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 新型コロナ禍で海外旅行再開の目途が立たない。仮にワクチン接種しても安心して海外に出れるのは何時になるだろう。いよいよ年齢との競争…、なんて、つい弱気になるこの頃。<br /> 自由に海外旅行が出来た頃を思い出しながら、2013年10月にツアーで行った北東ドイツの旅を旅行記にまとめた。<br /><br />8日目 2013年11月4日(月)雨<br />・主に旧東ベルリン地区を観光した。車窓から見た街は広い道路と社会主義政権時代に建てられた無機質な四角い建物が目立ち、森鴎外が見た「伯林」の雰囲気はあまり感じられない。<br />・「1987年、西ベルリン側の壁の前で歴史的なライブコンサートが行われ、デビッド・ボウイが壁で恋人が再会する「ヒーロー」を熱唱した。この時スピーカーの1/4は聴衆でなく、壁の向こう側に向けられていて、壁の東側には歌声を聞いた若者たちが続々と集まってきた。その中で突如一人の若者が叫んだ。「ここから俺を出してくれー!」、叫び声は次々に起こった。恐怖が支配する社会でこれは前代未聞の出来事だった。多くの若者が逮捕されたが、これが契機になり民主化の動きが急激に高まり、2年後に壁は崩壊した。」<br /> 今、NHK・BSプレミアム「映像の世紀」の録画を見ながら、ベルリンの壁のことを思い返している。<br /><br />****************************************************************<br />【旅程】  <br />  1.出国~「七つの湖の街」シュベリーン<br />    https://4travel.jp/travelogue/11625831<br />  2.「ハンザの女王」リューベック<br />    https://4travel.jp/travelogue/11627654<br />  3.「ドイツ最大の港町」ハンブルク<br />    https://4travel.jp/travelogue/11638424<br />  4.「メルヘン街道の終着点」ブレーメン<br />    https://4travel.jp/travelogue/11638545<br />  5.「北ドイツの真珠」ツェレ<br />    https://4travel.jp/travelogue/11638778<br />  6.「ネズミ捕り男の伝説」ハーメルン<br />    https://4travel.jp/travelogue/11638878<br />  7.「鉱山で栄えた世界遺産の街」ゴスラー<br />    https://4travel.jp/travelogue/11639067<br />  8.「バッハとヴァルトブルク城の街」アイゼナッハ<br />    https://4travel.jp/travelogue/11639135<br />  9.「ドイツ古典主義の都」ワイマール<br />    https://4travel.jp/travelogue/11639223<br /> 10.「音楽と学問の都」ライプツィヒ<br />    https://4travel.jp/travelogue/11639331<br /> 11.「エルベ川のフィレンツェ」ドレスデン<br />    https://4travel.jp/travelogue/11639459<br /> 12.「マイセン焼きの故郷」マイセン<br />    https://4travel.jp/travelogue/11639733<br />★13.「激動のドイツ史を象徴する首都」ベルリン<br />    https://4travel.jp/travelogue/11639771<br /> 14.「フリードリッヒ大王の古都」ポツダム<br />    https://4travel.jp/travelogue/11639940 <br /> 15.ベルリンから帰国<br />    https://4travel.jp/travelogue/11640009

晩秋の北東ドイツを巡る旅 13.「激動のドイツ史を象徴する首都」ベルリン

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2013/11/04 - 2013/11/04

58位(同エリア2515件中)

旅行記グループ 晩秋の北東ドイツを巡る旅

2

56

万歩計

万歩計さん

この旅行記のスケジュール

2013/11/04

この旅行記スケジュールを元に

 新型コロナ禍で海外旅行再開の目途が立たない。仮にワクチン接種しても安心して海外に出れるのは何時になるだろう。いよいよ年齢との競争…、なんて、つい弱気になるこの頃。
 自由に海外旅行が出来た頃を思い出しながら、2013年10月にツアーで行った北東ドイツの旅を旅行記にまとめた。

