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【2017年5月14日 AFP】ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は13日、聖母マリアの出現地として年に100万人ものキリスト教信者が訪れるボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエについて、その信ぴょう性には深刻な疑念があると語った。<br /> 1981年6月、当時はユーゴスラビアだったボスニア南部のメジュゴリエで6人の子どもたちが聖母マリアが現れたと証言して以来、同地には毎日のように聖母マリアが現れるとされている。<br /> しかしフランシスコ法王は、訪問先のポルトガルからバチカンに戻る機内で、メジュゴリエでの聖母マリアの出現については、現在進行中のローマ・カトリック教会の調査によって疑念が生じていると述べ、「子どもたちが見た女性は聖母マリアではない」と述べた。さらに自身の個人的な見解として「明日、この時刻にここへ来ればメッセージを伝えるなどと、聖母マリアが言うわけがないのは明らかだ」と語った。<br /> フランシスコ法王は、100年前にポルトガルのファティマで聖母マリアの出現を目撃したとされる2人の列聖式で同国を訪れていた。<br /> フランシスコ法王は2013年にも、「聖母マリアは、毎日メッセージを届ける郵便局長ではない」と述べ、メジュゴリエの聖母マリア出現に疑問を呈していた。<br />https://www.afpbb.com/articles/-/3128159 2019年12月5日閲覧

バルカンドライブ2200km(2019年6月ボスニア・ヘルツェゴビナ)~その6:メジュゴリエ~ポチテリ

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2019/06/05 - 2019/06/15

58位(同エリア116件中)

タヌキを連れた布袋(ほてい)

タヌキを連れた布袋(ほてい)さん

【2017年5月14日 AFP】ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は13日、聖母マリアの出現地として年に100万人ものキリスト教信者が訪れるボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエについて、その信ぴょう性には深刻な疑念があると語った。
 1981年6月、当時はユーゴスラビアだったボスニア南部のメジュゴリエで6人の子どもたちが聖母マリアが現れたと証言して以来、同地には毎日のように聖母マリアが現れるとされている。
 しかしフランシスコ法王は、訪問先のポルトガルからバチカンに戻る機内で、メジュゴリエでの聖母マリアの出現については、現在進行中のローマ・カトリック教会の調査によって疑念が生じていると述べ、「子どもたちが見た女性は聖母マリアではない」と述べた。さらに自身の個人的な見解として「明日、この時刻にここへ来ればメッセージを伝えるなどと、聖母マリアが言うわけがないのは明らかだ」と語った。
 フランシスコ法王は、100年前にポルトガルのファティマで聖母マリアの出現を目撃したとされる2人の列聖式で同国を訪れていた。
 フランシスコ法王は2013年にも、「聖母マリアは、毎日メッセージを届ける郵便局長ではない」と述べ、メジュゴリエの聖母マリア出現に疑問を呈していた。
https://www.afpbb.com/articles/-/3128159 2019年12月5日閲覧

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
3.0
交通
3.0
同行者
その他
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • メジュゴリエの街並み。<br /><br />街というより「村」という佇まいの,素朴な雰囲気が漂う。

    メジュゴリエの街並み。

    街というより「村」という佇まいの,素朴な雰囲気が漂う。

  • 1981年の「聖母のご出現」以降,ここには巡礼者などがどんどん押し寄せるようになり,それを収容するためのホテルがたくさん建った。

    1981年の「聖母のご出現」以降,ここには巡礼者などがどんどん押し寄せるようになり,それを収容するためのホテルがたくさん建った。

  • 売店には,聖母マリアやイエスのお御影(みえい)などがたくさん並んでいる。

    売店には,聖母マリアやイエスのお御影(みえい)などがたくさん並んでいる。

  • 通りでは巡礼服を着た信者の姿も見かけるが,

    通りでは巡礼服を着た信者の姿も見かけるが,

  • はるかに目立つのは,身体に何らかの故障を持った人々である。本当に大勢,村のなかで見かける。<br /><br />彼らはこの地へ,奇跡による治癒を祈りに訪れたのであろうか。

