2018/08/04 - 2018/08/04
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su3さん
この旅行記のスケジュール
2018/08/04
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まごころの味しんまち
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朝から晩まで駆け足で和歌山海沿い巡り。
なかなかお目にかかれない景色に、トルコ、本州最南端、自分の中で上位に入る美味しいスイーツ、梅、美味しいモノたち、暖かい人たちと盛りだくさんの旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 自家用車
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早めの時間に那智勝浦の宿を出て、やってきました串本の道の駅。
道の駅 くしもと橋杭岩 道の駅
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目の前には見事に広がる奇岩群。
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25あるそれぞれの岩島に名前があるんですね。一の島・二の島・三の島・四の島・はさみ岩・ゴロゴロ岩・タコ岩あたりはまあ分かる気もするけれど、コポレ岩・ボオス岩・ビシャコ岩なんてどういう意味だろう。
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弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行い、弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、ニワトリの鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせ、弘法大師が諦めて作りかけでその場を去ったので橋の杭のみが残ったという伝説が残っているそうです。
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道の駅の端あたりから下に降りると、
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橋杭岩の看板がありました。良い味出してる。
直線上に岩が立ち並ぶ姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれるようになったそうです。橋杭岩 自然・景勝地
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さて、せっかくですから潮が引いているところを歩いてみましょうか。
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まだ潮が引いている時間なので歩きやすいです。サンダルでサクサク進んでいきます。
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国の名勝天然記念物でなかなかできない体験にテンションが上がります。
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ゴロゴロと石が転がるデコボコした地面はちょっと歩きにくいけれど楽しい。
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橋杭岩に転がっている岩の中には、宝永地震で起こった大きな津波によって遠くまで転がったのではないかとされているものもあるそうです。
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振り返るとゴロゴロ岩と黒岩とタコ岩。
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砂や泥が海底に堆積してできた堆積岩中の割れ目にマグマが貫入して冷え固まったものがその後に隆起し、柔らかい堆積岩は海の波により侵食され、硬い火成岩の部分が断続的に取り残されて、橋脚が並んだような地形となったんだそうです。
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こうして近くで見ると浸食されてできたんだろうなというのがよくわかりますよね。
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少し潮が満ちてきたのかこの辺りは海水で埋まっているけれど、まだ時間的に奥の方まで行けそうだ。
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あ、岩の上に鳥がいる。
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橋杭岩の間で打ち寄せる波。
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水があるところには小さな魚や貝などがいっぱいいました。
この辺りで何組かの親子が楽しそうに地面を眺めていました。意外とたくさん海の生き物がいるからね。 -
ずらりと並ぶ奇岩たち。
左から蛙子岩、平岩、ハサミ岩、ポオス岩、大おがみ岩、小おがみ岩。 -
浸食によって面白い地形になってますね。
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なかなか良い景色。干潟を歩いていると不思議な感覚に陥ります。
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大おがみ岩がなぜおがみ岩といわれるか、近づくと理解できました。岩の形がちょっとおがんでいる形なんですね。
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見事にとがったハサミ岩。
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奥にもっさりした弁天岩と童子島が近づいてきました。
どちらかというと弁天岩の方が島っぽい。 -
小おがみ岩とピシャコ岩。
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この辺りから大きな石がよりゴロゴロしていました。
