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 ご案内して観覧をお勧めしたいが出来ない・・・と云う青春のあわい恋心とでも云うといいすぎでしょうか。本年当初に案内した、玉手山(ぎょくしゅざん)安福寺所蔵の聖徳太子の棺とされる夾紵棺の展示が奈良国立博物館で始まっています。「聖徳太子1400年遠忌記念 特別展聖徳太子と法隆寺」展です。<br /> しかし、このコロナ禍(下)でぜひご観覧にとは云えない状況となりました。太子もその意向であると思われます。そこで、再度ではありますがブログでご紹介とします。<br /> 聖徳太子の墓がある、叡福寺山内の瓦葺き通路の模様が何故か夾紵棺に似ています。

案内したいが積極的に出来ない コロナゆえ

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2021/05/04 - 2021/05/04

131位(同エリア196件中)

旅行記グループ 快適な銀輪行 その2

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河内温泉大学名誉教授

河内温泉大学名誉教授さん

 ご案内して観覧をお勧めしたいが出来ない・・・と云う青春のあわい恋心とでも云うといいすぎでしょうか。本年当初に案内した、玉手山(ぎょくしゅざん)安福寺所蔵の聖徳太子の棺とされる夾紵棺の展示が奈良国立博物館で始まっています。「聖徳太子1400年遠忌記念 特別展聖徳太子と法隆寺」展です。
 しかし、このコロナ禍(下)でぜひご観覧にとは云えない状況となりました。太子もその意向であると思われます。そこで、再度ではありますがブログでご紹介とします。
 聖徳太子の墓がある、叡福寺山内の瓦葺き通路の模様が何故か夾紵棺に似ています。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩 バイク

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  •      今年は聖徳太子の1400年遠忌にあたり、これを記念して特別展「聖徳太子と法隆寺」を開催されるもの。展覧会では法隆寺において護り伝えられてきた寺宝を中心に、太子の肖像や遺品と伝わる宝物、飛鳥時代以来の貴重な文化財を通じて太子その人と太子信仰の世界に迫ります。さらに、明治11年(1878)に法隆寺から皇室へと献納された「法隆寺献納宝物」が、奈良へまとまって里帰りともなります。もっとも、献納といっても召し上げられた様なもので、このままお返しされても良いような物ですが。会期は6月20日迄で、コロナ禍のおり色々工夫されて展示されるようです。詳しくは奈良国立博物館のホームページで。<br /> 聖徳太子の棺では無いかと注目される<br />

    今年は聖徳太子の1400年遠忌にあたり、これを記念して特別展「聖徳太子と法隆寺」を開催されるもの。展覧会では法隆寺において護り伝えられてきた寺宝を中心に、太子の肖像や遺品と伝わる宝物、飛鳥時代以来の貴重な文化財を通じて太子その人と太子信仰の世界に迫ります。さらに、明治11年(1878)に法隆寺から皇室へと献納された「法隆寺献納宝物」が、奈良へまとまって里帰りともなります。もっとも、献納といっても召し上げられた様なもので、このままお返しされても良いような物ですが。会期は6月20日迄で、コロナ禍のおり色々工夫されて展示されるようです。詳しくは奈良国立博物館のホームページで。
     聖徳太子の棺では無いかと注目される

  •  展示物目録より<br /> 赤矢印が今回ご紹介したい夾紵棺です。

     展示物目録より
     赤矢印が今回ご紹介したい夾紵棺です。

  •  何層もの絹と漆で作り固められた棺の一断片です。

     何層もの絹と漆で作り固められた棺の一断片です。

  •  断片の全てです。

     断片の全てです。

  •  復元された棺(柏原市立歴史資料館)

     復元された棺(柏原市立歴史資料館)

  •      この展示会に柏原市内の安福寺所蔵の夾紵棺が展示されます。詳しくは愚僧の記事「安福寺所蔵の聖徳太子棺(夾紵棺:きょうちょかん)が奈良・東京国博で展示」をご覧いただきたい。コロナ下で無くば大いに宣伝吹聴したいところですが、こればかりは何も云えません。何かの折にでも都合が付けば・・・とか、記憶に留めて来年以降も機会はあるはずですのでその様なチャンスがあれば是非ご覧下さい・・・と云う事です。<br /> 安福寺山内の瓦葺き通路も夾紵棺に似ています。<br />

    この展示会に柏原市内の安福寺所蔵の夾紵棺が展示されます。詳しくは愚僧の記事「安福寺所蔵の聖徳太子棺(夾紵棺:きょうちょかん)が奈良・東京国博で展示」をご覧いただきたい。コロナ下で無くば大いに宣伝吹聴したいところですが、こればかりは何も云えません。何かの折にでも都合が付けば・・・とか、記憶に留めて来年以降も機会はあるはずですのでその様なチャンスがあれば是非ご覧下さい・・・と云う事です。
     安福寺山内の瓦葺き通路も夾紵棺に似ています。

  •  尾州徳川家の廟

     尾州徳川家の廟

  •  三の門から二の門を望む 右が本堂等

     三の門から二の門を望む 右が本堂等

  •  昨日も安福寺を遠望できる石川・大和川合流地点まで所用で出向きました。何も無ければ「今日は、国博では大変な評判・・・」と云う口実で訪問も有りですが、遠慮させていただきました。安福寺は大坂の陣の後、尾州徳川光友公の庇護を受け珂憶上人が再興したお寺です。その関係で夾紵棺が安福寺に来たとも云われています。<br /> 玉手橋から玉手山方向

