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北海道旅行実質3日目、函館空港に到着して湯川神社を見学した後からの旅行記です。函館には3日間滞在しましたがその中で一番函館らしい観光地、元町公園周辺を歩いたのがこのパートです。<br />函館どつく停留所で市電を下車し、大正湯、旧ロシア領事館、そして元町公園周辺を回りました。旧ロシア領事館や函館ハリストス正教会は改修工事中で満足に見学できませんでしたが、、元町地区で一番有名で大きな建物である旧函館区公会堂は4月に改修工事が終わったばかりでピカピカの状態で見学することが出来たので良かったです。表紙の写真にも使っていますが本当に美しい建物でした。元町地区は比較的狭い範囲に観光スポットが固まっていますが、函館山の麓になるので高低差が大きくなかなかハードでしたが異国情緒あふれる街で歩いていて楽しかったです。<br />

初めての北海道は札幌と函館の食と歴史の旅-4日目中盤

11いいね!

2021/10/15 - 2021/10/20

2415位(同エリア4698件中)

かるあみるく

かるあみるくさん

この旅行記スケジュールを元に

北海道旅行実質3日目、函館空港に到着して湯川神社を見学した後からの旅行記です。函館には3日間滞在しましたがその中で一番函館らしい観光地、元町公園周辺を歩いたのがこのパートです。
函館どつく停留所で市電を下車し、大正湯、旧ロシア領事館、そして元町公園周辺を回りました。旧ロシア領事館や函館ハリストス正教会は改修工事中で満足に見学できませんでしたが、、元町地区で一番有名で大きな建物である旧函館区公会堂は4月に改修工事が終わったばかりでピカピカの状態で見学することが出来たので良かったです。表紙の写真にも使っていますが本当に美しい建物でした。元町地区は比較的狭い範囲に観光スポットが固まっていますが、函館山の麓になるので高低差が大きくなかなかハードでしたが異国情緒あふれる街で歩いていて楽しかったです。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
5.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 湯の川停留所で市電を待っていて来たのは2007年にデビューした9600形の中でも最新の9604編成でした。函館空港で一日乗車券を購入していたのでそれを利用して乗車します。<br />ぱっと見で単線の様に見えますが、終点の湯の川停留所構内だけ単線で市内は複線運航していました。

    湯の川停留所で市電を待っていて来たのは2007年にデビューした9600形の中でも最新の9604編成でした。函館空港で一日乗車券を購入していたのでそれを利用して乗車します。
    ぱっと見で単線の様に見えますが、終点の湯の川停留所構内だけ単線で市内は複線運航していました。

  • 車内は他の路面電車で導入されている低床車と同じ様子です。アルナ車輛で製造された車両でした。<br />函館市電で32両保有しているそうですが9600形は4編成。ただこの日一日乗車券で何回も市電には乗りましたが、結構な割合で9600形に乗ることが出来ました。

    車内は他の路面電車で導入されている低床車と同じ様子です。アルナ車輛で製造された車両でした。
    函館市電で32両保有しているそうですが9600形は4編成。ただこの日一日乗車券で何回も市電には乗りましたが、結構な割合で9600形に乗ることが出来ました。

  • だいたい30分くらいで函館駅前停留所に到着しました。駅前停留所から函館駅は少し離れていますがすぐに函館の駅舎が見える距離です。青函トンネル開通まで北海道の玄関口だった函館駅ですが、桟橋への線路などはなくなったものの今でも函館市の玄関口として立派な駅になっています。<br />現在の駅舎は2003年に建築された5代目のものでデザインが良い駅舎になっています。

    だいたい30分くらいで函館駅前停留所に到着しました。駅前停留所から函館駅は少し離れていますがすぐに函館の駅舎が見える距離です。青函トンネル開通まで北海道の玄関口だった函館駅ですが、桟橋への線路などはなくなったものの今でも函館市の玄関口として立派な駅になっています。
    現在の駅舎は2003年に建築された5代目のものでデザインが良い駅舎になっています。

  • 函館駅前に設置されている通称、イカポ君というポストです。顔の上、生え際に少し開いている溝がありますがそこが投函口でした。<br />最初函館のゆるキャラか何かかと思いましたがそうではなく、函館市の魚であるイカをイメージしたかわいらしいポストだそうです。2013年に設置された新しいポストでした。

    函館駅前に設置されている通称、イカポ君というポストです。顔の上、生え際に少し開いている溝がありますがそこが投函口でした。
    最初函館のゆるキャラか何かかと思いましたがそうではなく、函館市の魚であるイカをイメージしたかわいらしいポストだそうです。2013年に設置された新しいポストでした。

  • 函館駅前には函館本線0マイル地点記念碑がありました。ただ奥にある看板を読んでみると初代函館駅は現在の駅より北にあり、その後現在地に函館駅が出来た後は亀田駅を名乗っていたそうです。亀田駅が廃駅になった後駅跡地にこの碑が出来ましたが周辺開発にともない函館駅周辺に移転してしまったようです。

    函館駅前には函館本線0マイル地点記念碑がありました。ただ奥にある看板を読んでみると初代函館駅は現在の駅より北にあり、その後現在地に函館駅が出来た後は亀田駅を名乗っていたそうです。亀田駅が廃駅になった後駅跡地にこの碑が出来ましたが周辺開発にともない函館駅周辺に移転してしまったようです。

    函館駅

  • チェックイン時刻はまだ先ですがとりあえず荷物だけ預けたいのでホテルへと向かいます。この日から泊まるのはJRイン函館。JR北海道系列のホテルで函館駅直結です。歴代の列車のヘッドマークがフロントに展示されていました。それ以外にもJR系列というのが良くわかる鉄道にこだわったホテルでした。

    チェックイン時刻はまだ先ですがとりあえず荷物だけ預けたいのでホテルへと向かいます。この日から泊まるのはJRイン函館。JR北海道系列のホテルで函館駅直結です。歴代の列車のヘッドマークがフロントに展示されていました。それ以外にもJR系列というのが良くわかる鉄道にこだわったホテルでした。

    JRイン函館 宿・ホテル

  • チェックインはまだなので荷物を預けて再度出発です。ホテルからすぐなので函館駅にもやってきました。JR函館駅の改札口。北海道の玄関口は北海道新幹線開通以降新函館北斗駅に譲りましたがまだまだ函館の玄関駅として存在感を示しています。ただIC乗車券は利用できないとかを考えると札幌近郊より利便性は悪く感じてしまいます。

