気もしますね。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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青函連絡船で利用された様々な制服が展示されていました。一番左の制服は戦前の船長の服、一番右は青函航路廃止時の制服だそうです。
他にもマリンガールというCAみたいな役職?の制服なども展示されていました。長い歴史のある青函航路なのでこれ以外にも様々な制服があったんでしょうね。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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長い青函航路の歴史の中では数多くの青函連絡船が活躍していました。長く活躍した船もいますが、じつは多数は短命の船だったようです。むしろ長く活躍したのは1960年代以降に造られた船でそれまでは短命の船がほとんどという表記でした。戦争で沈没した船、洞爺丸、そして戦時規格船だったため戦後置き換えられた船。様々な事情で青函航路から引退した多数の船の模型が置かれていました。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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このような大型の模型も多数展示されていましたが、せっかくなのでこの二代目摩周丸の現役時代の姿を復元したモデルの写真を掲載します。
実は摩周丸引退はJR北海道発足直後なのでロゴも船に描かれているロゴもJRに変更されたと思いますが、この模型ではJNRロゴになっています。そして下の船を支えている台座の形もJNRのロゴになっていました。
ちなみにこの摩周丸自体もJNRロゴに復元されていました。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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摩周丸の就航当初から設置されていたのかはわかりませんが、少なくても運用終了の頃にはこのような現在位置を示す表示が設置されていたそうです。
システムとしてはGPSなどではなく、出航してからの時間を元に航路にランプを表記していたようですね。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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先ほどの部屋に隣接しているフロアでは青函連絡船で使用されたものや他の青函連絡船の模型なども展示されていました。
暗くなっていて一瞬鉄道甲板かと思いましたが鉄道甲板は普通一階にあるはずなのでここは普通の客室だったと思うんですけどね。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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こちらは二代目十和田丸の模型。摩周丸と同じ津軽丸型の七番艦として浦賀重工で1966年に竣工し青函航路の廃止後はクルーズ船として利用され、その後はフィリピンでカジノ船として利用されていたそうですが、残念ながら21世紀に入ってから解体されています。
こちらも摩周丸同様青函航路最末期には国鉄民営化でJRロゴになった船ですが、JNRロゴで模型は造られていました。全盛期を感じてよいですね。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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このフロアには青函連絡船として運用されていた当時に設置されていた遭難時の救難具が展示されていました。外洋を航行するわけではないですが長時間かけて津軽海峡を渡りますし、洞爺丸事故もあるため救難具の装備はしっかりとされていました。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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摩周丸の船名符時のJHMIを表す国際信号機や旗旒信号のB旗が展示されていました。青函連絡船では旗旒信号を利用することはあまりなかったそうですが、危険物を搭載している事を示すB旗は良く利用されたそうで、これも実際に使われていたものだそうです。
青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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思ったより長く摩周丸の見学に時間を使いました。八甲田丸を2016年に見学しているのでそんなに見るところないかなとか思っていましたが、また違う展示も多くとても楽しめました。
そして摩周丸を出て函館朝市へ。目の前ですのでちょっと寄ってみましたが生物が当然多いのでちょっと自分のお土産には向きません。冷凍発送とかもしてくれますけどね。
なので申し訳ないけど見ているだけ・・・。
あまり市場に行く事のない自分にとっては貴重な体験でした。とかいいつつ2021年は唐戸市場も行っているな(笑。 -
とはいえお土産は買いたいですし、雨も土砂降りの状態でしたし車が近くに置いてある函館駅周辺でお土産を買った方がいいかなと思って、函館駅前にあるこの松岡商店というお店でお土産を購入しました。
海鮮品の加工品やお菓子など幅広いバリエーションがありました。結構混んでいましたが店内も広くて選ぶのに大変って事もなくてよかったですね。個人的にはこちらの方がお土産は買いやすいですね(笑。 -
こんな感じで北海道の代表的なお土産が置いてありました。価格も観光地の駅前って考えれば割とよいほうかなと思いました。まあこの辺りは人それぞれですけど・・・。
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摩周丸の見学も終えお土産も買ったので函館駅周辺の観光はここまでで車に乗って五稜郭へ向かう事にします。函館、天気は恵まれなかったけどとても楽しくて見どころがある街でした。計画の段階では3日あったら余裕と思っていましたが、北海道5日間の全部函館でも良かったかなと思ったり・・・。けど小樽も札幌も、そして北海道エアシステムのサーブ340も旅行での楽しみでしたし今回の旅行は全体的に楽しめましたけど・・・。
函館駅 駅
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五稜郭公園までやってきました。函館駅からそこまで時間はかかりませんでした。車の流れが良かったのもありますけど・・・。
有名観光地なので駐車場入れるのも大変かなと思いましたがガラガラでした。まあこの天気ですからね・・・。
正面の川の様に見えるのは五稜郭の濠で右手に見えるタワーは五稜郭を見下ろすことが出来る五稜郭タワーです。想像していたものよりかなり立派なタワーでした。五稜郭公園 公園・植物園
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濠を隔てて五稜郭なわけですが、護岸が石垣で保護されているものの濠の向こうに城塞が見えるわけでもなく一見ただの濠に見えます。星形要塞であるので奥には濠が曲がる場所が見えますが、こうやってみるとただ奥に桜の生えている公園にしか見えないです。
五稜郭公園 公園・植物園
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こちらを見ると☆の出っ張っている部分が近いのでなんとなく星形要塞というのもわかりますがやはり高いところから見てみないとわかりにくいですね。
