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《2021. April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのⅦ~長岡天満宮~<br /><br />陽が傾いてきた宇治を後にして一路長岡京市を目指して走る。20km弱の距離ゆえに30分程の所要時間とナビでは表示されていたが、通勤時間と被ってしまい一時間程かかってしまった。<br /><br />あたりはすっかり夜の帳が下りている中、長岡天満宮に到着する。場所的にも市街地ではないはずだが駐車場はコインパーキングしかない。19:00過ぎに来訪し参拝もへったくれもないと思われるが、カメラを携え車から降りる。境内社にまずは手を合わせる。白梅殿には御祭神菅原道真公所縁の牛の大きな絵馬がかかっていた。早速ツツジの出迎えを受けると子牛の像が見えてきた。新しい石像は歴史はないようだが、さすが道真所縁の天満宮だけある。<br /><br />暗い場所にある社殿ではあるが、立派な建物であること位は私にもわかる。ただ参拝客がいたことは、写真を整理した時に初めて気が付いた。菅原道真公と牛の由緒書が書かれている場所には、年季の入っている牛の石像がある。御利益がありそうなオーラが漂っており牛と私の頭を交互に撫でておく。これで今年の資格試験はバッチリだと勝手に思う身勝手な参拝客そのイチだが、深く考えずにその気になれる〝単純さ〟は、年齢を考えれば勉強しても頭に入らない筈なのに、暗示をかけられるという〝メリット〟を持つ私ならではかも知れない。<br /><br />参拝客が去った後に改めて社殿に参ることにする。社殿隣には〝天満宮〟には必ずある〝筆塚〟があった。字が上手くなりたい人々は社殿と同様に参拝するようだが、字がきれいになる前に〝読める字を書け〟と常日頃から言われている私にとっては、お願いすること自体が烏滸がましいと思ってしまう。よって〝無心〟で手を合わせるだけにしておく。その隣には稲荷社がある。言うまでもなく商売繁盛を願う者が集う場所ではあるが、これもまた私には無縁のものであるために、時間をかけずに参拝だけをして次へと進む。<br /><br />拝殿の左手前には紅梅殿(神楽殿)がある。社務所はまた別の場所であるがために、建物の目的用途は不明である。そして紅梅殿隣にはなにやら2体の胸像があった。中小路宗城(1864-1936)・中小路宗康(1903-1990大人之像とあるがよくわからない。長岡天満宮中興の祖の如く由緒書が書かれていたが、どうやら数代前の宮司であることが判明。宗城の孫にあたる当時の名誉宮司であった宗隆氏が宗城没後50年にあたる昭和61(1986)の例祭の折に建立したものだそうだ。長岡天満宮東の地の領主であった八条宮智仁親王が寛永15(1638)年に〝八条ヶ池〟を築造して以降荒廃していたようだが、中小路宗城宮司の代に境内や奉賛会の整備を行い、宮司在任中に村社から府社と言う二度の社格昇格を一代でさせたことは極めて稀なことであるらしい。現在の長岡天満宮がいつ今のようになったのかはもうひとつの胸像の主人である息子の中小路宗康氏が、昭和16(1941)年に平安神宮の旧本殿・祝詞舎・透塀を拝領したことにより出来上がったとされている。荒廃していた様子を知らないために具体的な変貌ぶりを語ることは出来ないが、歴史ある長岡天満宮の中興の祖と言われるだけあって、ちょっとやそっとのことでは済まなかったと推測する。<br /><br />そして八条ヶ池方面へと鳥居を潜り階段を降りて行く。大きな牛の絵馬は今年の干支に因んでのものである。近くには御祭神菅原道真公が詠んだ唄が石碑に刻まれ、その存在感の大きさを誇示しているように見える。笠松地蔵は社地から発掘されたものと言われ、長岡天満宮境内唯一のお地蔵さまとして知られている。<br /><br />八条ヶ池の畔にはタケノコ料理で有名な錦水亭がある。勿論この時間に開いているはずもないが、店の前には立派な藤棚があった。長岡天満宮の有名な花として、キリシマツツジが挙げられるが丁度見頃を迎える時期が似通っている藤も立派なものであった。ただ藤が見られるエリアはこの界隈の一角であり、境内で食事を摂ることを考えなければ見逃す可能性があるのが残念に思う。かなりの古木であるが花房には勢いがあり、手入れされていない藤棚と比較するまでもない場所であった。<br /><br />八条ヶ池を回り込むようにして歩くと天満宮の扁額が掛かった石鳥居を潜る。なんとなく鳥居が多いように思うのは気のせいであろうか?キリシマツツジが咲く参道は後の楽しみに置いておき、先に正面大鳥居まで歩くことにした。<br /><br />約400年の歴史を持つ八条ヶ池、夜なので眺望は効かないものの船を浮かべて楽しんだであろう景色はなんとなくだが想像がつく。そして正面大鳥居から参道を眺めると嫌がおうにも眼中にキリシマツツジの赤い花が入って来る。