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イスタンブール在住・30年来の友人Laylaさんとコソボ・アルバニア弾丸旅行に。<br />すごい充実した面白い4日間でした、また行きたいわ♪<br /><br />4/20(土) 8:20Pristina空港着、グラチャニツァ修道院、Pristina、ペーチ総主教修道院、<br />                                 デチャニ修道院、Gjakova、Prizren (Hotel Cleon泊35EUR)<br />4/21(日) Prizren散策後バスにてアルバニアのBeratに17:00着、Berat散策<br />                                 (Nonaj House SINCE 1720泊35EUR)<br />4/22(月) Berat散策 (Hotel Ajka泊25.50EUR)<br />4/23(火) バスにてTirana9:50着、Tirana観光後15:05発の便にて帰国<br /><br />3月上旬、Laylaさんに<br />「4月の3週目の週末(復活祭)、どっか行かれへんか?」とメッセージ。<br />翌日OKの返事をもらい、“Laylaの行きたいとこリスト”と飛行機代とにらめっこ、<br />飛行機代が2番目に安い!という理由で(1番はイスラエル)<br />その2日後にはコソボ&アルバニア行きチケットの予約完了!<br />ヨーロッパで最新国らしいコソボと最貧国らしいアルバニア、<br />さてどうなることやら~~~<br /><br />そのLaylaさんの旅行記<br />『なぽちゃんと駆け抜けたコソボ 4つの世界遺産 27時間40,153歩 』<br />https://4travel.jp/travelogue/11472658<br />ハッキリ言ってこちらの方が面白くてサクッと読めます(笑)。

コソボ with Layla -4つの町と4つの世界遺産をほぼ1日で周る弾丸旅

64いいね!

2019/04/20 - 2019/04/21

6位(同エリア28件中)

旅行記グループ 東欧の旅

6

209

なぽ

なぽさん

この旅行記のスケジュール

2019/04/20

2019/04/21

この旅行記スケジュールを元に

イスタンブール在住・30年来の友人Laylaさんとコソボ・アルバニア弾丸旅行に。
すごい充実した面白い4日間でした、また行きたいわ♪

4/20(土) 8:20Pristina空港着、グラチャニツァ修道院、Pristina、ペーチ総主教修道院、
      デチャニ修道院、Gjakova、Prizren (Hotel Cleon泊35EUR)
4/21(日) Prizren散策後バスにてアルバニアのBeratに17:00着、Berat散策
      (Nonaj House SINCE 1720泊35EUR)
4/22(月) Berat散策 (Hotel Ajka泊25.50EUR)
4/23(火) バスにてTirana9:50着、Tirana観光後15:05発の便にて帰国

3月上旬、Laylaさんに
「4月の3週目の週末(復活祭)、どっか行かれへんか?」とメッセージ。
翌日OKの返事をもらい、“Laylaの行きたいとこリスト”と飛行機代とにらめっこ、
飛行機代が2番目に安い!という理由で(1番はイスラエル)
その2日後にはコソボ&アルバニア行きチケットの予約完了!
ヨーロッパで最新国らしいコソボと最貧国らしいアルバニア、
さてどうなることやら~~~

そのLaylaさんの旅行記
『なぽちゃんと駆け抜けたコソボ 4つの世界遺産 27時間40,153歩 』
https://4travel.jp/travelogue/11472658
ハッキリ言ってこちらの方が面白くてサクッと読めます(笑)。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
ホテル
4.0
グルメ
5.0
交通
4.5
同行者
友人
交通手段
高速・路線バス タクシー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空
旅行の手配内容
個別手配
  • 4/20(土)、まだ真っ暗な3:30頃家を出発。<br /><br />(4:19) Pristina行きは6:10発。チケットはルフトハンザで予約、<br />Webチェックイン済みだし預入れ荷物もないけど2時間前に到着。

    4/20(土)、まだ真っ暗な3:30頃家を出発。

    (4:19) Pristina行きは6:10発。チケットはルフトハンザで予約、
    Webチェックイン済みだし預入れ荷物もないけど2時間前に到着。

  • (4:21) セキュリティチェックはまだ閉まってます。お茶でもしてのんびりしたいところだけど、どこも閉まっていて皆並ぶしかありません。4:30に開きましたが、出国審査場も5時まで閉まっていてまた待つことに。

    (4:21) セキュリティチェックはまだ閉まってます。お茶でもしてのんびりしたいところだけど、どこも閉まっていて皆並ぶしかありません。4:30に開きましたが、出国審査場も5時まで閉まっていてまた待つことに。

  • 10分ほど遅れて離陸。

    10分ほど遅れて離陸。

  • チェックインで1番乗りだったようで1番前の席。足元広々、ラッキ~♪<br />7時前にジャム入りのミニサンドイッチとお水が配られました。お味はうーん・・という感じだけど、お腹空いてたので助かった♪

    チェックインで1番乗りだったようで1番前の席。足元広々、ラッキ~♪
    7時前にジャム入りのミニサンドイッチとお水が配られました。お味はうーん・・という感じだけど、お腹空いてたので助かった♪

  • (6:39)<br /><br />ところで、<コソボって・・?><br />2008年2月17日、コソボが独立を宣言しました。全人口の70%以上が35歳以下だそうで、コソボはヨーロッパで1番新しくて若い国なんですって。<br /><br />ただ、その独立を承認する国は、アメリカ、アルバニアや日本を含め110数ヵ国。セルビア、ロシア、中国、スペインほか自国内に民族問題を抱えている国など80ヵ国ほどはいまだに認めていません。<br /><br />・首都‐プリシュティナ<br />・言語‐アルバニア語、セルビア語<br />・民族‐その大半がイスラム教を信仰するアルバニア人92%、<br /> セルビア正教信仰のセルビア人5%、トルコ人等諸民族3%<br />・通貨‐1EUR=121.9円<br />・電圧・コンセント‐220V・C型<br />・チップ‐基本不要、気持ち次第。<br />・超役立つアルバニア語(Laylaのアルバニア語リストより)<br /> Faleminderit ファレミンデリット=ありがとう<br />   ※セルビア正教会内はセルビア人ですのでご注意。英語で話しました。<br />・緊急連絡先‐現地警察及び在オ-ストリア日本国大使館(コソボ兼轄、<br /> 国番号43-1-531920)。コソボには日本大使館がないので注意。

    (6:39)

    ところで、<コソボって・・?>
    2008年2月17日、コソボが独立を宣言しました。全人口の70%以上が35歳以下だそうで、コソボはヨーロッパで1番新しくて若い国なんですって。

    ただ、その独立を承認する国は、アメリカ、アルバニアや日本を含め110数ヵ国。セルビア、ロシア、中国、スペインほか自国内に民族問題を抱えている国など80ヵ国ほどはいまだに認めていません。

    ・首都‐プリシュティナ
    ・言語‐アルバニア語、セルビア語
    ・民族‐その大半がイスラム教を信仰するアルバニア人92%、
     セルビア正教信仰のセルビア人5%、トルコ人等諸民族3%
    ・通貨‐1EUR=121.9円
    ・電圧・コンセント‐220V・C型
    ・チップ‐基本不要、気持ち次第。
    ・超役立つアルバニア語(Laylaのアルバニア語リストより)
     Faleminderit ファレミンデリット=ありがとう
    ※セルビア正教会内はセルビア人ですのでご注意。英語で話しました。
    ・緊急連絡先‐現地警察及び在オ-ストリア日本国大使館(コソボ兼轄、
     国番号43-1-531920)。コソボには日本大使館がないので注意。

  • この旅行を決める以前は、コソボにはなんとなく暗くて怖いイメージがありました。息子が幼稚園の時仲の良かった友達がコソボの子で、そのお母さんから“コソボ紛争”の話を聞いたことがあります。彼女は私のジャケットの袖をつまんで、「私たちはなにもかも失った。なにもかも、本当にすべて。こんなものまでも」と・・・。<br /><br /><コソボ紛争とは?のワタシ的まとめ><br />ずーーッと犬猿の仲のアルバニア人とセルビア人の民族紛争。オスマン帝国支配下でコソボ人口の9割以上を占めることとなり、その独立を要求するアルバニア人と、セルビア発祥の地、セルビア正教の聖地コソボを絶対に渡したくないセルビアとの戦争。<br /><br />セルビアの自治州だったコソボは、1990年セルビア大統領ミロシェヴィッチにより自治権を奪われてしまう。その年“コソボの独立、自由と民主主義”を掲げて創設された「コソボ民主連盟」の党首であり後にコソボ初代大統領となるイブラヒム・ルゴヴァが平和裏に自治権回復を目指すが状況は変わらず、武力で独立を勝ち取ろうと「コソボ解放軍(KLA)」が組織される。その攻撃が激化し1998年2月、セルビア側・ユーゴスラビア軍(当時ユーゴスラビアは、セルビアとモンテネグロ2つの国からなる連邦国家)がKLAに対し掃討作戦を開始してコソボ紛争勃発。翌年1999年3月には、セルビア側のアルバニア人に対する民族浄化・残虐行為阻止を名目にアメリカ主導の北大西洋条約機構NATOが介入してユーゴスラビアを空爆。6月にセルビアが降参して戦争終結。以降、コソボは国際連合の監督下に置かれている。

    この旅行を決める以前は、コソボにはなんとなく暗くて怖いイメージがありました。息子が幼稚園の時仲の良かった友達がコソボの子で、そのお母さんから“コソボ紛争”の話を聞いたことがあります。彼女は私のジャケットの袖をつまんで、「私たちはなにもかも失った。なにもかも、本当にすべて。こんなものまでも」と・・・。

    <コソボ紛争とは?のワタシ的まとめ>
    ずーーッと犬猿の仲のアルバニア人とセルビア人の民族紛争。オスマン帝国支配下でコソボ人口の9割以上を占めることとなり、その独立を要求するアルバニア人と、セルビア発祥の地、セルビア正教の聖地コソボを絶対に渡したくないセルビアとの戦争。

    セルビアの自治州だったコソボは、1990年セルビア大統領ミロシェヴィッチにより自治権を奪われてしまう。その年“コソボの独立、自由と民主主義”を掲げて創設された「コソボ民主連盟」の党首であり後にコソボ初代大統領となるイブラヒム・ルゴヴァが平和裏に自治権回復を目指すが状況は変わらず、武力で独立を勝ち取ろうと「コソボ解放軍(KLA)」が組織される。その攻撃が激化し1998年2月、セルビア側・ユーゴスラビア軍(当時ユーゴスラビアは、セルビアとモンテネグロ2つの国からなる連邦国家)がKLAに対し掃討作戦を開始してコソボ紛争勃発。翌年1999年3月には、セルビア側のアルバニア人に対する民族浄化・残虐行為阻止を名目にアメリカ主導の北大西洋条約機構NATOが介入してユーゴスラビアを空爆。6月にセルビアが降参して戦争終結。以降、コソボは国際連合の監督下に置かれている。

  • 私がコソボに行くと話すと、義母が昔仕事で取材に行った時の写真を見せてくれました。紛争から5年、戦争の傷跡がまだまだ残る頃のもので、困り果て悲観する人々、仕事のない若者、自分たちの家を建てるために廃墟から廃材を拾いに来る子供たち・・・

    私がコソボに行くと話すと、義母が昔仕事で取材に行った時の写真を見せてくれました。紛争から5年、戦争の傷跡がまだまだ残る頃のもので、困り果て悲観する人々、仕事のない若者、自分たちの家を建てるために廃墟から廃材を拾いに来る子供たち・・・

  • 難民として国外生活していたが退去を求められ帰郷、セルビア人が建設中だったが放置された家に住む家族、左下はPristinaの市場。そんな中でも、子供たちの笑顔には救われます。<br /><br />ネットで情報収集していても今のコソボはけっこう拓けているイメージですが・・・古代にはイリュリア、ダルダニア、そしてローマ、東ローマ、ブルガリア、セルビア、オスマントルコ、ユーゴスラビアと支配者を変え・・・さてどんな国なんでしょうか。<br />ドキドキわくわくです。

    難民として国外生活していたが退去を求められ帰郷、セルビア人が建設中だったが放置された家に住む家族、左下はPristinaの市場。そんな中でも、子供たちの笑顔には救われます。

    ネットで情報収集していても今のコソボはけっこう拓けているイメージですが・・・古代にはイリュリア、ダルダニア、そしてローマ、東ローマ、ブルガリア、セルビア、オスマントルコ、ユーゴスラビアと支配者を変え・・・さてどんな国なんでしょうか。
    ドキドキわくわくです。

  • (6:44) まぶしい・・・いい旅になりそうな予感♪

    (6:44) まぶしい・・・いい旅になりそうな予感♪

  • (7:56) 手前がアドリア海、左にシュコダル湖、そして右奥がアルバニアン・アルプス。もうすぐ到着。

    (7:56) 手前がアドリア海、左にシュコダル湖、そして右奥がアルバニアン・アルプス。もうすぐ到着。

  • (8:06) アルバニアン・アルプスとは、アルバニア北部で、コソボ、モンテネグロとの3ヶ国にまたがって、2000m級の鋸の歯のような厳しい山々が連なり「呪われた山々」とも呼ばれる。

    (8:06) アルバニアン・アルプスとは、アルバニア北部で、コソボ、モンテネグロとの3ヶ国にまたがって、2000m級の鋸の歯のような厳しい山々が連なり「呪われた山々」とも呼ばれる。

  • (8:21) ほぼ定刻着。<br /><br />≪プリシュティナ国際空港≫ 町から17㎞ほどのところにあり、あまり情報がなく他の方々の旅行記などによると、空港から市内まではタクシーが主流で30~40分ほど、料金は15EURくらい。Free‐Wifiあり。SIMカードはIPKOとValaで購入可。<br /><br /><プリシュティナ国際空港サイト・空港からのタクシー料金><br />http://www.airportpristina.com/taxi-services<br /><br /><空港問合せ先><br />http://www.airportpristina.com/information-lost-found<br />Wifi、SIMカードについてInfoDeskに問い合わせたら返事をくれました。

