2017/12/20 - 2017/12/20
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minaMicazeさん
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日本三大さざえ堂の一つ、と言われている「児玉のさざえ堂」に行ってきました。「成身院(じょうしんいん)百体観音堂」です。
寒い日が続いていましたが、この日は風もなく穏やかな晴天で、思ったほど寒さを感じることもなく、「成身院」→「三仏堂」→「百体観音堂」の順に拝観してきました。
尚、日本三大さざえ堂のもう一つ、群馬県太田市の「祥寿山曹源寺(太田のさざえ堂)」は、2015年の8月から進めていた保存修理工事が完了し、あと10日余、来年(2018)の1月2日から拝観できるとのことです。
旅行記作成に際しては、百体観音堂、こだいら高窓の里などのパンフレット、現地の説明板などを参考にしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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埼玉県本庄市児玉町から県道287号線を南下し、小平川にかかる秋平橋を渡って600mほど進むと、「左 総合運動公園 ふるさとの森公園 観光農業センター」の案内板がある、左への分岐路があります。
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分岐点に建つ古い石柱に「左 百観世音道 榎木峠 ……」と刻まれています。
側面には「明治三十五年吉日」と刻まれています。明治35年は1902年ですから、115年前です。 -
分岐から1kmほど進むと、「右 さざえ堂 右」の看板があります。
その左の木柱には「右 成身院(百体観音堂)」と書かれています。 -
右を見ると、古い門があります。
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門の手前の石柱には「児玉霊場 第一番札所 成身院 百体観音」と刻まれています。
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「平等山」の額が掲げられています。
「平等山 宝金剛寺 成身院」というのがお寺の名前です。
この門は「仁王門」です。「仁王門」は宝暦9年(1759)に建立されました。 -
左側の仁王さまです。
仁王さまも宝暦9年(1759)のものです。 -
仁王様の上に天井画があるのですが、撮れませんでした。
写真は、左側の仁王さまの後ろの部屋の天井画です。 -
右側の仁王さまです。
仁王さまは、創建時の姿を残しています。 -
右側の仁王様の後ろの部屋の天井画です。
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南西側から見た「仁王門」です。「仁王門」は東を向いています。
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「仁王門」の奥に山門が見えます。
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仁王門から奥の山門への参道だと思うのですが、全面舗装されています。
奥の林の上に、ちょっとだけ見えている「白い三角」が、「さざえ堂」の屋根です。
よく見ると、その下に「さざえ堂」の上部が見えます。 -
奥の山門は「成身院(じょうしんいん)」の山門です。
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山門の横には「六地蔵」があります。左の石柱には、寄進者の名前が刻まれています。
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成身院の本堂は、山門の右奥にあります。
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成身院の本堂は南に向いて立っています。山門以外に、南側にも出入り口がありますが、どちらからも明確な参道はありません。
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南側の出入り口に、成身院の説明板があります。それによると、
成身院は、真言宗豊山派の寺で「平等院 成身院」といいます。
ご本尊は、不動明王です。
児玉三十三霊場の第一番になっています。
この寺の起こりは、南北朝時代より以前と伝えられています。
北武蔵四箇本寺の一つとして、上州と武州にわたって、末寺122か寺を総管する御朱印寺でした。
また、僧侶育成の専門道場(壇林所)として、豊山十八世能化秀慶や元映上人(百体観音堂を建立した)など、多くの名僧を輩出しました。 -
成身院は、対象8年(1919)の火災で本堂を失い、昭和49年(1974)に再建しました。
再建に際しては、文政7年(1824)に建てられた庫裡を改修しました。
外観が、お寺の本堂らしくないのは、そのためなのだと思います。 -
上の写真の、中央の階段の下に、ネコがいます。
この日は、4匹のネコが、冬至前日の低い陽を浴びていました。 -
南側の出入り口の、南側の小高いところにお社が見えます。
その手前、道路際に案内板があります。 -
案内板には「さざえ堂拝観 左 受付案内は 観光農業センターで行います」と書かれています。
その前に、左横の階段を上がって、お社を見に行きます。 -
昔のままの雰囲気が遺された石段を上がります。
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階段の途中で右へ曲がると、石段の向こうにお社が見えます。
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このお社は、寛永元年(1624)に建立された「三仏堂」です。
ここに祀られていたのは、室町時代造立の「三仏さま」です。今は「百体観音堂(さざえ堂)」の2階に安置されています。 -
軒下の彫刻は、立派な龍です。
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明治と昭和に大修理が行われたそうです。
写真は、南東側から見ています。 -
北東側から見た「三仏堂」です。
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「三仏堂」から、さらに西へ、階段が続いているので、行ってみます。
ここが「さざえ堂」への、本来の参道だと思います。
麓の集落を見ながら丘を登ります。 -
階段を上がると、雰囲気に合わない様な、舗装された広い道に出ました。その向こうの高いところに「さざえ堂」が見えます。
「さざえ堂」へは、観光農業センターで受付してから行くことにして、ここから引き返します。 -
「三仏堂」まで降りてきました。
写真は「三仏堂」の西面です。 -
南側には、小平の集落が見えます。
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屋根の上に小さな小屋が乗ったような民家は、「高窓の家」と呼ばれています。小平地区での養蚕業隆盛の面影を残した建築で、明治期に建てられたそうです。
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「高窓の家」は、他にも点在しており、小平地区は「日本の原風景を残す高窓の里」と呼ばれています。