    チェックインはまだなので荷物を預けて再度出発です。ホテルからすぐなので函館駅にもやってきました。JR函館駅の改札口。北海道の玄関口は北海道新幹線開通以降新函館北斗駅に譲りましたがまだまだ函館の玄関駅として存在感を示しています。ただIC乗車券は利用できないとかを考えると札幌近郊より利便性は悪く感じてしまいます。

    函館駅

  • 函館駅二階にはちょっとしたデッキがあって駅を眺められるようになっていました。二階なので高さはそんなになく手前の線路しか綺麗に見えないですけどね。手前のホームは電化されていないので函館本線の気動車や道南いさりび鉄道の車両が発着します。一番手前のホームには車両が無いですがその隣には道南いさりび鉄道塗装の車両がとまっていました。

    函館駅二階にはちょっとしたデッキがあって駅を眺められるようになっていました。二階なので高さはそんなになく手前の線路しか綺麗に見えないですけどね。手前のホームは電化されていないので函館本線の気動車や道南いさりび鉄道の車両が発着します。一番手前のホームには車両が無いですがその隣には道南いさりび鉄道塗装の車両がとまっていました。

    函館駅

  • JR函館駅には観光案内所が併設されています。函館近郊の観光案内もありました。<br />とりあえずは本日回る予定の函館山周辺のパンフレットをもらい出発です。<br />さすが函館、観光客が多かったです。

    JR函館駅には観光案内所が併設されています。函館近郊の観光案内もありました。
    とりあえずは本日回る予定の函館山周辺のパンフレットをもらい出発です。
    さすが函館、観光客が多かったです。

    函館市観光案内所 (JR函館駅) 名所・史跡

    函館駅の観光案内所 by かるあみるくさん
  • 駅前広場の北側にはハコビバという再開発で出来た飲食店などが集まるスペースがありました。ショッピングモールという程なのかはなんとも言えないですけど、駅前で飲食店が入っているので便利そうです。まあ観光客は朝市に行く気がしますけど・・・。<br />入口の門には「誠」の提灯が掲げられていて、箱館戦争時に蝦夷共和国側で戦った新選組に由来しているのだと思います。

    駅前広場の北側にはハコビバという再開発で出来た飲食店などが集まるスペースがありました。ショッピングモールという程なのかはなんとも言えないですけど、駅前で飲食店が入っているので便利そうです。まあ観光客は朝市に行く気がしますけど・・・。
    入口の門には「誠」の提灯が掲げられていて、箱館戦争時に蝦夷共和国側で戦った新選組に由来しているのだと思います。

  • 再び市電に乗り函館どつく方面へと向かいますが、北海道国道元標が函館市電の停留所の傍、函館駅前の交差点に置かれていました。国道5号の起点で、北海道内の国道はここから始まる事を示しています。横にある銘板には平成5年12月北海道開発局と記されているのでおそらくはレプリカだと思います。<br />現在では北海道第一の都市は札幌ですが道路元標を設置していた戦前では函館市の方が人口が多かったことや、そもそも戦前の旧国道4号は東京市から北海道庁へ至る路線となっていたものを戦後分割しているので函館が起点、札幌が終点になっているのだと思います。

    再び市電に乗り函館どつく方面へと向かいますが、北海道国道元標が函館市電の停留所の傍、函館駅前の交差点に置かれていました。国道5号の起点で、北海道内の国道はここから始まる事を示しています。横にある銘板には平成5年12月北海道開発局と記されているのでおそらくはレプリカだと思います。
    現在では北海道第一の都市は札幌ですが道路元標を設置していた戦前では函館市の方が人口が多かったことや、そもそも戦前の旧国道4号は東京市から北海道庁へ至る路線となっていたものを戦後分割しているので函館が起点、札幌が終点になっているのだと思います。

    函館市国道元標 名所・史跡

    北海道の国道の始点 by かるあみるくさん
  • ホテルで荷物を預けたり駅近辺を回ったりしてだいたい30分程で函館駅前停留所に戻ってきました。先ほどの乗った車両もそうでしたが函館市電も低床車の導入も進んでいる様です。これは反対の湯の川停留所方面行きの列車ですね。平日日中でしたが結構乗車する人は多かったです。

    ホテルで荷物を預けたり駅近辺を回ったりしてだいたい30分程で函館駅前停留所に戻ってきました。先ほどの乗った車両もそうでしたが函館市電も低床車の導入も進んでいる様です。これは反対の湯の川停留所方面行きの列車ですね。平日日中でしたが結構乗車する人は多かったです。

    函館市電 函館駅前停留場

  • 函館駅前停留所から函館どつく前停留所へやってきました。直通列車なので楽です。<br />写真は乗ってきた列車が湯の川方面へと折り返していくところです。とにかく低床車に良く会います(笑。<br />さて、ここから坂を上り函館の街を見学していきます。市電はだいたいどこも坂の下に着く形なので多かれ少なかれ坂を上ることが必要です。

    函館駅前停留所から函館どつく前停留所へやってきました。直通列車なので楽です。
    写真は乗ってきた列車が湯の川方面へと折り返していくところです。とにかく低床車に良く会います(笑。
    さて、ここから坂を上り函館の街を見学していきます。市電はだいたいどこも坂の下に着く形なので多かれ少なかれ坂を上ることが必要です。

    函館市電 函館どつく前停留場

  • 函館どつく停留所のすぐそば、ちょうど上の写真を撮影した場所の背後にはこの厳島神社があります。江戸時代初期に創建された神社で、当時はこの前が函館湾の海岸線沿いで海を見渡す場所で海の安全を祈願して建立されたそうです。

    函館どつく停留所のすぐそば、ちょうど上の写真を撮影した場所の背後にはこの厳島神社があります。江戸時代初期に創建された神社で、当時はこの前が函館湾の海岸線沿いで海を見渡す場所で海の安全を祈願して建立されたそうです。

    厳島神社 寺・神社・教会

    函館どつく駅前 by かるあみるくさん
  • 函館どつく停留所から5分ほど登ったところにあるこの可愛い色の建物は大正湯という銭湯です。大正時代の創業で現在の建物は昭和初期に建てられたそうです。見どころの一つになっていますがまだまだ現役の銭湯としても活躍をしています。<br />色と言い雰囲気と言いロシアの建物にも見えました。

    函館どつく停留所から5分ほど登ったところにあるこの可愛い色の建物は大正湯という銭湯です。大正時代の創業で現在の建物は昭和初期に建てられたそうです。見どころの一つになっていますがまだまだ現役の銭湯としても活躍をしています。
    色と言い雰囲気と言いロシアの建物にも見えました。