8日目 2013年11月4日(月)雨
・主に旧東ベルリン地区を観光した。車窓から見た街は広い道路と社会主義政権時代に建てられた無機質な四角い建物が目立ち、森鴎外が見た「伯林」の雰囲気はあまり感じられない。
・「1987年、西ベルリン側の壁の前で歴史的なライブコンサートが行われ、デビッド・ボウイが壁で恋人が再会する「ヒーロー」を熱唱した。この時スピーカーの1/4は聴衆でなく、壁の向こう側に向けられていて、壁の東側には歌声を聞いた若者たちが続々と集まってきた。その中で突如一人の若者が叫んだ。「ここから俺を出してくれー!」、叫び声は次々に起こった。恐怖が支配する社会でこれは前代未聞の出来事だった。多くの若者が逮捕されたが、これが契機になり民主化の動きが急激に高まり、2年後に壁は崩壊した。」
 今、NHK・BSプレミアム「映像の世紀」の録画を見ながら、ベルリンの壁のことを思い返している。

****************************************************************
【旅程】  
  1.出国~「七つの湖の街」シュベリーン
    https://4travel.jp/travelogue/11625831
  2.「ハンザの女王」リューベック
    https://4travel.jp/travelogue/11627654
  3.「ドイツ最大の港町」ハンブルク
    https://4travel.jp/travelogue/11638424
  4.「メルヘン街道の終着点」ブレーメン
    https://4travel.jp/travelogue/11638545
  5.「北ドイツの真珠」ツェレ
    https://4travel.jp/travelogue/11638778
  6.「ネズミ捕り男の伝説」ハーメルン
    https://4travel.jp/travelogue/11638878
  7.「鉱山で栄えた世界遺産の街」ゴスラー
    https://4travel.jp/travelogue/11639067
  8.「バッハとヴァルトブルク城の街」アイゼナッハ
    https://4travel.jp/travelogue/11639135
  9.「ドイツ古典主義の都」ワイマール
    https://4travel.jp/travelogue/11639223
 10.「音楽と学問の都」ライプツィヒ
    https://4travel.jp/travelogue/11639331
 11.「エルベ川のフィレンツェ」ドレスデン
    https://4travel.jp/travelogue/11639459
 12.「マイセン焼きの故郷」マイセン
    https://4travel.jp/travelogue/11639733
★13.「激動のドイツ史を象徴する首都」ベルリン
    https://4travel.jp/travelogue/11639771
 14.「フリードリッヒ大王の古都」ポツダム
    https://4travel.jp/travelogue/11639940 
 15.ベルリンから帰国
    https://4travel.jp/travelogue/11640009

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
JTB
  •  最終地ベルリンでは四つ星ホテルLEONARDO ROYALに2泊。

     最終地ベルリンでは四つ星ホテルLEONARDO ROYALに2泊。

    レオナード ローヤル ホテル ベルリン アレクサンダープラッツ ホテル

  •  広い通りの向こうは公園

     広い通りの向こうは公園

  •  広い道路がを長い黄色のトラムが頻繁に行き来する、旧東ベルリンの中心部です。

     広い道路がを長い黄色のトラムが頻繁に行き来する、旧東ベルリンの中心部です。

  •  ホテルの裏にレンガ造りの教会。

     ホテルの裏にレンガ造りの教会。

  •  8日目(11/4) 8:10バスに乗って観光スタート。旧東ベルリンのシンボル、テレビ塔が見えます。

     8日目(11/4) 8:10バスに乗って観光スタート。旧東ベルリンのシンボル、テレビ塔が見えます。

    テレビ塔 建造物

  •  鉛色の空から冷たい雨。今日の天気は冬近しを思わせる。

     鉛色の空から冷たい雨。今日の天気は冬近しを思わせる。

  •  道の両側にはこのような画一的な建物が続きます。

     道の両側にはこのような画一的な建物が続きます。

  •  道路は広いが歴史的な重みが感じられない。長い社会主義政権が続いたためか。

     道路は広いが歴史的な重みが感じられない。長い社会主義政権が続いたためか。

  •  いかにも「人民のアパート」といった建物。

     いかにも「人民のアパート」といった建物。

  •  町の中央を流れるシュプレー川。その手前にベルリンの壁が見えてきました。

     町の中央を流れるシュプレー川。その手前にベルリンの壁が見えてきました。

  •  ベルリンの壁の前でバスを下車。<br /> 1961年、東ドイツが突然この壁を建設。以来東西分断の象徴として数々の悲劇が生まれています。急ごしらえ建設されたため高さは有るけど、厚さは精々20cm。

     ベルリンの壁の前でバスを下車。
     1961年、東ドイツが突然この壁を建設。以来東西分断の象徴として数々の悲劇が生まれています。急ごしらえ建設されたため高さは有るけど、厚さは精々20cm。

