2019/10/14 - 2019/10/14
12位(同エリア399件中)
なぽさん
10月にダンナと2人でポーランドに行って来ました。
1番の目的はアウシュヴィッツ博物館、そしてヴィエリチカ岩塩坑、
あとは気の向くままブラブラ。充実した3日間でした。
10/12(土) 23:15クラクフ・バリツェ空港着、夜中にホテル到着
10/13(日) 午前中ヴィエリチカ岩塩坑、午後クラクフ旧市街散策
10/14(月) お昼からアウシュヴィッツ博物館、夜はショパン・ミニコンサート
10/15(火) ヴァヴェル城、ユダヤ人地区、クラクフ旧市街散策
10/16(水) 朝ゆっくりしてブランチ、そしてお昼帰国
いつか行かなければと思っていた。
アウシュヴィッツ博物館は、眩しい太陽の下、
清々しい空と緑に包まれていました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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(9:00) おはようございます♪
人気店らしく、オープンと同時に来ました。
ここで朝ごはんを食べ、
11:10発のアウシュヴィッツ行きのバスに乗ります。カフェ キャメロット カフェ
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(9:01) 1番乗り。ステキ。
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可愛らしい店内♪
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(9:21) オムレツが食べたいけど昨日は巨大すぎて気持ち悪くなってしまったし・・で、人気のアップルパイを注文。でも結局、ルッコラ好きの私はダンナのオムレツが超気に入って・・どっちも美味しい♪計51.50zl。
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(9:57) 悲壮感漂わせつつなんか愛嬌のある“最後の晩餐”
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(9:57) 窓際に特等席。お店は意外に空いてました。
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(10:01) ここ、いつも人だかりが出来てます。ジェラートが人気かな。
<Góralskie Praliny Coffee & Desserts>
https://goralskiepraliny.pl/en/Goralskie Praliny スイーツ
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(10:01) バスの中で食べようとこの揚げドーナツを2個購入。ポーランドの揚げドーナツ、“ポンチキ”というらしい。
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(10:25) flying tiger、見るの楽しい♪
フライング タイガー コペンハーゲン (クラクフ店) その他の店舗
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(10:41) バスターミナルに行く途中またここを通ります。気持ちイイ♪
フロリアンスカ公園 広場・公園
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(10:51) 駅を通り抜けます。いろんなお店が並びます。
クラクフ本駅 (クラクフ中央駅) 駅
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(10:54) バスターミナルです。15分前には着いてたかったんだけど・・ギリギリ。
右奥のチケット売場に並んだんですが、ここでの購入は出発15分前までだって。階段を上って右奥のバス乗場に急ぎ、運転手さんから直接買って乗り込みます。席は半分くらい埋まってる感じでした。
≪アウシュヴィッツ博物館への行き方≫
まずAuschwitzはドイツ語で、ポーランド語では“Oswiecim”オシフィエンチムです。博物館へはバスと電車で行けますが、電車は本数が少なく、しかもOswiecim駅からタクシーまたは徒歩で20分ほどもかかるらしく、私たちはバスにしました。中央駅東口MDAバスターミナルからLajkonikバスで所要時間1:25、15zl。Oswiecim行きの終点で降りてすぐです。
<Lajkonikバス>
https://www.lajkonikbus.pl/
時刻表を確認できます。Oswiecim行きは6:20発から19:45発まで、帰りは5:45発から19:15発まで毎時1~2便(2019年10月現在)。チケットは、出発15分前までならチケット売場にて、それ以降は運転手から購入。
<PKPポーランド鉄道時刻表>
https://www.pkp.pl/pl/homeMDA バスターミナル (クラクフ) バス系
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(12:19) ポンチキ、美味しい♪
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12:40頃到着。
<アウシュヴィッツ博物館>
ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に行ったホロコーストの象徴“アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所”跡に1947年に開設された。ナチスが造った最大の強制収容所で、アウシュヴィッツ第1収容所、第2ビルケナウ収容所、第3モノヴィツェ収容所(その後独立)の3つで構成され、ピーク時の1943年には全体で14万人もの収容者がいたという。当初はポーランド政治犯を収容する目的で、1940年5月元ポーランド軍兵営の宿舎を利用して第1収容所開所、1941年10月第2収容所建設、既に第1収容所にあったガス室以外に、第2収容所に1943年に4棟、その後さらに2棟のガス室が造られ1944年11月まで稼働。1945年1月27日、ソ連軍により解放。1940年から1945年の間に移送された人々の数は最低でも130万人と推定され、そのうち110万人が亡くなったと言われている。オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物
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私は日本人ガイド中谷剛さんにお願いして13:00に、ダンナは13:30の
仏語ガイドツアーを予約しています。
<中谷さんへの予約方法> 中谷さんは博物館唯一の公認日本人ガイド。
直接メールで問合せ、中谷さんの都合のいい日時を伺い予約しました。
入館案内料は80zl または20EURで、中谷さんに直接お支払いしました。
中谷剛さんの連絡先:tnakatani1966@icloud.com
出発2週間前に、「10月13~15日にクラクフに滞在予定で、ぜひアウシュヴィッツ博物館に伺いたい。一緒に行く夫は仏語ガイドを希望しているが、私は出来れば中谷さんにガイドをお願いしたく、もし都合の良い日があれば教えていただけますか」とメールを送るとすぐに返事をくれ、おそらく気を利かせて仏語ツアーと近い日時を提案してくれました。とても親切で誠実、そして博識な方です。直接待ち合わせしてチケットはなし。
<アウシュヴィッツ博物館サイト>
http://auschwitz.org/en/