    大正湯 温泉

    現役の銭湯 by かるあみるくさん
  • 徒歩散策をしていると売物件と看板が出ていましたがこの蔵の様な建物が売られているのでしょうか・・・?なかなかしっかりした蔵に思えました。<br />

    徒歩散策をしていると売物件と看板が出ていましたがこの蔵の様な建物が売られているのでしょうか・・・?なかなかしっかりした蔵に思えました。

  • この学校の様な建物はグーグルマップでは函館市立西中学校となっていますが、そこにあったコメントを見ると統廃合で2017年度で廃校になった様ですね。その後解体も別の利用法もなくそのまま放置されてしまっている様です。港町というのもありますが4年程でここまで傷んでしまうんですね。

    この学校の様な建物はグーグルマップでは函館市立西中学校となっていますが、そこにあったコメントを見ると統廃合で2017年度で廃校になった様ですね。その後解体も別の利用法もなくそのまま放置されてしまっている様です。港町というのもありますが4年程でここまで傷んでしまうんですね。

  • 港町である函館では捕鯨も江戸末期から行われていて幕府は欧米式の捕鯨を知る中濱万次郎を派遣したりプロイセンから技術を学び捕鯨技術を確立させたそうです。この碑は1957年に当時83歳だった天野という船長兼砲手だった人がクジラを慰霊するために建てた碑だそうです。

    港町である函館では捕鯨も江戸末期から行われていて幕府は欧米式の捕鯨を知る中濱万次郎を派遣したりプロイセンから技術を学び捕鯨技術を確立させたそうです。この碑は1957年に当時83歳だった天野という船長兼砲手だった人がクジラを慰霊するために建てた碑だそうです。

    鯨族供養塔 名所・史跡

    かつては捕鯨の街でした。 by かるあみるくさん
  • 函館というと開港地でもあり異国情緒あふれる街というイメージが強いのですが古くから和人地としても栄えたので寺院も多いです。また横浜や下田の様に開国直後の領事館は寺に置かれることも多かったのでその様な歴史もあります。この実行寺は在箱館ロシア領事館として1858年から利用されたお寺です。とは言えこちらに移ってきたのは明治初期、またその後何回か焼失しており現在は鉄筋コンクリート造りになっています。門がちょっと怖くてあまり中に入れなかったです(´・ω・`)。

    函館というと開港地でもあり異国情緒あふれる街というイメージが強いのですが古くから和人地としても栄えたので寺院も多いです。また横浜や下田の様に開国直後の領事館は寺に置かれることも多かったのでその様な歴史もあります。この実行寺は在箱館ロシア領事館として1858年から利用されたお寺です。とは言えこちらに移ってきたのは明治初期、またその後何回か焼失しており現在は鉄筋コンクリート造りになっています。門がちょっと怖くてあまり中に入れなかったです(´・ω・`)。

    実行寺 寺・神社・教会

  • 1644年に現在の五稜郭駅付近の亀田で建立され幕末にはこの後行く元町公園の近くにあったという称名寺。幕末には開港地の一つと函館がなった為英仏の領事館としても利用されたそうです。実行寺と同じく明治初期の函館大火後に現在地に移転、その後も大火で何回か焼失して1929年に現在の鉄筋コンクリートの寺院となったそうです。<br />鉄筋コンクリート造りだからという事もあるのでしょうが、昭和初期の建築には見えずもっと近代的な様にも見えました。

    1644年に現在の五稜郭駅付近の亀田で建立され幕末にはこの後行く元町公園の近くにあったという称名寺。幕末には開港地の一つと函館がなった為英仏の領事館としても利用されたそうです。実行寺と同じく明治初期の函館大火後に現在地に移転、その後も大火で何回か焼失して1929年に現在の鉄筋コンクリートの寺院となったそうです。
    鉄筋コンクリート造りだからという事もあるのでしょうが、昭和初期の建築には見えずもっと近代的な様にも見えました。

    称名寺 寺・神社・教会

  • 称名寺内には土方歳三の供養碑があります。称名寺は箱館戦争時に新選組屯所となった為の様です。蝦夷共和国は財政的に不安定で戦争末期には資金が尽き箱館の商人から徴収しようと総裁榎本武揚が計画したところ土方がそれを止めたとされ、戦後函館の商人達が碑を建立したと言われています。<br />残念ながら建立時の碑は函館大火で焼失してしまったそうで現在のものは1972年の再建されたものです。

    称名寺内には土方歳三の供養碑があります。称名寺は箱館戦争時に新選組屯所となった為の様です。蝦夷共和国は財政的に不安定で戦争末期には資金が尽き箱館の商人から徴収しようと総裁榎本武揚が計画したところ土方がそれを止めたとされ、戦後函館の商人達が碑を建立したと言われています。
    残念ながら建立時の碑は函館大火で焼失してしまったそうで現在のものは1972年の再建されたものです。

    称名寺 寺・神社・教会

  • 1945年7月14日、15日に行われた北海道空襲の慰霊碑もありました。サイパンからB-29で北海道を往復することは困難だったため空母機動部隊による空襲でしたが、既に防空網が破綻していた事もありそれでも多くの犠牲者が函館市や津軽海峡でも出たそうです。

    1945年7月14日、15日に行われた北海道空襲の慰霊碑もありました。サイパンからB-29で北海道を往復することは困難だったため空母機動部隊による空襲でしたが、既に防空網が破綻していた事もありそれでも多くの犠牲者が函館市や津軽海峡でも出たそうです。

    称名寺 寺・神社・教会

  • 江戸時代後期、淡路島出身で箱館で活躍し箱館の基礎を築き国後島・択捉島航路を開拓した高田屋嘉兵衛の顕彰碑も称名寺にはありました。高田屋嘉兵衛はゴローニン事件の解決に尽力した事でも知られ、カムチャッカ半島にカヘイという山(というか峰)が名付けられている他、出身地の洲本市がサンクトペテルブルク市クロンシュタット区と友好都市になっているなど今でも日露友好の草分けとしてロシアでは記憶されている人物です。

    江戸時代後期、淡路島出身で箱館で活躍し箱館の基礎を築き国後島・択捉島航路を開拓した高田屋嘉兵衛の顕彰碑も称名寺にはありました。高田屋嘉兵衛はゴローニン事件の解決に尽力した事でも知られ、カムチャッカ半島にカヘイという山(というか峰)が名付けられている他、出身地の洲本市がサンクトペテルブルク市クロンシュタット区と友好都市になっているなど今でも日露友好の草分けとしてロシアでは記憶されている人物です。

