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令和3(2021)年も4月を迎えた。相変わらず政府と地方自治体のチグハグなやり取りが続きコロナ患者数の増加が続いている。自粛疲れの反動で外出するものが増加し、比例する形で患者数が増えているとも言われているが本当にそうなのであろうか?<br /><br />素人目には〝外食〟が感染拡大を招いているように思えてならない。こんなご時世に於いて〝外食〟を推奨する〝GoTo Eatプレミアム食事券〟を出そうとしている我が滋賀県。別に飲食店が悪いわけではないが、コロナ禍に於いて別に窮地に立たされているのは飲食店だけに限ったことではない。観光客だけに限らずビジネス客のニーズも減っている宿泊業・土産物屋、更には食材や地元産物を提供している卸業者は勿論、卸業者に品々を提供している第一次産業従事者まで同じである。<br /><br />全ての業種に対して平等な税金投入がなされれば良いが、そんなことができる訳もない。しかしなぜ〝外食産業〟に対しここまで手厚い扱いをするのだろうか?色々な媒体から飲食の場でコロナ感染のリスクを報じ、実際にもクラスター発生源として叩かれているにも関わらずだ。人が収めた税金で生活をしている公務員や官僚達が、バレないだろうとたかを括り会食を行い日夜新聞沙汰になっている。そんな状況下でコロナ禍の収束に目処がつけられるのかと不思議に思えてならない。<br /><br />同じような考えで始まったGoTo Travelも然りだが、そちらは今のところ適用除外が続いている。トラベル事業でも行ける者と行けない者との不公平感が出ていたことは周知の事実である。コロナ治療の最前線に立つ医療従事者の方々が、感染リスクを少しでも下げようと不要不急の外出さえ自粛している現実には本当に頭が下がる。勿論そう言う方々に対しての〝感謝の意〟を込めて行う施策であれば良いとは思うが、GoTo Eatを求める者の大多数は時間に余裕のある高齢者である。別に外食するならば自分自身の責任で行えば良いのだろうが、申し込み方すら調べることをせずに人に尋ねて時間を取らせることは、負の連鎖以外なにものでもない。<br /><br />税金投入した恩恵を自分自身が被りたいのであれば、手順を含め調べて当たり前ではないかと思う。紙券と電子クーポンの違いを教えろとクダを巻く輩の気が知れない。自分達が儲けるには労力や金銭的なものを惜しんで結果を出すなど〝運〟だけで成功する時代ではないのである。なんらかの犠牲の元で得る〝利益〟であるから楽しいのである。<br /><br />私は自慢ではないが〝経済〟と言うものが全く理解できない人である。博打を含め左手団扇で〝利益〟を得られることはないと常々思っている。それ故にあんな〝GoTo Eat〟には全く興味もないし勿論申し込みもしない。元々外出先で飲食をしなくても気にならない人間にとって、県内で1万2千円もの飲食をするのにどれだけの時間がかかるのか想像もつかないためである。加えて〝GoTo Travel〟もなければないで定価で行くだけのことなので〝復活〟を望んでいる訳でもない。要は安心して旅ができる環境を整えて欲しいだけのことである。<br /><br />自分自身が出歩いてコロナに罹患したとしても自業自得で済むことではあるが、家族を含め職場の同僚を罹患させてしまったとなると個人責任の範疇を超えてしまう。その考えがあるために〝人が集まる場所〟には行かないという前提の元コース設定を行っている。屋内施設には立ち入らないし、明らかに〝密〟となっている施設ならば行き先を変更する。だから行って帰って車でどこに行くのかわからないのが現状だ。<br /><br />昨日は県境越えをしたが、時期外れの場所に遅い時間に訪れたことから室生寺の入山券を購入した際に話した位であった。ただあっちもこっちも立ち寄ったことが災いし2:00に帰宅した。その補完という意味合いで出発した〝自宅泊〟の2日目の旅が始まった。