英語やその他の言語のツアー(60zl)はこちらから。無料のガイドなしの予約も出来るみたい。プリントしたものがチケットとなるようです。
※A4用紙以上の大きさのかばんは預けないといけません。 -
(13:01) ここで待合せ。遅れて来られる方がいて待っています。
中に入ると売店、地下にトイレ(2zl)があります。 -
(13:01) 早朝ならガイドなしで無料で周れるらしく、ここがたぶんその無料チケットをゲットできるカウンターかな。
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(13:05) 仏語ツアーはここに並んでいました。
13:15頃入館、荷物のチェックを受け、オーディオガイドをもらってツアー開始。25人くらいのグループでした。写真は一部(第1収容所のガス室や第11ブロックの地下、犠牲者の髪など)撮影禁止です。
(帰ってから中谷さんから伺ったこと以外に自分でもいろいろ調べましたが、聞き間違いや勘違いがありましたら申し訳ありません) -
(13:23) あまりにも有名な入口『働けば自由になる』
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第1収容所は約30の施設からなり、平均して13,000~16,000人、多い時で1942年に2万人が収容された。
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(13:26) 中谷さんについて、まず第4ブロック『殲滅』へ。
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(13:32) 1944年5~6月には、ハンガリーから44万人のユダヤ人が連行されました。“移住”のためと信じて。
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(13:35) 1941年、収容所初代所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスによる初めてのチクロンB毒ガス実験で、600名のソビエト捕虜が実験台として殺された。ここに送られた15,000人のソビエト捕虜のうち、最後の点呼で生き残っていたのはわずか92名だったとか。
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(13:37) テッサロキニ、ブダペスト、アムステルダム、ヴュルツブルク・・各地から追放され収容所に送られる人々。その出身国は28にも及ぶという。
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(13:41) 貨車で移送される人々。時には1週間以上も、窓も電気も食べ物もスペースもトイレもなにもない中で・・。着いた時には既に亡くなっていた人も多くいたのだそうです。
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(13:41) 選別 ー強制労働か、死か。
これらは1944年にハンガリーからユダヤ人が移送されて来た時、SS(ナチス親衛隊)のカメラマンが撮った200枚の写真の一部。到着したらすぐに、SSの医師により労働かガス室行きかに分けられました。老人、女性、子供(14歳未満とか身長120cm以下とか)など70~75%の人が価値なしとされ直接ガス室へ。人体実験の材料にされた人も。 -
(13:42) 選別のための列
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(13:44) ガス室へ向かう人々
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(13:45) 選別の後
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(13:45) ハンガリーから移送されSS医師により選別されている場面について、別のグループのガイドが説明しています。
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(13:49) 1943年3月から1944年11月まで稼働していた、第2収容所のガス室と焼却炉の模型。左端が、地下の脱衣場への入口です。
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(13:49) シャワーのため服を脱ぐよう言われ、右の地下ガス室へ。広さ210㎡、1度に約2000人も入れたそうです。中央に建つのが焼却炉。
ガス室の天井の穴からチクロンBが投げ込まれます。遺体の髪を刈り、金歯や指輪を抜き取ると、1階の焼却炉へ。 -
(13:50) 毒ガスを発するチクロンBの空き缶。1缶で150人、15分~20分で窒息するそうですが・・どれほど長く苦しいことでしょうか・・・・
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(13:55) 犠牲者から没収した持ち物の仕分け。SS隊員が使ったり、ドイツに送られました。
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(13:56) ブロック1~10は、高い壁で男性収容者キャンプと隔てられ、1942年3月下旬から8月中頃まで女性収容者キャンプとなっていた。
約17,000人の女性がドイツやその占領下の国々から移送され、数千人がガス室、飢餓、伝染病、強制労働などで亡くなった。 -
(13:56) 次は第5ブロック『犯罪証拠』
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(13:57) 没収された品々
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(13:59) ユダヤ教の祈祷着(祈る時肩にかける布)
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(14:00)
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(14:00)
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(14:01) 障害者も収容されました。
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(14:02) 1つ1つに持ち主があり、家を追われてこれをここまで持って来た、それぞれの思いや歴史が・・・・
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(14:04)
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(14:07)
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(14:05)
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(14:06)
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(14:08)
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(14:08) ニベアの缶もある・・一気に身近に感じた瞬間でした・・・
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(14:09) 中谷さんのガイドは淡々と続きます。