    壁博物館 (ハウス アム チェックピント チャーリー) 博物館・美術館・ギャラリー

  •  1989年、遂に民主化が実現し壁は崩壊、当時その様子をTVで見ていました。ここイーストギャラリーは壁が歴史の記念碑として残され、ドイツ内外の画家の絵が描かれています。

     1989年、遂に民主化が実現し壁は崩壊、当時その様子をTVで見ていました。ここイーストギャラリーは壁が歴史の記念碑として残され、ドイツ内外の画家の絵が描かれています。

  •  横断歩道にアンペルマンの信号機。東ドイツの交通心理学者カール・ペグラウのデザインで1969年に初めて東ベルリンの都心に登場し、次第に東ドイツ各地に広まりました。

     横断歩道にアンペルマンの信号機。東ドイツの交通心理学者カール・ペグラウのデザインで1969年に初めて東ベルリンの都心に登場し、次第に東ドイツ各地に広まりました。

  •  東西ドイツ統一に伴い、当初は西ドイツの信号機に置き換えられる予定でした。しかし、かわいらしいデザインを愛する市民の運動で撤去を免れたそうです。今では旧西ドイツの街にも見られるようになりました。

     東西ドイツ統一に伴い、当初は西ドイツの信号機に置き換えられる予定でした。しかし、かわいらしいデザインを愛する市民の運動で撤去を免れたそうです。今では旧西ドイツの街にも見られるようになりました。

  •  バスでウンター・デン・リンデン通りをブランデンブルク門に向かいます。

     バスでウンター・デン・リンデン通りをブランデンブルク門に向かいます。

    ウンター デン リンデン 散歩・街歩き

  •  鴎外の作品にもしばしば出てくるウンター・デン・リンデン通り。名前のとおり、道の中央に菩提樹の並木が続いています。

     鴎外の作品にもしばしば出てくるウンター・デン・リンデン通り。名前のとおり、道の中央に菩提樹の並木が続いています。

  •  途中に鴎外が学んだフンボルト大学。ノーベル賞受賞者を29人も輩出した名門大学で、アインシュタインも10年以上ここで教鞭を取っていました。

     途中に鴎外が学んだフンボルト大学。ノーベル賞受賞者を29人も輩出した名門大学で、アインシュタインも10年以上ここで教鞭を取っていました。

    フンボルト大学 建造物

  •  フリードリヒ大王の騎馬像。18世紀を代表する啓蒙専制君主で、戦争によって領土を拡大しプロイセンを欧州の列強にのし上げた人物です。

     フリードリヒ大王の騎馬像。18世紀を代表する啓蒙専制君主で、戦争によって領土を拡大しプロイセンを欧州の列強にのし上げた人物です。

  •  ブランデンブルク門で下車。左の建物はアメリカ大使館。

     ブランデンブルク門で下車。左の建物はアメリカ大使館。

    ブランデンブルク門 建造物

  •  1788~91年にかけてプロイセン王国の凱旋門としてブランデンブルク門が建てられました。

     1788~91年にかけてプロイセン王国の凱旋門としてブランデンブルク門が建てられました。

  •  四頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像が、門の上に乗せられています。1804年にプロイセンを破ったナポレオンによって戦利品として一時パリに持ち去られましたが、1814年のナポレオン戦争で取り戻されました。

     四頭立ての馬車(クアドリガ)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像が、門の上に乗せられています。1804年にプロイセンを破ったナポレオンによって戦利品として一時パリに持ち去られましたが、1814年のナポレオン戦争で取り戻されました。

  •  第二次世界大戦後、東西ベルリン分断時に境界線が門のすぐ西側に引かれ、門は東ベルリン側になりました。

     第二次世界大戦後、東西ベルリン分断時に境界線が門のすぐ西側に引かれ、門は東ベルリン側になりました。

  •  門をくぐったこの場所は西ベルリン。<br /> 1987年この近くの旧国会議事堂前でデビッド・ボウイの歴史的なライブコンサートが行われました。これが契機になり民主化の動きが急激に高まり、2年後に壁は崩壊ました。

     門をくぐったこの場所は西ベルリン。
     1987年この近くの旧国会議事堂前でデビッド・ボウイの歴史的なライブコンサートが行われました。これが契機になり民主化の動きが急激に高まり、2年後に壁は崩壊ました。

  •  旧西ベルリンを車窓観光。

     旧西ベルリンを車窓観光。

  •  ブランデンブルク門の西側一帯は、王家の狩猟場だったティーアガルテンです。

     ブランデンブルク門の西側一帯は、王家の狩猟場だったティーアガルテンです。

    ティーアガルテン 広場・公園

  •  フェンスに沿って十字架群。何かの慰霊碑か。

     フェンスに沿って十字架群。何かの慰霊碑か。

  •  旧東ベルリンに戻り、シュプレー川の中州にある博物館の島へ。5つの博物館が集まり世界遺産になっています。

     旧東ベルリンに戻り、シュプレー川の中州にある博物館の島へ。5つの博物館が集まり世界遺産になっています。

    博物館島 博物館・美術館・ギャラリー

  •  その中の中核、ペルガモン博物館を見学。

     その中の中核、ペルガモン博物館を見学。

    ペルガモン博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  •  1階に上ると、鮮やかな青色が美しいイシュタル門。巨大なスケールで復元されています。

     1階に上ると、鮮やかな青色が美しいイシュタル門。巨大なスケールで復元されています。

    ペルガモン博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  •  イシュタル門は紀元前6世紀に新バビロニア王国のネブカドネザル2世により建設され、首都バビロンの入口に存在していた門です。

     イシュタル門は紀元前6世紀に新バビロニア王国のネブカドネザル2世により建設され、首都バビロンの入口に存在していた門です。

  •  イシュタル門の両側にあるのは、王の間の外壁ファサード。

     イシュタル門の両側にあるのは、王の間の外壁ファサード。

  •  ファサードの下部には、イシュタルの霊獣であるライオンの浮き彫り

     ファサードの下部には、イシュタルの霊獣であるライオンの浮き彫り

  •  イシュタル門から続く「行列通り」。当時イシュタル門へ到達する前に歩いていたのがこちらの行列通りで、通りの両壁に、ファサードと同じ浮き彫りのライオンが描かれています。

     イシュタル門から続く「行列通り」。当時イシュタル門へ到達する前に歩いていたのがこちらの行列通りで、通りの両壁に、ファサードと同じ浮き彫りのライオンが描かれています。

  •  行列通りを進むと巨大な「ミレトスの市場門」

     行列通りを進むと巨大な「ミレトスの市場門」

  •  ミレトスは現在のトルコのイズミルの南あたりにあったギリシア人の植民都市です。ミレトスの市場門は129年に造られた大理石製の門で、高さ17m、幅29m、重さは1600トンあったそうです。

     ミレトスは現在のトルコのイズミルの南あたりにあったギリシア人の植民都市です。ミレトスの市場門は129年に造られた大理石製の門で、高さ17m、幅29m、重さは1600トンあったそうです。

  •  ギリシャ様式の円柱とローマ皇帝時代のアーチが特徴的。これだけ豪華な門が、宮殿や神殿の入口ではなく市場に設置されていたというから驚きです。

     ギリシャ様式の円柱とローマ皇帝時代のアーチが特徴的。これだけ豪華な門が、宮殿や神殿の入口ではなく市場に設置されていたというから驚きです。

  •  ミレトスの市場門から次の部屋に進むと、

     ミレトスの市場門から次の部屋に進むと、

  •  この博物館の名前になった「ペルガモンのゼウス大祭壇」。紀元前2世紀に建設されたもので、古代ギリシアのペルガモンで発掘されました。

     この博物館の名前になった「ペルガモンのゼウス大祭壇」。紀元前2世紀に建設されたもので、古代ギリシアのペルガモンで発掘されました。

  •  続いてギリシャ、ローマの展示場

     続いてギリシャ、ローマの展示場

  •  ギリシャ、ローマ

     ギリシャ、ローマ

  •  ギリシャ、ローマ

     ギリシャ、ローマ

  •  一度イシュタル門に戻り、バビロニアから小アジアの展示場へ。

     一度イシュタル門に戻り、バビロニアから小アジアの展示場へ。

  •  入口の両側にある大きなライオン像は、紀元前10~8世紀のサムアルの城門にあったもの。

     入口の両側にある大きなライオン像は、紀元前10~8世紀のサムアルの城門にあったもの。

  •  バビロニアの出土品

     バビロニアの出土品

  •  レリーフ

     レリーフ

  •  石にくさび形文字が刻まれています。

     石にくさび形文字が刻まれています。

  •  アッシリアのレリーフ

     アッシリアのレリーフ

  •  鷲頭の人間や、翼を持った人間が描かれています。

     鷲頭の人間や、翼を持った人間が描かれています。

  •  アッシリアの王アッシュールナツィルパルの宮殿を見張っていた「門番ラマッス像」。大きな翼が生えたライオンの胴体と人間の頭を持ち、神の角の王冠を被った何とも不可解な姿。

     アッシリアの王アッシュールナツィルパルの宮殿を見張っていた「門番ラマッス像」。大きな翼が生えたライオンの胴体と人間の頭を持ち、神の角の王冠を被った何とも不可解な姿。

  •  楔形文字の碑文

     楔形文字の碑文

  •  盾持ちと音楽隊の宮殿レリーフ。この博物館はメソポタミアや小アジアの展示が充実しています。

     盾持ちと音楽隊の宮殿レリーフ。この博物館はメソポタミアや小アジアの展示が充実しています。

  •  2階はイスラム芸術の展示室。これはアレッポの部屋。<br /> 裕福なシリア商人宅の応接間にあった化粧張りの壁で、1601年と比較的新しい時代に造られたもので、オスマン帝国の壁様式としては現存する最古のものです。

     2階はイスラム芸術の展示室。これはアレッポの部屋。
     裕福なシリア商人宅の応接間にあった化粧張りの壁で、1601年と比較的新しい時代に造られたもので、オスマン帝国の壁様式としては現存する最古のものです。

  •  他にもオスマントルコ時代の絨毯など、イスラム関連の展示が多くありました。1階とはまた違った雰囲気です。

     他にもオスマントルコ時代の絨毯など、イスラム関連の展示が多くありました。1階とはまた違った雰囲気です。

  •  ムシャッタ神殿。約1300年前の初代イスラム王朝のウマイヤ朝時代に造られた砂漠の宮殿です。神殿のファサードには唐草のレリーフが彫られています。

     ムシャッタ神殿。約1300年前の初代イスラム王朝のウマイヤ朝時代に造られた砂漠の宮殿です。神殿のファサードには唐草のレリーフが彫られています。

  •  約1時間の見学を終え博物館を出ました。

     約1時間の見学を終え博物館を出ました。

  •  ベルリン大聖堂は車窓観光。この後レストランで昼食をしてフリータイム。万歩計はオプショナルツアーでポツダム観光に行きました。

     ベルリン大聖堂は車窓観光。この後レストランで昼食をしてフリータイム。万歩計はオプショナルツアーでポツダム観光に行きました。

    ベルリン大聖堂 寺院・教会

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晩秋の北東ドイツを巡る旅

この旅行記へのコメント (2)

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  • pedaruさん 2021/07/07 06:17:19
    自由のために壁を壊す
    万歩計さん おはようございます。

    冒頭のライブコンサートの話には感動しました。まさに歴史のライブ中継のようです。

    写真に写った壁は20cm、これならノミがあれば私でも壊せます。しかし、冷戦時代には何メートルもある頑丈な壁に思えたのでしょうね。

    ペルガモン博物館、衝撃を受けるほどの素晴らしさです。しかし、発見者がドイツ人だからといって、ドイツに持ち帰るという事は、いまなら許されることではありませんね。
    トルコに行ったとき、ベルガモの遺跡の中に立ち、持ち去られた建造物を想像しただけで、複雑な思いを抱きました。やはりここにあるべきだ、この丘、この景色、この空気の中に。こう思いましたよ。

    pedaru

    万歩計

    万歩計さん からの返信 2021/07/07 21:52:34
    Re: 自由のために壁を壊す
     pedaruさん、こんばんは。コメントありがとうございました。

     東欧の民主化運動の過程ではいくつか感動的な場面を思い出します。ベルリンの壁コンサートの他にはバルト三国の「歌う革命」。リトアニアからエストニアまでの600kmを200万人の人が手を繋ぎ、歌を歌ってソ連に抵抗しました。これらは断片的ですがリアルタイムで新聞やTVで見ていましたが、「映像の世紀」で見ると改めて自由を求める人達の勇気に敬服します。
     自由を当然の事として享受している今の日本人に、こんな勇気があるだろうか。
     
    万歩計

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