    称名寺 寺・神社・教会

  • 観音堂ですが、ガラス張りで屋外とお堂を完全に分離していました。明確な事はわからないですが恐らく雪対策ですかね。コンクリート造りは大火を繰り返した事からの物でしょうし、この様なガラス張りだったりとか函館らしさが見えたお寺でした。<br />称名寺には他にも高田屋嘉兵衛一族のお墓や河野加賀守政通の供養碑など函館の歴史を感じるものが多く存在していました。

    観音堂ですが、ガラス張りで屋外とお堂を完全に分離していました。明確な事はわからないですが恐らく雪対策ですかね。コンクリート造りは大火を繰り返した事からの物でしょうし、この様なガラス張りだったりとか函館らしさが見えたお寺でした。
    称名寺には他にも高田屋嘉兵衛一族のお墓や河野加賀守政通の供養碑など函館の歴史を感じるものが多く存在していました。

    称名寺 寺・神社・教会

  • 実行寺のすぐ横にある坂を上り次の目的地に向かいます。距離は大したことないんですが、この勾配です。ここはサンフランシスコかウラジオストクか、という感じの坂ですね(どっちも行った事ないですが・・・)。個人的には尾道や呉よりも勾配があるなあという感じでした。函館はどこに行っても坂なので見どころは多いんですが街歩きは結構疲れます。だからこその夜景が綺麗な街なんですけどね。

    実行寺のすぐ横にある坂を上り次の目的地に向かいます。距離は大したことないんですが、この勾配です。ここはサンフランシスコかウラジオストクか、という感じの坂ですね(どっちも行った事ないですが・・・)。個人的には尾道や呉よりも勾配があるなあという感じでした。函館はどこに行っても坂なので見どころは多いんですが街歩きは結構疲れます。だからこその夜景が綺麗な街なんですけどね。

  • 坂を上り始めてふと見上げると函館山の電波塔が見えました。あそこまで上ると景色は絶景だろうなあと思いつつ、とりあえずは元町地区などを直接見たいな、函館山登ったら寒いだろうなあとかいろいろ考えていました。しかしなかなかの高いところに展望台があるんですね。

    坂を上り始めてふと見上げると函館山の電波塔が見えました。あそこまで上ると景色は絶景だろうなあと思いつつ、とりあえずは元町地区などを直接見たいな、函館山登ったら寒いだろうなあとかいろいろ考えていました。しかしなかなかの高いところに展望台があるんですね。

    幸坂 名所・史跡

  • 急こう配の幸坂を登っていくと目的の建物があります。とは言え工事中・・・。まあ工事中なのは計画した段階で知っていましたけどね。日露和親条約で外交関係がロシアと築かれた後1858年に箱館にロシア領事館が初めて設置されました。その後函館大火での焼失などもありましたが、1908年に現在の建物が建築されその後ソビエト領事館として1944年まで利用されたそうです。<br />戦後は外務省が利用していた時期もありますが現在は函館市管理になり外観のみの見学が可能な状態です。

    急こう配の幸坂を登っていくと目的の建物があります。とは言え工事中・・・。まあ工事中なのは計画した段階で知っていましたけどね。日露和親条約で外交関係がロシアと築かれた後1858年に箱館にロシア領事館が初めて設置されました。その後函館大火での焼失などもありましたが、1908年に現在の建物が建築されその後ソビエト領事館として1944年まで利用されたそうです。
    戦後は外務省が利用していた時期もありますが現在は函館市管理になり外観のみの見学が可能な状態です。

    旧ロシア領事館 名所・史跡

    残念ながら工事中です by かるあみるくさん
  • 上の写真でも右側に少し写っていますが、工事開始前の旧ロシア領事館の写真が貼りだされていました。今回の工事が関わっているのかはわかりませんが、長い間非開放の施設でしたがホテルとして利用する構想もあるようです。まあ高級ホテルになってしまう可能性がありますし、見学が難しいというのは今後も変わらないかもしれないですけどね。

    上の写真でも右側に少し写っていますが、工事開始前の旧ロシア領事館の写真が貼りだされていました。今回の工事が関わっているのかはわかりませんが、長い間非開放の施設でしたがホテルとして利用する構想もあるようです。まあ高級ホテルになってしまう可能性がありますし、見学が難しいというのは今後も変わらないかもしれないですけどね。

    旧ロシア領事館 名所・史跡

    残念ながら工事中です by かるあみるくさん
  • 旧ロシア領事館から少し登った先にある高台の船見公園。名前の通り函館港に出入りする船がよく見える公園です。さして有名な観光地というわけではないですが、ここから見る函館の街並みは絶景でした。旧ロシア領事館の前でこの高台の公園に気づいたので、工事中でもここまで登ってきて正解だったと思います。持病持ち+脚が悪いので結構しんどかったですけどね。

    旧ロシア領事館から少し登った先にある高台の船見公園。名前の通り函館港に出入りする船がよく見える公園です。さして有名な観光地というわけではないですが、ここから見る函館の街並みは絶景でした。旧ロシア領事館の前でこの高台の公園に気づいたので、工事中でもここまで登ってきて正解だったと思います。持病持ち+脚が悪いので結構しんどかったですけどね。

    船見公園 自然・景勝地

    函館港が一望できます。 by かるあみるくさん
  • そしてこれがその絶景です。とは言え写真で見るよりも現地で見た方が感激しました。既に函館山の麓なので結構な高さがあって函館湾周囲が一望出来て見晴らしがよかったです。夜は暗そうだけどここも夜景が美しそうです。

    そしてこれがその絶景です。とは言え写真で見るよりも現地で見た方が感激しました。既に函館山の麓なので結構な高さがあって函館湾周囲が一望出来て見晴らしがよかったです。夜は暗そうだけどここも夜景が美しそうです。

    船見公園 自然・景勝地

    函館港が一望できます。 by かるあみるくさん
  • 函館ドックに汎用護衛艦たかなみ型が停泊しているのが見えました。DD112なので「まきなみ」です。整備中の様ですが直前にはオーストラリア、韓国海軍と合同訓練を行っていた様ですし、数年前にはソマリア海賊対策にも出撃している護衛艦です。ヘリコプターを搭載できますし、汎用護衛艦の名前の通り様々な分野で活躍できる艦艇です。

    函館ドックに汎用護衛艦たかなみ型が停泊しているのが見えました。DD112なので「まきなみ」です。整備中の様ですが直前にはオーストラリア、韓国海軍と合同訓練を行っていた様ですし、数年前にはソマリア海賊対策にも出撃している護衛艦です。ヘリコプターを搭載できますし、汎用護衛艦の名前の通り様々な分野で活躍できる艦艇です。