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(14:09) かつて先輩ガイド ーホロコーストの生還者ー が涙も流さず淡々と話す姿を見て感動し惹かれ、見習われているそうです。
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(14:09) 外はきれいな青空で。私はここまで来てもまだ、あんな事がここで起こったとは信じられません。
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(14:09) 第6ブロック『囚人の生活』
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(14:13) 短期間で痩せ衰えて人相も変わるため、1943年の春以降大量に移送されて来たユダヤ人たちは写真も撮られなくなり、囚人番号を刺青されるようになりました。
しかし大部分のユダヤ人は登録も囚人番号もなく到着後すぐにガス室に送られ、なんの記録も跡形も残されずに消滅させられてしまいました。そのため、正確な犠牲者数を知ることが難しくなっています。 -
(14:16) ユダヤ人以外にも政治犯、ジプシー、ソビエト捕虜、同性愛者、犯罪者、エホバの証人なども収容され、囚人服にそれぞれのカテゴリーのバッチが縫い付けられました。
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(14:17) 服はこれだけ。下着も洗濯できず、数週間、数ヶ月ごとの交換。
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(14:17)
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(14:18) 解放された2歳くらいの子。人体実験に使われたんでしょう・・国籍だけでなく性別も不明って・・・・
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(14:20) 1日の食事の1例。腐った野菜で作ったスープ、わずかなパンとマーガリン、コーヒーと呼ばれる飲み物。
監視(カポ)や遺体処理(ゾンダーコマンド)などをさせられていた収容者は待遇が良かったり、属するカテゴリーによっても差があったそうです。
≪カポ、ゾンダーコマンド≫
カポとは、主にドイツ人囚人から選ばれた収容者の監視役。SSに協力的で残虐なリンチや刑罰を収容者たちに与えた。ゾンダーコマンドとは、主に遺体処理をするために編成された労務部隊。口封じのため定期的に入れ替えられ、新人ゾンダーコマンドの初仕事が前任者の処理だったとか・・・ -
(14:12) 収容されるとまず伝染病対策のため髪を刈り、シャワーを浴びせ消毒、囚人番号を付けて登録。その髪を刈るのも収容者で、ドイツ人は手を汚さない。
この絵を描いたのは、ここに1940年に収容され生き延びたポーランド人芸術家Władysław Siwek(囚人番号5826)で、ナチス、ドイツ軍将校など多くの絵を描き、後にアウシュヴィッツ博物館の館長も務めました。 -
(14:21) 起床、1941年に逮捕されここに送られたポーランド人画家Mieczysław Kościelniak(囚人番号15261)が、収容者の日常生活を描いた絵が他にも300点ほど展示されています。
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(14:21) 浴室などなく、わずかな水で体を洗う様子でしょうか。
Mieczysław Kościelniak -
(14:22) 朝食、Mieczysław Kościelniak
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(14:22) 強制労働への行進、Mieczysław Kościelniak
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(14:23) 労働 - 木材の運搬、Mieczysław Kościelniak
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(14:23) 労働 - 手押し車、Mieczysław Kościelniak
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(14:23) 労働からの帰還、Mieczysław Kościelniak。殺されたり亡くなった仲間の遺体を担いで戻って来たそうです。
≪アウシュヴィッツの音楽隊≫
この施設が人道的に運営されているように見せかけるため、また、行進させて人数確認を容易にするため、収容者による音楽隊が組織されていた。SS将校のために演奏もしたり、奏者は特別な待遇を受けられた。 -
(14:23) 夕食の配給、Mieczysław Kościelniak
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(14:24) Władysław Siwekによる、1942年の聖金曜日の光景。1人に有刺鉄線の冠を被せシャベルを持たせ運ばせて見世物にし、ポーランド人司祭、弁護士や科学者、ソビエト捕虜を含む58人の収容者が殺害された。ポーランドの国民や教会の祝日に、収容者を特に残虐に扱ったそうです。
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(14:24) 夜、Mieczysław Kościelniak
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(14:26) ジプシーの子供たち。“死の天使”と恐れられたSS医師ヨーゼフ・メンゲレによる人体実験の犠牲者。収容者をモルモットと呼び、想像を絶する数々の実験を繰り返した。
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(14:27) 1945年1月27日解放。(ソ連軍カメラマン撮影)
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(14:27) 7000人のうち300人以上が子供でした。
≪心に残る生還者 ーこの写真に写るエヴァ・コールさんの言葉≫
両親や姉たちを亡くし、10歳の双子の姉妹とともに人体実験されながらも生き延びて、それでも後にナチスを許すと宣言した、エヴァさんの言葉。
https://www.quora.com/What-is-Holocaust-survivors-advice-for-Germans-on-how-to-deal-with-their-countrys-past# -
(14:30) 『死のブロック』と呼ばれた第11ブロックへ。
このブロックは収容所の刑務所の役割を担い、収容者は地下の監獄に入れられ、簡易裁判所では形だけの裁判が行われて、2~3時間の公判中数十から百数十の死刑判決が下され、死の壁で執行された。 -
(14:33) SSブロック当直兵の勤務室。日々の囚人、労働の監督、配給などを担当し、簡易裁判所での判決を執行、チクロンBでの処刑も行っていたそうです。
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(14:34) 最初このような寝床に藁布団だったのが、のちに3段ベッドに代わり各段2人ずつ寝かされていました。
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(14:34) カポの部屋