五稜郭公園 公園・植物園
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五稜郭そのものの見学もしてみたいですが、まずは五稜郭タワーに登って上から五稜郭を見る事にしてタワーまでやってきました。現在の五稜郭タワーは2006年に竣工した二代目で107mの高さだそうです。高さは函館空港が市街地にある為航空法で高さ制限があるのでこの高さが限界だそうです。
初代タワーは函館空港の拡張前だったので今より制限が厳しかったので二代目になり高くなっています。五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭タワー下までやってきました。こうやってタワーを下から見上げてみると五角形。登ってしまうとあまり五角形である実感はなかったですが、こういうところも五稜郭を模しているのかなと思います。展望室の床面の部分も星形になっている様に見えますね。
五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭タワーの入口横には箱館戦争供養塔と灯篭が置かれていました。最後の最後で五稜郭での戦いもありましたが、渡島半島を中心に40日程新政府軍と蝦夷共和国軍で交戦し双方で約1500人ほどの犠牲者が出ています。五稜郭だけでなく箱館戦争で亡くなられた方々の供養塔です。
五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭タワーの一階部分にはアトリウムになっていて休憩場所や修学旅行生の待ち合わせ場所にもなっています。元々ここには初代タワーが建っていた場所だそうで解体後整備されています。
恐らく複製だと思いますが、幕末の大砲が何門か展示されていました。五稜郭タワー 名所・史跡
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上の写真の真ん中にある像です。上の写真でも写真を撮られている方が居ましたがやはり土方歳三です。新選組の中でも人気の高い志士ですが、蝦夷共和国勢の中では一番人気だと思います。
五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭タワーのチケット売り場の壁には幕末の箱館の絵図が描かれていました。多くの船が函館湾に入港していて、それまで北方の守りの要衝ではありましたが松前の方が中心だったようなので歴史上初めての賑わいだったんだと思います。
五稜郭タワー 名所・史跡
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高速エレベーターで地上90mの所にある展望台へと向かいます。エレベーターの室内は白い壁なのですが上昇中はプロジェクションマッピングで箱館戦争や五稜郭に関わる説明や絵などが映し出されていました。
五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭タワーからは五稜郭が一望できます。とは言え一眼でもスマホの標準レンズでも収まらなかったので広角で撮影していますが逆に言えばそれだけ近くに見えるという事なんですよね。
残念ながら資金不足で手前に見える半月堡は計画の5か所から1か所のみに、石垣の建築も計画通りにはいかないなどありましたが日本で最初の、そして2つしかない洋式星形城塞です。五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭タワーに登って一番見たいものはもちろん五稜郭ですが、90mの高さに展望室があるので高い建物の少ない函館市内を一望できます。函館市中心部や函館山まで見渡すことが出来ますが摩周丸からと違いさすがに函館山麓の観光地を見る事は出来ないですね。
でもこの天気でも函館山山頂は見る事が出来ました。五稜郭タワー 名所・史跡
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こちらは函館空港方面です。中央奥に函館空港が見えます。滑走路の向きと正対はしていないのでこの高さで建築できていますが、函館空港進入時には左手に五稜郭タワーと五稜郭を見る事が出来るときもあります。ただ丘珠→函館の旅行記に書きましたが、18日に函館空港に着陸した際は反対側からの着陸だったのでその構図では見る事が出来ませんでしたけどね。
あと天気が良ければ本州が見えるのですが、この天気ではさすがにそれは望めませんね。五稜郭タワー 名所・史跡
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2006年に竣工した比較的新しいタワーなので展望室も見やすく綺麗で構造も現代的です。私の高校は修学旅行のコースが4つに分かれていて、私は関西だったのですが他に北海道コースもあって、函館に行った友人に五稜郭タワーの写真も見せてもらっていたのですがその時と雰囲気が違いすぎて驚きました。
その時から北海道に来るのは憧れだったけどなんだかんだ来るのが遅くなってしまったなあ。五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭タワーの五稜郭寄りには幕末の五稜郭の姿が再現された模型が置かれていました。元々防衛の拠点として建造されましたが、予算不足や諸外国の脅威がそこまでとは感じなかった事もあった様で要塞としての強度は計画より低下した為どちらかというと藩庁として政務の中心として利用された様です。
それでも箱館戦争末期には大砲を据え維新政府軍と激しく交戦し、奉行所に直撃弾が出るなど戦闘でも利用されたそうです。歴史は短いですが江戸時代建造の城郭の中では数少ない実戦に利用された城でもあります。五稜郭タワー 名所・史跡
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そして土方歳三の像も五稜郭の方向に展示されていました。五稜郭を本拠地にした蝦夷共和国の総裁は榎本武揚ですし他にも政府幹部は多くいますが、陸軍奉行並という立場ではありましたが土方歳三の人気はやはりとても高いですよね。エントランスにあった像もそうでしたしどこでも置かれている像はだいたい土方歳三です。
五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭は日本で二か所しかない様式星形城塞ですが、世界的には、というかヨーロッパでは割とメジャーな形式でしてイタリア、ベネルクス、ドイツを中心にかなりの数があります。私が旅行記でアップしているタリン城やナルヴァ城もそうですし、ハンザ都市でも結構あります。
五稜郭は予算の関係で完全な形ではできていないので本当の星形城塞を見ようとすると海外に見に行くしかないんですよね。ただ海外も完全に保存されているものは少ないので・・・。
ナルヴァ城もだいぶ城壁が無くなっていましたからね。
ナルヴァ城の旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11579208
https://4travel.jp/travelogue/11579223五稜郭タワー 名所・史跡
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五稜郭タワーの展望台には売店があって五稜郭タワー展望台限定商品もかなりの数を扱っていました。やはり新選組関連は人気があるのか大多数が新選組関連の商品でした。
なんか函館より調布や日野のイメージが強いのは私が関東人だから?まあ一番浮かぶのは壬生ですけど・・・。五稜郭タワー 売店 専門店
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