2018/08/06 - 2018/08/06
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su3さん
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いつかは行ってみたいと思っていた高野山に行ってみました。宿坊に泊まらず、和歌山市内から車で移動して高野山を堪能するという工程です。まずは一日目。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 自家用車 徒歩
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早朝にホテルを出てカフェオレを呑みつつ道の駅などに寄り道しながら高野山駅に到着。
高野山駅 駅
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駅ではこうやくんがお出迎え。こんにちわー。
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平日の早い時間なのでほとんど人がいないこちらで1日バスチケット購入。
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駅から車で移動して高野山大門南駐車場に車を停めます。
朝早いからほぼ車いないね。 -
駐車場わきのトイレに入った後、東屋で身支度を整え
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階段を登り高野山の一口に向かいます。
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階段に続く坂道には清々しい木漏れ日がちらちら。
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階段を登り切ると高野七口女人道に出ました。
弘法大師廟のある奥の院を囲む摩尼山、楊柳山、転軸山は高野三山と称される山々は、明治5年に解除されるまで女人禁制で山内に立ち入ることのできませんでした。そこで御廟を拝みたいという信仰の心がある女性や、身内で出家した人をひと目見ようとの思いの女性たちが辿った尾根道がこの高野七口女人道です。
ちなみに高野山は高野の平原を取り囲む峰々を「蓮」の花になぞらえて「内八葉・外八葉」の二重の蓮の八葉(花弁)に見立てられました。その「外八葉」の峰々を巡るのが女人道でもあります。女性のための道 by su3さん高野七口女人道 名所・史跡
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歩を進めると建物発見。
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お助け地蔵尊に到着。
一つだけ願い事を叶えてくれると言われているこちらの地蔵尊は、高野山に住むおじいさんが熊野の辻で道際の小さな谷に落ち込んでいた地蔵尊を道まで引き上げて安置し、後に高野山の龍神口近くに祠を建て地蔵尊を移して毎日参拝したところ、この地蔵尊がみんなの願いをひとつずつかなえてくれるようになったという由来があります。
かつてはその由来から熊野辻の地蔵様とも呼ばれていたとか。願い事一つ叶えましょう by su3さんお助け地蔵 名所・史跡
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お助け地蔵尊から更に女人道を進みます。
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あ、あの赤い建物は!
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ウキウキしながら進むと大門横に出ました。
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大門を正面から見ると思っていた以上に大きいな。
今から300年前に再建された現在の大門が高野山の入口ですが、もともと高野山の入口は鎌倉時代ごろまで九折谷という地区にあり、その頃は門の形ではなく鳥居が立っていたそうです。この地に門として造られたのは900年前、二階建てになったのは800年前だとか。高野山の総門 by su3さん大門 名所・史跡
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大門前の道を挟んだ掲示板を見ると、山の上に登っていてまだ朝の9時前なのに31.2℃…汗だくなわけだ。
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大門に向かって左手に鳥居のある登山口は、空海が奈良県天河村の天河弁財天社より弁財天を勧請した嶽弁財天社に繋がっています。
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両脇に鎮座する仁王像の大きさは国内第2位なんだそうです。
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阿形像。
京都の仏師であり高野山大仏師をも名乗った康意が造立しました。 -
吽形像。
京都五条の仏師、運長が造立しました。 -
お邪魔しまーす。
大門の中央二本の正面柱には、右側に「不闕日日之影向」、左側に「検知處々之遺跡」と記された柱聯が掛かっていました。興教大師の筆なんだそうです。 -
門の下ですこし涼んでから通り抜けます。
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裏から見た大門。やっぱりカッコイイな。
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門を出た先の道は緑と木漏れ日が綺麗でとても癒されました。
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振り返ると銅瓦葺と木々の緑が門の朱色を引き立たせて一層綺麗に見えました。真夏のこの時期にアジサイがしっかり咲いていたのはちょっと吃驚したな。
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大通りから中門に向かって歩いていきます。
丁度、広島に原爆が落ちた日だったので、この辺りを歩いている途中でそれについての放送がありました。黙祷。そういえば、前年のこの日は広島の地にいたな。 -
道の途中にあった呉服店と書いてあるのに茶房とも書いてある店。
どっちなんだろうと後から調べたら、元は呉服屋で閉店後に和と猫をテーマにした和カフェにリノベーションした店ということでした。 -
ナニこれ素敵な構えの寺とふらふらと寄っていった建物。
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正面入り口の石灯籠後ろには西南院の名前。
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中に入れるようだったので足を運んでみました。
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真然大徳によって開基されたとされる西南院は宿坊やカフェなどもありました。カフェに入ると外からは見えない大庭園を回廊を見ることができるんだそうです。時間的に無理だったのでこちらはパス。
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高野山名物ゴマ豆腐の店、角濱。早すぎてまだお店が開いていませんが、帰る頃には開いていてお客さんがたくさんいました。
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湯屋谷弁天。
高野七弁天の内の一つで、伝説によると弘法大師が高野山の水源に七弁天を作られたんだとか。先ほどの大門近くに入り口があった嶽弁天もそうですね。写真に写してはいないのですが、西南院の向かいには祓川弁財天もありました。 -
中門に到着。
大門が高野山全体の総門であるのに対して、壇上伽藍の門は中門と呼ばれています。こちらも大門のように開創当時は結界の意味が強い鳥居であったとか。過去に何度も焼失しているのですが、今の中門は高野山開創1200年記念大法会に併せて172年ぶりに再建されたものだそうです。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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多聞天は文政三年再建時のもの。
