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《2021. April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのⅥ宇治~この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば~<br /><br />変異型コロナウィルスの蔓延により緊急事態宣言が出され、京阪神の大型商業施設が日常生活用品売場以外は閉店を余儀なくされた。密を作り出す要因として、各府県知事による要請であると言う。しかし今までの要請続きで個人経営の飲食店は余力がないという理由から敢えて時短要請には従わないとした店舗もある。ただ大型複合施設は半ば強制的だとする意見がある中、本社が滋賀県がある我が社も例外ではなく、京都府店舗は5月11日迄大阪府・兵庫県店舗は5月31日迄食品売場以外休業となり、それ以降現在も土日休業は継続されている。小売店舗にとって稼ぎ時の週末休業は大きな痛手となっていることは間違いない。売上げだけでなく余剰となる従業員達も穏やかではないだろう。京都府のとある店舗は、週末イベントが休業要請を受けて中止となった。店舗スタッフは勿論のことイベントスタッフ迄が被害を被った。休業要請対象外の滋賀県店舗の週末イベントは、実施はされたが常勤スタッフを除いて滋賀県在住のスタッフだけで行い、それが不可能であれば中止せよとのお達しが来ていた。私自身も滋賀県在住スタッフとして、以前の勤務店舗に応援に行ってきた。しかし久しぶりの人混みであったことは間違いなく、なんとなく気乗りがしないまま2日間を過ごしたことが本音である。これは私自身の我儘と言ってしまえばそれまでだが、GWを前にして休業要請が出されたことによって都市部の所属店舗が営業中止となり、働く場所が無くなった派遣や委託スタッフを滋賀県店舗で受け入れようと話が出ていたことがある。勿論彼等彼女等の生活のためという大義名分の下でのことである。店舗によっては最初から拒否した店舗もあったのだが、うちの店舗は受け入れる方向で動いていた。しかし2セクションの常勤スタッフ数が10名おり、そのうち半分が出勤しているところへ10名を受け入れろとは理不尽な指示であった。おまけに日が悪く外は大雨が降っている中来客も見込めず、売り場に従業員が無駄に屯していると言う姿を見た管理職が激怒し、その日のうちに受け入れ中止が決まったようだ。私は偶々休みだったためにその現場を知らないのだが、かなり酷かったことは翌日に伝え聞いている。派遣切り等と新聞には書かれていても実体験として周りで起こっている訳ではないので、どこ吹く風としか思っていなかったが、受け入れを断られた〝外注スタッフ〟達が、仮に有給休暇が無い者は〝事故欠〟扱いで無給となる上に、有給休暇取得のために必要な80%の〝出勤率〟に影響することを知り、他人事ではないことを思い知らされた。雇先によってはWebミーティング等で欠勤扱いを回避したところもあるようだが、そこまでの余力がない会社に所属しているスタッフの中にはやむを得ず退職した者もいると言う。ただ受入を断られたことは、不要不急の外出を控えようと異口同音に言われているご時世に、滋賀県に押し寄せる他府県ナンバーの圧力もないとは言い切れない。酒類の提供が規制されている府県ではなく、滋賀県下の店舗ならば大騒ぎしても許される訳でもない。GW期間中に都市部からの観光客が集まった沖縄県は、その後特措法下で外出すらままならない状況下となってしまった。滋賀県も他人事では既になくなっているのも現実だ。また何らかの必要性があり外出規制や酒類の提供が規制されている都府県に滞在した際に、宿泊先の〝夕食〟の提供迄もが規制対象となっていることを知った。こうなると外出して行くことができる場所そのものが限られているレベルではなく、既に外出そのものが仕事以外ではできないと思えてならない。<br /><br />ワクチン接種は始まったが感染リスクと致死率の相関関係から高齢者が優先されている。それに異論を唱える訳ではないが、あのスマホやパソコンによる接種予約について、国や地方自治体がどの様に考えているのかは疑問に思えてならない。同居家族に聞くことができる等と言う恵まれた者はほんの一握りでしかないだろう。とは言え現在接種対象外となっている若者~中年層からすれば、やったことがないためにわからないのは事実である。電話会社によっては店舗でサポートしていると〝丸投げ〟したところもあると言う。マイナポイント申請時と同じことがまた起こっている現実。医療や関連職の方は除き、余っている行政職の公務員等は、支所や住民が集まるのに好都合な場所で、ワクチン予約受付をすれば良い。足りないというのならば仕事が無くて生活に困っている者達を雇い入れ、対応することを考えても良いのではないか?