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天気予報どおり朝から雨が降っていましたが、長野に出張するので前日(日曜日)から出発して寄り道することにしました。<br />急ぐ旅ではないので在来線を乗り継いで小諸に向かいます。<br />かつての「小諸宿」は、中山道からの分岐である「追分宿」を出て最初の宿場で、北國街道の入り口でした。慶長8年(1603年)には宿場が成立していたといわれ、たいへん栄えていたそうです。<br />小諸といえば懐古園が有名です。30数年前に訪ねた記憶があるのですが、写真も見つからず、ほとんど忘れてしまいました。<br />懐古園は、江戸時代までは小諸城が建っていた場所で、廃城後に開放されました。<br />通常、城は城下町より高い位置に建てられていますが、小諸城は町よりも低く、北國街道からは約30mも低い場所に建っています。このため通称「穴城」と呼ばれています。

日本で唯一といわれる「穴城」跡、雨の懐古園を歩きました1/2

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2024/06/02 - 2024/06/02

8位(同エリア1061件中)

旅行記グループ 甲信越の旅

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87

FUKUJIRO

FUKUJIROさん

この旅行記のスケジュール

2024/06/02

  • 高崎駅で信越本線に乗り継ぎました。

  • 横川駅からはJRバスで碓氷峠を越えます。

  • しなの鉄道で小諸へ向かいます。

この旅行記スケジュールを元に

天気予報どおり朝から雨が降っていましたが、長野に出張するので前日(日曜日)から出発して寄り道することにしました。
急ぐ旅ではないので在来線を乗り継いで小諸に向かいます。
かつての「小諸宿」は、中山道からの分岐である「追分宿」を出て最初の宿場で、北國街道の入り口でした。慶長8年(1603年)には宿場が成立していたといわれ、たいへん栄えていたそうです。
小諸といえば懐古園が有名です。30数年前に訪ねた記憶があるのですが、写真も見つからず、ほとんど忘れてしまいました。
懐古園は、江戸時代までは小諸城が建っていた場所で、廃城後に開放されました。
通常、城は城下町より高い位置に建てられていますが、小諸城は町よりも低く、北國街道からは約30mも低い場所に建っています。このため通称「穴城」と呼ばれています。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
  • 深谷駅。<br />新一万円札で盛り上がっています。

    深谷駅。
    新一万円札で盛り上がっています。

  • 深谷市の夏祭り。<br />この辺りは雨は降っていません。

    深谷市の夏祭り。
    この辺りは雨は降っていません。

  • 高崎駅を過ぎたら雨でした。磯部温泉は雨の中です。<br />よろしければ、5週間前に訪れた磯辺温泉の旅行記もご覧ください。<br />https://4travel.jp/travelogue/11898370

    高崎駅を過ぎたら雨でした。磯部温泉は雨の中です。
    よろしければ、5週間前に訪れた磯辺温泉の旅行記もご覧ください。
    https://4travel.jp/travelogue/11898370

  • 山に向かう信越線は土砂降りの中を走りました。

    山に向かう信越線は土砂降りの中を走りました。

  • 横川駅に着きました。雨です。

    横川駅に着きました。雨です。

  • バス停留所まで約100m歩きます。

    バス停留所まで約100m歩きます。

  • 碓氷峠はJRバス関東の直行バスで移動します。<br />このバスの支払いは現金のみです。JRなのにsuicaが使えず、戸惑っている人が多かったです。

    碓氷峠はJRバス関東の直行バスで移動します。
    このバスの支払いは現金のみです。JRなのにsuicaが使えず、戸惑っている人が多かったです。

  • 前に乗ったときとルートが違うような気がします。<br />景色を見ていたら直行バスは新道を通っていました。旧信越本線碓氷第3橋梁(めがね橋)のある旧道を通るバスは、季節限定の運行でした。<br />よろしければ、めがね橋を観光したときの旅行記もご覧ください。<br />https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11720080/