<br /><br />令和3(2021)年4月8日木曜日<br />基本希望休を取らないのが木曜日だ。ハルがパソコン教室に通う日でまーさんが仕事ならば車が借りられないからである。昨晩というか今日の未明に帰宅したため昼前に起床し、当直明けのまーさんを待つがハルの方が早かった。<br /><br />取り敢えず滋賀県内でまだ〝桜〟が咲いている場所を探すがなかなか見当たらない。そんな中でオンタイムに〝桜情報〟を流す場所があった。信楽の畑のしだれ桜である。実は室生寺の帰りに立ち寄っている。しかし今年はライトアップがされない上に自然真っ只中の集落は月や星の光頼みと言っても過言ではない。暗闇の中で撮った写真も花の咲き具合迄はわからない。結果言ってしまえ!となり用意をする。そのうちにまーさんが帰宅したため車を代えて出発することにした。<br /><br />目指すは甲賀市信楽町だが昨日と途中まで同じルートを辿る。このルートを頻繁に通るようになったのは、瀬田川令和大橋・関津トンネルからなる国道422号線大石東バイパスの開通で信楽や伊賀市、更には奈良東部へのアクセスが飛躍的に便利になったことが理由である。今までもこれからも頻繁に通ることは行先が少し違っても変わることはないであろう。<br /><br />宮尻から国道307号線重用区間を走り朝宮へと辿り着く。県道522号線は=酷道であり、他府県ナンバーが徐行もせずに走って来るとヒヤリとする。またこのルートは畑のしだれ桜へ行った後岩屋山仙禅寺跡の磨崖仏に立ち寄る道としてガイドブックにも紹介されていることでも知られている。仙禅寺は後から参るとして畑集落へと向かうが、2台の車と離合した時はやはり固まった(汗)。<br /><br />そんな道を通り抜け畑の集落にやってきた。公民館駐車場に車を停めて坂を上る。昨日は夜ということもあり入口まで車を乗り入れたためこの苦労はなかった。やすらぎ広場と名付けられた広場内に畑のしだれ桜は植っている。樹齢400年以上と言われるエドヒガンザクラ古木は、本能寺の変の際に忍びに守られた徳川家康が〝畑〟で休息し、無事に本拠地である三河に辿り着いた。そして江戸幕府を開いた後〝徳川家康隠密街道〟としてこの地を通った折にその出来事を思い出し、国家安泰を願い手植えをしたという伝承もあるようだ。一度壊死の窮地に追い込まれるが、保存会をはじめとする多くの人々の尽力によって復活し、今日の姿に至っている。勿論長寿の野生種の桜とは言え寿命はある。そこで樹木再生に際に畑のしだれ桜〝二世〟が作られることとなり、ある程度の成長を待ってこの地に里帰りを果たし、一世の威厳を見ながら育っている。<br /><br />残念ながらリアルタイムの開花情報を勘違いをして捉えていたことから既に〝葉桜〟の状態になっており、四世紀もの間人々を楽しませていたしだれ桜の花を今年は見ることができなかった。二世も然りではあったが、数年ぶりに畑集落を訪れて花はともかく存在感は衰えていないしだれ桜を見ることができたのは収穫であった。<br /><br />畑のしだれ桜付近には散り始めのソメイヨシノの木々も植えられている。花の特徴に関する知識は持たない私であるが、畑のしだれ桜をはじめとする〝一本もの〟の野生種は、寿命が長く数百年の樹齢がありながら花を咲かせる能力を備えているものが多い。対してソメイヨシノをはじめとする園芸種は、花の咲き方こそ派手に咲き誇るが、寿命が短く4~50年位だとされている。確かに花見が楽しめる桜並木は殆んどがソメイヨシノからなっているが、花の咲き具合から見て植えられた時期が違うことを気づくことがある。数百年咲き続ける野生種の手入れは一代で行うことはできないことも考えれば、幾代にも渡り手入れをする人々の労力による〝賜物〟だということも理解できよう。そんな俄仕込みの知識を背景に、開花桜を探す旅2日目も歩いて回った私であった。<br /><br />車に戻り今来た道を戻る。目的地は仙禅寺跡磨崖仏だ。ここには駐車場はないが、橋の手前に車2台ほど停められるスペースがあり、そこを利用する。前回訪れた際は日暮れ前という時間帯だったこともあり、磨崖仏の様子も上手く捉えられていなかった。