国分寺・小金井旅行記(ブログ) 一覧に戻る
奈良時代の中頃、伝染病や地震、農作物の不作などを鎮静しようとして全国各地に建てられた国分寺です。70近くの国分寺が建っていた中、国分寺市に残る武蔵国国分寺は最大級の規模を誇る国分寺だったそうです。東西1.5㎞、南北1㎞程の広さがあり、現在は広い公園のような草地に、金堂や講堂、経蔵、中門、七重塔などがあった場所がわかるように整地されています。<br />国分寺跡周辺には尾張徳川家が鷹場として利用したお鷹の道や、湧水が流れ出る真姿の池、武蔵野の面影が残る雑木林を生かした殿ヶ谷戸庭園、国分寺村の名主だった方の住宅長屋門、歴代の徳川将軍から篤く庇護されていた国分寺と境内に造られた万葉植物園、薄暗い中に建つ国分寺薬師堂、鎌倉と群馬や長野を結んでいた鎌倉街道、国分寺と北関東を繋いでいた東山道武蔵路跡など、奈良時代以降の史跡が数多く残っています。<br />歴史的ロマンを感じながら、のんびり散歩が楽しめるエリアです。<br />

国分寺から西国分寺へ歴史散歩

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2021/06/12 - 2021/06/12

427位(同エリア525件中)

ぷーちゃんさん

この旅行記のスケジュール

2021/06/12

この旅行記スケジュールを元に

奈良時代の中頃、伝染病や地震、農作物の不作などを鎮静しようとして全国各地に建てられた国分寺です。70近くの国分寺が建っていた中、国分寺市に残る武蔵国国分寺は最大級の規模を誇る国分寺だったそうです。東西1.5㎞、南北1㎞程の広さがあり、現在は広い公園のような草地に、金堂や講堂、経蔵、中門、七重塔などがあった場所がわかるように整地されています。
国分寺跡周辺には尾張徳川家が鷹場として利用したお鷹の道や、湧水が流れ出る真姿の池、武蔵野の面影が残る雑木林を生かした殿ヶ谷戸庭園、国分寺村の名主だった方の住宅長屋門、歴代の徳川将軍から篤く庇護されていた国分寺と境内に造られた万葉植物園、薄暗い中に建つ国分寺薬師堂、鎌倉と群馬や長野を結んでいた鎌倉街道、国分寺と北関東を繋いでいた東山道武蔵路跡など、奈良時代以降の史跡が数多く残っています。
歴史的ロマンを感じながら、のんびり散歩が楽しめるエリアです。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • JR国分寺駅南口から1分ほどのところにある殿ヶ谷戸庭園へ。<br />園内には石を配置した湧水が流れ出る池や竹林、藤棚、萩のトンネルなどのほか、数寄屋造りの集会所・紅葉亭や和洋折衷の展示室として利用されている建物、鹿おどしも造られています。

    JR国分寺駅南口から1分ほどのところにある殿ヶ谷戸庭園へ。
    園内には石を配置した湧水が流れ出る池や竹林、藤棚、萩のトンネルなどのほか、数寄屋造りの集会所・紅葉亭や和洋折衷の展示室として利用されている建物、鹿おどしも造られています。

    都立殿ヶ谷戸庭園 公園・植物園

  • 遊歩道沿いに造られた竹林。

    遊歩道沿いに造られた竹林。

    都立殿ヶ谷戸庭園 公園・植物園

  • 手入れされた庭園には、松や紅葉、コケなどが植えられ、休憩所にもなっている紅葉亭からは緑に囲まれた池を見下ろすことができます。

    手入れされた庭園には、松や紅葉、コケなどが植えられ、休憩所にもなっている紅葉亭からは緑に囲まれた池を見下ろすことができます。

    都立殿ヶ谷戸庭園 公園・植物園

  • 緑濃く、小鳥の鳴き声も聞こえる静かな庭園です。

    緑濃く、小鳥の鳴き声も聞こえる静かな庭園です。

    都立殿ヶ谷戸庭園 公園・植物園

  • お鷹の道へ。<br />国分寺駅南口から400mほどの不動橋から国分寺に向かう、300mほどの小径です。江戸時代、尾張徳川家の鷹場だったことから名づけられたそうです。

    お鷹の道へ。
    国分寺駅南口から400mほどの不動橋から国分寺に向かう、300mほどの小径です。江戸時代、尾張徳川家の鷹場だったことから名づけられたそうです。

    お鷹の道・真姿の池湧水群 名所・史跡

  • 現在、小径の脇には湧水から出た用水が流れ、小魚が泳ぎ、緑豊かで、地元の人たちの散歩道になっています。所どころにホタルの住む川と書かれた掲示板が立っていて、澄んだ水が快く感じられます。国分寺駅と西国分寺駅の間にあり、歴史散歩をする際に散策が楽しめるエリアです。

