2019/06/05 - 2019/06/15
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「コンスタンティノスをはじめとしたビザンティンからの使者たちが,いかにして文字を創造し,どのような形でそれを紙の上に書き留めたか,という問題については,明確な答えがいまも出ていない。
コンスタンティノス,メトディオスの兄弟が伝道活動をおこなったのは,ここまで述べた通り,九世紀の後半,モラヴィアという国であるが,この国は,九世紀の初めから十世紀の初め頃まで,事実上一世紀ほどしか存在しなかった。『弟子たち』の章で述べた通り,兄弟のうちで後に残って伝道活動を続けた兄のメトディオスがこの国の首都で死んだ後,スラヴ語による典礼を排そうとする徹底的な弾圧運動がおこって,それ以前に書かれていたスラヴ語の文献は,ほとんどすべて焼き尽くされてしまう。現在スラヴ語最古の文献と呼ばれているのは,兄弟の弟子にあたる人たちがモラヴィアを逃れて,ブルガリアをはじめとした周辺諸国で布教活動をおこなう中で残していったものなのだが,それも現在発見されているのは,一番古いものでせいぜい十世紀の末期のもの,つまりコンスタンティノス,メトディオスの時代からゆうに一世紀は隔たった時代の資料である。つまり,コンスタンティノス,メトディオスの兄弟は,スラヴ語の文字を創造した,文字通りのパイオニアであり,スラヴ文化の父とも言える存在なのだけれど,彼らがなしたおこないの直接の痕跡は,今日ひとつも残されていない,ということになる。
ある人物がなしたおこないが,ひとつの文化の礎になっているのに,その人の仕事の直接の痕跡が,なにひとつ残っていない,というようなことは,太古の世界を別にすれば,めったにないこと,と言っていいかもしれない。コンスタンティノスとメトディオスの物語は,そういう意味でも,世界史上に類例のない驚くべき物語と言えるわけである。」
「兄弟が残した書きものは,先に書いた通り,現存していないけれど,彼らはスラヴ地区へのキリスト教の伝道のために文字を創造したのだから,当然四福音書をはじめとした新約,旧約の翻訳,また典礼書の翻訳が主な仕事であったろう。」
「今日私たちが,スラヴ語最古の文献として知っている文字資料は,新約聖書中の福音書の断片的な翻訳と若干の聖者伝,祈祷書の類がほとんどで,ここで使われている言葉は,一般に『古代教会スラヴ語』という名前で呼ばれている(中略)。」
「さて,この古代教会スラヴ語の文献は,(中略)完全なものはひとつもない。いずれも断片的な翻訳である。発見された資料の数は限られているのだが,これらの資料の中には,まったく体裁の違う二つの文字が使われていた。
この二つの文字は,一方がグラゴール文字と呼ばれ,もう一方がキリール文字と呼ばれている。
グラゴール文字とキリール文字は,一見したところ同じ言語を表す文字とは思えないほど書体が違っている。(中略)キリール文字のほうは,今日ロシアで使われている文字とそれほど違わないけれど,グラゴール文字のほうは,象形文字のような複雑な形をしている。
これらの文字を並べて,同じ文字の二つの類型だ,と言っても,初めてみた人はまず信じないだろう。ただ,これらの文字が本質的に同じものであることは,比較的簡単にわかった。というのは,先にも書いた通り,古代教会スラヴ語の文献で現存しているものは,福音書や旧約聖書の翻訳で,内容は限られているからである。
グラゴール文字とキリール文字が,ふたつながら古代教会スラヴ語の文字であり,同一の言語を表す二つの類型であることがわかったまではよかったが,次に難しい問題が生まれてきた。そもそも,同じ古代教会スラヴ語の文献の中に,二種類の,体裁の(おおいに)違う文字が使われているのはなぜなのか,という問題。両者のどちらが古いのか,という問題。そして,コンスタンティノス,メトディオスが創った文字はこのどちらだったのか,あるいはこのどちらでもなかったのか,という問題である。」
「グラゴール文字とキリール文字は,一時併用されていた時期があったらしいが,やがてよりわかりやすいキリール文字が勝ちを占め,グラゴール文字は消滅していった。次章(『遺産』の章)で触れるが,失われたグラゴール文字は,やや体裁を変えてクロアチア海岸部のダルマチア地方に生き残り,ごく一部の教会で二十世紀になっても使われ続けた。」
原求作著「キリール文字の誕生―スラヴ文化の礎を築いた人たち―」(上智大学出版)より
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 2.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
今日はオフリドへ向かうが,その前にスコピエの近くにあるコキノКокиноへ少し寄ってみたい。
コキノは,紀元前1800年頃に造られたといわれる古代の天文観測所跡だ。
「歩き方」には,アクセス方法について「公共交通機関はない。スコピエの旅行会社で英語ガイドと専用車を手配して,コキノ,カメリ・ククリと回ると効率がよい」と書かれている。こういうところはレンタカーのときに行っておきたい。
ただし,「コキノはガイドの説明なしには,どのように観測が行われていたかなど,把握するのは難しい。」とも書いてあるから,よくても岩山を眺めるだけで終わってしまう可能性は高い。
(※この旅行記では,結局コキノへは辿り着けなかったことをあらかじめお断りしておく。ただし,途中までの道順などの情報は文中に示している。) -
また,コキノと一緒に訪れるべきとされている「カメニ・ククリ」は,奇岩の名勝地のようだ。
自分で情報を検索してみるが,全然出てこない。よっぽどマイナーなところなのかと思って今回は目的地に含めなかったが,どうやら「歩き方」記載のマケドニア語の綴りが間違っているようだ。