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丘から南を眺めると、「仁王門」と、その向こうに「高窓の家」が見えます。
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「成身院」の前まで降りてきました。
先ほどの案内板に従って西へ進み、突き当りT字路を右折して北へ進みます。 -
「ふるさとの森公園 観光農業センター 本庄市」と書かれた立派な看板があるので、そこを右へ曲がります。
その先に駐車場があり、奥の一段高いところに「観光農業センター」があります。
その後ろの山上に「さざえ堂」が見えます。 -
「観光農業センター」で拝観料(300円)を支払います。
「さざえ堂」がよく見えるのは、木々の葉が落ちているからなので、冬の時季だけなのでしょう。 -
管理人の方に案内していただいて、西側の道を登ります。
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「百体観音堂(さざえ堂)」建立のきっかけは、天明3年(1783)の浅間山大噴火です。火砕流や岩屑なだれによる洪水で1500人余に人が亡くなり、多くの遺体が流れ着いた戸谷塚(現 伊勢崎市)では、村人総出で収容し埋葬しました。成身院69世元真上人は利根川の河原に壇を築き、近隣の僧と共に、法華一万部を読誦して弔いました。
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さらに、元真上人は、百体観音像造立を発願しましたが、果たせずに亡くなりました。
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イチオシ
弟子の元映上人は、大日如来像造立の寄進を勧めるとともに、江戸に上って観音堂建立のために寄付を呼びかけました。
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百体観音が完成したのは寛政4年(1792)、観音堂および周辺が整備されたのは寛政7年(1795)と考えられています。
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元映上人が寄進を勧めた大日如来像です。
「唐銅造(からかねづくり)大日如来像」は、本庄市指定文化財です。 -
明治時代の廃仏毀釈で成身院は無住寺となり、明治21年(1888)の火災で観音堂を焼失して、観音像は全て溶けてしまいました。
地元小平地区の寄進と尽力で明治43年(1910)に再建されましたが、安置された観音像は60体だけでした。
大正8年(1919)には本堂が全焼し、住職は失意の内に翌年亡くなって、再び無住寺になりました。
太平洋戦争中に梵鐘と大灯篭を供出し、戦後の荒廃期に半数の観音像が盗難に遭いましたが、その後、観音像の寄進をお願いした結果、現在の姿になりました。
百体観音堂は、本庄市指定文化財です。 -
明治21年の火災時に、この「大鰐口」だけは、奇跡的に損傷を免れました。
この「大鰐口」は、寛政7年(1795)に鋳造されたもので、本庄市の指定文化財です。 -
イチオシ
「大鰐口」の上には、天井画があります。
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イチオシ
天井画だけでなく、見事な彫刻も施されています。
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「大鰐口」の下には「足型」があります。この下には、西国三十三、坂東三十三、秩父三十四、四國八十八、最上三十三、各霊場の境内の「お土」が埋められているそうです。
「この足型を踏む人に、上記各霊場巡拝と同じ功徳があります様に」と書かれた木札が、横の柱に掲げられています。 -
観音堂の外に置かれていた「花火打ち上げ用の筒」です。
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右に立てかけられているのは「花火打ち上げ用の筒」の断面(内側の部品の半分)です。これを二つ合わせて、縄で巻いて補強して、打ち上げに使ったようです。
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それでは、管理人の方に鍵を開けていただいて、中に入ります。
東側の入口から入ると、まずは1階の南側です。
右手前は、境内に安置されていた仏像(?)の台座部分です。上に載っていた像が盗難に遭って台座だけ残されていました。更なる盗難防止のため堂内に入れました。他の像は台座ごとなくなっていたそうです。 -
1階の入り口付近から見上げると、2階が見えます。
1階を時計回りに1周して階段を上がると、この写真の右から2階のフロアに入ります。 -
1階の南側の回廊の額には
「 成身院
本尊百體観世音菩薩
銅像開眼供羪畢
明治四十三年三月廿九日
大本山仁和寺門跡
大僧正 土宜法龍 」と書かれています。
明治43年は、全焼した観音堂が再建された年ですね。 -
額の下には「日本三大さざえ堂」の写真があります。
左側、会津若松市の「円通三匝堂」は、中の回廊だけでなく建物自体も渦巻き状です。
右側、群馬県太田市の「祥寿山曹源寺」は、建物は普通の2層建築ですが、中の回廊が渦巻き状です。
中央、ここ本庄市児玉町の「平等山宝金剛寺成身院観音堂」は、建物は普通の2層建築で、内側も平らなフロアが3層です。
いずれも「右遶三匝(うにょうさんそう)」してお参りする構造であり、このような建物を「さざえ堂」と呼んでいるようです。
「右遶三匝」とは、「時計回りに三巡りする仏教の礼法」とのことです。 -
1階の西南の角から、1層の観音様を拝観します。1層は秩父三十四観音札所のご本尊が並んでいます。写真は西側の回廊です。1番札所から順に並んでいます。写真の手前は2番札所の観音様です。
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北側の回廊です。
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1層を1巡して、東側の回廊を、南側から見ています。
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東南の角にある、2層目へ上がる階段です。かなりの急階段です。
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2層には、坂東三十三観音が並んでいます。
左を見ると、2層目が外側の建物と離れていることが分かります。 -
2層目の中央の部屋です。
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中央の部屋へ入って右側には、「三仏堂」に祀られていた「三仏」が安置されています。
左側の「薬師如来像」は寛正7年(1466)、中央の「阿弥陀如来像」と右の「釈迦如来像」は応永12年(1405)のもの、とのことですので、観音堂よりも350~400年くらい古いものです。 -
正面には、札所の観音様が並んでいます。
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中央の部屋の出入り口の上には「駕籠」が吊られています。