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(14:35) 処刑を担当していた収容者の部屋。好待遇です。仲間同士で団結させないよう、反目させるために一部の収容者に差をつけるのです。
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(14:35) 女性が死の壁での銃殺刑の前に裸にされた洗面所。人数が少ない時には、ここで処刑が済まされることも。
そして地下には飢餓牢、立ち牢などの牢獄があります(撮影禁止)。また、1941年7月末に脱走者が出たためその罰として無作為に10名が選ばれ餓死刑に処せられることになった際、カトリック教会のマキシミリアン・コルベ神父が申し出てそのうち1人の身代わりとなり殺された牢も。同じ年の9月、ソビエト捕虜600名とポーランド人250名が初めてチクロンBでの集団殺人実験で殺害されたのもこの地下でした。 -
(14:42) 『死の壁』(復元されたもの)
右の第11ブロックから裸で引き出され銃殺されました。
青と白の旗は、囚人服を表わしているそうです。 -
(14:42) 逃亡者やレジスタンス活動を行った、主にポーランド人の数千人が殺されました。反ナチ運動の象徴、白いバラも手向けられています。
≪白いバラ≫ 白バラ抵抗運動とも呼ばれ、第二次世界大戦中ミュンヘンの大学生が起こした非暴力主義の反ナチ運動。ハンスとゾフィー兄妹を筆頭に1942年ナチス批判のビラを配り逮捕され、裁判では弁護士も弁護どころか彼らを非難、翌年2月22日“死の裁判官”ローラント・フライスラーにより国家反逆罪で死刑判決を下され兄弟は即日ギロチンにかけられた。
左には、SS医師により人体実験が行われた第10ブロックが建ち、
処刑が見られないよう窓が木で覆われています。 -
(14:45)
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(14:50) 点呼広場にある集団絞首刑台(復元されたもの)
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(14:50) 1943年7月19日、外部と連絡を取り3人の収容者の脱走を手伝ったという容疑で、12人のポーランド人が絞首刑となった。
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Mieczysław Kościelniakが1972年に描いた当時の点呼の様子。
点呼は、1944年には約10万に達したとかで、数時間、時には十数時間にも及び(1940年7月6日には19時間)、収容所での苦行の一つでした。 -
(14:52)
「涙を流すより、考えてほしい。」
ーアウシュヴィッツからの生還者で元博物館館長
カジミエシュ・スモレンさんの言葉 -
(14:56) 監視塔には銃を持った監視兵が立ち、
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(14:58) 高圧電流の流れる有刺鉄線が二重に張り巡らされる。
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(14:58) 絶望のあまり、自ら触れて自殺する人もいたそうです。
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(15:00) 初代所長ルドルフ・ヘスの絞首台。1947年4月2日にポーランド最高人民裁判所より死刑を宣告され、4月16日、ここで絞首刑に。
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(15:00) 目と鼻の先には彼の家(左)。子供にとっては優しく良き父であったらしく、囚人を含む多くの召使いと共に、囚人から巻き上げた品で飾られたこの家で、平和で贅沢な暮らしをしていたそうです。2階からは、収容棟、クレマトリウムやその煙まで見えたのだと言う・・・
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(15:07) 最初に造られた“クレマトリウム(ガス室と焼却炉)”で、1940~1943年まで使われ、1度に数百人を殺害しました。(ガス室は撮影禁止)
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(15:06) 復元された焼却炉。遺体の処理は収容者(ゾンダーコマンド)の仕事でした。SS隊員はチクロンBの缶をガス室の穴から投げ込むだけ。手を汚すことなく罪悪感を感じることもないのです。
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(15:08)
「過去を忘れる者は、過ちを繰り返す」
ースペイン出身のアメリカの哲学者・詩人
ジョージ・サンタヤーナ
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(15:12)
第1収容所の見学終了。
少し休憩して、シャトル・バスで第2収容所へ向かいます。 -
2つの収容所は3kmほど離れており、無料のシャトル・バスで5分ほど。今は10分おきに出ています(季節・時間帯によって変わるみたい)。
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(15:47) 『死の門』第2収容所正門。門の上はSS中央監視塔。
ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡
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左下に死の門、そこから引込み線が伸びその尽きるところに追悼記念碑、その左右にクレマトリウム跡。引込み線の右はほとんどが破壊された木造バラック、左がレンガ造りのバラック。
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(15:51) 案内してもらったのは、上の地図の引込み線から左側の区域。死の門をくぐって線路上を歩きます。
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この引込み線は1944年5月に完成。
≪心に残る生還者 ーアイリーン・ワイスさんの言葉≫
5月中旬、13歳でまさにここで選別を受け、両親と4人の兄弟を失いながらも姉と生き延びたアイリーンさんの言葉。
https://youtu.be/ayN-IhDYBBQ -
(15:51) ここはナチス・ドイツ占領下ヨーロッパのほぼ中心にあり、ヨーロッパ中からこの線路が繋がっていました。
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(15:53) とにかく広い。総面積は1.75平方Km(東京ドーム約37個分)で、300以上のバラックが建てられたが、撤退するSS隊員によって焼かれたり破壊され残るのはレンガ造りの45棟と木造バラック22棟。
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(15:54)
「あなたたちに責任はない。
しかし、同じ過ちを繰り返さない責任はある。」
ーアウシュヴィッツの生還者で元博物館館長
カジミエシュ・スモレンさんから若い世代への言葉 -
(15:59) 移送に使われた貨車。もともとは家畜用。これに60~70人乗って来たとか・・・
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(15:59)
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(16:00) 到着した収容者は、この荷下ろし場でまず男女別に、それからさらに労働かガス室行きかに選別されました。