16:00と夕方ではあるが陽の光は差し込んでいる時間帯故状況的には悪くはない。しかし堂宇下に鎮座する磨崖仏には光が差し込んでおらずかなり暗い状態。前回はうまく撮影出来なかったこともあり、今回は持参の三脚を利用してノンストロボ撮影に挑むが出来上がりは微妙・・・。スマホカメラでの撮影分はやはり判別が難しいものだったために画像補正をしてなんとか出来た感がある。磨崖仏上部に設けられたお堂に繋がる階段から下方に向けて撮影するも薬師如来様と毘沙門天様しか判別つかないものであった。訪れる者全て同意見である〝撮影が難しい〟のはやはり事実である。また今回初めて堂宇内をチラ見したが、毎年三月に行われる祭り〝オコナイ〟で奉納品を供える場所となる様だ。本尊である秘仏十一面観音も収められているそうだが、勿論見ることはできない。前回より時間的に余裕があったためにじっくりと参拝できたことに満足して次の目的地へと車を走らせることにする。<br /><br />奈良時代建立の岩屋山仙禅寺は、多くの堂宇があったと伝わるが、戦国時代の兵火に全て焼かれており往時を偲ぶ建物は残っていない。唯一鎌倉時代に彫られた磨崖仏がその日々を見つめていたのだろう。しかし再建を含め名残しい物は残されており、朝宮に向かう道中にある薬師堂や茶畑内の宝篋印塔がその名残だと言われている。<br /><br />道が狭いので写真だけを撮影しながら車を走らせた。一旦国道307号線へと出てすぐに県道へと入り南下する。多羅尾集落の茶屋出バス停を左折すると滝川沿いに目指す目的地はあった。〝多羅尾阿弥陀三尊磨崖仏〟、多羅尾集落にある磨崖仏であるが、こちらを訪問する。しかし磨崖仏が面する県道334号線は狭窄路故、車を磨崖仏前に停める訳にいかない。一旦通り過ぎるも今度はUターンができない(汗)。暫く走行し教習所でいう〝方向転換〟を行って元に戻る。どうやら茶屋出バス停前位にしか車を停める場所はなく、バスの時間を確認し急いで向かうことにした。<br /><br />多羅尾滝の磨崖仏とも言われるこの磨崖仏は、全て同時期に彫られたものではないらしい。鎌倉時代末期の正中2(1325)年に彫られたものが最初となり、以降室町時代後期まで掘り続けられたものと書かれてあった。磨崖仏オタクの方には「大して古くはない」等と取られているようだが、旧街道沿いに道祖神のように彫られた磨崖仏群は、既訪の富川・仙禅寺の磨崖仏が往時の参拝には苦労が伺えるのに対し、旅人が普通に手を合わせていただろう場所に刻まれていることに新鮮味を感じる。また多羅尾では山岳宗教が栄えており、磨崖仏前の滝川には行者滝がありその関係で磨崖仏が掘られていたのではないかとの仮説も立てられている。今となっては他の磨崖仏同様どの様な理由から刻まれたのかは不明であるが、数百年前から私同様目の前の京街道を通る旅人が旅の安全祈願を祈念して手を合わせて通り過ぎる姿を見下ろしていたことに歴史ロマンを感じずにはいられなかった。<br /><br />ただやはりお堂に祀られている磨崖仏とは違い、風雨による摩耗は否めないものであった。ある程度の太陽光があれば光加減を調節してその磨崖仏をデフォルメして画像データとすることはできるのであろうが、山間部ゆえに平地よりも早く暗くなってしまう集落では、切り取ったものを後で画像処理してどうなるかになってしまう。画質重視で使用したアナログカメラでは、掘り上げられた像は判別できても〝線〟で刻まれた像に関してはアナログの特徴である〝ロートーン〟が前面に出てしまい、ベースとなる岩と線の区別が良くわからないものとなっている。仙禅寺磨崖仏でもそうだったが、時期や時間等撮影条件を帰れば見え方も変わることを信じて必要再訪地のひとつとし、今日のところは終わりにする。<br /><br />そして車に戻るがバス停斜めの村木商店に、田舎でも見かけなくなった〝壁掛け型ポスト〟を見つけたので見学する。以前は集配とも信楽郵便局が行っていたが、今では取集は甲西郵便局が担当している。故に信楽郵便局はゆうゆう窓口はなく、不在時には甲西郵便局迄取りに行かねばならなくなった。またこのポストの収集時刻も土平日15:05、休日9:05の一便だけとなっていた。一日一便の取集めでも需要はあるのだろうとは思いつつ、ゆうゆう窓口に差し出した郵便物が「明日の発送になります」と言われてムッとする私には心許なく感じてしまうのは仕方がないことなのであろう。<br /><br />という信楽町での桜・磨崖仏巡りの旅を終え帰路に着く。行きに走った道を帰れば問題ないのだが、せっかくなので撮影済みのフィルムを発送して帰ろうと思う。目的地は甲西郵便局、ゆうゆう窓口のある最寄りの郵便局である。ナビの示すまま走って行くと〝天満宮〟の扁額を見つけて立ち寄った。境内社か摂社に高宮神社もある大きなものであるが、境内由緒書には〝天満神社〟とある。何か違和感があり、調べてみると何やら宮司と氏子の間で〝天満宮〟と〝天満神社〟の呼称争いが勃発中だと知る。氏神様と氏子達の密接な関係からならではのことだが、まあわかればどちらでも良いのではとふと思う私であった。<br /><br />信楽という街は花が似合う街でもある。名木の桜も勿論だが個人的に植えられているものも多く存在する。一本物の古木が野生種であるのに対し、ソメイヨシノをはじめとする園芸種が現在の〝桜並木〟を構成している。園芸種の特徴は〝派手に咲く〟ことが特徴で、ソメイヨシノも間違いなくその様な咲き方をしている。ただ樹木の寿命は園芸種は短く4~50年と言われているようだ。それに対して徐々に花が咲いてくるしだれ桜等の野生種は、派手さはないものの数百年という寿命を誇っている。畑のしだれ桜が樹齢400年以上と言われるのはそのような理由からでもある。天満宮近くに咲く〝関山(だと思う)〟の赤い花が勢いよく咲いている姿にふとそう感じた。<br /><br />天満宮を出発する。24kmとは結構な距離だがここで大きな間違いをする。県道を進み国道307号線へと出れば、右折してひたすら良い筈であった。が本来ならば二つ目の大きな交差点を右折しなければならないに最初に交差してしまった。このあたりは地元民の過信であり、国道422号線と307号線の重用区間だと勘違いしたことが理由だった。桜峠を越え三重県伊賀市に入って気がついた。取り敢えず記憶のある〝丸柱〟の地名を辿り進んで行く。途中から伊賀コリドールロードに入り暫く進み〝四季の里まつもと〟付近で道路確認とピンクと赤の桜のコラボをカメラに収める。そんな姿を見た地元のおじさんに〝来週は真っ赤になっていて見頃だよ〟と教えて貰う。今日がその1週間後、どうなっているのか見たい気もする。暫く進んだバードウィングカントリークラブ前でも暫し停車。見頃は既に過ぎていた桜を確認し出発する。<br /><br />滋賀県甲賀市甲南町に入り西蔵寺、岩附神社前で停車し桜を確認。西蔵寺のヤマザクラはまだ大丈夫のようだが、岩附神社前は付近に植えられた小ぶりのソメイヨシノは満開だった。その前に植えられていたチューリップの花を見て、桜の時期の終わりを感じてしまった私であった。その後広域農道から旧国道区間の県道4号線に入る。三雲等懐かしい景色を眺めながら湖南市の中心である甲西郵便局に到着し、ゆうゆう窓口で撮影済みフィルムを発送する。なにも言われなかったので今日出しになると思っていたが、やはり明日朝の発送に回ってしまったようだ。なんとかゆうゆう窓口の営業時間には間に合ったが、そこらのポストに投函したのとなんら変わりはなかった。<br /><br />19:00を過ぎると雨が強く降るようになってきた。知っている道ではあるが横着な運転はしないように心がけて走る。栗東インターを回り込むと守山通勤時に利用していた見慣れた景色が見えてくる。草津市で京滋バイパスへと入ればあと一息なのだが、まーさんの黄砂塗れのババちい車を洗車する。雨が降り止んだと思ったので洗車機をかけたが、噴き上げている最中にまた降り出してしまった。まあ少しは綺麗になったと思い込み自宅へと戻る。本日の走行距離が約100km、暫くぶりにドライブしたなと感じられた1日であった。<br /><br />  《終わり》