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溶岩が固まってできたんだなという感じの跡がちらほら。
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中間の弁天岩近くまであともう少し。
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弁天岩には赤い鳥居があるというけれど…裏にあるんだろうか。
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ずいぶん遠くまで来たものだと思ったけれど、これで並んでいる岩の中間地点。
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近くで見ると色々大きいな。
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あ、ヤバい。
潮が満ちてきた。 -
潮の満ちるのが早くてサンダルが濡れまくった状態になり、夏だったから丁度気持ちいいくらいでしたが、流石に服を濡らすと後が大変なので、大慌てで看板があった場所まで戻ります。
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道の駅に戻ってウロウロしていた時に見つけたもの。まさか海でメダカが売っているとは。
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朝食代わりに買った秋刀魚寿司とめはり寿司のセット。全て一口大で食べやすーい。
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そして思わず買ったトコブシ。
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貝類は口に入れてよく噛むと旨みが広がって、ビールが飲みたくなりました。車の運転があったから飲まなかったけれど。
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売店で気になって買ったポンカンソフトクリーム。暑い夏にこのさっぱり感は良いね。
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休息室には串本の見どころが掲載されていました。あ、これから行こうとしているところがいっぱい書いてある。
串本はラムサール条約登録の町だったんですね。
ちなみに、丁度行った日に串本祭りがあるようでしたが、時間的に参加することはできませんでした。残念。 -
二階からの眺め。だいぶ潮が満ちてきたな。
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さっきまで歩いていたところがもう歩けない状態に。
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降り口も潮が満ちてほとんど歩けません。
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駐車場にはハイビスカスが咲いていました。中々に面白い景色。
車に乗り込み次の目的地へ。 -
串本に来たならば紀伊大島へ。
ループ状のくしもと大橋を通って進んだ先にある駐車場に車を停めて島を巡ることにしましょう。 -
ということで車を停めた場所の近くにあったお店。
さらりとトルコ料理もありますね。 -
まず訪れたのはトルコ記念館。
トルコ記念館 美術館・博物館
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平時国際活動発祥の地でもあるんですね、こちらは。
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さあ、中に入りましょうか。
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このマーク、可愛いですね。
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入口入って直ぐの玄関には館の創設理由とトルコについて記載がありました。1890年にあったエルトゥールル号事件に乗っていた乗船水夫の像がお出迎え。
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エルトゥールル号が日本に来ていた時、両国の国際的な立場は苦しかったんですよね。日本は不平等条約に苦しみ、トルコは帝国の衰退と西洋列強にいいようにされ。2国が歩み寄りをしようとしていたそんな折、海難事故がこの地で起こったのです。
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1890年に友好使節団として日本にやってきていたトルコの軍艦・エルトゥールル号は589名の船員を載せて串本の樫崎岬付近で遭難し、多くの船員がなくなりました。大島島民に助けられた69名は、後に比叡と金剛の2隻の軍艦によってトルコに送り届けられました。
ちなみにエルトゥールル号はイギリス製。
こちらのコーナーでは金剛や比叡についても資料が展示されていました。 -
明治21年頃のこの地の地図。
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友好のために日本を訪れたオスマン・パシャ以下一行は大歓迎を受け、滞在中は大変良い時間を過ごせていたようです。
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出発した季節は台風が頻発する時期。船内でのコレラ患者が出ていたのもあり出発を焦った末、世界最大級の事故に繋がってしまったのです。
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漁にも出れず食料が乏しい大島村民が献身的な救助活動を行ったため、69名が助かったんですね。この様子はトルコと日本の共同制作で映画化されています。
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左奥の岩礁がエルトゥールル号が座礁した原因の船甲羅という岩礁なんだそうです。
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窓の外にあった説明板。この岩礁ですね。古来からこの船甲羅で何隻もの船が沈んでいたようです。
