取手・守谷旅行記(ブログ) 一覧に戻る
取手のさざえ堂(長禅寺三世堂)が年に一回公開される日に合わせて、「染野家住宅(旧・取手宿本陣)」も公開されたので見学してきました。ここは年に一回のみの公開ではなく、通常は週3回(金、土、日)公開されていますが、その他に「さざえ堂」の公開日に公開されます。長禅寺から、旧水戸街道に沿って300mほどの距離なので、徒歩5分くらいです。<br />見学後、旧水戸街道をさらに歩いて「八坂神社」に寄り、南へ歩いて利根川に出て、土手を歩いて取手駅に戻りました。<br /><br />旅行記作成に際しては、現地の説明板、染谷家住宅のパンフレット、取手市のホームページ、関連するネット記事を参考にしました。

染野家住宅(旧・取手宿本陣)_2019_さざえ堂公開日に合わせて、公開されました。(茨城県・取手市)

15いいね!

2019/04/18 - 2019/04/18

74位(同エリア199件中)

0

56

minaMicaze

minaMicazeさん

取手のさざえ堂(長禅寺三世堂)が年に一回公開される日に合わせて、「染野家住宅(旧・取手宿本陣)」も公開されたので見学してきました。ここは年に一回のみの公開ではなく、通常は週3回(金、土、日)公開されていますが、その他に「さざえ堂」の公開日に公開されます。長禅寺から、旧水戸街道に沿って300mほどの距離なので、徒歩5分くらいです。
見学後、旧水戸街道をさらに歩いて「八坂神社」に寄り、南へ歩いて利根川に出て、土手を歩いて取手駅に戻りました。

旅行記作成に際しては、現地の説明板、染谷家住宅のパンフレット、取手市のホームページ、関連するネット記事を参考にしました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩

PR

  • 「長禅寺」の参道(階段です)を降りて、南に歩くと表通りに出ます。県道11号線ですが、かつての水戸街道だそうです。写真の左は漬物屋さん、右は酒屋さんです。漬物屋さんの左の路地を入ると、その先に「長禅寺」があります。

    「長禅寺」の参道(階段です)を降りて、南に歩くと表通りに出ます。県道11号線ですが、かつての水戸街道だそうです。写真の左は漬物屋さん、右は酒屋さんです。漬物屋さんの左の路地を入ると、その先に「長禅寺」があります。

  • 東へ歩くと、道の向こう側に、「文禄2年創業 きものと帯 田丸屋」という建物があり、

    東へ歩くと、道の向こう側に、「文禄2年創業 きものと帯 田丸屋」という建物があり、

  • その前に「布袋様」が立っていました。

    その前に「布袋様」が立っていました。

  • 更に歩くと、歩道に「本陣公開中」の看板があります。

    更に歩くと、歩道に「本陣公開中」の看板があります。

  • 看板の横の路地の奥に、門があり「公開中」の看板があります。

    看板の横の路地の奥に、門があり「公開中」の看板があります。

  • 「表門」です。<br />江戸時代の初めに水戸街道が整備され、利根川の渡船場に隣接する取手は、重要な宿場として発展しました。

    「表門」です。
    江戸時代の初めに水戸街道が整備され、利根川の渡船場に隣接する取手は、重要な宿場として発展しました。

  • 表門から見た「主屋」です。<br />取手の名主であった染野家は、貞享4年(1687)に第二代水戸藩主徳川光圀から本陣を命じられた、と伝えられています。その後、取手の大火で焼失し、現在の建物は寛政7年(1795)に再建されたもので、築224年です。

    表門から見た「主屋」です。
    取手の名主であった染野家は、貞享4年(1687)に第二代水戸藩主徳川光圀から本陣を命じられた、と伝えられています。その後、取手の大火で焼失し、現在の建物は寛政7年(1795)に再建されたもので、築224年です。

  • 左側に「土蔵」があります。「主屋」「表門」と同じく、18世紀末から19世紀初めに建てられたと推定されています。

    左側に「土蔵」があります。「主屋」「表門」と同じく、18世紀末から19世紀初めに建てられたと推定されています。

  • 「旧取手宿本陣」は、昭和62年(1987)に取手市史跡に指定されました。

    「旧取手宿本陣」は、昭和62年(1987)に取手市史跡に指定されました。

  • 「主屋」の玄関です。横付けした駕籠から直接建物に入れるように、玄関には「式台」があります。

    「主屋」の玄関です。横付けした駕籠から直接建物に入れるように、玄関には「式台」があります。

  • 「玄関」と「式台」の札が並んでいますが、パンフレットの図面には、引き戸の向こう側が「玄関」、手前の一段低くなったところの、もう一段手前が「式台」、と描かれています。