《2021. April》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのXXII信楽~畑のしだれ桜と磨崖仏~

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2021/04/08 - 2021/04/08

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

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2021/04/09

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令和3(2021)年も4月を迎えた。相変わらず政府と地方自治体のチグハグなやり取りが続きコロナ患者数の増加が続いている。自粛疲れの反動で外出するものが増加し、比例する形で患者数が増えているとも言われているが本当にそうなのであろうか?

素人目には〝外食〟が感染拡大を招いているように思えてならない。こんなご時世に於いて〝外食〟を推奨する〝GoTo Eatプレミアム食事券〟を出そうとしている我が滋賀県。別に飲食店が悪いわけではないが、コロナ禍に於いて別に窮地に立たされているのは飲食店だけに限ったことではない。観光客だけに限らずビジネス客のニーズも減っている宿泊業・土産物屋、更には食材や地元産物を提供している卸業者は勿論、卸業者に品々を提供している第一次産業従事者まで同じである。

全ての業種に対して平等な税金投入がなされれば良いが、そんなことができる訳もない。しかしなぜ〝外食産業〟に対しここまで手厚い扱いをするのだろうか?色々な媒体から飲食の場でコロナ感染のリスクを報じ、実際にもクラスター発生源として叩かれているにも関わらずだ。人が収めた税金で生活をしている公務員や官僚達が、バレないだろうとたかを括り会食を行い日夜新聞沙汰になっている。そんな状況下でコロナ禍の収束に目処がつけられるのかと不思議に思えてならない。

同じような考えで始まったGoTo Travelも然りだが、そちらは今のところ適用除外が続いている。トラベル事業でも行ける者と行けない者との不公平感が出ていたことは周知の事実である。コロナ治療の最前線に立つ医療従事者の方々が、感染リスクを少しでも下げようと不要不急の外出さえ自粛している現実には本当に頭が下がる。勿論そう言う方々に対しての〝感謝の意〟を込めて行う施策であれば良いとは思うが、GoTo Eatを求める者の大多数は時間に余裕のある高齢者である。別に外食するならば自分自身の責任で行えば良いのだろうが、申し込み方すら調べることをせずに人に尋ねて時間を取らせることは、負の連鎖以外なにものでもない。

税金投入した恩恵を自分自身が被りたいのであれば、手順を含め調べて当たり前ではないかと思う。紙券と電子クーポンの違いを教えろとクダを巻く輩の気が知れない。自分達が儲けるには労力や金銭的なものを惜しんで結果を出すなど〝運〟だけで成功する時代ではないのである。なんらかの犠牲の元で得る〝利益〟であるから楽しいのである。

私は自慢ではないが〝経済〟と言うものが全く理解できない人である。博打を含め左手団扇で〝利益〟を得られることはないと常々思っている。それ故にあんな〝GoTo Eat〟には全く興味もないし勿論申し込みもしない。元々外出先で飲食をしなくても気にならない人間にとって、県内で1万2千円もの飲食をするのにどれだけの時間がかかるのか想像もつかないためである。加えて〝GoTo Travel〟もなければないで定価で行くだけのことなので〝復活〟を望んでいる訳でもない。要は安心して旅ができる環境を整えて欲しいだけのことである。

自分自身が出歩いてコロナに罹患したとしても自業自得で済むことではあるが、家族を含め職場の同僚を罹患させてしまったとなると個人責任の範疇を超えてしまう。その考えがあるために〝人が集まる場所〟には行かないという前提の元コース設定を行っている。屋内施設には立ち入らないし、明らかに〝密〟となっている施設ならば行き先を変更する。だから行って帰って車でどこに行くのかわからないのが現状だ。

昨日は県境越えをしたが、時期外れの場所に遅い時間に訪れたことから室生寺の入山券を購入した際に話した位であった。ただあっちもこっちも立ち寄ったことが災いし2:00に帰宅した。その補完という意味合いで出発した〝自宅泊〟の2日目の旅が始まった。

令和3(2021)年4月8日木曜日
基本希望休を取らないのが木曜日だ。ハルがパソコン教室に通う日でまーさんが仕事ならば車が借りられないからである。昨晩というか今日の未明に帰宅したため昼前に起床し、当直明けのまーさんを待つがハルの方が早かった。