    (8:21) ほぼ定刻着。

    ≪プリシュティナ国際空港≫ 町から17㎞ほどのところにあり、あまり情報がなく他の方々の旅行記などによると、空港から市内まではタクシーが主流で30~40分ほど、料金は15EURくらい。Free‐Wifiあり。SIMカードはIPKOとValaで購入可。

    <プリシュティナ国際空港サイト・空港からのタクシー料金>
    http://www.airportpristina.com/taxi-services

    <空港問合せ先>
    http://www.airportpristina.com/information-lost-found
    Wifi、SIMカードについてInfoDeskに問い合わせたら返事をくれました。

    プリシュティナ国際空港 (PRN) 空港

  • (8:41) 入国審査でちょっと並んだけど、あとは預入れ荷物もないのでそのまま出ます。到着ロビーでは予約していたタクシー会社の運転手さんが、“Mrs.なぽ” と書いた紙を掲げて待ってくれていました。<br /><br /><SIMカード購入><br />ロビーに出るとすぐに“IPKO”のカウンターがあります。<br />空港店の営業時間は、毎日8:00-20:00。<br />https://www.ipko.com/en/private/telefonia-mobile/roaming/rajonale/<br />アルバニアでも使えるらしい“Weekly5Eur”にするつもりだったんだけど・・強く勧められてさっぱり分からないまま、結局コソボでしか使えない6.95EURのに。1日だけの利用でしたが快適でした。

    (8:41) 入国審査でちょっと並んだけど、あとは預入れ荷物もないのでそのまま出ます。到着ロビーでは予約していたタクシー会社の運転手さんが、“Mrs.なぽ” と書いた紙を掲げて待ってくれていました。

    <SIMカード購入>
    ロビーに出るとすぐに“IPKO”のカウンターがあります。
    空港店の営業時間は、毎日8:00-20:00。
    https://www.ipko.com/en/private/telefonia-mobile/roaming/rajonale/
    アルバニアでも使えるらしい“Weekly5Eur”にするつもりだったんだけど・・強く勧められてさっぱり分からないまま、結局コソボでしか使えない6.95EURのに。1日だけの利用でしたが快適でした。

    プリシュティナ国際空港 (PRN) 空港

  • (8:54) これから、昨夜すでに到着しているLaylaさんの滞在ホテルに寄ってピックアップ後、グラチャニツァ修道院に行ってもらいます。

    (8:54) これから、昨夜すでに到着しているLaylaさんの滞在ホテルに寄ってピックアップ後、グラチャニツァ修道院に行ってもらいます。

    プリシュティナ国際空港 (PRN) 空港

  • (8:55) 空港出発。貸切タクシーは“Radio Taxi GETI”。FacebookのMessengerで問合せたらすぐに返事をくれてとても親切、料金も良心的だったのでここに予約しました。<br /><br /><Radio Taxi GETI><br />https://www.facebook.com/RadioTaxiGeti/<br />空港→修道院に行く途中にあるホテルに寄ってもらい→グラチャニツァ修道院(観光30分)→エミン・グジク民族学博物館で25EURでした(+空港駐車場料金2EUR)。運転手さんも英語は話さないけど感じ良し。<br /><br /><Pristinaのタクシー会社リスト><br />https://www.balkanviator.com/en/taxi-services/pristina

    (8:55) 空港出発。貸切タクシーは“Radio Taxi GETI”。FacebookのMessengerで問合せたらすぐに返事をくれてとても親切、料金も良心的だったのでここに予約しました。

    <Radio Taxi GETI>
    https://www.facebook.com/RadioTaxiGeti/
    空港→修道院に行く途中にあるホテルに寄ってもらい→グラチャニツァ修道院(観光30分)→エミン・グジク民族学博物館で25EURでした(+空港駐車場料金2EUR)。運転手さんも英語は話さないけど感じ良し。

    <Pristinaのタクシー会社リスト>
    https://www.balkanviator.com/en/taxi-services/pristina

  • (9:08) 想像以上に拓けてます、もっとなにもないと思ってた・・・

    (9:08) 想像以上に拓けてます、もっとなにもないと思ってた・・・

  • (9:11) 大きなお店やセロファンで覆われたようなこんな建物も・・・<br />

    (9:11) 大きなお店やセロファンで覆われたようなこんな建物も・・・

  • (9:25) セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」の4つのうちの<br />1つ目、グラチャニツァ修道院に到着。<br /><br />コソボに取り残された・・という感じの、4つとも13~14世紀に建てられたセルビア正教会の修道院。東ローマ帝国最後のパレオロゴス王朝に興った、東方ビザンチンと西方ロマネスクが融合したという“パレオロゴス朝ルネサンス”様式の美しい建造物で、見事な中世のフレスコ画が見どころ。 <br /><br /><プリシュティナからの行き方><br />この“lonely planet”によると、30分おきにあるGjilan行きバスで<br />15分(50c)、タクシーなら片道7EURくらい。<br />https://www.lonelyplanet.com/kosovo/attractions/gracanica-monastery/a/poi-sig/1251769/360675

    (9:25) セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」の4つのうちの
    1つ目、グラチャニツァ修道院に到着。

    コソボに取り残された・・という感じの、4つとも13~14世紀に建てられたセルビア正教会の修道院。東ローマ帝国最後のパレオロゴス王朝に興った、東方ビザンチンと西方ロマネスクが融合したという“パレオロゴス朝ルネサンス”様式の美しい建造物で、見事な中世のフレスコ画が見どころ。

    <プリシュティナからの行き方>
    この“lonely planet”によると、30分おきにあるGjilan行きバスで
    15分(50c)、タクシーなら片道7EURくらい。
    https://www.lonelyplanet.com/kosovo/attractions/gracanica-monastery/a/poi-sig/1251769/360675

  • 日本語で「ようこそ」<br /><br />≪グラチャニツァ修道院≫ セルビア王国ステファン・ウロシュ2世ミルティン王(1253-1321年)により、1313年から1321年にかけて6世紀建造の小さな教会跡に建てられたセルビア正教会の修道院。後期ビザンチン建築の最高傑作と言われる。

    日本語で「ようこそ」

    ≪グラチャニツァ修道院≫ セルビア王国ステファン・ウロシュ2世ミルティン王(1253-1321年)により、1313年から1321年にかけて6世紀建造の小さな教会跡に建てられたセルビア正教会の修道院。後期ビザンチン建築の最高傑作と言われる。

  • 青い空、緑の中に建つ修道院がとても綺麗。<br /><br />ちなみに<ビザンチン建築とは・・?><br />東ローマ帝国(=ビザンチン帝国395‐1453年)時代に興った建築様式。東ローマ帝国の国教であった正教会がセルビアに広まり、ミルティン王が皇帝の王女(なんと5歳!)を娶ったり、東ローマ帝国を軍事制圧しその征服地からも影響を受け、当時のセルビアはかなりビザンツ化していたらしい。

    青い空、緑の中に建つ修道院がとても綺麗。

    ちなみに<ビザンチン建築とは・・?>
    東ローマ帝国(=ビザンチン帝国395‐1453年)時代に興った建築様式。東ローマ帝国の国教であった正教会がセルビアに広まり、ミルティン王が皇帝の王女(なんと5歳!)を娶ったり、東ローマ帝国を軍事制圧しその征服地からも影響を受け、当時のセルビアはかなりビザンツ化していたらしい。

    グラチャニツァ修道院 寺院・教会

    セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」 by なぽさん
  • 中は小さく、壁いっぱいに描かれたフレスコ画が見事。

    中は小さく、壁いっぱいに描かれたフレスコ画が見事。

  • 兵士や修道士の姿も。

    兵士や修道士の姿も。

  • 先にパンフレットをもらってから見ればよかったなぁ、と今さら。

    先にパンフレットをもらってから見ればよかったなぁ、と今さら。

  • (9:50) Shopでパンフレットをゲット(日本語なし)。

    (9:50) Shopでパンフレットをゲット(日本語なし)。

  • パンフレット①

    パンフレット①

  • 左上に王妃シモニダ、その右にステファン・ウロシュ2世ミルティン王。右上は、生神女就寝祭。生神女とは神を生みし女、神の母のことで、一般に呼ばれる聖母マリアの正教会における敬称。生神女就寝祭とは、生神女マリアがこの世での人生を終え天国に昇って行ったことを記念する正教会の祭日。中央にマリアの霊を表す幼女を抱くハリストス(キリスト)、その下に横たわる生神女マリア。

    左上に王妃シモニダ、その右にステファン・ウロシュ2世ミルティン王。右上は、生神女就寝祭。生神女とは神を生みし女、神の母のことで、一般に呼ばれる聖母マリアの正教会における敬称。生神女就寝祭とは、生神女マリアがこの世での人生を終え天国に昇って行ったことを記念する正教会の祭日。中央にマリアの霊を表す幼女を抱くハリストス(キリスト)、その下に横たわる生神女マリア。

  • パンフレット② これは1EUR<br />左にミルティン王と王妃シモニダ

    パンフレット② これは1EUR
    左にミルティン王と王妃シモニダ

  • 2.全能者ハリストスと聖体礼儀 3.洗礼者ヨハネ 4.聖体拝領 5.生神女就寝祭 6.生神女マリア 7.キリストの哀悼 8.セルビア王国ネマニッチ朝を築いたネマニャ家 <br />

    2.全能者ハリストスと聖体礼儀 3.洗礼者ヨハネ 4.聖体拝領 5.生神女就寝祭 6.生神女マリア 7.キリストの哀悼 8.セルビア王国ネマニッチ朝を築いたネマニャ家

  • (9:58) タクシーが待つ駐車場前にはセルビアの旗が。実はこのグラチャニツァ村はセルビアの飛地でセルビア人居住区なんだって。<br /><br /><セルビアの英雄Milos Obilic><br />これ、誰なんかなぁ・・?と思っていたら、“ミロシュ・オビリッチ”というセルビアの英雄でした。1389年プリシュティナ南のコソボ平原での、ムラト1世率いるオスマン帝国軍とセルビア公ラザルら率いるバルカン連合軍の“コソボの戦い”で、オスマン軍が大勝。捕虜となったラザルに仕えていたセルビア人騎士ミロシュ・オビリッチがムラト1世を刺し殺して暗殺。ラザルや他のセルビア貴族たちは、ムラト1世の後継者バヤズィト1世に報復として処刑されます。その後セルビアはオスマン帝国の属国となり、ラザルの娘はバヤズィト1世の妃になったのだとか(・・絶句)。<br /><br />このような悲劇があり、戦地となったコソボがセルビアの聖地となり、<br />ミロシュ・オビリッチはセルビアの英雄となったのだそうです。<br /><br />さて。次は民族博物館Ethnographic Museumまで行ってもらいます。

    (9:58) タクシーが待つ駐車場前にはセルビアの旗が。実はこのグラチャニツァ村はセルビアの飛地でセルビア人居住区なんだって。

    <セルビアの英雄Milos Obilic>
    これ、誰なんかなぁ・・?と思っていたら、“ミロシュ・オビリッチ”というセルビアの英雄でした。1389年プリシュティナ南のコソボ平原での、ムラト1世率いるオスマン帝国軍とセルビア公ラザルら率いるバルカン連合軍の“コソボの戦い”で、オスマン軍が大勝。捕虜となったラザルに仕えていたセルビア人騎士ミロシュ・オビリッチがムラト1世を刺し殺して暗殺。ラザルや他のセルビア貴族たちは、ムラト1世の後継者バヤズィト1世に報復として処刑されます。その後セルビアはオスマン帝国の属国となり、ラザルの娘はバヤズィト1世の妃になったのだとか(・・絶句)。

    このような悲劇があり、戦地となったコソボがセルビアの聖地となり、
    ミロシュ・オビリッチはセルビアの英雄となったのだそうです。

    さて。次は民族博物館Ethnographic Museumまで行ってもらいます。

  • 民族博物館から南にマザー・テレサ大聖堂まで行き、それからビル・クリントン通りまで出てPeje行きのバスステーションへ。<br /><br /><プリシュティナ> コソボの首都。東ローマ帝国時代に皇帝ユスティニアヌス1世(483年-565年)により町が造られ、その後交易都市として発展。12~15世紀にかけてセルビア王国では都として、15世紀末にはオスマン帝国に支配される。コソボ紛争では戦場と化し大きな被害を受け今も復興中。

    民族博物館から南にマザー・テレサ大聖堂まで行き、それからビル・クリントン通りまで出てPeje行きのバスステーションへ。

    <プリシュティナ> コソボの首都。東ローマ帝国時代に皇帝ユスティニアヌス1世(483年-565年)により町が造られ、その後交易都市として発展。12~15世紀にかけてセルビア王国では都として、15世紀末にはオスマン帝国に支配される。コソボ紛争では戦場と化し大きな被害を受け今も復興中。

  • (10:21) 博物館前に到着。タクシーを降り、Pristina観光のスタート!

    (10:21) 博物館前に到着。タクシーを降り、Pristina観光のスタート!