今年は外出する〝ネタ〟がないため、〝花〟を題材に取り上げているが、桜を含めた〝花見〟の習慣がない私にとって、花の〝見頃〟と言われる期間を甘く考え過ぎていることが現実である。真っ赤なキリシマツツジは新聞でその様子を目にしてから1週間程経過していた。基本キリシマツツジの見頃は10日程しかなく、加えて雨が降ったりするとその見頃が短くなることは、長岡天満宮に到着して初めて知った。長岡天満宮の花便りによると、今年は既に4月15日に見頃を迎えたと報じられている。4月18日には前日の雨によって南側の花が見頃を過ぎ北側が見頃を迎えたとあり、その後4月20には南面は終わりに近く、北面はまだ奇麗だとあるものの、4月22日は花が終わった南面に対し北面は終わりに近し、そして4月25日に今年のキリシマツツジは終わりましたと書かれていた。私自身が訪れたのは4月21日のことであり、それも夜のことである。花だよりによると微妙な日にちに訪れたことになるが、少なくとも北側に咲くツツジの花は見頃であったように思っている。写真を含めた私の節穴の目では太陽が当たる南側の花の勢いは落ちていたが、北側はまだ余力を残しているように見えていた。昼間はかなりの数の観光客が訪れているようだが、夜になると流石にチラホラレベルの者しか見られなかった。そんな状況なのでキリシマツツジの絨毯を背景にモデル撮影をしている者もいた。キリシマツツジの咲く参道は、立ち止まらないように景色を楽しんで下さいとツツジエリアの双方に書かれており勿論三脚を使用するなどはもってほか。確かにそうなのだが、わざわざ人がいない時間帯を選んで来ているような者達だったのでここは大目にみよう。カメラを構えて写り込むようなアングルになった時は譲り合うと言ったマナーは弁えているように私には見えたこともあったので。<br /><br />八条ヶ池の周りを巡る道は八条ヶ池ふれあい回廊の道というようだ。それらしい名前ではあるが、ストレートに〝長岡天満宮キリシマツツジの参道〟を歩いて行くことにする。このキリシマツツジだが樹高は2.5mと人の身長より高いものとなっている。樹齢は170年と推定されており、江戸末期から明治初期に荒廃していた長岡天満宮を復興させるために植えられたものだと言われている。例年では4月末頃のゴールデンウィークの時期に見頃を迎えているようだが、今年はかなり早い開花であった。長岡京市の長岡京市景観重要樹木「きりしまつつじ」は市の天然記念物にも指定されているものであり、その保全のために平成5(1993)年に中堤を拡幅し、この中堤と中ノ島を結ぶ総檜造りの水上橋を含む一帯を〝八条が池ふれあい回遊のみち〟と名付けられ、多くの人々の目を楽しませているとあった。確かに大切にされていることはわかるのであるが、この〝ツツジの参道〟は3本の通りから成り立っているものである。勿論南側・北側で花が咲く時期が異なるようにするためでもあるのだが、すべてのキリシマツツジを見て回るには、1.5往復歩かねばならないことになる。これを〝人影〟が見える通路を外して歩いた結果が、写真で切り取ったものになる。同じところを行ったり来たりしているようにも見えるのだが、今回は〝致し方ない理由〟で歩いていることをご了承頂きたい。<br /><br />結局二往復ツツジの参道を歩き戻ることにした。夜の天満宮だとゆっくりしても気にならないのがいつもの私ではあるのだが、今回に限っては時間制の〝駐車場〟のことがあり、時計を見ながら今来た道を戻って行く。台風で破損した鳥居をモニュメント化しておいてある等、観光地としてのディスプレイも怠っていない長岡天満宮だったが、やはり昼間に再訪して〝完結〟にするものであろうと思いつつ車へと戻った。所要時間1時間30分の長岡天満宮キリシマツツジ拝観ツアーはこの様な形で終わることとなった。<br /><br />帰り道も勿論一般道を走って行く。何となく思い出した〝旧阪神高速京都線〟の稲荷山トンネルを通って帰ろうと途中コンビニによってナビをセットする。元来国道1号線を走って行く方が早くて距離が短いために、このルートを走ることは今までなかった。ローソン烏丸久世橋店を出て十条通・新十条通と進み鴨川東インターチェンジより京都市道高速道路1号線へと進入する。稲荷山トンネルを含めほぼまっすぐに走行できるので走りやすい道ではある。しかし僅か2.6kmの道路ゆえ60km/hの制限速度でもあっという間に走り切ってしまう。山科インターチェンジからは新大石道を北上するはずがナビに外環状線を走らされ、結局東野から国道1号線を走るルートを取ることになってしまった。こうなると〝回り道〟をしただけに過ぎなくなってしまうのだが、これが私の〝特徴的ルーティング〟でもある。その後はナビの指示をことごとく無視して最短ルートを走り、無事自宅に到着する。100kmに少し足りなかった今回の旅路であったが、密に遭遇しなかったことだけは幸せだったのかも知れない。<br /><br />  ≪終わり≫

