2018/08/11 - 2018/08/11
2960位(同エリア7723件中)
su3さん
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
松江城は良い城でした。ぼてぼて茶は初体験。珍しい洞窟探検をした後は、大山寺が夜間特別ライトアップ公開をしていたので行ってみました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
ぐっすり寝たら、お腹が空いたので朝食!
あご野焼きは美味しいな。この後、パンや果物も食べて満腹になりました。燃費の良くない自分でも、これだけ食べれば半日は動きまくれるぞ。立地が良い by su3さんサンラポーむらくも 宿・ホテル
-
身支度を整えたら、松江城に向かいましょう。
-
あるいている途中に京都造形芸術大学島根ものづくりセンターがありました。
京都造形芸術大学の創設者は隠岐出身の方だそうで、新商品開発などに向けて地元企業にアイデアを提案したり、学生が考案した商品の企画資料などを展示しているそうです。 -
まだ開店していないけれど気になったお店。
おつまみ研究所なんて、お酒のあてがいっぱいあるんでしょうか。 -
島根ふるさと館には後でうかがいましょうか。無料駐車場があるのが嬉しいですね。
松江城のすぐ近く by su3さん島根県物産観光館 お土産屋・直売所・特産品
-
こちらは堀川を船でめぐることができる「ぐるっと松江堀川めぐり」の観光船発着場。発着場は松江城周辺に3カ所あり、途中下船もできるので、城下町の見どころを効率よく観光したい人にもおすすめです。
-
堀川ぼりをぐるりと歩いて散策。
松江市は宍道湖から中海に注ぐ大橋川によって市街地が南北に二分されていますが、それゆえに親水性が高く、松江城下の堀川の保存状態も良いことから水の都とされています。 -
松江歴史館では松平不昧の特別展が行われていました。
松江を知ることができる場所 by su3さん松江歴史館 美術館・博物館
-
北惣門橋。
明治の中期に石造りの橋にされ眼鏡橋の愛称で親しまれていましたが、平成6年に江戸時代の木橋に復元しなおされたそうです。こちらからも城内に入ることができます。 -
北惣門橋からお堀沿いを右手に進んでいきます。
-
宇賀橋を渡りましょう。
-
宇賀橋の上から右手を見ると北堀橋。
-
塩見縄手の方に向かいます。
こちらの塩見縄手は町奉行の塩見小兵衛さんから名前が付いた縄手なんだそうです。ちなみに縄手とは長く延びた道路のことをいいます。 -
塩見縄手にはお堀の横に昔の姿を留めた中級武士の屋敷がずらり。武家屋敷の遺構としては全国でも有数のものだそうです。
雰囲気が良い散策路 by su3さん塩見繩手 名所・史跡
-
こちらは中に入って見学ができる武家屋敷。
中級武士の館 by su3さん武家屋敷 名所・史跡
-
日本の道百選にも選ばれているだけあって、面白い景色が続きます。
-
日本の道百選の碑とバス停。
-
小泉八雲が半年間だけ住んでいた住居。
旧松江藩士根岸家の持ち家で、屋敷の主・根岸干夫が出雲におり空き家だったため、彼自身が武家屋敷での暮らしを切望していた小泉八雲がこの屋敷で暮らすことになったそうです。
小泉八雲がこの屋敷に住んでいた時期は、まだ日本に帰化しておらず、ラフカディオ・ハーンと名乗っていたため、ヘルン旧居とも呼ばれています。約5か月の住まい by su3さん小泉八雲旧居 名所・史跡
-
新橋と亀田橋を渡って、
-
搦手虎口に到着。
-
お堀沿いの道を進み椿谷に向かいます。
ちなみに後曲輪に椿がたくさんあるのは、刀の手入れに用いるために植えられたからだそうです。 -
船着き場跡がありますね。
城の裏手側に船を付けることができるようになっていたんだ。 -
電気発祥之地と書かれた碑と電灯。
明治28年に松江市の産業文化発展のため、桑原羊次郎、織原万次郎、山本誠兵衛、清原宗太郎各氏らの奔走によりこの地に松江電燈株式会社の発電所が建設され、市内で始めて250燈の明りがついた記念碑だそうです。 -
こちらの階段から二の丸の興雲閣のあたりまで行けるようですが、大手門から入りたいので違う道を進みます。
-
千鳥橋を渡ります。
昔は橋の上に屋根がかかっていたんだとか。 -
千鳥橋を渡った先には県庁があり、その前は広場になっていました。
昔は県庁が建っている場所が藩主の住居がある三の丸で、千鳥橋を渡って城内に入っていたので御廊下橋とよばれていたそうです。だから橋の上に屋根がかかっていたのか。 -
お堀の一部には藻がいっぱい。
-
城内に足を踏み入れましょうか。
-
松江開府の祖である堀尾吉晴の像。
