2021/06/19 - 2021/06/19
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ミロのブイ茄子さん
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難波田城公園の蓮の花が咲きました。まるで煩悩から解き放たれるような美しさできれいでした。
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ちょうど見頃で咲いています。
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池にあんなに蓮の花があるのは知りませんでした。特別展でみた南無妙法蓮華経の過去帳と合わせると、この城の人達の化身のような気がして、霊がうようよいそうな感じで。。とても心安らぐ優雅な世界です。
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柳があって、ここは難波田城跡に十玉院という修験場を移転したらしくて、こう仏教の世界観が目前に広がります。興味深いのは、里見八犬伝の大塚の里がこの柳瀬川流域の十玉院のあった武州大塚村と一説では考えられるようで、鎌倉から南北朝や鎌倉公方の戦乱に川越夜戦と数々の戦を経てきた土地かと思うとそうかもとも。八犬伝の描写に大塚村から筑波山が見えるらしく、この辺りからの景色もそれっぽいらしい。
ここはさいたまの荒川の羽倉橋に近く羽倉街道といって上尾の方から荒川から超える際のポイントなので軍事的にも重要な土地だったのかもしれません。ちなみに扇谷上杉家は尊氏の母方の家なんだって。 -
資料館も大きいです。タダスポットなのに見どころが多い公園です。
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以前訪れた特別展のときはお天気が良くて追手門が黒くてピカっと青空に映えて、時代を経てきた風格というか、カッコイイクールジャパンという空気がありました。
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荒川に近く水害の地なので、改めてみると土塁が高く作ってあります。
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特別展はもう終了してしまいましたが面白かったです。難波田氏に関連した内容で子孫の絵画がありました。
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難波田弾正の返した和歌
これは古今集のうたで末の松山とかけたらしく
君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ -
国会図書館アーカイブ
武士の堪忍袋 より
難波田弾正の落行
上杉朝定 は、父の朝興の荏土( えど)の城を北条氏綱に取られたことを憤り
深大寺の城を再興す
そこに氏綱が三木のが原に軍をしいて川越へ攻め入る。そのため、朝定は難波田弾正のいる東松山城へうつる。 -
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難波田城通信49号より
「松山城風流歌合戦」
松山城風流歌合戦 1537 年、小田原北条氏との合戦で劣勢となった難波田弾正が松山城に退却しようとすると、北条方の山中主膳しゅぜんは次の和歌で呼び止めました。
あしからじ よかれとてこそ 戦はめ など難波田の 浦崩れ行く
[悪しからず良いと思って戦ったのだろう なぜ難波の浦の波のように引いていくのだ]
弾正も歌で返しました。
君をおきて あだし心を 我もたば 末の松山 波もこえなん
[主君をほおっておいて他の人を相手しては 末の松山を波が越えてしまうよ]
これは江戸時代の軍記物に登場した話で、史実とは思えませんが、弾正がすぐれた武将と評価されていたから生み出されたエピソードでしょう。
「末の松山」推定地。本堂裏の松が立つ丘が芭蕉も訪れた宮城県多賀城市末松山宝国寺
かつての日本人にとって文化的な素養とは和歌でした。軍記物の作者は、このような歌の世界の広がりを読者が連想することを期待したのです。
本歌 山中主膳の歌は
「葦あし刈り」と呼ばれる伝説に登場する歌のもじりです。
950 年頃に成立した『大和物語』の中では次のように語られます 生活苦を解消しようと別れた夫婦のうち、女は貴族と再婚して豊かな生活を手に入れたが、男は難波(大阪府)の浦の葦を刈って売り歩くつらい生活に陥った。たまたまその姿を見かけた女は あしからじ とてこそ人の わかれけめ なにかなにはの うらもすみうき
[悪しからず/葦刈らず/と思って分かれたのに なにゆえ難波の浦で苦労しているのですか *心うら/浦 住み憂き/澄み浮き]
という歌を贈ったが、贈り主が誰か気付いた男は返歌のみ残して姿を消した。 軍記の作者は歌の語句だけでなく、二人の運命と両軍の盛衰も重ね合せているようです。 難波田弾正が返した歌は、古今和歌集に収録された歌そのままです。本来は、恋人に心変りしないことを誓った歌ですが、それを君主への忠義に読替え「末の松山」を扇谷上杉氏の最後の拠点である松山城に重ねたのです。
新たなる解釈
ところで、末の松山の歌については、近年、自然科学の分野から新たな解釈が呈示されました。 この歌は「みちのく歌」で、東北各地に歌枕の推定地があります。10数年前から、仙台平野などの地質調査により、貞観じょうがん11年(869)の大地震が岩手県~福島県の沿岸に巨大な津波を起したことが実証されてきました。地質学の清水大吉郎氏(故人)は、この津波の記憶に基いて、松の生えた丘を浪が越えてしまうという歌が生れたのだと推測しました(地質ニュース2000年9月号)。 古今和歌集は 910 年頃に完成しましたが、890年頃の寛平歌合かんぴょうのうたあわせ でこの歌をもじった歌が詠まれているので、すでに都では有名な歌だったようです。大災害から少し過ぎて記憶に基づく歌が発生し、都まで広がり、という時間経過がたどれそうです。 軍記物の作者は、この歌が津波に由来するかもしれないとは、おそらく思っていなかったでしょう(慶長16年[1611]の東北地方の大津波を知っていた可能性はあります)。しかし、歌合戦での弾正のふるまい(小さな事にとらわれず、逃げることを優先する)は、津波の危険があるときの行動原則に一致しています。たとえ偶然の一致でも、そのようなイメージを重ね見ることで、物語の世界が広がっていくようです。 参考文献:山本啓介「“末の松山”を波は越えたのか」『日本文学』平成23年8月号