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こちらの窓からはどんな形で座礁したのかがわかるようになっていました。
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穴を覗くと
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あ!ここの岩礁に船がぶつかったのか。と分かる仕様になっていました。
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事故当時の日本の報道。新聞各社は同時に義援金募集活動もしたそうです。現在の価格で8500万円もの義援金は生存者をトルコに送る時に一緒に持たせ、遺族たちに渡したとか。
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後のイラン・イラク戦争では逆に日本人が助けられました。日本政府の対応が遅れて邦人保護の救援機が間に合わないとなった時に、トルコ政府が救援機を出してくれたのです。
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トルコが出してくれた飛行機の模型。
ターキッシュ・エアラインA330型機。 -
特別機を出してくれた理由が100年近く前の出来事から起こった親日感情だったというのも凄い話。国同士のつながり方としては最高の例じゃないですか。
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東日本大震災時にはまた助けてもらいましたし、逆にトルコの大地震の時は日本も助けに行きました。トルコの大地震の時に暴動が起きず、並んで配給を待つトルコ人の姿をニュースで目にしたのですが、どうやら東日本大震災などで協力し合ってお互い譲り合う日本人の姿を参考にしてくれていたと知って嬉しくなりました。
優しい世界が広がっているのは素直に嬉しいですね。 -
先ほども書きましたが、この事件は映画化されました。そのポスターや小道具、台本など。
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こちらのコーナーではエルトゥールル号の引き上げから分かった資料などが展示されていました。
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引き上げから見つかったものたち
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引き上げから見つかったものたち 2
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日本とトルコの友好の懸け橋に尽力した野田正太郎と山田寅次郎について。
野田さんは義援金を持って渡ったトルコで日本語を2年教え、山田さんは野田さんの後釜としてトルコで日本語を教えました。山田さんはトルコ建国の父であるムスタファ・ケマル・アタチュルクにも日本語を教えていたようです。 -
エルトゥールル号艦長のオスマン・パシャの遺品など。
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125年記念のエルトゥールル号の模型。キラキラしてました。
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現在も串本町とトルコとの繋がりは強く、5年に1度、トルコと共同で追悼式典を行っています。館内にはその映像が見れるようになっていました。
2014年のトルコ首相来日の時には鍵をかたどた盾を串本の鍵(タウンキー)としてが送っています。
ちなみに串本町の姉妹都市は、ヤカケント町とメルシン市になります。 -
館の方と話をしていたら、この頃暑すぎて来場者数がすごく少ないと聞きました。丁寧に説明してくださったのもそういう言う理由があったんでしょうね。
お礼を言い、記念館を後にします。 -
トルコ記念館を出て岬に向かう道の途中で海綺麗だなとふと岩場を見ると、小舟が一層浮かんでいました。人は乗っていなかったけれど、漁でもしてるのかな。
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道を進むと大きな碑がありました。なんの碑だろう?
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エルトゥールル号座礁事件のトルコ軍艦遭難慰霊碑でした。
近くで見るとよりデカイ。とても清掃が行き届いているなと思ったのですが、どうやら地元の方々の手で清掃が行われ、秋には地元の小中学生が綺麗にしてくれているようです。トルコ軍艦遭難慰霊碑 名所・史跡
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トルコ軍艦遭難慰霊碑から灯台の方へ歩いてすぐにのところに、道にずらりと干されているトルコ絨毯を発見。
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車の上にも絨毯。
隣の建物を覗いてみると… -
トルコ絨毯とアイスの店でした。
後の話になるのですが、岬から折り返して同じ道に戻ってきた時に、こちらの店主に英語で話しかけられそのままアイスを奢ってもらいました。色々お話しを聞いていると、 絨毯デザインしてるんだそうです。この辺りは海が綺麗なの良いよねとか、高速道路の上手な走り方などを伝授されたり、トルコ人と英語があまり話せない日本人が英語で話しているので日本人の私はほとんど聞き役でしたが面白かったです。 -
店の向かいの手すりにも絨毯がずらり。
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お店を過ぎたところにある橋を渡ります。
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橋の上からひょいっと下を見ると、ナニこれ凄く綺麗!
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あまりの透明度にびっくりして暫く下をのぞき込んでいました。
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海の美しさに見とれた後は、樫野崎灯台に向かいましょう。
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灯台と騎馬像が見えてきた!
