2018/08/12 - 2018/08/13
6701位(同エリア15000件中)
su3さん
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
夜にライトアップされていて気になった米子城に登り、美術館を堪能しまくってから鳥取を後にし、奈良では飛鳥に行ってみました。飛鳥では文化財保存への情熱を見ることができて、感嘆と同時に嬉しかったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
朝食を取った後は米子城へ。
駐車場に車を停めて、 -
登山開始。
-
湿気のある暑い日だったのでカメラは曇りまくっております。
15分程度登れば本丸に付けるんだ。ちょっとしたハイキングですね。 -
この辺りの動植物についての看板が立っていました。
雉に会えたらラッキーかな。 -
本丸を目指して登山していきます。
湿気がある中での登山で汗びっしょり。 -
サックっと登れる距離なので割と直ぐに城跡に到着。
-
石垣のみ残っているんですね。
四重櫓台の石垣は、打込接という石の積み方でしたが途中から切込接という積み方に代わっているんだそうです。米子城跡 (湊山公園) 公園・植物園
-
こちらは番所跡。
-
石垣造りの米子城が築かれたのは、戦国時代末期とされています。戦国時代は尼子氏が支配し、毛利氏に支配権が移ると吉川広家が城主になりこのあたりから石垣造りの城を造り始めたようです。関ヶ原の合戦の後は中村一忠が城主になり完成。その後は、加藤氏、池田氏、家老荒尾氏らが城代となり、明治6年になると米子城は売却され、取り壊されます。
-
鉄御門跡。
-
さあ、もうすぐで頂上だ。
-
頂上の本丸は広場になっていて、東屋には説明板やこのあたりの鳥瞰絵図(地図)などがありました。
-
机の上にデデンと鳥瞰絵図。
-
四層五重の天守が立っていたといわれる天守閣跡に行ってみましょう。
-
米子城は湊山頂上に四層五重の天守閣と四重櫓という大小2つの天守が華麗に連なっており、山陰随一の名城といわれていたそうです。昔の米子城の姿を見てみたいなと思ってしまします。
-
石垣しかない場所ですが、風が吹いていて意外と気持ちいい。
-
米子の町が一望できますね。
-
中海も境港のあたりもよく見えます。
-
水手御門近くから本丸の出山川石垣を見ることができるのですが、意外と植物で石垣が覆われていました。
-
水手御門跡。船着き場があった中海の方へ続いています。
-
やって来た道とは違う道で下山しましょうか。
下山途中で色んな寺の石仏がいっぱいあったり、蛇っぽいものを目にしました。 -
さて、ちょっと早いけれどお昼にしましょう。
前日に気になった昌庵の開店数分前に到着。 店に入って少しするともの凄く混んできました。気が付いたら行列できてる…。手打ちそば 昌庵 グルメ・レストラン
-
ネバネバ神の海藻というものがあったので、なんだろうと注文したらアカモクでした。たしかにねばねばで栄養バランス良くなるわ。「白いかのわりご」とメニューにあったのでなんだろうと思って注文したら、白いかかき揚げが付いたわりご蕎麦でした。しかも大きなかき揚げに吃驚。麺が平たいタイプのそばで食べ応えがありました。朝食が少しお腹に残っていたので、この量を食べきるのがちょっとつらかったのですが、根性で食べきった自分に拍手を贈りたい。この時のネギは女神でした。
持ち帰りができるのをいいことに、持ち帰り用のサザエの炊き込みご飯といただきを注文し、満腹のおなかをさすりながらお店を後にしました。 -
お腹いっぱいの状態でガソリンスタンドで給油ついでに洗車をした後は、車を飛ばして鳥取市の渡辺美術館へ。
こちらの美術館はちょっと変わってるんです。渡辺美術館 美術館・博物館
-
玄関では「かっちゅう」がお出迎え。
-