    現在、小径の脇には湧水から出た用水が流れ、小魚が泳ぎ、緑豊かで、地元の人たちの散歩道になっています。所どころにホタルの住む川と書かれた掲示板が立っていて、澄んだ水が快く感じられます。国分寺駅と西国分寺駅の間にあり、歴史散歩をする際に散策が楽しめるエリアです。

    お鷹の道・真姿の池湧水群 名所・史跡

  • 途中、澄んだ水が湧き出ている真姿の池湧水群や、国分寺村の名主だった本多家の長屋門が残るおたかの道湧水園に立ち寄ることもできます。<br />写真は真姿の池湧水群の様子です。

    途中、澄んだ水が湧き出ている真姿の池湧水群や、国分寺村の名主だった本多家の長屋門が残るおたかの道湧水園に立ち寄ることもできます。
    写真は真姿の池湧水群の様子です。

    お鷹の道・真姿の池湧水群 名所・史跡

  • 武蔵国分寺公園<br />お鷹の道沿いの真姿の池湧水群の先にある階段を上がって公園に向かいました。湧水群近くのエリアは緑豊かで武蔵野の雑木林が残る公園といった雰囲気ですが、公園の中心部は広々とした円形芝生広場や噴水、池、藤棚などがある開放的な公園になっています。地元の人たちの散歩コースにもなっているようで、犬を連れた多くの人が園内や湧水群周辺を散歩している姿が印象的でした。

    武蔵国分寺公園
    お鷹の道沿いの真姿の池湧水群の先にある階段を上がって公園に向かいました。湧水群近くのエリアは緑豊かで武蔵野の雑木林が残る公園といった雰囲気ですが、公園の中心部は広々とした円形芝生広場や噴水、池、藤棚などがある開放的な公園になっています。地元の人たちの散歩コースにもなっているようで、犬を連れた多くの人が園内や湧水群周辺を散歩している姿が印象的でした。

    都立武蔵国分寺公園 公園・植物園

  • お鷹の道途中に造られたおたかの道湧水園へ。<br />お鷹の道沿いに建つ文化施設です。園内入口には、江戸時代に国分寺村の名主を務めていた本多家の住宅長屋門が建っています。上級武家屋敷のような構えの長屋門で、門の両側には部屋が造られていて、幕末には診療所としても使用されていたそうです。

    お鷹の道途中に造られたおたかの道湧水園へ。
    お鷹の道沿いに建つ文化施設です。園内入口には、江戸時代に国分寺村の名主を務めていた本多家の住宅長屋門が建っています。上級武家屋敷のような構えの長屋門で、門の両側には部屋が造られていて、幕末には診療所としても使用されていたそうです。

    おたかの道湧水園 公園・植物園

  • 2階には養蚕業を営んでいた本多家の生活の様子や、医師としての功績、長屋門修理の際に見つかった道具、衣服、薬箪笥などが展示されています。

    2階には養蚕業を営んでいた本多家の生活の様子や、医師としての功績、長屋門修理の際に見つかった道具、衣服、薬箪笥などが展示されています。

    おたかの道湧水園 公園・植物園

  • 園内奥に建つ国分寺跡資料館には、国分寺跡から発掘された土器や板碑、銅蓋、皿、瓦などが展示されています。小さな資料館なので短時間で見学できました。帰り際に、住宅長屋門と資料館に関する立派な冊子をいただき、国分寺を理解する際の貴重な資料になりました。<br />

    園内奥に建つ国分寺跡資料館には、国分寺跡から発掘された土器や板碑、銅蓋、皿、瓦などが展示されています。小さな資料館なので短時間で見学できました。帰り際に、住宅長屋門と資料館に関する立派な冊子をいただき、国分寺を理解する際の貴重な資料になりました。

    武蔵国分寺跡資料館 美術館・博物館

  • おたかの道湧水園内に建つ武蔵国分寺七重塔推定復元模型。<br />奈良時代、鎮護国家として国分寺内に造られた七重塔は、国分寺の象徴だったそうです。当時の七重塔は60mほどあったようです。<br />復元された七重塔は10分の1のスケールで造られていました。

    おたかの道湧水園内に建つ武蔵国分寺七重塔推定復元模型。
    奈良時代、鎮護国家として国分寺内に造られた七重塔は、国分寺の象徴だったそうです。当時の七重塔は60mほどあったようです。
    復元された七重塔は10分の1のスケールで造られていました。