取り敢えず滋賀県内でまだ〝桜〟が咲いている場所を探すがなかなか見当たらない。そんな中でオンタイムに〝桜情報〟を流す場所があった。信楽の畑のしだれ桜である。実は室生寺の帰りに立ち寄っている。しかし今年はライトアップがされない上に自然真っ只中の集落は月や星の光頼みと言っても過言ではない。暗闇の中で撮った写真も花の咲き具合迄はわからない。結果言ってしまえ!となり用意をする。そのうちにまーさんが帰宅したため車を代えて出発することにした。

目指すは甲賀市信楽町だが昨日と途中まで同じルートを辿る。このルートを頻繁に通るようになったのは、瀬田川令和大橋・関津トンネルからなる国道422号線大石東バイパスの開通で信楽や伊賀市、更には奈良東部へのアクセスが飛躍的に便利になったことが理由である。今までもこれからも頻繁に通ることは行先が少し違っても変わることはないであろう。

宮尻から国道307号線重用区間を走り朝宮へと辿り着く。県道522号線は=酷道であり、他府県ナンバーが徐行もせずに走って来るとヒヤリとする。またこのルートは畑のしだれ桜へ行った後岩屋山仙禅寺跡の磨崖仏に立ち寄る道としてガイドブックにも紹介されていることでも知られている。仙禅寺は後から参るとして畑集落へと向かうが、2台の車と離合した時はやはり固まった(汗)。

そんな道を通り抜け畑の集落にやってきた。公民館駐車場に車を停めて坂を上る。昨日は夜ということもあり入口まで車を乗り入れたためこの苦労はなかった。やすらぎ広場と名付けられた広場内に畑のしだれ桜は植っている。樹齢400年以上と言われるエドヒガンザクラ古木は、本能寺の変の際に忍びに守られた徳川家康が〝畑〟で休息し、無事に本拠地である三河に辿り着いた。そして江戸幕府を開いた後〝徳川家康隠密街道〟としてこの地を通った折にその出来事を思い出し、国家安泰を願い手植えをしたという伝承もあるようだ。一度壊死の窮地に追い込まれるが、保存会をはじめとする多くの人々の尽力によって復活し、今日の姿に至っている。勿論長寿の野生種の桜とは言え寿命はある。そこで樹木再生に際に畑のしだれ桜〝二世〟が作られることとなり、ある程度の成長を待ってこの地に里帰りを果たし、一世の威厳を見ながら育っている。

残念ながらリアルタイムの開花情報を勘違いをして捉えていたことから既に〝葉桜〟の状態になっており、四世紀もの間人々を楽しませていたしだれ桜の花を今年は見ることができなかった。二世も然りではあったが、数年ぶりに畑集落を訪れて花はともかく存在感は衰えていないしだれ桜を見ることができたのは収穫であった。

畑のしだれ桜付近には散り始めのソメイヨシノの木々も植えられている。花の特徴に関する知識は持たない私であるが、畑のしだれ桜をはじめとする〝一本もの〟の野生種は、寿命が長く数百年の樹齢がありながら花を咲かせる能力を備えているものが多い。対してソメイヨシノをはじめとする園芸種は、花の咲き方こそ派手に咲き誇るが、寿命が短く4~50年位だとされている。確かに花見が楽しめる桜並木は殆んどがソメイヨシノからなっているが、花の咲き具合から見て植えられた時期が違うことを気づくことがある。数百年咲き続ける野生種の手入れは一代で行うことはできないことも考えれば、幾代にも渡り手入れをする人々の労力による〝賜物〟だということも理解できよう。そんな俄仕込みの知識を背景に、開花桜を探す旅2日目も歩いて回った私であった。

