2019/05/26 - 2019/05/26
103位(同エリア204件中)
河内温泉大学名誉教授さん
- 河内温泉大学名誉教授さんTOP
- 旅行記258冊
- クチコミ897件
- Q&A回答102件
- 370,686アクセス
- フォロワー18人
ユネスコの諮問機関イコモスは、堺市、藤井寺市及び羽曳野市が目差していた、古墳49基の「世界文化遺産」への登録をするべきとの勧告を受けたとの報道。それを受けて俄銀輪と過去歴を組み合わせて過日投稿しました。しかし、本日所用を兼ねて古市古墳群辺りを訪れましたところ、意外に収穫が多く別稿として掲載します。古市エリア26基を全て紹介しています。
百舌鳥古墳群と共に今回登録されることになりました。これは既に登録されている「法隆寺」と特別措置法で保存が図られている明日香村、いわゆる大和朝廷もしくは倭の国の遺跡ととらえることが大切かと思います。
そのような目線ででも今回の旅にお付き合い下さい。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
では、北から順に巡りましょう。一番北の津堂城山古墳は既報ですので省略して、近くに車を置いた允恭天皇(19代)陵古墳から。国府丘陵の北の端にあります。正面入口が民地となっている古墳は多いが、ここはその典型です。車では正面に横付け出来ません、末裔が墓参に訪れたら徒歩で向かうのでしょうか。
-
同表示板。宮内庁統一規格でしょう、文字数で横幅が変わります。
-
允恭陵の陪塚か宮の南塚古墳。(非登録)允添陵の東直ぐにあります。
-
土師ノ里駅前の鍋塚古墳は修復が成功した例でしょう。しかし完全復元すると1・5倍となるという、ここも民地に侵食されているのでしょうか。
説明板。 -
バイクと比べると大きさが分かります。登坂可能です。自然の地形を利用しているので、西から見ると国府丘陵のいただきに、更に古墳がのっているようでかなりの高さに見えます。
-
仲姫命は、応神天皇とご夫婦関係ですが配置を見ると反りが合わないように見えます。しかし、それは要らぬお節介らしい、古墳の向きは生まれた暦で決めると聞いています。
その、真向かいにあるのが古室山古墳です。ここは外敵から無防備で、民地でしょうがドラム缶が野積みされていました。
仲姫命陵古墳。 -
お馴染みの表示板です。
-
仲姫命陵から古室山古墳を見る。こう見ると何でもないですが、左側にその民地が入り込んでいるようです。
-
古室山古墳説明と標柱。
-
今ならバイクでも進入可能です。
-
ここから、中津姫命陵の南側を助太山・中山塚・八島塚と三つの古墳が並びます。民家・民地と入り組んでいて判別付けがたいですが、何とか並べました。この古墳の隙間から修羅が見つかって大騒動になりました。復元模型が近くの道明寺天満宮に展示されています。
助太山古墳説明板。 -
古墳の石材を運んだと云われている修羅の実物大展示模型です。少し東にある、道明寺天満宮にて展示保存されています。
-
中山塚古墳、不法侵入に近い撮影でした。
-
西名阪高速の脇にあるのが、大鳥塚古墳で南へ進むと応神天皇陵古墳に出ます。高速の橋架下にも古墳の痕跡があり、以前表示がありましたが今はありません。
大鳥塚古墳説明板。 -
大鳥塚古墳。
-
高速道路高架下の赤面山古墳跡。現況保存のためか、高速道路の板床の長さも古墳の大きさに合わせているため、登り車線と下車線で長さや厚みが違います。(非登録)
-
応神陵内には宮内庁の職員が常駐していて、近在の御陵印を押せます。なんだか旅行会社の添乗員の詰め所のような機能です。御陵は鳥居といい雰囲気といい別格を思わせる作りですね。こうなると、昔のように山だと行って侵入して蕨採りなどしては逮捕されるかも知れませんな。
御陵の表示板と先には事務所があります。 -
応神天皇(15代)陵拝所。神功皇后が韓国遠征の帰路生んだとされる、応神天皇から河内王朝が始まったとも言われています。
-
誉田丸山古墳と二ツ塚古墳は応神天皇陵のフェンス内らしく特定出来ません。推測で写真を貼り付けます。間違いが判明したら入れ替えましょう。
誉田丸山古墳。 -
二ッ塚古墳。
-
半世紀前、愚僧がガキの頃カブト虫を捕った茶山と云っていた古墳は東馬塚古墳と栗塚古墳と呼ぶらしく、宮内庁の呼称とも違いますね。この辺り、統一的な呼び名を決めないと世界遺産・観光目標としては不適切かも知れません。茶山はテニスコート名で残っています。