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持国天も文政三年再建時のもの。
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中門裏には胸元に蜻蛉が止まっている増長天。こちらは高野山開創1200年記念大法会に併せて造られたもの。
仏師の方曰く、蜻蛉は前にしか飛ばず、悪を絶対に通さない、後ろに退かないという意味があるそうです。 -
同じく高野山開創1200年記念大法会に併せて造られた、中門裏にある胸元に蝉が止まっている廣目天。
こちらの蝉は遠くまで届く蝉の声のように威嚇の姿勢を表し悪を退けるという意味があるそうです。 -
中門をくぐって壇上伽藍に入ると、正面には三本の塔婆とその奥に金堂がありました。
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金堂前には立派な灯籠。
現在の金堂は昭和7年に再建されたもので、耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造。御本尊は秘仏となっている薬師如来で高村光雲作です。一度見てみたいものです。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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まずは金堂に行ってみましょうか。
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中を覗くと金堂内は意外とキラキラしていました。
お坊さんが特定の場所をグルグル回っていたのでなんだろうと思いましたが、どうやら滅罪生善のために1週間、金堂の中を理趣経に節を付けて堂内を廻る不断経の確認などをしていたようです -
中に入って見学した後、ぐるりと縁側も歩いてみます。
奥の建物についている出っ張り棒を押している方が見えました。大きなマニ車を回しているようだな。 -
壇上伽藍内に鳥居がありますね。
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立派な松の木が見えます。
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金堂の裏に回ると
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一際目を引く根本大塔が見えました。
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そのまま正面に戻る途中に見えたのは、白い鐘楼とさっき見えたの鳥居の先にある神社の社務所かな。
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正面に戻ってきました。
中門がよく見えます。 -
金堂を後にして
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先ほど縁側を歩いているときに一番気になった鐘楼へ向かいます。
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日本で四番目に大きい梵鐘のため高野四郎とよばれる鐘楼。度々鐘楼が焼失し、三度ほど改鋳されているそうです。
2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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今でも現役で、一日のうちで朝の4時から夜の11時までの間に五回の時を告げているとか。
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中門前を通って次に気になった場所に行きましょうか。
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六角経蔵に到着。木々に囲まれて静かにたたずんでいる姿が綺麗です。
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鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵です。紺紙金泥一切経の名前から別名・荒川経蔵とも呼ばれています。
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経蔵の基壇付近のところに把手がついており、写真のように押して一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれています。つまり巨大マニ車。もちろん自分でも回してみましたよ。意外とすんなり回りました。功徳を得たかな。
2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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六角経蔵から金堂の西側に位置する松の木まで行くと、松に名前が付いていました。
明王院の僧である如法上人がこの松から弥勒菩薩の浄土へと昇天され、弟子の小如法も師匠が登天するのを見て、あわててその後を追って昇天されたという由来から、登天の松というのだそうです。その下にはこんもり木が茂っていたのですが、当時はこの松の周辺には芝が生い茂り、そこへ小如法が昇天時に落とした杓子が墜ちてきたことから杓子の芝と呼ばれたとか。 -
登天の松にほど近い鳥居にも足を運んでみました。
壇上伽藍の中に鳥居?と思いながら近づくと狛犬までいる。 -
鳥居をくぐると山王院いう地主の神を山王として礼拝する場所がありました。弘法大師が高野山開創時に、日本在来の神々と仏教の諸尊との融和のため、丹生明神と高野明神を高野山の守護神(地主神)として祀った御社の拝殿なんだそうです。
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両側面向拝付入母屋造りの拝殿というのは珍しい造りですね。
2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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裏側も表と似たような造り。
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ということは山王院の後ろにあるのは…
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御社という三つの社殿がならんでいました。一宮は丹生明神、二宮は高野明神、三宮は総社として十二王子・百二十伴神が祀られています。
丹生明神社と高野明神社は春日造、総社は三間社流見世棚造で、どちらも檜皮葺の屋根でした。文禄3年再建の重要文化財なんだそうです。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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北方向と反対側の鐘楼の後ろを通って
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進んだ先に
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西塔。
朱塗りではありませんが、これはこれで美しく凛としたたたずまいが素敵です。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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弘法大師の伽藍建立計画案である御図記に基づき高野山第二世である真然大徳によって建立された西塔は、大塔と合わせて二基一対で大日如来の密教世界を具体的に表現する法界体性塔の一つとして建てられました。中には本尊の金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されています。
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ちなみに西塔奥で中門下層柱に使用した桧の切り株がありました。
こんな近くで材料の一部を調達していたんですね。 -
西塔から根本大塔の方に向かいます。