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(16:06) この第2収容所には計6棟のガス室があったそうですが、1044年10月7日の収容者(ゾンダーコマンド)による反乱や、ナチス撤退時の証拠隠滅のための爆破などで今は残骸しか残っていません。
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(16:07) 1967年に建てられたナチス犠牲者の国際追悼記念碑
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A-ガス室への入口、C-地下脱衣場、D-地下ガス室、E-チクロンBを投入するための穴、F-5つの搬入口から成る焼却炉、G-SS医師ヨーゼフ・メンゲレの解剖室、H-煙突、 I-遺灰を処分するための穴、J-遺灰が撒かれた場所、K-ガス室に送られたユダヤ人から没収した書類などを処分するための焼却炉、L-クレマトリウムへのゲート、M-下水処理場、N-収容者が到着するホームと引込み線
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(16:15) 地下脱衣場の跡。右奥に入口の階段。
レンガの上の小石はユダヤ人の人たちが置いたものでしょうか。彼らにとってここは犠牲者の方々のお墓であり、墓石の上に石を置くのは死者を敬う意味があるそうです。
映画『シンドラーのリスト』のラストシーンでも出て来ました。来る前に観ましたが、理解が深まりとてもよかったです。 -
(16:15) クレマトリウム跡
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(16:17) 焼却炉跡でしょうか。
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(16:18) かつての焼却炉
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(16:22) 右にクレマトリウム跡、そして左奥辺りの遺灰が撒かれ場所には慰霊碑が建てられています。
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(16:25) 木造バラックの跡にはレンガの煙突だけが残る。
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(16:26) ここに300ものバラックが建ち、1944年には収容者が9万人以上にもなったとか・・・
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フランス人犠牲者の追悼記念碑
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(16:34) 次に来たのは、1942年8月から女性収容者用だった区域。アンネ・フランクも2ヶ月ほどこの第29棟に収容されていたそうです。
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(16:35) 13棟がポーランド人子供用、25棟はガス室送り決定の女性が収容された『死のブロック』、28棟の“診療所”ではここで生まれた赤ちゃんまでが心臓に注射されて殺され、30棟は断種実験に、31棟はSS医師ヨーゼフ・メンゲレによる人体実験用のための子供を収容。恐ろし過ぎる。
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第1収容所が手狭になったため、もともと馬小屋だったり基礎工事なしで建てられたりと非常に粗末な作りで、雨の日には床がドロドロになり、燃料は供給されず暖房のない冬はマイナス20度まで下がったり、ネズミも大量発生したり・・・・
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トイレは一枚板にたくさんの丸い穴を開けただけのもので仕切りもなく、1日2回朝・夕みな一斉に、時間も1人数十秒と制限されていたらしい。
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(16:50) 子供用のバラック
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(16:48) 子供たちのために収容者の画家に描かせたという絵
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(16:48) 1段に5~6人ほど押し込まれ、板に腐りかけた藁を敷いて汚く薄っぺらい麻布を被って寝る。
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(16:48)
≪心に残る生還者たちの言葉≫
ドキュメント=ホロコースト生存者の証言
https://youtu.be/8S7eetmh7Tc -
(16:48)
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(16:54) ツアーを終え中谷さんにお礼を言ってお別れします。
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(17:01) 第1収容所行きの時刻表
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(17:09) 17:10発に乗ります。
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(17:16) 第1収容所着。左が第2収容所行きの無料シャトル・バス、右がクラクフMDAバスターミナル行きLajkonikバスの時刻表です。
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バス停のすぐ隣にあるSnack Barでホットドック購入。
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ベンチに座っていただきます。
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(17:19) まぁまぁ。でもお腹空いた時に食べられる、幸せなことだな。
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(17:27)
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バス停です。17時45分発、19時10分着のLajkonikバスに乗車。
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(19:14) MDAバスターミナル着。19:30にショパンのミニ・コンサートを予約しているので急ぎます。
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(19:24) 通りすがりに・・お城?!
<ユリウシュ・スウォヴァツキ劇場>
パリのオペラ座などヨーロッパ最高のバロック様式の劇場をモデルに1893年に建てられ、その名はポーランドの詩人・劇作家ユリウシュ・スウォヴァツキにちなんで名付けられた。お城のように美しい建物で、現在でもコンサートやオペラを鑑賞できるそうです。スウォヴァツキ劇場 建造物