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://www.city.fujimi.saitama.jp/madoguchi_shisetsu/02shisetsu/shiryoukan/nanbatajo/publications.files/nanbatajo-dayori49.pdf&ved=2ahUKEwik-o7_ut7xAhWlBKYKHe-RAWsQFnoECAoQAg&usg=AOvVaw364SuNRshps1ZBAtMKLTAO -
天文15年
川越夜戦て想像できないくらい大きな何ですかね。
こんなに一度に… 悲しい事件です リカバリーするにも時間がかかりそうです
なんだか寺の焼き払いのようにも思えるな…
日蓮宗はこの頃迫害されてたそうなのでね
京都では、天文年間に法華一揆といった宗教一揆があり、結局織田信長の本能寺とかもそうだしな… -
川越の東明寺口でうたれたのは、数人かと思ってたけど、こんなにいたのか…
亡くなられた方々の法名なのか院号なのか
川越夜戦二千人
川越の日蓮宗の行伝寺過去帳 複製 川越市立博物館の資料で
佛身院 上杉朝定
銀善 難波田憲重
蓮順
日印聖人
日常聖人と日蓮宗の弟子の名前がかいてありました
難波田氏は日蓮宗だったのかな? -
建武の文字かな?
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妙賢禅門
文明三年 -
延文元年かな?
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寺院の台所
慕帰絵 西本願寺蔵 南北朝時代の絵巻 資料館 -
中世の家ってこんなにデカいんだ。豪邸だな。
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勝手口
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羽子板
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瀬戸美濃焼
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天文3年の文字あり
近くでみてもとても精巧にできていました -
中国輸入陶器 戦国時代
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梵字は、阿弥陀の字
常設展示に他に3つあり
もう展示が終了した特別展の板碑のほうが保存がよい感じでした。 -
近くに1252年建長4年の板碑がみつかる。2メートル以上の大型
村山党の分布と近似している
建長4年の板碑は、南畑新田の慈光院跡と勝瀬の護国寺にあり -
難波田氏の祖の系図は、金子十郎小太郎高範たかのり
後鳥羽上皇と幕府の承久の乱1221で、宇治川で幕府軍で討死。幕府軍が多くの犠牲を出しながら宇治川を渡り勝利。子孫がはっきりしない高範に、結びつけたかもしれない… 鎌倉時代に難波田の武士は登場しない… -
観応の擾乱 じょうらん1350
初めてきいたわ
尊氏の弟が高師直 こうのもろなおと対立して、さらに尊氏と対立した。
( このころ、南北朝で九州とか大変だったそうです。南朝の後醍醐天皇の子供が日本王として熊本にいて明と倭寇取締でやり取りしていたみたいで、それを引き継いだのが北朝の足利義満とか)
南北朝に初めての記載で那波多 とあり。
白岡で挙兵した尊氏の別部隊高麗一族と、難波田九郎三郎と合戦。尊氏方の勝利となり、難波田城跡となる。
扇谷上杉家は
この後なのかな。尊氏の母方の家が、扇谷上杉家。 -
1400年 鎌倉公方が
入東郡内難波田小三郎入道跡 を鶴岡八幡宮に寄進
これ、近くの八幡神社にあった足利満兼の寄進ですね。 -
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近くは田んぼばかり
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遠くにさいたま都心が見えました。
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常設展示 キリシタン禁止の高札
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横に三猿がいる
かわいい -
もの好きなので難波田氏が信仰したすぐ近くの八幡神社も行ってみた。
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ほんだわけ
神功皇后
姫大神
阿蘇姫
菅原道真
北極星
めずらしいかみさまだな
応永7年 1400年 足利満兼が鶴岡八幡宮に寄進 -
庚申塔 ここにも三猿発見
三猿って違和感があったけど、悲劇があるとするなら、見ざる聞かざる言わざるがわかる気がする…
三猿は庚申信仰とのってたけどね -
城と神社はすぐ近くにあるものなのね。
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資料館にあった八幡神社の鰐口の複製
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応永年間 1397-1427 難波田与太郎 …とありました
中世の鎌倉から室町幕府の鎌倉公方と里見八犬伝の世の中に少なからずリンクする場所でした。
しかし八犬伝は、豊島郡神宮村とかいてあり東京なのかな…
参考
川越夜戦 http://takayama.tonosama.jp/html/sunakubo.html
八犬伝
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/he13/he13_03416_0011/
八犬伝
http://fusehime.la.coocan.jp/no298.htm
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