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「コソボの民族主義がマケドニアへ飛び火していた。<br /> NATOと共にセルビア治安部隊と戦ったKLAはNLA(民族解放軍)と名前を変え,国境を越えて,旧ユーゴスラビアで唯一内戦を経ずに独立をなし終えた国に襲いかかった。<br /> コソボを核に勢力を伸ばし,北はセルビア南部から南はマケドニア西部までを支配下に治めようと動き出していた。この動きをメディアは『大アルバニア主義』と呼んだが,むしろ『大コソボ主義』と言うべきであろう。<br /> ある意味でコソボのKLAは本国アルバニアを蔑視している。独裁者ホッジャが文化大革命を敢行し,その死後も1991年まで鎖国政策を布き,国ぐるみのネズミ講問題で経済が破綻した本国よりも,国際援助が潤沢に入り,EU加盟国の如くユーロ通貨が流通しているコソボの拡大こそが彼らの野望である。<br /> NATOは紛争の仲介に乗り出し,2001年8月13日にマケドニア政府とNLAの間で和平協定に調印させた。<br /> 協定はNATO軍によるNLAの武器回収を開始する一方で,アルバニア側に対する大幅な権利を容認させるもの。具体的にはマケドニア憲法の改正であった。<br /> アルバニア語を準公用語とし,議会審議やアルバニア系住民が多数を占める自治体で使用するようにすること,警察組織を実際の人口比に近づけアルバニア系の雇用を拡大する,といった項目が盛り込まれた。<br /> NLAは,改憲が認められなければ再度の武装蜂起を行うと宣言していた。<br /> マケドニア大統領ボリス・トライコフスキはこれを『武力による恫喝でありコソボからの侵略』と非難したが,同時に『のまなければ戦争への道しかない』との見解を発表。憲法改正については策定に入るか否か8月31日から審理が続き,リュブコ・ゲオルギエフスキ首相(国家統一民主党党首)が最後まで難色を示したが,ついに一週間後に可決された。<br /><br /> 私は改正案の策定が決まったその日,01年9月6日にスコピエに来た。<br /> バルダル川の流れる首都は小さな町である。繁華街はショッピングストリートと英語で呼ばれる商店街周辺に固まっているが,20分もあれば見て回ることができる。随所にウィンドウのガラスが粉々に崩れ落ちて改修中の店がある。爆弾テロでやられたものだと周囲の店員が教えてくれる。<br />『店を破壊された理由は二種類ある。一つはNLAの援助をしていた店主がそれを打ち切ったために怒ったNLAに報復されて爆破された店。もう一つはNLAに資金援助を続けたために,逆にマケドニア人の怒りを買って暴徒が乱入してめちゃくちゃにされたケースだ』<br /> 進んでも地獄,ひいても地獄。<br /> それは対立する両民族の狭間で犠牲になる民間人の構図だった。強権政治を布く独裁者を支持したわけでもない。大義すらないままに家を焼かれたこの紛争の悲惨な被害者はどこにいるのか。訪ね歩き,そして難民センターとなったボラゴーニャホテルのロビーでザフィロスキに会ったのだ。<br /> 彼は暗い眼をして所在なげにソファに座っていた。<br /> 旧ユーゴの中でも,マケドニア人は温和で大人しい民族と言われている。コソヴォはともかくとして,なぜうちの国で紛争が起こらなくてはいけなかったのかが分からないのだと口癖のように呟く。<br />『とにかく今年になって国境を越えてきた連中が民族意識を高めたんだよ』」<br /><br />  木村元彦著『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(集英社新書)より

バルカンドライブ2200km(2019年6月北マケドニア)~その14:スコピエ

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2019/06/05 - 2019/06/15

67位(同エリア132件中)

タヌキを連れた布袋(ほてい)