《2021. April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのⅦ~長岡天満宮~

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2021/04/21 - 2021/04/21

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

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2021/04/21

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《2021. April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのⅦ~長岡天満宮~

陽が傾いてきた宇治を後にして一路長岡京市を目指して走る。20km弱の距離ゆえに30分程の所要時間とナビでは表示されていたが、通勤時間と被ってしまい一時間程かかってしまった。

あたりはすっかり夜の帳が下りている中、長岡天満宮に到着する。場所的にも市街地ではないはずだが駐車場はコインパーキングしかない。19:00過ぎに来訪し参拝もへったくれもないと思われるが、カメラを携え車から降りる。境内社にまずは手を合わせる。白梅殿には御祭神菅原道真公所縁の牛の大きな絵馬がかかっていた。早速ツツジの出迎えを受けると子牛の像が見えてきた。新しい石像は歴史はないようだが、さすが道真所縁の天満宮だけある。

暗い場所にある社殿ではあるが、立派な建物であること位は私にもわかる。ただ参拝客がいたことは、写真を整理した時に初めて気が付いた。菅原道真公と牛の由緒書が書かれている場所には、年季の入っている牛の石像がある。御利益がありそうなオーラが漂っており牛と私の頭を交互に撫でておく。これで今年の資格試験はバッチリだと勝手に思う身勝手な参拝客そのイチだが、深く考えずにその気になれる〝単純さ〟は、年齢を考えれば勉強しても頭に入らない筈なのに、暗示をかけられるという〝メリット〟を持つ私ならではかも知れない。

参拝客が去った後に改めて社殿に参ることにする。社殿隣には〝天満宮〟には必ずある〝筆塚〟があった。字が上手くなりたい人々は社殿と同様に参拝するようだが、字がきれいになる前に〝読める字を書け〟と常日頃から言われている私にとっては、お願いすること自体が烏滸がましいと思ってしまう。よって〝無心〟で手を合わせるだけにしておく。その隣には稲荷社がある。言うまでもなく商売繁盛を願う者が集う場所ではあるが、これもまた私には無縁のものであるために、時間をかけずに参拝だけをして次へと進む。

拝殿の左手前には紅梅殿(神楽殿)がある。社務所はまた別の場所であるがために、建物の目的用途は不明である。そして紅梅殿隣にはなにやら2体の胸像があった。中小路宗城(1864-1936)・中小路宗康(1903-1990大人之像とあるがよくわからない。長岡天満宮中興の祖の如く由緒書が書かれていたが、どうやら数代前の宮司であることが判明。宗城の孫にあたる当時の名誉宮司であった宗隆氏が宗城没後50年にあたる昭和61(1986)の例祭の折に建立したものだそうだ。長岡天満宮東の地の領主であった八条宮智仁親王が寛永15(1638)年に〝八条ヶ池〟を築造して以降荒廃していたようだが、中小路宗城宮司の代に境内や奉賛会の整備を行い、宮司在任中に村社から府社と言う二度の社格昇格を一代でさせたことは極めて稀なことであるらしい。現在の長岡天満宮がいつ今のようになったのかはもうひとつの胸像の主人である息子の中小路宗康氏が、昭和16(1941)年に平安神宮の旧本殿・祝詞舎・透塀を拝領したことにより出来上がったとされている。荒廃していた様子を知らないために具体的な変貌ぶりを語ることは出来ないが、歴史ある長岡天満宮の中興の祖と言われるだけあって、ちょっとやそっとのことでは済まなかったと推測する。

そして八条ヶ池方面へと鳥居を潜り階段を降りて行く。大きな牛の絵馬は今年の干支に因んでのものである。近くには御祭神菅原道真公が詠んだ唄が石碑に刻まれ、その存在感の大きさを誇示しているように見える。笠松地蔵は社地から発掘されたものと言われ、長岡天満宮境内唯一のお地蔵さまとして知られている。

八条ヶ池の畔にはタケノコ料理で有名な錦水亭がある。勿論この時間に開いているはずもないが、店の前には立派な藤棚があった。長岡天満宮の有名な花として、キリシマツツジが挙げられるが丁度見頃を迎える時期が似通っている藤も立派なものであった。ただ藤が見られるエリアはこの界隈の一角であり、境内で食事を摂ることを考えなければ見逃す可能性があるのが残念に思う。かなりの古木であるが花房には勢いがあり、手入れされていない藤棚と比較するまでもない場所であった。

八条ヶ池を回り込むようにして歩くと天満宮の扁額が掛かった石鳥居を潜る。なんとなく鳥居が多いように思うのは気のせいであろうか?キリシマツツジが咲く参道は後の楽しみに置いておき、先に正面大鳥居まで歩くことにした。

約400年の歴史を持つ八条ヶ池、夜なので眺望は効かないものの船を浮かべて楽しんだであろう景色はなんとなくだが想像がつく。そして正面大鳥居から参道を眺めると嫌がおうにも眼中にキリシマツツジの赤い花が入って来る。今年は外出する〝ネタ〟がないため、〝花〟を題材に取り上げているが、桜を含めた〝花見〟の習慣がない私にとって、花の〝見頃〟と言われる期間を甘く考え過ぎていることが現実である。真っ赤なキリシマツツジは新聞でその様子を目にしてから1週間程経過していた。基本キリシマツツジの見頃は10日程しかなく、加えて雨が降ったりするとその見頃が短くなることは、長岡天満宮に到着して初めて知った。長岡天満宮の花便りによると、今年は既に4月15日に見頃を迎えたと報じられている。4月18日には前日の雨によって南側の花が見頃を過ぎ北側が見頃を迎えたとあり、その後4月20には南面は終わりに近く、北面はまだ奇麗だとあるものの、4月22日は花が終わった南面に対し北面は終わりに近し、そして4月25日に今年のキリシマツツジは終わりましたと書かれていた。私自身が訪れたのは4月21日のことであり、それも夜のことである。花だよりによると微妙な日にちに訪れたことになるが、少なくとも北側に咲くツツジの花は見頃であったように思っている。写真を含めた私の節穴の目では太陽が当たる南側の花の勢いは落ちていたが、北側はまだ余力を残しているように見えていた。昼間はかなりの数の観光客が訪れているようだが、夜になると流石にチラホラレベルの者しか見られなかった。そんな状況なのでキリシマツツジの絨毯を背景にモデル撮影をしている者もいた。キリシマツツジの咲く参道は、立ち止まらないように景色を楽しんで下さいとツツジエリアの双方に書かれており勿論三脚を使用するなどはもってほか。確かにそうなのだが、わざわざ人がいない時間帯を選んで来ているような者達だったのでここは大目にみよう。カメラを構えて写り込むようなアングルになった時は譲り合うと言ったマナーは弁えているように私には見えたこともあったので。

八条ヶ池の周りを巡る道は八条ヶ池ふれあい回廊の道というようだ。それらしい名前ではあるが、ストレートに〝長岡天満宮キリシマツツジの参道〟を歩いて行くことにする。このキリシマツツジだが樹高は2.5mと人の身長より高いものとなっている。樹齢は170年と推定されており、江戸末期から明治初期に荒廃していた長岡天満宮を復興させるために植えられたものだと言われている。例年では4月末頃のゴールデンウィークの時期に見頃を迎えているようだが、今年はかなり早い開花であった。長岡京市の長岡京市景観重要樹木「きりしまつつじ」は市の天然記念物にも指定されているものであり、その保全のために平成5(1993)年に中堤を拡幅し、この中堤と中ノ島を結ぶ総檜造りの水上橋を含む一帯を〝八条が池ふれあい回遊のみち〟と名付けられ、多くの人々の目を楽しませているとあった。確かに大切にされていることはわかるのであるが、この〝ツツジの参道〟は3本の通りから成り立っているものである。勿論南側・北側で花が咲く時期が異なるようにするためでもあるのだが、すべてのキリシマツツジを見て回るには、1.5往復歩かねばならないことになる。これを〝人影〟が見える通路を外して歩いた結果が、写真で切り取ったものになる。同じところを行ったり来たりしているようにも見えるのだが、今回は〝致し方ない理由〟で歩いていることをご了承頂きたい。

結局二往復ツツジの参道を歩き戻ることにした。夜の天満宮だとゆっくりしても気にならないのがいつもの私ではあるのだが、今回に限っては時間制の〝駐車場〟のことがあり、時計を見ながら今来た道を戻って行く。台風で破損した鳥居をモニュメント化しておいてある等、観光地としてのディスプレイも怠っていない長岡天満宮だったが、やはり昼間に再訪して〝完結〟にするものであろうと思いつつ車へと戻った。所要時間1時間30分の長岡天満宮キリシマツツジ拝観ツアーはこの様な形で終わることとなった。

帰り道も勿論一般道を走って行く。何となく思い出した〝旧阪神高速京都線〟の稲荷山トンネルを通って帰ろうと途中コンビニによってナビをセットする。元来国道1号線を走って行く方が早くて距離が短いために、このルートを走ることは今までなかった。ローソン烏丸久世橋店を出て十条通・新十条通と進み鴨川東インターチェンジより京都市道高速道路1号線へと進入する。稲荷山トンネルを含めほぼまっすぐに走行できるので走りやすい道ではある。しかし僅か2.6kmの道路ゆえ60km/hの制限速度でもあっという間に走り切ってしまう。山科インターチェンジからは新大石道を北上するはずがナビに外環状線を走らされ、結局東野から国道1号線を走るルートを取ることになってしまった。こうなると〝回り道〟をしただけに過ぎなくなってしまうのだが、これが私の〝特徴的ルーティング〟でもある。その後はナビの指示をことごとく無視して最短ルートを走り、無事自宅に到着する。100kmに少し足りなかった今回の旅路であったが、密に遭遇しなかったことだけは幸せだったのかも知れない。

  ≪終わり≫

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 晴れた南淡海をまず出発…。

    晴れた南淡海をまず出発…。

    フレンドマート (石山寺辺店) スーパー・コンビニ・量販店

  • 宇治平等院を経由して…。

    宇治平等院を経由して…。

    平等院 寺・神社・教会

  • 夜の帳が下り切った長岡天満宮にやって来た。<br /><br />長岡天満宮、車祈祷所。

    夜の帳が下り切った長岡天満宮にやって来た。

    長岡天満宮、車祈祷所。

  • 長岡天満宮境内末社、(左)春日神社・(右)八幡宮社。

    長岡天満宮境内末社、(左)春日神社・(右)八幡宮社。

  • 白梅殿に架かる〝丑の絵馬〟。

    白梅殿に架かる〝丑の絵馬〟。

  • シャクナゲのお出迎え。

    シャクナゲのお出迎え。

  • 子牛の像。

    子牛の像。

  • 長岡天満宮、社殿。

    長岡天満宮、社殿。

    長岡天満宮 寺・神社・教会

  • 長岡天満宮、社殿の扁額。

    長岡天満宮、社殿の扁額。

    長岡天満宮 寺・神社・教会

  • 臥牛像。ここには〝菅原道真公と牛について〟が記されていた。<br /><br />菅公は承和12(845)年丑年のご生誕であります。<br />公は茸狩りの宴の際、いずこからともなく宴席近く来たり、頭を垂れていかにも公を敬うがごとくでありましたので、体操お喜びになり、御館に連れて帰り、お可愛がりになりました。<br />大宰府にご左遷の御時、刺客に襲われ御命も危うくみえたとき、荒れ狂った白牛が駆けいで、刺客から公の御命をお守りいたしました。よくご覧になると公が都でご愛育になっていた牛でありました。<br />大宰府でお亡くなりになった時、遺骸をお乗せした車を曳いていた牛が、途中突然ひれ伏して動かなくなり、そこを墓所とし、現在の太宰府天満宮はその地に建てられたものであります。<br />牛が菅公の御神使となったのはこれらの事蹟によります。

    臥牛像。ここには〝菅原道真公と牛について〟が記されていた。

    菅公は承和12(845)年丑年のご生誕であります。
    公は茸狩りの宴の際、いずこからともなく宴席近く来たり、頭を垂れていかにも公を敬うがごとくでありましたので、体操お喜びになり、御館に連れて帰り、お可愛がりになりました。
    大宰府にご左遷の御時、刺客に襲われ御命も危うくみえたとき、荒れ狂った白牛が駆けいで、刺客から公の御命をお守りいたしました。よくご覧になると公が都でご愛育になっていた牛でありました。
    大宰府でお亡くなりになった時、遺骸をお乗せした車を曳いていた牛が、途中突然ひれ伏して動かなくなり、そこを墓所とし、現在の太宰府天満宮はその地に建てられたものであります。
    牛が菅公の御神使となったのはこれらの事蹟によります。

  • 長岡天満宮、筆塚。

    長岡天満宮、筆塚。

  • 長岡稲荷大明神、参道東入口。

    長岡稲荷大明神、参道東入口。

  • 長岡天満宮境内末社、長岡稲荷大明神。

    長岡天満宮境内末社、長岡稲荷大明神。

    長岡天満宮 寺・神社・教会

  • 長岡天満宮境内末社、松尾竜神・菅竜神。

    長岡天満宮境内末社、松尾竜神・菅竜神。

  • 長岡天満宮境内末社、山神社。

    長岡天満宮境内末社、山神社。

  • 長岡稲荷大明神、参道西出口。

    長岡稲荷大明神、参道西出口。

  • 長岡天満宮、神楽殿。

    長岡天満宮、神楽殿。

  • 長岡天満宮中興の祖と言われる中小路宗城(1864-1936)・中小路宗康(1903-1990)大人之像。

    長岡天満宮中興の祖と言われる中小路宗城(1864-1936)・中小路宗康(1903-1990)大人之像。

  • 三の鳥居を潜って移動する。

    三の鳥居を潜って移動する。

  • 菅公御歌碑。<br /><br />〝海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ〟

    菅公御歌碑。

    〝海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ〟

  • 丑の巨大絵馬。

    丑の巨大絵馬。

  • 桂 樟蹊子(かつらしょうけいし 1909-1993)句碑。<br /><br />〝白梅の<br />  離々とたかきは<br />       神います〟

    桂 樟蹊子(かつらしょうけいし 1909-1993)句碑。

    〝白梅の
      離々とたかきは
           神います〟

  • 紅葉庭園錦景苑、入口。

    紅葉庭園錦景苑、入口。

  • 長岡天満宮紅葉庭園錦景苑。弁天池と長岡天満宮境内末社、(左)和泉殿社・(右)白太夫社。

    長岡天満宮紅葉庭園錦景苑。弁天池と長岡天満宮境内末社、(左)和泉殿社・(右)白太夫社。

  • 笠松地蔵、社地から出土したとされる地蔵菩薩。

    笠松地蔵、社地から出土したとされる地蔵菩薩。

  • 長岡京市戦没者追悼之碑。平成8(1996)年建立と新しいものである。

    長岡京市戦没者追悼之碑。平成8(1996)年建立と新しいものである。

  • 菅公御歌碑。<br />〝桜花 ぬしを忘れぬ ものならば 吹きこむ風に ことづてはせよ〟。

    菅公御歌碑。
    〝桜花 ぬしを忘れぬ ものならば 吹きこむ風に ことづてはせよ〟。

  • 平成4(1992)年、吟道賀堂流長岡京吟詠会(主宰 故千阪賀秀先生)の結成20周年の記念に奉納されたものであり、頌徳詩文は千阪先生の作詞によるものとなっている。

    平成4(1992)年、吟道賀堂流長岡京吟詠会(主宰 故千阪賀秀先生)の結成20周年の記念に奉納されたものであり、頌徳詩文は千阪先生の作詞によるものとなっている。

  • 錦水亭前の藤。

    錦水亭前の藤。

    開田茶屋龍八 グルメ・レストラン

  • 錦水亭前の藤。

    錦水亭前の藤。

    錦水亭 グルメ・レストラン

  • 平成12(2000)年、長岡天満宮の奉納書初大会に第一回から二十二回まで審査委員長をお勤めくださった森岡峻山先生没後10年を記念して門弟組織の龍門社の皆様によって奉納されたもの。碑には御祭神菅公がその生涯を貫かれた至誠の心を表した〝誠を以って萬事に接する〟という意味の5文字が広島産白御影石に篆書で彫られている。

    平成12(2000)年、長岡天満宮の奉納書初大会に第一回から二十二回まで審査委員長をお勤めくださった森岡峻山先生没後10年を記念して門弟組織の龍門社の皆様によって奉納されたもの。碑には御祭神菅公がその生涯を貫かれた至誠の心を表した〝誠を以って萬事に接する〟という意味の5文字が広島産白御影石に篆書で彫られている。

  • 正面大鳥居下を一旦通過する。

    正面大鳥居下を一旦通過する。

  • 長岡天満宮、正面大鳥居。<br />長岡天満宮の入り口正面に聳える総御影石製の大鳥居は、平成14(2002)年の菅公御神忌1100年大萬燈祭を奉賛して、平成10(1998)年10月に奉納され、近隣でも数少ない石の大鳥居となっている。総高9.75m、笠木12m、総重量50t。

    長岡天満宮、正面大鳥居。
    長岡天満宮の入り口正面に聳える総御影石製の大鳥居は、平成14(2002)年の菅公御神忌1100年大萬燈祭を奉賛して、平成10(1998)年10月に奉納され、近隣でも数少ない石の大鳥居となっている。総高9.75m、笠木12m、総重量50t。

  • 長岡天満宮の正面大鳥居は従来の饅頭型ではなく、御影石の柱石を用いた八角形の藁座となっている。これは平成30(2018)年6月18日に起こった大阪北部地震で被災し、正面右側の柱石下部に亀裂が入ったことから修復の必要性がが生じた。宮司と業者の思惑から既存石を生かしながら耐震強度を強めた意匠性の高い設計を採用し、現在のものとなっている。。<br />

    長岡天満宮の正面大鳥居は従来の饅頭型ではなく、御影石の柱石を用いた八角形の藁座となっている。これは平成30(2018)年6月18日に起こった大阪北部地震で被災し、正面右側の柱石下部に亀裂が入ったことから修復の必要性がが生じた。宮司と業者の思惑から既存石を生かしながら耐震強度を強めた意匠性の高い設計を採用し、現在のものとなっている。。