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ギリギリ間に合いました。建物が分かりにくかったですが、住所を確認して3階だったかな、階段を上がったら入口で係のおじさまがウェルカムドリンクを用意してくれていました。部屋は小さくてアットホームな感じ。
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(19:34) 予約を確認後シャンパンをいただき着席。演奏前に、先ほどのおじさまからショパンの生涯について短く説明があります。
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プログラム。聞いたことのある曲が2~3曲、迫力ある演奏です。
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(20:37) 気軽に行けて1時間ほど、とても良かったです。
<ショパンコンサート・グラスワイン付>
https://cracowconcerts.com/chopin-concerts/
65zl、19:30から1時間ほど。Booking.comで宿を予約したら、10%offになりました。小さい部屋で、自由席なので早めに行った方がいいかも。 -
21時に予約していました。
<Bianca>
https://biancaristorante.pl/en/ -
たしかミシュランにも載るお店だけどとても入りやすい雰囲気。
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エビのガーリック&白ワイン42zl、ブラータチーズ38zl、シーフードスパゲティー52zl、チョコレートケーキ28zl、ビール16zl、コーヒー12zl、計295zl。どれもすごく美味しかったです、とろ~りのブラータチーズが最高でした。
明日は気の向くままただブラブラするつもりです。おやすみなさい。 -
子供の手をギュッと握る母。どんなに怖くて無念だったろう・・・・
≪アウシュヴィッツまで来て ー全くまとまらないもろもろ雑記帳≫
結局ここまで来ても、私には信じられないし分からないのです。
ただ、なぜこんなことが起こったのか、なぜ人間はこれほどまで残虐になれるのか、私ならどうしただろう、私になにか出来るのか、今なにをすべきなのだろう、とそればかり考えました、そして、「今日はもやもやした気持ちで帰られることになるでしょう」と中谷さんから言われた通り、答えが出ないままもやもやと・・そして今もまだ問い続けています。これから中谷さんから薦められたヴィクトール・E・フランクル著「夜と霧」を読みますが、他にも考えさせられる言葉をいくつか。
元収容所所長で後に絞首刑に処されたヘスは、「自分は神聖なヒトラーの命令を実行しただけだ」と。そんなヘスにも家族があった。家庭を大切にする、子供たちにとっては優しくていいお父さんだったという。ヘスの娘は言う、「父のしたことは許されないこと。でも父がやらなければならなかった、私たち家族を守るために。それに代わりの人間はいくらでもいたわ、たとえ父がしなかったとしても他の誰かがやっていたでしょう」
彼が子供たちに書いた最後の手紙にて。「母を全力で助け大事にするように」と繰り返し、長男には「(自分が犯した人生最大の過ちのごとく)なんでも鵜呑みにして信じ受け入れるのではなく、自分で責任を持って考え判断するよう学びなさい。人生から学び、しっかり目を見開いて歩め。一方的にならず賛否両論熟考し、心の声に耳を傾けるのだ」
2017年に106歳で亡くなった、当時のナチス宣伝大臣ゲッベルスの元秘書は、「今の人はよく言うの、あの体制から自分なら絶対逃げた、と。
でも無理、あの体制から逃れることは絶対に出来ない」「何も知らなかった、私に罪はない」「罪があるとするなら、私もその1人だが、それは
ナチスに政権を委ねたドイツ国民全員だ」ゾフィー・ショルについては
「何もしなければよかったのに、黙っていれば死なずに済んだのに」
そうなんだ、彼女は生きるために口を閉ざし何もしなかった、“傍観者”
だったんだ・・・でも私は彼女を責められないと思う、私でもきっと、
自分や家族が生き延びる方を選んだのだろう・・・・
数百万のユダヤ人を強制収容所に送り込んだ虐殺の責任者アイヒマンも、逃亡の末捕まって「命令に従っただけ」と無罪を主張した。この“アイヒマン裁判”での彼を見て、ドイツ出身ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは言う、「この大虐殺の悪は、殺人鬼や悪魔のような人間がしでかしたのではなく、命令に盲従し考える事を放棄した、ごく普通の凡庸な人間が起こしたのだ」 これが彼女の名言『悪の凡庸さ』で、だから私たちは誰でもアイヒマンやヘスになり得るし、このような悪はまた起こりえる、
と警告するのです。
「このようなことはまた起こり得る」と中谷さんも繰り返します、「あの時周りはみな“傍観者”だった、その傍観者が無意識に加害者に加担し悪を助長するのだ・・・」とも。あの時、もし自分だったら・・・と考えると、恐ろしい。加害者でも、被害者でも。命を懸けてヒトラーに反抗し正義を貫いたゾフィー・ショル、最期まで人間の尊厳を失わず他人を思いやり救ったコルベ神父、彼らのような強い心を持った人間になれたなら・・・そして思う、これは決して過去の他人事ではないんだ、今に通じる問題なんだ、今も世界で繰り返され起こっている事を考えれば。
中谷さんの案内、ただの説明だけではなく考えさせられる、とても深いガイドでした。また印象的だったのは、「もっと楽しく過ごせる時間を割いて貴方はここに来た。それだけでもうなにかをしている、ということなのです」と言って下さったこと。そして「家族や仲間や部下や。愛するものを守るために、人は信じられないほど残虐になることも出来る」のだと。
とにかく忘れない。これからも考え続けて行きたいと思います。
「全世界で何百万もの人々が
アウシュヴィッツ収容所の歴史を知っていますが、
“そのような悲劇が繰り返されないためには
人々の意志が必要である”という意識と
その記憶を維持することが、現在最も大切なことなのです。
人間こそがそのような悪事を働き、
しかしそれを防げるのも人間しかいません。」
ーアウシュヴィッツ収容所生存者
ヴワディスワフ・バルトシェフスキ
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この旅行記へのコメント (12)
-
- フィーコさん 2021/08/16 21:52:30
- 一度は行った方がいいのか・・・
- なぽさん こんばんは。
詳しくオシフェンチム博物館を旅行記にされて 中谷さんのガイドで一緒に周らせていただきました。
私、ツアーで行く機会があったもののその半年前に職場で「見えて」しまい(初めて)
その後、ポルターガイストのような事も体験。怖いではなく「ヤメテ!なんでワタシ?」
他の職員には「懐かれちゃったね」とか言われたのですが(そういう職場なの)気持ち悪
くって参加を見送ったのです。
ツアーで参加された方と合流した時、皆さんに「中谷さんの案内だったのよ。よかったわよ。くればよかったのに。」と、明るく言われ この人達と一緒に行かなくてよかったかも?と思ったのでした。
母が戦争中、女学校の学徒動員で軍需工場へ連れて行かれた時 貨物車に詰め込まれ一晩移動。工場に着いた時、圧死していた友達がいたと一度だけ話を聞きました。
日本でも、こういうことがあったのです。
戦争はあかんね。
フィーコ
- なぽさん からの返信 2021/08/17 08:05:43
- RE: 一度は行った方がいいのか・・・
- フィーコさん、おはようございます〜♪
また長編を見てくださり
メッセージまでどうもありがとうございます。
> 詳しくオシフェンチム博物館を旅行記にされて 中谷さんのガイドで一緒に周らせていただきました。
そんな感じで見ていただけたら有難いです!
