2019/06/05 - 2019/06/15
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「‥‥ずいぶん久し振りに,ある夏の日のこと,またカピヤに当局の白い布告がはり出された。今度は文章も短く,ひろい黒枠でかこまれて,皇后エリザベート陛下がジュネーヴでにくむべき暗殺の犠牲となって崩御され,犯人はイタリアの無政府主義者ルッケーニであると報じていた。さらに,オーストリア=ハンガリー大帝国の各民族の怒りと深い悲しみを表明し,臣民としての忠節をもって,より緊密に王座を守り,重い運命の打撃を受けられた皇帝陛下の良き慰めたれと彼らに要求していた。
この布告は,例のトルコ文の碑文を記した白い石板の下にはりつけてあった。かつてのフィリボヴィチ将軍の占領声明のときと同じである。人びとは興奮してそれを読んだ。皇后のこと,つまり,女性のことだからである。その他には真の理解も深い同情ももたなかった。」
「この報道からはげしい衝撃をうけた者が町にたった一人だけいた。ピエトロ・ソラ,町でただ一人のイタリア人がそれである。請負人,左官屋,彫刻師,画家,つまり,町の御用は一切うけたまわる芸術家なのだ。町じゅうからペロ親方と呼ばれていた彼は,占領の時からやって来てここに腰をおちつけ,スタナとかいう女と結婚した。」
「石ぼこりで真っ白になり,絵画のしみをつけたままで仕事からの帰りに橋の布告をよむと,ペロ親方は帽子をいっそう深くかぶり,いつもくわえている細いパイプをけいれん的に噛みしめた。深刻な顔をした町の有力者に会うたびに彼は,自分はイタリア人だがこのルッケーニとそのおそろしい犯罪には何の関係もないと説明した。人びとはそれに耳を傾け,なだめ,わかったわかった,あんたについてそんなことなんて考えてもいなかったさ,と答えてやった。しかしそれでも彼は誰に向かっても説明をつづけるのだった。」
「ペロ親方の心配,つまり,自分は人殺しとも無政府主義者とも無関係だというその過剰な説明のことを,人びとはにやにやして受けとりはじめた。しかし,町の子供たちはすぐにむごい遊びを発明した。どこかの垣根のかげにかくれていて,ペロ親方が通るとどなるのである。『ルッケーニ!』あわれな男はこれを聞くと目に見えない蜂を防ぐような身ぶりをした。目の所まで帽子をひきさげて家にとんで帰る。細君の大きな膝でこの苦しみを心ゆくまで泣くためである。
『はあじかしい,はあじかしいよ』と小男はすすり泣く。
『たれにも顔を向けられない』
『行きなさいな,おばかさん,どうしてお前さんがはずかしいの? イタリア人が皇后さまを殺したから? はずかしいのはイタリアの王さまだわ! お前さん,いったい誰なの,商売はなんなのさ。はずかしいなんて』」
「そのころカピヤには中年以上の人たちが腰をおろし,顔色を変えず目を伏せたまま,オーストリア皇后暗殺事件がくわしくのった新聞の朗読に耳をすましていた。この報道は,王族とか高官連の運命についてのおしゃべりに口火をつけたのに過ぎなかった。字はよめないが好奇心の強い町の回教徒の一群に,ヴィシェグラードのムデリス,フセイン・エフェンディが,無政府主義者とは何ものかと解説している。」
「彼の解釈によれば――とはいっても実は彼自身のものではない。かつての師,アラビアのホジャから遺贈された立派な古文書の中で見つけ出したのだ――今日,無政府主義者と呼ばれているものは以前から存在したし,また,世の終りまで存在をつづけるであろうという。ともかく,――唯一の神がそう望み給うたのだが――人生というものは,善一オンスに悪二オンスがつくように作られている。つまりこの世に憎悪のない親切,嫉妬のない偉大さなどはありえない。どんなに小さくても,影のないものはないのと同じ理窟だ。」