車に戻り今来た道を戻る。目的地は仙禅寺跡磨崖仏だ。ここには駐車場はないが、橋の手前に車2台ほど停められるスペースがあり、そこを利用する。前回訪れた際は日暮れ前という時間帯だったこともあり、磨崖仏の様子も上手く捉えられていなかった。16:00と夕方ではあるが陽の光は差し込んでいる時間帯故状況的には悪くはない。しかし堂宇下に鎮座する磨崖仏には光が差し込んでおらずかなり暗い状態。前回はうまく撮影出来なかったこともあり、今回は持参の三脚を利用してノンストロボ撮影に挑むが出来上がりは微妙・・・。スマホカメラでの撮影分はやはり判別が難しいものだったために画像補正をしてなんとか出来た感がある。磨崖仏上部に設けられたお堂に繋がる階段から下方に向けて撮影するも薬師如来様と毘沙門天様しか判別つかないものであった。訪れる者全て同意見である〝撮影が難しい〟のはやはり事実である。また今回初めて堂宇内をチラ見したが、毎年三月に行われる祭り〝オコナイ〟で奉納品を供える場所となる様だ。本尊である秘仏十一面観音も収められているそうだが、勿論見ることはできない。前回より時間的に余裕があったためにじっくりと参拝できたことに満足して次の目的地へと車を走らせることにする。

奈良時代建立の岩屋山仙禅寺は、多くの堂宇があったと伝わるが、戦国時代の兵火に全て焼かれており往時を偲ぶ建物は残っていない。唯一鎌倉時代に彫られた磨崖仏がその日々を見つめていたのだろう。しかし再建を含め名残しい物は残されており、朝宮に向かう道中にある薬師堂や茶畑内の宝篋印塔がその名残だと言われている。

道が狭いので写真だけを撮影しながら車を走らせた。一旦国道307号線へと出てすぐに県道へと入り南下する。多羅尾集落の茶屋出バス停を左折すると滝川沿いに目指す目的地はあった。〝多羅尾阿弥陀三尊磨崖仏〟、多羅尾集落にある磨崖仏であるが、こちらを訪問する。しかし磨崖仏が面する県道334号線は狭窄路故、車を磨崖仏前に停める訳にいかない。一旦通り過ぎるも今度はUターンができない(汗)。暫く走行し教習所でいう〝方向転換〟を行って元に戻る。どうやら茶屋出バス停前位にしか車を停める場所はなく、バスの時間を確認し急いで向かうことにした。

多羅尾滝の磨崖仏とも言われるこの磨崖仏は、全て同時期に彫られたものではないらしい。鎌倉時代末期の正中2(1325)年に彫られたものが最初となり、以降室町時代後期まで掘り続けられたものと書かれてあった。磨崖仏オタクの方には「大して古くはない」等と取られているようだが、旧街道沿いに道祖神のように彫られた磨崖仏群は、既訪の富川・仙禅寺の磨崖仏が往時の参拝には苦労が伺えるのに対し、旅人が普通に手を合わせていただろう場所に刻まれていることに新鮮味を感じる。また多羅尾では山岳宗教が栄えており、磨崖仏前の滝川には行者滝がありその関係で磨崖仏が掘られていたのではないかとの仮説も立てられている。今となっては他の磨崖仏同様どの様な理由から刻まれたのかは不明であるが、数百年前から私同様目の前の京街道を通る旅人が旅の安全祈願を祈念して手を合わせて通り過ぎる姿を見下ろしていたことに歴史ロマンを感じずにはいられなかった。

ただやはりお堂に祀られている磨崖仏とは違い、風雨による摩耗は否めないものであった。ある程度の太陽光があれば光加減を調節してその磨崖仏をデフォルメして画像データとすることはできるのであろうが、山間部ゆえに平地よりも早く暗くなってしまう集落では、切り取ったものを後で画像処理してどうなるかになってしまう。画質重視で使用したアナログカメラでは、掘り上げられた像は判別できても〝線〟で刻まれた像に関してはアナログの特徴である〝ロートーン〟が前面に出てしまい、ベースとなる岩と線の区別が良くわからないものとなっている。仙禅寺磨崖仏でもそうだったが、時期や時間等撮影条件を帰れば見え方も変わることを信じて必要再訪地のひとつとし、今日のところは終わりにする。

そして車に戻るがバス停斜めの村木商店に、田舎でも見かけなくなった〝壁掛け型ポスト〟を見つけたので見学する。以前は集配とも信楽郵便局が行っていたが、今では取集は甲西郵便局が担当している。故に信楽郵便局はゆうゆう窓口はなく、不在時には甲西郵便局迄取りに行かねばならなくなった。またこのポストの収集時刻も土平日15:05、休日9:05の一便だけとなっていた。一日一便の取集めでも需要はあるのだろうとは思いつつ、ゆうゆう窓口に差し出した郵便物が「明日の発送になります」と言われてムッとする私には心許なく感じてしまうのは仕方がないことなのであろう。