  • (10:25) ちょっと分かりにくい入口を入って、写真を撮りながら建物に向かって歩いていると「ノーノ―!!」「入場料1人2.5EURね、入るの?入らないの?」たしか入場料は無料(で寄付を募っている)と聞いてたけど。係の男性の感じが悪くて思わず「ノー!」中には入らず(苦笑)。<br /><br />≪エミン・グジク民族学博物館≫ 18世紀の裕福なエミン・グジク家の家がそのまま博物館になっており、家具、調度品、手工芸品、装飾品、民族衣装、武器、楽器など充実した展示で、15世紀からのオスマントルコ時代の暮らしを垣間見ることができる。1人2.5EURらしい。<br />

    (10:25) ちょっと分かりにくい入口を入って、写真を撮りながら建物に向かって歩いていると「ノーノ―!!」「入場料1人2.5EURね、入るの?入らないの?」たしか入場料は無料(で寄付を募っている)と聞いてたけど。係の男性の感じが悪くて思わず「ノー!」中には入らず(苦笑)。

    ≪エミン・グジク民族学博物館≫ 18世紀の裕福なエミン・グジク家の家がそのまま博物館になっており、家具、調度品、手工芸品、装飾品、民族衣装、武器、楽器など充実した展示で、15世紀からのオスマントルコ時代の暮らしを垣間見ることができる。1人2.5EURらしい。

    エミン グジク民族学博物館 博物館・美術館・ギャラリー

    18世紀の邸宅が博物館に by なぽさん
  • (10:37) 通りすがり?のおじさんが、係のおっちゃんを呼んで来てくれて、鍵を開けて入れてくれました。2EUR。

    (10:37) 通りすがり?のおじさんが、係のおっちゃんを呼んで来てくれて、鍵を開けて入れてくれました。2EUR。

    ムブレティトゥモスク 寺院・教会

    プリシュティナ最大の“王のモスク” by なぽさん
  • ≪ムブレティトゥモスク≫ “王のモスク”という意味で、オスマン帝国第7代スルタン・メフメト2世(1432-1481年)により1461年に建てられ、プリシュティナで最も大きくて重要なモスク。クーポラは15m、天井、壁のアラベスクと花の模様が美しい。17世紀末オーストリア・ハンガリー帝国下では、イエズス会(カトリック男子修道会)の教会に転用されたのだとか。

    ≪ムブレティトゥモスク≫ “王のモスク”という意味で、オスマン帝国第7代スルタン・メフメト2世(1432-1481年)により1461年に建てられ、プリシュティナで最も大きくて重要なモスク。クーポラは15m、天井、壁のアラベスクと花の模様が美しい。17世紀末オーストリア・ハンガリー帝国下では、イエズス会(カトリック男子修道会)の教会に転用されたのだとか。

  • (10:47) <br /><br />≪時計塔≫ 人々に祈りの時間を知らせるため、Pristina出身で後にスコピエ(コソボ州首都)市長となったジャシャール・パシャにより19世紀に建てられた高さ26mの時計塔。1764年製のモルドバより持ち込まれた元の鐘は2001年に盗まれ、KFORの仏軍により電気式の新しい時計が設置された。

    (10:47)

    ≪時計塔≫ 人々に祈りの時間を知らせるため、Pristina出身で後にスコピエ(コソボ州首都)市長となったジャシャール・パシャにより19世紀に建てられた高さ26mの時計塔。1764年製のモルドバより持ち込まれた元の鐘は2001年に盗まれ、KFORの仏軍により電気式の新しい時計が設置された。

    時計塔 史跡・遺跡

    ごく普通の時計塔 by なぽさん
  • (10:50) 誰もいなくて入れず。<br /><br />≪ジャシャール・パシャ・モスク≫ 15世紀建造のモスクを、Pristina出身のお金持ちで後のスコピエ市長ジャシャール・パシャの援助により1834年に改築、彼の名が冠せられた。鉛のドーム屋根と鉛筆型のミナレットを持つ典型的オスマン様式のモスクで、木製のポーチが特徴。

    (10:50) 誰もいなくて入れず。

    ≪ジャシャール・パシャ・モスク≫ 15世紀建造のモスクを、Pristina出身のお金持ちで後のスコピエ市長ジャシャール・パシャの援助により1834年に改築、彼の名が冠せられた。鉛のドーム屋根と鉛筆型のミナレットを持つ典型的オスマン様式のモスクで、木製のポーチが特徴。

    ジャシャール パシャ ジャミーア 寺院・教会

    木製のポーチが特徴 by なぽさん
  • パネル写真越し、ガラス窓越しですが・・可愛らしい♪

    パネル写真越し、ガラス窓越しですが・・可愛らしい♪

  • (11:01) ちょっと雰囲気の違う建物です。外から見るだけ。<br /> <br />≪コソヴォ博物館≫ 創立1949年、コソボ最大の博物館。19世紀末、オーストリア・ハンガリー帝国がトルコ軍のために建てたもので、1975年まではユーゴスラビア軍の本部として使われていた。先史時代や、先住民が住んでいたイリュリア、ダルダニアやローマの時代の生活に関する豊富なコレクションを展示。最も有名なものは、6000年前の素焼きの彫像。

    (11:01) ちょっと雰囲気の違う建物です。外から見るだけ。

    ≪コソヴォ博物館≫ 創立1949年、コソボ最大の博物館。19世紀末、オーストリア・ハンガリー帝国がトルコ軍のために建てたもので、1975年まではユーゴスラビア軍の本部として使われていた。先史時代や、先住民が住んでいたイリュリア、ダルダニアやローマの時代の生活に関する豊富なコレクションを展示。最も有名なものは、6000年前の素焼きの彫像。

    コソヴォ博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • (11:03) 改装中なのか囲われていてここも入れず。<br /><br />≪チャルシアモスク≫ プリシュティナ最古の建築物で、第4代スルタン・バヤズィト1世治世下、1389年のセルビアとの“コソボの戦い”での勝利を記念して建てられ、建設は15世紀第6代スルタン・ムラト2世の時代まで続いた。 石のミナレットは6世紀を経ても残り、“石のモスク”とも呼ばれる。<br />

    (11:03) 改装中なのか囲われていてここも入れず。

    ≪チャルシアモスク≫ プリシュティナ最古の建築物で、第4代スルタン・バヤズィト1世治世下、1389年のセルビアとの“コソボの戦い”での勝利を記念して建てられ、建設は15世紀第6代スルタン・ムラト2世の時代まで続いた。 石のミナレットは6世紀を経ても残り、“石のモスク”とも呼ばれる。

    チャルシアモスク 寺院・教会

    プリシュティナ最古の建築物 by なぽさん
  • (11:06) マザー・テレサ大通りを行きます。<br /><br />≪マザー・テレサ大通り≫ プリシュティナの町を南北に走るメインストリート。広々とした飛行者天国になっており、お店やカフェが並びます。北は民族学博物館やモスクのある旧市街、南にはマザー・テレサ大聖堂。

    (11:06) マザー・テレサ大通りを行きます。

    ≪マザー・テレサ大通り≫ プリシュティナの町を南北に走るメインストリート。広々とした飛行者天国になっており、お店やカフェが並びます。北は民族学博物館やモスクのある旧市街、南にはマザー・テレサ大聖堂。

    マザーテレサ大通り 散歩・街歩き

    プリシュティナのメインストリート by なぽさん
  • (11:07) 平和的手段で独立を求め、国父とも呼ばれたコソボ初代大統領“イブラヒム・ルゴヴァ(1944-2006年)”の像。はためく国旗も誇らしげ。<br /><br />コソボの旗は、青地に黄色のコソボ、その上にアルバニア人、セルビア人、トルコ人、ボスニャク人、ロマ人、ゴマニ人の民族を表す6つの白星。

    (11:07) 平和的手段で独立を求め、国父とも呼ばれたコソボ初代大統領“イブラヒム・ルゴヴァ(1944-2006年)”の像。はためく国旗も誇らしげ。

    コソボの旗は、青地に黄色のコソボ、その上にアルバニア人、セルビア人、トルコ人、ボスニャク人、ロマ人、ゴマニ人の民族を表す6つの白星。

  • (11:09) 政府市庁舎は清掃中ー。<br />紛争で爆撃されて建て直されたそうですが、それにしても立派。

    (11:09) 政府市庁舎は清掃中ー。
    紛争で爆撃されて建て直されたそうですが、それにしても立派。

  • (11:09) アルバニアの英雄スカンデルベグ像<br /><br />スカンデルベグ(1405-1468年)とは、中世アルバニアの君主で、オスマン帝国に抵抗した民族的英雄。15世紀初めオスマン帝国の人質となり第6代スルタン・ムラト2世に仕えるが、アルバニアに帰国すると反逆。2度にわたりオスマン軍を撃退、25年間独立を守った。

    (11:09) アルバニアの英雄スカンデルベグ像

    スカンデルベグ(1405-1468年)とは、中世アルバニアの君主で、オスマン帝国に抵抗した民族的英雄。15世紀初めオスマン帝国の人質となり第6代スルタン・ムラト2世に仕えるが、アルバニアに帰国すると反逆。2度にわたりオスマン軍を撃退、25年間独立を守った。

  • (11:10)  通りはゆったりスッキリ、土曜日のわりに人も少なくてのんびり。

    (11:10) 通りはゆったりスッキリ、土曜日のわりに人も少なくてのんびり。

  • (11:20) コソボ、正確にはオスマン帝国のコソボ州(現在のマケドニア)はマザー・テレサの生まれ故郷。

    (11:20) コソボ、正確にはオスマン帝国のコソボ州(現在のマケドニア)はマザー・テレサの生まれ故郷。

  • (11:20) アルバニアの赤い旗がたなびく。

    (11:20) アルバニアの赤い旗がたなびく。

  • (11:25) お昼はテイクアウトで買ってバスの中で食べます。<br />ラップAvocado Roots(3.5EUR)とオレンジジュース(2.2EUR)を購入。<br /><br /><green&amp;protein> <br />http://greenandprotein.com/en/mobile/index.html<br />ジュースぬるかったしラップはボリューミー過ぎて食べ切れず・・<br />でも自然にこだわりベジタリアンの人や体に優しいお店。

    (11:25) お昼はテイクアウトで買ってバスの中で食べます。
    ラップAvocado Roots(3.5EUR)とオレンジジュース(2.2EUR)を購入。

    <green&protein>
    http://greenandprotein.com/en/mobile/index.html
    ジュースぬるかったしラップはボリューミー過ぎて食べ切れず・・
    でも自然にこだわりベジタリアンの人や体に優しいお店。

  • 何気に置いてあった“ジャポニズム”の本が嬉しい・・♪<br />(ジュースの写真はLaylaさんのを拝借)

    何気に置いてあった“ジャポニズム”の本が嬉しい・・♪
    (ジュースの写真はLaylaさんのを拝借)

  • (11:59) <br /><br />≪プリシュティナ・ シティースタジアム≫ 1953年建設、13500人収容の多目的スタジアム。FCプリシュティナとコソボ代表のホームグラウンド。2018年からFadil Vokrri Stadiumという名に変更されたそう。

    (11:59)

    ≪プリシュティナ・ シティースタジアム≫ 1953年建設、13500人収容の多目的スタジアム。FCプリシュティナとコソボ代表のホームグラウンド。2018年からFadil Vokrri Stadiumという名に変更されたそう。

    プリシュティナ シティースタジアム スタジアム・スポーツ観戦

    コソボ代表のホームグラウンド by なぽさん
  • (12:00) <br /><br />≪若さとスポーツの宮殿≫ 1977年に建てられた多目的ホールで、8000人、3000人の観客を収容できる2つのアリーナからなる。肖像画は、コソボ解放軍のリーダーで、コソボ解放の象徴、英雄の“アデム・ヤシャリ”。プリシュティナ国際空港の名にも冠されている。<br /><br />・・でもよく見ると・・所々壊れたままだったり放置状態・・・。

    (12:00)

    ≪若さとスポーツの宮殿≫ 1977年に建てられた多目的ホールで、8000人、3000人の観客を収容できる2つのアリーナからなる。肖像画は、コソボ解放軍のリーダーで、コソボ解放の象徴、英雄の“アデム・ヤシャリ”。プリシュティナ国際空港の名にも冠されている。

    ・・でもよく見ると・・所々壊れたままだったり放置状態・・・。

    若さとスポーツの宮殿 現代・近代建築

    個性的な外観の多目的ホール by なぽさん
  • (12:01) あぁー見えて来た!「新生」のモニュメント!!

    (12:01) あぁー見えて来た!「新生」のモニュメント!!

    ニューボーン モニュメント モニュメント・記念碑

    コソボ独立の象徴 “新生” by なぽさん
  • (12:03) <br /><br />≪ニューボーンモニュメント≫ 2008年のコソボ独立を記念して建てられた、長さ24m、高さ3mのモニュメント。毎年独立記念日にその年のテーマでデザインが変わり、落書きもOKなんだって。

    (12:03)

    ≪ニューボーンモニュメント≫ 2008年のコソボ独立を記念して建てられた、長さ24m、高さ3mのモニュメント。毎年独立記念日にその年のテーマでデザインが変わり、落書きもOKなんだって。

    ニューボーン モニュメント モニュメント・記念碑

    コソボ独立の象徴 “新生” by なぽさん
  • ≪国立図書館≫ クロアチア人建築家の設計により1974年に建てられた、99のドームと金属製の漁網で覆われた独特な建物。1944年からPrizrenにあった国立図書館が、1982年にこちらに移された。

    ≪国立図書館≫ クロアチア人建築家の設計により1974年に建てられた、99のドームと金属製の漁網で覆われた独特な建物。1944年からPrizrenにあった国立図書館が、1982年にこちらに移された。

    国立図書館 建造物

    斬新奇抜な外観の図書館 by なぽさん
  • (12:16) コソボはなにかと斬新ですが・・実物は思ったよりはよかったかな。

    (12:16) コソボはなにかと斬新ですが・・実物は思ったよりはよかったかな。

  • (12:20) 

    (12:20) 

  • ≪救世主キリスト大聖堂≫ セルビア正教会の教会で、1995年に始まった建設がコソボ紛争のため中断、そのまま寂しい廃墟となってしまった。

    ≪救世主キリスト大聖堂≫ セルビア正教会の教会で、1995年に始まった建設がコソボ紛争のため中断、そのまま寂しい廃墟となってしまった。

    救世主キリスト大聖堂 寺院・教会

    見捨てられたセルビア正教会 by なぽさん
  • (12:22) コソボで1番高くて、展望台(1EUR)からの眺めが楽しみ♪<br /><br />≪マザー・テレサ大聖堂≫  自身はイスラム教徒である当時のコソボ初代大統領イブラヒム・ルゴヴァが2007年建設を認可。コソボ(現在のマケドニア)生まれのアルバニア人、カトリック教会修道女マザー・テレサ(1910-1997年)に捧げて建てられた大聖堂で、2010年、生誕100年の記念日に未完成のまま落成式が行われ、没20年、列聖されて1周年にあたる2017年、正式に奉献された。

    (12:22) コソボで1番高くて、展望台(1EUR)からの眺めが楽しみ♪

    ≪マザー・テレサ大聖堂≫ 自身はイスラム教徒である当時のコソボ初代大統領イブラヒム・ルゴヴァが2007年建設を認可。コソボ(現在のマケドニア)生まれのアルバニア人、カトリック教会修道女マザー・テレサ(1910-1997年)に捧げて建てられた大聖堂で、2010年、生誕100年の記念日に未完成のまま落成式が行われ、没20年、列聖されて1周年にあたる2017年、正式に奉献された。

  • (12:23) でもなぜかここも閉まっていて入れず・・(涙)。<br /><br />

    (12:23) でもなぜかここも閉まっていて入れず・・(涙)。

    マザーテレサ大聖堂 寺院・教会

    マザー・テレサに捧げて建てられた新しい大聖堂 by なぽさん
  • (12:26) このマザー・テレサの生涯を描いたというステンドグラスも見たかったのに・・で、せめて裏から(笑)。

    (12:26) このマザー・テレサの生涯を描いたというステンドグラスも見たかったのに・・で、せめて裏から(笑)。

  • (12:39) ビル・クリントン通りを行くと見えて来た、クリントン像!<br /><br />

    (12:39) ビル・クリントン通りを行くと見えて来た、クリントン像!