    はるかに目立つのは,身体に何らかの故障を持った人々である。本当に大勢,村のなかで見かける。

    彼らはこの地へ,奇跡による治癒を祈りに訪れたのであろうか。

  • 外見からは判らなくとも,治癒の望みがうすい病気を抱えていたり,そういう人の代わりに祈りにきた家族などが,たくさんこの村に滞在しているのだろう。

    外見からは判らなくとも,治癒の望みがうすい病気を抱えていたり,そういう人の代わりに祈りにきた家族などが,たくさんこの村に滞在しているのだろう。

  • 村の南側に小高い山(クリジェヴァッツKri&#382;evac)がある。その山頂には高さ8.5mの大きな十字架が建てられていて(1934年建立),巡礼地になっている。<br /><br />1981年,メジェゴリエで最初に聖母マリアが出現したとされる場所「Brdo ukazanja」はクリジェヴァッツから東へ3~4km離れたところにある。

    村の南側に小高い山(クリジェヴァッツKriževac)がある。その山頂には高さ8.5mの大きな十字架が建てられていて(1934年建立),巡礼地になっている。

    1981年,メジェゴリエで最初に聖母マリアが出現したとされる場所「Brdo ukazanja」はクリジェヴァッツから東へ3~4km離れたところにある。

  • メジュゴリエの街を出ると,郊外にはぶどう畑が広がる。この付近は,ワインの産地である。

    メジュゴリエの街を出ると,郊外にはぶどう畑が広がる。この付近は,ワインの産地である。

  • メジュゴリエの次は,ポチテリPo&#269;iteljという街へ向かう。<br /><br />何だか愛嬌のある地名だが,古くからあるムスリムの街で,先の内戦ではクロアチア系勢力(カトリック教徒)に徹底的に破壊され,ムスリム系住民は虐殺と連行で全滅したというところだ。<br /><br />メジュゴリエからネレトヴァ川へ向かって走ると,川の手前で高台を一気に下っていく形になる。かなりの急坂だ。<br /><br />一気に標高が下がって,車内の気温計が4~5℃も上昇する。

    メジュゴリエの次は,ポチテリPočiteljという街へ向かう。

    何だか愛嬌のある地名だが,古くからあるムスリムの街で,先の内戦ではクロアチア系勢力(カトリック教徒)に徹底的に破壊され,ムスリム系住民は虐殺と連行で全滅したというところだ。

    メジュゴリエからネレトヴァ川へ向かって走ると,川の手前で高台を一気に下っていく形になる。かなりの急坂だ。

    一気に標高が下がって,車内の気温計が4~5℃も上昇する。

  • ネレトヴァ川沿いには連邦鉄道が走っている。現在,サラエヴォSarajevoから南へ向かう鉄道線は,ポチテリの属するチャプリナ&#268;apljinaが終着駅になっている。

    ネレトヴァ川沿いには連邦鉄道が走っている。現在,サラエヴォSarajevoから南へ向かう鉄道線は,ポチテリの属するチャプリナČapljinaが終着駅になっている。

  • 錆びたレールの傍らに咲く雛罌粟(コクリコ)の花。<br /><br />6月のボスニア・ヘルツェゴビナの野は,このあざやかな緋色の花でいっぱいだ。

    錆びたレールの傍らに咲く雛罌粟(コクリコ)の花。

    6月のボスニア・ヘルツェゴビナの野は,このあざやかな緋色の花でいっぱいだ。

  • ポチテリに到着した。<br /><br />訪問者向けの駐車場があるわけではなく,他の観光客が駐車している道路脇の空きスペースに車を止める(駐車料金の徴収なし)。<br /><br />正面に見えている天守のような建物がガヴランカペタン塔Gavrankapetanova Kulaである。

    ポチテリに到着した。

    訪問者向けの駐車場があるわけではなく,他の観光客が駐車している道路脇の空きスペースに車を止める(駐車料金の徴収なし)。

    正面に見えている天守のような建物がガヴランカペタン塔Gavrankapetanova Kulaである。

  • ポチテリは,ネレトヴァ川の河畔にある小高い丘に築かれたオスマン帝国の要塞と,その麓(ふもと)にモスク,マドラサ(イスラーム学校),ハンマーム(浴場),旅館などを擁している。<br /><br />中世から軍事の要衝だったが,オスマン帝国時代は軍の駐屯地として栄えた。ポチテリの主な建築物は17世紀中葉ないしそれ以前に造られたものである。<br /><br />ボスニア内戦でポチテリの住民が虐殺されたことは先に述べたが,上記の歴史的建築物も一緒に破壊された。モスクなんかは爆薬で吹き飛ばされたらしい。

    ポチテリは,ネレトヴァ川の河畔にある小高い丘に築かれたオスマン帝国の要塞と,その麓(ふもと)にモスク,マドラサ(イスラーム学校),ハンマーム(浴場),旅館などを擁している。

    中世から軍事の要衝だったが,オスマン帝国時代は軍の駐屯地として栄えた。ポチテリの主な建築物は17世紀中葉ないしそれ以前に造られたものである。

    ボスニア内戦でポチテリの住民が虐殺されたことは先に述べたが,上記の歴史的建築物も一緒に破壊された。モスクなんかは爆薬で吹き飛ばされたらしい。

  • 破壊から再建されたオスマン様式のモスク。

    破壊から再建されたオスマン様式のモスク。

  • 立派な石瓦の屋根を持つ旧旅館の建物。現在はレストランとして利用されているようだ。

    立派な石瓦の屋根を持つ旧旅館の建物。現在はレストランとして利用されているようだ。

  • こちらの民家の屋根は,石瓦とテラコッタが混在している。

    こちらの民家の屋根は,石瓦とテラコッタが混在している。

  • 新緑が豊かな石畳の小径を上がっていくと,

    新緑が豊かな石畳の小径を上がっていくと,

  • 丘の中腹より上には,復元された民家が点在している。<br /><br />現に住民が生活しているほか,アトリエとして使われているような家もあった。

    丘の中腹より上には,復元された民家が点在している。

    現に住民が生活しているほか,アトリエとして使われているような家もあった。

  • 小径に沿って,たくさんの花が咲いている。<br /><br />ただ人の手で植えましたというのではなく,この丘に元から自生している野の花を丁寧に殖やしているという感じで,とても好ましい。<br /><br />ポチテリの丘全体が,ひとつの美しい庭園として育てられているようだ。

    小径に沿って,たくさんの花が咲いている。

    ただ人の手で植えましたというのではなく,この丘に元から自生している野の花を丁寧に殖やしているという感じで,とても好ましい。

    ポチテリの丘全体が,ひとつの美しい庭園として育てられているようだ。

  • やがて丘の上の城壁に辿りついた。

    やがて丘の上の城壁に辿りついた。

  • 城壁はそこそこ長い。

    城壁はそこそこ長い。

  • 主な遺構については,いくつかの案内板が設置されている。<br /><br />最近取りつけられたもののようで,英語の併記もあって分かりやすい。

    主な遺構については,いくつかの案内板が設置されている。

    最近取りつけられたもののようで,英語の併記もあって分かりやすい。

  • しかし,ポチテリで起きた破壊と民族浄化についての言及は見当たらなかった。<br /><br />まだそんなことができる時期ではないのだろう。<br /><br />内戦当時,モスクを爆破してムスリム系住民を虐殺したクロアチア系勢力の民兵は,今でもどこかのクロアチア系集落で普通に市民生活を送っているはずだ。<br /><br />みんな,誰が何をしたのかを互いに憶えている。<br /><br /><br /><br /><br />

    しかし,ポチテリで起きた破壊と民族浄化についての言及は見当たらなかった。

    まだそんなことができる時期ではないのだろう。

    内戦当時,モスクを爆破してムスリム系住民を虐殺したクロアチア系勢力の民兵は,今でもどこかのクロアチア系集落で普通に市民生活を送っているはずだ。

    みんな,誰が何をしたのかを互いに憶えている。




  • ランドマークのガヴランカペタン塔からは,

    ランドマークのガヴランカペタン塔からは,

  • 眼下に街を一望することができる。<br /><br />ネレトヴァ川のエメラルドグリーンが印象的だ。<br /><br />左奥にはポチテリの時計塔が見えている。

    眼下に街を一望することができる。

    ネレトヴァ川のエメラルドグリーンが印象的だ。

    左奥にはポチテリの時計塔が見えている。

  • ポチテリは本当に美しく,散策に長い時間をかけた。そのせいで,午前中からずいぶん時間が押してしまった。<br /><br />実は,この日はこのあとも美しい場所が目白押しなのだが,この時点ではそのことを知らない。「今日はポチテリと出会えただけで十分に価値があった」と満悦していたのである。

    ポチテリは本当に美しく,散策に長い時間をかけた。そのせいで,午前中からずいぶん時間が押してしまった。

    実は,この日はこのあとも美しい場所が目白押しなのだが,この時点ではそのことを知らない。「今日はポチテリと出会えただけで十分に価値があった」と満悦していたのである。

  • 最後に,ポチテリの食堂のメニューを記録しておこう。<br /><br />いまいち変わり映えのしないものが並んでいるが,何だかんだ言ってバルカン旅行中はこういうものを食べていることが多いのである。<br /><br />(左上列から右へ)<br />チェヴァピ&#262;evapi=チェヴァブチチと同じ。指のような形の羊肉のミンチのケバブ(グリル)。<br />プリェスカヴィツァPljeskavica=理屈ではハンバーグなのだが,超粗挽きで肉々しく美味しいことが多い。あまり「ハンバーグ」と和訳したくない料理。<br />ペクスィメティPeksimeti sa sirom i pr&#353;utom=揚げパンに白チーズと燻製ハム添え。料理と名乗れるかどうか微妙。<br />Salate=サラダ<br />Piletina=鶏肉(のBBQ)<br />ラジュニッチRa&#382;nji&#263;i=串焼き。ギリシャのスブラキと同じ。<br />シュニツル&#352;nicle u sosu=小麦粉をはたいた薄切り肉を焼いてパンソースをからめたもの。ヴィーナー・シュニッツェルのようなパン粉の衣はない。<br />フルマシーツェHurma&#353;ice=シロップ漬けの焼き菓子,トルコ系。<br /><br /><br />(つづく)

    最後に,ポチテリの食堂のメニューを記録しておこう。

    いまいち変わり映えのしないものが並んでいるが,何だかんだ言ってバルカン旅行中はこういうものを食べていることが多いのである。

    (左上列から右へ)
    チェヴァピĆevapi=チェヴァブチチと同じ。指のような形の羊肉のミンチのケバブ(グリル)。
    プリェスカヴィツァPljeskavica=理屈ではハンバーグなのだが,超粗挽きで肉々しく美味しいことが多い。あまり「ハンバーグ」と和訳したくない料理。
    ペクスィメティPeksimeti sa sirom i pršutom=揚げパンに白チーズと燻製ハム添え。料理と名乗れるかどうか微妙。
    Salate=サラダ
    Piletina=鶏肉(のBBQ)
    ラジュニッチRažnjići=串焼き。ギリシャのスブラキと同じ。
    シュニツルŠnicle u sosu=小麦粉をはたいた薄切り肉を焼いてパンソースをからめたもの。ヴィーナー・シュニッツェルのようなパン粉の衣はない。
    フルマシーツェHurmašice=シロップ漬けの焼き菓子,トルコ系。


    (つづく)

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