     昨日も安福寺を遠望できる石川・大和川合流地点まで所用で出向きました。何も無ければ「今日は、国博では大変な評判・・・」と云う口実で訪問も有りですが、遠慮させていただきました。安福寺は大坂の陣の後、尾州徳川光友公の庇護を受け珂憶上人が再興したお寺です。その関係で夾紵棺が安福寺に来たとも云われています。
     玉手橋から玉手山方向

  •  天下統一の実現直前に豊臣家は滅亡しました。その端緒となった大坂夏の陣の総決戦が406年前の夏今頃に樫井、玉手山、若江そして天王寺で死闘が繰り広げられていました。毎年安福寺では大坂夏の陣で亡くなった人々の供養を行われています。今年はコロナ下(禍)ですが、何ほどかの供養は行われるでしょう。<br />大坂夏の陣供養塔も安福寺にあります

     天下統一の実現直前に豊臣家は滅亡しました。その端緒となった大坂夏の陣の総決戦が406年前の夏今頃に樫井、玉手山、若江そして天王寺で死闘が繰り広げられていました。毎年安福寺では大坂夏の陣で亡くなった人々の供養を行われています。今年はコロナ下(禍)ですが、何ほどかの供養は行われるでしょう。
    大坂夏の陣供養塔も安福寺にあります

  •  聖徳太子の偉業を伝え続ける法隆寺も、時代の波に巻き込まれることが多かった。特に明治維新の廃仏毀釈や、太平洋大戦中や戦後の混乱期は悲惨な状態であった。時に貴重な事物を献納という形で売り払って凌いだときもあった。

     聖徳太子の偉業を伝え続ける法隆寺も、時代の波に巻き込まれることが多かった。特に明治維新の廃仏毀釈や、太平洋大戦中や戦後の混乱期は悲惨な状態であった。時に貴重な事物を献納という形で売り払って凌いだときもあった。

  •  時に人災で失うこともあった。ある意味で人の思い上がりとでも言う(漏電)原因によるものもある。<br /><br /> 金堂壁画の焼失が文化財保護法を成立させた。

     時に人災で失うこともあった。ある意味で人の思い上がりとでも言う(漏電)原因によるものもある。

     金堂壁画の焼失が文化財保護法を成立させた。

  •  法隆寺を中心とした斑鳩では、中宮寺、法起寺そして法輪寺など聖徳太子縁の寺院が残っている。<br /><br /> 写真は法起寺。

     法隆寺を中心とした斑鳩では、中宮寺、法起寺そして法輪寺など聖徳太子縁の寺院が残っている。

     写真は法起寺。

  •  世界遺産と云えども台所はこの様子です。最北の塀を支えるのは文化財のような石柱です。まだまだ、手を加えなければならない所が多いことでしょう。

     世界遺産と云えども台所はこの様子です。最北の塀を支えるのは文化財のような石柱です。まだまだ、手を加えなければならない所が多いことでしょう。

  •  貴重な仏像はもとより、美しい土塀をいつまでも残したいモノです。

     貴重な仏像はもとより、美しい土塀をいつまでも残したいモノです。

  •  法輪寺

     法輪寺

  •  法隆寺は矢田丘陵南面に大和川や金剛葛城山系を望む形で立地している。大陸から来た使い達が、明日香へ入る陸路からでも船からでも国威を示すランドマークでもアありました。

     法隆寺は矢田丘陵南面に大和川や金剛葛城山系を望む形で立地している。大陸から来た使い達が、明日香へ入る陸路からでも船からでも国威を示すランドマークでもアありました。

  •  明日香へ続く「太子道」を遠望する。

     明日香へ続く「太子道」を遠望する。

  •  聖徳太子は叡福寺に葬られました。

     聖徳太子は叡福寺に葬られました。

  •  安福寺の珂憶上人と昵懇の中であったと伝わる、叡福寺の子院西方院本堂。この辺りでが安福寺と夾紵棺の接点であるかと云われています。

     安福寺の珂憶上人と昵懇の中であったと伝わる、叡福寺の子院西方院本堂。この辺りでが安福寺と夾紵棺の接点であるかと云われています。

  •  西方院説明板

     西方院説明板

  •  棺のことなど我知らずと、永遠の眠りにつく聖徳太子でした。<br /> 叡福寺北古墳 太子が眠ると言われる厩戸皇子(聖徳太子)・穴穂部間人皇女(用明天皇皇后、皇子母)・膳部菩岐々美郎女(皇子妃)ら3人の合葬墓(三骨一廟)

     棺のことなど我知らずと、永遠の眠りにつく聖徳太子でした。
     叡福寺北古墳 太子が眠ると言われる厩戸皇子(聖徳太子)・穴穂部間人皇女(用明天皇皇后、皇子母)・膳部菩岐々美郎女(皇子妃)ら3人の合葬墓(三骨一廟)

  •  そして、可愛い聖徳太子は現代も大活躍です。<br /> マンホールのデザイン文字も「和をもって貴し・・・」

     そして、可愛い聖徳太子は現代も大活躍です。
     マンホールのデザイン文字も「和をもって貴し・・・」

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