    船見公園 自然・景勝地

    函館港が一望できます。 by かるあみるくさん
  • この船見公園、元々は常盤小学校という小学校があった場所の様です。こんな高台にこの大きさの平地をなぜ整備したのか疑問に思っていましたが謎が解けました。しかし小学生たちはこの幸坂を毎日登っていたのですね。<br />とは言え調べてみると常盤小学校が閉校になったのは1971年、50年も前の事だった様です。当時既に函館市は人口減少が始まっていて、1973年に亀田市を合併して人口が増えますがそれ以降も減少が止まらないそうです。

    この船見公園、元々は常盤小学校という小学校があった場所の様です。こんな高台にこの大きさの平地をなぜ整備したのか疑問に思っていましたが謎が解けました。しかし小学生たちはこの幸坂を毎日登っていたのですね。
    とは言え調べてみると常盤小学校が閉校になったのは1971年、50年も前の事だった様です。当時既に函館市は人口減少が始まっていて、1973年に亀田市を合併して人口が増えますがそれ以降も減少が止まらないそうです。

    船見公園 自然・景勝地

    函館港が一望できます。 by かるあみるくさん
  • 幸坂を下り少し歩いた弥生坂という坂を上ると咬菜園という函館一の庭園と呼ばれた庭の跡があります。1857年から整備が始まり、箱館戦争時には榎本武揚ら蝦夷共和国の幹部らも訪れた場所だそうです。現在は私有地になっている様で中は見学できませんでした。遺構も残っていないようですね。

    幸坂を下り少し歩いた弥生坂という坂を上ると咬菜園という函館一の庭園と呼ばれた庭の跡があります。1857年から整備が始まり、箱館戦争時には榎本武揚ら蝦夷共和国の幹部らも訪れた場所だそうです。現在は私有地になっている様で中は見学できませんでした。遺構も残っていないようですね。

  • 咬菜園跡の向かいには函館聖マリア教会という教会が立派な教会で明治の函館大火以前からある教会の様ですが、観光地というよりは結婚式場として利用されているみたいです。引きがあまりなかったので広角で撮影したら遠近感が少し妙な事になってしまいました。

    咬菜園跡の向かいには函館聖マリア教会という教会が立派な教会で明治の函館大火以前からある教会の様ですが、観光地というよりは結婚式場として利用されているみたいです。引きがあまりなかったので広角で撮影したら遠近感が少し妙な事になってしまいました。

  • 弥生坂を下り歩いているとこんな碑がありました。1950年開校、1977年閉校の愛宕中学校跡地ということです。中学校跡は道営住宅になっていました。<br />統廃合先が先ほど見てきた西中学校ということなのでそこも廃校になっていますし函館の人口減少というのは結構進んでいるんですかね。ここや常盤小学校は昭和期の廃校ではあるので今の人口減とは関係ないと思いますが・・・。

    弥生坂を下り歩いているとこんな碑がありました。1950年開校、1977年閉校の愛宕中学校跡地ということです。中学校跡は道営住宅になっていました。
    統廃合先が先ほど見てきた西中学校ということなのでそこも廃校になっていますし函館の人口減少というのは結構進んでいるんですかね。ここや常盤小学校は昭和期の廃校ではあるので今の人口減とは関係ないと思いますが・・・。

  • 観光スポットが集まる元町公園付近へと歩いていきます。住宅街が並んでいた地区を歩いているとふと左手に広場が見え景色が開けている場所がありました。<br />この下の広場は元々北海道最古の病院である函館市民病院がありましたが移転後の2002年にペリー提督来航記念碑が設置されペリー広場と呼ばれています。ここに広場があるので函館湾方面が開けていてこの後に行く元町公園からも良い景観になっていてとても良い感じでした。

    観光スポットが集まる元町公園付近へと歩いていきます。住宅街が並んでいた地区を歩いているとふと左手に広場が見え景色が開けている場所がありました。
    この下の広場は元々北海道最古の病院である函館市民病院がありましたが移転後の2002年にペリー提督来航記念碑が設置されペリー広場と呼ばれています。ここに広場があるので函館湾方面が開けていてこの後に行く元町公園からも良い景観になっていてとても良い感じでした。

  • 元町公園に到着しました。函館山山麓の観光と言えばこの場所ですが、函館どつく前からいろいろと見学して約1時間かけて歩いてきました。でもたくさん見どころがあったので楽しい散歩でした。<br />ここ元町公園は函館観光でも有名なスポットですが、函館の名の由来となった場所でもあります。室町時代に陸奥国の豪族である河野政通が蝦夷地にわたりこの地に館を築きました。正式名称は宇須岸河野館でしたが敷地が長方形で箱の様に見えたことから「箱館」と呼ばれる事になりました。

    元町公園に到着しました。函館山山麓の観光と言えばこの場所ですが、函館どつく前からいろいろと見学して約1時間かけて歩いてきました。でもたくさん見どころがあったので楽しい散歩でした。
    ここ元町公園は函館観光でも有名なスポットですが、函館の名の由来となった場所でもあります。室町時代に陸奥国の豪族である河野政通が蝦夷地にわたりこの地に館を築きました。正式名称は宇須岸河野館でしたが敷地が長方形で箱の様に見えたことから「箱館」と呼ばれる事になりました。

    元町公園 公園・植物園

  • 元町公園内にはいくつか歴史ある建物が並んでいます。この水色が美しいこの建物は旧北海道庁函館支庁庁舎として1909年に建築されたものです。函館区が函館市になり、そして北海道庁が北海道に代わり、役目を終えたものの1982年に改修され近年まで観光案内所、写真歴史館として利用されていました。現在は中に施設が入っていないので残念ながら入場できない状態でした。

    イチオシ

    地図を見る

    元町公園内にはいくつか歴史ある建物が並んでいます。この水色が美しいこの建物は旧北海道庁函館支庁庁舎として1909年に建築されたものです。函館区が函館市になり、そして北海道庁が北海道に代わり、役目を終えたものの1982年に改修され近年まで観光案内所、写真歴史館として利用されていました。現在は中に施設が入っていないので残念ながら入場できない状態でした。

