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《2021. March》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅠ~月ヶ瀬梅渓梅と桜~<br /><br />最近体の具合が思わしくない。試験を理由に大阪に行ってコロナに罹患したのかと反省したが、それにしては潜伏期間が長過ぎる。別に大阪に行がなくとも日常生活で罹患することもあるが、平熱が高い私にとって36.5℃は当たり前。少なくとも発熱性疾患ではない。鬱なのか?物忘れは激しくなったが頭の回転は悪くはない。既往歴から判断するにしてもわからない。しかし数年前に同じような状態に陥ったことを思い出した。それは・・・体内時計が狂っているのではないかということ。一日24時間の過ごし方は仕事時間に左右されることを守山勤務の際に痛感した。朝10:00出勤時に7:40に起きていた。それまでは13:00出勤11:30起床とまあ乱れに乱れた生活を送っていた。それが朝起きる生活に変わり苦労はした。たが慣れてしまうとなんでことはない。むしろ朝起きる生活に慣れると体調も良くなってきた。それが石山に戻ると13:40出勤・・・、起床も11:30に逆戻りした。結局就寝時間が元に戻ってしまったために体内時計がズレてしまい、その影響が休日の過ごし方に影響していることを医師から指摘をされる。休みの過ごし方を考えれば良いのだが、残念ながらそんな若さは持ち得てはいない。よって単発の休みは仕方がないが、連休は2日目を出歩くように心がけてはいるが結果を出せていない。昨日も結局ウダウダしたまま過ごしてしまった。そんな反省から今日は出掛けようとするが、タイミング悪くハルが車を使うという。仕方がないのでハルの帰りを待って出発する。行先は奈良市の月ヶ瀬梅渓。梅の時期は終わったとしているものと、まだ大丈夫と書かれているものもある。昨今の暖かさで桜が開花したという情報もある。欲張るのは私の性格、両方を堪能する目的で目的地を定めた。我が家からは60km程度離れてはいるが、所要時間は1時間半程度である。外出を自粛するかどうかは本人次第と割り切って出発した。さあどんな旅物語になったのやら。<br /><br />令和3(2021)年3月24日水曜日<br />昼過ぎ出発がハルの都合で14:15頃となる。まぁここまでくれば少々のことでは予定が大きく狂うこともないために、近くのローソンで飲み物を購入後一服して出発する。ナビ通りの走りをするが、MOVEクンのナビには大石東バイパスの瀬田川令和大橋が表示されない。地元民ゆえそこらはわかる範囲なので記憶を頼りにして走る。橋と関津トンネルで到着予定時刻が約20分短縮。便利になったものである。<br /><br />国道422号線を快走するが、この道も県道大津上野線だった頃は狭い酷道そのものだったことを思い出す。甲賀市信楽町朝宮で国道307号線と合流し、近江グリーンロードを東進する。立石橋を右折すると再び国道422号線に入り南下する。この後名阪国道を利用するルートが最短時間の筈であるが、どうやら距離優先ルートを選択していたようで旧道を走ることになっていた。国道25号線は名阪国道もそうだが旧道は意外に酷道要素がある。対向車と離合する際にヒヤリとすることもあるが気疲れする程でもない。この界隈は三重県伊賀市であるが、奈良県奈良市との県境がわかり辛く、気がついたら奈良市に入っていた感じであった。<br /><br />京都・奈良・三重の三県を結ぶ県道82号線を暫く走ると目指す月ヶ瀬梅渓の駐車場に着く。事前情報では〝梅祭り〟期間の3月28日日曜日までは駐車料金が必要とあったが、予想外の暖かさの影響か、桜が咲き始めたことで梅は〝終わり〟との判断が下されたのか?駐車場も無料であった。<br /><br />車を停めて梅渓入口へと向かう。途中地元の中学生から挨拶を受ける。勿論挨拶を返すが気持ちの良いものであるといつも感じる。そんな呑気な気持ちもすぐに吹き飛ぶ。梅渓へと向かう坂・・・意外に骨が折れそうだと思ったがまあ許容範囲であった。<br /><br />月ヶ瀬梅林と言えばJR関西本線月ヶ瀬口駅が最寄駅だが、駅舎は京都府相楽郡南山城村に位置する。旧奈良県添上郡月ヶ瀬村であったが、平成の大合併により都祁村共々奈良市に吸収合併された。山辺郡山添村が合併時の条件合わずという理由で単独で存在していることから、風情を残すためにも月ヶ瀬村で良かったように思えてならない。また駅が京都府にあることも月ヶ瀬梅林=京都府と誤認する理由でもある。呼称を〝梅林〟と〝梅渓〟を使うことに違和感があるかも知れないが、私自身誤解していたところで、月ヶ瀬梅渓の中の月ヶ瀬梅林というのが正しい。月ヶ瀬梅渓とは月ヶ瀬湖周辺迄を含む広大な場所であり、今回訪れた月ヶ瀬梅林は名勝指定されているその一角を示しているに過ぎないのである。梅渓をコンプリートするには日が暮れるので、それだけでも十分な広さがある月ヶ瀬梅林だけを巡ることにする。<br /><br />大正時代に名勝指定されたという碑を過ぎるといきなりの坂道である。観光マップがあったが月ヶ瀬村のものであり、梅林についてはあまり詳しくはなかった。なおも坂道を登り続けるが、あくまでもこの道は生活道路であり、観光だけのものではないことを知る。梅の木に隠れるように置かれていた〝梅干しの樽〟は、写真を確認して初めて気づいたものであった。<br /><br />更に坂を登り続けると梅の他に水仙やモクレンの花が咲いていた。月ヶ瀬の梅は江戸時代に染料として育てられたことに由来する。烏梅というそうだが、今では化学染料が主となり需要が激減する中中西家が唯一の生産を行なっている。月ヶ瀬村指定無形文化財とされていることからもその技術の素晴らしさが伝わってくる。そのうち下りになり、梅渓入口と書かれた標識を過ぎると〝尾勝山真福寺〟入口がある。頼山陽所縁の場所と書かれていたが取り敢えず参ることにする。それ程広くはない境内に石仏群や地蔵さまがおられ、平安時代の作と言われる木造地蔵菩薩立像が本尊である。ここもまた梅の名所であり、後醍醐天皇が笠置に遷幸された際に姫若という女官がこの地で行き倒れになった折、住民に助けられたことに対し感謝の意を込めて植えたとされる〝姫若の梅〟が現存しているそうだ。これが今現在に繋がる月ヶ瀬梅林の創始であることに歴史を感じる。<br /><br />本堂の地蔵菩薩やお掃除小僧さまにも手を合わせ、帆浦梅林の展望スペースから名張川を眺める。梅林公園を出ると梅の里ふれあい館横を通り過ぎると天神社に到着する。加賀前田家との繋がりは、大坂夏の陣終結後この地に立ち寄った前田利常が前田家安泰を祈願し、その後満願時に奉納した〝満願碑〟が元和7(1621)年に収められたと伝承が残っていた。当の満願碑は400年もの間土に埋もれていたものが近年発掘されたが、風雨により目読することができず、拓本により解読できた複製碑が建立されて現在に至っている。加賀前田家と言えば120万石で知られているが、そのご利益は尾山天神社によるものであると解説板に書かれていた。<br /><br />月ヶ瀬に梅をもたらした姫若も没後この尾山天神社に合祀され、厄除け・入学祈願・家内安全のご利益があると言うことに肖り、先日の試験の合格を祈願する。調子が良いと思われるだろうが、後は神のみぞ知る状態なので仕方がない。<br /><br />天神社を後にして坂を下る。この坂を〝代官坂〟と言うらしいが、古に烏梅を観る代官でもいたのだろうかと思いながら歩いて行く。この界隈は眺望が開けており、月ヶ瀬橋や月ヶ瀬湖がよく見える。梅はピークを過ぎており、パンフレットの様な景色は無理だがさぞかし素晴らしいものなのだろうと妄想に耽る。そして天神社を回り込むように歩くと平成5(1993)年に2月に新たに作られた〝品種園〟がある。文字通り様々な種類の梅が植えられているのだが、品種によっては満開を迎えているものもあり、梅林ならではの景色を堪能できた。<br /><br />品種園の上には丘がありどんなものかと様子を見たが、更に奥があるようで時間のことを考えてやめておく。句碑苑を通り天神社に戻る。帆浦梅林・一目八景という月ヶ瀬梅渓随一の展望を誇る遊歩道を歩く。景色は勿論素晴らしいのだが、カメラで切り取ると夕陽の影響を受けるために黄色く霞んでしまう。色調補正をかけようとしたが、やはり全体的なバランスが崩れてしまうのでやめておいた。<br /><br />のんびりと歩いていると意外にも梅や桜以外の花々が縁の下の力持ちとなって咲き誇る姿を目にする。モクレン・スイセン等やはりピークを過ぎたものではあるが、固まって咲いているために存在感を呈していた。<br /><br />梅渓入口迄に咲く梅の姿もカメラで切り取るが、アナログフィルムのキャバは自然光では既に無理なレベルとなっており、ストロボの補助光を使ってはみるが上手くいかなかったのが悔やまれる。<br /><br />1時間半で月ヶ瀬梅渓を堪能してきた。この場所が月ヶ瀬観光の中心地であることは、入口付近に並ぶ風格を備えた土産物屋からもわかることであった。<br /><br />車へと戻り帰路につくが、せっかくなので行きとは違う道を利用する。名阪国道五月橋インターを利用する。交通量は多い上〝高規格幹線道路〟であるがため、走行区間は70km/hとなっているものの、有料道路ではないという理由から加速車線が著しく短い。非力なMOVEクンには負担をかけるが、いつもとは違う加速をしてもらう。上野インターで一般道へと下りて上野郵便局に立ち寄った。いつものことだが本日撮影したフィルムを現像とデータ化をするために発送する。時短営業にはなっているが、仕上げを早めたいために敢えて立ち寄ったのだが、郵便窓口で局員氏のつれない言葉「本日の最終便出たので明日の発送になります」でがっくり。ただ後で確認すると午後の受付だと同じだということがわかり割り切ることができた。その後ガソリンスタンドに立ち寄って給油と洗車を済ませ、再び中瀬インターから名阪国道を利用し、壬生野インターへと向かう。三重県道49・674線を経て国道422号線を北進し、立石橋で国道307号線に合流すると行きとは逆のルートを取る。ナビに騙されないように大石東バイパスを通ると間もなくうちの学区に入ることになる。壬生野インターを出て小一時間、無事ど田舎我が家に到着する。走行距離は150km程であるが、滋賀・三重・奈良と三県に渡るドライブとなった今回の旅路であった。<br /><br />  《終わり》

《2021. March》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅠ~月ヶ瀬梅渓梅と桜~

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2021/03/24 - 2021/03/24

9位(同エリア66件中)

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

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《2021. March》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅠ~月ヶ瀬梅渓梅と桜~

最近体の具合が思わしくない。試験を理由に大阪に行ってコロナに罹患したのかと反省したが、それにしては潜伏期間が長過ぎる。別に大阪に行がなくとも日常生活で罹患することもあるが、平熱が高い私にとって36.5℃は当たり前。少なくとも発熱性疾患ではない。鬱なのか?物忘れは激しくなったが頭の回転は悪くはない。既往歴から判断するにしてもわからない。しかし数年前に同じような状態に陥ったことを思い出した。それは・・・体内時計が狂っているのではないかということ。一日24時間の過ごし方は仕事時間に左右されることを守山勤務の際に痛感した。朝10:00出勤時に7:40に起きていた。それまでは13:00出勤11:30起床とまあ乱れに乱れた生活を送っていた。それが朝起きる生活に変わり苦労はした。たが慣れてしまうとなんでことはない。むしろ朝起きる生活に慣れると体調も良くなってきた。それが石山に戻ると13:40出勤・・・、起床も11:30に逆戻りした。結局就寝時間が元に戻ってしまったために体内時計がズレてしまい、その影響が休日の過ごし方に影響していることを医師から指摘をされる。休みの過ごし方を考えれば良いのだが、残念ながらそんな若さは持ち得てはいない。よって単発の休みは仕方がないが、連休は2日目を出歩くように心がけてはいるが結果を出せていない。昨日も結局ウダウダしたまま過ごしてしまった。そんな反省から今日は出掛けようとするが、タイミング悪くハルが車を使うという。仕方がないのでハルの帰りを待って出発する。行先は奈良市の月ヶ瀬梅渓。梅の時期は終わったとしているものと、まだ大丈夫と書かれているものもある。昨今の暖かさで桜が開花したという情報もある。欲張るのは私の性格、両方を堪能する目的で目的地を定めた。我が家からは60km程度離れてはいるが、所要時間は1時間半程度である。外出を自粛するかどうかは本人次第と割り切って出発した。さあどんな旅物語になったのやら。

令和3(2021)年3月24日水曜日
昼過ぎ出発がハルの都合で14:15頃となる。まぁここまでくれば少々のことでは予定が大きく狂うこともないために、近くのローソンで飲み物を購入後一服して出発する。ナビ通りの走りをするが、MOVEクンのナビには大石東バイパスの瀬田川令和大橋が表示されない。地元民ゆえそこらはわかる範囲なので記憶を頼りにして走る。橋と関津トンネルで到着予定時刻が約20分短縮。便利になったものである。

国道422号線を快走するが、この道も県道大津上野線だった頃は狭い酷道そのものだったことを思い出す。甲賀市信楽町朝宮で国道307号線と合流し、近江グリーンロードを東進する。立石橋を右折すると再び国道422号線に入り南下する。この後名阪国道を利用するルートが最短時間の筈であるが、どうやら距離優先ルートを選択していたようで旧道を走ることになっていた。国道25号線は名阪国道もそうだが旧道は意外に酷道要素がある。対向車と離合する際にヒヤリとすることもあるが気疲れする程でもない。この界隈は三重県伊賀市であるが、奈良県奈良市との県境がわかり辛く、気がついたら奈良市に入っていた感じであった。

京都・奈良・三重の三県を結ぶ県道82号線を暫く走ると目指す月ヶ瀬梅渓の駐車場に着く。事前情報では〝梅祭り〟期間の3月28日日曜日までは駐車料金が必要とあったが、予想外の暖かさの影響か、桜が咲き始めたことで梅は〝終わり〟との判断が下されたのか?駐車場も無料であった。

車を停めて梅渓入口へと向かう。途中地元の中学生から挨拶を受ける。勿論挨拶を返すが気持ちの良いものであるといつも感じる。そんな呑気な気持ちもすぐに吹き飛ぶ。梅渓へと向かう坂・・・意外に骨が折れそうだと思ったがまあ許容範囲であった。

月ヶ瀬梅林と言えばJR関西本線月ヶ瀬口駅が最寄駅だが、駅舎は京都府相楽郡南山城村に位置する。旧奈良県添上郡月ヶ瀬村であったが、平成の大合併により都祁村共々奈良市に吸収合併された。山辺郡山添村が合併時の条件合わずという理由で単独で存在していることから、風情を残すためにも月ヶ瀬村で良かったように思えてならない。また駅が京都府にあることも月ヶ瀬梅林=京都府と誤認する理由でもある。呼称を〝梅林〟と〝梅渓〟を使うことに違和感があるかも知れないが、私自身誤解していたところで、月ヶ瀬梅渓の中の月ヶ瀬梅林というのが正しい。月ヶ瀬梅渓とは月ヶ瀬湖周辺迄を含む広大な場所であり、今回訪れた月ヶ瀬梅林は名勝指定されているその一角を示しているに過ぎないのである。梅渓をコンプリートするには日が暮れるので、それだけでも十分な広さがある月ヶ瀬梅林だけを巡ることにする。

大正時代に名勝指定されたという碑を過ぎるといきなりの坂道である。観光マップがあったが月ヶ瀬村のものであり、梅林についてはあまり詳しくはなかった。なおも坂道を登り続けるが、あくまでもこの道は生活道路であり、観光だけのものではないことを知る。梅の木に隠れるように置かれていた〝梅干しの樽〟は、写真を確認して初めて気づいたものであった。

更に坂を登り続けると梅の他に水仙やモクレンの花が咲いていた。月ヶ瀬の梅は江戸時代に染料として育てられたことに由来する。烏梅というそうだが、今では化学染料が主となり需要が激減する中中西家が唯一の生産を行なっている。月ヶ瀬村指定無形文化財とされていることからもその技術の素晴らしさが伝わってくる。そのうち下りになり、梅渓入口と書かれた標識を過ぎると〝尾勝山真福寺〟入口がある。頼山陽所縁の場所と書かれていたが取り敢えず参ることにする。それ程広くはない境内に石仏群や地蔵さまがおられ、平安時代の作と言われる木造地蔵菩薩立像が本尊である。ここもまた梅の名所であり、後醍醐天皇が笠置に遷幸された際に姫若という女官がこの地で行き倒れになった折、住民に助けられたことに対し感謝の意を込めて植えたとされる〝姫若の梅〟が現存しているそうだ。これが今現在に繋がる月ヶ瀬梅林の創始であることに歴史を感じる。

本堂の地蔵菩薩やお掃除小僧さまにも手を合わせ、帆浦梅林の展望スペースから名張川を眺める。梅林公園を出ると梅の里ふれあい館横を通り過ぎると天神社に到着する。加賀前田家との繋がりは、大坂夏の陣終結後この地に立ち寄った前田利常が前田家安泰を祈願し、その後満願時に奉納した〝満願碑〟が元和7(1621)年に収められたと伝承が残っていた。当の満願碑は400年もの間土に埋もれていたものが近年発掘されたが、風雨により目読することができず、拓本により解読できた複製碑が建立されて現在に至っている。加賀前田家と言えば120万石で知られているが、そのご利益は尾山天神社によるものであると解説板に書かれていた。

月ヶ瀬に梅をもたらした姫若も没後この尾山天神社に合祀され、厄除け・入学祈願・家内安全のご利益があると言うことに肖り、先日の試験の合格を祈願する。調子が良いと思われるだろうが、後は神のみぞ知る状態なので仕方がない。

天神社を後にして坂を下る。この坂を〝代官坂〟と言うらしいが、古に烏梅を観る代官でもいたのだろうかと思いながら歩いて行く。この界隈は眺望が開けており、月ヶ瀬橋や月ヶ瀬湖がよく見える。梅はピークを過ぎており、パンフレットの様な景色は無理だがさぞかし素晴らしいものなのだろうと妄想に耽る。そして天神社を回り込むように歩くと平成5(1993)年に2月に新たに作られた〝品種園〟がある。文字通り様々な種類の梅が植えられているのだが、品種によっては満開を迎えているものもあり、梅林ならではの景色を堪能できた。

品種園の上には丘がありどんなものかと様子を見たが、更に奥があるようで時間のことを考えてやめておく。句碑苑を通り天神社に戻る。帆浦梅林・一目八景という月ヶ瀬梅渓随一の展望を誇る遊歩道を歩く。景色は勿論素晴らしいのだが、カメラで切り取ると夕陽の影響を受けるために黄色く霞んでしまう。色調補正をかけようとしたが、やはり全体的なバランスが崩れてしまうのでやめておいた。

のんびりと歩いていると意外にも梅や桜以外の花々が縁の下の力持ちとなって咲き誇る姿を目にする。モクレン・スイセン等やはりピークを過ぎたものではあるが、固まって咲いているために存在感を呈していた。

梅渓入口迄に咲く梅の姿もカメラで切り取るが、アナログフィルムのキャバは自然光では既に無理なレベルとなっており、ストロボの補助光を使ってはみるが上手くいかなかったのが悔やまれる。

1時間半で月ヶ瀬梅渓を堪能してきた。この場所が月ヶ瀬観光の中心地であることは、入口付近に並ぶ風格を備えた土産物屋からもわかることであった。

車へと戻り帰路につくが、せっかくなので行きとは違う道を利用する。名阪国道五月橋インターを利用する。交通量は多い上〝高規格幹線道路〟であるがため、走行区間は70km/hとなっているものの、有料道路ではないという理由から加速車線が著しく短い。非力なMOVEクンには負担をかけるが、いつもとは違う加速をしてもらう。上野インターで一般道へと下りて上野郵便局に立ち寄った。いつものことだが本日撮影したフィルムを現像とデータ化をするために発送する。時短営業にはなっているが、仕上げを早めたいために敢えて立ち寄ったのだが、郵便窓口で局員氏のつれない言葉「本日の最終便出たので明日の発送になります」でがっくり。ただ後で確認すると午後の受付だと同じだということがわかり割り切ることができた。その後ガソリンスタンドに立ち寄って給油と洗車を済ませ、再び中瀬インターから名阪国道を利用し、壬生野インターへと向かう。三重県道49・674線を経て国道422号線を北進し、立石橋で国道307号線に合流すると行きとは逆のルートを取る。ナビに騙されないように大石東バイパスを通ると間もなくうちの学区に入ることになる。壬生野インターを出て小一時間、無事ど田舎我が家に到着する。走行距離は150km程であるが、滋賀・三重・奈良と三県に渡るドライブとなった今回の旅路であった。

  《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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