東馬塚古墳。
-
栗塚古墳。前期の二ツ塚古墳なども含めて東高野街道沿いに並んでいるので、工夫次第では集客できるのでは、客集めが大切とは考えませんが。
-
茶山テニスコート。このスペースを利用して関連施設を作ることが出来ますね。行政の智恵の出しどころでしょう。(非登録)
-
応神天皇陵古墳と縁が切れない誉田八幡宮にも拝礼して。南の縁を西に進むと東山古墳があるはずなのですが、特定出来ません。この他、はざみ山古墳、野中古墳、西馬塚古墳が今回欠落しています。羽曳野市役所の裏に出ると墓山古墳です。
誉田八幡宮です。(非登録) -
東山古墳はこの付近となっているのですが、私には判別不可能でした。(後日判明)
-
羽曳野市役所の裏へ回る前にちょっと息抜き。市役所正面には、古墳と付きものの埴輪を作った工房跡らしい。現代の工房も付近にあり、初心者にも教えているらいいです。
同説明板。(非登録) -
復元模型。
-
墓山古墳の回りには、向墓山古墳と浄元寺山古墳が密集しています。帰宅して写真の整理をしていると混乱してきましたが、タイムスタンプで並べて確認しています。
墓山古墳説明板。 -
浄元寺山古墳、
-
同説明板。
-
そして青山古墳です。
-
同説明板。
-
峯ケ塚古墳の前の道は大阪外環状です。この辺りから見る二上山も見ようでは古墳ですね。大津の皇子が眠っていると云われていますが、さもありなんと云う雰囲気です。
峰ケ塚古墳。 -
同説明板。
-
峰ケ塚古墳前の陸橋より二上山を望む。
-
陸橋下には竹之内街道の説明板。
-
ここから東へ一直線に白鳥陵古墳です。御所にもお墓があった日本武尊の最終着陸地点でしょうか。
表示板です。 -
白鳥陵古墳拝所、この真横には民家があります。斯様なパターンが多いですね。景行天皇(12代)の三男ヤマトタケル(日本武尊)命で、古事記によると父に疎まれていたのか何度も遠征の旅に出され、東征のすえ伊勢で病に倒れ鈴鹿山地で死した。亡骸は葬られたが、陵から白鳥が飛び立って最後はこの地に舞い降りたという。三重県と奈良県御所市にもヤマトタケルの陵といわれるものがあります。
-
ここでちょっと、足を伸ばして安閑天皇陵古墳へも行きましょう。近鉄南大阪線で区切られています。外環状が無い時代は、必ずこの辺りを通過して南河内へ向かっていました頃のランドマークです。
白鳥陵脇を東へ進みます。 -
安閑天皇陵(27代)古墳。(非登録)
-
もう少し親切心があればね。積極的には広報したくないと、この看板がいっているようです。
-
ぼやきは嫌われます。もう一枚息抜き、懐かしいISUZUベレット1600GTを見ました。これも、ぼちぼち遺産でしょうが完動状態ですばらしい。(非登録)
-
さあ、再び西へ向かって本日の仕上げ、仲哀天皇(14代)陵古墳を目差します。辺りはほぼフラットな地形になるため直感勝負ですね。何度か外れたその直感通りに来られました。広々として今回の中では、一番雄大な感じがする御陵です。
仲哀天皇陵古墳。 -
ここも一応表示板を。日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2王子。仲哀天皇はあまり有名でなく、その后が三韓征伐等でで有名な神功皇后で応神天皇を生んだとされています。
-
仲哀天皇(14代)陵拝所。
-
この古墳の直ぐ北にあるのが小さな前方後円墳の鉢塚古墳。民家の入口が陵墓内にあったり、脇には幼稚園があり墳墓を前に入口(?)探しが大変です。この程度の管理で良いのなら、修復したら児童達への学習効果もあって観光目的より良い利用方法では無いでしょうか。
同説明板。 -
古墳サイドから手前前方部と後円部との曲線部が残っています。
-
頂部前方部から後円部を見る。
-
頂部から仲哀天皇陵古墳を望む。
-
これで、世界遺産の古市古墳群巡りのフィニッシュです。辛国神社や葛井寺で休憩しつつ車を置いた允恭天皇陵古墳へ戻ります。最後に済ませようとして残していた「所用」に随分手こずって、ほぼフラフラになって帰宅でした。古墳などは大凡記憶通りでありましたが、細部では大いなる感違いもあり収穫の多かった銀輪行でありました。
辛国神社。(非登録) -
葛井寺。西国五番札所。(非登録)
-