    「玄関」と「式台」の札が並んでいますが、パンフレットの図面には、引き戸の向こう側が「玄関」、手前の一段低くなったところの、もう一段手前が「式台」、と描かれています。

  • 「土蔵」です。「旧取手宿本陣」が取手市史跡に指定された後、「主屋」、「土蔵」、「表門」、「徳川斉昭の歌碑」が、染野家から取手市に寄贈されました。

    イチオシ

    「土蔵」です。「旧取手宿本陣」が取手市史跡に指定された後、「主屋」、「土蔵」、「表門」、「徳川斉昭の歌碑」が、染野家から取手市に寄贈されました。

  • 「土蔵」と「主屋」の間に木戸があります。図面によると「西門」です。

    「土蔵」と「主屋」の間に木戸があります。図面によると「西門」です。

  • 「西門」の向こうに「← 歌碑」の案内板があるので、行ってみます。

    「西門」の向こうに「← 歌碑」の案内板があるので、行ってみます。

  • 案内板の向こうに、木の階段(木道?)が見えます。

    案内板の向こうに、木の階段(木道?)が見えます。

  • 敷地の境界の際を進みます。

    敷地の境界の際を進みます。

  • 右側には巨木、先には階段があります。

    右側には巨木、先には階段があります。

  • 階段を上りきると、石碑と説明板が見えます。

    階段を上りきると、石碑と説明板が見えます。

  • 「徳川斉昭の歌碑」です。説明板によると、天保11年(1840)に水戸藩主徳川斉昭が水戸へ帰る途中、利根川を渡る船の中で詠んだ歌を、休憩に立ち寄った染野家の袋戸へ貼り付けた、とのこと。水戸藩はこの歌を石に刻み、江戸から取手へ船で運んできたそうです。

    「徳川斉昭の歌碑」です。説明板によると、天保11年(1840)に水戸藩主徳川斉昭が水戸へ帰る途中、利根川を渡る船の中で詠んだ歌を、休憩に立ち寄った染野家の袋戸へ貼り付けた、とのこと。水戸藩はこの歌を石に刻み、江戸から取手へ船で運んできたそうです。

  • その左を見ると、立ち入り禁止のロープの向こうに何やらお社があります。近づくことができませんし、パンフレットにも記載がないので、詳細は不明ですが、「茶の間」に貼られていた説明書きに「山上の稲荷」という表現がありますので、これは稲荷神社かもしれません。

    その左を見ると、立ち入り禁止のロープの向こうに何やらお社があります。近づくことができませんし、パンフレットにも記載がないので、詳細は不明ですが、「茶の間」に貼られていた説明書きに「山上の稲荷」という表現がありますので、これは稲荷神社かもしれません。

  • 来た道を戻ります。通路(木道?)横の巨木は、ただ大きいだけではなく、形が「こんな」です。狭いところで育ったから、なのでしょうか。

    来た道を戻ります。通路(木道?)横の巨木は、ただ大きいだけではなく、形が「こんな」です。狭いところで育ったから、なのでしょうか。

  • 「主屋」まで戻ってきました。写真は「西門」の北側、パンフレットによると「三の間」です。

    「主屋」まで戻ってきました。写真は「西門」の北側、パンフレットによると「三の間」です。

  • 「主屋」の西側を歩いて裏へ行ってみます。写真は、右手前から「三の間」「二の間」「上段の間」です。

    「主屋」の西側を歩いて裏へ行ってみます。写真は、右手前から「三の間」「二の間」「上段の間」です。

  • 「主屋」の裏庭(北側)です。

    「主屋」の裏庭(北側)です。

  • 裏庭を横切って、東側から見た裏庭です。

    裏庭を横切って、東側から見た裏庭です。

  • 東側には井戸があります。奥に見える木戸は「東門」です。

    東側には井戸があります。奥に見える木戸は「東門」です。

  • 「東門」から表へ出ました。表から見た「東門」です。

    「東門」から表へ出ました。表から見た「東門」です。

  • 「東門」の西方向を見ています。左奥が「土蔵」、中央が「玄関」、右手前が「土間」への入口です。

    「東門」の西方向を見ています。左奥が「土蔵」、中央が「玄関」、右手前が「土間」への入口です。

  • 「西門」の横に、「土間」への入口があります。屋内の見学は、ここから入ります。

    「西門」の横に、「土間」への入口があります。屋内の見学は、ここから入ります。

  • 「土間」に入ると、茅葺屋根の内側の構造に圧倒されます。取手市に寄贈された後、昭和62年(1987)の末から「主屋」の半解体修理工事が行われ、「土蔵」「表門」「庭園」などの工事も含めて平成8年度(1996年度)に完了しました。<br />写真左下の黒っぽい面は漆喰壁で、これは昔のままだそうです。