堀尾吉晴は豊臣三中老のひとりで、武勇ある勇猛ですが、温和で誠実な一面もあり、仏の茂助とも呼ばれていました。関ヶ原の合戦ででは徳川方に付き、息子が武功をたてたため、出雲・隠岐を与えられこの地に赴いたそうです。普請上手な武将だったためか、広い城下が見込め、交通の要衝となる松江に拠点を置いたのはこの方。この姿は築城や城下造成を指揮する姿なんだそうです。松江城を作った人 by su3さん堀尾吉晴公の像 名所・史跡
-
実は、松江城がある亀田山の土地を薦めていたのは息子の忠氏で、父の吉晴は別の土地を挙げていたそうなのですが、その場所が決まる前に忠氏は、病気により27歳という若さで夭折。結局、吉晴は松江城を亀田山に建てることを決め、約5年の歳月をかけて松江城が完成したそうです。
完成後は、堀尾3代、京極1代、松平10代の居城として明治維新のあたりまで使用されています。 -
松江城が現存12天守として残っているのにはドラマがありました。
明治時代になると、政府が発令した廃城令によって松江城も廃城が決まり、陸軍省広島鎮台による管轄のもと、1875年に180円で落札され、実際に二之丸櫓は取り壊されます。明治5年の銀座4丁目交差点付近の1坪5円(約7200万円)だったことを考えると、当時の180円は約26億円ほどでしょうか。
このままだと天守閣が取り壊されると知った出東村の豪農、勝部本右衛門栄忠と景浜親子は、松江藩で銅山の経営を指導していた元藩士の高城権八に相談し、落札価格と同じ金額を支払うことで天守を残せないかと交渉を進めます。後に銅山の採掘によって財を成した勝部親子は私財を投じて、松江城を買い戻し、現在の松江城があるのです。 -
馬溜跡。
馬溜は一辺約46mほどのほぼ正方形の広い平地です。入り口には大手柵門、西側には高さ13mの高い石垣や、南、東側の石垣の堀、さらに内側の高さ1mほどの腰石垣による土塁でこの平場を四方から守っていました。井戸跡も見えます。 -
右に曲がるとしゃちほこを付けた大手門があったとか。
枡形の馬留は、敵兵の直進を防ぎ、侵入の勢いを弱める機能と、出陣の際にこの馬溜に城兵を待機させ隊形を整える機能を果たしていたそうです。 -
こちらは屋根のついた井戸跡。
大手門の近くにあるのが新鮮でした。発掘調査から江戸時代のものと思われる井戸が2箇所と内堀へ通じる石組水路などの遺構面が、現在の地面より約50cm下に見つかったそうです。 -
大手門の復元資料が揃っていないため、とりあえず礎石跡に石を置いてその位置がわかるようにされていました。
奥には御破損方と寺社修理方の基礎建物跡を利用した、茶屋と売店が見えます。 -
二の丸下の段。
今は城山公園になっていますが、その前は運動公園があり、その前は米蔵や屋敷が建ち並んでいました。運動公園時には島根一中と鳥取一中の両県初野球試合が開催されたこともあるそうです。松江城山公園 花見
-
二の丸下の段の入口近くにはなんじゃもんじゃが植えられていました。なんじゃもんじゃは対馬と東濃のみに自生する珍しい木です。こちらのなんじゃもんじゃは昭和15年に寄贈されたものだとか。
-
尋常中学校運動場になっていたこちらの二の丸下の段跡の様子を小泉八雲が日記に残しているためこんなものが立てられていました。
-
なんじゃもんじゃの横を通って上に行きましょう。
-
太鼓櫓が下からよく見えます。
松江城の石垣は、慶長年間の石垣によくみられる打込みはぎという積み方で、石切り場で切り出した石の平坦な面の角をたたき、つき合わせやすくした積み方がほとんどなんだそうです。石垣の一部には野面積や切込みはぎの技法も使用されています。
石垣には堀尾家の紋やその他刻印が付けられていて、工事分担がちゃんとなされていたのが分かります。 -
階段横には立派な楠。
-
階段にある踊り場の石垣から二の丸下の段跡の様子を見るとこんな感じ。
-
三の門跡に到着。
-
三ノ門から入って左手側には定御番所跡。
-
定御番所跡から右にいくと、定御番所の隣には御門東之櫓があったそうです。桜が4本生えている場所が見えました。
-
このあたりに雪隠のあとがあるそうですが、いまいちわかりませんでした。
-
二の丸上段の井戸がみえますね。
二の丸は江戸時代には中央に御書院があり、御書院の北には局長屋、南には御月見櫓があり、他に大広間、御式台、御作事小屋、番所、井戸がありました。 -
先ほど見えた井戸に近付いてみたところ、鍵が掛けられて使えないようになっていました。
結構大きい井戸ですね。 -
二の丸には藩主綱隆公の御殿があり、その入り口を警備するする人々が詰めていた番所 がこの付近にあったそうです。現在はその場所にトイレがありました。
-
太鼓櫓に入ってみましょう。
二の丸の北東角に建てられた平屋建ての櫓で、同規模の中櫓と違って入り口に庇がいています。 -
建物の中には城内に時刻や号令を告げる太鼓が置かれていたそうですが、どのあたりに置かれていたのでしょうね。 内部からは大手門や馬溜の様子が手に取るように眺める事ができました。これだったら侵入してきた敵を一網打尽にできますね。
