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新型コロナウイルスにより東京に出ていた緊急事態宣言が解除になり、それまで3か月ほど閉園していたふるさと館が再開されたため3密に気を付け行ってきました。<br />園内には30ほどの歴史ある建物と灯籠、庚申塔、都電、ボンネットバスなどが展示されていて、明治村の小型版といった感じです。<br />この旅行記は園内・東ゾーンに保存されている建物に関してのものです。東の広場から子宝湯まで行き、下町中通りの両側の商店をじっくり見ました。店内は当時を再現してあり商品の模型などがあり面白かったです。看板建築は装飾を比べながら見ました。西ゾーンとセンターゾーンの建物に関して興味ある方は、西ゾーン・センターゾーン編をご覧ください。

新緑の江戸東京たてもの園を歩く 東ゾーン編

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2020/06/02 - 2020/06/02

391位(同エリア525件中)

ぷーちゃんさん

この旅行記のスケジュール

2020/06/02

この旅行記スケジュールを元に

新型コロナウイルスにより東京に出ていた緊急事態宣言が解除になり、それまで3か月ほど閉園していたふるさと館が再開されたため3密に気を付け行ってきました。
園内には30ほどの歴史ある建物と灯籠、庚申塔、都電、ボンネットバスなどが展示されていて、明治村の小型版といった感じです。
この旅行記は園内・東ゾーンに保存されている建物に関してのものです。東の広場から子宝湯まで行き、下町中通りの両側の商店をじっくり見ました。店内は当時を再現してあり商品の模型などがあり面白かったです。看板建築は装飾を比べながら見ました。西ゾーンとセンターゾーンの建物に関して興味ある方は、西ゾーン・センターゾーン編をご覧ください。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 小金井公園にある江戸東京たてもの園ビジターセンターから入園します。皇居前で行われた1940年の式典に使われた光華殿が移築されビジターセンターになりました。

    小金井公園にある江戸東京たてもの園ビジターセンターから入園します。皇居前で行われた1940年の式典に使われた光華殿が移築されビジターセンターになりました。

    ビジターセンター (旧光華殿) 名所・史跡

  • 東ゾーンに入ると皇居正門石橋飾電燈がありました。明治時代に皇居正門の石橋に設置されていた飾電燈です。4基の電球を支える電燈の柱には菊の御紋や獅子頭が描かれ、柱の土台には獅子の足が形どられています。これまで明治村や昭和記念公園、東京芸術大学などで同様の電燈を見てきましたが、どれも力強さが感じられる電燈です。<br />

    東ゾーンに入ると皇居正門石橋飾電燈がありました。明治時代に皇居正門の石橋に設置されていた飾電燈です。4基の電球を支える電燈の柱には菊の御紋や獅子頭が描かれ、柱の土台には獅子の足が形どられています。これまで明治村や昭和記念公園、東京芸術大学などで同様の電燈を見てきましたが、どれも力強さが感じられる電燈です。

    皇居正門石橋飾電燈 名所・史跡

  • 水路を渡った先に万世橋交番があります。神田万世橋のたもとにあったレンガ造りタイル張りの交番です。執務室の奥に二畳の宿直室があり布団がたたまれていました。ガスコンロと水道もあり今でも使われているような交番でした。<br />

    水路を渡った先に万世橋交番があります。神田万世橋のたもとにあったレンガ造りタイル張りの交番です。執務室の奥に二畳の宿直室があり布団がたたまれていました。ガスコンロと水道もあり今でも使われているような交番でした。

    万世橋交番 名所・史跡

  • 交番の横に郵便差出箱(1号丸形)がありました。懐かしいポストです。

    交番の横に郵便差出箱(1号丸形)がありました。懐かしいポストです。

  • 東の広場手前に上野消防署望楼上部が保存されていました。1925年に旧下谷消防署に建てられた望楼は23mあまりの高さでした。1970年に役目を終え、解体され上部7mが移築されました。とんがり屋根が美しく遊園地の建物のような華麗なイメージです。つるされた半鐘が望楼を語っていました。<br />