仮にそれで税金が投入されても誰も文句は言わないだろう。<br /><br />それに加えて独立したワクチン接種会場であるが故に、貴重なワクチンがキャンセル等で無駄になっていることは忍びない限りである。それこそ複合商業施設内に設けた会場で、無駄となりかけたワクチンを即座に接種する代わりの者に流用すれば、今のような無駄も無くなるのではないだろうか?日本の好きな〝縦割り〟で起こる弊害を緊急事態収束のために考え直す良い機会である。<br /><br />いずれにせよ国も地方公共団体もやる以上は責任を持ってやって欲しいと思う。大手携帯電話会社が儲け過ぎだと因縁をつけて、販売店が絡めない格安プランを提供させるも、結局のところ手数料を取っても良いから店舗でのサポートをする等といった本末転倒な展開をさせていることも事実である。言葉は悪いが日本人という民族が考える携帯電話サービスは、高くても良いからアフターフォローをして貰えるとの意識が諸外国に比べても著しく高いのである。会員登録をする際に住所氏名は勿論のこと、クレジットカードの番号まで入れてくれと頼むくらいセキュリティ意識が低過ぎる。使い方すらわからないスマートフォンをLINEがしたいからという理由だけで購入する。そして初期設定は店員に任せ、ログインができなくなった時には、IDとパスワードを教えてくれと何度も何度も誰彼問わず聞き回る。その様なレベルの者がワクチン接種のweb予約が出来るかどうか等言うまでもなくないことである。その様なレベルのユーザーに対しキャリアが店員にサポートをする様に指示を出すことは、販売店という営利企業に対し〝メリット〟を明確にしてからのことだろうと思えてならない。店員とてスキルの高い低いは当然ある訳であり、不慣れな担当者が誤登録をしてしまい、接種を受けられなかったと言いがかりをつけられた場合、責任は誰が取るのであろうか?<br /><br />昨今の身の回りで起こっている〝不思議な日常〟に対する私の疑問を記したまでであり、全ての同業者の意見を代弁するつもりもない。また旅日記の日にちと話題に〝タイムラグ〟が生じていることはご容赦願いたい。旅行記を書くまでに時間がかかるのは、本来の仕事以外の仕事が増え続ける一方であることに対し、それに輪をかける様な現実があるからに他ならない。昨年の今頃にまさか1年後にこんなことになるとは多くの者が想像だにしていなかったことだろう。<br /><br />他府県から滋賀県にここまで攻め込まれるとは考えてはいなかった時期ゆえ、越県してもまだ許される時期であったGW前。桜のシーズンが早々と終わり〝藤〟が見頃と知ったことからその名所巡りを考えた。先ずは宇治平等院。滋賀県から京都府に向かうには逢坂山を越える国道1号線ルートしか無いように思われている様だが、実は京滋バイパスのルートと似た瀬田川・宇治川沿いに走る〝宇治川ライン〟というものがある。走り屋受けするルートは、京滋バイパス開通後走る車もかなり減った。しかし私自身は免許取り立ての頃よく走っていた思い出のルートでもある。そんな10数年ぶりの道を走った今回の旅路はどんなものだったのであろうか?それでは始めるとしよう。<br /><br />令和3(2021)年4月21日水曜日<br />桜のシーズンが早々と終わり、次に見頃を迎える花は・・・と探していると〝藤〟だということを知る。勿論藤の花は知っており、なおかつ〝鬼滅の刃〟で鬼を倒す〝毒〟を持つ花として一躍有名になった花でもある。紫色の垂れ下がる花房が特徴的であるが、記憶の中に〝藤〟の花を目的にどこかへ行った経験もない。胡蝶しのぶ推しの私的にはもう〝行くしかない〟とスイッチオン。最近の外出同様〝No Plan〟で車を借用し出発する。先ずは最寄りのローソン大津大平一丁目店に立ち寄り一服の飲み物の購入し、ナビのセットをする。目的地は宇治平等院、勿論一般道の利用である。地元ならではのショートカットルートで外畑に抜け、宇治川ラインを走って行く。今では京滋バイパスがあるために利用することも少なくなったが、私が免許取り立ての頃は練習がてら走る〝思い出の道〟でもある。ただ大型トラックには直角に曲がるなど酷道であることには違いない。何十年ぶりかと思いながら走っていると、そんな時に限ってモタモタ走るトラックがある。大人しく後ろについて走っていたが、やはり後ろに付かれるのは嫌なのであろう。直線区間で道を譲られ、マイペースの走りに戻ることが出来た。<br /><br />宵待橋を渡り天ヶ瀬ダム横を通り過ぎると宇治の市街地に入って行く。平等院界隈の駐車場は軒並み料金は同じなので、適当なコインパーキングに車を停めて歩いて行く。南門入口で拝観料を払うが600円は良い値だと思う。鳳凰堂の内部拝観は予定数に達したとのことでできない旨を聞くが、時間的な余裕もないので気にもしない。