こちらの美術館は古美術品約3万点を収蔵・展示している個人の美術館で、かなり多くの甲冑を所蔵していることでも有名です。また、某ゲームでも有名になった刀剣の写しを所蔵していることでもその名をしられています。
足軽から武将までなんでもござれの甲冑ラインナップ。ここでは甲冑をきて記念撮影ができます。もちろん甲冑を身に付け、刀を持って、ノリノリで写真をとりましたとも。 -
入口横の休息ブース隅にもずらりとならぶ甲冑。
-
赤揃えコーナー。馬標も沢山のありますね。
-
正面には地元の作家の方の展示が開催されていました。
-
こちらもその方の展示作品。
-
鳥取といえば池田家。池田家伝来のブースがありました。
こちらは鳥取池田家伝来の甲冑。誰の物かは分かっていないそうですが、揚羽蝶と梶葉を浮き彫りにした丸い金具が袖と草摺の下にありました。 -
こちらが某ゲームで有名になった浦島虎徹の写し。
-
大山寺開山1300記念行事の一環で金崎秀壽という刀工がつくったのだそうです。
-
浦島といわれている絵もしっかり彫られています。
-
裏にも彫りがありますね。
-
ゲームのキャラクターのグッズも寄贈されていました。この日も何組かのファンの方々がこの浦島虎徹を見に来ていらっしゃっていて、楽しそうに観覧していました。こういう形で美術館が活気付くのもよいですね。
-
館内には浦島虎徹と池田家の特別ブースができており、立派な甲冑や鞍、馬標、火矢筒などがありました。
-
火矢筒という銃火器の一種。
火のついた矢を飛ばす武器なんだそうですが、この形だと短すぎて実用向きではないそうです。 -
浦島虎徹の絵もありました。波紋も描いてあるんですが、色つきのタイプの刀の絵は初めて見たかも。
-
鳥取池田藩は岡山の姫路藩と繋がりが強い藩です。なので家紋に揚羽蝶がついているんですよね。
-
見田五郎左衛門尉廣賀作の短刀。
父は伯州小鴨城主の臣で主家没落後に倉吉に移住して伯州広賀の門下になり刀匠になった見田兵衛です。廣賀は初代相州綱廣の下でも研鑽を積んでいます。 -
江戸後期に野鍛冶だった浜部権左衛門は日置兼先に鍛刀を学んで初銘を兼賀、頴悳と切り、美濃守を受領すると銘を壽格と改め鳥取藩刀工となりました。山陰地方因幡国に於いて多くの門人を輩出した浜部壽格は、江戸の水心子正秀に対抗出来る程の名声を得ています。余談ですが、山浦真雄、清麿兄弟の師である河村壽隆は壽格の子である壽實から作刀を学んでいるので、壽格が清麿のルーツと称されます。
-
こちらは登城するときや祝い事に使用した大小刀拵。
-
信濃大掾藤原忠国の刀と拵。
初代信濃大掾忠国は京都堀川派の出羽大掾国路の弟子で、二代目も堀川系の作風を継承し、初代・二代とも筆頭格の刀匠です。初代は因幡東照宮の神剣三降を鍛造しました。こちらは二代作の刀だそうです。 -
鋒が少し欠けているような気がするのは気のせいでしょうか。
-
藩主が常に使用していた短刀。
揚羽蝶の家紋が鳥取池田家のものと主張しまくっています。 -
煙硝入。
火縄銃などで使用する硫黄や炭末を加えた黒色火薬(煙硝)を入れる入れ物。銀象眼なんてさすが。 -
こちらも煙硝をつめるための道具。
形も面白いし亀甲模様が際立つデザインが良いですね。 -
轡にも揚羽蝶。
-
土偶や須恵器もありました。
このあたりは昔から人がそこそこ住んでいたんですよね。 -
銅製の耳飾り。
これを耳に通していたと思うと、痛くないのかなと思ってしまいます。 -
鎌。沢山ザックリ切れそうですね。
-
稲扱千歯。
藩の国産奨励品として県内の良質なたたら製鉄を背景に千歯を広げ、その優秀さと生産性、加えて職人が全国を回り修繕・販売する独自の方法により、全国シェアの8割を占めたともいわれています。稲扱き鍛冶は登録制だったんですね。 -
瓦経。
末法の世に経典を永年保存する意図で作られた経塚遺品の一種で、粘土板に経文を刻んで焼成したものです。倉吉の大日寺経塚出土のものだそうで、綺麗な形のものは奈良国立博物館にあります。 -