    おたかの道湧水園 公園・植物園

  • 国分寺近くのお鷹の道の様子です。<br />趣が感じられます。

    国分寺近くのお鷹の道の様子です。
    趣が感じられます。

    お鷹の道・真姿の池湧水群 名所・史跡

  • 国分寺本堂。<br />唐破風下の彫刻は、山門にあたる楼門同様、見ごたえがありました。

    国分寺本堂。
    唐破風下の彫刻は、山門にあたる楼門同様、見ごたえがありました。

    武蔵国分寺 寺・神社・教会

  • 国分寺の境内に造られた万葉植物園。<br />国分寺が栄えた奈良時代から平安時代にかけて編纂された、万葉集に歌われる160種ほどの植物と和歌が展示されています。国分寺の住職だった方が奈良時代の文化や生活を理解しやすいようにと、13年かけて造り上げたそうです。住職の方の熱意が伝わる境内です。

    国分寺の境内に造られた万葉植物園。
    国分寺が栄えた奈良時代から平安時代にかけて編纂された、万葉集に歌われる160種ほどの植物と和歌が展示されています。国分寺の住職だった方が奈良時代の文化や生活を理解しやすいようにと、13年かけて造り上げたそうです。住職の方の熱意が伝わる境内です。

    万葉庭園 公園・植物園

  • 国分寺の山門にあたる木造の楼門。<br />お鷹の道に突如現れる堂々とした門です。

    国分寺の山門にあたる木造の楼門。
    お鷹の道に突如現れる堂々とした門です。

    武蔵国分寺 寺・神社・教会

  • 国分寺本堂から30mほど離れたところに建つ薬師堂。<br />1335年に国分寺金堂跡附近に建立されたもので、1756年ごろに現在の場所に移ってきた木造の落ち着きあるお堂です。八脚の仁王門をくぐり、70段ほどの階段を上がった薄暗い中に建っています。お堂の手前にはコケが生えた庭がありますが、暗くなってからは近寄りにくい雰囲気が感じられました。<br />

    国分寺本堂から30mほど離れたところに建つ薬師堂。
    1335年に国分寺金堂跡附近に建立されたもので、1756年ごろに現在の場所に移ってきた木造の落ち着きあるお堂です。八脚の仁王門をくぐり、70段ほどの階段を上がった薄暗い中に建っています。お堂の手前にはコケが生えた庭がありますが、暗くなってからは近寄りにくい雰囲気が感じられました。

    国分寺薬師堂 寺・神社・教会

  • お堂の裏に四国は十八か所巡りを模した小さな石仏が整然と並んでいたのも印象的でした。

    お堂の裏に四国は十八か所巡りを模した小さな石仏が整然と並んでいたのも印象的でした。

    国分寺薬師堂 寺・神社・教会

  • 薬師堂から80mほどのところに保存されている武蔵国分寺跡。<br />奈良時代の中頃に起こった伝染病や地震、農作物の不作などを鎮静しようとして建てられた建物で、国分寺にあったものは東西1.5㎞、南北1㎞程の、全国で最も大きな境内だったとのことです。現在は広い公園のような草地に、金堂や講堂、経蔵、中門、七重塔などがあった場所がわかるように整地されています。<br />広大な敷地に立ち奈良時代の生活の場にいることに感動しましたが、建物らしきものが全くなく残念に感じました。一つでも復元されるとさらに跡地をより身近に感じることができるのではと思ってしまいました。

    薬師堂から80mほどのところに保存されている武蔵国分寺跡。
    奈良時代の中頃に起こった伝染病や地震、農作物の不作などを鎮静しようとして建てられた建物で、国分寺にあったものは東西1.5㎞、南北1㎞程の、全国で最も大きな境内だったとのことです。現在は広い公園のような草地に、金堂や講堂、経蔵、中門、七重塔などがあった場所がわかるように整地されています。
    広大な敷地に立ち奈良時代の生活の場にいることに感動しましたが、建物らしきものが全くなく残念に感じました。一つでも復元されるとさらに跡地をより身近に感じることができるのではと思ってしまいました。

    武蔵国分寺跡 名所・史跡

  • 尼寺跡に向かう途中で立ち寄った国分寺市文化財資料展示室。

    尼寺跡に向かう途中で立ち寄った国分寺市文化財資料展示室。

  • 武蔵国分寺跡発掘調査で出土した瓦や板碑、土器などが展示されているほか、尼寺に関する説明も映像で行われていました。担当の方がわかりやすく国分寺のことを説明してくれました。

    武蔵国分寺跡発掘調査で出土した瓦や板碑、土器などが展示されているほか、尼寺に関する説明も映像で行われていました。担当の方がわかりやすく国分寺のことを説明してくれました。