    イチオシ

    「土間」に入ると、茅葺屋根の内側の構造に圧倒されます。取手市に寄贈された後、昭和62年(1987)の末から「主屋」の半解体修理工事が行われ、「土蔵」「表門」「庭園」などの工事も含めて平成8年度(1996年度)に完了しました。
    写真左下の黒っぽい面は漆喰壁で、これは昔のままだそうです。

  • 「土間」は北と南に分かれていて、北側には「石くど(石のカマド)」があります。北側の土間は調理場(台所)なんですね。ここから東側へ出ると井戸がありますし、写真の奥の部屋は「茶の間」なので、かなり機能的です。

    「土間」は北と南に分かれていて、北側には「石くど(石のカマド)」があります。北側の土間は調理場(台所)なんですね。ここから東側へ出ると井戸がありますし、写真の奥の部屋は「茶の間」なので、かなり機能的です。

  • 茅葺屋根は15~20年毎に葺き替えが必要らしいのですが、ここは使われていないので、10~15年くらいで葺き替えが必要になるそうです。使われていないと煙で燻されることがなく、茅葺屋根の寿命が短くなるのだそうです。

    イチオシ

    茅葺屋根は15~20年毎に葺き替えが必要らしいのですが、ここは使われていないので、10~15年くらいで葺き替えが必要になるそうです。使われていないと煙で燻されることがなく、茅葺屋根の寿命が短くなるのだそうです。

  • その昔、茅葺屋根が多かった(普通に使われていた)時代には、それぞれの集落に共同の萱場があって、そこで採れた茅を使って葺き替えていたようですが、今はどうやって調達しているのでしょうね。

    イチオシ

    その昔、茅葺屋根が多かった(普通に使われていた)時代には、それぞれの集落に共同の萱場があって、そこで採れた茅を使って葺き替えていたようですが、今はどうやって調達しているのでしょうね。

  • 「なかのま」です。「玄関」の正面の部屋です。見学者は「玄関」からは入れないので、「土間」からあがってきました。

    「なかのま」です。「玄関」の正面の部屋です。見学者は「玄関」からは入れないので、「土間」からあがってきました。

  • 「なかのま」の左側(西側)に、部屋が南北に3つ並んでいます。「なかのま」の隣が「三の間」です。

    「なかのま」の左側(西側)に、部屋が南北に3つ並んでいます。「なかのま」の隣が「三の間」です。

  • 「三の間」の北側に「二の間」があります。

    「三の間」の北側に「二の間」があります。

  • 一番奥(北)が「上段の間」です。他の部屋より床が高く、身分の高い人が使う部屋です。殿様がいるときには、天井裏と床下に家来が隠れて警護したそうです。違い棚の下の床(の下)から床下へ逃げられるようになっている、と説明書きに開かれています。

    一番奥(北)が「上段の間」です。他の部屋より床が高く、身分の高い人が使う部屋です。殿様がいるときには、天井裏と床下に家来が隠れて警護したそうです。違い棚の下の床(の下)から床下へ逃げられるようになっている、と説明書きに開かれています。

  • 「玄関」の右(東側)に、明治初期に「郵便局」として使っていた部屋があります。外側から見た「郵便窓口跡」です。平らな壁面に窓があるだけで、カウンターも台もありません。馬蹄形の窓が「郵便窓口跡」です。染野晋は、明治11年(1878)に五等郵便取扱役になっており、このときに自宅を改造して窓口を設置したと考えられています。

    「玄関」の右(東側)に、明治初期に「郵便局」として使っていた部屋があります。外側から見た「郵便窓口跡」です。平らな壁面に窓があるだけで、カウンターも台もありません。馬蹄形の窓が「郵便窓口跡」です。染野晋は、明治11年(1878)に五等郵便取扱役になっており、このときに自宅を改造して窓口を設置したと考えられています。