    前に乗ったときとルートが違うような気がします。
    景色を見ていたら直行バスは新道を通っていました。旧信越本線碓氷第3橋梁(めがね橋)のある旧道を通るバスは、季節限定の運行でした。
    よろしければ、めがね橋を観光したときの旅行記もご覧ください。
    https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11720080/

  • 新道でも、谷沿いは怖いです。

    新道でも、谷沿いは怖いです。

  • この辺りが入山峠で、群馬県から長野県に越境します。

    この辺りが入山峠で、群馬県から長野県に越境します。

  • 雨の中、無事に軽井沢に到着。<br />しなの鉄道の軽井沢駅です。

    雨の中、無事に軽井沢に到着。
    しなの鉄道の軽井沢駅です。

  • 駅舎内。

    駅舎内。

  • 旧信越本線で活躍していたEF63型機関車(右)。<br />入線してきた新型車輌クモハSR111-307(左)。

    旧信越本線で活躍していたEF63型機関車(右)。
    入線してきた新型車輌クモハSR111-307(左)。

  • 本年(2024年)01月に製造されたしなの鉄道のクモハSR111-307に乗車します。

    本年(2024年)01月に製造されたしなの鉄道のクモハSR111-307に乗車します。

  • クモハSR111-307の運転席。

    クモハSR111-307の運転席。

  • クモハSR111-307の車内表示。

    クモハSR111-307の車内表示。

  • 軽井沢を出発してしばらくすると、左側にJR小海線のレールが見えてきました。

    軽井沢を出発してしばらくすると、左側にJR小海線のレールが見えてきました。

  • 小諸駅に到着しました。小海線の列車を見に来ました。<br />JR小海線は、小諸駅から出発します。

    小諸駅に到着しました。小海線の列車を見に来ました。
    JR小海線は、小諸駅から出発します。

  • JR小海線の車内。ロングシートが並んでいます。

    JR小海線の車内。ロングシートが並んでいます。

  • JR小海線の車内。こちらはボックスシートと一人掛けシートがあります。

    JR小海線の車内。こちらはボックスシートと一人掛けシートがあります。

  • JR小海線の観光案内。

    JR小海線の観光案内。

  • JR小海線のホーム。木製のイスがありました。

    JR小海線のホーム。木製のイスがありました。

  • 小諸駅の改札口は東側のみ。この通路を渡ります。

    小諸駅の改札口は東側のみ。この通路を渡ります。

  • 改札口のそばにあった「追憶」。小諸市出身の彫刻家・内堀功氏の作品です。<br /><br />

    改札口のそばにあった「追憶」。小諸市出身の彫刻家・内堀功氏の作品です。

  • 千曲川旅情の詩碑。

    千曲川旅情の詩碑。

  • 小諸駅の構内。

    小諸駅の構内。

  • 小諸駅の構内で野菜を売っていました。無人販売かな。

    小諸駅の構内で野菜を売っていました。無人販売かな。

  • しなの鉄道券売機。

    しなの鉄道券売機。

  • 小諸駅。出口は東側だけです。

    小諸駅。出口は東側だけです。

  • 駅前広場。

    駅前広場。

  • 「希望」、こちらも内堀功氏の作品です。

    「希望」、こちらも内堀功氏の作品です。

  • 小諸市市民憲章の碑。

    小諸市市民憲章の碑。

  • 市民ガーデンエリア。<br />かつては小諸城の三の丸だった場所です。

    市民ガーデンエリア。
    かつては小諸城の三の丸だった場所です。

  • WELCOMEのクマ。

