2019/06/05 - 2019/06/15
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タヌキを連れた布袋(ほてい)さん
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「第二次世界大戦中のユーゴスラヴィアにおいては,ウスタシャ政権,セルビア人の民族主義者を中心とするチェトニク,そして共産党を中心とする解放運動であるパルチザンの間で,三つ巴の内戦が繰り広げられた。最終的に勝利を収めたのはチトーを指導者とするパルチザンであり,この結果,大戦後のユーゴスラヴィアは連邦制をとる社会主義国家として成立した。(中略)社会主義ユーゴスラヴィアは,建前の上では独自の地位を持つ各民族が自発的に連合したものとされており,王国時代のような『ユーゴスラヴィア民族』を単位とする国民国家を志向するものとしてのユーゴスラヴィア主義は放棄された。代わって,諸民族の平等の上に国家の統一を維持してゆくことの重要性が強調され,この方針は『友愛と統一』というスローガンに象徴された。言語に関しては,スロヴェニア語に加え,それまで方言として扱われてきたマケドニア語にも公用語の地位が与えられ,標準化が行われた。同じく公用語である,クロアチア人,ボスニア・ムスリム,セルビア人,モンテネグロ人の言語は単一であることが強調され,このことは1954年のノヴィ・サド合意によって定式化された。ノヴィ・サド合意は,この言語が,2つの文字(ラテン文字とキリル文字)と2つの発音(イェとエ)を持ちながら,統一的な文法に依拠する単一言語であること,言語の名称には『セルビア・クロアチア語srpskohrvatski』あるいは『クロアチア・セルビア語hrvatskosrpski』が採用されるべきであることを定めている。」
「1990年代初頭,スロヴェニア,クロアチア,ボスニア・ヘルツェゴヴィナ,マケドニアが独立を宣言し,残ったセルビアとモンテネグロが新国家(ユーゴスラヴィア連邦共和国)樹立を宣言するに至ってユーゴスラヴィアは解体した。」
「ユーゴスラヴィアの解体と共に,1970年代から分化の方向性がみられた『セルビア・クロアチア語』もまた解体した。新たに独立した国々では,単独の民族名称を冠した公用語が定められた。クロアチアにおいては『クロアチア語』が公用語として規定され,ユーゴスラヴィア連邦共和国では『セルビア語』が公用語となった。ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは,1990年の自由選挙の結果政権の座についた3民族それぞれの民族主義政党からなる連立政権のもとで,3民族それぞれが,民族名でその言語を名付けた。ボスニア・ムスリムは,自らの民族言語を『ボスニア語bosanskijezik』とした。この結果,ボスニアにおける言語の一体性が強調された社会主義時代とは反対に,ボスニア語(ラテン文字を使用),セルビア語(キリル文字),クロアチア語(ラテン文字)がそれぞれ別個のものとして主張されると同時に,相互の差異が強調され,言語の実態も別個のものとしようとする方向性が強まることとなった。ナショナリズムの高まりを背景とした言語の差異の強調,言語純化の主張,非標準的あるいは別民族に属するとされた表現に対する不寛容,新語の創造といった点は,特にクロアチアで顕著であったが,程度の差こそあれこの時期の旧ユーゴスラヴィア地域には広くみられた現象である。セルビア人の間では,民族の象徴の1つと位置づけられ,公用文字とされたキリル文字を使用する頻度が高まった。」
「‥‥旧ユーゴスラヴィア地域においては,言語はナショナリズムを構成する重要な要素として位置づけられてきた。また,ユーゴスラヴィアの統一と個々の民族の自立性の追求の間で政治状況が変化する中,『セルビア・クロアチア語』の位置づけも,単一言語と個別の民族言語の間で揺れ動いてきた。そして,ユーゴスラヴィア国家の解体によって,単一言語と位置づける試みは終焉を迎え,それぞれの民族において,名称のみならず実体としても民族語の独自性を強調することに努力が払われた。