    東の広場手前に上野消防署望楼上部が保存されていました。1925年に旧下谷消防署に建てられた望楼は23mあまりの高さでした。1970年に役目を終え、解体され上部7mが移築されました。とんがり屋根が美しく遊園地の建物のような華麗なイメージです。つるされた半鐘が望楼を語っていました。

    上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部 名所・史跡

  • 東の広場に出ました。藤棚とベンチがありました。

    東の広場に出ました。藤棚とベンチがありました。

  • 東の広場の手前にある道に面して村上精華堂が建ってます。昭和の初め、池之端で椿油や香水、クリームなどの化粧品を販売していた店です。屋根は瓦葺きの和風、3階にバルコニーを設置するという和洋折衷の建物です。外壁は、木の上に人造石をかぶせてローマのイオニア式柱を模し、柱の頭に渦巻き型の模様をあしらった姿になっています。当時としては珍しい建物だったことから、建物に魅せられて店内に入った人も多かったのではないかと思いました。

    東の広場の手前にある道に面して村上精華堂が建ってます。昭和の初め、池之端で椿油や香水、クリームなどの化粧品を販売していた店です。屋根は瓦葺きの和風、3階にバルコニーを設置するという和洋折衷の建物です。外壁は、木の上に人造石をかぶせてローマのイオニア式柱を模し、柱の頭に渦巻き型の模様をあしらった姿になっています。当時としては珍しい建物だったことから、建物に魅せられて店内に入った人も多かったのではないかと思いました。

    村上精華堂 名所・史跡

  • 村上精華堂前の道を進むと左に長屋門が見えてきました。両脇に小さな部屋が付いた武家屋敷のような長屋門は、堂々としていて見ごたえがありました。農家の天明家の長屋門です。

    村上精華堂前の道を進むと左に長屋門が見えてきました。両脇に小さな部屋が付いた武家屋敷のような長屋門は、堂々としていて見ごたえがありました。農家の天明家の長屋門です。

  • 長屋門をくぐると天明家があります。園内に4棟ある茅葺屋根の古民家の一つで、屋根から突き出た千鳥破風を持つ農家の建物です。建物玄関に造られた式台、書院造りの座敷、土間を除いて7部屋すべてが畳敷きなど、格式ある豪農の建物であることがわかる造りの建物です。

    長屋門をくぐると天明家があります。園内に4棟ある茅葺屋根の古民家の一つで、屋根から突き出た千鳥破風を持つ農家の建物です。建物玄関に造られた式台、書院造りの座敷、土間を除いて7部屋すべてが畳敷きなど、格式ある豪農の建物であることがわかる造りの建物です。

    天明家 名所・史跡

  • 通りに戻り進むと居酒屋の鍵屋があります。1856年に下谷に酒問屋として建てられ、震災や戦災から逃れた、江戸時代末期の面影が残る木造建築の建物です。1階にはカウンター席と座敷席があり、2階は格子戸の裏側の横桟に小障子を入れた大阪格子の居住場所になっています。当時の肴は味噌田楽や鰻の子のくりから焼きなどだったそうで、今も暖簾をくぐるとつい店内に入っていきたくなる雰囲気が感じられる建物です。

    通りに戻り進むと居酒屋の鍵屋があります。1856年に下谷に酒問屋として建てられ、震災や戦災から逃れた、江戸時代末期の面影が残る木造建築の建物です。1階にはカウンター席と座敷席があり、2階は格子戸の裏側の横桟に小障子を入れた大阪格子の居住場所になっています。当時の肴は味噌田楽や鰻の子のくりから焼きなどだったそうで、今も暖簾をくぐるとつい店内に入っていきたくなる雰囲気が感じられる建物です。

    鍵屋 名所・史跡

  • 鍵屋の隣に子宝湯があります。入口に造られた唐破風、七福神の彫り物、乱れ籠が置かれた脱衣場、浴室に描かれた富士山のペンキ絵とタイル絵、高く造られた天井、坪庭に造られた縁側、湯気抜きのために造られた二段窓など、1988年まで使用されていたこともあり、昔ながらの銭湯が忠実に復元、保存されています。シニアにとってはとても懐かしく感じる建築物です。脱衣室に掲げられた料金表には、昭和28年に入浴料が15円だったと記されていました。当時高かったのか安かったのかはわかりませんが、現在の入浴料に比べとても安くびっくりしました。

    鍵屋の隣に子宝湯があります。入口に造られた唐破風、七福神の彫り物、乱れ籠が置かれた脱衣場、浴室に描かれた富士山のペンキ絵とタイル絵、高く造られた天井、坪庭に造られた縁側、湯気抜きのために造られた二段窓など、1988年まで使用されていたこともあり、昔ながらの銭湯が忠実に復元、保存されています。シニアにとってはとても懐かしく感じる建築物です。脱衣室に掲げられた料金表には、昭和28年に入浴料が15円だったと記されていました。当時高かったのか安かったのかはわかりませんが、現在の入浴料に比べとても安くびっくりしました。

    子宝湯 名所・史跡

  • 男性の脱衣場から見た男湯です。

    男性の脱衣場から見た男湯です。

  • 子宝湯の隣に仕立屋があります。1879年に建てられた出桁造りの町屋です。親方と弟子の仕事場を再現した奥の六畳間は興味深いものでした。裁ち台、布地、鯨尺、つりあい棒に通された着物など再現してありました。建物だけではなく仕事でどのように使われ生活していたかが想像できるのが江戸東京たてもの園の面白さです。<br />

    子宝湯の隣に仕立屋があります。1879年に建てられた出桁造りの町屋です。親方と弟子の仕事場を再現した奥の六畳間は興味深いものでした。裁ち台、布地、鯨尺、つりあい棒に通された着物など再現してありました。建物だけではなく仕事でどのように使われ生活していたかが想像できるのが江戸東京たてもの園の面白さです。

    仕立屋 名所・史跡

  • 子宝湯から見た下町中通りです。ここから通りの左右の店を見ていきました。

    子宝湯から見た下町中通りです。ここから通りの左右の店を見ていきました。

  • 蔵がある小寺醤油店に入りました。大正時代から白金で酒を中心に、味噌や醤油などを販売し生計を立てていました。当時は量や重さを計って売る量り売りで商売をしていたことから、復元された建物の中には、量り売りの様子がわかる柄杓や漏斗、木の樽などが置かれ、当時の様子を再現しています。主屋の隣に建つ蔵は鉄筋コンクリートで造られていて、蔵の中では営業当時の様子を写した写真や、当時使用されていた樽や陶器製容器などが展示されています。

    蔵がある小寺醤油店に入りました。大正時代から白金で酒を中心に、味噌や醤油などを販売し生計を立てていました。当時は量や重さを計って売る量り売りで商売をしていたことから、復元された建物の中には、量り売りの様子がわかる柄杓や漏斗、木の樽などが置かれ、当時の様子を再現しています。主屋の隣に建つ蔵は鉄筋コンクリートで造られていて、蔵の中では営業当時の様子を写した写真や、当時使用されていた樽や陶器製容器などが展示されています。

    小寺醤油店 名所・史跡

  • 小寺醤油店の向かいの万徳旅館です。江戸時代末期から明治にかけて建てられた旅館で、30年ほど前まで営業をしていました。入口は行ってすぐのところに厨房がある、今では考えられない珍しい姿をしています。当時は青梅街道沿いに建っていたことから、御嶽講の参拝者や富山の薬売りに利用されていたそうです。富山の薬売りという言葉を見て、昔の生活が懐かしく思い出されました。<br />

    小寺醤油店の向かいの万徳旅館です。江戸時代末期から明治にかけて建てられた旅館で、30年ほど前まで営業をしていました。入口は行ってすぐのところに厨房がある、今では考えられない珍しい姿をしています。当時は青梅街道沿いに建っていたことから、御嶽講の参拝者や富山の薬売りに利用されていたそうです。富山の薬売りという言葉を見て、昔の生活が懐かしく思い出されました。

    万徳旅館 名所・史跡

  • 小寺醤油店の隣に建つ川野商店です。1926年に建てられた和傘問屋の店舗と住居です。特徴は格子戸です。江戸東京たてもの園内に格子戸がある商店はありますが、川野商店は江戸時代からの町家の格子戸を受け継いでいる造りになっています。急勾配の屋根も見どころの一つです。和傘の材料の仕入れや職人が作った和傘を買い卸す問屋だったので、ここで製造はしていませんでしたが、ミニチュア人形で和傘造りの工程や和傘を展示してありました。工程の展示は分かりやすく面白かったです。

    小寺醤油店の隣に建つ川野商店です。1926年に建てられた和傘問屋の店舗と住居です。特徴は格子戸です。江戸東京たてもの園内に格子戸がある商店はありますが、川野商店は江戸時代からの町家の格子戸を受け継いでいる造りになっています。急勾配の屋根も見どころの一つです。和傘の材料の仕入れや職人が作った和傘を買い卸す問屋だったので、ここで製造はしていませんでしたが、ミニチュア人形で和傘造りの工程や和傘を展示してありました。工程の展示は分かりやすく面白かったです。

    川野商店 (和傘問屋) 名所・史跡

  • 2階にうどん屋が入っている休憩棟の隣に建つ武居三省堂です。明治初めに創業した文具店で、創業したころは書道用の筆や硯、墨などの卸を中心に商売を行っていたそうです。建物は、大正時代の中頃から昭和の初めにかけて流行した、正面にタイルや銅板を張ったり、モルタルで塗り固めたりした看板建築という造りになっています。銅板を張った家やセメントと砂を水で練ったモルタルなど、シニアには懐かしい建築様式だと思いました。

    2階にうどん屋が入っている休憩棟の隣に建つ武居三省堂です。明治初めに創業した文具店で、創業したころは書道用の筆や硯、墨などの卸を中心に商売を行っていたそうです。建物は、大正時代の中頃から昭和の初めにかけて流行した、正面にタイルや銅板を張ったり、モルタルで塗り固めたりした看板建築という造りになっています。銅板を張った家やセメントと砂を水で練ったモルタルなど、シニアには懐かしい建築様式だと思いました。

    武居三省堂 名所・史跡

  • 武居三省堂の隣の花市生花店です。1927年に建てられた看板建築です。明治に創業した店を構えた少ない花屋だそうです。店内は現在の昔ながらの花屋と似ていますが、見どころは建物正面の銅板です。三階の明り取り窓の装飾や宝石のような飾り、二階のつるのような装飾と四季の花を凹凸付けた芸術的なレリーフなどじっくり見ると面白いです。特に冬の牡丹や菊などきれいでした。夏のバラと思われる花のそばに飛ぶトンボが可愛らしかったです。銅板で建物をモダンに飾っています。

    武居三省堂の隣の花市生花店です。1927年に建てられた看板建築です。明治に創業した店を構えた少ない花屋だそうです。店内は現在の昔ながらの花屋と似ていますが、見どころは建物正面の銅板です。三階の明り取り窓の装飾や宝石のような飾り、二階のつるのような装飾と四季の花を凹凸付けた芸術的なレリーフなどじっくり見ると面白いです。特に冬の牡丹や菊などきれいでした。夏のバラと思われる花のそばに飛ぶトンボが可愛らしかったです。銅板で建物をモダンに飾っています。

    花市生花店 名所・史跡

  • 花市生花店の向かいの大和屋本店です。関東大震災後1928年に建てられた乾物屋の店舗と住居です。1階の天井が高くたばこ屋を兼ねて鰹節や海苔や煮干しなどの乾物を広い台に分かりやすく陳列しています。棚には缶詰が並んでいました。2階部分の天井は低く見え、バルコニーがありモダンな印象です。建物を側面や背面から見ることができ、正面と比べると物干し場があるなど和風建築でした。説明板によると看板建築の特徴がある建物だそうです。2階部分と販売商品の種類の多さに興味をそそられた建物でした。

    花市生花店の向かいの大和屋本店です。関東大震災後1928年に建てられた乾物屋の店舗と住居です。1階の天井が高くたばこ屋を兼ねて鰹節や海苔や煮干しなどの乾物を広い台に分かりやすく陳列しています。棚には缶詰が並んでいました。2階部分の天井は低く見え、バルコニーがありモダンな印象です。建物を側面や背面から見ることができ、正面と比べると物干し場があるなど和風建築でした。説明板によると看板建築の特徴がある建物だそうです。2階部分と販売商品の種類の多さに興味をそそられた建物でした。

    大和屋本店 名所・史跡

  • 大和屋本店の先にある植村邸です。1927年に建てられた貴金属店の看板建築です。他の商店との違いは商品を並べるスペースがないことで、後で調べると当時の貴金属販売は得意先に出向き商品を見せて取引をしたそうです。洋風な屋根、UとSを組み合わせたロゴのようなデザイン、二階の和風手すりなど銅板装飾の見どころが多い建物です。シンプルな幾何学模様の装飾でモダンな雰囲気を出しています。木造で正面は洋風な造りは興味深いです。側面や背面を見ることができるので生活を感じることができます。

    大和屋本店の先にある植村邸です。1927年に建てられた貴金属店の看板建築です。他の商店との違いは商品を並べるスペースがないことで、後で調べると当時の貴金属販売は得意先に出向き商品を見せて取引をしたそうです。洋風な屋根、UとSを組み合わせたロゴのようなデザイン、二階の和風手すりなど銅板装飾の見どころが多い建物です。シンプルな幾何学模様の装飾でモダンな雰囲気を出しています。木造で正面は洋風な造りは興味深いです。側面や背面を見ることができるので生活を感じることができます。

    植村邸 名所・史跡

  • 花市生花店の隣の丸二商店です。昭和の初めに建てられた荒物店で、看板建築です。とりわけこの店は、長方形に切った銅板を横や斜めに組み合わせてデザイン性ある外壁になっています。単に流行の銅板建築にするだけでなく、デザインを考えることで人目を引こうとしていたのかもしれません。店内には米びつ、じょうろ、おひつ、漬物つぼ、鰹節削りなど、現在あまり使用されなくなった商品を並べて当時を再現していました。子供の頃自宅にあった懐かしいものが数多く並んでいて、なにかほっとした気持ちになりました。

    花市生花店の隣の丸二商店です。昭和の初めに建てられた荒物店で、看板建築です。とりわけこの店は、長方形に切った銅板を横や斜めに組み合わせてデザイン性ある外壁になっています。単に流行の銅板建築にするだけでなく、デザインを考えることで人目を引こうとしていたのかもしれません。店内には米びつ、じょうろ、おひつ、漬物つぼ、鰹節削りなど、現在あまり使用されなくなった商品を並べて当時を再現していました。子供の頃自宅にあった懐かしいものが数多く並んでいて、なにかほっとした気持ちになりました。

    丸二商店 名所・史跡

  • 東の広場に戻ってきました。都電7500形が展示されています。昭和の中頃まで渋谷から新橋、神田まで走っていたそうです。現在都内を走る都電は、早稲田から三ノ輪まで走る1路線だけになってしまいました。しかも車体にはいろいろな文字や絵画が描かれ、色もまちまちです。シニアにとって都電イコール黄色という印象があるだけに、保存されている都電がとても懐かしく感じられました。

    東の広場に戻ってきました。都電7500形が展示されています。昭和の中頃まで渋谷から新橋、神田まで走っていたそうです。現在都内を走る都電は、早稲田から三ノ輪まで走る1路線だけになってしまいました。しかも車体にはいろいろな文字や絵画が描かれ、色もまちまちです。シニアにとって都電イコール黄色という印象があるだけに、保存されている都電がとても懐かしく感じられました。

    都電7500形 名所・史跡

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