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根本大塔の手前にいくつか建物がありますね。
ちょっと見てみましょうか。 -
向かう途中で鐘楼を正面から見てみました。
こちらの鐘楼は中が見えませんね。 -
京都にある東寺の延杲が雨乞いを成就させたことがきっかけとなり、後鳥羽上皇の命により建立された孔雀堂。本尊の孔雀明王像は快慶作で重要文化財に指定されています。
こちらは昭和58年に再建されたものです。だからかとても新しい感じがしました。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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准胝堂の本尊の准胝観音は、空海が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造ったと伝えられ、もともとは食堂に安置されていました。天禄4年にこのお堂が建てられ准胝観音が移されたそうです。
2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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金堂の奥に建つ御影堂。
空海が日常的に帰依礼拝した念持仏を安置する持仏堂として建立され、後に空海の御影が安置されるようになり、壇上伽藍で最も重要な聖域となっています。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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御影堂と金堂の間に赤い玉垣で囲まれた松の木は、高野山開創にゆかりの三鈷の松。
空海が唐から帰国する際に、明州の浜より三鈷杵を日本に向けて投げました。後に空海が高野山の付近に訪れたときに、ある猟師から夜になると光る松のことを教えられます。紀州犬に案内されて丹生明神に会い、高野山を譲り受けた空海は松に掛かっている三鈷杵を見つけ、これこそが唐で投げたあの三鈷杵だとここに真言密教の道場を開くことを決断し、高野山の開創につながったのだそうです。 -
一生懸命に湖の松の下で探し物をしている方々がいて、何だろうと近寄ってみたら三葉の松の葉を探していらっしゃいました。縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にされているんだそうです。
ちょっと探してみましたが…見つかりませんでした。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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気を取り直して根本大塔に向かいましょうか。
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根本大塔は、空海が法界体性塔とも呼び、真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立を始めた、日本で最初の多宝塔です。完成は弟子の真然大徳の代で約70年の歳月をかけて建てられました。
2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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中に入ろうと近づいて上を見たら軒の美しさが半端ない。
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塔内に一歩足を踏み入れると、本尊は胎蔵大日如来で周りには金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅になっていました。須弥壇らしきところにコインが沢山立ててあったのはなんだったんだろう。
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根本大塔を出て階段を下ります。
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愛染堂は名前の通り、本尊が愛染明王です。この愛染明王は後醍醐天皇の御等身といわれています。
後醍醐天皇は新政を始めたばかりの建武元年に、天下泰平と朝廷の繁栄を願ってここに愛染堂を建立させましたが、その願いはかなわず、2年後には建武の乱が始まりました。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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不動明王が本尊となったことで名が付いた不動堂。
建久8年に鳥羽上皇の皇女である八條女院内親王が発願され、行勝上人によって建立されました。もともと女人道の奥にある一心院谷に建てられていたものを、伽藍に移したお堂だそうで、位置的に幾度かの高野山の火災から逃れ、現在の建物は14世紀になってから再建されたものが残っており国宝です。
お堂の四隅はすべて形が違うそうなのですが、それは四人の工匠がそれぞれの随意に造ったためと伝えられています。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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不動堂の奥には池がありました。こちら蓮池というそうで、昭和の頃までは美しい蓮が咲き誇っていたそうです。蓮の咲いている様子を見てみたいものですね。
2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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愛染堂の隣にあるやや大きなお堂は、阿弥陀如来を本尊とする大会堂。
鳥羽上皇の第7皇女である頌子内親王が願主となり、父帝の菩提を弔うために刈萱堂の辺りに創建した蓮華乗院が元で、治承元年にこの場所に移築されたそうです。造営にあたっては、歌人の西行が奉行となり勧進を勤めました。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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西行桜という桜の木がありました。西行が三昧堂の移築・修造をした際の記念に植えた桜だそうで、一度枯れたので後継したものだそうす。
鳥羽上皇の北面の武士だった西行は出家後、高野山に深く関わるようになったんですよね。 -
西行桜の横にはポツンと小さなお堂の三味堂。延長7年に済高座主が、理趣三昧という儀式のために建てたお堂だそうで、当初は総持院にありましたが、平安時代末期にこの場所に移築されました。
2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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ちょっと小ぶりな根本大塔があるな、なんて思いながら見た東塔。西塔があるなら東塔もあるよね。
平安時代後期の大治2年に白河上皇の発願で醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建され、天保14年の大火で焼失し、現在の建物は昭和59年に再建したものだそうです。2015年再建 by su3さん壇上伽藍 寺・神社・教会
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一通り見学を終えて伽藍の端まで来たので次の場所に向かいましょうか。
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蛇腹路を通って壇上伽藍を出ます。
紅葉の時期はこの小道はとても綺麗に色付いていそうですね。 -
弘法大師が高野山を「東西に龍の臥せるがごとく」と形容され、壇上伽藍を頭として現在の蓮花院までを龍が臥している形に例えたそうです。そしてこの小道辺りは龍のお腹付近にあたることから蛇腹路と呼ばれるようになったとか。
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出口が見えてきました。
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着いてみたらこちらが本当の壇上伽藍の入口なんだそうです。逆走?
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伽藍の入口を出て少し歩いた先にある石垣の上には六時の鐘。賤ヶ岳七本槍の一人、福島正則が父母の追福菩提を祈って建立した鐘楼で、現在でも午前6時より午後10時まで偶数時に時刻を知らせています。
偶数の時刻を知らせます by su3さん金剛峯寺 寺・神社・教会
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六時の鐘のお隣には総本山金剛峯寺。
元は真然大徳の住まいがあったところで1131年に覚鑁上人が鳥羽上皇の許しを得て大伝院を建立し、その後、豊臣秀吉公が亡き母の菩提を弔うために木食応其上人に命じて建立された寺院で、その名を青厳寺と呼び応其上人の住まいとされました。 -
金剛峯寺の建物の中で一番古い正門を通って中に入りましょうか。
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こちらの正門は1593年に再建されてたものです。昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、高野山の重職だけで、門右側にある小さな入り口を一般の僧侶が使用したそうです。
偶数の時刻を知らせます by su3さん金剛峯寺 寺・神社・教会
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正門をくぐっているときに上を見上げると冠木の部分に槍っぽいものが彫刻されていました。錫杖でしょうかね?
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正門をくぐると檜皮葺の屋根の上に天水桶が置かれた金剛峯寺本坊が目に入りました。天水桶は普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割があるそうです。確かに何度か焼けてますものね、この辺り。現在では、消防設備や機器の発達により使われていないそうです。
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右を向くと大玄関とその奥に小玄関。
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こちらは金剛峯寺の前身だった青巌寺の鐘楼。1864年に再建されたものだそうです。
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大玄関は金剛峯寺の表玄関で、正門と同じく天皇・皇族や高野山の重職だけが出入りさできたんだとか。今でもそうなのでしょうかね。
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では小玄関横の入口から中に入りましょうか。
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靴を脱いで階段を上がったら受付です。車椅子についての記載もあって手広いなと思いました。
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海老虹梁がある廊下を歩いていきます。
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奥之院御廟の後ろに立っていた樹齢700年の霊木・高野杉の輪切りと1984年の弘法大師御入定1150年御遠忌大法会の際に掲げられた金剛峯寺の額。金剛峯寺という名は弘法大師が書きうつされた『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』という経より付けられたと伝えられています。
木の中にはお金を入れないでくださいと掲示されていて、日本人ってなんにでもお金ねじ込むよなと思いました。 -
大玄関を内側から。流石に広い玄関ですね。
大広間・持仏間・梅の間・柳の間 は撮影禁止スポットだったので写真はありませんが、この後に訪れた重要な儀式・法会が執り行われる大広間には金箔に鶴や松を描いた斎藤等室の襖絵、梅の間には狩野探幽の梅月流水、豊臣秀次が自害した柳の間には山本探斉による柳鷺図があり、全体的に豪華な感じでした。 -
廊下には法会で使用される輿が展示されていました。
余談ですが、柳の間は、仏門に入った豊臣秀次が包囲され自害した部屋ということから秀次自刃の間とも呼ばれているそうです。 -
渡り廊下を歩いていると、
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その横には枯山水。
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別殿の途中にある立ち入り禁止区域にはこうやくんがいました。
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別殿は1934年の弘法大師御入定1100年御遠忌大法会の際に建てられた桃山様式の建物で、大広間は1983年まで主要会議の際に使われていたそうです。南北に長く西側が庭に面した方形の平面で、西・東両側に各四つの部屋が並んでいます。
部屋には現代の画家による襖絵がありました。 -
正面に進むとお茶もらえますの表記にひょいひょい新別殿へ向かいます。
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暑いなー、と思いつつ歩きながら横を見ると何とも良い景色。
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1984年に弘法大師御入定1150年御遠忌大法会に伴い、多勢の参詣者接待の場所を設けるために新設された新別殿に行くと、お茶とお菓子をいただきました。
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椅子に座ってのんびり庭を眺めながら一休み。
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広い大広間の正面には弘法大師の像、向かって右には胎蔵、左に金剛界の種字曼荼羅を掲げており、後方には学問の仏様である文殊菩薩がいました。
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先ほど歩いた廊下を少し戻り、
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なんとなく良い感じの石。
良く見たら蟠龍庭の文字。 -
左に曲がって別邸の縁側を進むと
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広い庭が見えてきました。
偶数の時刻を知らせます by su3さん金剛峯寺 寺・神社・教会
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蟠龍庭の広い部分に到着。
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蟠龍庭は新別殿と同じく、弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。国内で最大級の石庭だそうです。左側奥に勅使門が有り、その正面には奥殿が見えます。
雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているんだとか。 -
守られている奥殿はこちら。1932年弘法大師御入定1100年御遠忌事業の一つとして建てられ、中の襖絵は作者が制作途中でなくなったため未完なんだそうです。
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縁側から廊下に入ることができたので涼みがてら廊下でのんびり庭を鑑賞。
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それにしても、ほんと広いですね。
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奥殿へ向かう途中の別邸の部屋は見学できるようになっていて、それぞれの部屋で牡丹、桜、蓮、楓の襖絵が見えました。
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ここから見る蟠龍庭もイイね。
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奥殿へ行く渡り廊下を右に曲がったところにある阿字観道場では、真言宗における呼吸法・瞑想法である阿字観が行われているとか。ちょっと気になりますが、時間的に合わずに断念。
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奥に見えるは新書院。赤い建物が阿字観道場。手前の石は龍の背中でしょうかね。
新書院は1971年に天皇皇后両陛下が御使用されたお部屋なんだそうです。 -
この辺りの木漏れ日が綺麗だったなぁ。
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渡り廊下を歩いて主殿の方に戻ります。
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先ほど別館に行くために横切った渡り廊下に出ました。
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奥書院の上々段の間にある窓の形がカッコイイし、障子の模様も素敵。
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上段の間全体の壁は総金箔押しで、天井は植物彫刻が施された折上式格天井の書院造りになっていて、全面がキラキラしていてちょっとまぶしいくらいでした。武者隠しや宝剣っぽいものが置いてあったりしてここは殿中かと思うほど。
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上段の間の前にある中庭は江戸期に作られたと伝えられ、当時は池の周りに高野六木(杉・檜・松・槇・栂・樅)がそびえ立っていたそうです。ちなみに高野槙は悠仁親王のしるしになっているとか。
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この廊下の隣にある奥書院、稚児の間を見学したのですが、狩野探斎や雪舟とその息子の襖絵があったり素敵なライトがあったりで、中まで入れないこともあり、思わずじっくり見てしまいました。
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小さな中庭に出るとここにも梯子。
正面にもあったけれど、定期的に屋根に上って天水桶から水を撒いていたんだろうなと推測。 -
高野山の神様由来の巴紋と豊臣秀吉由来の桐の紋の二つが寺紋なんだそうです。だからところどころに横並びで二つのマークが入っていたのか。
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主殿の北側には、高野山第二世となった真然大徳の御廟所、真然大徳廟がありました。弘法大師の甥で、大師の理想を受け継ぎ、伝法会の基をひらき、次の時代の真言宗中興の祖である覚鑁上人に大師の精神を伝えた真然僧正のお骨が納められた御舎利器がこちらから出土しているそうです。
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江戸期以降、実際に金剛峯寺の大勢の僧侶の食事を賄ってきた台所。右手にはいろりの間という、昔は冬の寒い時期に暖をとった土室がありました。囲炉裏は天井まで4本の柱と壁が立ち、煙を天井から屋根の外に抜くようにできていて、火袋には小棚が設けられ、弁財天が祀られているそうです。精進供がお供えされていました。
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何とも素敵な構図だなと思って思わず撮ってしまった梯子。屋根裏に登るためのものでしょうか。
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水飲み場は湧き水を高野槇の水槽に溜めていました。
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大きなかまどは現在も使われているそうです。
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天井からつり下ろした台には食物が保存されていました。天井からつることで風通しをよくし、さらに紙を垂らすことによってネズミの侵入を防ぐとかよく考えられていますよね。
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炭をおこす場所には防火対策として大きな煙突が配置されています。
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ちゃんと煙が抜けるようにしてあるんですね。
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一つの釜で約七斗のご飯を炊くことができる大釜がずらり。1980年頃まで、この釜は毎年12月28日の餅つきに使われていたそうです。
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二石釜の真上には行灯が釣られ、正面には台所の神様である三宝荒神が祀られていました。 神棚前に貼られている切り紙は「宝来または絵絹」と言い、お正月のお飾りの一種で、門松としめ縄にあたります。高野山では米が作れず、ワラが無くてしめ縄の代わりにしたものだそうです。
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主殿の出入り口から外に出て会下門をくぐります。
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丁度バスが来たので金剛峯寺前から1日バスチケットを利用して移動し、霊宝館前のバス停で降ります。
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今回はこちらの展示。
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さあ、行きましょうか。
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こちら霊宝館は高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設で、本館は日本最古の木造博物館で登録有形文化財として指定されています。
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広目天カッコイイ!
高野山は色んな武将と繋がりがありますよね。高野山で蟄居していた真田幸村が着物あげるから焼酎くれっていっているお手紙が切なかったです。また、お市の方の絵があったり、武田信玄の弟の絵がありました。弟の絵は美味くて吃驚。
宗帝王の掛け軸で日本版パンジャンドラム(地獄車)に責め立てられる亡者の絵とか、不動明王イン不動明王や毘沙門天イン毘沙門天なんかが面白かったな。
もものふのお地蔵さんとか凄い。日本最古の木造博物館 by su3さん高野山霊宝館 美術館・博物館
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ふう、おもしろかった。
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木々に覆われた道を出口まで歩きます。夏の季節も中々に良いのですが、秋などは紅葉で素晴らしい景色になりそうな道ですね。
霊宝館前にバスが来ていたので慌てて飛び乗り次の場所に移動します。 -
バスを降りると、そこは高野山の北西の入り口にあたる不動口。
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高野山で現存する唯一の女人堂。昔、こういった高野山の入り口は七箇所あり七箇所全てに女人堂があったそうです。
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女人堂の左手側に小杉明神という小さな祠がありました。
昔、越後の国に本陣宿紀の国屋があり、そこに小杉という娘さんがいらっしゃいました。数奇な人生を送られた後にお大師様に救われて尼僧になり、女人禁制の高野山に登って来られる女人の方々のために不動坂上に最初の女人堂を開いたのだそうです。
その小杉さんが、女人堂の鎮守小杉明神としてお祀りされている祠がありました。 -
女人堂は参拝者の休憩場でもあり、明治5年まで長く女人禁制だった高野山では、高野山に入れない女性がお堂に籠もり、一晩中真言を唱える場所でもありました。
現在残っているお堂は一つだけ by su3さん女人堂 寺・神社・教会
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お堂には弁財天、大日如来、神変大菩薩が祀られていました。こちらで真言を唱えていたんでしょうかね。
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お堂の左側は畳が敷かれ、その奥が土間(?)になっていました。
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土間には模型や写真がずらり。火鉢がいい味を出しています。
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初めて高野山で生まれた女人の写真が女人堂の看板の横にありました。
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女人堂の向かいには高野七口女人道の入口「不動坂口」があり、1kmほどで弁天岳へ登る事ができるそうです。不動坂口女人堂の建つ京大坂道のほかに、町石道、黒河道、小辺路、大峰道、有田・龍神道、相ノ浦道があり、入口に建つ女人堂を結んでの「女人道」は今も残されてい、歩くことができます。
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女人堂の見学を終えた頃、丁度バスが来たので乗り込み次の場所へGO!
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バスを降りた目の前には浪江不動尊。
鳴き龍 by su3さん浪切不動尊 名所・史跡
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せっかくだからお参りしていきましょうか。
波切不動尊の由来は、空海が唐からの帰国途中に嵐に遭い、船が難破しそうになった時、師から授かった霊木に自ら「一刀三礼」にて不動明王を刻んで無事を祈願ると、その不動明王が火焰を放ち、利剣で波を切り裂いて航路をつくり、空海一行を導いたという伝説からのようです。 -
拝殿に行くと何やら看板が
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この上に波切龍がいるんですね。どれどれ。
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おお!立派な龍だこと。
こちらの龍は鳴龍で、龍の目の下で手を叩いてみると音が響いて唸っているようでした。 -
波切不動尊から少し歩いたところに
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徳川家霊台がありました。
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階段を登って右手に進むと
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二つの霊舎が登場。
向かって右側が徳川家康、左側に徳川秀忠が祀られています。1643年に徳川家光によって建てられました。 -
こちらが家康の祀られている霊台。家康は神様扱いされているので鳥居があります。
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中に入ってお参りしましょうか。
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やたらと装飾的で、日光東照宮の雰囲気もある一重宝形造り。江戸時代の代表的な霊廟建築で重要文化財なだけあって造りが凄いです。
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瓦棒銅板葺の屋根には葵の紋がびっしり。蟇股には虎がいて、その両脇には麒麟がいました。王が仁政を行うと現れる霊獣に守られている家康を表しているようです。
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扉の彫刻も凄いですが金具の部分に鱗型模様がびっしり刻印されているのも凄いな。
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左手側には鳳凰と獅子。
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右手側にも鳳凰と虎。
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この場所は本来、聖派の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存せず、霊台だけが残っているんだそうです。
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東側にも、徳川家光以降の将軍や御三家を祀る尊牌堂があったそうですが、明治21年に焼失してしまったとか。
ミニ日光東照宮 by su3さん徳川家霊台 名所・史跡
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こちらは秀忠が祀られている霊台。
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子の建物も一重宝形造りで、蟇股には兎がいました。兎の両側には虎が。秀忠が家康に見守られた正当な後継者であることを表しているとか。
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通常は瑞垣の外からの拝観となっている徳川家霊台は期間限定で開扉され特別公開されるそうです。
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こちらの扉も凄いな。
絢爛豪華な造りの割に軒より下は欅材の木肌が白く見え、一見無塗装にみえますが、当時は拭漆で欅の美しい杢目が透けて見え、淡いべっ甲仕上げだったと考えられているとか。今よりも贅をつくした感がある当時の姿を見てみたいなと思ってみたり。 -
こちらの両扉横にも鳳凰と獅子。
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「東の日光東照宮、西の高野山徳川家霊台」といわれるのがよくわかる豪華さでした。
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徳川家霊台を後にし、バスに乗り込み刈萱堂前まで行きましょうか。
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刈萱堂前で降りて少し歩いた場所にやきもちを売っているお店がありました。
高野山の名物の一つにやきもちがあります。弘法大師高野山開創の当時、一人の老婆が塩やきもちを作り、「花坂のやきもち」として有名になりました。高野山の小田原通りに上きしやさんがあったので刈萱堂に行く前に休息がてら食べてみようと店先へ。ゆったり焼きもち by su3さん上きしや 高野店 グルメ・レストラン
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やきもちを注文しようとメニューを見るとこんな張り紙がが。やきもちを揚げたものだそうです。
当初の予定を変更してこちらを購入。 -
涼しい店内に入ってできあがるのを待っていると、こちらからご自由にどうぞと案内を受けて冷たいお茶を頂きました。
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揚げたての餅天と頂いたお茶。
熱々の揚天は中の餡が程よい甘さで美味しかったです。 -
お盆のシーズンはやっぱり混むという話を店員さんとしていたら、外国の方々がお店に入ってきました。
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やきもちを注文して店内で食べようとしていたのですが、あまり日本語が分からず、自分でお茶をついで飲んでよいことも分からなかったようなので、調理で忙しそうな店員さんに代わって外国の方々にお茶を出すというお節介炸裂。
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やきもちを食べて一息ついた後は刈萱堂へ。
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こうやくんがお出迎えしてくれた刈萱堂は密厳院に属するお堂で、誰でも無料で拝観できます。石童丸物語の縁の場所として有名です。
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中に入ると、説教節の代表作ともいえる刈萱道心と石童丸の物語がレリーフになって掲げられていました。
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平安時代の終わり頃、筑紫の国に、加藤繁氏という若い領主がいました。
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原田種正の宴で乱入した馬を収めた縁から、17歳の繁氏はその娘の桂子姫を娶りました。
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繁氏は花見の折に雨よけした家にいた千里姫に一目ぼれし、側室に向かえました。
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普段の二人は仲良く平静を装っていましたが、女中に炊きつけられたこともあり桂子は若く美しい千里を憎んでいました。桂子と千里が囲碁をしている様をたまたま繁氏が障子越しに見たところ、二人の髪が逆立ち、蛇となって絡み合って戦っているように見えたのを切欠に出家の機会をうかがい始める繁氏。
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ついには桂子姫が千里姫を殺す計画を企てます。
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千里姫は家来の計らいにより他人が身代わりとなり、加藤の家を逃れることになりましたが、実はこの時、千里姫は子どもを身ごもっていました。
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これらの一件を見た繁氏はそっと館を出ます。
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繁氏は筑前から高野山へ。21歳で出家し、蓮華谷に萱の屋根の質素な庵を結んで一心に修行に励み、やがて刈萱道心と呼ばれるようになります。
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加藤家の屋敷を逃れた千里は、播磨国は太山寺の観海上人のもとに身を寄せました。そこで男児を出産し、石童丸と名付けました。
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石童丸が14歳になった頃、高野山に刈萱道心という僧がいるという噂が聞こえてきました。その僧こそ繁氏に違いないと確信した千里は、石童丸をつれて高野山へと向かいます。
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ようやく高野山の麓にたどりついたものの、高野山は女人禁制の聖地。やむなく、石童丸は母を麓に残して、ひとり高野山を登ります。
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高野山にたどり着いた石童丸は、父の居所を訪ね歩き、やがて、奥の院の御廟橋で、ひとりの僧に出会います。実は、この僧こそ、実の父親・刈萱道心でした。
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刈萱道心は石童丸の身の上を聞いて大変驚きましたが、俗世の縁を断ち切って出家した身であり、父と名乗ることはできません。「繁氏という人は去年の秋に亡くなった。ちょうどそこにあるのが、その墓である」と近くにある適当な墓を指し示し、石童丸は墓の前で泣き崩れました。
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刈萱道心は石童丸に早く母のもとに帰るよう諭し、仕方なく石童丸は高野山を下っていきました。
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ところが麓の宿に着いてみると、長旅で無理をしたためか、石童丸が高野山に登っている間に母の千里は急の病を発し、すでに亡くなっていました。
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ついに、孤独の身の上となってしまった石童丸は、母を葬ると、再び高野山に向かいます。
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石童丸は、父の死を伝えてくれた刈萱道心の元で出家して弟子となります。
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二人は40年以上、師弟として刈萱堂で修行をしました。しかし、刈萱道心は生涯親子であることを伝えなかったといいます。二人は光明真言を唱えながら、心を込めてお地蔵さまのお姿を刻んだといい、いつしか、世の人々はこれを親子地蔵尊と呼ぶようになりました。
晩年の刈萱道心は高野山を離れ、信州善光寺で生涯を終えたそうです。 -
レリーフ展示が終わると親子地蔵尊のいらっしゃる部屋へと繋がっていました。
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刈萱堂を出て奥之院一の橋入口の方に歩くと恵光院がありました。
提灯に島津の家紋が付いていますが、明智光秀の菩提寺でもあります。
空海がこの地に五重の宝塔を建立し、弟子の道昌僧都が諸人の先祖の御供養であるご廻向をおこなった事から、廻向院と呼ばれていましたが、後に恵光院に改められました。 -
恵光院のお隣には
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金剛院毘沙門天のお堂。
毘沙門天は四天王の中では最強の武神であり、北の守護神。戦勝祈願、鎮護国家の他に財宝福徳のご利益があるんですよね。上杉謙信の軍旗にも一字とって使っているのも有名です。せっかくですから拝んでおきましょうか。 -
こんなものを見つけたので何だろうと思って後から調べたら、太平洋戦争末期の1年間だけ、高野山は軍隊に徴用され、海軍航空隊の予科練が置かれていたんだそうです。現在の金剛峯寺の駐車場は練兵場となり、高野山海軍航空隊は終戦までの1年間に、1万人の練習生たちが厳しい訓練に励んでいました。
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一の橋観光センターに寄ったら、予約すればこちらの精進料理が食べれますよと写真付きで書いてあったので次の日のお昼用に予約。
一の橋観光センター (本店) お土産屋・直売所・特産品
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一階の店内で売っていたムゥというジャバラの餅菓子が美味しそうだったので購入。生クリームに高野豆腐の粉末を練りこんであり、じゃばら味がスッキリひんやり美味しい甘味でした。
スタンプラリーに参加しているお店だったのでスタンプを押してもらってスタンプ台に書いてある手拭い貰えると思ったら箸がやってきました。ありがたく使わせていただきますね。 -
時間的に大門行きのバスがなかったので、少し歩いた先のバス乗り場から高野山駅行きのバスに乗り込み、千手院橋で途中下車して大門まで歩くことに。
途中にある大師協会に入ってみました。なんだか新しくて広くて綺麗な感じですね。 -
途中でお腹が空いたので、南峰堂本舗で酒饅頭を買ってエネルギー補給。
気軽に買えます by su3さん南峰堂本舗 グルメ・レストラン
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お助け地蔵尊まで戻って
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今日は一旦、ホテルに帰りましょうか。駐車場に戻ります。
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酒まんじゅうだけでは足りなくて、更にはなさかドライブインで稲荷ずし購入してさらにぱくり。
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高野山で汗をかいたので光の湯へ。風呂は熱めで温泉サウナもあり、色々楽しめました。
和歌山県内を回るスタンプラリーをしていたんですが、こちらではタオルをいただいたので、早速温泉に入る時に使用しました。分かりやすい場所 by su3さん有田川温泉「光の湯」 温泉
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フードコートに行くと太刀魚のお刺身丼があって思わず頼んでしまう。太刀魚丼の醤油は甘めたまり醤油ぽくて美味しかったです。
この辺りは太刀魚が有名で、前日に行ったしんまちのたっちょねほねく丼に味をしめてしまったので、温泉入りつつ太刀魚を食べることができる場所を探したらここがヒットしました。
ちなみに土地的に湯浅が近いんですが、テーブルにある醤油の瓶はヤマサでした。 -
温泉で汗を流してさっぱりした後は、早和果実園のミカンアイス。 みかんジュースをギュッと固めたアイスでモロみかんな感じ。
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温泉を出た直後にも飲んだのですが、なんだか飲み足りない気分だったのでスーパーに寄って更に追加の牛乳購入。地元の牛乳美味い。
海南市は鈴木発祥の地という看板を見て、昨日の夕食時もそんな話を聞いたなと思いました。そういえば、速玉大社でも弁慶の出身一族の名前が鈴木だったけ。 -
牛乳を買ったスーパーで鱧の湯引きが売っていたので思わず購入し、ホテルに帰ってから日本酒と一緒に頂きました。
日本酒のおかげかぐっすり就寝。
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この旅行記へのコメント (3)
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- bangkokdaisukiさん 2021/06/01 21:15:52
- 写真も素晴らしい! もう 行った気分になりました
- su3 さん、
こちらに誘導していただきありがとうございます! 写真もとてもきれいですね!
一つ一つ大変参考になりました。 見どころもものすごくあるんですね。
とても回りきれない気分になりました。
- su3さん からの返信 2021/06/02 06:05:38
- ありがとうございます。
- 楽しさが伝わったようで良かったです。面白いものをがとうございます。
時間をかけてじっくり見て回るには最適な土地なんで、何度か足を運んでみるのもいいかもしれませんね。
- su3さん からの返信 2021/06/02 20:09:24
- 訂正です
- 〇 面白いものを時間をかけてじっくり見て回るには最適な土地なんで、何度か足を運んでみるのもいいかもしれませんね。
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