という信楽町での桜・磨崖仏巡りの旅を終え帰路に着く。行きに走った道を帰れば問題ないのだが、せっかくなので撮影済みのフィルムを発送して帰ろうと思う。目的地は甲西郵便局、ゆうゆう窓口のある最寄りの郵便局である。ナビの示すまま走って行くと〝天満宮〟の扁額を見つけて立ち寄った。境内社か摂社に高宮神社もある大きなものであるが、境内由緒書には〝天満神社〟とある。何か違和感があり、調べてみると何やら宮司と氏子の間で〝天満宮〟と〝天満神社〟の呼称争いが勃発中だと知る。氏神様と氏子達の密接な関係からならではのことだが、まあわかればどちらでも良いのではとふと思う私であった。

信楽という街は花が似合う街でもある。名木の桜も勿論だが個人的に植えられているものも多く存在する。一本物の古木が野生種であるのに対し、ソメイヨシノをはじめとする園芸種が現在の〝桜並木〟を構成している。園芸種の特徴は〝派手に咲く〟ことが特徴で、ソメイヨシノも間違いなくその様な咲き方をしている。ただ樹木の寿命は園芸種は短く4~50年と言われているようだ。それに対して徐々に花が咲いてくるしだれ桜等の野生種は、派手さはないものの数百年という寿命を誇っている。畑のしだれ桜が樹齢400年以上と言われるのはそのような理由からでもある。天満宮近くに咲く〝関山(だと思う)〟の赤い花が勢いよく咲いている姿にふとそう感じた。

天満宮を出発する。24kmとは結構な距離だがここで大きな間違いをする。県道を進み国道307号線へと出れば、右折してひたすら良い筈であった。が本来ならば二つ目の大きな交差点を右折しなければならないに最初に交差してしまった。このあたりは地元民の過信であり、国道422号線と307号線の重用区間だと勘違いしたことが理由だった。桜峠を越え三重県伊賀市に入って気がついた。取り敢えず記憶のある〝丸柱〟の地名を辿り進んで行く。途中から伊賀コリドールロードに入り暫く進み〝四季の里まつもと〟付近で道路確認とピンクと赤の桜のコラボをカメラに収める。そんな姿を見た地元のおじさんに〝来週は真っ赤になっていて見頃だよ〟と教えて貰う。今日がその1週間後、どうなっているのか見たい気もする。暫く進んだバードウィングカントリークラブ前でも暫し停車。見頃は既に過ぎていた桜を確認し出発する。

滋賀県甲賀市甲南町に入り西蔵寺、岩附神社前で停車し桜を確認。西蔵寺のヤマザクラはまだ大丈夫のようだが、岩附神社前は付近に植えられた小ぶりのソメイヨシノは満開だった。その前に植えられていたチューリップの花を見て、桜の時期の終わりを感じてしまった私であった。その後広域農道から旧国道区間の県道4号線に入る。三雲等懐かしい景色を眺めながら湖南市の中心である甲西郵便局に到着し、ゆうゆう窓口で撮影済みフィルムを発送する。なにも言われなかったので今日出しになると思っていたが、やはり明日朝の発送に回ってしまったようだ。なんとかゆうゆう窓口の営業時間には間に合ったが、そこらのポストに投函したのとなんら変わりはなかった。

19:00を過ぎると雨が強く降るようになってきた。知っている道ではあるが横着な運転はしないように心がけて走る。栗東インターを回り込むと守山通勤時に利用していた見慣れた景色が見えてくる。草津市で京滋バイパスへと入ればあと一息なのだが、まーさんの黄砂塗れのババちい車を洗車する。雨が降り止んだと思ったので洗車機をかけたが、噴き上げている最中にまた降り出してしまった。まあ少しは綺麗になったと思い込み自宅へと戻る。本日の走行距離が約100km、暫くぶりにドライブしたなと感じられた1日であった。

  《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
35いいね!

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