> 私、ツアーで行く機会があったもののその半年前に職場で「見えて」しまい(初めて)
> その後、ポルターガイストのような事も体験。怖いではなく「ヤメテ!なんでワタシ?」
> 他の職員には「懐かれちゃったね」とか言われたのですが(そういう職場なの)気持ち悪
> くって参加を見送ったのです。
それはめちゃ怖いですよぉ・・・
そういえば私の友達にもいました、「なんで私?!」って。
教会に行ったらおさまった、て言ってましたが・・。
> ツアーで参加された方と合流した時、皆さんに「中谷さんの案内だったのよ。よかったわよ。くればよかったのに。」と、明るく言われ この人達と一緒に行かなくてよかったかも?と思ったのでした。
中谷さんも、
冗談を交えながら話されたりするんです。
ホロコースト生存者の先輩ガイドが、
自分の悲惨な経験を泣くこともなく
時には笑いながら説明する姿に感動し、
それを見習って説明は淡々とされているそうで。
アウシュヴィッツ以外の、
ポーランドの政治や歴史などの話も交えて。
私もどちらかというと涙もろい方で(見えはしないんですが)
その場に立ったら一体どんな風になるんだろう?
と怖い気持ちもありましたが、その中谷さんの対応のお蔭で
きっとみんな落ち着いて見学できたんだろうと思います。
皆さんとても冷静でした。
一組だけ、自分達も一緒に写って記念撮影みたいな
写真をよく撮ってる人がいたけど・・・・
中谷さんは、ただ単に説明だけでなく
私たちに考えさせるように話をするんです。
それこそ元博物館長カジミエシュ・スモレンさんの言葉
「涙を流すより、考えてほしい」を実践してたんかな。
でも。見学が終わったらお腹が空いて。
普通にお腹が空くんですよ・・・
罪悪感を感じながらホットドックを食べました。
> 母が戦争中、女学校の学徒動員で軍需工場へ連れて行かれた時 貨物車に詰め込まれ一晩移動。工場に着いた時、圧死していた友達がいたと一度だけ話を聞きました。
> 日本でも、こういうことがあったのです。
>
> 戦争はあかんね。
そういう体験談を聞けるのは貴重やね。
ホンマ、戦争はみんなを不幸にするね。
それでも人間は、争うことを止めへんねんよね・・・
犠牲になるのはいつも罪のない人たちで。
毎年この時期・・終戦記念日。
戦争について考えさせられます。
> 一度は行った方がいいのか・・・
もしそう思うなら行った方がいいのかな・・・
自分が納得できると思うから。
でも、行ってみて私が思ったのは、
大事なのは、知ること、考えること、忘れないこと。
遠くからでも、行かなくても、本読んだり
今はいろんな方法で見たり調べたり出来るから、
そうやって自分なりに出来る方法で。
自分なりの意見を持って忘れへんようにしてたら
ええんちゃうかな、って。
行って来て、今では私はそう思ってます。
あ、こっちでごめんなさい。
あのティッシュの件・・・
ティッシュはみんなそのままですぅ・・。
だから山とかでもちょっと奥行くとあちこちに
ティッシュが・・・・
フィーコさんに言われて気付かされました、
あれはアカンよねぇ・・ヾ(_ _ ;)ハンセイ
それと。私の職場はコロナ以降いまだにシフトが不規則なの・・。
ほんと、いつになったら収まってくれるのやら・・・
ニャンコの写真見てくれてありがとう♪
またね〜(@^^)/~
なぽ
-
- jijidarumaさん 2020/01/30 19:56:05
- ポーランド語では“Oswiecim”オシフィエンチムです!
- なぽさん、
今晩は。
最初に『まずAuschwitzはドイツ語で、ポーランド語では“Oswiecim”オシフィエンチムです。』とお書きになったのが、印象的です。
ともすれば、ドイツ好きにはドイツ語のAuschwitzアウシュヴィッツ収容所としてしか、認識しない所がありますけど、冒頭からポーランド語の名を出されたのには感心させられたものです。アウシュヴィッツ博物館ではなく、オシフィエンチム博物館では何のことやら、世間様、4Traでも認知されないでしょうけど。
『アウシュヴィッツはポーランド語でオシフィエンチム博物館です!』とでも題名をしていたら(勿論他の言い方ともあるでしょうが)、4Tra読者はどう感じたでしょうね?
印象的なのは更に表紙の写真です。
この収容所を表現する上で実に良い選択であったと感じました。
ドイツの旅ばかりしていると、今回の初秋の旅でも番外編:ドイツの負の歴史といえるバート・ガンデルスハイム強制収容所(外部収容所)のようなことに出会います。
或は1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件の実行者、クラウス・シュタウフェンベルク伯爵のこと、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与したベーゼラーガー騎兵団の指揮官・ゲオルクとフィリップ・ベーゼラーガー男爵兄弟といった事にも。
ドイツ人が第一次大戦後、経済的に大変であったこと、ナチスやヒットラーに対する抵抗運動をした人たちが多くいた事実などを差し引いても、ナチスの台頭を許し、諸手を挙げてこれを支持していた歴史は残念ながら消えませんね。
たいへん良いレポートを写真と共に拝読出来ました。
4Traの読者である冥利であると、思ったものです。
ありがとうございました。
jijidaruma
- なぽさん からの返信 2020/02/01 11:14:34
- RE: ポーランド語では“Oswiecim”オシフィエンチムです!