鳳凰堂の西側(背面側)を順路通りに進んで行く。良く宇治平等院は国宝や文化財の〝密度〟の高さが言われるがまさしくそうである。旧南門・浄土院養林庵書院・羅漢堂という歴史ある建物を眺めながら歩いて行く。平等院と言えば鳳凰堂を建立した時の関白藤原頼道が知られているが、源平時代の源三位頼政の墓があることはあまり知られていない様だ。平安時代末期の平氏全盛期に於いて、保元・平治の乱で勝者側についた源氏の長老として破格の従三位に叙され、公卿に列した類い稀な人物である。保元の乱は源氏平氏共分裂した争いであるが、平治の乱は後々の源平合戦に繋がる源氏VS平氏の戦いとなったにも関わらず、頼政は〝平清盛〟に矛先を向ける理由がないとの判断から清盛軍に加わっている。結果清盛に寵愛を受けて官位は上がったことに繋がった。しかし高倉天皇の兄にあたる以仁王の平氏打倒に向けての挙兵に加わり打倒平氏を掲げて戦うことになるが、以仁王の出した〝令旨〟は早くに清盛の知るところとなっていたようだが、頼政が加わっていたことは本人が高齢のために出家し、家督を嫡男仲綱に譲っていたこともあり暫く露見しなかったと言われている。しかし清盛に知られれば即座に対応が打たれることとなり、両者が籠っていた園城寺も安泰な場所ではなくなったことから、興福寺を頼るべく南下する手段しか残っていなかった。しかし戦が出来る程の兵を持っていなかった以仁王と頼政一行は夜間の行軍を続けた結果暫く休憩を取らねばならない状態に陥ってしまう。そのため宇治平等院に立ち寄るが、その際に宇治橋の橋板を外し、平氏の追手に容易に囲まれない様に対策している。しかし大した時間稼ぎは出来ず、宇治川を挟んで両者が対峙することとなる。頼政は〝矢戦〟で応ずるも平家軍は様々な手段を用い宇治川を突破する。宇治橋を捨てて平等院に籠った頼政ではあったが、既に勝敗は明らかな状態となっており、以仁王に従者を付けて脱出させるのが精一杯で、頼政軍は主たる武将が討ち死にや自害を遂げて兵を失う中、頼政自身ももはやこれまでと考え、平等院扇の芝にて自害して果てることとなった。享年77歳であったと言われている。自害した頼政の首は一族の郎党が、領地に持ち帰り供養したと言われている。伝承の域の話なので首塚がいくつもあるのはさて置き、遺体を埋めたとされる伝承地のひとつとして平等院敷地内に残る〝源頼政墓〟の存在がある。頼政最後の地であることには間違いないことから、命日には法要が営まれていることからも信憑性は高いように私には思える。史実がわかればそれに越したことはないが、まあ現在のままでも十分納得できる理由があるのではないだろうか。<br /><br />そんな頼政の墓に手を合わせ、拝観順路を進んで行く。今まで気にかけなかったことだが平等院鳳凰堂の尾廊等鳳凰堂の〝裏側〟が見られることを知る。硬貨や紙幣をはじめとした色々な物に取り上げられる東側とは違い地味な存在ではあるのだが、鳳凰堂の名の由来は尾廊を含めた〝鳳凰〟の形に由来している。そんな尤もらしいことを言いながらも私自身見たことが記憶に残ってはいない・・・。そんなことを考えながら北翼廊を回り込む様に阿字池の回りを歩いて行く。北翼廊入口が鳳凰堂内部拝観の待合となっている様で人が群がっていた。今回はスルーしたのでそのまま阿字池の周りを歩いて行く。久しぶりの鳳凰堂だったが、圧倒されるのはやはり素晴らしい〝存在感〟だと改めて思う。池の回りに植えられているツツジや石楠花も鳳凰堂と阿字池の作り出す風景に彩りを添えている。<br /><br />平等院と言えば平安時代、時の関白藤原頼道が父道長の別荘であった宇治殿を、末法の世の到来として寺院にすることを考えた。そこで永承7(1052)年に天台宗寺門派園城寺の長吏を務め、京都岡崎の平等院住持となっていた明尊大僧正を開山とし、平等院という呼称も譲り受けている。そして岡崎の平等院は円満院と名を変え、江戸時代に園城寺の東側に移転している。このような経緯から園城寺の末寺として創建された宇治平等院であるが、開山翌年の天喜元(1053)年には西方極楽浄土をこの世に出現させたかのような阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立している。藤原氏全盛期に藤原道長が〝この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば〟の短歌を詠んだ背景〝そのもの〟を裏付ける出来事であったことに間違いはない。頼道の時代には藤原氏の摂関政治に徐々に陰りが見えていたのは周知の通りである。鳳凰堂建立時の前年永承6(1051)年には前九年の役が陸奥国で勃発し、院政や武家による時代の到来が始まろうとしていた。そんな不安定な時代に於いて平等院に固執しここで生涯を閉じた藤原頼道の気持ちもわからなくはないように思えてしまう。