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新潟の柏崎からやってきたアタテュルク像。
トルコの初代大統領のムスタファ ケマル アタテュルクは軍事司令官としてトルコ帝国をトルコ共和に変えた建国の父であり、様々な改革を行いました。 -
アタテュルク像を通りすぎた先には樫野崎灯台。
手前には樫野崎灯台旧官舎。
樫野崎灯台は江戸条約の時に建設が決められた8灯台の内の1つです。 -
樫野崎灯台旧官舎。
入り口あたりがやたら近代的なつくりに見えますが、修復の祭にはできるだけ古い部分を残してむかしの姿に再現されています。竣工当時の屋根は三角屋根ではなく箱型の建物だったとか。樫野埼灯台旧官舎 名所・史跡
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らせん階段付きの面白い形をした日本で最初の西洋式石造り灯台。
上に登れるようなので登ってみましょうか。樫野埼灯台 名所・史跡
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あぁ、何とも綺麗な灯台だな。
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灯台の上からの景色。
先ほど見た樫野埼灯台旧官舎が見えますね。 -
穏やかな日でしたが岩礁が多いためか白波たちまくり。
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どこまでも青い海はとても美しい。
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遠くにはちょっと大きめの岩礁。
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下の公園部分からも景色が良く見えます。
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海を見ていると岩礁がかなり多く、この辺りが難所だというのがよくわかりますよね。座礁しやすそう。
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灯台を降りて帰りましょうか。
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もと来た道をのんびり戻り、駐車場に向かいます。
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樫野埼灯台を見てトルコ人店主と楽しく話をした後は、車を走らせて潮岬まで来ました。
潮岬観光タワー 名所・史跡
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中に入るとエルトゥールル号の模型と何故かワンピースのアニメが流れていました。海繋がり?
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この地こそが、本州最南端。
後日、この辺りに同僚の実家があることが分かって世間って狭いなと思いました。 -
上部まで登って見えた景色。
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タワー目の前の道と海と海岸線のコントラストが素晴らしい。
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目の前の広場では何組かの家族ずれがピクニックを楽しんでいました。
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望遠鏡がずらり。遠くまでよく見えそうな場所ですものね。
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潮岬の先端はこの先。道のようになっているところを歩いていくと碑がありました。
潮岬 自然・景勝地
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食堂では近大マグロのメニューがあったり、この辺りで有名な鯛のメニューがあったり、鯨丼があったりでなかなか魅力的なラインナップでしたが、トルコ絨毯の店で頂いたアイスクリームがお腹に残りまくっていたのと、この後行きたいカフェのことを考えて断念。
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南紀白浜にきたら必ず寄りたいお店に到着。
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お目当ての生かげろうと限定生かげろう。
この時の限定味はマンゴーとキャラメルでした。
ブルーベリージュースも美味しい。 -
生かげろうとかげろうを山程購入したところ、おまけを貰ってホクホク。
福菱 Kagerou Cafe グルメ・レストラン
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腹ごなしもかねて千畳敷へ。
千畳敷 自然・景勝地
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早速下に降りてみましょう。
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なんかいた。
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波の浸食によってできた海岸線が見えてきました。
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岩の色が綺麗だな。こう見るとアメリカのグランドキャニオンみたいだなと思ったり。行ったことないけれど。
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なだらかに段になっているところをのんびり降りていきます。
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結構な段差があるところも。
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海の方には岩礁もちらほら見えますね。
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柔らかい地質の砂岩なので浸食によって穿たれた穴ぼこがいっぱい。