  • (12:40) クリントン元大統領はコソボを軍事的・経済的に支援、独立の立役者と言われ、またアメリカはコソボの独立を真っ先に承認した国です。<br /><br />これにてPristinaの観光終了~。Peje行きのバスに乗るため、ビル・クリントン通りを西へ歩きバスステーションへ。<br />

    (12:40) クリントン元大統領はコソボを軍事的・経済的に支援、独立の立役者と言われ、またアメリカはコソボの独立を真っ先に承認した国です。

    これにてPristinaの観光終了~。Peje行きのバスに乗るため、ビル・クリントン通りを西へ歩きバスステーションへ。

  • (12:52) バスステーションにはたくさんのバスが並んでおり、窓口で問い合わせると「1番乗場」に案内されました。<br /><br /><バスでPristinaからPejeへ><br />Pristinaのバスステーションから、13:00の予定が遅れて13:20発15:00着で、所要時間は1h40でした。時刻表は見つけられませんでしたが、Pristina-Peje間のバスは頻繁にあるらしい。チケット代は4EUR、乗車中係が徴収に来ます。<br /><br />時刻表はこちらを参考にしましたが確実ではないようで、バスステーションで確認した方が良いみたい。<br /><br />※地名はPristinaもPristine(アルバニア語)になったり、PejeもPejaやPec(セルビア語)と書かれたりするので注意。<br /><br /><時刻表サイト①gjirafa.com><br />https://gjirafa.com/Autobus?nisja=Prishtine&amp;destinacioni=Peje#<br /><br /><時刻表サイト②BalkanViator><br />https://www.balkanviator.com/en/bus

    (12:52) バスステーションにはたくさんのバスが並んでおり、窓口で問い合わせると「1番乗場」に案内されました。

    <バスでPristinaからPejeへ>
    Pristinaのバスステーションから、13:00の予定が遅れて13:20発15:00着で、所要時間は1h40でした。時刻表は見つけられませんでしたが、Pristina-Peje間のバスは頻繁にあるらしい。チケット代は4EUR、乗車中係が徴収に来ます。

    時刻表はこちらを参考にしましたが確実ではないようで、バスステーションで確認した方が良いみたい。

    ※地名はPristinaもPristine(アルバニア語)になったり、PejeもPejaやPec(セルビア語)と書かれたりするので注意。

    <時刻表サイト①gjirafa.com>
    https://gjirafa.com/Autobus?nisja=Prishtine&destinacioni=Peje#

    <時刻表サイト②BalkanViator>
    https://www.balkanviator.com/en/bus

    プリシュティナ バスターミナル バス系

    町から少し離れている by なぽさん
  • (15:01) Pejeバスステーションに到着。<br /><br />バスに乗った時点でMessengerで予約してバスの到着時間を連絡しておいたので、タクシーが待っていてくれました。まずはペーチ総主教修道院に行ってもらいます。

    (15:01) Pejeバスステーションに到着。

    バスに乗った時点でMessengerで予約してバスの到着時間を連絡しておいたので、タクシーが待っていてくれました。まずはペーチ総主教修道院に行ってもらいます。

    ペーチ (ペーヤ) バスターミナル バス系

  • (15:10) <br /><br />Pejeでの貸切タクシーは“London taxi Kosovo”です。<br /><London taxi Kosovo><br />https://www.facebook.com/668668LondontaxiPeje/<br />ここもまた非常に親切。Pejeバスステーション→ペーチ総主教修道院(観光30分)→デチャニ修道院(観光30分)→Pejeバスステーションで25EUR。<br />私たちはPejeバスステーションには戻らず、南のGjakovaまで行ってもらうよう頼んで30EURでした。<br /><br /><Pejeのタクシー・バス情報 “Traveling to Peja”><br />http://www.pejatourism.org/pdf/transporti.pdf#search=%27london+taxi+peje%27

    (15:10)

    Pejeでの貸切タクシーは“London taxi Kosovo”です。
    <London taxi Kosovo>
    https://www.facebook.com/668668LondontaxiPeje/
    ここもまた非常に親切。Pejeバスステーション→ペーチ総主教修道院(観光30分)→デチャニ修道院(観光30分)→Pejeバスステーションで25EUR。
    私たちはPejeバスステーションには戻らず、南のGjakovaまで行ってもらうよう頼んで30EURでした。

    <Pejeのタクシー・バス情報 “Traveling to Peja”>
    http://www.pejatourism.org/pdf/transporti.pdf#search=%27london+taxi+peje%27

  • (15:11) <br /><br /><ペーヤ> ローマ帝国時代には“Pescium”と呼ばれ、セルビア王国ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン王(1308‐1355年)の統治下には宗教的中心地となり、1346年セルビア正教会の総主教座が置かれた。14世紀末にはオスマン帝国に征服され多くのモスクが建てられるが、これは1766年まで続いた。様々な国に支配されながら、現在もまた総主教座になっておりセルビア正教の聖地。

    (15:11)

    <ペーヤ> ローマ帝国時代には“Pescium”と呼ばれ、セルビア王国ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン王(1308‐1355年)の統治下には宗教的中心地となり、1346年セルビア正教会の総主教座が置かれた。14世紀末にはオスマン帝国に征服され多くのモスクが建てられるが、これは1766年まで続いた。様々な国に支配されながら、現在もまた総主教座になっておりセルビア正教の聖地。

  • (15:13) セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」の4つのうちの<br />2つ目、ペーチ総主教修道院に到着。<br /><br />≪ペーチ総主教修道院≫ ルゴヴァ渓谷の入口に、13~14世紀に建てられたセルビア正教会の修道院。セルビア正教で最も位の高い総主教座が置かれ霊廟ともなっている。中世セルビア国王の戴冠式も行われ、セルビア人にとって最も大事な教会なのだそうです。

    (15:13) セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」の4つのうちの
    2つ目、ペーチ総主教修道院に到着。

    ≪ペーチ総主教修道院≫ ルゴヴァ渓谷の入口に、13~14世紀に建てられたセルビア正教会の修道院。セルビア正教で最も位の高い総主教座が置かれ霊廟ともなっている。中世セルビア国王の戴冠式も行われ、セルビア人にとって最も大事な教会なのだそうです。

    コソヴォの中世建造物群 史跡・遺跡

    “世界遺産”セルビア正教会の4つの修道院 by なぽさん
  • ローマ時代の遺跡、初代司祭の館跡が残る。修道女さんたちはおしゃべり。そよ風、小川のせせらぎ、鳥のさえずり、のどかです。<br /><br />https://youtu.be/3dgDL8YDuFc<br />修道院の左に見える木は、“聖サヴァ”が植えたと言い伝えらえる桑の木。<br />今でも美味しい実をつけるのだとか。

    ローマ時代の遺跡、初代司祭の館跡が残る。修道女さんたちはおしゃべり。そよ風、小川のせせらぎ、鳥のさえずり、のどかです。

    https://youtu.be/3dgDL8YDuFc
    修道院の左に見える木は、“聖サヴァ”が植えたと言い伝えらえる桑の木。
    今でも美味しい実をつけるのだとか。

  • 赤い壁に水玉模様が可愛い♪

    赤い壁に水玉模様が可愛い♪

    ペーチ総主教修道院 寺院・教会

  • チケットは2EUR。修道女さんが回収に来ました。<br /><br />建物の向きは北を上にしてこんな感じで、左側の扉を入ると右側に奥から、聖ディミトリエ聖堂、聖使徒聖堂、生神女聖堂があり、一旦外に出て右手前に聖二コラ聖堂があります。

    チケットは2EUR。修道女さんが回収に来ました。

    建物の向きは北を上にしてこんな感じで、左側の扉を入ると右側に奥から、聖ディミトリエ聖堂、聖使徒聖堂、生神女聖堂があり、一旦外に出て右手前に聖二コラ聖堂があります。

  • セルビア王ステファン・ネマニャ(1113-1200年)の息子で、セルビア正教会を設立、初代大主教でもある“聖サヴァ”。その跡を継いだ大主教アルセニエ1世が1233~1262年に聖使徒聖堂創建。1322~1324年頃大主教ニコディム1世によりその北に聖ディミトリエ聖堂が、1330年頃3つの聖堂の西側部分の前堂と南の生神女聖堂、1330~1337年に聖二コラ聖堂が大主教ダニロ2世により創建。

    セルビア王ステファン・ネマニャ(1113-1200年)の息子で、セルビア正教会を設立、初代大主教でもある“聖サヴァ”。その跡を継いだ大主教アルセニエ1世が1233~1262年に聖使徒聖堂創建。1322~1324年頃大主教ニコディム1世によりその北に聖ディミトリエ聖堂が、1330年頃3つの聖堂の西側部分の前堂と南の生神女聖堂、1330~1337年に聖二コラ聖堂が大主教ダニロ2世により創建。

  • 見どころは、生神女聖堂の奇跡のイコン「ペーチの至聖生神女」、<br />聖二コラ聖堂の聖二コラによる「聖ステファン・デチャンスキーの視力回復の奇蹟」など。<br /><br />見応えあり過ぎッ!とても30分では足りない・・・<br />ぜひまたゆっくり見てみたい。

    見どころは、生神女聖堂の奇跡のイコン「ペーチの至聖生神女」、
    聖二コラ聖堂の聖二コラによる「聖ステファン・デチャンスキーの視力回復の奇蹟」など。

    見応えあり過ぎッ!とても30分では足りない・・・
    ぜひまたゆっくり見てみたい。

  • (15:50) 川沿いが気持ちいい~ゆっくり歩けないのが残念。<br />運転手さんがまた感じのいい人でした。<br /><br />次はデチャニ修道院です。

    (15:50) 川沿いが気持ちいい~ゆっくり歩けないのが残念。
    運転手さんがまた感じのいい人でした。

    次はデチャニ修道院です。

  • (16:23) “KFOR(NATO主導のコソボ治安維持部隊)”の大きな文字が!<br />他はこれほど厳しそうでなかったけど。民族衝突を防ぐためKFORが警備しています。<br /><br />セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」の4つのうちの<br />3つ目、デチャニ修道院に到着。入口で兵士にパスポートを預けます。<br />「ここは撮影ダメだけど中はいいよ」とのこと。

    (16:23) “KFOR(NATO主導のコソボ治安維持部隊)”の大きな文字が!
    他はこれほど厳しそうでなかったけど。民族衝突を防ぐためKFORが警備しています。

    セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」の4つのうちの
    3つ目、デチャニ修道院に到着。入口で兵士にパスポートを預けます。
    「ここは撮影ダメだけど中はいいよ」とのこと。

  • (16:27) 山門から。わくわく~~~<br /><br />さっきのペーチで観光時間30分ではとても足りなかったので、<br />ここは40分にしてもらいます。<br />

    (16:27) 山門から。わくわく~~~

    さっきのペーチで観光時間30分ではとても足りなかったので、
    ここは40分にしてもらいます。

    コソヴォの中世建造物群 史跡・遺跡

    “世界遺産”セルビア正教会の4つの修道院 by なぽさん
  • (16:28)<br /><br />≪デチャニ修道院≫ ステファン・ウロシュ3世デチャンスキ王(1285‐1331年)のため1335年に建てられその霊廟でもある、セルビア正教会の修道院。主聖堂の建設と彫刻はコトルのフランシスコ会(カトリック修道会)の名石工たちが当たり、その西欧風ロマネスク・ゴシック様式と東欧ビザンチンが融合、後期ビザンチン・ロマネスク様式の傑作と言われる。バルカン半島に残る中世の教会で最大、現存するフレスコ画もビザンチン最大で、修道院内全てを覆い尽くすように千以上のシーン、数千の像が描かれている。<br /><br />開館時間は、平日 10:00-14:30、15:30-17:30、<br />      日曜日10:00-17:30

    (16:28)

    ≪デチャニ修道院≫ ステファン・ウロシュ3世デチャンスキ王(1285‐1331年)のため1335年に建てられその霊廟でもある、セルビア正教会の修道院。主聖堂の建設と彫刻はコトルのフランシスコ会(カトリック修道会)の名石工たちが当たり、その西欧風ロマネスク・ゴシック様式と東欧ビザンチンが融合、後期ビザンチン・ロマネスク様式の傑作と言われる。バルカン半島に残る中世の教会で最大、現存するフレスコ画もビザンチン最大で、修道院内全てを覆い尽くすように千以上のシーン、数千の像が描かれている。

    開館時間は、平日 10:00-14:30、15:30-17:30、
          日曜日10:00-17:30

    デチャニ修道院 寺院・教会

    はるばる来たかいがあると思える圧巻のフレスコ画 by なぽさん
  • 西入口の上の半円部には、玉座のハリストス(キリスト)の両側に獅子、<br />その左右に天使像。

    西入口の上の半円部には、玉座のハリストス(キリスト)の両側に獅子、
    その左右に天使像。

  • (16:30) 左の白い建物は1786~1789年に建てられた修道院長館、<br />奥が19世紀に再建されたミロシュ宿坊、その後ろに鐘楼。

    (16:30) 左の白い建物は1786~1789年に建てられた修道院長館、
    奥が19世紀に再建されたミロシュ宿坊、その後ろに鐘楼。

  • (16:31) 中は撮影OKとのことだけど、修道院内はさすがにダメよねぇ?