  • 八条が池畔沿いにもキリシマツツジが咲いている。

    八条が池畔沿いにもキリシマツツジが咲いている。

  • 長岡京市景観重要樹木〝きりしまつつじ〟の碑があった。

    長岡京市景観重要樹木〝きりしまつつじ〟の碑があった。

  • それではキリシマツツジの参道、別名〝八条ヶ池 ふれあい回廊の道〟を歩くとしよう。

    それではキリシマツツジの参道、別名〝八条ヶ池 ふれあい回廊の道〟を歩くとしよう。

  • 長岡天満宮、北側参道。

    長岡天満宮、北側参道。

  • 長岡天満宮、北側参道。

    長岡天満宮、北側参道。

  • 長岡天満宮、北側参道。

    長岡天満宮、北側参道。

  • 長岡天満宮、北側参道の太鼓橋。

    長岡天満宮、北側参道の太鼓橋。

  • 八条が池畔のモミジとツツジ、そして水上橋と六角舎。

    八条が池畔のモミジとツツジ、そして水上橋と六角舎。

    長岡天満宮 寺・神社・教会

  • 長岡天満宮、北側参道。

    長岡天満宮、北側参道。

  • この先にはカキツバタ園があるようだ。時期が違うが…。

    この先にはカキツバタ園があるようだ。時期が違うが…。

  • 長岡天満宮、北側参道と太鼓橋。

    長岡天満宮、北側参道と太鼓橋。

  • 紅白のシャクナゲも咲いていた。

    紅白のシャクナゲも咲いていた。

  • 長岡天満宮、北参道。

    長岡天満宮、北参道。

  • キリシマツツジとたかティムさん。

    キリシマツツジとたかティムさん。

  • 八条ヶ池 ふれあい回廊の道の碑。

    八条ヶ池 ふれあい回廊の道の碑。

  • 長岡天満宮、中央参道と大鳥居。南側に位置しており、花は見頃を終えていた…。

    長岡天満宮、中央参道と大鳥居。南側に位置しており、花は見頃を終えていた…。

  • 長岡天満宮、中央参道。灯篭と太鼓橋。花の見頃が終わっているのがわかる…。

    長岡天満宮、中央参道。灯篭と太鼓橋。花の見頃が終わっているのがわかる…。

  • 長岡天満宮、中央参道と太鼓橋。ライトアップで誤魔化しているが見頃は過ぎている…。

    長岡天満宮、中央参道と太鼓橋。ライトアップで誤魔化しているが見頃は過ぎている…。

  • 長岡天満宮、南側参道と大鳥居。やはり花の見頃は過ぎている…。

    長岡天満宮、南側参道と大鳥居。やはり花の見頃は過ぎている…。

  • 長岡天満宮、南側参道の太鼓橋。手前の花の見頃が過ぎているのがよくわかる。

    長岡天満宮、南側参道の太鼓橋。手前の花の見頃が過ぎているのがよくわかる。

  • 錦水亭の数寄屋づくりのお座敷がキレイに見える。

    イチオシ

    錦水亭の数寄屋づくりのお座敷がキレイに見える。

    錦水亭 グルメ・レストラン

  • 長岡天満宮、北側参道と大鳥居。鳥居の上には月が顔を出していた。

    長岡天満宮、北側参道と大鳥居。鳥居の上には月が顔を出していた。

  • 八条が池畔の赤・黄・緑のカラーリングがキレイだった。

    イチオシ

    八条が池畔の赤・黄・緑のカラーリングがキレイだった。

    八条ケ池 名所・史跡

  • 長岡天満宮、北側参道を西に歩いて行く。

    イチオシ

    地図を見る

    長岡天満宮、北側参道を西に歩いて行く。

  • 八条ヶ池に架かる太鼓橋を最後に渡り…。

    イチオシ

    地図を見る

    八条ヶ池に架かる太鼓橋を最後に渡り…。

  • 数回往復したキリシマツツジの参道を後にして…。

    数回往復したキリシマツツジの参道を後にして…。

  • なぜか最後になった水上橋の碑を見ながら…。

    なぜか最後になった水上橋の碑を見ながら…。

  • 長岡天満宮社地へと戻って来た。

    長岡天満宮社地へと戻って来た。

  • 新築された二の鳥居を潜ると長岡天満宮境内へと戻ってくる。

    新築された二の鳥居を潜ると長岡天満宮境内へと戻ってくる。

  • モニュメントとなった旧二の鳥居。元禄5(1692)年に第112代天皇であった霊元上皇奉納とされる石鳥居であったが、2基のうちの1基が平成30(2018)年9月の台風21号により倒壊した。復元を考えるも不可能とした判断により、令和元(2019)年にモニュメントとして再現され現在に至っている。

    モニュメントとなった旧二の鳥居。元禄5(1692)年に第112代天皇であった霊元上皇奉納とされる石鳥居であったが、2基のうちの1基が平成30(2018)年9月の台風21号により倒壊した。復元を考えるも不可能とした判断により、令和元(2019)年にモニュメントとして再現され現在に至っている。

  • 三の鳥居を潜り、社殿へと戻る。

    三の鳥居を潜り、社殿へと戻る。

  • 手水舎(旧祝詞舎)。

    手水舎(旧祝詞舎)。

  • 敬神生活の綱領<br />神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開く基である。<br /> 神慮を畏み祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。<br /> ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて似て大道を宣揚することを期する。<br /><br />一、	神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きことを以て、祭祀にいそしむこと<br />一、	世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして、世をつくり固め成すこと<br />一、	大御心をいだきてむつびやわらぎ、国の興隆と世界の共存、共栄とを祈ること

    敬神生活の綱領
    神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開く基である。
     神慮を畏み祖訓をつぎ、いよいよ道の精華を発揮し、人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。
     ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて似て大道を宣揚することを期する。

    一、 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きことを以て、祭祀にいそしむこと
    一、 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして、世をつくり固め成すこと
    一、 大御心をいだきてむつびやわらぎ、国の興隆と世界の共存、共栄とを祈ること

  • 敬神生活の綱領を拝読し、車へと戻る。駐車場はお高めで、かつ24時間有料であった。

    敬神生活の綱領を拝読し、車へと戻る。駐車場はお高めで、かつ24時間有料であった。

  • ローソン烏丸久世橋店に立ち寄って一息ついて、帰ることにする。

    ローソン烏丸久世橋店に立ち寄って一息ついて、帰ることにする。

  • そして無事に帰って来た。

    そして無事に帰って来た。

    京阪バス (大津エリア) 乗り物

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