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海岸線まで行ってみたら、程良い迫力で飛沫が来ました。
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あちらの岬まで行ってみましょうか。
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そこは皆さん立ってみたい場所ですよね。
常に誰かがこの人気スポットにいました。 -
色んな人がワイワイしながら千畳敷を楽しんでいました。探索のし甲斐がある場所ですものね。
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良い感じの飛沫。
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一見、のっぺりした土地ですけれど、割と緩やかとはいえ結構な坂になっているところもありました。
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あの段差の近くまで行ってみましょうか。
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1800万年前から1500万年前に砂や礫が積もった地層が隆起してできただけあって砂っぽい感じ満載。この中にも生痕化石があるんでしょうね。
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見つけられませんでしたが、千畳敷にある海食洞は、白浜町の天然記念物・ユビナガコウモリの繁殖地なんだそうです。
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たくさん楽しんだので、ここいらで帰りましょうか。
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思った以上に楽しかったー。
この後、シーズン中で大混雑する海水浴場横の道を突っ切って南紀白浜を後にしました。駐車場の呼び込みの人にたくさん手を振られたな。 -
温泉に入ってから夕食を食べようと車を走らせていた時に、ふと目に入った道の駅みなべうめ振興館。なんだか面白そうだったのでちょっと入ってみました。どうやらこの施設は梅についてのあらゆることを知ることができるようです。
まずは2階の梅のサイエンスシアターへ。入り口にはみなべ町のシンボルということで梅と鶯。みなべうめ振興館 美術館・博物館
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梅花の種類がずらり。梅の実の断面まで教えてくれるとはさすが。
南高梅の始まりとしては明治35年に高田梅の母樹(南高梅の原木)が見つかり、後の世に継承されたんだそうです。300種類くらいあるそうですが、こちらでは50種類についてが紹介されていました。 -
梅の開花前線についての展示。
1月下旬ぐらいから3か月程度かけて開花前線は北上していくのだとか。 -
南部梅林の再現ジオラマ。
花の時期にこの梅林の中にいたら梅の香りに包まれそう。 -
梅干しについての歴史など。
梅千丸は、殺菌もできるし、エネルギーにもなるし、クエン酸で疲労回復もできるしというスーパーフードだったんでしょうね。
梅干を食べる習慣が広まったのは江戸の頃なんですね。 -
梅の産地について。
生産量は和歌山県が飛びぬけておるわい。さすが。 -
バラ科の梅は、実はサクラ属なんですね。
その下のスモモ亜属ウメというのはなんだか納得。ウメ、アンズ、スモモは兄弟みたいなものですね。 -
ウメの雑学知識。と梅の文字が入った酒の名前について。
越乃寒梅とか松竹梅とか有名どころがちらほら。 -
梅紋がずらり。
こんなにバリエーションがあるんですね。
無料なのに意外と良い展示で時間がなかったのがちょっと悔しかったです。こののち、3階の売店で埋めジュースなどを買ったら梅干しを一個いただきました。 -
道の駅みなべうめ振興館から更に車を走らせて到着した鶴の温泉。
お湯が素晴らしく、湯上りには肌がツルツルになりました。内風呂と露天風呂が繋がってないため、双方の浴槽に行くには服を着て移動しなければならないというちょっと変わった温泉でした。熱くてお湯に入るのをためらう知らない子供に掛け湯を教えたのはいい思い出。 -
このあたりのB級グルメをいただこうと「まごころの味しんまち」さんへ。 しかしなんとその日は団体様貸し切りでした。しょんぼりして一度は店を出たのですが、店主が追いかけてきてくれてどこから聞かのかと尋ねるので、かなり遠くの土地から来たことを伝えると、ちょっと待っててと荷物が置いてあるカウンターを綺麗に開けて無理矢理席をつくってくださり、中に通してくれました。もうこの時点で店の好感度が上がりまくりです。
生シラスを注文したところ、細工した野菜で飾られた素敵な盛り付けで出てきて吃驚。値段を知っていると更に吃驚の一皿でテンションが上がりまくります。 -
お目当てのたっちょねほねく丼。新鮮な太刀魚を骨ごと使った「ほねく」と餡のバランスが美味い。
おまけでつけてくれた味噌汁の中にホタテが入っていた。こういう味噌汁初めて! -
サービスです、といただいたデザート。
こんなすごいのサービスにもらっていいの!?という感じで、始終ニコニコ。
出てくる料理がすべておいしくて、全国ご当地丼でたくさん賞をもらっている店の実力を実感しました。 -
家族で切り盛りしていて、皆さん楽しく優しい方々ばかりだったので居心地がよかったです。貸し切り宴会が終わったころに常連客の方々がやってきてカウンターでワイワイし始めました。
その中にいつの間にか混じってお話をさせていただいたのですが、店主とその友達の方と話しが弾み、せっかく遠くからこの土地に来たのだからとお土産までもらってしまいました。ご友人は和歌山にUターンしてらした方で、映像系のお仕事などをしていらして面白い話をしてくださったり、店主のお父様からは名字の鈴木の由来を教えてもらったり、忙しく働いていらっしゃるお嫁さんやお母さんからも優しくしていただき素晴らしい思い出になりました。
お腹も心も満たされてホクホクしながらホテルへ。ふわふわ楽しくて浮かれていたからか、一度部屋から閉め出されるも、親切な受付の方に助けてもらい、無事就寝。
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