しかし,この努力が必ずしもその意図のとおりに人々に受け入れられたわけではない。例えば,紛争終結後にセルビアのある映画がクロアチア語の字幕を付けてクロアチアで公開され,興行的な成功を収めたことがあった。映画の内容が受け入れられたのではない。理解可能な内容に対して字幕を付けるという行為の滑稽さが観客を呼んだのであった。
『セルビア・クロアチア語』を母語とする人々は,民族を超えて文学作品や言語文化を共有してきた。1990年代の紛争は確かに民族間の断絶を深めたが,紛争後には,徐々に人々の交流が活発になってきている。さらにインターネット技術の発達により,民族を超えた新たなコミュニティの可能性も開けている。そうした点から考えれば,それぞれが民族語として位置づけられたことは,相互に切り離された別個の言語として発展してゆくことは意味せず,むしろ今後も言語文化は共有され続けてゆくであろう。現在,旧ユーゴスラヴィア地域の国々は,EU加盟を大きな課題とし,そのために様々な努力がなされている。そうした中,各国政府間で膨大なEU文書の翻訳を共同で行おうとする試みも始まった。将来のEU加盟によって,この地域に暮らす人々が国家の枠組みを超えたヨーロッパの一員となるのであれば,多言語社会としてのユーゴスラヴィアの経験が再び意味を持つことになるかもしれない。」
山崎信一「ナショナリズムとユーゴスラヴィア理念の相克――『セルビア・クロアチア語』を中心に」(桑野隆・長與進編著『ロシア・中欧・バルカン世界のことばと文化』(成文堂)収録)より
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
閉鎖されていた国境から幹線道路へ取って返して,もうひとつの国境へ向かう。
こちらはさっきの国境ゲートと違い,とても大きい。
アルバニアからモンテネグロへ入ったときは,ひとつの国境ゲートでアルバニア出国とモンテネグロ入国が済んでしまったが,ここの国境は,普通にモンテネグロ出国ゲートとクロアチア入国ゲートに分かれていた。
まず,モンテネグロ出国はあっという間に終わる。
続くクロアチアの入国ゲートは,高速道路の料金所のようなブースが縦にふたつ並んでいて,手前がイミグレ,奥が税関になっている。
イミグレのブースで,乗車したままパスポート,車検証,グリーンカードを提出。パスポートにクロアチアの入国スタンプが押されて返された。
税関のブースでは,係官に停められたらトランクなどの検査があるが(トランクリッドを開けたり荷物を取り出したりするのは入国者自身が行う),係官に「行け」みたいな仕草をされた場合はそのまま通過してよい。
この日は車がすいていて,以上の手続は5分以内で終わった。 -
クロアチアに入ると,車線の広いまっすぐな道が続き,高速道路のようなスピードでどんどん距離を稼ぐことができた。
このあたりは,道沿いの林の中から,糸杉がにょきにょきと頭を突き出しているのが目立つ。 -
国境から小一時間ほど走ると,眼下にドゥブロヴニクの街が見えてきた。
ここはレンタカーで訪れるべき場所ではないと思うので,今回はそのままやり過ごす。 -
ドゥブロヴニクから50kmほど先にあるストン(Ston)まで一気に走る。
-
幹線道路(8号線)から脇道に入る。
-
マリ・ストン(ストンの手前にある集落,「マリMali」=小さい)の付近の海では,カキの養殖が行われている(ムール貝もある)。
マリ・ストン湾のカキは二千年以上の歴史を持つ。古代のギリシャ人もローマ人もカキを大変好み,ローマのティベリウス帝は遠征の際にこの地でカキを食べたという記録が残っているようだ。 -
小島を取りまく海面を,養殖用のブイが埋め尽くしているのが見える。
西洋でのカキの養殖に関するもっとも古い記録は,すでに大プリニウスの「博物誌」に現れるという。
この地のカキの養殖は綿々と続けられ,19世紀にアメリカ南部でカキの養殖が隆盛を迎えると,その知識と技術を持つこの地のクロアチア(ダルマチア)人が移民として続々とルイジアナなどの入江を目指していった。
ちなみに,サンフランシスコでもっとも古い歴史をもつレストラン「タディッチ・グリルTadich Grill」は,そのときのクロアチア移民が開いた店なのだそうだ。 -
