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日本の近代文学を代表する太宰治が亡くなるまで9年ほど過ごし、代表作の斜陽や走れメロス、人間失格などを執筆した三鷹には、太宰ゆかりの場所が点在しています。そのほとんどは小さな説明板が立っているだけで当時の面影は見られませんが、遺品や絵画、自筆原稿などが残る資料館などもあり、太宰の生活を垣間見ることができます。今回はその一部、<br />千草跡や野川家跡、玉川上水、連雀湯跡、禅林寺、太宰横丁、中鉢家跡、太宰治文学サロン、三鷹市美術ギャラリーなどを訪ね歩きました。

太宰ゆかりの地を訪ねる in 三鷹

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2021/07/06 - 2021/07/06

513位(同エリア819件中)

ぷーちゃんさん

この旅行記のスケジュール

2021/07/06

この旅行記スケジュールを元に

日本の近代文学を代表する太宰治が亡くなるまで9年ほど過ごし、代表作の斜陽や走れメロス、人間失格などを執筆した三鷹には、太宰ゆかりの場所が点在しています。そのほとんどは小さな説明板が立っているだけで当時の面影は見られませんが、遺品や絵画、自筆原稿などが残る資料館などもあり、太宰の生活を垣間見ることができます。今回はその一部、
千草跡や野川家跡、玉川上水、連雀湯跡、禅林寺、太宰横丁、中鉢家跡、太宰治文学サロン、三鷹市美術ギャラリーなどを訪ね歩きました。

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 三鷹駅南口から2分ほど、協同ビルの1階にあるこじんまりした観光案内所へ。<br />三鷹市内の太宰治ゆかりの場所をまとめたパンフレットや地図がいただけます。太宰治ゆかりの場所の多くは、簡単な説明が書かれた小さなプレートが立っているだけで目につきにくい場所にあります。地図を参考に歩くと見つかりやすく、案内所で地図を手に入れてから散策を始めることをおすすめします。

    三鷹駅南口から2分ほど、協同ビルの1階にあるこじんまりした観光案内所へ。
    三鷹市内の太宰治ゆかりの場所をまとめたパンフレットや地図がいただけます。太宰治ゆかりの場所の多くは、簡単な説明が書かれた小さなプレートが立っているだけで目につきにくい場所にあります。地図を参考に歩くと見つかりやすく、案内所で地図を手に入れてから散策を始めることをおすすめします。

    みたか観光案内所 名所・史跡

  • 観光案内所の裏のビルに立つ千草跡について書かれた小さなプレート。<br />三鷹に残る太宰治ゆかりの地の一つで、太宰治が仕事部屋や編集者との打ち合わせなどに使っていた小料理屋・千草があった場所です。現在はビルになっていて、千草の面影は感じられませんでした。訪れた時はビルも改修中だったためプレートまで近づけず、網越しにプレートを眺めることしかできませんでした。

    観光案内所の裏のビルに立つ千草跡について書かれた小さなプレート。
    三鷹に残る太宰治ゆかりの地の一つで、太宰治が仕事部屋や編集者との打ち合わせなどに使っていた小料理屋・千草があった場所です。現在はビルになっていて、千草の面影は感じられませんでした。訪れた時はビルも改修中だったためプレートまで近づけず、網越しにプレートを眺めることしかできませんでした。

    千草跡 名所・史跡

  • 千草跡から数十メートル離れたところに貼られた野川家跡の説明板。<br />葬儀屋さんの壁に説明が書かれたプレートが張り付けられています。太宰治と親しくなった美容師の山崎富栄さんが下宿していた場所で、太宰治も仕事場として利用していました。プレートには当時の建物の写真も載っています。ここから二人は玉川上水に向かい入水したそうです。

    千草跡から数十メートル離れたところに貼られた野川家跡の説明板。
    葬儀屋さんの壁に説明が書かれたプレートが張り付けられています。太宰治と親しくなった美容師の山崎富栄さんが下宿していた場所で、太宰治も仕事場として利用していました。プレートには当時の建物の写真も載っています。ここから二人は玉川上水に向かい入水したそうです。

    野川家跡 名所・史跡

  • 三鷹駅に戻り、駅から井の頭公園に続く、玉川上水沿いに造られた風の散歩道へ。<br />玉川上水は、江戸時代、羽村から四谷までの43㎞、高低差92mの中に、江戸市中に水を供給するために造られた水道です。現在、水の流れがほとんど見えないくらいに上水脇には草木が生い茂り、水の量もわずかな上水です。太宰治が入水し命を落としたことでも知られています。当時は水量もかなり多かったのでしょう。<br />

    三鷹駅に戻り、駅から井の頭公園に続く、玉川上水沿いに造られた風の散歩道へ。
    玉川上水は、江戸時代、羽村から四谷までの43㎞、高低差92mの中に、江戸市中に水を供給するために造られた水道です。現在、水の流れがほとんど見えないくらいに上水脇には草木が生い茂り、水の量もわずかな上水です。太宰治が入水し命を落としたことでも知られています。当時は水量もかなり多かったのでしょう。

    玉川上水 名所・史跡

  • 風の散歩道。<br />ロマンチックな名称の遊歩道ですが、玉川上水の水の流れは覆われた草木でほとんど見えず、歩道も人がやっとすれ違えるほどの狭さで、あまり趣は感じられませんでした。

    風の散歩道。
    ロマンチックな名称の遊歩道ですが、玉川上水の水の流れは覆われた草木でほとんど見えず、歩道も人がやっとすれ違えるほどの狭さで、あまり趣は感じられませんでした。

    玉川上水 風の散歩道 公園・植物園

  • 玉鹿石近く<br />三鷹駅南口にある観光案内所でもらった地図が載っているパンフレットに、南口から井の頭公園に続く風の散歩道沿いの、太宰治と山崎富栄さんが入水した場所近くに、故郷の青森県五所川原市産の玉鹿石が置かれていると記載されていたので訪ねてみましたが、記載された場所で石を見つけることはできませんでした。石が置かれていると思われる場所は緑地になっていて、植え込みの中に乞食食堂の一節と近くの玉川上水で入水したというプレートが置かれていました。<br />

    玉鹿石近く
    三鷹駅南口にある観光案内所でもらった地図が載っているパンフレットに、南口から井の頭公園に続く風の散歩道沿いの、太宰治と山崎富栄さんが入水した場所近くに、故郷の青森県五所川原市産の玉鹿石が置かれていると記載されていたので訪ねてみましたが、記載された場所で石を見つけることはできませんでした。石が置かれていると思われる場所は緑地になっていて、植え込みの中に乞食食堂の一節と近くの玉川上水で入水したというプレートが置かれていました。

    玉鹿石 名所・史跡

  • ちょっと寄り道、三鷹市山本有三記念館へ。<br />風の散歩道沿いに建つ洋館です。建物手前には芝生広場が広がり、大きく成長した高木が建物周辺を覆っています。小説家・山本有三が暮らしていた建物で、館内では和室の書斎やマントルピースが設置された洋室、ステンドグラスがある応接室、食堂などを見学できるほか、山本有三の作品や使用していた遺品なども展示されています。有三ファンならずとも、洋館内部を見学するだけでも訪れる価値があると思います。<br />

    ちょっと寄り道、三鷹市山本有三記念館へ。
    風の散歩道沿いに建つ洋館です。建物手前には芝生広場が広がり、大きく成長した高木が建物周辺を覆っています。小説家・山本有三が暮らしていた建物で、館内では和室の書斎やマントルピースが設置された洋室、ステンドグラスがある応接室、食堂などを見学できるほか、山本有三の作品や使用していた遺品なども展示されています。有三ファンならずとも、洋館内部を見学するだけでも訪れる価値があると思います。

    三鷹市山本有三記念館 美術館・博物館

  • 連雀湯跡。<br />吉祥寺通り沿いに建つホンダドリーム吉祥寺と郵便局の境に、見過ごしてしまうほどの小さな説明板が置かれています。太宰治一家が通っていて銭湯があったそうです。

    連雀湯跡。
    吉祥寺通り沿いに建つホンダドリーム吉祥寺と郵便局の境に、見過ごしてしまうほどの小さな説明板が置かれています。太宰治一家が通っていて銭湯があったそうです。

    連雀湯跡 名所・史跡

  • またまた寄り道、三鷹八幡大神社へ。<br />太宰治や森鴎外が眠る禅林寺隣に建っています。1657年に江戸の大半を焼き尽くした振袖火事で、神田連雀町から逃れてきた25人衆によって創建された神社です。社殿は改修中で参拝することはできませんでしたが、80mほど続く参道先に建つ木造の山門は落ち着きが感じられ、山門の両側の神輿庫には大きな神輿と美しい獅子頭が保管されていました。参道を囲む石柱には多くの氏子の名が書かれ、参道は御神木であるすだじいの高木をはじめ多くの木々に囲まれ、神聖な雰囲気が感じられました。<br />

    またまた寄り道、三鷹八幡大神社へ。
    太宰治や森鴎外が眠る禅林寺隣に建っています。1657年に江戸の大半を焼き尽くした振袖火事で、神田連雀町から逃れてきた25人衆によって創建された神社です。社殿は改修中で参拝することはできませんでしたが、80mほど続く参道先に建つ木造の山門は落ち着きが感じられ、山門の両側の神輿庫には大きな神輿と美しい獅子頭が保管されていました。参道を囲む石柱には多くの氏子の名が書かれ、参道は御神木であるすだじいの高木をはじめ多くの木々に囲まれ、神聖な雰囲気が感じられました。

    三鷹八幡大神社 寺・神社・教会

  • 太宰が眠る禅林寺。<br />三鷹駅南口から1㎞程、禅林寺通りと連雀通りが交わるところに建つ黄檗宗の寺院です。墓地内には太宰治と森鴎外が向かい合うようにして眠っています。

    太宰が眠る禅林寺。
    三鷹駅南口から1㎞程、禅林寺通りと連雀通りが交わるところに建つ黄檗宗の寺院です。墓地内には太宰治と森鴎外が向かい合うようにして眠っています。

    禅林寺 寺・神社・教会

  • 100台以上の車が停められる駐車場や白壁の山門、山門先に造られた藤棚やあじさいが咲く花壇、広々とした境内などが特徴の寺院です。太宰治と森鴎外の墓は墓地の中央奥にあります。墓地入口に案内図が置かれているので見つけやすかったです。<br />

    100台以上の車が停められる駐車場や白壁の山門、山門先に造られた藤棚やあじさいが咲く花壇、広々とした境内などが特徴の寺院です。太宰治と森鴎外の墓は墓地の中央奥にあります。墓地入口に案内図が置かれているので見つけやすかったです。

    禅林寺 寺・神社・教会

  • 山門を入ったところにある花壇の中には、森鴎外の遺言が刻まれた石碑が建っています。

    山門を入ったところにある花壇の中には、森鴎外の遺言が刻まれた石碑が建っています。

    禅林寺 寺・神社・教会

  • 太宰治の墓。<br />暮石には太宰治と彫られ、生花が供えられていました。隣には津島家之墓と彫られた墓石があり、向かいには森鴎外の墓が建っています。多くの人が訪れているのかと思いましたが、人影はなく、思いのほか静かでした。<br />墓は墓地の中央奥にあります。

    太宰治の墓。
    暮石には太宰治と彫られ、生花が供えられていました。隣には津島家之墓と彫られた墓石があり、向かいには森鴎外の墓が建っています。多くの人が訪れているのかと思いましたが、人影はなく、思いのほか静かでした。
    墓は墓地の中央奥にあります。

    太宰治の墓 名所・史跡

  • 森鴎外の墓。<br />墓石には森林太郎と彫られていて、同じ敷地内には奥様や父親、兄、息子などの墓石も建っています。太宰治の墓と向かい合うようにして建っていました。

    森鴎外の墓。
    墓石には森林太郎と彫られていて、同じ敷地内には奥様や父親、兄、息子などの墓石も建っています。太宰治の墓と向かい合うようにして建っていました。

    森鴎外(森林太郎)の墓 名所・史跡

  • うなぎ若松屋跡。<br />三鷹駅前西商店会沿いの商業施設・三鷹コラルの自転車駐輪場入口に小さな説明板が立っています。太宰治が編集者との打ち合わせに利用していたうなぎ屋があったところです。三鷹市内に残る太宰治ゆかりの地同様、説明板が立っているだけで当時の面影は全くありませんでした。

    うなぎ若松屋跡。
    三鷹駅前西商店会沿いの商業施設・三鷹コラルの自転車駐輪場入口に小さな説明板が立っています。太宰治が編集者との打ち合わせに利用していたうなぎ屋があったところです。三鷹市内に残る太宰治ゆかりの地同様、説明板が立っているだけで当時の面影は全くありませんでした。

    うなぎ若松屋跡 名所・史跡

  • 太宰横丁と田辺肉店離れ跡。<br />三鷹駅南口から3分ほど、中央通りと本町通りの間の路地を入った、さかなや道場の建物の壁に説明板が張られています。行きつけの小料理屋・喜久屋があり、太宰治が店を訪れるために通ったことから、通称として名が付いたようです。<br />太宰横丁の説明と並んで田辺肉店離れ跡の説明板も張られています。太宰が斜陽を書くために借りたアパートで、この店を舞台にして作品・犯人が書かれたそうです。

    太宰横丁と田辺肉店離れ跡。
    三鷹駅南口から3分ほど、中央通りと本町通りの間の路地を入った、さかなや道場の建物の壁に説明板が張られています。行きつけの小料理屋・喜久屋があり、太宰治が店を訪れるために通ったことから、通称として名が付いたようです。
    太宰横丁の説明と並んで田辺肉店離れ跡の説明板も張られています。太宰が斜陽を書くために借りたアパートで、この店を舞台にして作品・犯人が書かれたそうです。

    太宰横丁 名所・史跡

  • 本町通りとさくら通りが交わる角に建つ太宰治文学サロン。<br />太宰治に関するこじんまりした資料館です。太宰が通った酒屋・伊勢元の跡地に建っていて、館内では太宰の足跡を表した年譜や自宅の模型、遺品の火鉢、文献、資料、三鷹市内にある太宰ゆかりの場所を示した地図などが展示されています。

    本町通りとさくら通りが交わる角に建つ太宰治文学サロン。
    太宰治に関するこじんまりした資料館です。太宰が通った酒屋・伊勢元の跡地に建っていて、館内では太宰の足跡を表した年譜や自宅の模型、遺品の火鉢、文献、資料、三鷹市内にある太宰ゆかりの場所を示した地図などが展示されています。

    太宰治文学サロン 美術館・博物館

  • 三鷹市内にある太宰ゆかりの場所には、簡単な説明が書かれた小さなプレートが立っているだけなので、ここを訪れることで太宰をより身近に感じることができました。

    三鷹市内にある太宰ゆかりの場所には、簡単な説明が書かれた小さなプレートが立っているだけなので、ここを訪れることで太宰をより身近に感じることができました。

    太宰治文学サロン 美術館・博物館

  • 中鉢家跡。<br />さくら通り沿いに建つマンション・藤和シティスクエア三鷹駅前の入口の植え込みに、小さな説明板が置かれています。疎開先から戻った太宰が執筆のために借りた木造のアパート跡です。説明板に載っている写真によると、大正から昭和にかけていたるところで見られた、シニアには懐かしく感じるアパートを借りていたようです。<br />

    中鉢家跡。
    さくら通り沿いに建つマンション・藤和シティスクエア三鷹駅前の入口の植え込みに、小さな説明板が置かれています。疎開先から戻った太宰が執筆のために借りた木造のアパート跡です。説明板に載っている写真によると、大正から昭和にかけていたるところで見られた、シニアには懐かしく感じるアパートを借りていたようです。

    中鉢家跡 名所・史跡

  • 三鷹市美術ギャラリー(太宰治展示室)<br />三鷹駅南口駅前に建つ商業施設・三鷹コラルの5階にあるギャラリーです。常設展示室では太宰治に関する展示が行われていて、太宰の年譜や作品紹介に加え、太宰が描いた絵画や直筆の掛け軸、遺品の文箱、懐中時計、アドレス帳、表札、自筆原稿、検印などが展示されていました。

    三鷹市美術ギャラリー(太宰治展示室)
    三鷹駅南口駅前に建つ商業施設・三鷹コラルの5階にあるギャラリーです。常設展示室では太宰治に関する展示が行われていて、太宰の年譜や作品紹介に加え、太宰が描いた絵画や直筆の掛け軸、遺品の文箱、懐中時計、アドレス帳、表札、自筆原稿、検印などが展示されていました。

    三鷹市美術ギャラリー 美術館・博物館

  • 太宰が暮らした書斎も再現されていました。太宰治文学サロンと共に、太宰をより身近に感じることができるギャラリーでした。<br />無料で観覧できるのも嬉しかったです。<br />

    太宰が暮らした書斎も再現されていました。太宰治文学サロンと共に、太宰をより身近に感じることができるギャラリーでした。
    無料で観覧できるのも嬉しかったです。

    三鷹市美術ギャラリー 美術館・博物館

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