タヌキを連れた布袋(ほてい)さん

「コソボの民族主義がマケドニアへ飛び火していた。
 NATOと共にセルビア治安部隊と戦ったKLAはNLA(民族解放軍)と名前を変え,国境を越えて,旧ユーゴスラビアで唯一内戦を経ずに独立をなし終えた国に襲いかかった。
 コソボを核に勢力を伸ばし,北はセルビア南部から南はマケドニア西部までを支配下に治めようと動き出していた。この動きをメディアは『大アルバニア主義』と呼んだが,むしろ『大コソボ主義』と言うべきであろう。
 ある意味でコソボのKLAは本国アルバニアを蔑視している。独裁者ホッジャが文化大革命を敢行し,その死後も1991年まで鎖国政策を布き,国ぐるみのネズミ講問題で経済が破綻した本国よりも,国際援助が潤沢に入り,EU加盟国の如くユーロ通貨が流通しているコソボの拡大こそが彼らの野望である。
 NATOは紛争の仲介に乗り出し,2001年8月13日にマケドニア政府とNLAの間で和平協定に調印させた。
 協定はNATO軍によるNLAの武器回収を開始する一方で,アルバニア側に対する大幅な権利を容認させるもの。具体的にはマケドニア憲法の改正であった。
 アルバニア語を準公用語とし,議会審議やアルバニア系住民が多数を占める自治体で使用するようにすること,警察組織を実際の人口比に近づけアルバニア系の雇用を拡大する,といった項目が盛り込まれた。
 NLAは,改憲が認められなければ再度の武装蜂起を行うと宣言していた。
 マケドニア大統領ボリス・トライコフスキはこれを『武力による恫喝でありコソボからの侵略』と非難したが,同時に『のまなければ戦争への道しかない』との見解を発表。憲法改正については策定に入るか否か8月31日から審理が続き,リュブコ・ゲオルギエフスキ首相(国家統一民主党党首)が最後まで難色を示したが,ついに一週間後に可決された。

 私は改正案の策定が決まったその日,01年9月6日にスコピエに来た。
 バルダル川の流れる首都は小さな町である。繁華街はショッピングストリートと英語で呼ばれる商店街周辺に固まっているが,20分もあれば見て回ることができる。随所にウィンドウのガラスが粉々に崩れ落ちて改修中の店がある。爆弾テロでやられたものだと周囲の店員が教えてくれる。
『店を破壊された理由は二種類ある。一つはNLAの援助をしていた店主がそれを打ち切ったために怒ったNLAに報復されて爆破された店。もう一つはNLAに資金援助を続けたために,逆にマケドニア人の怒りを買って暴徒が乱入してめちゃくちゃにされたケースだ』
 進んでも地獄,ひいても地獄。
 それは対立する両民族の狭間で犠牲になる民間人の構図だった。強権政治を布く独裁者を支持したわけでもない。大義すらないままに家を焼かれたこの紛争の悲惨な被害者はどこにいるのか。訪ね歩き,そして難民センターとなったボラゴーニャホテルのロビーでザフィロスキに会ったのだ。
 彼は暗い眼をして所在なげにソファに座っていた。
 旧ユーゴの中でも,マケドニア人は温和で大人しい民族と言われている。コソヴォはともかくとして,なぜうちの国で紛争が起こらなくてはいけなかったのかが分からないのだと口癖のように呟く。
『とにかく今年になって国境を越えてきた連中が民族意識を高めたんだよ』」

  木村元彦著『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(集英社新書)より

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
3.0
グルメ
3.5
ショッピング
3.0
交通
3.0
同行者
その他
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • スコピエの宿は,スタラ・チャルシヤ(オールドバザール)の近くに取った。

    スコピエの宿は,スタラ・チャルシヤ(オールドバザール)の近くに取った。

  • スタラ・チャルシヤのメイン通りは,きれいに整備されている。<br /><br />まだ朝早いので人通りはほとんどない。

    スタラ・チャルシヤのメイン通りは,きれいに整備されている。

    まだ朝早いので人通りはほとんどない。

  • 店舗には仕入れた食材が次々と運び込まれていく。

    店舗には仕入れた食材が次々と運び込まれていく。

  • 朝早くから開いていたアルバニア系の商店。<br /><br />スタラ・チャルシヤは,バルカン半島で最古かつ最大級の市場だったが,90年代以降にはアルバニア人の闇市場と化し,地元民が寄りつかないような時期もあったらしい。