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2層の中央の部屋の西には、3層から1層への下り階段があります。
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2層の中央の部屋を出て、南側の回廊を西へ進みます。
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西側の回廊です。南から北方向を見ています。
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北側の回廊です。西から東方向を見ています。
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北の回廊の正面には板絵(鳳凰?)があります。右下に明治43年と規されているので、観音堂の再建時のものと思われます。
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上の板絵の右に、3層へ上がる階段があります。ここも急階段です。
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3層には、西国三十三観音が安置されています。
写真は、3層の北の回廊です。ここを直進、西へ進んでしまったので、逆回りになりました。 -
西の回廊です。北から南へ進みます。
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3層へ上がると、建物自体の天井が見えます。素晴らしい天井絵が、さほど劣化することもなく残っています。
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イチオシ
天井の中央には、天女が描かれた大きな絵があります。
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3層の南西の隅には、天井へ上がる梯子があります。
左手前の穴は、3層から1層へ降りる階段です。 -
イチオシ
3層の中央の部屋です。
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中央の部屋の左側の観音様です。
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中央の部屋の右側の観音様です。
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3層から1層へ降りる階段です。2層の西の部分が踊り場になっています。踊り場の向こう側、1層への階段は(急なので)ここからは見えません。
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降りる途中で、2層の中央の部屋を覗けます。
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踊り場から見た、1層への階段です。
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踊り場から1層へ降りる途中で、1層の中央の部屋が見えます。
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1層まで降りてきて、降りてきた階段を振り返ると、急な階段が上まで続いています。
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1層まで降りてくると、1層の中央部分(写真右側)が見えます。
左側の通路の突き当りの、スリッパが置いてあるところの右に、入り口があります。 -
中央の部屋には立派な祭壇があります。護摩堂です。
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護摩堂には、聖観音が祀られています。
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護摩堂の天蓋(?)です。
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1層の中央の部屋から見た下り階段です。3層から降りてきた階段です。
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1層の中央の部屋(写真左)から外へ出るときに、1層の東側通路が見えます。1層を右回りに拝観してくると、写真の奥から手前に歩いてきて、右に見える階段で2層に上がります。
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観音堂の西側に建てられている像と石碑です。
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観音堂の北側に建てられている石碑と石塔です。
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北側から見た観音堂です。
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観音堂の東に建てられている上人様の像です。
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観音堂の東に建てられている石碑です。
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観光農業センターへ戻る途中、階段の横に石仏を見つけました。
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階段の下には広い舗装路面がありますが、観光農業センターへは、左の案内板のところから細い階段を下ります。
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観光農業センターへ戻る階段です。
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途中の木に白い花が咲いています。
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おそらく冬桜ですね。
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落葉した時期だから、降りる途中から観音堂が見えます。
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観光農業センターには、農産物直売コーナーもあります。
これはハチミツです。 -
ダルマ、色紙、お守りなどもあります。
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小平地区の伝統芸能「獅子舞」の、獅子頭も売られています。
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帰る途中、振り返って見た観音堂です。手前の左が観光農業センターです。
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高窓の里を通って帰ります。
( おしまい )
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