「『ごらんなさい。久しい以前から天国の住人となられた郷土の偉人メフメド・パシャだが』とムデリスは告示の上の石板を指さす。『三人のサルタンにお仕えし,ソロモンよりも賢く,いまわれわれがすわっているこの石の橋をご自分の力と信心によって築かれた。この方でさえこの刃に倒れたのですぞ。権力はあり知力もあったが,この瞬間をのがれることはできなかった。宰相を目の上のこぶとしていた連中は,やはり勢力のある徒党だったのだが,気ちがいの托鉢坊主に武器を渡してな,彼を殺すように説いたのです。それも,彼が祈りをささげにモスクにはいったさいに。着古した衣をまとい,手には珠数(じゅず)をもってな,坊主は宰相の一行の道をさえぎり,けしからんことには腰をかがめて布施を乞うた。宰相は何か与えようとしてかくしを探った時に,刺されたわけです。それで,メフメド・パシャは殉教者として死なれたのですな』
人びとはじっと聞いていた。たばこの煙を吐き出しながら,銘を書いた石板を,また,黒枠つきの白い布告を眺めた。ムデリスの解釈の全部はのみこめない者が多かったが,とにかく注意深く耳をすましていた。しかし,たばこの煙のかなた,碑銘や布告のずっとかなたに目をやるうちに,彼らは世界のどこかで別の生活が営まれているのを感じとった。大いなる上昇と致命的な転落の生活が。そこでは偉大さが悲劇と混じ,カピヤでの彼らののんきで一様な生活と平衡を保っているのである。」
「子供たちだけはまだしばらくペロ親方に『ルッケーニ!』と叫んでいた。これが何の意味だか,なぜ自分たちがこんなことをするのかも知らないで。ただ,弱くて傷つきやすいものをからかい,いじめてやろうという子供特有の要求からであった。だがそれも,そのうちにやめてしまった。他の遊びを見つけ出したからだ。メイダンのスタナにも若干の功績はある。いちばん仕様のない子供を二人,いやというほど鞭でぶちのめしたからである。」
イヴォ・アンドリッチ著/松谷健二訳「ドリナの橋」(恒文社1969)より
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
翌日は,サラエヴォの青空市場から旅が始まった。
-
バルカンの天地では,モロッコいんげんが白い。
ときどきトラ豆模様のものも見かける。 -
パプリカは青白いのがたくさん売られている。
ズッキーニも白い(これは日本でも小規模に栽培されているようだ)。 -
一方,こちらは赤色。
赤いトマトに赤いパプリカ。
赤い野菜は,見ているだけで活力が湧いてくる。 -
こちらも赤色。桜桃とイチゴが並んでいる。
桜桃は三種類あって,左からVišnja(キロ3BAM),Ašlama(同5BAM),Hrušt
(同4BAM)と表示されている。右端のイチゴはキロ5BAM。
(1BAM=約62円)
もっとも安いVišnjaはサワーチェリーで,コンポートや菓子の材料にするもののようだ。 -
ネクタリンと杏子(アプリコット)。
-
青空市場を出て街を歩く。
-
賑やかなエリアをうろついていると,
-
やたらと目についたのがザクロジュースのスタンド。
ザクロは好物なので「サラエヴォはザクロが有名なの?」とうれしくなってしまったが,ちょっと変だ。
さっきの青空市場では,ザクロなんかひとつも売っていなかった。 -
よく思い出すと,世界でザクロをふんだんに見かける国というのは,トルコ,イラン,インドとかあの辺りなのである。
この露店は値段を表示していたが,ザクロジュースはプラカップで3BAM,ボトル(台の上に並んでいる小さなボトルがそれ)で5BAMと,ジュースの値段としては結構高い。
(1BAM=約62円)
もしかしたら,トルコ人かイラン人あたりが,本国から輸入したザクロを使った生ジュースをサラエヴォで流行らせているのかも知れない。 -
ミリャツカ川Miljackaの流れ。
気温がぐんぐんと上がり,かなり暑くなってきた。喉が渇いてしょうがない。 -
何か冷たい飲み物を求めて,スーパーマーケットへ飛び込む。
すると,ペットボトル入りの乳清Sirutkaを売っているのを発見。 -
1リットルのものを買ったが,乳清なのでとても安い。0.85BAM。(1BAM=約62円)
甘味や香りがついていないのがありがたい。そのまま,冷えたものをがぶ飲みする。 -
このスーパーでは,今回の旅の「主要課題」のひとつであるアイヴァルAjvarにも出会うことができた。
このアイヴァルは,ヨーロッパの旧東側諸国に深く浸透している野菜スプレッドのひとつで,おもにパンに塗って食べる冬季用の保存食だ。国や地域によって名称や材料が変わるので,いまいち全容をつかみきれていない。
英豪のマーマイトやヴェジマイトと異なり,標準的な日本人が普通に受け入れられる味だと思う。材料は野菜だけで,(材料の配分を工夫すれば)日本の家庭でも安価に手作りすることができる。食パンにもよく合い,ファットスプレッドなどを塗るより健康的かもしれない。しかし今のところ,日本での知名度はいまいちな感じ。
今回の旅で情報を集められたらと期待している。
アイヴァルは,旧東側諸国の野菜スプレッドの中でも代表選手と言っていい。真っ赤に熟した生のパプリカを素焼きにしたものを材料にする。 -
5~6種類のブランドの,色々なサイズのアイヴァルの瓶詰が並んでいる。
「お母さんの味」「ホームメイド」などと謳っているところからすると,日本ならば味噌や梅干のような存在と言えるのかもしれない。
唐突だが,「アイヴァルAjvar」と「キャビアCaviar」は同源の言葉だと言われている。アイヴァルの語頭にCを補ってやると,何となく理解できる。
新大陸からパプリカが伝播するまで,バルカンのスラブ人はパンに魚卵(キャビア)を塗って食べていた。ところが,そんな贅沢は永く続かず,乱獲で魚不足になったあとは野菜で作ったスプレッドをパンに塗って食べた。だから「パンに塗るもの」という意味あいで同源の名前がつけられたというわけだ。
これは,ロシア圏でこの野菜スプレッドのことを「イクラикра(=魚卵)」と呼んでいることとも符合する。 -
サラエヴォの中心街を出ると,
-
すぐにスルプスカ共和国の領域になる。
境界に検問所などがあるわけではない。 -
道路標識などは,これまでのラテン文字に加えてキリル文字が並記されるようになる。
ローカルな標識だとキリル文字だけのものも見かける。 -
とはいえ,すべてがセルビア系に替わるのではなく,スルプスカ共和国領域でも相当のムスリム系集落を見かける。
「モザイク国家」を目の当たりにしているわけだ。 -
やがてヴィシェグラードVišegradが近づいてきた。
-
ドリナ川にかかるメフメト・パシャ・ソコロヴィッチ橋Most Mehmed-paše Sokolovića。
1577年完成の,当時のオスマン帝国の宰相の名を冠した壮大な石橋である。 -
第一次大戦時,敗走するオーストリア・ハンガリー帝国軍によってこの橋は爆破され,橋桁の中央部は崩壊した。
第二次大戦時,枢軸軍+ウスタシャ勢力と,連合軍の情報将校(鉄道橋破壊の任務を帯びていた)の支援を受けたチェトニクがこの地で交戦し,ふたたび戦禍を被った。
が,橋はそのたびに修復された。
ボスニア内戦時,この街の多数派だったムスリム系住民は,セルビア系勢力の「民族浄化」の対象となり,この橋は虐殺した死体を川に捨てる場所,あるいはこの橋の上で虐殺してそのまま川に放り込む「処刑場」と化した。 -
今のドリナ川の水面(みなも)には,小さな遊覧船がふわふわと浮かんでいる。
(つづく)
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