マリ・ストン。
ここからストンの街まで,長い城壁が築かれている。 -
城壁に沿って,遊歩道・自転車道が整備されているようだ。
-
車だと,すぐにストンの街に着いてしまう。
-
駐車場に車を止めたいのだが,料金の支払いの仕組みがよく分からない。
記載の番号にSMSを送るのか?スマホ持たないのだが。
係員を探してみるが見当たらない。そもそも,国境からずっと走ってきたのでクロアチアのクーナ(HRK)を持っていない。
とりあえず車を離れて,街へ入ってみる。 -
ストンの街並み。レストラン,カフェ,土産物店がたくさんある。
売店やカフェでユーロが使えるか訊いてみたが,どこも不可とのこと。
事前情報のとおりだが,クロアチアはとうにEU加盟を果たしているのに(2013年),事実上でもユーロが使えないというのは本当だったのだ(2019年6月現在)。 -
レストランでは,名物のカキをはじめ,スカンピ(手長エビ),タコ,イカ,ムール貝などアドリア海の幸を食べさせる。
ほぼ魚介類づくしで,それ以外には「ダルマチアのスモークハム」があるくらいだった。
値段を見てみると,生ガキは1個10HRK(1HRK=約17円),ダルマチアのタコのサラダ80HRK。
メインの魚介はキロあたり350~400HRKで,料理法は「ゆでる,焼く,スープ,ブザラ(オイル煮)」から選択するようになっている。ポーション(一人前単位)で注文することもできて,その場合は100HRK前後(魚介の量は約300g)。
殻の重さが入るカキはキロあたり140HRK,もっとも手頃な食材のムール貝はキロあたり70HRKといったところ。 -
結局,具体的に金を使うあてがなかったので,クーナに両替することなく車に戻った。
誰か駐車料金の徴収に来ないかしばらく様子をみていたが,その気配はない。悪いなあと思いながら,そのまま車を出した。 -
ストンを歩き回っているうちに時間が押してきた。そろそろ,今夜の宿があるメジュゴリエMeđugorjeへ向けて急がなくてはならない。
-
とはいっても,途中にも面白そうな場所はあるので,一気に突き進むということはなかなかできない。
-
ここにも大きなカキの養殖場があった。
(Google座標「42.871344,17.699924」付近)
この地で養殖されているカキは,ヨーロッパヒラガキといい,もともとヨーロッパに分布する伝統品種である。
現在,世界中で養殖されているカキは,宮城県松島湾にルーツをもつマガキである。ヨーロッパでは,ヨーロッパヒラガキや,台湾周辺にルーツをもつといわれるポルトガルガキ(大航海時代にポルトガル船にくっついてヨーロッパに伝播したことからこう呼ばれる)の養殖をしてきたが,これらが1960年代以降に病気や寄生虫の流行で大打撃を受けてしまい,日本から環境の変化や病気に強いマガキを導入したという経緯がある。
マリ・ストン湾周辺では,今でも伝統品種ヨーロッパヒラガキの養殖を守り続けている。
ちなみにアメリカでも,19世紀末に,在来種のオリンピアガキなどが乱獲,病気などによって生産高が激減し,日本からマガキを導入した。マガキは広く受け入れられたが,終戦直後の1945年に熊本県から導入したクマモト(シカメガキ)が小粒でアメリカの在来種に似ていたため人気を博し,現在では高級品種としてのブランドを確立している。
アメリカへ渡った後,本家の熊本のカキ養殖は海苔養殖に転換されて姿を消したが,2005年頃から熊本県水産研究センターがシカメガキの養殖を復興し,現在「幻のクマモト・オイスター」として売り出し中のようだ。 -
マリ・ストンで見た養殖用のブイが間近に見える。巻貝のような形をしている。
日本だと,カキの養殖場では整然と筏が組んであったりするのをよく見るが,それとは見かけがずいぶんと違う。
その場所の環境や品種の違いに合わせて,それぞれ最適化された方法が選ばれているのだろう。 -
クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境を越える。