    朝早くから開いていたアルバニア系の商店。

    スタラ・チャルシヤは,バルカン半島で最古かつ最大級の市場だったが,90年代以降にはアルバニア人の闇市場と化し,地元民が寄りつかないような時期もあったらしい。

  • コソヴォからここへ来ると,ヒジャブ姿の女性が一気に増えた気がする。

    コソヴォからここへ来ると,ヒジャブ姿の女性が一気に増えた気がする。

  • 街をうろついてみる。

    街をうろついてみる。

  • スコピエは,必然性のない彫像が市中にたくさんあることで有名だが,そのとおりたくさん見つかった。<br /><br />見どころの少ないスコピエのために,マケドニア政府(当時)が「スコピエ2014」プロジェクトとして建設を進めたものである。

    スコピエは,必然性のない彫像が市中にたくさんあることで有名だが,そのとおりたくさん見つかった。

    見どころの少ないスコピエのために,マケドニア政府(当時)が「スコピエ2014」プロジェクトとして建設を進めたものである。

  • ただ,政府にそうさせた遠因が,1963年に起きたスコピエ大地震(スコピエの歴史的建築物・文化財はそのほとんどが壊滅した)にあるとすれば,やや気の毒な気持ちにもなる。

    ただ,政府にそうさせた遠因が,1963年に起きたスコピエ大地震(スコピエの歴史的建築物・文化財はそのほとんどが壊滅した)にあるとすれば,やや気の毒な気持ちにもなる。

  • スコピエ大地震の復興事業で建設された丹下健三設計のスコピエ中央駅。<br /><br />バルカンを旅していても,日本と縁のあることにはほとんど出会わないから,ちょっと注目してしまう。

    スコピエ大地震の復興事業で建設された丹下健三設計のスコピエ中央駅。

    バルカンを旅していても,日本と縁のあることにはほとんど出会わないから,ちょっと注目してしまう。

  • と思っていたら,近くでこんな看板も見つけた。

    と思っていたら,近くでこんな看板も見つけた。

  • スタラ・チャルシヤのほうへ戻ると,タバコの屋台がたくさん出ていた。<br /><br />シガレットではなくて,シャグ(手巻き用のタバコ葉)の大袋がたくさん並んでいる。

    スタラ・チャルシヤのほうへ戻ると,タバコの屋台がたくさん出ていた。

    シガレットではなくて,シャグ(手巻き用のタバコ葉)の大袋がたくさん並んでいる。

  • 北門。朝に比べてずいぶん人出が増えている。

    北門。朝に比べてずいぶん人出が増えている。

  • メイン通りは,観光客がたくさん歩いている。

    メイン通りは,観光客がたくさん歩いている。

  • とあるツーリスト向け食堂で,

    とあるツーリスト向け食堂で,

  • タフチェ・グラフチェТавче гравчеを食べた。<br /><br />マケドニア名物ということだが,「タフチェ」というのはアルバニアの「タヴァTava」料理(タヴァ=キャセロール)と同系の言葉であろう。<br /><br />英語メニューにはときどき「マケドニア風ベイクドビーンズMacedonian Style Baked Beans」と書いてあるが,イギリスのそれのような甘ったるい味のものではない。バルカンらしい素朴な料理である。

    タフチェ・グラフチェТавче гравчеを食べた。

    マケドニア名物ということだが,「タフチェ」というのはアルバニアの「タヴァTava」料理(タヴァ=キャセロール)と同系の言葉であろう。

    英語メニューにはときどき「マケドニア風ベイクドビーンズMacedonian Style Baked Beans」と書いてあるが,イギリスのそれのような甘ったるい味のものではない。バルカンらしい素朴な料理である。

  • スタラ・チャルシヤのメイン通りは再開発されてきれいになっているが,その西~北側には以前のままの姿が残ったエリアが広がっている。<br /><br />街歩きをするなら,メイン通りよりこちらがおすすめ。路地が迷路のように交わっているので,現在位置をよく確認しながら進まなければならない。<br />歩いていると,ふとスコピエ大地震を生き残ったような古い石造りの建物に出会ったりする。

    スタラ・チャルシヤのメイン通りは再開発されてきれいになっているが,その西~北側には以前のままの姿が残ったエリアが広がっている。

    街歩きをするなら,メイン通りよりこちらがおすすめ。路地が迷路のように交わっているので,現在位置をよく確認しながら進まなければならない。
    歩いていると,ふとスコピエ大地震を生き残ったような古い石造りの建物に出会ったりする。