新たな収穫とか道端で拾ったネタなどは、また後ほど順にご紹介させていただきます。
さて、何でしょうか。(勿論非登録) -
お読みいただいての旅の参考になればと地図を添えました。
当初にも記しましたが、今回中心とした古市古墳群と百舌鳥古墳群が同時に世界遺産に登録されます。しかし、これら古墳群と奈良へ入った場所にある法隆寺等の世界遺産及び特別措置法で保存が進められている明日香村は、一体として日本の歴史上で位置付けられるべきものでしょう。
堺から出発、その逆でも結構ですが奈良街道、長尾道または竹ノ内街道を巡っていただきたい。きっと、今までにない思いがわき上がってくることでしょう。 -
赤○印が今回訪れた場所です。
-
ここからは後日追加で訪問したものです。これで、古市古墳群の登録予定古墳の全てです。
西馬塚古墳は応神陵の陪塚。羽曳野市役所の直ぐ南の市街地の中。 -
西馬塚古墳説明板。
-
はざみ山古墳です。前方後円墳で保存状態は良い方です。
-
一番探したのが東山古墳。病院とレストランの駐車場の横の空地でした。応神陵の陪塚で方墳です。
-
この野中古墳も難解でした。古墳が密集していて別な古墳とは思っていなかったのが間違いの元だったようです。
-
野中古墳。
-
八島塚古墳。助太・中山と三つ並んでいる方墳です。
以上で26基全てを紹介しました。なお、一部登録から除かれている古墳等も掲載していますが、文脈からお分かり頂けると思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
快適な銀輪行 その2
-
偐膝栗毛 摂津尼崎城から垂水神社へ銀輪行
2019/05/07~
尼崎
-
ユネスコ世界遺産に 古市古墳群を銀輪散策する 全26基完全探訪達成
2019/05/26~
八尾・藤井寺・柏原
-
百舌鳥古墳群完全ガイド ”世界文化遺産登録記念” ハイキング&銀輪
2019/06/21~
堺
-
梅雨入り直前 現地説明会に先立って見学 香芝市平野塚穴山古墳は大王クラス
2019/06/26~
香芝・王寺・大和高田
-
神話と歴史のはざまを行く 斉明天皇越智崗上陵他
2019/07/10~
飛鳥
-
ワカタケル(日経連載小説)身罷る 稗田阿礼所縁大和郡山賣太神社を行く 追記清寧天皇陵古墳
2019/07/20~
大和郡山・田原本
-
灼熱の中 堺旧市街他を輪行
2019/07/26~
堺
-
飯豊天皇は番外だが初の女帝 だったのではないか天皇とか・・・
2019/08/05~
御所・葛城
-
布袋葵の本薬師寺と孝元天皇陵古墳
2019/08/24~
橿原
-
新聞連載小説「ワカタケル」完結 登場する歴代大君の御陵を行く
2019/09/06~
高槻・島本
-
大嘗祭に摂津国笠縫邑 浪速深江も御菅蓋を奉納参加
2019/10/03~
ミナミ(難波・天王寺)
-
奈良 平城宮跡周辺万葉サイクリング伴走記 続編
2019/10/16~
奈良市
-
誰でも大伴家持に・・・ 伴林氏神社顔出し看板から
2019/12/12~
八尾・藤井寺・柏原
-
大河ドラマに「麒麟」が現れたら 細川ガラシャや梅も花開くか
2020/01/20~
大阪城・京橋
-
上げたり下げたり 人最後の業 四天王寺参拝によせて
2020/09/27~
ミナミ(難波・天王寺)
-
四天王寺さんへ 番匠幟に聖徳太子遠忌1400年を偲んで
2021/01/30~
ミナミ(難波・天王寺)
-
旅の友トレンクル退院(負傷その後)
2021/03/18~
河内長野
-
本能寺の変 信長自作自演 命をかけての大芝居か
2021/03/29~
亀岡
-
大阪 深江界隈にて
2021/04/23~
鶴見・城東
-
案内したいが積極的に出来ない コロナゆえ
2021/05/04~
八尾・藤井寺・柏原
-
久宝寺公園シャクヤクから菅原道真所縁の道明寺ニオイバンマツリ
2021/05/13~
八尾・藤井寺・柏原
-
MTBタイヤ交換 八尾 木の本をぶらブラ
2021/06/24~
八尾・藤井寺・柏原
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
八尾・藤井寺・柏原(大阪) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 快適な銀輪行 その2
0
61