    (16:31) 中は撮影OKとのことだけど、修道院内はさすがにダメよねぇ?

  • (16:46) 北入口の扉の上には、花形装飾の十字架。

    (16:46) 北入口の扉の上には、花形装飾の十字架。

  • (16:47) <br /><br />修道士さんが案内して来た兵士3人のうちの1人が写真を撮り始め、<br />聞いてみたら撮影OKとのこと!ラッキ~!!

    (16:47)

    修道士さんが案内して来た兵士3人のうちの1人が写真を撮り始め、
    聞いてみたら撮影OKとのこと!ラッキ~!!

  • ガイドブックより。北入口はこの見取り図では左上。

    ガイドブックより。北入口はこの見取り図では左上。

  • 入るとまず、6mを越える大理石の柱が立つ広々とした啓蒙所(前堂)。

    入るとまず、6mを越える大理石の柱が立つ広々とした啓蒙所(前堂)。

  • ここには、聖人やセルビアにとって重要な歴史的人物の像、キリスト教史上重要な事蹟、教会歴(正教会で用いられる暦)、7回の全地公会議(全キリスト教界から代表者が集まった最高会議)、<br /><br /><br />

    ここには、聖人やセルビアにとって重要な歴史的人物の像、キリスト教史上重要な事蹟、教会歴(正教会で用いられる暦)、7回の全地公会議(全キリスト教界から代表者が集まった最高会議)、


  • 聖ゲオルギオス(ゲオルグ)の生涯などが描かれてるらしい。・・ロマンチック街道でも出て来るよなぁ・・竜を退治したっていう聖人ゲオルグ。

    聖ゲオルギオス(ゲオルグ)の生涯などが描かれてるらしい。・・ロマンチック街道でも出て来るよなぁ・・竜を退治したっていう聖人ゲオルグ。

  • 左の壁には、枝を張った木の形に描かれたセルビア王国ネマニッチ朝の家系図。手前にあるのは、神現祭(神が人類に現れるという正教会の祭り)のため聖化された洗礼盤。

    左の壁には、枝を張った木の形に描かれたセルビア王国ネマニッチ朝の家系図。手前にあるのは、神現祭(神が人類に現れるという正教会の祭り)のため聖化された洗礼盤。

  • ここから聖所へ。扉の両側の柱の上下には、動物の彫像が聖と俗との境界を護っています。

    ここから聖所へ。扉の両側の柱の上下には、動物の彫像が聖と俗との境界を護っています。

  • 扉の上では、全能者ハリストスに向かって両サイドから、寄進者であるステファン・ウロシュ3世デチャンスキ王とその子ウロシュ4世ドゥシャン王が祈りを捧げ、天使から神の祝福の巻物を授けられています。

    扉の上では、全能者ハリストスに向かって両サイドから、寄進者であるステファン・ウロシュ3世デチャンスキ王とその子ウロシュ4世ドゥシャン王が祈りを捧げ、天使から神の祝福の巻物を授けられています。

  • 聖堂の中央部、聖所。珍しく、左端のハリストスが剣を持っています。罪を絶つ剣なのだそう。下にちらっと写っているのがデチャンスキ王の石棺。

    聖堂の中央部、聖所。珍しく、左端のハリストスが剣を持っています。罪を絶つ剣なのだそう。下にちらっと写っているのがデチャンスキ王の石棺。

  • 巨大なイェッセイの系図。イェッセイとは、預言者ダビデの父で生神女マリアの祖先。その子孫からハリストスが生まれたとするイザヤ書の有名な<br />1節に基づいているらしい。

    巨大なイェッセイの系図。イェッセイとは、預言者ダビデの父で生神女マリアの祖先。その子孫からハリストスが生まれたとするイザヤ書の有名な
    1節に基づいているらしい。

  • 聖ニコライ副聖堂には、1818年のイコノスタス(聖所と至聖所を区切るイコンで覆われた壁)があります。

    聖ニコライ副聖堂には、1818年のイコノスタス(聖所と至聖所を区切るイコンで覆われた壁)があります。

  • ハリストス再臨の図。1番上の天からハリストスが降り、2人の天使が玉座をおろす場面が描かれています。 <br /><br />“最後の審判”があるって聞いてたけどどこか分からず、修道士さんに尋ねたらそれもここだと。真ん中に、最後の審判者ハリストスの代わりに左手に福音書を持った全能者ハリストスが描かれ、その下は生神女就寝祭。

    ハリストス再臨の図。1番上の天からハリストスが降り、2人の天使が玉座をおろす場面が描かれています。 

    “最後の審判”があるって聞いてたけどどこか分からず、修道士さんに尋ねたらそれもここだと。真ん中に、最後の審判者ハリストスの代わりに左手に福音書を持った全能者ハリストスが描かれ、その下は生神女就寝祭。

  • 天国の場面の下にある地獄で苦しむ人々。左は“究極の闇”、<br />右は“休みなき蛆虫” ひぇ~~~

    天国の場面の下にある地獄で苦しむ人々。左は“究極の闇”、
    右は“休みなき蛆虫” ひぇ~~~

  • 上から2番目が“使徒フィリップとエチオピアの宦官”、<br />その下が“ダマスコへの途上での聖使徒パウェルの回心”

    上から2番目が“使徒フィリップとエチオピアの宦官”、
    その下が“ダマスコへの途上での聖使徒パウェルの回心”

  • 円蓋の下が聖所の中心。石のイコノスタスは14世紀のオリジナルのもので、その奥が至聖所。<br /><br />右手前にあるのがデチャンスキ王の現在の柩らしく、その遺骸には病気を治す力があると信じられ、そのふたが開けられる毎木曜日の祈祷の際には多くの人が集まるそうです。

    円蓋の下が聖所の中心。石のイコノスタスは14世紀のオリジナルのもので、その奥が至聖所。

    右手前にあるのがデチャンスキ王の現在の柩らしく、その遺骸には病気を治す力があると信じられ、そのふたが開けられる毎木曜日の祈祷の際には多くの人が集まるそうです。

  • その左側にもイコノスタス。

    その左側にもイコノスタス。

  • 円蓋から鎖で吊られたブロンズ製の多燭燈は、ドゥシャン王から父デチャンスキ王に贈られたもの。コソボの戦いで討ち死にした騎士たちの武器から作られたとも伝えらえる。

    円蓋から鎖で吊られたブロンズ製の多燭燈は、ドゥシャン王から父デチャンスキ王に贈られたもの。コソボの戦いで討ち死にした騎士たちの武器から作られたとも伝えらえる。

  • 聖所の4本の柱に支えられた最高位にある円蓋にもハリストス。その背景は金色で天の光を表し、光輪や衣服にも金箔が貼られていたのだそう。

    聖所の4本の柱に支えられた最高位にある円蓋にもハリストス。その背景は金色で天の光を表し、光輪や衣服にも金箔が貼られていたのだそう。

  • 神々しい。

    神々しい。

  • (17:01)

    (17:01)

  • (17:02)

    (17:02)

  • (17:02) 左が食堂、右の白い建物が修道院長館。<br /><br />遠目に髭を蓄えた黒い衣装の修道士さんが見えます。20~30人ほどの男子修道士さんが自給自足の共同生活を営んでいるそうです。

    (17:02) 左が食堂、右の白い建物が修道院長館。

    遠目に髭を蓄えた黒い衣装の修道士さんが見えます。20~30人ほどの男子修道士さんが自給自足の共同生活を営んでいるそうです。

  • (17:03) 山門の左が、1924年再建、客を泊めるためのレオンティエ宿坊。<br /><br />素晴らしかったです。グラチャニツァもそうだったけど、緑の芝生に建つ姿が美しい。ペーチは薄暗かったけど、ここは光が入って神秘的。修道士の方も穏やかで懐深い感じ。ガイドブック(10EUR)も買い大満足♪<br /><br />では次の地、Gjakovaに行ってもらいます。

    (17:03) 山門の左が、1924年再建、客を泊めるためのレオンティエ宿坊。

    素晴らしかったです。グラチャニツァもそうだったけど、緑の芝生に建つ姿が美しい。ペーチは薄暗かったけど、ここは光が入って神秘的。修道士の方も穏やかで懐深い感じ。ガイドブック(10EUR)も買い大満足♪

    では次の地、Gjakovaに行ってもらいます。

  • (17:45) Gjakova到着。<br />London Taxiの運転手さんとはここでお別れです。快適でした、感謝♪<br /><br />

    (17:45) Gjakova到着。
    London Taxiの運転手さんとはここでお別れです。快適でした、感謝♪

  • (17:47) 街中で降ろしてもらい、今この辺(水色のマーク)。<br /><br /><ジャコヴァ>17世紀のオスマン帝国時代に発展しその街並みが美しい町。紛争で町の75%が破壊されるも忠実に再建されたそうです。貿易、<br />経済の中心地として栄え、16世紀に始まったというコソボ最古、最大の<br />オールドバザールが楽しみ♪<br /><br /><Gjakova情報: wikivoyage><br />https://en.wikivoyage.org/wiki/Gjakova

    (17:47) 街中で降ろしてもらい、今この辺(水色のマーク)。

    <ジャコヴァ>17世紀のオスマン帝国時代に発展しその街並みが美しい町。紛争で町の75%が破壊されるも忠実に再建されたそうです。貿易、
    経済の中心地として栄え、16世紀に始まったというコソボ最古、最大の
    オールドバザールが楽しみ♪

    <Gjakova情報: wikivoyage>
    https://en.wikivoyage.org/wiki/Gjakova

  • (17:48) “The Kulla of Abdullah Pashe Dreni”の建物に、<br />観光案内所があるみたい。<br /><br /><The Kulla (tower house) of Abdullah Pashe Dreni><br />ジャコヴァ出身、プリズレン連盟ジャコヴァ支部リーダーでオスマン軍高官アブドゥラ・パシャ・ドゥレ二(1820‐1878年)の住居兼要塞。18世紀末に建てられた3階建ての建物には多くの抜け穴があり、今は博物館になっているらしい。1878年、ベルリン会議によりアルバニア人の一部の居住地をモンテネグロに割譲するためオスマン軍司令官メフメット・アリ・パシャがやって来たが、それに猛反対したプリズレン連盟に包囲され、多くの犠牲者とともに2人も殺害された。

    (17:48) “The Kulla of Abdullah Pashe Dreni”の建物に、
    観光案内所があるみたい。

    <The Kulla (tower house) of Abdullah Pashe Dreni>
    ジャコヴァ出身、プリズレン連盟ジャコヴァ支部リーダーでオスマン軍高官アブドゥラ・パシャ・ドゥレ二(1820‐1878年)の住居兼要塞。18世紀末に建てられた3階建ての建物には多くの抜け穴があり、今は博物館になっているらしい。1878年、ベルリン会議によりアルバニア人の一部の居住地をモンテネグロに割譲するためオスマン軍司令官メフメット・アリ・パシャがやって来たが、それに猛反対したプリズレン連盟に包囲され、多くの犠牲者とともに2人も殺害された。

  • (17:52) ただブラブラして街並みを楽しみます。

    (17:52) ただブラブラして街並みを楽しみます。

  • (17:56) ここ、評判のいいホテル・レストラン。<br />夕食のため後で戻って来ます。

    (17:56) ここ、評判のいいホテル・レストラン。
    夕食のため後で戻って来ます。

  • (18:02) なんのこともない時計塔。で素通り。<br /><br />手工業と貿易が急速に発展し、労働時間を規定するためオールドバザールの真ん中に建てられた。1597年に建てられた元の塔はバルカン戦争で焼け落ち鐘楼はモンテネグロに持ち運ばれ、これは高さ30m、屋根は鉛、見張塔は木、全体は石造りの新しく建て直されたもの。

    (18:02) なんのこともない時計塔。で素通り。

    手工業と貿易が急速に発展し、労働時間を規定するためオールドバザールの真ん中に建てられた。1597年に建てられた元の塔はバルカン戦争で焼け落ち鐘楼はモンテネグロに持ち運ばれ、これは高さ30m、屋根は鉛、見張塔は木、全体は石造りの新しく建て直されたもの。

  • (18:05) なに屋さん・・?ここかな、オールドバザールは1㎞にわたって500軒以上のお店が並ぶらしい。

    (18:05) なに屋さん・・?ここかな、オールドバザールは1㎞にわたって500軒以上のお店が並ぶらしい。

  • (18:07) ウェディングドレス!ここにドレス?!

    (18:07) ウェディングドレス!ここにドレス?!