    旧北海道庁函館市市庁舎 美術館・博物館

  • 旧北海道庁函館支庁庁舎の隣にあったこの建物は旧開拓使函館支庁書籍庫とのことです。最初頑丈そうな見た目から弾薬庫か何かかと思いました。1880年、開拓使の時代に建築されたものだそうです。元町地区を焼失させた1907年の大火にも耐え中にあった書物を守ったそうです。<br />こちらも現在では公開されず外観を眺めるだけですが、煉瓦の積み方と言い歴史を感じる建物でした。

    イチオシ

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    旧北海道庁函館支庁庁舎の隣にあったこの建物は旧開拓使函館支庁書籍庫とのことです。最初頑丈そうな見た目から弾薬庫か何かかと思いました。1880年、開拓使の時代に建築されたものだそうです。元町地区を焼失させた1907年の大火にも耐え中にあった書物を守ったそうです。
    こちらも現在では公開されず外観を眺めるだけですが、煉瓦の積み方と言い歴史を感じる建物でした。

  • 元町公園の一角には「函館四天王像」の銅像がありました。解説がありましたが全員知らない人でしたが、江戸時代後期から明治・大正にかけて生きた人物たちで函館の近代化に活躍した人たちだそうです。今でこそ函館は北海道の地方都市になってしまっていますが、第二次大戦ごろまでは日本有数の人口を持ち、また先進的な技術や文化も進んだ都市でした。その礎を築いた方々ということです。

    元町公園の一角には「函館四天王像」の銅像がありました。解説がありましたが全員知らない人でしたが、江戸時代後期から明治・大正にかけて生きた人物たちで函館の近代化に活躍した人たちだそうです。今でこそ函館は北海道の地方都市になってしまっていますが、第二次大戦ごろまでは日本有数の人口を持ち、また先進的な技術や文化も進んだ都市でした。その礎を築いた方々ということです。

    元町公園 公園・植物園

  • 元町地区で最も有名そして函館でも有数の建築がこちら、旧函館公会堂です。これを見たかったというのも旅の大きな目的の一つっていう建物です。これはスマホの広角で撮っていますが思った程引きがなくて広角でしか撮れなかったのはちょっと残念・・・。<br />明治の函館大火後の1910年に元町地区の復興の為に造られた施設で、1980~1982年、2018~2021年と二回大規模な修理を行われています。2021年4月にリニューアルオープンのばかりで建物がピカピカでした。

    イチオシ

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    元町地区で最も有名そして函館でも有数の建築がこちら、旧函館公会堂です。これを見たかったというのも旅の大きな目的の一つっていう建物です。これはスマホの広角で撮っていますが思った程引きがなくて広角でしか撮れなかったのはちょっと残念・・・。
    明治の函館大火後の1910年に元町地区の復興の為に造られた施設で、1980~1982年、2018~2021年と二回大規模な修理を行われています。2021年4月にリニューアルオープンのばかりで建物がピカピカでした。

    旧函館区公会堂 名所・史跡

  • 単独で公会堂の切符を買っても300円ですが、 同じ元町地区の旧イギリス領事館、北方民族資料館も入れる三館券720円を購入しました。文学館も含めた四館券もあるのですが、後々時間がカツカツになるので三館で良かったです。19時まで見学できるのも良かったです。<br />ここは大食堂でかなり大勢の人数が収容できる食堂になっています。ただ説明によると公会堂には厨房がなかったので、来場者へはお弁当の提供という形だったそうです。

    単独で公会堂の切符を買っても300円ですが、 同じ元町地区の旧イギリス領事館、北方民族資料館も入れる三館券720円を購入しました。文学館も含めた四館券もあるのですが、後々時間がカツカツになるので三館で良かったです。19時まで見学できるのも良かったです。
    ここは大食堂でかなり大勢の人数が収容できる食堂になっています。ただ説明によると公会堂には厨房がなかったので、来場者へはお弁当の提供という形だったそうです。

  • 一階は大食堂・小食堂・旧議場がありますが、そのすべての部屋の後ろ側を通る縁側があります。入口付近にあり人が多くいた廊下に比べこちらは人が少なかったので長さがよくわかりました。食堂などは結構人が居ましたがこちらにはほとんど来ていなかったですね。

    一階は大食堂・小食堂・旧議場がありますが、そのすべての部屋の後ろ側を通る縁側があります。入口付近にあり人が多くいた廊下に比べこちらは人が少なかったので長さがよくわかりました。食堂などは結構人が居ましたがこちらにはほとんど来ていなかったですね。

  • 階段を登り2階へとやってきました。二階は大広間が中心になっていますが、1911年に皇太子(後の大正天皇)行啓の際に皇族方の宿泊設備を整えたそうです。その時整えた部屋は当時の家具類をそのまま展示をしていました。

    階段を登り2階へとやってきました。二階は大広間が中心になっていますが、1911年に皇太子(後の大正天皇)行啓の際に皇族方の宿泊設備を整えたそうです。その時整えた部屋は当時の家具類をそのまま展示をしていました。

  • 2階は皇族方が宿泊された部屋以外は大広間が大きく取られている構造になっています。130坪あるそうですが、函館公会堂が建築された当初は函館の市民の集まりや講演などでも利用されたそうです。なんかてっきりダンスホールにでもなっていたのかな?という雰囲気に感じてしまいましたが・・・。<br />現在では貸室として利用されているそうです。

    2階は皇族方が宿泊された部屋以外は大広間が大きく取られている構造になっています。130坪あるそうですが、函館公会堂が建築された当初は函館の市民の集まりや講演などでも利用されたそうです。なんかてっきりダンスホールにでもなっていたのかな?という雰囲気に感じてしまいましたが・・・。
    現在では貸室として利用されているそうです。

  • 外観の写真で中央に見えるバルコニーは函館中心部が一望できる絶好のスポットです。中学生だと思いますが修学旅行生かな?函館の街並みを見てはしゃいでいました。この制服の子たちがたくさんいたのですが、おそらく修学旅行も出来るかどうかわからない環境だったと思うんですが、こうやって思い出作れて良かったなあとか見ていて思いました。<br />ちなみにバルコニーにはひっきりなしに人が来ていて誰もいない写真は撮れなかったです。それだけ賑わっているという事でいい事ですよね!

    外観の写真で中央に見えるバルコニーは函館中心部が一望できる絶好のスポットです。中学生だと思いますが修学旅行生かな?函館の街並みを見てはしゃいでいました。この制服の子たちがたくさんいたのですが、おそらく修学旅行も出来るかどうかわからない環境だったと思うんですが、こうやって思い出作れて良かったなあとか見ていて思いました。
    ちなみにバルコニーにはひっきりなしに人が来ていて誰もいない写真は撮れなかったです。それだけ賑わっているという事でいい事ですよね!