  • 国分寺跡から450mほど、整地された武蔵国分尼寺跡。<br />敷地内には金堂や尼坊、講堂、中門跡などがわかるように整地され、歴史公園としてだれでも利用できるようになっています。説明板はあるものの、国分寺跡同様、建物が一切ないのが残念でした。

    国分寺跡から450mほど、整地された武蔵国分尼寺跡。
    敷地内には金堂や尼坊、講堂、中門跡などがわかるように整地され、歴史公園としてだれでも利用できるようになっています。説明板はあるものの、国分寺跡同様、建物が一切ないのが残念でした。

    市立歴史公園 武蔵国分尼寺跡 名所・史跡

  • 尼寺跡の様子です。

    尼寺跡の様子です。

    市立歴史公園 武蔵国分尼寺跡 名所・史跡

  • 尼寺跡からすぐ、西国分寺に向かう切通し・伝鎌倉街道へ。<br />鎌倉時代に、鎌倉と群馬や長野を結ぶ主要道路だった道で、現在100mほどが歩行者と自転車用道路として使用されながら保存されています。

    尼寺跡からすぐ、西国分寺に向かう切通し・伝鎌倉街道へ。
    鎌倉時代に、鎌倉と群馬や長野を結ぶ主要道路だった道で、現在100mほどが歩行者と自転車用道路として使用されながら保存されています。

    伝鎌倉街道 名所・史跡

  • 道路の両側は高台になっていて、かつて祥応寺と寺にかかわりがある塚があったようです。高台に上がってみましたが、草地になっているだけで、遺跡らしきものは見当たりませんでした。

    道路の両側は高台になっていて、かつて祥応寺と寺にかかわりがある塚があったようです。高台に上がってみましたが、草地になっているだけで、遺跡らしきものは見当たりませんでした。

  • 伝鎌倉街道の先にある史跡通りを通り西国分寺駅へ。<br />西国分寺と史跡公園を結んでいることから名づけられた通りです。土器や瓦の紋様を配したベンチも設置されていました。

    伝鎌倉街道の先にある史跡通りを通り西国分寺駅へ。
    西国分寺と史跡公園を結んでいることから名づけられた通りです。土器や瓦の紋様を配したベンチも設置されていました。

  • 西国分寺駅を通り過ぎ、東山道武蔵路跡へ。<br />JR西国分寺駅近くを通る府中街道の1本東側の道路の歩道に、奈良時代に国分寺と群馬県や長野県を繋いでいた幹線道路の一部が発掘された様子を記した説明板が立っています。説明板によると、長さ340m、幅12mほどの道路が発掘されたそうです。現在、道路わきには公共施設や高層住宅が建ち、8mほどの広々とした歩道がある開放的な道路になっています。<br />

    西国分寺駅を通り過ぎ、東山道武蔵路跡へ。
    JR西国分寺駅近くを通る府中街道の1本東側の道路の歩道に、奈良時代に国分寺と群馬県や長野県を繋いでいた幹線道路の一部が発掘された様子を記した説明板が立っています。説明板によると、長さ340m、幅12mほどの道路が発掘されたそうです。現在、道路わきには公共施設や高層住宅が建ち、8mほどの広々とした歩道がある開放的な道路になっています。

    東山道武蔵路跡 名所・史跡

  • 姿見の池。<br />JR国分寺駅から5分ほど、住宅地に造られた小さな池と草地です。かつては池に湧水が流れ込み澄んだ水だったそうですが、一度埋め立てられたことがあり昔の面影はなくなってしまったようです。池沿いには木道も造られていて、草地には菖蒲も花をつけていました。<br />鎌倉時代に遊女たちが鏡代わりに池を利用していたという言い伝えがある池ですが、現在、池には鯉が泳いでいるものの、水は濁り、藻も浮いていて、姿見と言える池ではありませんでした。<br /><br />奈良時代や平安時代、鎌倉時代、江戸時代などの歴史に触れた、16000歩ほどの散歩でした。<br />

    姿見の池。
    JR国分寺駅から5分ほど、住宅地に造られた小さな池と草地です。かつては池に湧水が流れ込み澄んだ水だったそうですが、一度埋め立てられたことがあり昔の面影はなくなってしまったようです。池沿いには木道も造られていて、草地には菖蒲も花をつけていました。
    鎌倉時代に遊女たちが鏡代わりに池を利用していたという言い伝えがある池ですが、現在、池には鯉が泳いでいるものの、水は濁り、藻も浮いていて、姿見と言える池ではありませんでした。

    奈良時代や平安時代、鎌倉時代、江戸時代などの歴史に触れた、16000歩ほどの散歩でした。

    姿見の池 名所・史跡

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