  • (18:07)

    (18:07)

  • (18:08) 首くくってるし。

    (18:08) 首くくってるし。

  • (18:08) ブティック・シェリには殴られたような方も。

    (18:08) ブティック・シェリには殴られたような方も。

  • (18:08)

    (18:08)

  • (18:08)

    (18:08)

  • (18:09) 子供用品店。縛られる子供たち。

    (18:09) 子供用品店。縛られる子供たち。

  • (18:09)

    (18:09)

  • (18:10)

    (18:10)

  • (18:10) ・・・・・ノーコメント。

    (18:10) ・・・・・ノーコメント。

  • (18:10) マネキン、川に立つ。斬新な感性、脱帽。

    (18:10) マネキン、川に立つ。斬新な感性、脱帽。

  • (18:11) 冬は足寒いやろね。

    (18:11) 冬は足寒いやろね。

  • (18:11) おぉーッ! ・・一瞬、求めていた風景が目の前に。

    (18:11) おぉーッ! ・・一瞬、求めていた風景が目の前に。

  • (18:12)

    (18:12)

  • (18:13) あかん、マネキンばっかり撮ってる・・・

    (18:13) あかん、マネキンばっかり撮ってる・・・

  • (18:13) Laylaさんのリクエストにお応えしてマネキン写真もれなく一挙掲載。<br /><br />Gjakovaのオールドバザールはマネキン天国だった。

    (18:13) Laylaさんのリクエストにお応えしてマネキン写真もれなく一挙掲載。

    Gjakovaのオールドバザールはマネキン天国だった。

  • (18:17) 一転、懐かしい・・・

    (18:17) 一転、懐かしい・・・

  • (18:21) 小学生の時とかに見た景色っぽい。

    (18:21) 小学生の時とかに見た景色っぽい。

  • (18:22) “Hani Haracise”は、16世紀に建てられたかつての隊商宿。<br />ジャコヴァで1番古い建物らしい。

    (18:22) “Hani Haracise”は、16世紀に建てられたかつての隊商宿。
    ジャコヴァで1番古い建物らしい。

  • (18:23) 今は伝統料理を食べられるミュージアム・レストランに<br />なっているんだそう。

    (18:23) 今は伝統料理を食べられるミュージアム・レストランに
    なっているんだそう。

  • (18:24) 素敵。ここもいいナ。

    (18:24) 素敵。ここもいいナ。

  • (18:24) コソボで1番美味しいらしい名物の“バクラバ”でも<br />デザートに食べに来よか。

    (18:24) コソボで1番美味しいらしい名物の“バクラバ”でも
    デザートに食べに来よか。

  • (18:32)

    (18:32)

  • (18:33) この町から、スイス、ドイツなどに移住している人が多いんですって。休暇中や結婚式に家族で集まるため、特に夏休みには、車で帰省する彼らの高級外車が街中で多く見られるんだそう。<br /><br />そうか、だからドレス屋さんが多いのね。(^_-)b

    (18:33) この町から、スイス、ドイツなどに移住している人が多いんですって。休暇中や結婚式に家族で集まるため、特に夏休みには、車で帰省する彼らの高級外車が街中で多く見られるんだそう。

    そうか、だからドレス屋さんが多いのね。(^_-)b

  • (18:34)

    (18:34)

  • (18:34) 可愛い時計屋さん♪

    (18:34) 可愛い時計屋さん♪

  • (18:34) <br /><br />≪Hadum mosque≫ 1595年、Hadum Agaの援助により、学校、コソボ最古の図書館、ハマム、墓地などとともにオールドバザールの中心に建てられた。オスマン建築最高傑作イスタンブールのスレイマン・モスクを手掛けたミマール・スィナンの設計と言う人もいるけど本当かな?

    (18:34)

    ≪Hadum mosque≫ 1595年、Hadum Agaの援助により、学校、コソボ最古の図書館、ハマム、墓地などとともにオールドバザールの中心に建てられた。オスマン建築最高傑作イスタンブールのスレイマン・モスクを手掛けたミマール・スィナンの設計と言う人もいるけど本当かな?

  • 壁はイトスギと景色の絵で飾られているそう。扉の装飾も可愛い♪

    壁はイトスギと景色の絵で飾られているそう。扉の装飾も可愛い♪

  • ここも閉まっていて入れず・・残念。

    ここも閉まっていて入れず・・残念。

  • (18:37)  帰って来てから知ったんですが・・バルカン戦争時はセルビア・モンテネグロ軍により、コソボ紛争時はユーゴスラビア軍により、この町は恐ろしい迫害、殺戮の場となったのだそうです。

    (18:37) 帰って来てから知ったんですが・・バルカン戦争時はセルビア・モンテネグロ軍により、コソボ紛争時はユーゴスラビア軍により、この町は恐ろしい迫害、殺戮の場となったのだそうです。

  • (18:38) ここは町の著名人のお墓らしいですが。どうか安らかに。

    (18:38) ここは町の著名人のお墓らしいですが。どうか安らかに。

  • (18:38) 独特の情緒ある場所でした。

    (18:38) 独特の情緒ある場所でした。

  • (18:39) あぁーここここ!

    (18:39) あぁーここここ!

  • Googleのこの写真とか、

    Googleのこの写真とか、

  • こんな写真を見てペーヤビールでも・・と思ってたところ。

    こんな写真を見てペーヤビールでも・・と思ってたところ。

  • (18:40) シーシャも楽しむ。

    (18:40) シーシャも楽しむ。

  • (18:42) そういえばお腹空いて来た・・・

    (18:42) そういえばお腹空いて来た・・・

  • (18:43)<br /><br /><The Kulla of Hysni Koshi><br />Kullaとは、防衛目的も兼ね要塞化された石造りの家。1870年に地元のアルバニア職人によって建てられ、コソボ南西部ドゥカジニトの独特な特徴を持つ。らしい。

    (18:43)

    <The Kulla of Hysni Koshi>
    Kullaとは、防衛目的も兼ね要塞化された石造りの家。1870年に地元のアルバニア職人によって建てられ、コソボ南西部ドゥカジニトの独特な特徴を持つ。らしい。

  • (18:43) さっきのレストランへ。

    (18:43) さっきのレストランへ。

  • (18:46) “Carshia e Jupave”で晩ごはん。<br /><br /><Hotel Carshia e Jupave><br />http://qarshiaejupave.com/en/ballina-eng/

    (18:46) “Carshia e Jupave”で晩ごはん。

    <Hotel Carshia e Jupave>
    http://qarshiaejupave.com/en/ballina-eng/

  • (18:50) メニューも素敵。お薦めはOVEN FOODの“Gjakova Baking Pan”(トマトと野菜で煮込んだ子牛肉)というので、2人ともそれを注文。スタッフも感じ良し。

    (18:50) メニューも素敵。お薦めはOVEN FOODの“Gjakova Baking Pan”(トマトと野菜で煮込んだ子牛肉)というので、2人ともそれを注文。スタッフも感じ良し。

  • レモンの酸味が効いたスープ(1.5EUR)、シャキシャキサラダ(2EUR)、お肉も味がしみて柔らかく、どれも美味しくて大満足♪お水0.5EUR、ライス1.5EUR、2人で計15EUR。

    レモンの酸味が効いたスープ(1.5EUR)、シャキシャキサラダ(2EUR)、お肉も味がしみて柔らかく、どれも美味しくて大満足♪お水0.5EUR、ライス1.5EUR、2人で計15EUR。

  • (19:53)

    (19:53)

  • (19:54)

    (19:54)

  • (19:59) 空に浮かぶ水玉が可愛い。

    (19:59) 空に浮かぶ水玉が可愛い。

  • せっかくなんで一息。ビールじゃなくて可愛くコーヒー。(Layla撮影)

    せっかくなんで一息。ビールじゃなくて可愛くコーヒー。(Layla撮影)

  • (20:12) ポーズを取ってくれるキュートなお兄さん v(*^^*)v<br /><br />さて。これからまだPrizrenまで行くので、長居はせず早々にタクシーを拾うことに。数台のタクシーに聞いてみると、Prizrenまでは20EURらしい。

    (20:12) ポーズを取ってくれるキュートなお兄さん v(*^^*)v

    さて。これからまだPrizrenまで行くので、長居はせず早々にタクシーを拾うことに。数台のタクシーに聞いてみると、Prizrenまでは20EURらしい。

  • それが・・いざとなるとなかなかタクシーが来ない。ホテルまで戻って来てウロウロするも・・・結局ちょっと歩いて、タクシーが数台停まっているタクシー乗場と思しきところから乗車。

    それが・・いざとなるとなかなかタクシーが来ない。ホテルまで戻って来てウロウロするも・・・結局ちょっと歩いて、タクシーが数台停まっているタクシー乗場と思しきところから乗車。

  • 1時間弱でPrizrenバスステーションに到着。明日のTirana行きの時刻表を確認したかったため、ホテルではなくここで降ろしてもらいました。<br /><br />しかし・・・時刻表と思しきものはなし。21時過ぎ、この時間にバスの便もなさそうで人気もなく、私たちがいろいろ探し回ってウロウロしているのを見かねて助けてくれようとする親切な人もいるんですが詳しく知っている人はおらず。「Vrrini Marketまで行った方が本数が多いだろう」とのこと。ツアー会社などのオフィスも全部閉まってるし諦めてホテルへ。

    1時間弱でPrizrenバスステーションに到着。明日のTirana行きの時刻表を確認したかったため、ホテルではなくここで降ろしてもらいました。

    しかし・・・時刻表と思しきものはなし。21時過ぎ、この時間にバスの便もなさそうで人気もなく、私たちがいろいろ探し回ってウロウロしているのを見かねて助けてくれようとする親切な人もいるんですが詳しく知っている人はおらず。「Vrrini Marketまで行った方が本数が多いだろう」とのこと。ツアー会社などのオフィスも全部閉まってるし諦めてホテルへ。

    プリズレンバスターミナル バス系

    ティラナ行きのバスについて by なぽさん
  • 川沿いにあるホテルへは、バスステーションから徒歩10分ほど。

    川沿いにあるホテルへは、バスステーションから徒歩10分ほど。

  • 22時前に到着。<br /><br />≪Hotel Cleon≫ 石橋や聖母リェヴィシャ修道院まで徒歩5分という便利な立地。朝食付、ダブルルームで35EUR。

    22時前に到着。

    ≪Hotel Cleon≫ 石橋や聖母リェヴィシャ修道院まで徒歩5分という便利な立地。朝食付、ダブルルームで35EUR。

    ホテル クレオン ホテル

    立地最高、清潔、こじんまりした可愛いホテル by なぽさん
  • バルコニーはないに等しい(トタン屋根のガッカリビュー)という感じだけど、部屋は清潔で快適。シャンプー・リキッドソープあり。可愛いホテルでスタッフも感じ良し。

    バルコニーはないに等しい(トタン屋根のガッカリビュー)という感じだけど、部屋は清潔で快適。シャンプー・リキッドソープあり。可愛いホテルでスタッフも感じ良し。

  • (22:16) せっかくなので夜の町にちょこっと繰り出しま~す。右のミナレットがスィナン・パシャ・モスク、左上に宙に浮くようにライトアップされてるのはプリズレン城。<br /><br />プリズレン城めちゃ遠くない・・?来る前は「朝日見に行こか?!」「滑れへん靴で行かなな」とか盛り上がってたけど・・・結局2人ともたいして触れることなく行かずじまい。・・そか、時間も無かったしな。

    (22:16) せっかくなので夜の町にちょこっと繰り出しま~す。右のミナレットがスィナン・パシャ・モスク、左上に宙に浮くようにライトアップされてるのはプリズレン城。

    プリズレン城めちゃ遠くない・・?来る前は「朝日見に行こか?!」「滑れへん靴で行かなな」とか盛り上がってたけど・・・結局2人ともたいして触れることなく行かずじまい。・・そか、時間も無かったしな。

    プリズレン城 (城塞跡) 城・宮殿

  • (22:19) 旧市街の真ん中にある、町のシンボルの橋。<br /><br />≪石橋≫ 町を東西に流れるビストリツァ川にかかる、オスマン帝国時代15世紀末の石橋“Ura e Guritウラグリ”(Uraが橋、Guritが石の意)。1979年に洪水で流され、現在の橋は1982年再建のもの。橋の幅は4.2m、長さ17mですが、かつては30mあったのだそう。

    (22:19) 旧市街の真ん中にある、町のシンボルの橋。

    ≪石橋≫ 町を東西に流れるビストリツァ川にかかる、オスマン帝国時代15世紀末の石橋“Ura e Guritウラグリ”(Uraが橋、Guritが石の意)。1979年に洪水で流され、現在の橋は1982年再建のもの。橋の幅は4.2m、長さ17mですが、かつては30mあったのだそう。

    石橋 史跡・遺跡

    オスマントルコ時代の石橋 by なぽさん
  • (22:20) 渡ってみる。いい感じ♪<br />それにしてもPrizrenて意外に都会です、人が多くてビックリ!

    (22:20) 渡ってみる。いい感じ♪
    それにしてもPrizrenて意外に都会です、人が多くてビックリ!

