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三条の大火で石川雲蝶の住まいも菩提寺も焼けてしまったため、その生涯ははっきりしません。wikipediaにも年表がないため、ネットの資料を元にまとめてみました。雲蝶がどんな仕事したのか知りたくてまとめたものですので、学術的な資料ではありません。間違っていたら、ご免なさい。<br />文化11年(1814年)江戸・雑司ヶ谷の生まれ。本名は安兵衛。<br />20歳代で幕府御用勤めになり、「石川安兵衛源雲蝶」を名乗った。<br />弘化2年(1845年)32歳、本成寺の世話役内山又蔵に招聘されて越後入り。三条や栃尾で製作活動を開始。異説では36歳。<br />その後、三条の酒井家に婿入り。<br />弘化3年(1846年)秋葉神社奥の院が落慶、その後の安政年間に8年をかけて彫刻を施しました。<br />嘉永元年(1848年)貴渡神社の創建、彫刻の時期は不明。<br />嘉永5年(1852年)西福寺開山堂起工。<br />安政2年(1855年)42歳、永林寺の製作に入る。13年の歳月をかけ多くの作品を残しています。<br />安政4年(1857年)西福寺開山堂落成。代表作である天井の「道元禅師猛虎調伏之図」を製作。<br />文久元年~2年(1861~62年)龍谷寺で製作。<br />元治元年(1864年)50歳、穴地十二大明神完成。<br />明治16年(1883年)70歳で逝去。<br />平成26年(2014年)古美術品鑑定家の中島誠之助氏が雲蝶作品を見て「これは越後のミケランジェロだ」と感激して叫んだとされる。<br />平成23年(2011年)9月17日、西福寺境内に「石川雲蝶顕彰の像」が建立。<br /><br />この年表を見ると、三条に来てからしばらくは本成寺とその塔頭で仕事をし、その後栃尾に入ったのではないかと思います。当時の秋葉神社は小林源太郎や石川雲蝶を呼ぶだけの権力や財力が十分にありました。<br />栃尾での仕事を終え、永林寺に移って13年の歳月をかけて仕事をしつつ、西福寺や越後南部の社寺で仕事していたようです。<br />50歳代半ばで隠居して、大好きな酒を飲んでいたのでしょうか。<br /><br />コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過し感染していないことを確認してから旅行記を公開しています。

石川雲蝶が13年の歳月をかけて作った仏の世界

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2021/05/15 - 2021/05/15

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旅行記グループ 甲信越の旅

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FUKUJIRO

FUKUJIROさん

この旅行記のスケジュール

2021/05/15

この旅行記スケジュールを元に

三条の大火で石川雲蝶の住まいも菩提寺も焼けてしまったため、その生涯ははっきりしません。wikipediaにも年表がないため、ネットの資料を元にまとめてみました。雲蝶がどんな仕事したのか知りたくてまとめたものですので、学術的な資料ではありません。間違っていたら、ご免なさい。
文化11年(1814年)江戸・雑司ヶ谷の生まれ。本名は安兵衛。
20歳代で幕府御用勤めになり、「石川安兵衛源雲蝶」を名乗った。
弘化2年(1845年)32歳、本成寺の世話役内山又蔵に招聘されて越後入り。三条や栃尾で製作活動を開始。異説では36歳。
その後、三条の酒井家に婿入り。
弘化3年(1846年)秋葉神社奥の院が落慶、その後の安政年間に8年をかけて彫刻を施しました。
嘉永元年(1848年)貴渡神社の創建、彫刻の時期は不明。
嘉永5年(1852年)西福寺開山堂起工。
安政2年(1855年)42歳、永林寺の製作に入る。13年の歳月をかけ多くの作品を残しています。
安政4年(1857年)西福寺開山堂落成。代表作である天井の「道元禅師猛虎調伏之図」を製作。
文久元年~2年(1861~62年)龍谷寺で製作。
元治元年(1864年)50歳、穴地十二大明神完成。
明治16年(1883年)70歳で逝去。
平成26年(2014年)古美術品鑑定家の中島誠之助氏が雲蝶作品を見て「これは越後のミケランジェロだ」と感激して叫んだとされる。
平成23年(2011年)9月17日、西福寺境内に「石川雲蝶顕彰の像」が建立。

この年表を見ると、三条に来てからしばらくは本成寺とその塔頭で仕事をし、その後栃尾に入ったのではないかと思います。当時の秋葉神社は小林源太郎や石川雲蝶を呼ぶだけの権力や財力が十分にありました。
栃尾での仕事を終え、永林寺に移って13年の歳月をかけて仕事をしつつ、西福寺や越後南部の社寺で仕事していたようです。
50歳代半ばで隠居して、大好きな酒を飲んでいたのでしょうか。

コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過し感染していないことを確認してから旅行記を公開しています。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車

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  • 栃尾から山間の道を抜けて走ること1時間余で魚沼に入り、永林寺に着きました。庫裏の脇には駐車場がありました。拝観者入口から入ります。<br />当日は何やら行事を控えているようで、住職の息子さんらしき人が家具の移動などをしておりましたが、挨拶を返すこともなく、ちょっと感じが悪かったです(個人の感想)。

    栃尾から山間の道を抜けて走ること1時間余で魚沼に入り、永林寺に着きました。庫裏の脇には駐車場がありました。拝観者入口から入ります。
    当日は何やら行事を控えているようで、住職の息子さんらしき人が家具の移動などをしておりましたが、挨拶を返すこともなく、ちょっと感じが悪かったです(個人の感想)。

  • 拝観料500円を払い、庫裏から本堂へ入ると、それはそれは見事な彫刻でした。お堂の設計から装飾を全部雲蝶が行ったというだけあって、特に欄間の彫刻がとても素晴らしかったです。ただし、写真撮影は1枚も許されないので、もうすでに忘却の彼方に去ってしまいました。<br />これが永林寺の山門みたいです。かなり質素です。

    拝観料500円を払い、庫裏から本堂へ入ると、それはそれは見事な彫刻でした。お堂の設計から装飾を全部雲蝶が行ったというだけあって、特に欄間の彫刻がとても素晴らしかったです。ただし、写真撮影は1枚も許されないので、もうすでに忘却の彼方に去ってしまいました。
    これが永林寺の山門みたいです。かなり質素です。

  • 参道。

    参道。

  • 参道の先に本堂が見えています。

    参道の先に本堂が見えています。

  • 参道の回りには、いろいろなものがありました。

    参道の回りには、いろいろなものがありました。

  • 参道の回りには、いろいろなものがありました。

    参道の回りには、いろいろなものがありました。

  • 参道の回りには、いろいろなものがありました。

    参道の回りには、いろいろなものがありました。

  • 参道の回りには、いろいろなものがありました。

    参道の回りには、いろいろなものがありました。

  • 参道の回りには、いろいろなものがありました。

    参道の回りには、いろいろなものがありました。

  • 参道の両側に、狛狸がありました。

    参道の両側に、狛狸がありました。

  • 石川雲蝶顕彰碑。生誕190年、没後120年の碑です。

    石川雲蝶顕彰碑。生誕190年、没後120年の碑です。

  • 石川雲蝶の手形。雲蝶は器用であったことは勿論、手がとても小さかったと伝わっています。そのため細かい彫刻が得意だったようです。

    石川雲蝶の手形。雲蝶は器用であったことは勿論、手がとても小さかったと伝わっています。そのため細かい彫刻が得意だったようです。

  • 私の手と比べてみました。相当小さいですね。指も短いです。

    私の手と比べてみました。相当小さいですね。指も短いです。

  • 永林寺の碑。

    永林寺の碑。

  • 本堂の向拝。

    本堂の向拝。

  • 雲蝶の彫刻ですが、風雨に晒されて痛んだためレプリカを付けています。<br />堂内を撮影することもなく、予想外に早く参拝を終えましたので、西福寺へ向かうことにしました。

    雲蝶の彫刻ですが、風雨に晒されて痛んだためレプリカを付けています。
    堂内を撮影することもなく、予想外に早く参拝を終えましたので、西福寺へ向かうことにしました。

  • 西福寺には大きな駐車場がありました。<br />拝見受付の終わりが早いので、ご注意ください。

    西福寺には大きな駐車場がありました。
    拝見受付の終わりが早いので、ご注意ください。

  • 駐車場からは巨大な建屋に覆われた建物が見えています。<br />この建物が開山堂です。

    駐車場からは巨大な建屋に覆われた建物が見えています。
    この建物が開山堂です。

  • 左が西福寺の山門(赤門)、右の鳥居は白山神社です。

    左が西福寺の山門(赤門)、右の鳥居は白山神社です。

  • 西福寺の山門(赤門)。

    西福寺の山門(赤門)。

  • 火除地蔵。赤門の前に建つ火除地蔵は、村を火災から守ってきました。

    火除地蔵。赤門の前に建つ火除地蔵は、村を火災から守ってきました。

  • 火除地蔵。石川雲蝶の作品です。雲蝶は木彫の他に、石彫や絵画も製作しています。

    火除地蔵。石川雲蝶の作品です。雲蝶は木彫の他に、石彫や絵画も製作しています。

  • 禁葷酒(きんくんしゅ)の戒壇石。匂いのキツイものを食べたり、酒を飲んだりした後は、山門を潜ってはいけないという戒めです。これも雲蝶の作。

    禁葷酒(きんくんしゅ)の戒壇石。匂いのキツイものを食べたり、酒を飲んだりした後は、山門を潜ってはいけないという戒めです。これも雲蝶の作。

  • 戒壇石の台座には牛が彫られていました。

    戒壇石の台座には牛が彫られていました。

  • 赤門の仁王石像(阿形)。見たことがない素朴な石造り。

    赤門の仁王石像(阿形)。見たことがない素朴な石造り。

  • 赤門の仁王石像(吽形)。

    赤門の仁王石像(吽形)。

  • 白山神社の鳥居です。西福寺の境内に建っています。

    白山神社の鳥居です。西福寺の境内に建っています。

  • 白山神社。家内安全、大願成就のご利益があります。

    白山神社。家内安全、大願成就のご利益があります。

  • 旧小出町(魚沼市)のマンホール蓋。錦鯉がデザインされています。

    旧小出町(魚沼市)のマンホール蓋。錦鯉がデザインされています。

  • 山門(白門)。平成22年に改修されました。<br />赤城山の扁額が掲げられています。

    山門(白門)。平成22年に改修されました。
    赤城山の扁額が掲げられています。

  • 白門の仁王像(阿形)。<br />長岡市在住の仏師・山本桃楓作の仁王像です。

    白門の仁王像(阿形)。
    長岡市在住の仏師・山本桃楓作の仁王像です。

  • 白門の仁王像(吽形)。<br />元々、白門には石川雲蝶作の仁王像がありましたが、現在は開山堂内に安置されています。

    白門の仁王像(吽形)。
    元々、白門には石川雲蝶作の仁王像がありましたが、現在は開山堂内に安置されています。

  • 赤城山西福寺(せきじょうさんさいふくじ)の本堂。<br />天文3年(1534年)に開かれた曹洞宗のお寺です。<br />ご本尊は鎌倉時代に作られた阿弥陀如来三尊像です。

    赤城山西福寺(せきじょうさんさいふくじ)の本堂。
    天文3年(1534年)に開かれた曹洞宗のお寺です。
    ご本尊は鎌倉時代に作られた阿弥陀如来三尊像です。

  • 西福寺の扁額。

    西福寺の扁額。

  • 本堂の左手に開山堂があります。<br />鞘堂が大き過ぎて、ちょっと異様でした。

    本堂の左手に開山堂があります。
    鞘堂が大き過ぎて、ちょっと異様でした。

  • 開山堂をすっぽりと覆っています。

    開山堂をすっぽりと覆っています。

  • 大浦開山堂。安政4年(1857年)に建立されました。<br />堂内は、天井、欄間、壁面に雲蝶の彫刻が施されているようですが、撮影禁止なので(見てもすぐに忘れてしまうので)入りませんでした。

    大浦開山堂。安政4年(1857年)に建立されました。
    堂内は、天井、欄間、壁面に雲蝶の彫刻が施されているようですが、撮影禁止なので(見てもすぐに忘れてしまうので)入りませんでした。