-
こちらは中櫓。
二の丸の東側に建てられた平屋建ての櫓で、江戸時代前期の文献や絵図には中櫓または東の矢蔵という名前が見られ、幕末には御具足蔵とも呼ばれていました。 -
この櫓の用途は分かっておらず、御具足蔵という名前のように、中に武具などを保管する倉庫ではなかったかとされています。
-
大手門前の中堀がよくみえますね。
-
南櫓は二階建て。
南櫓の脇には、抜け道のような狭い通路がありました。これがきっと千鳥橋の辺りまで続いているんでしょうね。 -
江戸時代前期の文献や絵図に南櫓、または南ノ弐重屋くら、という名前が見られ、幕末には御召蔵とも呼ばれていたそうです。建てられた位置から、城下町の南東方向を監視する櫓だったのではないかとされています。
-
二階部分は意外と広かったです。
割と心地好かったのでこちらで一休み。 -
興雲閣にも行ってみましょう。
一見すると洋風建築ですが、屋根などは和風という、明治の職人が技を駆使して洋風っぽく作り上げた疑似洋風建築。面白い造りですね。屋根が和風の洋館 by su3さん興雲閣 美術館・博物館
-
興雲閣は松江市が松江市工芸品陳列所として設計し、そのまま明治天皇の行在所として完成しました。日露戦争勃発により明治天皇の行幸は実現しませんでしたが、後に後の大正天皇となる皇太子が宿泊しています。
ちなみに工費の一割弱が市民からの寄付によるものだったそうです。 -
工芸品陳列所から興雲閣になり、改修工事の後に松江唯一の美術館・博物館として活用され、平成23年までは松江郷土館も併設した施設になっていました。現在の建物は一時閉館し、保存修理工事を行ったものだそうです。
-
こちらは亀田山喫茶室があり、中でお茶などをすることができるようになっていました。
-
改修時に正面から奥に移動された階段を登って2階へ。
-
大広間に到着。
最大150人が収容できるかなり広いスペースがあるこの大広間はレンタルできるそうです。テラスも良い感じ。 -
こちらは貴顕室。畳があると宿泊所という感じがしますね。
畳のある場所は御寝所。その隣が拝謁の間、奥が御座所だそうです。 -
カーテンやガラスのシェードなど古写真を基に修復しているとはいえ、もともと装飾・彫刻を多く用いた華麗な仕上げとしているだけあって、内装も素敵です。
-
大広間にあったピアノはクラウドファンディングで再生された100年前のチェコ製のもの。チェコ大使に命名された「ノヴィー」の名で多くの人に親しまれているそうです。
-
こちらの椅子に座ってぼんやり。
柔らかな雰囲気が良いですね。 -
端から見ると舞踏会とか余裕でできそうです。
-
興雲閣を出て嘉仁親王お手植えの松の方に行くとある、御月見櫓跡。
この旅行の半年後に、月見櫓下の石垣の奥で古い石垣が埋没しているのが発見されました。 -
御書院跡。
松平家二代藩主・綱隆の時まで藩主の居住となっていた場所です。 -
城内に松江神社がありました。
松江の有志により初代松江藩主の松平直政、徳川家康、松江藩中興の松平治郷、松江開府の祖・堀尾吉晴を祀った神社なんだそうです。松江二の丸にあります by su3さん松江神社 寺・神社・教会
-
局長屋跡。
御殿女中の居住でした。 -
局長屋跡横からのびる敵が攻め込み難いように石段を複雑にした階段を登り、一の門へ。石垣には鏡石かなとおもう石がちらほらみえます。
-
多門櫓横の一の門を潜りましょう。
-
小泉八雲は松江城の天守閣に登り、その景色を堪能したそうです。松江城を一大怪龍と表現しているのは面白いな。
-
多門跡。
本丸の周囲には弓櫓、武具櫓、鉄砲櫓、祈祷櫓、坤櫓、乾櫓といった6基の二重櫓を配置し細長い多門塀で結び、防衛機能を非常に高くしていました。また櫓には装飾のための破風がないことも特徴なんだそうです。 -
坤櫓跡。
物置場になってました。 -
道なりに進むと、天守閣がくっきりと姿を表わしました。
-
本丸のお茶屋は大人気。
休息だけでなく、甲冑を着ることができるコーナーもありました。 -
最上階が四方を見渡せる望楼式で四重五階地下一階の天守閣は、現存12天守のなかでも極めて実践的な天守閣です。山陰地方で唯一現存する天守閣でもあり、千鳥が羽を広げたように見える三角形が特徴の入母屋破風の見た目から別名「千鳥城」と呼ばれてもいます。
天守閣に登るべし by su3さん松江城 名所・史跡
-
一見粗雑に見えますが、石垣で最も頑丈な積み方とされる牛蒡積みの石垣がよくみえますね。望楼部と附櫓は一部白漆喰ですが、窓廻りの木部は全て黒塗りで、黒を基調とした天守になっています。黒い色は、煤に漆を混ぜて塗ったものであり、板材が腐らないように防腐剤代わりとなり、冬に降る雪の湿気を防ぐという役割もしているそうです。天守へはその前にある附櫓という建物から入ります。