パスポート,車検証,グリーンカードの三点セットを提出すると,クロアチアの出国スタンプが押されて返された。
それからしばらく進むが,ボスニア・ヘルツェゴビナの入国ゲートはなかった。どうやらさっきのゲートで,クロアチア出国とボスニア・ヘルツェゴビナ入国が同時に済んだようだ。
数時間前にクロアチアへ入国したときは,モンテネグロ出国とクロアチア入国のゲートは別々だった。どの国境がどうなっているのか,ちっとも分からない。
次の街ネウム(Neum)にドライブインがあったので,そこで休憩と買物をする。
兌換マルク(コンヴェルティビルナ・マルカ,BAM)を手に入れようとATMを探すが,見当たらない。スーパーマーケットに行ってみると,普通にユーロを使用することができた。 -
ここから幹線道路をまっすぐ走り続けると,今出国したクロアチアへ再び入国しなければならない。
今回は,ネウムで幹線道路を外れ,ボスニア・ヘルツェゴビナから出ることなくメジュゴリエへ向かうルートをたどってみよう。
本当はボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の海港ネウムを見て回りたかったが,時間的な制約から断念。残念。 -
ネウムから進路は東向きになる。
思いもしなかった高規格道路だ。喜び勇んで走り始めた。 -
…ところが,高規格道路はあっという間に途切れ,
-
その先は普通の田舎道になってしまった。
写真にはたまたま先行車が映っているが,通行量はほぼゼロ。
これはつまり,現在のところネウムはボスニア・ヘルツェゴビナ唯一の海港としての役割をまったく果たしていないということだ。
わずか10kmほどだけが整備されていた高速道路が延伸して,ボスニア(あるいはスルプスカ)とアドリア海の物流がつながるのはいつのことやら。 -
時折,小さな集落や,
-
遺構のようなものが見える。
-
途中,大きなカトリック教会のそばを通り過ぎた。
ヘルツェゴビナ(ボスニア・ヘルツェゴビナのクロアチア人居住地域)はカトリックが多数派で,聖母マリア信仰が盛んな地域だ。 -
いま向かっているメジュゴリエは,1981年以降しばしば聖母マリアが「出現」するといわれる聖地だ。奇蹟を求めて多くの巡礼者が訪れる。
聖母マリア信仰はカトリックにおいて顕著である。とくにプロテスタントからすれば,マリア像を祀って拝むなんてことは外道(げどう)であり,常に批判の対象になる。聖書に聖母マリアについての記述はとても少ない。
もちろん,カトリックにおいても聖母マリアを三位一体の神と同列にすることは禁じていて,マリア信仰については「マリア崇敬」という言葉を選んでいる。しかし,メキシコや南米,フィリピンなどカトリックの影響力が強い地域では,マリア信仰はとても盛んである。カトリックとマリア信仰は切っても切れない関係にある。
聖母マリア信仰は,どのような人々に受け入れられているのだろうか。異教徒の勝手な想像だが,現世利益を求める庶民の感情の受け皿になっているのかも知れないと思う。
われわれ日本人の心には,東アジア共通の道教の素地があるから,神仏に対して現世利益を祈ることに何の疑問もない。縁結びに合格祈願,ごく日常のことである。
ところが,キリスト教の世界には本来そういうものがない。神は,基本的に「父性」のものだ。たとえは悪いが,要するに「恐怖政治」である。どんなにつらくてもひたすら服従せよ。疑いを持てば地獄行きだ。しかしこの世で絶対的に服従しておれば,来世(最後の審判)では天国が待っておるぞ。
ところが,当然ながらそれでは救われない人々が現れてくる。ひたすら虐げられるばかりの庶民や大きな非運を負った人には,過酷な境遇に同情し,悲しみに共感し,寄り添ってくれる「母性」の救いが必要なのだ。もう十分につらい目に遭ってきました。生きてきて,いいことなんか一度もありませんでした。どうかこの上は,お恵み(現世利益)をください。おとりなしください。待っています。
そういう人々の祈りの先にあるのが,聖母マリアという存在なのかも知れない。 -
このあたりの道は一本道ではなく,標識だけが頼りだ。
ときには行きつ帰りつしながら進む。 -
ふと,珍しいものに出会った。