鳥取池田気の家紋は揚羽蝶紋が有名ですが、祇園守紋や葵紋も使用したそうです。
そういえば池田輝政の継室は徳川家康の娘でしたね。だから結びつきが強く、葵の紋も使用できたのか。祇園守紋などはキリスト教弾圧を逃れる隠れ蓑だったという説もあるようで、模様を見ると銀杏がラッパのようにもみえますね。 -
鳥取池田気の家紋にはこんなものもあるんですね。丸は文、四角は武を表しているそうです。
-
無銘(兼先)の刀。
日置兼先一門は関の刀鍛冶をルーツにする一門で、初代の兼先から八代兼次まで鳥取藩お抱刀工です。 -
日置藤原兼次作の刀。
-
道祖尾家六代守廣作の脇差。
伯耆鍛冶で有名な広賀派は、道祖尾家と見田家に分かれ道祖尾家は室町時代の文明頃から江戸期に亘って倉吉鍛冶町において作刀している一門です。 -
鎺の傷はどういった経緯でついたのでしょうね。
-
ずらりとならぶ甲冑や掛け軸。
-
これだけ甲冑が並んでいると壮観です。
-
こうして並べて比べながら見てみると、それぞれに個性があって面白いですね。
-
日本における甲冑の歴史は実に古く、弥生時代の遺跡から木製の短甲の部分とおぼしきものが発掘されています。古墳時代では古墳から出土した埴輪に武装した姿のものが見つかっているそうです。金属製のもの、革製のものなどが作られるようになり、平安、鎌倉、室町、戦国といった時代には、利便性、騎馬戦から徒歩戦の変化、や西欧甲冑の影響などの時代の波に合せて改良されていきました。江戸時代になると、実用性より儀礼用として残り、装飾性の高い甲冑が増えていきます。
-
こちらは書。
-
甲冑が多がとは聞いていたけれど、西洋の甲冑まであるとは。
この他に、戦前の日本陸軍の正装や軍服、近衛騎兵の軍服などもありました。 -
変り兜のコーナー。
元は和歌山や石川あたりで造られ始めたのを切欠に、自己を誇示して部下が遠くからでも分るようにした結果にできた産物なんだそうです。
派手な金塗鳳凰兜を差し置いてインパクトが絶大なお隣の人面総髪兜。夢に出てきそうな顔つきですね。下段の栄螺形兜や六枚張兜などは翳みまくってしまいます。 -
耳付き、桃型、鯱型・・・小判?
-
鬼面頭形兜がユーモラスでちょっと可愛い。
-
武田信玄の兜の写しの横には鉄砲跡がある兜。正面にへこみがあり貫通はしていません。動き回っている人に狙って撃っても鉄製の兜では貫通することが難しいという例です。
-
上段の弓矢を改造した鞭と下段の笛付き鞭。
一つの物に色々な機能をもたせるのは日本人ぽいですよね。 -
ヤマアラシの兜。
パッと見た限りでは派手で強そうですが、顔の部分を見ると和みます。 -
ちょと目がろんぱっているウサギの兜。
学芸員の方とこの兎は可愛いと話題になりました -
こちらもユーモラスな猪の兜。猪は勇猛果敢なイメージがあるのできっと付いているんでしょうが、こうなると森の仲間達感がすごくあって可愛く感じます。
-
ギリシャの七宝でできた祭壇飾りなんだそうですが、なんだか可愛らしいデザインですね。
-
聖水盃だそうですが、そうじゃなくても使えそうな素敵なデザイン。
-
古墳時代の勾玉や首飾り。
翡翠や水晶でできています。 -
この髪飾りはどういう感じで使用したのでしょうか。
-
ゴージャスな簪。
これだけの細工ものはお値段張りまくりだろうな。 -
ゴージャスな簪、その2。
-
こちらは笄。
髪を整えるのに用いた道具で、色々な形のものがあります。刀の刀装具の一つでもありますね。 -
月琴がありました。
中国発祥の楽器で、戦前は日本でも割と弾かれていました。 -
明治の蓄音機。
和製シート式オルガニートといったものでしょうか。 -
日本刀の拵えについて簡単な説明書きがありました。
いろいろ混ざっているな。 -
助宗の太刀。
鋒が小さくスラッとしていて綺麗ですね。 -
粟田口景国の刀。
-
備前長船盛家の太刀。
-
室町時代に造られた無銘(吉井)の刀。
備前長船のものでしょうか。 -
室町時代に造られた無銘(加州清光)の刀。
新撰組の沖田総司の愛刀も加州清光でしたね。 -
越前国下坂継利の刀。
薙刀で有名な越前下坂の刀ですか。 -
藤原忠国の刀。
-
国平造の刀。
-
持ち手部分が青貝の螺鈿でできている大身槍。
加藤清正に使えた刀工・同田貫千介の槍。実戦刀で有名な同田貫の槍ならば頑丈で沢山使えたことでしょうね。 -
太刀の拵と間違えるよう懐剣拵。
雰囲気は短刀ではないね。 -
アイヌ短刀の拵え。
確かに日本刀の拵えとはちょっと違いますね。 -
昆虫や動物などが螺鈿で描かれた珍しい造りの短刀拵。
-
目にも鮮やかな朱漆の唐獅子牡丹金蒔絵刀拵。
装飾性が強い派手な拵ですね。外国人ウケしそう。 -
井伊家の家紋入り太刀と太刀掛。
太刀掛の土台部分の蒔絵が綺麗ですね。 -
種火入れ。
火縄銃には必要な火種はこういうものに入れて携帯していたんですね。 -
短刀形密書入れ。
意外と見つかりにくくて密書の運び入れに割と最適な道具だったのかもしれません。 -
鉄扇だ。
新撰組の芹沢鴨や土方歳三が愛用の鉄扇を持っていたってのがあったな。 -
大太刀から無理やり薙刀にしたような長巻に金蒔絵で松竹梅と片喰紋がついた鞘の一揃え。
長巻って初めてちゃんと見ました。関鍛冶の流れを汲む犬山鍛冶の一人が鍛えたもののようえす。 -
鈎という中国の武器。
二本一組で用いられることが多そうです。武器マニアの友達ならこの武器を知ってそうだな。 -
池大雅の妻、池玉瀾の山水図。
奥さんも絵を画いていたのか。 -
まさかの明治時代の哺乳類。
昔はこんな形だったんですね。なんだか尿瓶み(ry -
雪舟の滝見観音。
まさか甲冑だらけの美術館で雪舟の絵に会えるとは。 -
貝あわせの貝とそれをいれる貝桶。
遊び道具でもありますが、江戸時代初期から前期頃の大名家の婚礼調度品でもあったんですよね。 -
ずらりとならぶ箪笥。
-
ずらりとならぶ壺。
-
絵馬やお祖母ちゃんの家とかにありそうな置物たち。
-
ふと床を見ると茶臼がありました。
-
壺や器のブースにポツンと置いてある太鼓。寺社仏閣などで使用されていたものでしょうか。
-
日本だけでなく中央アジアの仏像などもいくつか展示されていました。こちらはガンダーラの石佛。
-
展示を見終えて、学芸員の方とお話をしていたところ盛り上がりすぎてしまい、気が付くと閉館時間になっていました。学芸員さんから秘蔵の最新情報いただいたり、鳥取砂丘は夜がいいとかいろいろ教えてもらえてとても楽しかったけれど、後からお仕事のじゃまをしてしまったかなとちょっと反省。
思っていた以上に楽しくてホクホクしながら美術館をでました。 -
鳥取砂丘にある砂丘温泉ふれあいの温泉に入って一休み。
浴槽から見える夕日が島からこちらに伸びて来ているように見えて光の橋が架かったような感じになっており、中々神秘的でした。小さいから混みまくりでした。 -
奈良への移動中、お腹が空いたのですが、お店に入ってたべる時間も無く、昌庵で持帰りにしたいただきをモグモグ。
-
さらに足りなかったのでサザエの炊き込みご飯もモグモグ。
なんとか日付がかわる前にホテルに到着し、即就寝。 -
爽やかな目覚めと共に外を見ると良い天気。
-
朝ご飯をたっぷり食べて支度が済んだら出発です。
チェックアウト時に、今日は暑くなるでしょうからと凍った水のペットボトルを貰って「好き」となりました。ホテル リガーレ春日野 宿・ホテル
-
車を走らせ国営飛鳥歴史公園に到着。
整備された丘のような墓 by su3さん国営飛鳥歴史公園 公園・植物園
-
まず最初は国営飛鳥歴史公園館にいきましょう。
飛鳥を巡る前に行くとよい場所 by su3さん国営飛鳥歴史公園館 美術館・博物館
-
国営飛鳥歴史公園館前の棚には瓢箪が生っていました。
-
館内に入ると、立体模型や展示パネルで国営飛鳥歴史公園と周辺の史跡や石造物について簡単に学ぶことができました。また、アニメーションで大化の改新や壬申の乱など、飛鳥に関する歴史物語を知ることができるようになっていました。
-
里中満智子の色紙が飾ってありました。天上の虹や長屋王残照記といった遺跡が栄えた時代を題材にした作品を数多く手がけていらっしゃるんですよね。
-
ここから各地点の移動時間が細かく書いてありました。これは地味にありがたい。
-
ではまず高松塚周辺を回ってみましょうか。
-
案内に沿って歩きます。
-
坂道を下り、トンネルを抜けたら、
-
爽やかな景色の遊歩道にでました。
-
道の真ん中にぽつんと落ちていたもの。クヌギでしょうか。
-
高松塚壁画館に着きました。
館内に入って展示をみていると、壁画発見当時の現状模写をはじめ、一部復元模写、棺を納めていた石槨の原寸模型なども面白かったのですが、檜隈地域には渡来人のムラあったとか、渡来人から東漢氏などの職能集団になったとか、オンドルの遺跡があるとか、渡来人の墓は石室の天井がドーム型だとか面白いなと思う知識もありました。高松塚古墳は中世に石室は盗掘被害にあっているので出土品は少ないようでしたし、小さい館内でもあったのですが、多くのことが学べるようになっていていました。記念切手でできた館 by su3さん高松塚壁画館 美術館・博物館
-
高松塚壁画館をでて少し歩くと、あ!見えてきました。
-
意外とゆるやかな丘になっている古墳ですね。
距離と方位の測量技術の視点から、飛鳥・奈良時代の日本国家形成や、それを可能にした東アジア諸国との国際交流を考えるうえでの第一級資料なんだそうですが、この墳丘を見限りは、綺麗に芝が生えていてこの丘で寝転んだら気持ちよさそうとか考えてしまいます。整備された丘のような墓 by su3さん国営飛鳥歴史公園 公園・植物園
-
丁度この場所が入口にあたるようです。
高松塚古墳は発掘調査でカビが生えてしまったという過去があるため中に入れませんが、高松塚壁画館で見たのと同じように石室の壁には漆喰を塗った上に、極彩色で描かれた方位の神である四神図、星座を描いた星宿図、人物群像図などの壁画があるとのこと。鎌倉時代に盗掘の憂き目に遭った高松塚古墳は、南壁の漆喰が破壊され、残念ながらそこに描かれた図像は残っていません。 -
江戸時代末に描かれた絵図には、古墳の上に大きな松が描かれていたため高松塚古墳と呼ばれるようになったとか。葬られたのは、天武天皇につながる皇子のひとりではないかとされ、造られたのは7世紀末から8世紀初めと考えられています。
-
高松塚古墳横にある日陰からの眺め。
昔の人もこんな景色を眺めていたんでしょうかね。 -
高松塚古墳の後ろの道を通って元来た道にもどります。
-
国営飛鳥歴史公園館前に戻ってきました。
-
高松塚壁画館でいろいろ知ってからこのモニュメントを見ると、なぜこの模様なのか納得できますね。
右から日像、男子群像、月像かな。 -
こちらは左から女子群像、星宿図でしょうか。
-
さてお次はキトラ古墳周辺地区へ。
-
駐車場から階段を下りると四神の広場が広がっていました。
-
キトラ古墳壁画体験館四神の館へ。
本館地下1階へと続くトンネルからして凝っているな。日本史年表がイラスト入りで案内されていました。無料なのが不思議なくらいかなり良い by su3さんキトラ古墳壁画体験館 四神の館 美術館・博物館
-
地階展示室に入ると無料なのに凄いと吃驚する展示が広がっていました。
入って直ぐにあるUFOのようなものはキトラ古墳の円墳を断面図にして説明したもので、二段築成の内部構造がよくわかります。 -
入口右手側にはキトラ古墳の石室形や原寸大レプリカ、凝灰岩と漆喰の手触り体験、石室から出土した歯の展示やそこから誰が埋葬されているかのす推測などについて紹介されていました。
歯の状態や骨の状態や虫歯や欠けた歯から大柄な熟年から初老の歯の病気をもっていた人物だろうとか、墳丘は版築で作っているとか興味深かったです。 -
石室の中はこんな感じですよと見易くしてあるレプリカ。
正面には北の守護神・玄武の姿がくっきり見えますね。今にも剥がれ落ちそうな壁面がリアルに再現されていたりして、レプリカ内に入ることはできませんが、なんとなく中の様子を味わうことができました。また、キトラ古墳の南壁に当たる閉塞石の盗掘孔もしっかり再現されており、奇跡的に朱雀の像が助かったというのがよくわかるようになっていました。盗掘のために崩れ落ちた部分の閉塞石の欠片は繋ぎ合わせて復元したのだそうです。 -
凝灰岩の石板18枚に相欠きを作って組み合わる工法で造られ、石板の隙間は漆喰で埋められていたそうです。パネル前には積み木でキトラ古墳石室の相欠きが体験できるようになっていました。
ちなみに朱雀のある閉塞石の角だけは石室内ではなく、外で描かれた後に閉塞石と共に石室内に押し込まれたそうで、押し込みやすいように、閉塞石の端が面取りされていたとか。 -
石室レプリカの正面には天井にキトラ古墳内部にある天文図が輝き、パネルには壁画についての特徴的な内容が分かり易く展示されていました。
パネルに書いてあった、十二支像は守護神で、獣頭人身十二支像が葬られた人の魂を守ったというのがなんだか良い感じがします。壁画に描かれた獣頭人身十二支像の内、図像が確認できるのは、子、丑、寅、午、戌、亥の6体で最も保存状態の良かった寅像なんだそうですが、残り6体は海外の十二支像から推測された図像で紹介されていました。
キトラ古墳壁画にある天文図は、現存する世界最古の科学的な天文図なんだそうです。ちなみに天文図の赤いラインは内規、赤道、外規を表し、一つだけ北西にずれた円は黄道を表しています。 -
古墳の名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる玄武と西をつかさどる白虎から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があるそうです。
-
石室レプリカの裏手にはスタンプシートが用意された四神のスタンプコーナーや他の古墳との比較などについても書いてありました。
スタンプ台には、四神がどの方角を示かだけでなく、季節や地勢という要素も分るようになっていて、南の朱雀の季節は夏で地勢は沼、玄武の季節は冬で地勢が山、青龍の季節は春で地勢は川、白虎の季節は秋で地勢は道といったことも明記されていました。 -
高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳ですが、そこには幾つかの違いがあります。
白虎が北向きであること、星宿図ではなく天文図が描かれていること、獣頭人身十二支像が描かれていること、屋根形天井で石材の数が16でなく18などがあり、基本的な作り方の考えは同じながら微妙に違うそうです。 -
古墳内に何か描いてある古墳は、高松塚古墳やキトラ古墳以外にも九州や東日本にあるのですが、前者のほうが技術的も文化的にも高度。
-
展示室の中央には長方形に白く抜き取られた場所があり、ちょうどそこが棺の置かれた場所を表しています。天井には輝く天文図と方角を表わす十二支の文字。
-
四方のスクリーンにはメッセージと四神の精細画像が絶え間なく流れ続けていました。中央に立ってこれらを観ていると違う世界に行けそうです。
-
1972年の高松塚古墳発見直後に、近隣の住民から、自分の集落にも道端の崖淵にある小さな盛土があって古墳じゃないかという知らせをうけ、電磁波で調べてみたら古墳だったそうです。
1982年には古墳とその周辺の基礎的な調査が始まりました。 -
高松塚古墳の教訓を生かし、発掘せずに石室内を調べることになりました。そのため、ファイバースコープ、CCDカメラ、デジタルカメラといった当時の最新鋭技術を用いて調査を進めています。1983年に正面に見える北壁の玄武の存在が、その後98年に東壁の青龍・西壁の白虎・天井の天文図の存在が明らかになったそうです。
また、石室内部の湿度を急激に下げると壁画が乾燥収縮や剥離を生じることが予想されるため、湿度を維持する目的で覆屋が建設され、石室内部の温湿度が常時モニタリングされました。 -
石室内環境を安定させるため仮設覆いをつけ、石室内には保護フレームを設置して誤って壁画に触らないようにするなどの対策が取られた上で、直接、壁画をみることができるようになったとか。この時に初めて壁画を生で見た人はどんな気持ちだったのでしょうか。
-
石室内調査が終了すると、盗掘孔は凝灰岩で塞がれ、隙間を漆喰で埋めたそうです。今の石室内はどうなっているんでしょうね
-
見つかった時は盗掘孔はこんな感じで中が覗けました、という展示。
ここにカメラを入れて中を確認したそうです。 -
中を覗くと、下は石版というより砂地という感じですね。
-
キトラ古墳壁画は2004年の2月から行われた発掘調査のため、石室内調査の前に早急な取り外しと保存処置が必要なため、1200枚の画像による精緻なフォトマップが作成され、正確な記録作りが成されました。
壁画の取り外しのために入室時にはエアシャワーの通過、防塵服・マスクの着用、消毒などが義務付けられるなどの対策もたてられています。南壁面のもろくなっていた漆喰やボロボロになっていた壁画の取り外し作業用にダイヤモンドワイヤー・ソー開発もされ使用されました。玄武や白虎はヘラなどの手作業で剥ぎ取られましたが、朱雀は下地の漆喰ごと取り外されています。
ちなみにダイヤモンドワイヤー・ソーも展示されていました。 -
日本画の修理時に、接着剤と薄いシートで表面の固定を行いつつ解体修理し、修理後はそのシートと接着剤を再剥離させるという手法をとりいれ、表打ち用のシートは、微生物の生えにくい薄い繊維に水やエチルアルコールで再溶解が可能な接着剤を塗布し乾燥させた繊維シートを現場で壁画表面にあてて表打ちし、亀裂に沿って下地の漆喰ごとはぎ取り外した壁画は水平にして石室外へ運び出し、冷蔵庫で低酸素状態にして保存しました。
漆喰の裏面の支持には、防弾チョッキなどに使用されるポリアリレートという強度の高い繊維を、文化財修復に使用される合成樹脂でキャスト固定したシートを用いているそうです。
壁画は1143片に分割されて取り外され、強化処理し、再構成するというとんでもなく大変な修復が現在も行われています。 -
渡来人の生活の様子がジオラマ展示してあるコーナーもありました。
食事の作り方、鉄器づくり、稲作、土器づくりなどが紹介されていて、一つずつ模型を見ながら説明を読むのが楽しかったです -
飛鳥への最初の渡来人の名前は檜隅民使博徳と身狭村主青だそうです。檜隅民使の博徳さんと身狭村主の青さんという意味でしょうか?(適当)二人の子孫は東漢氏一族となり、後の飛鳥文化形成に大きな役割を果しているそうです。
五世紀から七世紀にかけて、大陸から渡来し、文字や五経や仏教、土木工学、建築、画、仏像、織物、手工芸、馬と馬具、須恵器など思想や文化、技術を伝えた渡来人のことを今来才伎と呼び影響をうけていました。 -
高松塚歴史館でも書いてあったのですが、現在の檜前の地域には渡来人のムラがいくつかあり、古代建物遺構からは、L字型カマド、大壁建物、オンドルなどの朝鮮半島由来のものが多く見つかっています。
-
現在は於美阿志神社の境内には、檜隅寺跡があります。