  • (22:21) “国の英雄 Khevat Berisha 1961-1998”とあります。<br />コソボ紛争で亡くなったんですね・・。

    (22:21) “国の英雄 Khevat Berisha 1961-1998”とあります。
    コソボ紛争で亡くなったんですね・・。

  • (22:22) 町の中心地Shadervan広場で400年以上湧き続ける水飲み場。「この水を飲むとまたPrizrenに戻って来てこの地で結婚する」ことになるんだって。

    (22:22) 町の中心地Shadervan広場で400年以上湧き続ける水飲み場。「この水を飲むとまたPrizrenに戻って来てこの地で結婚する」ことになるんだって。

  • (22:23) <br /><br />≪スィナン・パシャ・モスク ≫ オスマン帝国高官スィナン・パシャが1615年建立。建材は川の小石と石灰モルタル、オスマン帝国が破壊したセルビア正教修道院の廃墟から運ばれた石が使われている。イマーム(イスラム教指導者)はトルコ系で、近年トルコ政府の支援でキレイに改修された。

    (22:23)

    ≪スィナン・パシャ・モスク ≫ オスマン帝国高官スィナン・パシャが1615年建立。建材は川の小石と石灰モルタル、オスマン帝国が破壊したセルビア正教修道院の廃墟から運ばれた石が使われている。イマーム(イスラム教指導者)はトルコ系で、近年トルコ政府の支援でキレイに改修された。

    スィナン パシャ モスク 寺院・教会

    町のシンボル by なぽさん
  • (23:01) <br /><br />≪聖二コラ教会≫ 1332年、修道士二コラとその妻ベラによって建てられた、後期ビザンチン様式の小さなセルビア正教会。フレスコ画は、聖救世主教会と同じ画家によって描かれたとか。ここも2004年のコソボ暴動で破壊され、2005年よりEUの支援を受け修復工事が行われた。

    (23:01)

    ≪聖二コラ教会≫ 1332年、修道士二コラとその妻ベラによって建てられた、後期ビザンチン様式の小さなセルビア正教会。フレスコ画は、聖救世主教会と同じ画家によって描かれたとか。ここも2004年のコソボ暴動で破壊され、2005年よりEUの支援を受け修復工事が行われた。

    聖ニコラ教会 寺院・教会

    14世紀の可愛らしいセルビア正教会 by なぽさん
  • ホテル近くのブティック。Gjakovaとはまた違った破壊力 |д゚)。<br /><br />23時過ぎ、ホテルに戻ります。<br />とーっても充実した長い1日でした。<br />おやすみなさい♪<br />

    ホテル近くのブティック。Gjakovaとはまた違った破壊力 |д゚)。

    23時過ぎ、ホテルに戻ります。
    とーっても充実した長い1日でした。
    おやすみなさい♪

  • 4/21(日)、おはようございます♪ 今日は朝からPrizren観光、<br />それからバスを乗り継いでアルバニアのBeratまで行きます。<br /><br />(7:34) 朝食前に世界遺産“聖母リェヴィシャ修道院”と、Tirana行きのバスについて確認するためバスステーションまで行ってみます。

    4/21(日)、おはようございます♪ 今日は朝からPrizren観光、
    それからバスを乗り継いでアルバニアのBeratまで行きます。

    (7:34) 朝食前に世界遺産“聖母リェヴィシャ修道院”と、Tirana行きのバスについて確認するためバスステーションまで行ってみます。

  • (7:41) セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」最後の4つ目、<br />聖母リェヴィシャ修道院です。<br /><br />≪聖母リェヴィシャ修道院≫ ウロシュ2世ミルティン王により、聖母マリアに捧げて1307年に建てられた後期ビザンチン建築のセルビア正教会修道院。14世紀初頭のフレスコ画は、パラオロゴス朝ルネサンススタイルのもので、特徴としては、より優美で写実的に描かれているのだそう。見れないけど(涙)。

    (7:41) セルビアの世界遺産「コソボの中世建造物群」最後の4つ目、
    聖母リェヴィシャ修道院です。

    ≪聖母リェヴィシャ修道院≫ ウロシュ2世ミルティン王により、聖母マリアに捧げて1307年に建てられた後期ビザンチン建築のセルビア正教会修道院。14世紀初頭のフレスコ画は、パラオロゴス朝ルネサンススタイルのもので、特徴としては、より優美で写実的に描かれているのだそう。見れないけど(涙)。

  • (7:44) 2004年のコソボ暴動の際には焼打ちにあったらしく、現在は廃墟状態で鉄条網に囲まれ入れません。残念。

    (7:44) 2004年のコソボ暴動の際には焼打ちにあったらしく、現在は廃墟状態で鉄条網に囲まれ入れません。残念。

    聖母リェヴィシャ修道院 寺院・教会

  • (7:49) オスマン帝国時代には、モスクになっていたらしい。

    (7:49) オスマン帝国時代には、モスクになっていたらしい。

  • (7:52) 閉ざされた扉。

    (7:52) 閉ざされた扉。

  • なんとかちらっとでもフレスコ画が見れないだろうかと・・・

    なんとかちらっとでもフレスコ画が見れないだろうかと・・・

  • (7:54)

    (7:54)

  • (8:04) Prizrenバスステーションの待合は人気なく寂しい感じ。<br /><br />国内線のはあるんだけど、やっぱり国際線の時刻表は見つけられません。唯一見かけた“alpar”というオフィスに尋ねると、12:00発があるとのこと。ここから別の発着所まで送ってくれ、そこからバスに乗るらしい。<br /><br />さて。朝食が8時からなので、一旦ホテルに帰ります。

    (8:04) Prizrenバスステーションの待合は人気なく寂しい感じ。

    国内線のはあるんだけど、やっぱり国際線の時刻表は見つけられません。唯一見かけた“alpar”というオフィスに尋ねると、12:00発があるとのこと。ここから別の発着所まで送ってくれ、そこからバスに乗るらしい。

    さて。朝食が8時からなので、一旦ホテルに帰ります。

    プリズレンバスターミナル バス系

    ティラナ行きのバスについて by なぽさん
  • (8:21) コソボっぽくない制服屋さん。

    (8:21) コソボっぽくない制服屋さん。

  • (8:25) ここなんだろ・・?と思って入ったら水車小屋で、親切に中を見せてくれました。

    (8:25) ここなんだろ・・?と思って入ったら水車小屋で、親切に中を見せてくれました。

  • (8:30) この辺りは1979年の洪水でほとんどが破壊され以前の面影を失ったが、18世紀に建てられたここだけが残り今も昔ながらの方法で粉をひいているのだそう。

    (8:30) この辺りは1979年の洪水でほとんどが破壊され以前の面影を失ったが、18世紀に建てられたここだけが残り今も昔ながらの方法で粉をひいているのだそう。

  • (8:34) Prizrenの市庁舎。

    (8:34) Prizrenの市庁舎。

  • (8:35) 正面の壁には、コソボを承認した国々への感謝の言葉が書かれています。日本へは「ARIGATO GOZAIMASU JAPAN」

    (8:35) 正面の壁には、コソボを承認した国々への感謝の言葉が書かれています。日本へは「ARIGATO GOZAIMASU JAPAN」

  • (8:43) ホテルの朝食はワンプレートで。少なそうに見えたけどふわふわのパンとで十分でした。

    (8:43) ホテルの朝食はワンプレートで。少なそうに見えたけどふわふわのパンとで十分でした。

    ホテル クレオン ホテル

    立地最高、清潔、こじんまりした可愛いホテル by なぽさん
  • 小さな朝食会場に飾ってあった写真がなかなかいい。

    小さな朝食会場に飾ってあった写真がなかなかいい。

  • 私たちは結局行かなかったけど、プリズレン城からの眺めでしょう。

    私たちは結局行かなかったけど、プリズレン城からの眺めでしょう。

  • <プリズレン> コソボで最も美しいと言われるこの町の歴史は古く、古代ローマ時代の2世紀には“Theranda”という名で存在していたのだそう。1307年にはセルビアのウロシュ2世ミルティン王が聖母リェヴィシャ修道院を建立、ウロシュ4世ドゥシャン王統治の14世紀までは宮廷が置かれて政治の中心地となり、それ以降も交易の要所や文化の中心として栄えた。

    <プリズレン> コソボで最も美しいと言われるこの町の歴史は古く、古代ローマ時代の2世紀には“Theranda”という名で存在していたのだそう。1307年にはセルビアのウロシュ2世ミルティン王が聖母リェヴィシャ修道院を建立、ウロシュ4世ドゥシャン王統治の14世紀までは宮廷が置かれて政治の中心地となり、それ以降も交易の要所や文化の中心として栄えた。

  • (9:06) 朝食を終え、まだ気になっているTirana行きのバスについて、<br />ホテルのスタッフに相談してみます。

    (9:06) 朝食を終え、まだ気になっているTirana行きのバスについて、
    ホテルのスタッフに相談してみます。

  • バスステーションで教えてもらった12時の便より早いのがないか調べてくれました。私たちもこのgjirafaの時刻表を参考にしましたが、国際線だからか頻繁にはなく、また確実ではないので、バスステーションやバス会社に直接問い合わせた方がいいです。<br /><br />時間的にVellezrit Thaqiの11:20発が良いのでそれにします。ただ、この便はPrizrenバスステーションからではなく“Vrrini Market”発らしく、スタッフもよく知らないようで、お願いしてバス会社に電話してもらいました。確認すると、Vrrini Market11:15発とのこと。<br /><br />乗る便が決まり、10:30にVrrini Market行きのタクシーの手配もお願いして一安心。荷物をまとめ、時間まで町の散策を再開です。

    バスステーションで教えてもらった12時の便より早いのがないか調べてくれました。私たちもこのgjirafaの時刻表を参考にしましたが、国際線だからか頻繁にはなく、また確実ではないので、バスステーションやバス会社に直接問い合わせた方がいいです。

    時間的にVellezrit Thaqiの11:20発が良いのでそれにします。ただ、この便はPrizrenバスステーションからではなく“Vrrini Market”発らしく、スタッフもよく知らないようで、お願いしてバス会社に電話してもらいました。確認すると、Vrrini Market11:15発とのこと。

    乗る便が決まり、10:30にVrrini Market行きのタクシーの手配もお願いして一安心。荷物をまとめ、時間まで町の散策を再開です。

  • (9:15) 町の裁縫屋さん

    (9:15) 町の裁縫屋さん

  • (9:17) 入れないけど写真はいいって。<br /><br />≪聖ゲオルゲ‐Synod教会≫ 1887年に建てられたセルビア正教会で、鐘楼は1903年建造。敷地内には、15世紀末Runovic兄弟により川の石を使って建てられ、17世紀からのフレスコ画のある同名の聖ゲオルゲ‐Runovic教会も建つ。2005年より改修工事が行われてきれいになった。

    (9:17) 入れないけど写真はいいって。

    ≪聖ゲオルゲ‐Synod教会≫ 1887年に建てられたセルビア正教会で、鐘楼は1903年建造。敷地内には、15世紀末Runovic兄弟により川の石を使って建てられ、17世紀からのフレスコ画のある同名の聖ゲオルゲ‐Runovic教会も建つ。2005年より改修工事が行われてきれいになった。

    聖ゲオルゲ教会 寺院・教会

  • (9:19) 可愛らしい教会♪どっから入れるのか分からず。<br />

    (9:19) 可愛らしい教会♪どっから入れるのか分からず。

    聖ニコラ教会 寺院・教会

    14世紀の可愛らしいセルビア正教会 by なぽさん
  • (9:22) 豆菓子屋さん。よりどりみどり。

    (9:22) 豆菓子屋さん。よりどりみどり。

  • (9:25) 丘腹に見えるのが聖救世主教会。<br /><br />≪聖救世主教会≫ 1330年ころセルビア貴族によって建てられたセルビア正教会。18世紀半ばから1912年までは、もともとバルカン半島の山々を羊飼いとして遊牧していた民族ヴラフ人に使用された。1836年から“聖三位一体教会”と名付けられた大きな教会の建設が始められ鐘楼も建ったが、この拡張工事が完了することはなかった。2004年のコソボ暴動で激しく破壊されてしまう。

    (9:25) 丘腹に見えるのが聖救世主教会。

    ≪聖救世主教会≫ 1330年ころセルビア貴族によって建てられたセルビア正教会。18世紀半ばから1912年までは、もともとバルカン半島の山々を羊飼いとして遊牧していた民族ヴラフ人に使用された。1836年から“聖三位一体教会”と名付けられた大きな教会の建設が始められ鐘楼も建ったが、この拡張工事が完了することはなかった。2004年のコソボ暴動で激しく破壊されてしまう。

    聖救世主教会 寺院・教会

    見下ろすように丘腹に立つ教会 by なぽさん
  • (9:29) また閉まってる。クーポラは42.5m、ブルーの花模様で飾られているらしい。町を象徴する、最も大きくて美しいモスクと言われてるのに見れなくてガッカリ。

    (9:29) また閉まってる。クーポラは42.5m、ブルーの花模様で飾られているらしい。町を象徴する、最も大きくて美しいモスクと言われてるのに見れなくてガッカリ。

    スィナン パシャ モスク 寺院・教会

    町のシンボル by なぽさん
  • (9:32) ここも閉まってるやんか・・・<br /><br />≪Gazi Mehmed Pasha Hamam≫ アルバニア・シュコドラの高官Gazi Mehmet Pashaにより、Bayrakli Mosque、マドラサ、小学校、図書館、霊廟とともに、1563~1574年に建てられたトルコ式浴場。現在では一部博物館になっている。

    (9:32) ここも閉まってるやんか・・・

    ≪Gazi Mehmed Pasha Hamam≫ アルバニア・シュコドラの高官Gazi Mehmet Pashaにより、Bayrakli Mosque、マドラサ、小学校、図書館、霊廟とともに、1563~1574年に建てられたトルコ式浴場。現在では一部博物館になっている。

    ガーズィ メフメット パシャ ハマム(トルコ式公衆浴場) 史跡・遺跡

    オスマントルコ時代の公衆浴場 by なぽさん
  • (9:35) ここはノーチェックだったけど入ってみます。<br /><br />≪Emin Pasha Mosque≫ プリズレン貴族でオスマン帝国高官エミン・パシャにより、1832年に小学校などとともに、規模は小さいがスィナン・パシャ・モスクを模して建てられた。

    (9:35) ここはノーチェックだったけど入ってみます。

    ≪Emin Pasha Mosque≫ プリズレン貴族でオスマン帝国高官エミン・パシャにより、1832年に小学校などとともに、規模は小さいがスィナン・パシャ・モスクを模して建てられた。

  • (9:37) 内壁と前庭は、19世紀ヨーロッパ美術の影響を受けたバロック様式。

    (9:37) 内壁と前庭は、19世紀ヨーロッパ美術の影響を受けたバロック様式。

  • 壁の絵は当時のままらしい。歴史とかよく分からないけど、紫、ピンクのお花がいっぱいで私好み、超可愛い♪

    壁の絵は当時のままらしい。歴史とかよく分からないけど、紫、ピンクのお花がいっぱいで私好み、超可愛い♪

  • (9:47) ここも通りすがりで寄ってみたけど中には入れず。<br /><br />≪Bayrakli Mosque≫ 1563~1574年、ハマムも建設したGazi Mehmed Pashaにより、マドラサや図書館、その他の建物とともに建てられた。彼はここに霊廟も建造したが、彼自身はハンガリーで戦死したためここには葬られていない。中は白い壁にブルーの花で飾られているらしい。プリズレン最大のモスク。