「Камени кукли」あるいは英語「The Stone Dolls」で検索すると正しくヒットすることが,あとから判明した。 -
まず,スコピエからクマノヴォを目指す。
なかなか快適な高速道路が通じていたが,途中,細かく30DEMとか40DEMとかを徴収する料金所がいくつもある。
(1MKD=約2円) -
スコピエを出ると,すぐに山がちな田舎の風景となる。
-
クマノヴォで高速道を下り(クマノヴォ市街の北側にあるIC),一般道A2(E871)に入って東進。「クリヴァ・パランカКрива Паланка」方面へ向かう。
ここらで,北マケドニアの案内標識(地名・方向・距離を示す標識)がかなり不親切であることに気づく。コソヴォもそうだったが,ここもだ。
上記の左折ポイント(Google座標「42.170320,21.818016」付近)のずいぶん手前に, -
こういう標識がひとつだけあった。
とにかく案内標識の数が少なすぎる。こんな立派なのでなくても,木の板にペンキで描いたようなのでいいから立ててほしい‥‥。 -
クマノヴォから東へ進んできて,さっきの左折ポイントを左折した瞬間の景色が↑である。北へ向かう形だ。
そこをすぐに,もう一度左折する。
(Google座標「42.170698,21.818099」付近。航空写真で見るほうが正確) -
二度目の左折をしたあとは,しばらく道なりに走ればOK。
-
この辺りは,一面の麦畑が広がっていた。
-
次のやっかいな右折ポイントがここ。
-
コキノへの案内標識は一切ないが,ここで右折しなければコキノ方面へ向かうことはできない。この標識だけが目印。
-
だんだん道路が狭くなってきた。
対向車はほとんど来ないし,人通りもまったくない。 -
所々に集落が見える山道をくねくねと走る。
マケドニアの山村風景はなかなか素晴らしく,ときどき車を停めて,四方を見やったりする。
車を走らせるのは楽しかった。しかし,コキノへは一向に辿り着かなかった。 -
どうやらこの最後の右折ポイントを見失ったようだ。
だいぶん行ってから引き返し,曲がるポイントを探してみるのだが,どうもうまくいかない。地図では省略されているような紛らわしい村道・農道などもある。
そうこうしているうちにタイムリミット。もうオフリドへ向かわなければまずい時間だ。悔しいがあきらめよう。
3コマ前の「Dragomance(ドラゴマンツェ)」の案内標識がある角を右折(東行)するところまでは間違いないので,レンタカーでコキノへ行こうとする人は参考にしてほしい。 -
クマノヴォからまた高速道に入り,スコピエへ戻る。
スコピエをそのままやりすごして西へ向かう。高速道がどこまで通じているか分からないが,行けるところまで行こう。 -
途中のSAで休憩。
カフェ,レストラン,スーパーマーケット,ガススタンドが揃ったそこそこ大きなSAだった。 -
結局,高速道はテトヴォТетовоという街で尽きてしまった。
そこからは一般国道A2(E65)を走る。残り約130キロ。
テトヴォのあとゴスティヴァルГостиварまでの区間はバイパスのような一本道だったので,距離を稼ぐことができた。 -
ゴスティヴァルを過ぎると一気に山道となる。
しばらく走って峠を越えるが,そこにドライブインのような店があった。 -
メキッツァ(揚げパン)の店だった。
ちょうど休憩をしたくなるような場所にあるので,なかなかの人気のようだ。「1942年以来のレシピ」を守っていることを謳う。昔からの峠の名物なのだろう。
長距離を走るバスやヴァンがここでトイレ休憩し,乗客はメキッツァなどをパクつく。お土産にするのか,いくつも買い込んでいるおばさんもいる。
「Мекиците од Стража」(Google座標:41.671476,20.854574) -
(1DEM=約2円)
メキッツァМекица /35 …揚げパン
ピロシュカПирошка /45 …ピロシキ
キフラКифла /35 …コルネ(コロネ)
コマトКомат /60 …不明。この店以外で見る機会がなかった。たぶん大型のパイの切り売りだと思う。
ギバニツァГибаница /60 …バルカンのチーズパイ
ヴルテナ・ピタВртена пита /60 …渦巻きパイ
ピツァПица парче /70 …ピッツァ(切り売り)
パンチェロッタПанцерота /50 …揚げカルツォーネ
プロヤПроја /40 …セルビアのコーンブレッド
ジェブレクЃеврек /20 …トルコのスィミット,ゴマをまぶしたプレッツェル風のもの。
ヨーグルトЈогурт /30
キセロ・ムレコКисело млеко /50 …これもヨーグルト
シレニェСирење /40 …シレネ(白チーズ) -
これが看板商品のメキッツァ。
一緒に買ったヨーグルトも,とてもなめらかで美味しかった。おすすめ。 -
ふたたび出発して,峠を下っていく。
この辺りはアルバニア系住民が勢力を持っているようで,集落にはモスクの尖塔とともに大きなアルバニア旗が空に突き出している(写真でははためいていないが,真っ赤な旗がそれ↑)。
北マケドニア国旗と並べて掲揚するのならともかく,アルバニア旗だけを掲げている集落がいくつもあり,やや剣呑な感じがした。 -
やっと,オフリドが近くなってきた。
-
オフリドに近いところでは大規模な道路工事が進められていた。
おそらく,さっきテトヴォまで走った高速道を,オフリド側からも造っているのだろう。 -
写真は,道路沿いに見えたオフリド空港の滑走路。飛行機はハンガリーのウィズエアだった。
-
陽が沈む前にオフリドへ到着し,なんとか無事に宿を見つけることができた。
部屋には簡単なキッチンがついていて,煮炊きをするためのガスバーナーまで置いてくれている。
他の部屋にも置いてあると思うと,ちょっと火事が怖い気もするが。
(つづく)
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