檜隈の地は飛鳥に隣接し、渡来人の里として重要な地であり、なかでも東漢氏らが集住した場所とされています。伽藍配置は塔の北に講堂があり、南に金堂を置くという特異な配置で、かつ瓦積基壇という工法で講堂の基壇が造られているのは、朝鮮半島の寺院で多く用いられていることから、檜隅寺東漢氏の氏寺だと考えられています。
ちなみに東漢氏は7世紀には蘇我氏の側近として活躍していた氏族で、その末裔には東北征伐で名高い坂上田村麻呂がいます。 -
地階展示室の見学を終えた後は、保存のために石室から取り出されたキトラ古墳壁画の実物を期間限定で公開しているというので、申込みをしてロビーでうろうろ。
LaQというブロックの玩具で四神が造られていました。
こちらは白虎。 -
こちらは朱雀。
-
こちらは青龍。
-
こちらは玄武。
割と直ぐ公開時間がきたので、事前に渡されたキトラ古墳壁画特別公開の入室証を首から下げて集合場所に集まります。
キトラ古墳の壁画保存管理施設は階段を上がった1階部分にあり、本物のキトラ古墳南壁画を間近に見学できるとあって時間になると人がずらり。時間制限がある中での見学でしたが、ガラス窓の向こう側とはいえ、近くで見ると意外とはっきり線が残っているんだなと吃驚しました。両翼を広げた南壁の朱雀が、大画面に単独で描かれたものとしては国内現存最古の作例というのも驚きです。午の壁画絵が凛々しかったな。
石室の面取り芸がこまかかったり、直刀帯そく修復技術も凄く、レーヨン紙を使った漆喰取り外しは根気と集中力と技術のいる作業で、技術専門員の技にさすがだなと思いました。 -
四神の館から右にある坂道を登って古墳のある場所に向かいます。
-
キトラ古墳に到着。丘の上にチョコンとある古墳の前には古墳の模型がありました。
整備された丘のような墓 by su3さん国営飛鳥歴史公園 公園・植物園
-
発掘調査を経て現在は埋め戻され、古代の大きさに復元されています。思っていたより墳丘の大きさが小さかったので、木に囲まれていたであろう状態の場所のものをよく地元民は通報できたなと思いました。
-
キトラ古墳の横には乾拓版がずらり。
-
この板に紙を置き、上から鉛筆などで塗っていくと絵や文字が浮き出てきます。
-
午の乾拓版。
-
虎の乾拓版。
-
朱雀の乾拓版。
-
青龍の乾拓版。
-
天文図の乾拓版。
-
玄武の乾拓版。
-
白虎の乾拓版。
-
さあ、帰りましょうか。
-
キトラ古墳を堪能しまくって気がついたらお腹が空いていたので、あすかの夢市に寄ってあまりみたことのない巻物を購入。
-
古代米を使った巻き寿司で、中身は人参、キュウリ、牛蒡、大根の漬物らしきものなどが入っており、意外とさっぱりと食べれて美味しかったです。
気持ちとお腹がみたされ、この旅に満足したのでこの後はのんびり帰路につきました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2018 08
-
憧れの熊野古道
2018/08/02~
熊野・尾鷲
-
熊野詣でに那智の滝
2018/08/03~
和歌山
-
鯨の旅
2018/08/03~
新宮・勝浦・熊野本宮
-
南の端と梅の里
2018/08/04~
白浜・田辺・みなべ・串本
-
高野山ってどんなとこ?
2018/08/06~
和歌山
-
奥の院ウロウロ 粉河寺を添えて
2018/08/07~
和歌山
-
日本一高い現存天守とグルメ旅
2018/08/08~
岡山
-
そずり鍋と城の旅
2018/08/09~
岡山
-
鳥取ジオ旅
2018/08/10~
鳥取
-
お城・洞窟探検 ぼてぼて茶とライトアップで休息を
2018/08/11~
島根
-
米子・奈良の歴史旅
2018/08/12~
奈良
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
奈良 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2018 08
0
185