    (9:47) ここも通りすがりで寄ってみたけど中には入れず。

    ≪Bayrakli Mosque≫ 1563~1574年、ハマムも建設したGazi Mehmed Pashaにより、マドラサや図書館、その他の建物とともに建てられた。彼はここに霊廟も建造したが、彼自身はハンガリーで戦死したためここには葬られていない。中は白い壁にブルーの花で飾られているらしい。プリズレン最大のモスク。

  • 左上「1878年6月10日に、このモスクでプリズレン連盟の会合が開かれた」とあります。“プリズレン連盟”とは、オスマン帝国からセルビアが独立したこの年、アルバニア人が、セルビアなど他国からの支配に抵抗しオスマン帝国下での自治権を得るため、この日この地で結成した政治団体。

    左上「1878年6月10日に、このモスクでプリズレン連盟の会合が開かれた」とあります。“プリズレン連盟”とは、オスマン帝国からセルビアが独立したこの年、アルバニア人が、セルビアなど他国からの支配に抵抗しオスマン帝国下での自治権を得るため、この日この地で結成した政治団体。

  • (9:57) 静かで落ち着く場所でした。<br /><br />≪Helvetiye Tekke≫ その名はイスラム神秘主義教団ハルヴェティ創始者Omaru&#39;l-Halvetiuに由来。14世紀の修道僧Otman Babaによってプリズレンにハルヴェティ教団が創設され、その修道場として1835年創建。<br />

    (9:57) 静かで落ち着く場所でした。

    ≪Helvetiye Tekke≫ その名はイスラム神秘主義教団ハルヴェティ創始者Omaru'l-Halvetiuに由来。14世紀の修道僧Otman Babaによってプリズレンにハルヴェティ教団が創設され、その修道場として1835年創建。

    ザ ハルヴェティズ テッケ 建造物

    静かで落ち着く場所 by なぽさん
  • (10:02) 石畳はオーストリア・ハンガリー帝国占領時のものらしい。

    (10:02) 石畳はオーストリア・ハンガリー帝国占領時のものらしい。

  • (10:04) 旅行ガイドなどでよく見る風景♪<br /><br />≪プリズレン城≫ プリズレンに行ったらマスト!絶景が拝める。とみなが言うところ。丘の上にかつての城塞が残り、旧市街から20分ほど、特にサンセット時がお薦めらしい。<br /><br />その歴史は詳しく知られていませんが、最も古い記録では、6世紀のパレスチナ出身・ビザンチン歴史家プロコピオスの歴史書の中で、 かつてのPetrizen城の名で言及されているそうです。第一次世界大戦で破壊されてしまいました。

    (10:04) 旅行ガイドなどでよく見る風景♪

    ≪プリズレン城≫ プリズレンに行ったらマスト!絶景が拝める。とみなが言うところ。丘の上にかつての城塞が残り、旧市街から20分ほど、特にサンセット時がお薦めらしい。

    その歴史は詳しく知られていませんが、最も古い記録では、6世紀のパレスチナ出身・ビザンチン歴史家プロコピオスの歴史書の中で、 かつてのPetrizen城の名で言及されているそうです。第一次世界大戦で破壊されてしまいました。

    プリズレン城 (城塞跡) 城・宮殿

  • (10:08) “PASHTRIKU”というお店でLaylaさんが買ったソーセージ、<br />プリッとジューシーで美味しかった♪

    (10:08) “PASHTRIKU”というお店でLaylaさんが買ったソーセージ、
    プリッとジューシーで美味しかった♪

  • (10:13) 私はこの“Sanremo”というカフェでデザートを物色。美味しそ♪

    (10:13) 私はこの“Sanremo”というカフェでデザートを物色。美味しそ♪

  • (10:17) 赤いソースのかかったチーズケーキ(1.5EUR)をお買い上げ。<br /><br />さて。観光も終えそろそろホテルに戻ります。<br /><br />

    (10:17) 赤いソースのかかったチーズケーキ(1.5EUR)をお買い上げ。

    さて。観光も終えそろそろホテルに戻ります。

  • (10:26) コソボ、見納め。

    (10:26) コソボ、見納め。

  • 10時半過ぎ、予約していたVrrini Market行きのタクシーで出発。<br />“千の窓の町”アルバニアのBeratへ!<br /><br />

    10時半過ぎ、予約していたVrrini Market行きのタクシーで出発。
    “千の窓の町”アルバニアのBeratへ!

  • 歴史と神秘を感じる荘厳なフレスコ画、穏やかな修道士さん、<br />緑の中に建つデチャニ修道院がステキでした。<br />立ち並ぶシュールなマネキンたち、妙に懐かしい景色のGjakovaも<br />なぜかすごく気に入ってしまいました。<br />コソボ、駆け足の弾丸旅でしたが満喫♪<br /><br />超~~~長編、読んで下さり大感謝!<br />本当にありがとうございました。

    歴史と神秘を感じる荘厳なフレスコ画、穏やかな修道士さん、
    緑の中に建つデチャニ修道院がステキでした。
    立ち並ぶシュールなマネキンたち、妙に懐かしい景色のGjakovaも
    なぜかすごく気に入ってしまいました。
    コソボ、駆け足の弾丸旅でしたが満喫♪

    超~~~長編、読んで下さり大感謝!
    本当にありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • フィーコさん 2021/08/18 22:42:08
    タクって移動♬
    なぽさん こちらでもこんばんは♪

    コソボ、アルバニア Laylaさんと行かれたのですね。現地集合!現地解散!ええなぁ。

    物価が安いようでタクシーもホテルもリーズナブル~
    ご飯も美味しそうだし。

    コソボ、全然知らなくって6つの民族なんだ。
    セルビアの飛び地もある。
    セルビア正教会やモスクが混在。
    お勉強させて頂きました。

    聖ミカエル教会もあるの?ミカエルさん降臨したんだ。
    大天使ミカエルさんは人類が困ったことあったら降りて来てくれるらしいのだけど コロナなのに来ないのかなぁ?

    マネキンさんにハマったなぽさん。
    写真撮りまくり~
    夜暗くなったらちと怖そうやね。

    千の窓の町ベラト、行ってみたいです。

    フィーコ

    なぽ

    なぽさん からの返信 2021/08/21 09:28:16
    RE: タクって移動?
    フィーコさん、おはようございます〜♪

    いつもどうもありがとうございます!<(_ _)>

    > コソボ、アルバニア Laylaさんと行かれたのですね。現地集合!現地解散!ええなぁ。

    着けば一緒だ、と思えて凄く心強く
    久々の再会でもあったのでめっちゃ楽しみ〜で
    無事会えるか・・とちょっとドキドキ・・☆

    > 物価が安いようでタクシーもホテルもリーズナブル?
    > ご飯も美味しそうだし。

    ホント、安いんです!
    普段はタクシー使いませんけど、
    時間の節約にもなるし超快適でした〜♪

    > コソボ、全然知らなくって6つの民族なんだ。
    > セルビアの飛び地もある。
    > セルビア正教会やモスクが混在。
    > お勉強させて頂きました。

    そうなんですよ、
    コソボについては何回も勉強したんだけど
    ややこしいわ、すぐ忘れるわ、で・・(ーー;)。
    ここでたまに読み返しては復讐できて、
    4トラって有り難い!
    >
    > 聖ミカエル教会もあるの?ミカエルさん降臨したんだ。
    > 大天使ミカエルさんは人類が困ったことあったら降りて来てくれるらしいのだけど コロナなのに来ないのかなぁ?

    ここ、たしか閉まってた・・?
    中の壁画もほとんど残ってない・・?
    とかで行かなかったのです。
    ミカエルさん、お会いしたかったわぁ(´艸`*)♪

    > マネキンさんにハマったなぽさん。
    > 写真撮りまくり?
    > 夜暗くなったらちと怖そうやね。

    マネキン天国!
    ホントめっちゃハマってしまいました(≧◇≦)
    これだけお店が並んでると夜も
    意外ににぎやかなのかな・・?
    それとも小さい村だし早く閉まって
    閑散とするんやろか・・
    フィーコさん、もし行ったら見て来て!
    プリズレンは夜すっごくにぎわっていて
    ビックリしたのでした。
    >
    > 千の窓の町ベラト、行ってみたいです。

    小さい町だけど、私はあの夜景がスキ♪
    ぜひ私たちが行けなかったあのレストランで
    ホームメイドワインを飲んで来て〜!

    ではまた〜(@^^)/~
    なぽ
  • aoitomoさん 2019/06/10 23:23:56
    オスマン朝時代にトリップ!\(◎o◎)/!
    なぽさん こんばんは~

    コソボの旅、なぽさんの旅にはいつも驚かされます。
    コソボと言えばコソボ紛争というキーワードが飛び出してきて、
    フリー旅なんて想像もつきません。
    ツアーだってまだまだほとんど日本からは少なく料金も高いんですよ。

    世界遺産のグラチャニツァ修道院など、ビザンチン建築がたくさんあって、
    私も、この時代のフレスコ画がたくさん残っているのが貴重ですね。
    私はこの時代の宗教画が結構好きです。
    一方で、政情の不安定さで危機遺産登録されているのも心配でもあります。

    マザー・テレサ大聖堂も見れたのですね。
    入れなかったのは残念でもありますが、
    色々散策されているのには驚きます。

    そしてプリズレンの散策にも憧れます。
    ここにもオスマン朝時代の遺物が多く、興味深いんですよね。
    修道院のフレスコ画など私も直に見てみたいです。

    デチャニ修道院の中も凄かったです。
    感動しましたよ~

    aoitomo

    なぽ

    なぽさん からの返信 2019/06/11 02:06:28
    Re: オスマン朝時代にトリップ!\(◎o◎)/!
    aoitomoさん

    こんにちは~(@^^)ノ
    我ながらうんざりするほどの長編を読んで下さり
    本当にありがとうございます。<(_ _)>

    息子の友達のコソボ人家族に出会ったことや
    仕事で2度行ったことのある義母から話を聞いたりして、
    今までも何度か国や歴史について調べてみたり
    興味があったことはたしかなんですが、
    私もなんとなく怖い・・というイメージがずっとありました。
    ダンナの従妹の元カレがコソボ人だったんですが、
    その人がけっこう暴力的な人だったりもして(苦笑)。
    でも今回いろいろ調べていると
    治安に関しては全く問題ないとのことで、
    実際夜にブラブラしたのはプリズレンくらいですが
    本当にその通りで全然大丈夫でした。
    問題が起こりそうな世界遺産のセルビア正教会周辺は、
    NATOの治安部隊が警備していますし。

    ただ、最終的にコソボを行先に選んだのは、
    航空券が安かった、というのが1番の決めてでしたが(笑)。
    実際コソボに行く日本人はまだまだ少ないだろうと思いますが、
    物価がすごく安いのに、ツアー料金が高いというのは意外でした。

    マザー・テレサ大聖堂ですが、
    今回はここも含めてほとんどの教会やモスクが閉まっていて
    見ることができず残念でした。
    セルビア正教会の修道院のフレスコ画は、
    聞いていた通り本当に素晴らしかったです(特にデチャニ修道院)。
    今回の目的は世界遺産のセルビア正教会を巡ることで、
    時間も短くコソボをゆっくり見ることが出来なかったので、
    次の機会があればバスで東南ヨーロッパをゆっくり周って
    フレスコ画もじっくり時間をかけて見直したいです。

    aoitomoさんもいつかぜひ時間をゆっくり取って
    フレスコ画を見に行って下さい!
    私たちも時間節約のため今回よく利用しましたが、
    コソボはタクシーも安いですし
    フリー旅行でも全然大丈夫だと思います(^_-)b

    ではでは~またどうぞヨロシクお願いします♪
    なぽ
  • バモスさん 2019/06/08 06:24:17
    コソボ
    なぽさんへ

    おはようございます
    コソボへ行かれてたのですね
    標識に日本語まであり、テレビで見ましたが
    日本人の観光客誘致にもコソボは力をいれていると。
    こうゆう文明の混ざり合う地域は、悲しいですが紛争もありますが
    魅力的ですね。

    お義母さまの取材に行かれた際の、子供の笑顔が印象的です。
    戦争の傷跡が残るなか、子供の笑顔に救われますね。
    内戦終結後のニカラグアへ行った時、廃墟の中でも
    きらきら光る子供たちの笑顔に救われたのを思い出しました。

    大作ありがとうございました。
                        バモス

    なぽ

    なぽさん からの返信 2019/06/09 00:35:17
    Re: コソボ
    バモスさん

    お久しぶりです~こんにちは♪(*^^*)ノ
    申し訳なくなるほどの長編旅行記を見て下さり、
    本当にありがとうございます。

    そうなんです、いろいろ混ざり合い複雑で
    地理も歴史も苦手だし頭がこんがらがりました。
    今回は時間が短すぎたし、目的はセルビアの修道院の観光。
    コソボを見知ることは正直あまり出来ませんでしたが、
    それでもコソボとセルビアの複雑な歴史や事情を
    少しでも学ぶことが出来たのは有意義でした。

    コソボの日本人観光客誘致について、
    私もいろいろ調べながら知りました。
    日本人でコソボに行く人はまだあまりいないと思いますが・・
    物価も安いし治安も問題なく、地続きでいろいろ周れるし、
    機会があればもっとゆっくりフレスコ画も見たいし、
    時間をかけてのんびりバスででも東南ヨーロッパを周りたいです。

    義母さんの写真のあの子供の笑顔を見た時、
    私はバモスさんの・・イエメンだったのですね、
    コメントの写真を思い出しました。

    それと!モスクワのトレチャコフ美術館のクチコミも
    読ませていただきました。
    2枚目の写真!( *´艸`)スルタンに手紙を書くコサック!!
    私にとってはかなりのインパクトです、笑わせてくれます。
    なにか悩みや悲しいことがある時に、
    見に行かせていただきますね(笑)。

    ではでは~またヨロシクお願いします♪
    なぽ

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