-
当時のまま使われている鉄板張りの扉を通って下駄箱で靴を脱ぎます。
-
附櫓に入ると目の前には石垣の壁と階段。頭上には石打棚。
石打棚は上から安定して侵入者を攻撃するために設けられています。 -
階段を登ると附櫓二階にも石落としや鉄砲狭間がある部屋になっていました。
奥にある太鼓は太鼓櫓にあったものでしょうか。 -
附櫓から更に階段を登り進んだ地階の穴蔵の間は、米や塩などが貯蔵されていました。
奥には祈祷札レプリカ。一時、文化財保護法の基準が変わったことで重要文化財となり、国宝指定をはずされてしまいましたが、柱に打ち付けられていたというこの祈祷札が発見され、書かれていた慶長十六という年により松江城天守が言伝え通り慶長16年完成したことが確定し、国宝認定の決め手になりました。 -
もう一枚の祈祷札レプリカと深さ24mの立派な井戸。現在は崩落防止のために半分まで埋められています。
天守の中に井戸があるのは現存の天守では松江城だけなんだそうです。 -
地階の奥には古材がごろごろ。
戦後になって解体修理工事が行われた松江城では、極力古材を使用するようにしていたそうですが、腐朽や破損が著しく、約6割が新材なんだそうです。 -
古い瓦も沢山置いてありました。
-
現存する12天守の中で、一番大きい2.08mのしゃちほこ。
-
現在の松江城に飾られているのは殺菌性と耐湿性に優れたあすなろ材を使った物に、彫刻した銅板を張っていますが、こちらの旧しゃちほこは松の厚板で作られた物の外側に銅板を張ったタイプ。
-
鎮物出土地点。
墨書解析により「急律令」「奉」「供守」などの文字が確認された祈祷札、鉄製の槍、玉石などが埋まっていたそうです。 -
地階にも二箇所あった石打棚。
攻撃する気満々です。 -
狭いですがしっかり攻撃できるようになっています。
-
一階と地階の間の階段には引き戸がついていました。
これも守りを固めるには最適ですね。 -
一階はかなり広いですね。
-
矢狭間や鉄砲狭間がずらり。
天守閣二階部分の東西南北に計9箇所には、普通の鉄砲狭間よりかなり深く角度を持ち、上から下を鉄砲で狙い撃つように出来ている銃眼がありしました。 -
大きな建物だけあって柱が沢山ありますね。総数は308本あるそうです。
-
天守にある96本ある通し柱の中でも最大柱の一つ。
地階と1階、1と2階、2と3階、3と4階、4と5階、というように、2階分の通し柱を交互に配することで天守を一体化しています。2階ずつを通し柱で支えて均一に荷重をかけているのです。また長大な通し柱が調達できず、代替策としてこの方法が編み出された結果でもあるようです。 -
こちらがもう一つの天守最大柱。
2階分の通し柱をずらすように配置することで、天守の荷重が下の階に直接かからない仕組みです。逆Tの字のように、荷重を外方向へ分散させながら、下方向に伝えます。これを互入式通し柱といい、こうした特徴的な構造も国宝天守に指定された要因なんだそうです。
ちなみに二つの通し柱の地階部分には祈祷札が貼ってあったそうです。 -
あら?なんだか変わった柱がある。
-
柱の周囲に板を張って、大きなホチキスで留めるように鎹が打ち込まれている包板。裏面の墨書から天守の補修が繰り返し行われていたことが分かっています。このような寄木の柱は城内に130本あり、出雲大社が約48メートルの社殿のとき、3本の柱材と補助材を金輪締めにした宮大工の手法を築城に取り入れたのではないかと考えられています。
-
こちらが包板に使用している鎹。
-
鎹の横には鬼面の鬼瓦。
家紋や吉祥紋が多い他の城と比べて珍しいのだそうです。 -
古材の中には富の文字が刻印されている木があり、吉晴がそれまで過ごした月山富田城の材木をリサイクルして使っている、という言い伝えを裏付ける貴重な資料なんだそうです。
-
この刻印ですね。
分銅文の中に富の文字が刻まれています。 -
階段を登って二階に行きましょう。
-
三階も広いですね。
二階から三階の階段部分のみ通し柱が貫いている様子を見ことができるようになっていました。 -
こちらの階には、屏風絵や甲冑や太鼓などが展示されていました。
-
三階には東西南北の四角よすみと、南側を除く三面中央の床に、合わせて11カ所の袋狭間があります。側壁より床面が張り出しており、腑射装置になっていて、銃撃・弓矢、そして石を落とすことが出来ます。写真だと右窓下の狭間がそれです。実践的な装備が充実しており、これも松江城唯一の特色なんだそうです。
-
たくさん見える包柱。
-
三階にも石落とし。
-
一階にもありましたが、彫込番付という木造建築で建物を効率よく組み立てるために予め部材に付ける符号が掘られていました。番付には彫込と墨書の二種類があり、彫込番付は地階から2階で柱の根元などに刻まれているのを9か所で確認することができるそうです。
-
北惣門橋の復元に使用した桁材の原木。
樹齢300年大きくて立派な青森のヒバ材だそうです。 -
北惣門橋の模型と実物大の橋上部の断面が展示してありました。
-
二の丸の太鼓櫓にあった登城の時刻などを知らせた太鼓。
廃城の際に有志が買取り、阿羅波比神社に寄進されたため現在も残っているんだそうです。 -
大坂の陣で活躍した智勇の豪将・後藤又兵衛のものと伝わる甲冑と槍。
槍の使い手だったんですよね。 -
大きな丸飾りではなく、松江藩の合印である猪ノ目がバッチリ付いたものですね。
猪ノ目は猪の目を図案化したもので、猪突猛進と言うごとく、決して後に引かない勇気を示しているそうです。 -
鉄砲狭間で使われた火縄銃と練習用の弾。
-
松江城の城主は、堀尾家、京極家と続き、松平直政の統治以降は、10代に渡って松平家に受け継がれていきます。その中でも7代目城主の松平不昧こと松平治郷は特に有名です。
治郷が城主となったときの松江藩は、いつ破綻してもおかしくない状態で、傾いた財政を立て直すために農業や商業の発展、インフラの整備などを積極的に行ないながら、藩内の借金を棒引きする債務整理や人員削減も行ない、松江藩の財政改革を見事成功させました。
その一方、茶人としても一流で、10代のころから茶の湯や禅の世界を学び、流派や形式にこだわらない「不昧流」を確立し、その世界観は今でも受け継がれている程です。また、松江市が文化の街と言われているのも、不昧が確かな審美眼で茶器や茶道具の収集と保存に力を注いだからといわれています。同時に、18巻にも渡る「古今名物類従」をはじめとする著書は、茶道の歴史上にも大きな功績を残しました。 -
鉄砲狭間の前に、鉄砲をもった足軽の顔はめパネル。
-
北側に唯一見られる花頭窓。
禅宗寺院の建築とともに中国から伝わり、唐様建築に多く用いられる窓です。 -
武者隠発見。
-
天守閣には、足触りや防音に優れ、火災・腐食を防ぎ、軽くて非常時には引き上げ易い桐材の階段が一階から四階に設置されています。当時でも高級だった桐をあえて使っているのは、他のお城では例がないと言われている程珍しく、松江城ならではだそうです。
-
階段には四階への上り口に装飾的な部材が用いられており、その横には藩主に従う小姓用とも考えられる上り口が別に設けられていました。
-
西側大破風の内側を利用して藩主用の箱便所がおかれていたそうです。天守内に便所が設けられていたのは珍しいんだとか。
-
梁の上には五階の隅柱。
こうすることで上からかかる力を横方向にずらしながら下に伝え、大規模な天守の建築を可能にしています。 -
五階にいきましょうか。
四階から五階への階段はクリ材が多く使われているそうです。 -
踊り場を過ぎて最上階に到着。
手摺の木が良い感じに曲っていますね。 -
最上階にある天狗の間は壁が一切なく、内室と縁側からなり、手摺で囲まれているため、松江市内を360度見渡すことができます。部屋の中心部には国宝指定書の写しがありました。
-
鴨居が残されているのできっと建具があったんでしょうね。
-
手摺の外を見てみましょうか。
-
南の眺め。
宍道湖がよくみえますね。下の広場には茶屋や一ノ門や武具櫓がみえます。 -
続・南の眺め。
島根県庁や二の丸がよく見えます。 -
東の眺め。
-
北の眺め。
尼子氏が出雲経営の拠点とした白鹿城のある白鹿山が見えました。 -
西の眺め。
左端には堀尾吉晴が築城地として希望した荒隈山が見えますね。 -
南西を眺めていると、茶屋の後ろに鉄砲櫓がありました。
-
ちょっと急なのでゆっくり気を付けながら階段を下りていきましょう。
-
附櫓に到着。
靴を履いて外にでます。 -
ふう、楽しかった。
天守閣の周りを歩いてみましょうか。 -
西側から眺めた天守閣。
ここから見ると附櫓の中が意外と広かったのもよくわかります。 -
祈祷櫓跡。
松江城が出来る前この場所には荒神を祀った塚があったとされ、これを他所に移して櫓を建てましたが、たびたび石垣が崩れたために、この櫓で祈祷がおこなわれたとされています。この天守閣建設には人柱伝説が残されており、何度も石垣が崩れる箇所に人柱がたてられましたが、後に城下で盆踊りをおこなうと天守閣が鳴動するということで、松江では盆踊りが禁じられたそうです。ちなみにこの人柱がたてられたはこの辺りではないかともされています。
松平直政の時に、赴任後初めて天守閣の天狗の間に登った直政の目の前に、死に装束の女の幽霊が現れ「この城はわらわのもの」と言い放ったとか。それに対して直政は即座に「ならば、このしろをくれてやろう」と返答し、次の日、三宝に乗せた魚のコノシロを天狗の間に置きました。翌朝、コノシロは三宝ごとなくなっていたので家臣達が方々を探すと、三宝だけが別の櫓で見つかったが、コノシロだけは見つからなかったそうです。それ以来、女の幽霊は姿を現さなくなり、噂も消えたとか。 -
北西の角からの眺め。
-
天守閣から北の門にむけて北西にのびる道を歩き、北ノ門手前の脇の階段を登ると、
-
北ノ門を守る役割を果たした乾櫓の跡。
-
乾櫓跡からの眺め。
天守閣が綺麗に見えますね。 -
よくみると花頭窓がはっきり確認できます。
-
北の門。
-
北ノ門跡を抜けて左側には奥去口ノ門跡がありました。
-
北の門から続く道を進むと虎口がみえてきました。
-
振り向くと腰曲輪の石垣と天守北面がよく見えます。
-
変わった名前の井戸跡を発見。
「ぎりぎり」とは、頭のつむじを指す方言だそうで、掘った所が城の中心だったので、ぎりぎり井戸と名付けられたんだとか。
伝承では松江城築城時、表鬼門の石垣がいくら積んでも崩れたそうで、堀尾吉晴は最も崩れの酷い個所を徹底的に掘らせたところ、頭蓋骨とそれを貫く錆びた槍の穂先が現れたそうです。吉晴はすぐさま神主を招いて二夜三日にわたって大祈祷を行わせ、工事を再開して石垣はやっと完成。さらに頭蓋骨が掘り出された場所から水が湧き出てきたために井戸を作り、これをギリギリ井戸と呼ぶようになったといいます。現在は井戸はなく、その跡地だけが示されていました。 -
ぎりぎり井戸跡の横にある本丸搦手への登り口。
水の手門、もしくはぎりぎり門とも呼ばれるそうです。 -
馬を洗ったの馬洗池。
-
この鳥居の先には戊辰戦争から第二次世界大戦までの旧出雲国・隠岐国出身の英霊を祀る松江護国神社がありました。境内までの坂を上って行った先に社殿がありますが、鳥居から先に黒色の旗に朱色で「大勝利祈願」と書かれた旗が立っていて不思議な光景でした。
黒地に朱の文字の旗 by su3さん松江護国神社 寺・神社・教会
-
城内の遊歩道にあったマンホールが可愛い。
-
城山稲荷神社の鳥居に到着。
小泉八雲は通勤途中の城山内散歩が好きで、城山稲荷神社にも毎日のように通っていたそうです。こちらの火除けの御札をオックスフォード大学の博物館に贈ったとか。小泉八雲が感銘を受けた狐の像たち by su3さん城山稲荷神社 寺・神社・教会
-
参道両脇には、
-
狛犬と御狐様。
-
ホーランエンヤという神事があるようです。
-
鳥居を進んで左に折れるとさらに参道が続きます。
ここにも御狐様。 -
鳥の奥には階段と山門。
-
松江藩の基礎を築いた松平直正が松江城内に勧請した神社です。
言い伝えでは、1638年に松平直政が松江に来たとき、枕元に一人の美しい少年が現れ、「私はあなたを全ての災厄からお守りする稲荷真左衛門です。城内に私の住む場所をお作りくださるなら、城内の建物はもちろん、江戸のお屋敷まで火事からお守り致しましょう」と告げて消えたんだとか。そこで直政は城内に稲荷神社を建てたと言われています。そのことからここの神札は火難除けとして、町中のどの家にも貼られていたそうです。
ちなみに、松江藩主・松平治郷に大工方として仕えた指物大工の名工・小林如泥作の木狐が神宝として保存されています。 -
小さな御狐様のお社。
-
境内には境内を囲むように1000以上もの石の狐が奉納されています。
-
形も大きさも様々ですね。
-
こちら小泉八雲がお気に入りだった石狐。
柔和な顔をしてらっしゃいますね。 -
山門の裏には御利益の内容と主な祭事についての張り紙がありました。
御利益いっぱいあるね。 -
たくさん歩いたので一息つくために、城山を出て塩見茶屋へ。
堀に面したテラス席にも行けたけれど暑かったので室内でのんびり。クーラーが気持ちいい。 -
松江に着たら一度口にしてみたいと思っていたぼてぼて茶。
松江藩主が鷹狩の祭に空腹しのぎに味わったといわれる飲み物だそうで、茶の花を入れた番茶を茶せんで泡立てた時にぼてぼてと音がしたことから名前が付いたそうです。
ただお茶を飲むだけではなく、天日干しをした茶花と煮出した番茶を茶せんで泡立ててから写真の皿にあるような赤飯、たくあんなどの漬け物、シイタケ、黒豆といった具を入れてから飲むので確かにお腹に溜ります。気軽にぼてぼて茶 by su3さん塩見茶屋 グルメ・レストラン
-
お腹を軽く満たしたあとは、チャレンジショップぢげもんと松江ごころへ。
店舗内では李白で造っている地酒の試飲ができたのですが、車を運転している状態だったので試飲はあらめました。お酒がいただけます by su3さん松江ごころ グルメ・レストラン
-
代わりにミニヨーグルトパン購入。
-
店を出て、塩見縄手を歩き、
-
宇賀橋を渡り、
-
松江歴史館前を通って駐車場に向かう前に島根ふるさと館に寄りました。
お土産をいくつか買った後は、車に乗込み次の目的地へ。 -
松江から大島に移動し、何気なく入ったスーパーで見つけた抹茶のバラパン。
意外とふわふわでクリームの量も多過ぎずでしたが、一個でいいかなという感じ。モグモグして次の予定の時間まで休憩。 -
竜渓洞に到着。
洞窟案内をしてくれた方から、この辺りは落雷の名所だと教えてもらいました。まるでダンジョン by su3さん大根島第二溶岩隧道 (竜渓洞) 自然・景勝地
-
資料写真などを使った竜渓洞に入るための事前レクチャーを受けた後、自然観察指導員の方に長靴と懐中電灯を借りて洞窟に入っていきます。
-
中に入ると真っ暗。
ライトを照らして周りを見てみると、現在は入れる場所には屋根が点けられており、落盤の危険性があるため移動箇所に制限がありました。トンネルはさらに奥につながっていて、十分人が通れる高さもあるのですが立ち入りが規制されています。立ち入り禁止区域の底面に天井から落ちた石がいくつか転がっており、実際に、案内してくれた方は落盤によってけがをされたこともあるそうです。
北西の方向に80mほどくねくねと伸びる洞窟は、龍神様の住みかになぞらえてそのような呼び名が付いたんだとか。
ライトで足元を照らして探索していきます。 -
中海に浮かぶ大根島は「日本一低い火山」といわれ、竜渓洞の中には熔岩が吹き出した火口といわれる円形ドーム状の空間の「神溜り」があり、溶岩の固まった表面には半円状に縄模様ができているパホイホイ溶岩をみることができました。こういう状態のものを見ることができるのは珍しいそうで、わざわざ研究者がこちらに来るそうです。また、天井に付着した玄武岩がそのままつららのように固まってしまった「つらら石」などもありました。
天井には、光に反射して銀色に輝く部分がありましたが、白い放線菌に水滴がついて銀色に光って見えているらしく、洞窟内の生物の貴重な餌なんだそうです。 -
ちなみに神溜りの火口には天井があり珍しいなと思っていると、自然観察指導員の方からこんな話を聞くことができました。
この火口から流動性に富む玄武岩の溶岩が流れるうちに徐々に外側が冷え固まって薄皮のようになってき、薄皮の中の溶岩が流れ出してしまうとそこが空洞となりトンネルが形成されるため、火口上部に天井がある状態になっているんだそうです。つまりこの火口が洞窟の始まりの場所ということ。これ、すごく貴重な場所じゃん。面白いな。
洞内の「千畳敷」から「みけの棚」付近で溶岩の流れた痕跡がありました。 -
洞窟内は年間を通して気温15℃前後で、夏は涼しく、冬は暖かい状態に保たれていてわりと快適ですが、湿度90%でずっといると排水症になってしまうそうです。
-
上から垂れ下がっていたひも状のもの。
洞窟の上に生えている植物の根なんだそうで、湿度が高いので水滴がたくさん付いていました。 -
訪れたときは250年以来の干上がり方をしていたそうですが、その中でも水たまりが少しありました。水たまりを見ると動くコムカデ発見。5億6千万年前から姿を変えていないため〝生きた化石〟と呼ばれ、あと一億年後に昆虫に成れるかもしれないという説明にどんな昆虫になれるんだろうと思いを馳せてみました。
他にも暗闇での生活に適応して眼が退化した生物や体が真っ白になってしまったメクラヨコエビや、世界でも生息しているのはココだけでこれまでに見つかったのはたった9匹というイワタメクラチビゴミムシなども住んでいるそうですが発見できず。 -
こちらは一本だけ伸びる長ーい根。
根性ありますよね。 -
ちょっと振り向いてみてください。ゲーム好きな人からはこのは好評なんです、といわれて降りてきた階段を見上げると、たしかにダンジョンみたい。冒険していたらありそうな感じ。死だ以外の緑の部分には菌類に属する地衣類が繁殖しているのだそうで、それがよりきれいに感じました。思わず何枚も写真を撮ってしまいます。
こちらの洞窟には蛇が住んでいるらしく、運がいいと抜殻があったり蛇本体にあったりすることができるそうです。この蛇、何百年後に龍になるんでしょうかね。
写真を撮り終えて満足したら快適温度の洞窟を出ます。
娑婆の空気(32℃)は暑い、と溶けそうになりました。
自然観察指導員さん、楽しいお話しありがとうございました。 -
竜渓洞を後にして、大根島からべた踏み坂を通って米子に移動し、昨日閉まっていた満味亭へ。べた踏み坂の登りはジェットコースター気分になり、てっぺんに着くと景色がよく見えました。
満味亭に着くと牛骨ラーメンは売り切れでお店が閉まっていたので、無念の気持ちと空腹を抱え、近隣のスーパーで買い出しがてら夕食も買いました。まさかの牛乳瓶の返還10円があったり、スーパーでわりごがあったり、なかなか楽しかったです。あごの焼が美味しかったので、お目当てのラーメンが食べられなかった無念の気持ちがなくなりました。自分ってチョロいな。 -
県立大山駐車場に車を停めて、大山寺まで向かいます。
結構な坂道だな。 -
伯耆国大山開山1300年祭が開催されており、訪れた日に大山の大献灯があるということでワクワクしながら坂を上っていきます。
-
参道を登っていくと昔ながらの老舗店、温泉、カフェ、アウトドアショップなどが並んでいました。
-
大山寺の山門に近くなるにつれ、待つ人が多くなってきました。というのも、大山の大献灯では事前に300円の入場チケットを買い、自分の入場時間になると案内されるシステムになっていたんです。これなら暗い中でも混乱が少なくなりますよね。
-
上を見ると五色の幟。
入場を待っている間に、チケットを売っていた横で買ったツブツブが美味しい黒米甘酒を飲んでいたのですが、そちらの甘酒売り場の少年が頑張り過ぎてちょっと失敗した時の照れ隠しが可愛かったなと思い出しながら飲んでました。 -
順番が来たのでライトアップされた仁王門に向かいます。
門前にあるもみじの影の形も相まって、思いのほか美しく見える仁王像が見えますね。大山寺 寺・神社・教会
-
入場して案内に沿って歩いていくと、道の脇にはライトアップされた和傘がずらり。
-
足元がぬれていて滑りやすくなっているのでお気をつけください、というアナウンスが流れ続けている通り、石畳がしっとりと濡れていて結構滑りました。灯を楽しみつつ慎重な足取りで進んでいきます。
-
この辺りは赤系統の和傘たち。
-
和傘によって強いライトの光が柔らかくなっていいですね。
-
上の方にも傘がありました。
街の街灯みたい。 -
木々の間を光が乱舞するプロジェクションマッピングのライトアップは思わず目が釘付けになりました。
-
マッピングされて光る木々。
キラキラと動いて綺麗だな。 -
蛍のように緑っぽく転々とついている灯も綺麗です。
-
こちら写真撮影スポット。
撮ってもらったら自分は真っ黒の影になってました。シルエットクイズで使えそう。 -
本堂に行くと色とりどりの和傘がずらり。
本堂の正面にはアナウンスと共にきれいな女性が浴衣を着て立っていて、ボーズを取っていました。拝観者の方々は写真をたくさん取っていて大撮影会が行われていました。 -
暗めの和傘の灯もなかなか素敵。本堂内部も灯が点けられており、こちらは蓮の花っぽいのライトが設置されていました。
-
ちなみに本堂は過去に何度も焼失し、現在の本堂は1951年に再建されたものだそうです。ライトアップした姿しか見てないのですが、昼間の本堂も見てみたいなと思ったり。
-
本堂の前には体の悪いところを撫でると治してくれる「なで仏」も見えましたが、立ち入ることはできないので眺めるだけでした。悪いところ…頭を撫でたかったな。
-
本堂の近くには、一つの願いだけを心に念じて撫でると願いを叶えてもらえるという「宝牛」がありました。もちろん撫でましたとも。
-
途中にいくつかあった幟。
-
こちら不動明王が祀られて中がライトアップされていた護摩堂。
外から見えた中の景色は別世界でした。 -
点々と灯が続く道を進むと、
-
傘がいっぱいの撮影スポット。
勿論、写してもらいましたよ。今度は影になりませんでした。 -
帰り道の通路にも和傘。
ライトアップされた木々と相まって綺麗でした。 -
大山寺を後にしましょうか。
仁王門を出てもと来た道を戻ります。 -
帰り道は豪円院湯に滑り込みで入湯。30分しかない状態で入ったおかげで貸し切り状態でした。入湯料がそれほど高くなかったのですが、湯質も良く、割とアメニティーが揃ってたのには凄いなと思った。ちなみにこちらの温泉は飲泉ができたので飲んでみました。うん、鉱物の味がする。
風呂上がりにスーパーで買った瓶入り蒜山牛乳で一息ついたら、下界の夜景を眺めつつ、車を走らせてホテルへ。帰りの夜景に見とれて道を間違えかけたのは良い思い出。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2018 08
-
憧れの熊野古道
2018/08/02~
熊野・尾鷲
-
熊野詣でに那智の滝
2018/08/03~
和歌山
-
鯨の旅
2018/08/03~
新宮・勝浦・熊野本宮
-
南の端と梅の里
2018/08/04~
白浜・田辺・みなべ・串本
-
高野山ってどんなとこ?
2018/08/06~
和歌山
-
奥の院ウロウロ 粉河寺を添えて
2018/08/07~
和歌山
-
日本一高い現存天守とグルメ旅
2018/08/08~
岡山
-
そずり鍋と城の旅
2018/08/09~
岡山
-
鳥取ジオ旅
2018/08/10~
鳥取
-
お城・洞窟探検 ぼてぼて茶とライトアップで休息を
2018/08/11~
島根
-
米子・奈良の歴史旅
2018/08/12~
奈良
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
島根 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2018 08
0
214