宇治という交通の要所にあったが故に幾度も兵火に見舞われて灰燼に帰すことの多かった宇治平等院に於いて、奇跡的とも思える1,000年前の建造物が目の前に広がっている様が不思議なのかとも考えながら見入っていた私であった。<br /><br />鳳凰堂を南北から見た後は鳳翔館を訪れる。歴史ある平等院、特に鳳凰堂の構成パーツを劣化防止のために徹底した温度湿度管理の下で保存・陳列している施設になる。鳳凰や梵鐘・仏像等国宝指定されている品々を見ることができる施設である。私の記憶には鳳翔館を見学した記憶がないと思っていたが、平成13(2001)年に宝物館が改修されて出来上がったものと知り納得した。酸性雨に雨晒しであれば劣化するのは当たり前。後世に伝えなければならない遺物としながらも現在見ることができるようにされていることに感謝し、鳳翔館を後にする。<br /><br />そもそも今回平等院を訪れた第一の理由は〝季節の花〟を楽しむということである。平等院自体が花々に囲まれていることもあるが、この季節は〝藤〟である。鳳凰堂北西の位置にある藤棚は、見頃を迎えた藤の花房が垂れ下がっており、それを目的とした観光客の群れが張り付いていた。特に藤の名所は昨今の〝鬼滅ブーム〟の影響もあり、訪れる者が増えている。まあそれは良いのだが藤の花と鳳凰堂を一枚の写真で切り取るのが流行りのようだ。それはそれで良いのだが、こういったシチュエーションでなぜ譲り合うことができないのか不思議に思えてならない。撮り鉄のマナーが問題視されているが、観光地のベストショットポイントにも同様のことが起こっている。譲り合わないために群れができる=密状態を作り出す。そんな連中だけの問題ならば勝手であるが、他の角度からの写真にまで写り込んでしまうことがわからないのでは迷惑以外なにものでもない。おまけに使用を禁止されている三脚を立ててカメラを構えている姿を見ていると、私からは幼稚にしか見えないのが本音である。私自身は敢えて〝ベストショット〟に拘るつもりはない。例えベストアングルをgetしたからとても100%満足のいくものに仕上がる保証もない。ネガフィルムを使用している以上、現像するまで出来上がりの様子がわからない。腕に自信がないと言われれば確かにそうかも知れないが、カメラはあくまで記録媒体であるに過ぎず、結果どんな写真になるかをワクワクしながら待つことこそが一番の楽しみであると思っている。閉門時間が近付く中自分なりの撮影を済ませ場所を変える。平等院の藤棚は確かに立派ではあるが、観光地故に人が集まる場所のひとつとして万人に勧める場所ではないように思えた私であった。<br /><br />観音堂を経て源頼政公自刃の地である扇の芝を見て歩く。ひとりの武将が命を絶った場所として重みを感じるが、長い時の流れから平等院内の観光地のひとつとなっている現実を知る。白いツツジの花に見送られて表門から出ることとなったが、本来の平等院入口はこちらだと言わんばかりに存在感がある。史跡平等院庭園の石碑の他、宇治茶を広めた辻利の創業者の胸像等も表門広場に建立されている。琵琶湖を含めた国定公園と世界遺産古都京都の文化財の中核要素となっている平等院の凄さはこちらに来て初めてわかることであった。<br /><br />まあこちらに車を停めることは不可能なので、南門へと移動はしなければならない。そのまま宇治川沿いに歩こうと進むと〝あじろぎの道〟と名付けられた小道に出た。歩道に木が植ってる遊歩道だけではあるが、これから暑くなると心地良い風を浴びながら涼むことができる場所となっているようだ。宇治観光センターもここにあるようだが、勿論この時間はクローズしていた。もう一ヵ所立ち寄ろうと考えているので、そろそろ車へと戻ることにする。途中の空き地に何やら舞台のようなものがある。〝平等院多宝塔跡(復元基壇)〟とあった。平成の発掘調査で遺構が見つかり、その場所に基壇だけを復元したもののようだ。現在の宇治平等院の敷地でも十分な広さがあると思えるのに、往時はそれ以上の広さがあったことが基壇跡迄の距離からも想像がつく。そして南門へと戻ってきたが、閉門後ゆえに人影は見当たらない。入るときは急いでいたのか気が付かなかったが、南門入口にも見事な藤の花房が垂れ下がっていた。光が足りないのが難点ではあるが、ファイナルショットはしっかと頂いた。<br /><br />駐車場に戻ってきたが、意外にも何台かの車が停まっていた。どうやら所有者の来客用駐車場も兼ねているようだった。8:00~18:00迄駐車時間問わず700円は良い値ではあるが致し方ないであろう。取り敢えず18:00を過ぎると別料金になるようなので、取り敢えず車を動かしてナビセットをする。京都市はかすめるが目的地はまた違う。車通りが増えてくる時間になったので、次の目的地を目指すことにする。<br /><br />  ≪後編へ続く≫