  • 「土蔵」の前で、ツアー(?)の団体が、ガイドさんの説明を聞いています。「土蔵」は、昭和62年からの修理の際に、解体修理されています。

    「土蔵」の前で、ツアー(?)の団体が、ガイドさんの説明を聞いています。「土蔵」は、昭和62年からの修理の際に、解体修理されています。

  • 「主屋」は、半解体修理でした。

    イチオシ

    「主屋」は、半解体修理でした。

  • 「表門」は、解体復旧工事でした。

    「表門」は、解体復旧工事でした。

  • 「旧取手宿本陣(染野家住宅)」を後にして、旧水戸街道を東に歩きます。水戸の藩主(水戸徳川家)や藩士が、江戸との間を往復するときの経路は、一つに決まっていた訳ではなく、特に利根川を船で渡る時の乗降船の場所によって違っていたようです。水戸藩主が取手を通った最初の記録は、天和2年(1682)に2代藩主・水戸光圀が江戸から水戸へ戻る時の史料だそうです。

    「旧取手宿本陣(染野家住宅)」を後にして、旧水戸街道を東に歩きます。水戸の藩主(水戸徳川家)や藩士が、江戸との間を往復するときの経路は、一つに決まっていた訳ではなく、特に利根川を船で渡る時の乗降船の場所によって違っていたようです。水戸藩主が取手を通った最初の記録は、天和2年(1682)に2代藩主・水戸光圀が江戸から水戸へ戻る時の史料だそうです。

  • 旧水戸街道(写真の左右方向)南側に「八坂神社」があります。右の路地を入った右に少しだけ見える白い建物は取手図書館です。

    旧水戸街道(写真の左右方向)南側に「八坂神社」があります。右の路地を入った右に少しだけ見える白い建物は取手図書館です。

  • その先、左側に市民会館や市役所があります。さらにその先(道路の先の黄緑色の部分)は利根川の土手です。<br />江戸初期の取手宿は、この路地から利根川の河原に町並みがありましたが、寛文6年(1666)の大洪水で壊滅し、今の町並みに移ったのだそうです。

    その先、左側に市民会館や市役所があります。さらにその先(道路の先の黄緑色の部分)は利根川の土手です。
    江戸初期の取手宿は、この路地から利根川の河原に町並みがありましたが、寛文6年(1666)の大洪水で壊滅し、今の町並みに移ったのだそうです。

  • 八坂神社のホームページによると、八坂神社は、旧取手市内、上町、仲町、片町の鎮守であり、三ヶ町の「産土神」「牛頭天王社」として親しまれています。

    八坂神社のホームページによると、八坂神社は、旧取手市内、上町、仲町、片町の鎮守であり、三ヶ町の「産土神」「牛頭天王社」として親しまれています。

  • 創建は寛永3年(1626)、御祭神は素盞鳴命(スサノオノミコト)をお祀りしています。

    創建は寛永3年(1626)、御祭神は素盞鳴命(スサノオノミコト)をお祀りしています。

  • 拝殿は天保3年(1832)の建築、鳥居は宝永4年(1707)の建立です。

    拝殿は天保3年(1832)の建築、鳥居は宝永4年(1707)の建立です。

  • 現在の本殿は明治36年(1903)に再建されたもので、一間社流造、建物全体に精巧な彫刻が施されています。取手市指定有形文化財です。<br />本殿には屋根が架けられており、周囲には金網が張られています。本殿の彫刻を、鳩などから守るためでしょうか。

    現在の本殿は明治36年(1903)に再建されたもので、一間社流造、建物全体に精巧な彫刻が施されています。取手市指定有形文化財です。
    本殿には屋根が架けられており、周囲には金網が張られています。本殿の彫刻を、鳩などから守るためでしょうか。

  • 本殿を囲む各面には、その面の彫刻の説明板が設置されています。<br />東面は「神功皇后」です。

    本殿を囲む各面には、その面の彫刻の説明板が設置されています。
    東面は「神功皇后」です。

  • 本殿、右側が東面です。

    本殿、右側が東面です。

  • 南面は「天の岩戸」です。

    南面は「天の岩戸」です。

  • 本殿の南面です。

    本殿の南面です。

  • 西面は「日本武尊蝦夷征伐」です。

    西面は「日本武尊蝦夷征伐」です。

  • 右側が西面です。

    イチオシ

    右側が西面です。

  • 路地の突き当たりは、利根川の土手です。

    路地の突き当たりは、利根川の土手です。

  • とても広い河川敷です。昔は氾濫が多かったのだろうと思われます。<br />この後、土手を歩いて取手駅の方向へ戻ります。<br /><br />( おしまい )

    とても広い河川敷です。昔は氾濫が多かったのだろうと思われます。
    この後、土手を歩いて取手駅の方向へ戻ります。

    ( おしまい )

15いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP