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 ユネスコの諮問機関イコモスは、堺市、藤井寺市及び羽曳野市が目差していた、古墳49基の「世界文化遺産」への登録をするべきとの勧告を受けたとの報道。それを受けて俄銀輪と過去歴を組み合わせて過日投稿しました。しかし、本日所用を兼ねて古市古墳群辺りを訪れましたところ、意外に収穫が多く別稿として掲載します。古市エリア26基を全て紹介しています。<br /><br /> 百舌鳥古墳群と共に今回登録されることになりました。これは既に登録されている「法隆寺」と特別措置法で保存が図られている明日香村、いわゆる大和朝廷もしくは倭の国の遺跡ととらえることが大切かと思います。<br /> そのような目線ででも今回の旅にお付き合い下さい。 

ユネスコ世界遺産に 古市古墳群を銀輪散策する 全26基完全探訪達成

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2019/05/26 - 2019/05/26

68位(同エリア157件中)

旅行記グループ 快適な銀輪行 その2

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河内温泉大学名誉教授

河内温泉大学名誉教授さん

 ユネスコの諮問機関イコモスは、堺市、藤井寺市及び羽曳野市が目差していた、古墳49基の「世界文化遺産」への登録をするべきとの勧告を受けたとの報道。それを受けて俄銀輪と過去歴を組み合わせて過日投稿しました。しかし、本日所用を兼ねて古市古墳群辺りを訪れましたところ、意外に収穫が多く別稿として掲載します。古市エリア26基を全て紹介しています。

 百舌鳥古墳群と共に今回登録されることになりました。これは既に登録されている「法隆寺」と特別措置法で保存が図られている明日香村、いわゆる大和朝廷もしくは倭の国の遺跡ととらえることが大切かと思います。
 そのような目線ででも今回の旅にお付き合い下さい。 

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩 バイク
旅行の手配内容
個別手配

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  •  では、北から順に巡りましょう。一番北の津堂城山古墳は既報ですので省略して、近くに車を置いた允恭天皇(19代)陵古墳から。国府丘陵の北の端にあります。正面入口が民地となっている古墳は多いが、ここはその典型です。車では正面に横付け出来ません、末裔が墓参に訪れたら徒歩で向かうのでしょうか。

     では、北から順に巡りましょう。一番北の津堂城山古墳は既報ですので省略して、近くに車を置いた允恭天皇(19代)陵古墳から。国府丘陵の北の端にあります。正面入口が民地となっている古墳は多いが、ここはその典型です。車では正面に横付け出来ません、末裔が墓参に訪れたら徒歩で向かうのでしょうか。

  •  同表示板。宮内庁統一規格でしょう、文字数で横幅が変わります。

     同表示板。宮内庁統一規格でしょう、文字数で横幅が変わります。

  •  允恭陵の陪塚か宮の南塚古墳。(非登録)允添陵の東直ぐにあります。

     允恭陵の陪塚か宮の南塚古墳。(非登録)允添陵の東直ぐにあります。

  •  土師ノ里駅前の鍋塚古墳は修復が成功した例でしょう。しかし完全復元すると1・5倍となるという、ここも民地に侵食されているのでしょうか。<br /> 説明板。

     土師ノ里駅前の鍋塚古墳は修復が成功した例でしょう。しかし完全復元すると1・5倍となるという、ここも民地に侵食されているのでしょうか。
     説明板。

  •  バイクと比べると大きさが分かります。登坂可能です。自然の地形を利用しているので、西から見ると国府丘陵のいただきに、更に古墳がのっているようでかなりの高さに見えます。

     バイクと比べると大きさが分かります。登坂可能です。自然の地形を利用しているので、西から見ると国府丘陵のいただきに、更に古墳がのっているようでかなりの高さに見えます。

  •  仲姫命は、応神天皇とご夫婦関係ですが配置を見ると反りが合わないように見えます。しかし、それは要らぬお節介らしい、古墳の向きは生まれた暦で決めると聞いています。<br />   その、真向かいにあるのが古室山古墳です。ここは外敵から無防備で、民地でしょうがドラム缶が野積みされていました。<br /> 仲姫命陵古墳。

     仲姫命は、応神天皇とご夫婦関係ですが配置を見ると反りが合わないように見えます。しかし、それは要らぬお節介らしい、古墳の向きは生まれた暦で決めると聞いています。
    その、真向かいにあるのが古室山古墳です。ここは外敵から無防備で、民地でしょうがドラム缶が野積みされていました。
     仲姫命陵古墳。

  •  お馴染みの表示板です。

     お馴染みの表示板です。

  •  仲姫命陵から古室山古墳を見る。こう見ると何でもないですが、左側にその民地が入り込んでいるようです。

     仲姫命陵から古室山古墳を見る。こう見ると何でもないですが、左側にその民地が入り込んでいるようです。

  •  古室山古墳説明と標柱。

     古室山古墳説明と標柱。

  •  今ならバイクでも進入可能です。

     今ならバイクでも進入可能です。

  •  ここから、中津姫命陵の南側を助太山・中山塚・八島塚と三つの古墳が並びます。民家・民地と入り組んでいて判別付けがたいですが、何とか並べました。この古墳の隙間から修羅が見つかって大騒動になりました。復元模型が近くの道明寺天満宮に展示されています。<br /> 助太山古墳説明板。<br /><br /><br />

     ここから、中津姫命陵の南側を助太山・中山塚・八島塚と三つの古墳が並びます。民家・民地と入り組んでいて判別付けがたいですが、何とか並べました。この古墳の隙間から修羅が見つかって大騒動になりました。復元模型が近くの道明寺天満宮に展示されています。
     助太山古墳説明板。


  •  古墳の石材を運んだと云われている修羅の実物大展示模型です。少し東にある、道明寺天満宮にて展示保存されています。

     古墳の石材を運んだと云われている修羅の実物大展示模型です。少し東にある、道明寺天満宮にて展示保存されています。

  •  中山塚古墳、不法侵入に近い撮影でした。

     中山塚古墳、不法侵入に近い撮影でした。

  •  西名阪高速の脇にあるのが、大鳥塚古墳で南へ進むと応神天皇陵古墳に出ます。高速の橋架下にも古墳の痕跡があり、以前表示がありましたが今はありません。<br /> 大鳥塚古墳説明板。

     西名阪高速の脇にあるのが、大鳥塚古墳で南へ進むと応神天皇陵古墳に出ます。高速の橋架下にも古墳の痕跡があり、以前表示がありましたが今はありません。
     大鳥塚古墳説明板。

  •  大鳥塚古墳。

     大鳥塚古墳。

  •  高速道路高架下の赤面山古墳跡。現況保存のためか、高速道路の板床の長さも古墳の大きさに合わせているため、登り車線と下車線で長さや厚みが違います。(非登録)

     高速道路高架下の赤面山古墳跡。現況保存のためか、高速道路の板床の長さも古墳の大きさに合わせているため、登り車線と下車線で長さや厚みが違います。(非登録)

  •  応神陵内には宮内庁の職員が常駐していて、近在の御陵印を押せます。なんだか旅行会社の添乗員の詰め所のような機能です。御陵は鳥居といい雰囲気といい別格を思わせる作りですね。こうなると、昔のように山だと行って侵入して蕨採りなどしては逮捕されるかも知れませんな。<br /> 御陵の表示板と先には事務所があります。

     応神陵内には宮内庁の職員が常駐していて、近在の御陵印を押せます。なんだか旅行会社の添乗員の詰め所のような機能です。御陵は鳥居といい雰囲気といい別格を思わせる作りですね。こうなると、昔のように山だと行って侵入して蕨採りなどしては逮捕されるかも知れませんな。
     御陵の表示板と先には事務所があります。

  •  応神天皇(15代)陵拝所。神功皇后が韓国遠征の帰路生んだとされる、応神天皇から河内王朝が始まったとも言われています。

     応神天皇(15代)陵拝所。神功皇后が韓国遠征の帰路生んだとされる、応神天皇から河内王朝が始まったとも言われています。

  •  誉田丸山古墳と二ツ塚古墳は応神天皇陵のフェンス内らしく特定出来ません。推測で写真を貼り付けます。間違いが判明したら入れ替えましょう。<br /> 誉田丸山古墳。

     誉田丸山古墳と二ツ塚古墳は応神天皇陵のフェンス内らしく特定出来ません。推測で写真を貼り付けます。間違いが判明したら入れ替えましょう。
     誉田丸山古墳。

  •  二ッ塚古墳。

     二ッ塚古墳。

  •  半世紀前、愚僧がガキの頃カブト虫を捕った茶山と云っていた古墳は東馬塚古墳と栗塚古墳と呼ぶらしく、宮内庁の呼称とも違いますね。この辺り、統一的な呼び名を決めないと世界遺産・観光目標としては不適切かも知れません。茶山はテニスコート名で残っています。<br /> 東馬塚古墳。<br /> 

     半世紀前、愚僧がガキの頃カブト虫を捕った茶山と云っていた古墳は東馬塚古墳と栗塚古墳と呼ぶらしく、宮内庁の呼称とも違いますね。この辺り、統一的な呼び名を決めないと世界遺産・観光目標としては不適切かも知れません。茶山はテニスコート名で残っています。
     東馬塚古墳。
     

  •  栗塚古墳。前期の二ツ塚古墳なども含めて東高野街道沿いに並んでいるので、工夫次第では集客できるのでは、客集めが大切とは考えませんが。

     栗塚古墳。前期の二ツ塚古墳なども含めて東高野街道沿いに並んでいるので、工夫次第では集客できるのでは、客集めが大切とは考えませんが。

  •  茶山テニスコート。このスペースを利用して関連施設を作ることが出来ますね。行政の智恵の出しどころでしょう。(非登録)

     茶山テニスコート。このスペースを利用して関連施設を作ることが出来ますね。行政の智恵の出しどころでしょう。(非登録)

  •  応神天皇陵古墳と縁が切れない誉田八幡宮にも拝礼して。南の縁を西に進むと東山古墳があるはずなのですが、特定出来ません。この他、はざみ山古墳、野中古墳、西馬塚古墳が今回欠落しています。羽曳野市役所の裏に出ると墓山古墳です。<br /> 誉田八幡宮です。(非登録)

     応神天皇陵古墳と縁が切れない誉田八幡宮にも拝礼して。南の縁を西に進むと東山古墳があるはずなのですが、特定出来ません。この他、はざみ山古墳、野中古墳、西馬塚古墳が今回欠落しています。羽曳野市役所の裏に出ると墓山古墳です。
     誉田八幡宮です。(非登録)

  •  東山古墳はこの付近となっているのですが、私には判別不可能でした。(後日判明)

     東山古墳はこの付近となっているのですが、私には判別不可能でした。(後日判明)

  •  羽曳野市役所の裏へ回る前にちょっと息抜き。市役所正面には、古墳と付きものの埴輪を作った工房跡らしい。現代の工房も付近にあり、初心者にも教えているらいいです。<br /> 同説明板。(非登録)

     羽曳野市役所の裏へ回る前にちょっと息抜き。市役所正面には、古墳と付きものの埴輪を作った工房跡らしい。現代の工房も付近にあり、初心者にも教えているらいいです。
     同説明板。(非登録)

  •  復元模型。

     復元模型。

  •  墓山古墳の回りには、向墓山古墳と浄元寺山古墳が密集しています。帰宅して写真の整理をしていると混乱してきましたが、タイムスタンプで並べて確認しています。<br /> 墓山古墳説明板。

     墓山古墳の回りには、向墓山古墳と浄元寺山古墳が密集しています。帰宅して写真の整理をしていると混乱してきましたが、タイムスタンプで並べて確認しています。
     墓山古墳説明板。

  •  浄元寺山古墳、

     浄元寺山古墳、

  •  同説明板。

     同説明板。

  •  そして青山古墳です。

     そして青山古墳です。

  •  同説明板。

     同説明板。

  •  峯ケ塚古墳の前の道は大阪外環状です。この辺りから見る二上山も見ようでは古墳ですね。大津の皇子が眠っていると云われていますが、さもありなんと云う雰囲気です。<br /> 峰ケ塚古墳。

     峯ケ塚古墳の前の道は大阪外環状です。この辺りから見る二上山も見ようでは古墳ですね。大津の皇子が眠っていると云われていますが、さもありなんと云う雰囲気です。
     峰ケ塚古墳。

  •  同説明板。

     同説明板。

  •  峰ケ塚古墳前の陸橋より二上山を望む。

     峰ケ塚古墳前の陸橋より二上山を望む。

  •  陸橋下には竹之内街道の説明板。

     陸橋下には竹之内街道の説明板。

  •  ここから東へ一直線に白鳥陵古墳です。御所にもお墓があった日本武尊の最終着陸地点でしょうか。<br /> 表示板です。

     ここから東へ一直線に白鳥陵古墳です。御所にもお墓があった日本武尊の最終着陸地点でしょうか。
     表示板です。

  •  白鳥陵古墳拝所、この真横には民家があります。斯様なパターンが多いですね。景行天皇(12代)の三男ヤマトタケル(日本武尊)命で、古事記によると父に疎まれていたのか何度も遠征の旅に出され、東征のすえ伊勢で病に倒れ鈴鹿山地で死した。亡骸は葬られたが、陵から白鳥が飛び立って最後はこの地に舞い降りたという。三重県と奈良県御所市にもヤマトタケルの陵といわれるものがあります。

     白鳥陵古墳拝所、この真横には民家があります。斯様なパターンが多いですね。景行天皇(12代)の三男ヤマトタケル(日本武尊)命で、古事記によると父に疎まれていたのか何度も遠征の旅に出され、東征のすえ伊勢で病に倒れ鈴鹿山地で死した。亡骸は葬られたが、陵から白鳥が飛び立って最後はこの地に舞い降りたという。三重県と奈良県御所市にもヤマトタケルの陵といわれるものがあります。

  •  ここでちょっと、足を伸ばして安閑天皇陵古墳へも行きましょう。近鉄南大阪線で区切られています。外環状が無い時代は、必ずこの辺りを通過して南河内へ向かっていました頃のランドマークです。<br /> 白鳥陵脇を東へ進みます。

     ここでちょっと、足を伸ばして安閑天皇陵古墳へも行きましょう。近鉄南大阪線で区切られています。外環状が無い時代は、必ずこの辺りを通過して南河内へ向かっていました頃のランドマークです。
     白鳥陵脇を東へ進みます。

  •  安閑天皇陵(27代)古墳。(非登録)

     安閑天皇陵(27代)古墳。(非登録)

  •  もう少し親切心があればね。積極的には広報したくないと、この看板がいっているようです。

     もう少し親切心があればね。積極的には広報したくないと、この看板がいっているようです。

  •  ぼやきは嫌われます。もう一枚息抜き、懐かしいISUZUベレット1600GTを見ました。これも、ぼちぼち遺産でしょうが完動状態ですばらしい。(非登録)

     ぼやきは嫌われます。もう一枚息抜き、懐かしいISUZUベレット1600GTを見ました。これも、ぼちぼち遺産でしょうが完動状態ですばらしい。(非登録)

  •  さあ、再び西へ向かって本日の仕上げ、仲哀天皇(14代)陵古墳を目差します。辺りはほぼフラットな地形になるため直感勝負ですね。何度か外れたその直感通りに来られました。広々として今回の中では、一番雄大な感じがする御陵です。<br /> 仲哀天皇陵古墳。<br />

     さあ、再び西へ向かって本日の仕上げ、仲哀天皇(14代)陵古墳を目差します。辺りはほぼフラットな地形になるため直感勝負ですね。何度か外れたその直感通りに来られました。広々として今回の中では、一番雄大な感じがする御陵です。
     仲哀天皇陵古墳。

  •  ここも一応表示板を。日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2王子。仲哀天皇はあまり有名でなく、その后が三韓征伐等でで有名な神功皇后で応神天皇を生んだとされています。

     ここも一応表示板を。日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2王子。仲哀天皇はあまり有名でなく、その后が三韓征伐等でで有名な神功皇后で応神天皇を生んだとされています。

  •  仲哀天皇(14代)陵拝所。

     仲哀天皇(14代)陵拝所。

  •  この古墳の直ぐ北にあるのが小さな前方後円墳の鉢塚古墳。民家の入口が陵墓内にあったり、脇には幼稚園があり墳墓を前に入口(?)探しが大変です。この程度の管理で良いのなら、修復したら児童達への学習効果もあって観光目的より良い利用方法では無いでしょうか。<br /> 同説明板。<br />

     この古墳の直ぐ北にあるのが小さな前方後円墳の鉢塚古墳。民家の入口が陵墓内にあったり、脇には幼稚園があり墳墓を前に入口(?)探しが大変です。この程度の管理で良いのなら、修復したら児童達への学習効果もあって観光目的より良い利用方法では無いでしょうか。
     同説明板。

  •  古墳サイドから手前前方部と後円部との曲線部が残っています。

     古墳サイドから手前前方部と後円部との曲線部が残っています。

  •  頂部前方部から後円部を見る。

     頂部前方部から後円部を見る。

  •  頂部から仲哀天皇陵古墳を望む。

     頂部から仲哀天皇陵古墳を望む。

  •  これで、世界遺産の古市古墳群巡りのフィニッシュです。辛国神社や葛井寺で休憩しつつ車を置いた允恭天皇陵古墳へ戻ります。最後に済ませようとして残していた「所用」に随分手こずって、ほぼフラフラになって帰宅でした。古墳などは大凡記憶通りでありましたが、細部では大いなる感違いもあり収穫の多かった銀輪行でありました。<br /> 辛国神社。(非登録)

     これで、世界遺産の古市古墳群巡りのフィニッシュです。辛国神社や葛井寺で休憩しつつ車を置いた允恭天皇陵古墳へ戻ります。最後に済ませようとして残していた「所用」に随分手こずって、ほぼフラフラになって帰宅でした。古墳などは大凡記憶通りでありましたが、細部では大いなる感違いもあり収穫の多かった銀輪行でありました。
     辛国神社。(非登録)

  •  葛井寺。西国五番札所。(非登録)

     葛井寺。西国五番札所。(非登録)

  •  新たな収穫とか道端で拾ったネタなどは、また後ほど順にご紹介させていただきます。<br /> さて、何でしょうか。(勿論非登録)

     新たな収穫とか道端で拾ったネタなどは、また後ほど順にご紹介させていただきます。
     さて、何でしょうか。(勿論非登録)

  •  お読みいただいての旅の参考になればと地図を添えました。<br /> 当初にも記しましたが、今回中心とした古市古墳群と百舌鳥古墳群が同時に世界遺産に登録されます。しかし、これら古墳群と奈良へ入った場所にある法隆寺等の世界遺産及び特別措置法で保存が進められている明日香村は、一体として日本の歴史上で位置付けられるべきものでしょう。<br /> 堺から出発、その逆でも結構ですが奈良街道、長尾道または竹ノ内街道を巡っていただきたい。きっと、今までにない思いがわき上がってくることでしょう。

     お読みいただいての旅の参考になればと地図を添えました。
     当初にも記しましたが、今回中心とした古市古墳群と百舌鳥古墳群が同時に世界遺産に登録されます。しかし、これら古墳群と奈良へ入った場所にある法隆寺等の世界遺産及び特別措置法で保存が進められている明日香村は、一体として日本の歴史上で位置付けられるべきものでしょう。
     堺から出発、その逆でも結構ですが奈良街道、長尾道または竹ノ内街道を巡っていただきたい。きっと、今までにない思いがわき上がってくることでしょう。

  •  赤○印が今回訪れた場所です。

     赤○印が今回訪れた場所です。

  •  ここからは後日追加で訪問したものです。これで、古市古墳群の登録予定古墳の全てです。<br /> 西馬塚古墳は応神陵の陪塚。羽曳野市役所の直ぐ南の市街地の中。

     ここからは後日追加で訪問したものです。これで、古市古墳群の登録予定古墳の全てです。
     西馬塚古墳は応神陵の陪塚。羽曳野市役所の直ぐ南の市街地の中。

  •  西馬塚古墳説明板。

     西馬塚古墳説明板。

  •  はざみ山古墳です。前方後円墳で保存状態は良い方です。

     はざみ山古墳です。前方後円墳で保存状態は良い方です。

  •  一番探したのが東山古墳。病院とレストランの駐車場の横の空地でした。応神陵の陪塚で方墳です。

     一番探したのが東山古墳。病院とレストランの駐車場の横の空地でした。応神陵の陪塚で方墳です。

  •  この野中古墳も難解でした。古墳が密集していて別な古墳とは思っていなかったのが間違いの元だったようです。

     この野中古墳も難解でした。古墳が密集していて別な古墳とは思っていなかったのが間違いの元だったようです。

  •  野中古墳。

     野中古墳。

  •   八島塚古墳。助太・中山と三つ並んでいる方墳です。<br /> 以上で26基全てを紹介しました。なお、一部登録から除かれている古墳等も掲載していますが、文脈からお分かり頂けると思います。

    八島塚古墳。助太・中山と三つ並んでいる方墳です。
     以上で26基全てを紹介しました。なお、一部登録から除かれている古墳等も掲載していますが、文脈からお分かり頂けると思います。

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快適な銀輪行 その2

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