《2021. April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのⅥ宇治~この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば~

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2021/04/21 - 2021/04/21

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

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《2021. April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅京都そのⅥ宇治~この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば~

変異型コロナウィルスの蔓延により緊急事態宣言が出され、京阪神の大型商業施設が日常生活用品売場以外は閉店を余儀なくされた。密を作り出す要因として、各府県知事による要請であると言う。しかし今までの要請続きで個人経営の飲食店は余力がないという理由から敢えて時短要請には従わないとした店舗もある。ただ大型複合施設は半ば強制的だとする意見がある中、本社が滋賀県がある我が社も例外ではなく、京都府店舗は5月11日迄大阪府・兵庫県店舗は5月31日迄食品売場以外休業となり、それ以降現在も土日休業は継続されている。小売店舗にとって稼ぎ時の週末休業は大きな痛手となっていることは間違いない。売上げだけでなく余剰となる従業員達も穏やかではないだろう。京都府のとある店舗は、週末イベントが休業要請を受けて中止となった。店舗スタッフは勿論のことイベントスタッフ迄が被害を被った。休業要請対象外の滋賀県店舗の週末イベントは、実施はされたが常勤スタッフを除いて滋賀県在住のスタッフだけで行い、それが不可能であれば中止せよとのお達しが来ていた。私自身も滋賀県在住スタッフとして、以前の勤務店舗に応援に行ってきた。しかし久しぶりの人混みであったことは間違いなく、なんとなく気乗りがしないまま2日間を過ごしたことが本音である。これは私自身の我儘と言ってしまえばそれまでだが、GWを前にして休業要請が出されたことによって都市部の所属店舗が営業中止となり、働く場所が無くなった派遣や委託スタッフを滋賀県店舗で受け入れようと話が出ていたことがある。勿論彼等彼女等の生活のためという大義名分の下でのことである。店舗によっては最初から拒否した店舗もあったのだが、うちの店舗は受け入れる方向で動いていた。しかし2セクションの常勤スタッフ数が10名おり、そのうち半分が出勤しているところへ10名を受け入れろとは理不尽な指示であった。おまけに日が悪く外は大雨が降っている中来客も見込めず、売り場に従業員が無駄に屯していると言う姿を見た管理職が激怒し、その日のうちに受け入れ中止が決まったようだ。私は偶々休みだったためにその現場を知らないのだが、かなり酷かったことは翌日に伝え聞いている。派遣切り等と新聞には書かれていても実体験として周りで起こっている訳ではないので、どこ吹く風としか思っていなかったが、受け入れを断られた〝外注スタッフ〟達が、仮に有給休暇が無い者は〝事故欠〟扱いで無給となる上に、有給休暇取得のために必要な80%の〝出勤率〟に影響することを知り、他人事ではないことを思い知らされた。雇先によってはWebミーティング等で欠勤扱いを回避したところもあるようだが、そこまでの余力がない会社に所属しているスタッフの中にはやむを得ず退職した者もいると言う。ただ受入を断られたことは、不要不急の外出を控えようと異口同音に言われているご時世に、滋賀県に押し寄せる他府県ナンバーの圧力もないとは言い切れない。酒類の提供が規制されている府県ではなく、滋賀県下の店舗ならば大騒ぎしても許される訳でもない。GW期間中に都市部からの観光客が集まった沖縄県は、その後特措法下で外出すらままならない状況下となってしまった。滋賀県も他人事では既になくなっているのも現実だ。また何らかの必要性があり外出規制や酒類の提供が規制されている都府県に滞在した際に、宿泊先の〝夕食〟の提供迄もが規制対象となっていることを知った。こうなると外出して行くことができる場所そのものが限られているレベルではなく、既に外出そのものが仕事以外ではできないと思えてならない。

ワクチン接種は始まったが感染リスクと致死率の相関関係から高齢者が優先されている。それに異論を唱える訳ではないが、あのスマホやパソコンによる接種予約について、国や地方自治体がどの様に考えているのかは疑問に思えてならない。同居家族に聞くことができる等と言う恵まれた者はほんの一握りでしかないだろう。とは言え現在接種対象外となっている若者~中年層からすれば、やったことがないためにわからないのは事実である。電話会社によっては店舗でサポートしていると〝丸投げ〟したところもあると言う。マイナポイント申請時と同じことがまた起こっている現実。医療や関連職の方は除き、余っている行政職の公務員等は、支所や住民が集まるのに好都合な場所で、ワクチン予約受付をすれば良い。足りないというのならば仕事が無くて生活に困っている者達を雇い入れ、対応することを考えても良いのではないか?仮にそれで税金が投入されても誰も文句は言わないだろう。