    WELCOMEのクマ。

  • クマ。

    クマ。

  • イヌ。

    イヌ。

  • 猿の小山。

    猿の小山。

  • 猿。

    猿。

  • イヌ。

    イヌ。

  • イヌ。

    イヌ。

  • イヌ。

    イヌ。

  • クマ。

    クマ。

  • リス。

    リス。

  • フクロウ。

    フクロウ。

  • トトロ。

    トトロ。

  • 宿泊する小諸グランドキャッスルホテルが見えました。<br />でも線路の反対側です。

    宿泊する小諸グランドキャッスルホテルが見えました。
    でも線路の反対側です。

  • うーん、これは...かなり不気味です。

    うーん、これは...かなり不気味です。

  • 駅の西側へ通じている地下道がありました。

    駅の西側へ通じている地下道がありました。

  • 地下道は明るくて、大丈夫でした。

    地下道は明るくて、大丈夫でした。

  • 小諸城趾・三の門(国の重要文化財)。 <br />慶長期から元和期(1596~1624年)に、造営されましたが、寛保2年(1742年)に千曲川流域を襲った戌の満水(いぬのまんすい)で流出。<br />現存しているのは明和2~3年(1765~66年)に再建された門です。<br />寄棟造りの二層の渡り矢倉門(多聞矢倉門)で、石垣も切込みはぎの石積みによって再建されました。

    小諸城趾・三の門(国の重要文化財)。
    慶長期から元和期(1596~1624年)に、造営されましたが、寛保2年(1742年)に千曲川流域を襲った戌の満水(いぬのまんすい)で流出。
    現存しているのは明和2~3年(1765~66年)に再建された門です。
    寄棟造りの二層の渡り矢倉門(多聞矢倉門)で、石垣も切込みはぎの石積みによって再建されました。

  • 牧野公遺徳碑。<br />懐古園の入口近くには幕末の名君とうたわれた牧野康哉公を讃える石碑が建てられています。<br />常陸国笠間藩を治めていた牧野貞幹公の次男・康哉公は、天保3年に小諸藩主となり、以来31年間領民に善政を施し、幕末の名君と知られています。

    牧野公遺徳碑。
    懐古園の入口近くには幕末の名君とうたわれた牧野康哉公を讃える石碑が建てられています。
    常陸国笠間藩を治めていた牧野貞幹公の次男・康哉公は、天保3年に小諸藩主となり、以来31年間領民に善政を施し、幕末の名君と知られています。

  • 徳川秀忠公の憩石。<br />慶長5年(1600年)、関ケ原合戦に出陣の途中、徳川秀忠率いる本隊は小諸城に陣を敷きました。そのときに秀忠公が腰をおろした石と伝えられています。

    徳川秀忠公の憩石。
    慶長5年(1600年)、関ケ原合戦に出陣の途中、徳川秀忠率いる本隊は小諸城に陣を敷きました。そのときに秀忠公が腰をおろした石と伝えられています。

  • 荷物を置くためホテルへ向かうことにして歩いていたら、鹿嶋神社の標柱がありました。

    荷物を置くためホテルへ向かうことにして歩いていたら、鹿嶋神社の標柱がありました。

  • 小諸グランドキャッスルホテルです。<br />小諸駅から近いのですが、改札口の反対側へ移動するため、多少歩きます。<br />懐古園までは徒歩2分と便利です。<br />また伊藤園グループのホテルなので、割安なのが嬉しいです。私は懐古園共通券付きの夕朝食プランで予約しました。

    小諸グランドキャッスルホテルです。
    小諸駅から近いのですが、改札口の反対側へ移動するため、多少歩きます。
    懐古園までは徒歩2分と便利です。
    また伊藤園グループのホテルなので、割安なのが嬉しいです。私は懐古園共通券付きの夕朝食プランで予約しました。

  • 小諸市のマンホール蓋を発見しました。やはり懐古園の三の門がデザインされています。

    小諸市のマンホール蓋を発見しました。やはり懐古園の三の門がデザインされています。

  • ホテルにリュックを預け、懐古園のチケットを受け取って、懐古園に入場しました。<br />三の門(内側)。

    ホテルにリュックを預け、懐古園のチケットを受け取って、懐古園に入場しました。
    三の門(内側)。

  • 徴古館。小諸の歴史や牧野家の武具、古文書などが展示されていました。<br />写真撮影が禁止だったので、展示内容は忘れてしまいました。

    徴古館。小諸の歴史や牧野家の武具、古文書などが展示されていました。
    写真撮影が禁止だったので、展示内容は忘れてしまいました。

  • 二の門へ向かう上り坂です。<br />この石垣は昭和59年(1984年)に復元したもので、本来の石垣よりも大きな石を用いています。

    二の門へ向かう上り坂です。
    この石垣は昭和59年(1984年)に復元したもので、本来の石垣よりも大きな石を用いています。

  • 二の門跡。

    二の門跡。

  • 二の丸跡へ上がる石段です。

    二の丸跡へ上がる石段です。

  • 二の丸跡の碑。

    二の丸跡の碑。

  • 二の丸跡。<br />長享元年(1487年)、大井光忠によって小諸の地に鍋蓋城が築かれました。<br />その子光為は、現在の二の丸の位置に支城の乙女坂城を築きました。<br />徳川秀忠公は、上田城の真田氏を攻略するため二の丸に本陣を構えました。結局、10日間も足止めされてしまい、関ヶ原合戦に遅参してしまいました。

    二の丸跡。
    長享元年(1487年)、大井光忠によって小諸の地に鍋蓋城が築かれました。
    その子光為は、現在の二の丸の位置に支城の乙女坂城を築きました。
    徳川秀忠公は、上田城の真田氏を攻略するため二の丸に本陣を構えました。結局、10日間も足止めされてしまい、関ヶ原合戦に遅参してしまいました。

  • 若山牧水歌碑。二の丸跡に近い石垣にあります。<br />若山牧水は明治43年(1910年)の秋、病気療養のため小諸に2ヶ月間滞在していました。<br />かたわらに 秋草の花 かたるらく<br />ほろびしものは なつかしきかな

    若山牧水歌碑。二の丸跡に近い石垣にあります。
    若山牧水は明治43年(1910年)の秋、病気療養のため小諸に2ヶ月間滞在していました。
    かたわらに 秋草の花 かたるらく
    ほろびしものは なつかしきかな

  • 石垣には小諸義塾塾長・木村熊二のレリーフもありました。<br />昭和11年(1936年)、文字は島崎藤村です。

    石垣には小諸義塾塾長・木村熊二のレリーフもありました。
    昭和11年(1936年)、文字は島崎藤村です。

  • 番所跡に貞明皇后行啓記念碑があります。<br />貞明皇后は大正天皇のお后様、昭和天皇のお母様です。昭和24年6月に諏訪湖畔の片倉館、岡谷座繰生糸協同組合や岡谷の製糸工場などの視察を行った際に、小諸に立ち寄っています。<br />このため、この石碑の背面にも養蚕を讃える貞明皇后の歌が刻まれています。<br />夏の日の ながき日くれし 桑畑に<br />桑きる音の まだたえぬかな

    番所跡に貞明皇后行啓記念碑があります。
    貞明皇后は大正天皇のお后様、昭和天皇のお母様です。昭和24年6月に諏訪湖畔の片倉館、岡谷座繰生糸協同組合や岡谷の製糸工場などの視察を行った際に、小諸に立ち寄っています。
    このため、この石碑の背面にも養蚕を讃える貞明皇后の歌が刻まれています。
    夏の日の ながき日くれし 桑畑に
    桑きる音の まだたえぬかな

  • 東宮駐駕之處。<br />大正12年(1923年)に東宮(のちの昭和天皇)が訪れた記念の石碑です。<br />背面には貴族院議員の入江為守の歌が刻まれています。<br />千久ま川 古城にそひて いにしへを<br />かたりがほなる 水の音かな<br />入江為守の三男・入江相政は昭和天皇の侍従長を務めていた方です。

    東宮駐駕之處。
    大正12年(1923年)に東宮(のちの昭和天皇)が訪れた記念の石碑です。
    背面には貴族院議員の入江為守の歌が刻まれています。
    千久ま川 古城にそひて いにしへを
    かたりがほなる 水の音かな
    入江為守の三男・入江相政は昭和天皇の侍従長を務めていた方です。

  • 中仕切門跡。

    中仕切門跡。

  • 北丸跡。現在は弓道場となっていて、懐古射院と呼ばれています。

    北丸跡。現在は弓道場となっていて、懐古射院と呼ばれています。

  • 南丸跡。

    南丸跡。

  • 懐古園稲荷神社。<br />元禄15年(1702年)、牧野康重公が越後国与板藩から1万5千石の小諸藩主となった際に与板から遷座しました。後に城内富士見台にあった稲荷社と合祀されました。

    懐古園稲荷神社。
    元禄15年(1702年)、牧野康重公が越後国与板藩から1万5千石の小諸藩主となった際に与板から遷座しました。後に城内富士見台にあった稲荷社と合祀されました。

  • 懐古園稲荷神社の扁額。

    懐古園稲荷神社の扁額。

  • 黒門橋。<br />黒門は小諸城本丸御殿の入り口に設けられ、一ノ御門とも呼ばれていました。廃城後、黒門は小諸市八満にある正眼院の山門として保存されています。<br />本丸御殿に入るには、この黒門橋を渡らなければなりませんでした。万一敵が攻め込んできた際には、城内に橋を引き込むことができるように橋の下に多数の車輪を付けていたと伝わります。そのため算盤橋とも呼ばれていました。

    黒門橋。
    黒門は小諸城本丸御殿の入り口に設けられ、一ノ御門とも呼ばれていました。廃城後、黒門は小諸市八満にある正眼院の山門として保存されています。
    本丸御殿に入るには、この黒門橋を渡らなければなりませんでした。万一敵が攻め込んできた際には、城内に橋を引き込むことができるように橋の下に多数の車輪を付けていたと伝わります。そのため算盤橋とも呼ばれていました。

  • 橋の下は空堀になっています。元の谷を整備した堀で、深さは約8mほどです。

    橋の下は空堀になっています。元の谷を整備した堀で、深さは約8mほどです。

  • 現在は紅葉谷と呼ばれ、小諸城の紅葉スポットになっています。

    現在は紅葉谷と呼ばれ、小諸城の紅葉スポットになっています。

  • 案内板がありました。まずは懐古神社に参拝しましょう。

    案内板がありました。まずは懐古神社に参拝しましょう。

  • 懐古神社の絵馬飾り。<br />かつて旧小諸藩の時代から天満宮と火魂社が祀られていました。

    懐古神社の絵馬飾り。
    かつて旧小諸藩の時代から天満宮と火魂社が祀られていました。

  • 懐古神社の鳥居。<br />小諸城は明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となりました。小諸城址の荒廃を憂いた元藩士らが資金を集め、懐古神社を建立しました。<br />その際、天満宮と火魂社、さらに歴代の小諸藩主の霊を合祀しました。

    懐古神社の鳥居。
    小諸城は明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となりました。小諸城址の荒廃を憂いた元藩士らが資金を集め、懐古神社を建立しました。
    その際、天満宮と火魂社、さらに歴代の小諸藩主の霊を合祀しました。

  • 鳥居の扁額。

    鳥居の扁額。

  • 手水舎。

    手水舎。

  • 石灯籠。

    石灯籠。

  • 石灯籠。

    石灯籠。

  • 本丸跡の池。

    本丸跡の池。

  • 錦鯉がいました。

    錦鯉がいました。

  • 本丸跡に建つ懐古神社の拝殿。昭和62年(1987年)11月に再建。<br />御祭神は、歴代の小諸藩主、菅原道真公、火之加具土命です。

    本丸跡に建つ懐古神社の拝殿。昭和62年(1987年)11月に再建。
    御祭神は、歴代の小諸藩主、菅原道真公、火之加具土命です。

  • 扁額。白木のシンプルな額です。

    扁額。白木のシンプルな額です。

  • 御本殿。

    御本殿。

  • 境内はさらに奥に広がっていて、天守台跡も残っています。<br />ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

    境内はさらに奥に広がっていて、天守台跡も残っています。
    ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

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