  • 夕方になると,市場のあたりはゴミでぐちゃぐちゃ。<br /><br />これは夜のうちに,掃除人によってきれいに片づけられる。<br /><br />スタラ・チャルシヤ界隈は,19~20時頃には店やレストランが一斉に閉まり,人通りがぱたりと止んだ(オンシーズンはどうだか知らないが)。

    夕方になると,市場のあたりはゴミでぐちゃぐちゃ。

    これは夜のうちに,掃除人によってきれいに片づけられる。

    スタラ・チャルシヤ界隈は,19~20時頃には店やレストランが一斉に閉まり,人通りがぱたりと止んだ(オンシーズンはどうだか知らないが)。

  • 思っていたよりずっと早い店じまいに,あわてて入った食堂で夕食。<br /><br />自家製ソーセージДомашни виршлиのグリルに,アイヴァル,ビーツサラダ,ニンジンサラダ,カイマク,ポテト類などが添えられているド定番の一皿,150デナリ。(1MKD=約2円)<br />ポムフリット(フライドポテト)は要らないと断るのを忘れてしまった。

    思っていたよりずっと早い店じまいに,あわてて入った食堂で夕食。

    自家製ソーセージДомашни виршлиのグリルに,アイヴァル,ビーツサラダ,ニンジンサラダ,カイマク,ポテト類などが添えられているド定番の一皿,150デナリ。(1MKD=約2円)
    ポムフリット(フライドポテト)は要らないと断るのを忘れてしまった。

  • 酒は置いていない店だったので,北マケドニアのソフトドリンクをもらう。<br /><br />めずらしい梨風味のソーダ,「ストルムカСтрумка」。<br /><br />瓶のロゴマーク↑に目を凝らすと,「Струмка」の2文字目が見慣れない字体になっていることに気づく。<br />これは,ロゴマークがイタリック体(筆記体)になっているからだ。<br /><br />ロシア語などで使われるキリル文字。旅をする上で必要に迫られて憶え,やっと友達になれたと思っていたら,「あっそうそう,тは筆記体で書くとmになるんだ」などと理不尽なことを言ってくる困ったやつである。<br /><br />このイタリック体で「т→m」のルール,マケドニア語(とセルビア語)ではさらに変化して,mを上下逆さまに置いてその上にヨコイチを引くことになる(瓶のロゴ参照↑。たぶん化けるので文字は打てない)。<br /><br />一般的にマケドニア語はブルガリア語に近いと言われるが,ブルガリア語の筆記体でmは上下逆さまにならない(ロシア語と同じ)。この点ではマケドニア語はセルビア語に近いことになる。バルカンの文化は一筋縄ではいかない。<br /><br />さて明日は,そのキリル文字の発祥の地と言われるオフリドОхридへ向かう。<br /><br /><br />(つづく)<br />

    酒は置いていない店だったので,北マケドニアのソフトドリンクをもらう。

    めずらしい梨風味のソーダ,「ストルムカСтрумка」。

    瓶のロゴマーク↑に目を凝らすと,「Струмка」の2文字目が見慣れない字体になっていることに気づく。
    これは,ロゴマークがイタリック体(筆記体)になっているからだ。

    ロシア語などで使われるキリル文字。旅をする上で必要に迫られて憶え,やっと友達になれたと思っていたら,「あっそうそう,тは筆記体で書くとmになるんだ」などと理不尽なことを言ってくる困ったやつである。

    このイタリック体で「т→m」のルール,マケドニア語(とセルビア語)ではさらに変化して,mを上下逆さまに置いてその上にヨコイチを引くことになる(瓶のロゴ参照↑。たぶん化けるので文字は打てない)。

    一般的にマケドニア語はブルガリア語に近いと言われるが,ブルガリア語の筆記体でmは上下逆さまにならない(ロシア語と同じ)。この点ではマケドニア語はセルビア語に近いことになる。バルカンの文化は一筋縄ではいかない。

    さて明日は,そのキリル文字の発祥の地と言われるオフリドОхридへ向かう。


    (つづく)

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