それに加えて独立したワクチン接種会場であるが故に、貴重なワクチンがキャンセル等で無駄になっていることは忍びない限りである。それこそ複合商業施設内に設けた会場で、無駄となりかけたワクチンを即座に接種する代わりの者に流用すれば、今のような無駄も無くなるのではないだろうか?日本の好きな〝縦割り〟で起こる弊害を緊急事態収束のために考え直す良い機会である。

いずれにせよ国も地方公共団体もやる以上は責任を持ってやって欲しいと思う。大手携帯電話会社が儲け過ぎだと因縁をつけて、販売店が絡めない格安プランを提供させるも、結局のところ手数料を取っても良いから店舗でのサポートをする等といった本末転倒な展開をさせていることも事実である。言葉は悪いが日本人という民族が考える携帯電話サービスは、高くても良いからアフターフォローをして貰えるとの意識が諸外国に比べても著しく高いのである。会員登録をする際に住所氏名は勿論のこと、クレジットカードの番号まで入れてくれと頼むくらいセキュリティ意識が低過ぎる。使い方すらわからないスマートフォンをLINEがしたいからという理由だけで購入する。そして初期設定は店員に任せ、ログインができなくなった時には、IDとパスワードを教えてくれと何度も何度も誰彼問わず聞き回る。その様なレベルの者がワクチン接種のweb予約が出来るかどうか等言うまでもなくないことである。その様なレベルのユーザーに対しキャリアが店員にサポートをする様に指示を出すことは、販売店という営利企業に対し〝メリット〟を明確にしてからのことだろうと思えてならない。店員とてスキルの高い低いは当然ある訳であり、不慣れな担当者が誤登録をしてしまい、接種を受けられなかったと言いがかりをつけられた場合、責任は誰が取るのであろうか?

昨今の身の回りで起こっている〝不思議な日常〟に対する私の疑問を記したまでであり、全ての同業者の意見を代弁するつもりもない。また旅日記の日にちと話題に〝タイムラグ〟が生じていることはご容赦願いたい。旅行記を書くまでに時間がかかるのは、本来の仕事以外の仕事が増え続ける一方であることに対し、それに輪をかける様な現実があるからに他ならない。昨年の今頃にまさか1年後にこんなことになるとは多くの者が想像だにしていなかったことだろう。

他府県から滋賀県にここまで攻め込まれるとは考えてはいなかった時期ゆえ、越県してもまだ許される時期であったGW前。桜のシーズンが早々と終わり〝藤〟が見頃と知ったことからその名所巡りを考えた。先ずは宇治平等院。滋賀県から京都府に向かうには逢坂山を越える国道1号線ルートしか無いように思われている様だが、実は京滋バイパスのルートと似た瀬田川・宇治川沿いに走る〝宇治川ライン〟というものがある。走り屋受けするルートは、京滋バイパス開通後走る車もかなり減った。しかし私自身は免許取り立ての頃よく走っていた思い出のルートでもある。そんな10数年ぶりの道を走った今回の旅路はどんなものだったのであろうか?それでは始めるとしよう。

令和3(2021)年4月21日水曜日
桜のシーズンが早々と終わり、次に見頃を迎える花は・・・と探していると〝藤〟だということを知る。勿論藤の花は知っており、なおかつ〝鬼滅の刃〟で鬼を倒す〝毒〟を持つ花として一躍有名になった花でもある。紫色の垂れ下がる花房が特徴的であるが、記憶の中に〝藤〟の花を目的にどこかへ行った経験もない。胡蝶しのぶ推しの私的にはもう〝行くしかない〟とスイッチオン。最近の外出同様〝No Plan〟で車を借用し出発する。先ずは最寄りのローソン大津大平一丁目店に立ち寄り一服の飲み物の購入し、ナビのセットをする。目的地は宇治平等院、勿論一般道の利用である。地元ならではのショートカットルートで外畑に抜け、宇治川ラインを走って行く。今では京滋バイパスがあるために利用することも少なくなったが、私が免許取り立ての頃は練習がてら走る〝思い出の道〟でもある。ただ大型トラックには直角に曲がるなど酷道であることには違いない。何十年ぶりかと思いながら走っていると、そんな時に限ってモタモタ走るトラックがある。大人しく後ろについて走っていたが、やはり後ろに付かれるのは嫌なのであろう。直線区間で道を譲られ、マイペースの走りに戻ることが出来た。

宵待橋を渡り天ヶ瀬ダム横を通り過ぎると宇治の市街地に入って行く。平等院界隈の駐車場は軒並み料金は同じなので、適当なコインパーキングに車を停めて歩いて行く。南門入口で拝観料を払うが600円は良い値だと思う。鳳凰堂の内部拝観は予定数に達したとのことでできない旨を聞くが、時間的な余裕もないので気にもしない。鳳凰堂の西側(背面側)を順路通りに進んで行く。良く宇治平等院は国宝や文化財の〝密度〟の高さが言われるがまさしくそうである。旧南門・浄土院養林庵書院・羅漢堂という歴史ある建物を眺めながら歩いて行く。平等院と言えば鳳凰堂を建立した時の関白藤原頼道が知られているが、源平時代の源三位頼政の墓があることはあまり知られていない様だ。平安時代末期の平氏全盛期に於いて、保元・平治の乱で勝者側についた源氏の長老として破格の従三位に叙され、公卿に列した類い稀な人物である。保元の乱は源氏平氏共分裂した争いであるが、平治の乱は後々の源平合戦に繋がる源氏VS平氏の戦いとなったにも関わらず、頼政は〝平清盛〟に矛先を向ける理由がないとの判断から清盛軍に加わっている。結果清盛に寵愛を受けて官位は上がったことに繋がった。しかし高倉天皇の兄にあたる以仁王の平氏打倒に向けての挙兵に加わり打倒平氏を掲げて戦うことになるが、以仁王の出した〝令旨〟は早くに清盛の知るところとなっていたようだが、頼政が加わっていたことは本人が高齢のために出家し、家督を嫡男仲綱に譲っていたこともあり暫く露見しなかったと言われている。しかし清盛に知られれば即座に対応が打たれることとなり、両者が籠っていた園城寺も安泰な場所ではなくなったことから、興福寺を頼るべく南下する手段しか残っていなかった。しかし戦が出来る程の兵を持っていなかった以仁王と頼政一行は夜間の行軍を続けた結果暫く休憩を取らねばならない状態に陥ってしまう。そのため宇治平等院に立ち寄るが、その際に宇治橋の橋板を外し、平氏の追手に容易に囲まれない様に対策している。しかし大した時間稼ぎは出来ず、宇治川を挟んで両者が対峙することとなる。頼政は〝矢戦〟で応ずるも平家軍は様々な手段を用い宇治川を突破する。宇治橋を捨てて平等院に籠った頼政ではあったが、既に勝敗は明らかな状態となっており、以仁王に従者を付けて脱出させるのが精一杯で、頼政軍は主たる武将が討ち死にや自害を遂げて兵を失う中、頼政自身ももはやこれまでと考え、平等院扇の芝にて自害して果てることとなった。享年77歳であったと言われている。自害した頼政の首は一族の郎党が、領地に持ち帰り供養したと言われている。伝承の域の話なので首塚がいくつもあるのはさて置き、遺体を埋めたとされる伝承地のひとつとして平等院敷地内に残る〝源頼政墓〟の存在がある。頼政最後の地であることには間違いないことから、命日には法要が営まれていることからも信憑性は高いように私には思える。史実がわかればそれに越したことはないが、まあ現在のままでも十分納得できる理由があるのではないだろうか。

そんな頼政の墓に手を合わせ、拝観順路を進んで行く。今まで気にかけなかったことだが平等院鳳凰堂の尾廊等鳳凰堂の〝裏側〟が見られることを知る。硬貨や紙幣をはじめとした色々な物に取り上げられる東側とは違い地味な存在ではあるのだが、鳳凰堂の名の由来は尾廊を含めた〝鳳凰〟の形に由来している。そんな尤もらしいことを言いながらも私自身見たことが記憶に残ってはいない・・・。そんなことを考えながら北翼廊を回り込む様に阿字池の回りを歩いて行く。北翼廊入口が鳳凰堂内部拝観の待合となっている様で人が群がっていた。今回はスルーしたのでそのまま阿字池の周りを歩いて行く。久しぶりの鳳凰堂だったが、圧倒されるのはやはり素晴らしい〝存在感〟だと改めて思う。池の回りに植えられているツツジや石楠花も鳳凰堂と阿字池の作り出す風景に彩りを添えている。

平等院と言えば平安時代、時の関白藤原頼道が父道長の別荘であった宇治殿を、末法の世の到来として寺院にすることを考えた。そこで永承7(1052)年に天台宗寺門派園城寺の長吏を務め、京都岡崎の平等院住持となっていた明尊大僧正を開山とし、平等院という呼称も譲り受けている。そして岡崎の平等院は円満院と名を変え、江戸時代に園城寺の東側に移転している。このような経緯から園城寺の末寺として創建された宇治平等院であるが、開山翌年の天喜元(1053)年には西方極楽浄土をこの世に出現させたかのような阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立している。藤原氏全盛期に藤原道長が〝この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば〟の短歌を詠んだ背景〝そのもの〟を裏付ける出来事であったことに間違いはない。頼道の時代には藤原氏の摂関政治に徐々に陰りが見えていたのは周知の通りである。鳳凰堂建立時の前年永承6(1051)年には前九年の役が陸奥国で勃発し、院政や武家による時代の到来が始まろうとしていた。そんな不安定な時代に於いて平等院に固執しここで生涯を閉じた藤原頼道の気持ちもわからなくはないように思えてしまう。宇治という交通の要所にあったが故に幾度も兵火に見舞われて灰燼に帰すことの多かった宇治平等院に於いて、奇跡的とも思える1,000年前の建造物が目の前に広がっている様が不思議なのかとも考えながら見入っていた私であった。

鳳凰堂を南北から見た後は鳳翔館を訪れる。歴史ある平等院、特に鳳凰堂の構成パーツを劣化防止のために徹底した温度湿度管理の下で保存・陳列している施設になる。鳳凰や梵鐘・仏像等国宝指定されている品々を見ることができる施設である。私の記憶には鳳翔館を見学した記憶がないと思っていたが、平成13(2001)年に宝物館が改修されて出来上がったものと知り納得した。酸性雨に雨晒しであれば劣化するのは当たり前。後世に伝えなければならない遺物としながらも現在見ることができるようにされていることに感謝し、鳳翔館を後にする。

そもそも今回平等院を訪れた第一の理由は〝季節の花〟を楽しむということである。平等院自体が花々に囲まれていることもあるが、この季節は〝藤〟である。鳳凰堂北西の位置にある藤棚は、見頃を迎えた藤の花房が垂れ下がっており、それを目的とした観光客の群れが張り付いていた。特に藤の名所は昨今の〝鬼滅ブーム〟の影響もあり、訪れる者が増えている。まあそれは良いのだが藤の花と鳳凰堂を一枚の写真で切り取るのが流行りのようだ。それはそれで良いのだが、こういったシチュエーションでなぜ譲り合うことができないのか不思議に思えてならない。撮り鉄のマナーが問題視されているが、観光地のベストショットポイントにも同様のことが起こっている。譲り合わないために群れができる=密状態を作り出す。そんな連中だけの問題ならば勝手であるが、他の角度からの写真にまで写り込んでしまうことがわからないのでは迷惑以外なにものでもない。おまけに使用を禁止されている三脚を立ててカメラを構えている姿を見ていると、私からは幼稚にしか見えないのが本音である。私自身は敢えて〝ベストショット〟に拘るつもりはない。例えベストアングルをgetしたからとても100%満足のいくものに仕上がる保証もない。ネガフィルムを使用している以上、現像するまで出来上がりの様子がわからない。腕に自信がないと言われれば確かにそうかも知れないが、カメラはあくまで記録媒体であるに過ぎず、結果どんな写真になるかをワクワクしながら待つことこそが一番の楽しみであると思っている。閉門時間が近付く中自分なりの撮影を済ませ場所を変える。平等院の藤棚は確かに立派ではあるが、観光地故に人が集まる場所のひとつとして万人に勧める場所ではないように思えた私であった。

観音堂を経て源頼政公自刃の地である扇の芝を見て歩く。ひとりの武将が命を絶った場所として重みを感じるが、長い時の流れから平等院内の観光地のひとつとなっている現実を知る。白いツツジの花に見送られて表門から出ることとなったが、本来の平等院入口はこちらだと言わんばかりに存在感がある。史跡平等院庭園の石碑の他、宇治茶を広めた辻利の創業者の胸像等も表門広場に建立されている。琵琶湖を含めた国定公園と世界遺産古都京都の文化財の中核要素となっている平等院の凄さはこちらに来て初めてわかることであった。

まあこちらに車を停めることは不可能なので、南門へと移動はしなければならない。そのまま宇治川沿いに歩こうと進むと〝あじろぎの道〟と名付けられた小道に出た。歩道に木が植ってる遊歩道だけではあるが、これから暑くなると心地良い風を浴びながら涼むことができる場所となっているようだ。宇治観光センターもここにあるようだが、勿論この時間はクローズしていた。もう一ヵ所立ち寄ろうと考えているので、そろそろ車へと戻ることにする。途中の空き地に何やら舞台のようなものがある。〝平等院多宝塔跡(復元基壇)〟とあった。平成の発掘調査で遺構が見つかり、その場所に基壇だけを復元したもののようだ。現在の宇治平等院の敷地でも十分な広さがあると思えるのに、往時はそれ以上の広さがあったことが基壇跡迄の距離からも想像がつく。そして南門へと戻ってきたが、閉門後ゆえに人影は見当たらない。入るときは急いでいたのか気が付かなかったが、南門入口にも見事な藤の花房が垂れ下がっていた。光が足りないのが難点ではあるが、ファイナルショットはしっかと頂いた。

駐車場に戻ってきたが、意外にも何台かの車が停まっていた。どうやら所有者の来客用駐車場も兼ねているようだった。8:00~18:00迄駐車時間問わず700円は良い値ではあるが致し方ないであろう。取り敢えず18:00を過ぎると別料金になるようなので、取り敢えず車を動かしてナビセットをする。京都市はかすめるが目的地はまた違う。車通りが増えてくる時間になったので、次の目的地を目指すことにする。

  ≪後編へ続く≫

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩

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