  • 開山堂の向拝も雲蝶の作品です。

    開山堂の向拝も雲蝶の作品です。

  • 雲蝶が得意としている烏天狗。

    雲蝶が得意としている烏天狗。

  • 雲蝶が得意としている烏天狗。

    雲蝶が得意としている烏天狗。

  • 象鼻。

    象鼻。

  • 象鼻。

    象鼻。

  • 向拝の奥、欄間に当たる部分(左)。

    向拝の奥、欄間に当たる部分(左)。

  • 中央部。目立たない場所まで丁寧に彫り込んでいます。

    中央部。目立たない場所まで丁寧に彫り込んでいます。

  • 右側の部分。開山堂の外側を見るだけでも十分に満足しました。

    右側の部分。開山堂の外側を見るだけでも十分に満足しました。

  • 開山堂の隅に金比羅宮がありました。

    開山堂の隅に金比羅宮がありました。

  • 鐘楼。嘉永3年の建立。

    鐘楼。嘉永3年の建立。

  • 鐘楼には、秋葉神社で雲蝶と共作した小林源太郎の彫刻が施されています。

    鐘楼には、秋葉神社で雲蝶と共作した小林源太郎の彫刻が施されています。

  • 小林源太郎の彫刻。

    小林源太郎の彫刻。

  • 梵鐘は新潟の土屋忠左ヱ衛門の鋳造で、33体の観音像が配われています。<br />また、勅許の銘があることから、戦時供出を免れました。

    梵鐘は新潟の土屋忠左ヱ衛門の鋳造で、33体の観音像が配われています。
    また、勅許の銘があることから、戦時供出を免れました。

  • 西福寺のお庭。

    西福寺のお庭。

  • 池の縁には亀の親子。

    池の縁には亀の親子。

  • 石川雲蝶顕彰像。平成23年に石川雲蝶生誕200年の記念事業として建立されました。開山堂内の「鬼退治の仁王尊」を製作中の姿をイメージしたものです。

    石川雲蝶顕彰像。平成23年に石川雲蝶生誕200年の記念事業として建立されました。開山堂内の「鬼退治の仁王尊」を製作中の姿をイメージしたものです。

  • 石川雲蝶顕彰像。実物大とすると、小柄な人でした。

    石川雲蝶顕彰像。実物大とすると、小柄な人でした。

  • 石川雲蝶顕彰像。

    石川雲蝶顕彰像。

  • 石川雲蝶顕彰像。

    石川雲蝶顕彰像。

  • 「鬼退治の仁王尊」を製作中の石川雲蝶顕彰像。

    「鬼退治の仁王尊」を製作中の石川雲蝶顕彰像。

  • 「鬼退治の仁王尊」を製作中の石川雲蝶顕彰像。

    「鬼退治の仁王尊」を製作中の石川雲蝶顕彰像。

  • 「鬼退治の仁王尊」を製作中の石川雲蝶顕彰像。

    「鬼退治の仁王尊」を製作中の石川雲蝶顕彰像。

  • 赤城山西福寺の庭園。この庭園の奥には、西福寺の守り神である赤城大明神が祀られているそうです。

    赤城山西福寺の庭園。この庭園の奥には、西福寺の守り神である赤城大明神が祀られているそうです。

  • 赤城山西福寺の庭園。かなり先まで続いていそうなので、途中で引き返しました。

    赤城山西福寺の庭園。かなり先まで続いていそうなので、途中で引き返しました。

  • 南魚沼市にあるJR東日本の浦佐駅に来ました。<br />開業当時から「政治駅」説が流れていた駅です。

    南魚沼市にあるJR東日本の浦佐駅に来ました。
    開業当時から「政治駅」説が流れていた駅です。

  • 政治駅と言われる理由の一つがこの方の存在です。

    政治駅と言われる理由の一つがこの方の存在です。

  • 田中角榮元内閣総理大臣の像。<br />大正7年(1918年)5月4日、現在の新潟県柏崎市で生まれ、平成5年(1993年)12月16日逝去。

    田中角榮元内閣総理大臣の像。
    大正7年(1918年)5月4日、現在の新潟県柏崎市で生まれ、平成5年(1993年)12月16日逝去。

  • 総理の在任中に起きた第一次オイルショックは子供ながらにショックでした。<br />退陣後の昭和51年(1976年)にロッキード事件が発覚、7月に逮捕。<br />子供の会話でも「ピーナッツ」が流行しましたね。<br />

    総理の在任中に起きた第一次オイルショックは子供ながらにショックでした。
    退陣後の昭和51年(1976年)にロッキード事件が発覚、7月に逮捕。
    子供の会話でも「ピーナッツ」が流行しましたね。

  • この像は昭和60年に地元有志の寄付により建てられました。<br />それにしても、この建て方だと常に逆行で顔が見えません。<br />何かの意図があって、こういう建て方なんでしょうか?<br />100年、200年後にはどのように評価されているのか興味があります。<br />最後までお読み頂きましてありがとうございました。

    この像は昭和60年に地元有志の寄付により建てられました。
    それにしても、この建て方だと常に逆行で顔が見えません。
    何かの意図があって、こういう建て方なんでしょうか?
    100年、200年後にはどのように評価されているのか興味があります。
    最後までお読み頂きましてありがとうございました。

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