  • こちらがバルコニーからの風景です。元町公園の先に函館湾、さらにその先には北斗市方面が見えて絶景です。さすが皇族方も宿泊されただけあってすばらしい位置に公会堂が建っていますね。<br />1907年の函館大火後この地区の街並みは再建されていますが、その再建後から昭和初期までがこの付近が一番活気があったそうです。現在も当時の建物が多く残っていて時代は変わりましたが往時の賑わいを感じられる気もしました。

    こちらがバルコニーからの風景です。元町公園の先に函館湾、さらにその先には北斗市方面が見えて絶景です。さすが皇族方も宿泊されただけあってすばらしい位置に公会堂が建っていますね。
    1907年の函館大火後この地区の街並みは再建されていますが、その再建後から昭和初期までがこの付近が一番活気があったそうです。現在も当時の建物が多く残っていて時代は変わりましたが往時の賑わいを感じられる気もしました。

  • 2018年~2021年の改修の際に塗装の乗り換えも行われているのでピカピカな様子を見る事が出来ました。数年前の写真だと結構色あせて見えるのでこのタイミングで見る事が出来たのは幸せです。塗分けもなかなか独特ではありますが美しく擬洋風建築を引き立てる塗装にかんじました。

    2018年~2021年の改修の際に塗装の乗り換えも行われているのでピカピカな様子を見る事が出来ました。数年前の写真だと結構色あせて見えるのでこのタイミングで見る事が出来たのは幸せです。塗分けもなかなか独特ではありますが美しく擬洋風建築を引き立てる塗装にかんじました。

  • バルコニーから大広間を通り階段を下りて一階へと戻ってきました。構造的には二階は大ホールメインなので景色とホールを見て割とすぐに見学が終わりました。<br />この時代の建築でよく見る支えのないこの造りの階段が個人的に好きだったりします。

    バルコニーから大広間を通り階段を下りて一階へと戻ってきました。構造的には二階は大ホールメインなので景色とホールを見て割とすぐに見学が終わりました。
    この時代の建築でよく見る支えのないこの造りの階段が個人的に好きだったりします。

  • 一階の離れ、と言っても廊下で室内で繋がっているのでわかりにくいですが離れにはお風呂が設置されていたようで当時の姿で復元されていました。こちらは洋式風呂です。現在の浴室とはずいぶんと雰囲気が異なりますね。<br />函館公会堂はホテルとしての営業はなかったものの、ホテル利用も考えられていた造りだったということでこの様な施設もあったそうです。寝室なども設置されていました。<br />皇太子行啓の際に二回に御湯殿を増築したそうなので、ここは皇族方は使われなかったのだと思います。

    一階の離れ、と言っても廊下で室内で繋がっているのでわかりにくいですが離れにはお風呂が設置されていたようで当時の姿で復元されていました。こちらは洋式風呂です。現在の浴室とはずいぶんと雰囲気が異なりますね。
    函館公会堂はホテルとしての営業はなかったものの、ホテル利用も考えられていた造りだったということでこの様な施設もあったそうです。寝室なども設置されていました。
    皇太子行啓の際に二回に御湯殿を増築したそうなので、ここは皇族方は使われなかったのだと思います。

  • そしてこちらは和式風呂。浴槽はないのは、図面になく復元作業時に造ることが出来なかったからだそうです。という事は浴槽はあったんですね。<br />どのように置かれていたのかも気になりますし、どんなデザインだったのかも気になってしまいます。<br />というかトイレと違って風呂ってあまり和式・様式考えた事が無かったです。

    そしてこちらは和式風呂。浴槽はないのは、図面になく復元作業時に造ることが出来なかったからだそうです。という事は浴槽はあったんですね。
    どのように置かれていたのかも気になりますし、どんなデザインだったのかも気になってしまいます。
    というかトイレと違って風呂ってあまり和式・様式考えた事が無かったです。

  • 公会堂を出て東へ向かって歩いていきます。お目当てはカトリック元町教会や函館ハリストス正教会ですが歩いていると函館西高校の横に鳥居があるのを見つけたので少し登ってきました。船魂(ふなだま)神社と言われ名前の通り船の守り神で大漁祈願もされるそうです。車のお祓いはいろんな神社で見かけますが、船魂神社では船のお祓いを行っているそうです。

    公会堂を出て東へ向かって歩いていきます。お目当てはカトリック元町教会や函館ハリストス正教会ですが歩いていると函館西高校の横に鳥居があるのを見つけたので少し登ってきました。船魂(ふなだま)神社と言われ名前の通り船の守り神で大漁祈願もされるそうです。車のお祓いはいろんな神社で見かけますが、船魂神社では船のお祓いを行っているそうです。

    船魂神社 寺・神社・教会

    北海道最古の神社 by かるあみるくさん
  • 鳥居があったのでちょっと寄ってみただけですし、境内も広くはありませんが船魂神社は北海道最古の神社とされ創建800年程の歴史を持っている神社だそうです。長居しなかったので現地では知りませんでしたが、源義経にまつわる伝説を持つ由緒ある神社でした。

    鳥居があったのでちょっと寄ってみただけですし、境内も広くはありませんが船魂神社は北海道最古の神社とされ創建800年程の歴史を持っている神社だそうです。長居しなかったので現地では知りませんでしたが、源義経にまつわる伝説を持つ由緒ある神社でした。

    船魂神社 寺・神社・教会

    北海道最古の神社 by かるあみるくさん
  • 船魂神社の前を歩いていると津軽要塞第一地帯標と書かれている石碑がありました。今でこそ函館山は全国的な観光地ですが明治から太平洋戦争までは函館要塞・津軽要塞として立ち入り禁止区域になっていました。現在の展望台付近にも要塞設備があったそうです。

    船魂神社の前を歩いていると津軽要塞第一地帯標と書かれている石碑がありました。今でこそ函館山は全国的な観光地ですが明治から太平洋戦争までは函館要塞・津軽要塞として立ち入り禁止区域になっていました。現在の展望台付近にも要塞設備があったそうです。

  • 実は函館にはウラジオストクにキャンバスのある極東連邦大学の分校があります。日本にあるロシアの大学ではこれが唯一みたいですね。日本国内ではどういう扱いになっているのかはわかりませんが興味があります(笑。ウラジオストクにあるルースキー島のキャンバスは元々APEC会場だったので立派ですが函館校は古いビルの様な佇まいでした。そしてここには在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所も入居している様ですね。<br />ちなみに前の坂は八幡坂と呼ばれここも結構な急坂です。