標識に蒸気機関車と自転車を組み合わせた意匠があり,「鉄道駅まで2km」と表示されている。しかし,現在この地域に鉄道はないはずだ。
どうやらこれは,1970年代頃まで運行されていたガベラ・ゼレニカ鉄道(Željeznička pruga Gabela-Zelenika)の廃線跡のようだ。それを自転車道として整備したのだろう。
かつて,コトル湾やドゥブロヴニクはモスタル,サラエヴォなどと軽便鉄道でつながっていた。コトル湾はオーストリア=ハンガリー帝国海軍の軍港だったのだ。鉄道の終着駅のゼレニカは,ちょうど今日の昼食を食べたカフェテリアがあった街である。 -
小さな峠を越えると,フトヴォ・ブラト自然公園の湖(Svitavsko Jezero)が眼の前に広がった。
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湖全体がきわめて浅く,湖面の中ほどにも広がる湿地帯が独特の景観を作り出している。
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湖畔のヒツジの群れ。一緒に水鳥もいる。
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その近くに造られたばかりの御堂があった。
中には,大きめの日本人形くらいの聖母像が祀られていた。目鼻立ちの整った現代的なお顔をされていた。 -
メジュゴリエには,どうにか暗くなる前に辿り着くことができた。
土地鑑のないところでは,暮れてしまうと宿の場所を探すのに苦労する。 -
宿の名前は「Pansion ALFA」。
ミニスーパーの2階にあり,買い物にも駐車にも便利。バルコニー付きのツインが一泊18EURだった。(1EUR=約125円)
(つづく)
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この旅行記へのコメント (2)
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- kiju-jiさん 2020/07/22 08:59:54
- タヌキを連れた布袋さん。kiju-jiと云います。
- おはようございます。私が初めて書いた旅行記にイイネを有難う。
布袋さんのブログを3件ほど読みました。ドブロヴニクの俯瞰写真は私が見たかった景色。スルジ山のロープウェイはスト中でタクシーで行きましたが運転手にストップの言葉を掛けるタイミングを外しました。
またコトルの景色も見たかったけど、私が参加したパックツアでは行きませんでした。
高台から見る景色は最高ですね!・・・。
やはり、個人でドライブ旅行が最高ですね。布袋さんが羨ましい。
私は今年の5月で78歳。人生最後の旅行として、ローマに滞在してオルヴィエートに日帰りを計画していますが新型コロナウィルスの影響で何時になるやら・・・。
布袋さんの旅行記は、失礼ですが面白い。それにオペラのシーンなども入り、ドライブされた地図も入り、時間も入り参考になります。
ではまた。
- タヌキを連れた布袋(ほてい)さん からの返信 2020/07/22 18:59:42
- コメントをありがとうございます
- kiju-jiさま
コメントを頂き,ありがとうございました。
私も新型コロナの影響で旅に出られず,熟田津で月待ちをしている状態です…。でも,まだしばらくは無理そうですね。今は,旅の下調べや資料を読む時間と考えるしかないです。
私は今回素通りしてしまったドブロヴニクでしたが,kiju-jiさまの詳細な旅行記と写真を拝見して,すでに半分「行ったような」気分になっております。ありがとうございました。
アドリア海・地中海の歴史で重要な地位を占めるラグーザ共和国。中世にあって近代的な検疫制度を採用したラグーザやベネツィアの歴史は,今回のコロナ禍において貴重な参照先になるのではないでしょうか。
まもなく梅雨も明けて,きりっと冷えたオルヴィエートの白ワインが美味しい季節ですね。今後ともよろしくお願い致します。
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