    実は函館にはウラジオストクにキャンバスのある極東連邦大学の分校があります。日本にあるロシアの大学ではこれが唯一みたいですね。日本国内ではどういう扱いになっているのかはわかりませんが興味があります(笑。ウラジオストクにあるルースキー島のキャンバスは元々APEC会場だったので立派ですが函館校は古いビルの様な佇まいでした。そしてここには在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所も入居している様ですね。
    ちなみに前の坂は八幡坂と呼ばれここも結構な急坂です。

  • 日本で最初にロシア正教会の教会として建築された函館ハリストス正教会。最初の建物は1860年に建てられましたが明治の大火により焼失してしまい1916年に復元されたそうです。旅行前から知っていたのでわかっていたのですが、2021年2月から大規模改修工事が実施されていて中に入る事はできませんでした。管轄が違うのでロシア領事館と同時期なのは偶然だと思います。

    日本で最初にロシア正教会の教会として建築された函館ハリストス正教会。最初の建物は1860年に建てられましたが明治の大火により焼失してしまい1916年に復元されたそうです。旅行前から知っていたのでわかっていたのですが、2021年2月から大規模改修工事が実施されていて中に入る事はできませんでした。管轄が違うのでロシア領事館と同時期なのは偶然だと思います。

    函館ハリストス正教会 寺・神社・教会

    修繕工事中 by かるあみるくさん
  • こちらはカトリック元町教会。元々は幕末に箱館が開港されたあとフランス人宣教師が建てたものが始まりです。上のハリストス正教会と同じく明治の大火で焼失してしまいましたが1923年に再建されています。<br />カトリック教会らしく中世のゴシック式で建てられた教会でした。

    こちらはカトリック元町教会。元々は幕末に箱館が開港されたあとフランス人宣教師が建てたものが始まりです。上のハリストス正教会と同じく明治の大火で焼失してしまいましたが1923年に再建されています。
    カトリック教会らしく中世のゴシック式で建てられた教会でした。

    カトリック元町教会 寺・神社・教会

  • カトリック元町教会の近くには亀井勝一郎生誕の地碑がありました。昭和の文芸評論家だそうですが、申し訳ないですがここで初めて名前を知りました。<br />函館は碑が多く自分自身もいろいろと勉強になりました。

    カトリック元町教会の近くには亀井勝一郎生誕の地碑がありました。昭和の文芸評論家だそうですが、申し訳ないですがここで初めて名前を知りました。
    函館は碑が多く自分自身もいろいろと勉強になりました。

    亀井勝一郎生誕の地碑 名所・史跡

    函館出身の文芸評論家の碑 by かるあみるくさん
  • 函館山ロープウェイ方面に歩いていくと途中に元町配水場がありました。元町配水場は函館水道発祥の地で1889年に函館区で水道の供給が始まった際に中区配水場が、その後1896年に高区配水場が完成しています。ちなみに函館区の近代水道供給開始は同じく幕末に開港された港町、横浜に続いて日本で二番目の事でした。

    函館山ロープウェイ方面に歩いていくと途中に元町配水場がありました。元町配水場は函館水道発祥の地で1889年に函館区で水道の供給が始まった際に中区配水場が、その後1896年に高区配水場が完成しています。ちなみに函館区の近代水道供給開始は同じく幕末に開港された港町、横浜に続いて日本で二番目の事でした。

    元町配水場 名所・史跡

    日本で二番目の近代化水道を導入した函館の配水場 by かるあみるくさん
  • 元町配水場は水道100周年の際に冬季を除き市民に開放していて公園として憩いの場になっている他、函館市街地や函館湾を見下ろす展望台も設置されていました。こちらの煉瓦造りの管理棟は創設時の物をそのまま使っているとの事なので1889年築のものだと思います。今でも現役の管理棟だそうです。ちなみに明治期の建築物に見えるような建物はトイレでした。

    元町配水場は水道100周年の際に冬季を除き市民に開放していて公園として憩いの場になっている他、函館市街地や函館湾を見下ろす展望台も設置されていました。こちらの煉瓦造りの管理棟は創設時の物をそのまま使っているとの事なので1889年築のものだと思います。今でも現役の管理棟だそうです。ちなみに明治期の建築物に見えるような建物はトイレでした。

    元町配水場 名所・史跡

    日本で二番目の近代化水道を導入した函館の配水場 by かるあみるくさん
  • 函館山に向かう函館山ロープウェイですが毎年秋に行う法定検査の最中で運休中でした。函館山ロープウェイは結構巨大なのでこんなゴンドラが置いてあるところを見れて良かったかも。<br />最後にロープウェイに乗ったのは箱根でなのでそれに比べるとずいぶん大きく見えて調べると125人乗りの様ですね。

    函館山に向かう函館山ロープウェイですが毎年秋に行う法定検査の最中で運休中でした。函館山ロープウェイは結構巨大なのでこんなゴンドラが置いてあるところを見れて良かったかも。
    最後にロープウェイに乗ったのは箱根でなのでそれに比べるとずいぶん大きく見えて調べると125人乗りの様ですね。

    函館山ロープウェイ 乗り物

    現在運休中 by かるあみるくさん
  • 駅舎も覆いをしての工事中でした。ロープウェイの場合装置も駅舎内を通すからなのか、それともちょうど同じ機会に駅舎も修理した方が合理的だからかはわかりませんが…。<br />小さいゴンドラを通すロープウェイとはちがい相当大きなゴンドラなので駅舎もかなり立派に感じました。

    駅舎も覆いをしての工事中でした。ロープウェイの場合装置も駅舎内を通すからなのか、それともちょうど同じ機会に駅舎も修理した方が合理的だからかはわかりませんが…。
    小さいゴンドラを通すロープウェイとはちがい相当大きなゴンドラなので駅舎もかなり立派に感じました。

    函館山ロープウェイ 乗り物

    現在運休中 by かるあみるくさん
  • 法定検査実施中の代行輸送として臨時バスがありました。元々函館市街からのバスもあるようなのでバスの本数が増える形になるようです。行くか行かないかちょっと迷いましたが、まだまだ函館山のふもとで見たいところが多いので行かないことにしました。<br />次のパートでも引き続き函館山の麓近辺を散策し続けます。

    法定検査実施中の代行輸送として臨時バスがありました。元々函館市街からのバスもあるようなのでバスの本数が増える形になるようです。行くか行かないかちょっと迷いましたが、まだまだ函館山のふもとで見たいところが多いので行かないことにしました。
    次のパートでも引き続き函館山の麓近辺を散策し続けます。

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