- jijidarumaさん、こんにちは。
私の稚拙な旅行記に投票いただき、またフォローと
メッセージまでいただきまして本当にありがとうございます。
Oswiecimについてですが、私も知らなくて
他の方のブログで教えていただいたんです。
jijidarumaさんのような大変博識な方に褒めていただき、
恐れ多くて恥ずかしいくらいです・・・。
表紙の写真についてもどうもありがとうございます。
この写真は今でもよく見つめます。
かつて収容者の方々はどんな思いで・・・と思うと、
本当になんとも言えない気持ちにもなりますが・・。
>
> ドイツの旅ばかりしていると、今回の初秋の旅でも番外編:ドイツの負の歴史といえるバート・ガンデルスハイム強制収容所(外部収容所)のようなことに出会います。
> 或は1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件の実行者、クラウス・シュタウフェンベルク伯爵のこと、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与したベーゼラーガー騎兵団の指揮官・ゲオルクとフィリップ・ベーゼラーガー男爵兄弟といった事にも。
> ドイツ人が第一次大戦後、経済的に大変であったこと、ナチスやヒットラーに対する抵抗運動をした人たちが多くいた事実などを差し引いても、ナチスの台頭を許し、諸手を挙げてこれを支持していた歴史は残念ながら消えませんね。
バート・ガンデルスハイム強制収容所や、1944年のヒトラー暗殺未遂事件、
ヒトラーへの抵抗運動・・についてもよく知らないので調べてみたいと思います。
無知なもので、いろいろ調べたり読んだりするんですが、
それもまたすぐに忘れてしまうんです・・・
それで最近はこの4travelの旅行記に書き残しておくようにしています。
いろいろと教えていただき重ね重ねお礼申し上げます。
次の旅行先の情報収集や、帰国後の旅行記作成に一生懸命になると
4travelもご無沙汰してしまったりする・・こんな私ですが、
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
なぽ
-
- こあひるさん 2020/01/27 13:37:08
- 重い・・・
- なぽさん、こんにちは。
ポーランドに行きながら・・・訪れなくてはならない場所と認識していながら、やはりその重さに耐えられそうもなく、避けてしまったアウシュヴィッツ博物館。足を踏み入れた途端に涙が抑えられなくなり、泣きながらみることになるだろう・・・と。涙を流すより考えてほしい・・・という言葉が突き刺さります。こうして旅行記を拝見しただけでも、あまりの残酷さと悲惨さと人間の持つ怖ろしさと・・・人間はこれを避けられたのだろうか・・・という虚しさと・・・色々な暗い感情が渦巻いて、自分の気持ちを言葉にして表す事ができません。アウシュヴィッツから生存された元博物館長の言葉が胸に響きます・・・。若い頃は、ナチスはユダヤ人を迫害したとしか認識していなかったのですが、実際には、ポーランド人やロマ人、ロシア人、障害者など、純粋なアーリア人でない人種の人々をも粛清していたのですよね・・・。
ガイドの中谷さんの「もっと楽しく過ごせる時間を割いて貴方はここに来た。それだけでもうなにかをしている、ということなのです」という言葉を聞いて、あ~ぁ、そうなんだ・・・やはり行ってみるべきだなぁ・・・と改めて感じました。
こあひる
- なぽさん からの返信 2020/01/30 01:44:48
- RE: 重い・・・
- こあひるさん、こんばんは。
本当に重い内容で、でもそれを読んで下さり、そしてメッセージまでどうもありがとうございます。
> ポーランドに行きながら・・・訪れなくてはならない場所と認識していながら、やはりその重さに耐えられそうもなく、避けてしまったアウシュヴィッツ博物館。足を踏み入れた途端に涙が抑えられなくなり、泣きながらみることになるだろう・・・と。涙を流すより考えてほしい・・・という言葉が突き刺さります。
“涙を流すより考えてほしい”というのは、あんな事があったんだと泣いて終わらせずに、≪考えてほしい≫ということだと思うんです。溢れる感情や涙は抑えられないですよね・・・・
> こうして旅行記を拝見しただけでも、あまりの残酷さと悲惨さと人間の持つ怖ろしさと・・・人間はこれを避けられたのだろうか・・・という虚しさと・・・色々な暗い感情が渦巻いて、自分の気持ちを言葉にして表す事ができません。アウシュヴィッツから生存された元博物館長の言葉が胸に響きます・・・。若い頃は、ナチスはユダヤ人を迫害したとしか認識していなかったのですが、実際には、ポーランド人やロマ人、ロシア人、障害者など、純粋なアーリア人でない人種の人々をも粛清していたのですよね・・・。
本当に。生存者の方々の言葉の数々が心に響きます。この旅行記を書いた後に見つけたんですが、両親や姉たちを亡くし双子の姉妹とともに人体実験されながらも生き延びて、それでも後にナチスを許すと宣言した、エヴァ・コールさんの言葉にものすごく感動しました。『What is Holocaust survivors' advice for Germans on how to deal with their country's past?』という質問に彼女が答えています。宜しければ検索してみて下さい。
その中で彼女が、「もし私のために、他の生存者たちのためになにかをしたいと思ってくれるなら、貴方がたの世界を少しでも良くするよう常に小さな親切を心がけて。大きなことでなくていいの、ゴミを見たら拾ってゴミ箱に捨てる、それは世界を救うことにはならなくても、世界のその片隅を良くするわ。孤独で内気そうな人を見たら、話し掛けてみて。貴方の周りの世界を知って、より良くするよう心掛けて」と。上手く訳せず申し訳ないですが、このような事をおっしゃっていると思います。心掛けたいと思いました。
> ガイドの中谷さんの「もっと楽しく過ごせる時間を割いて貴方はここに来た。それだけでもうなにかをしている、ということなのです」という言葉を聞いて、あ?ぁ、そうなんだ・・・やはり行ってみるべきだなぁ・・・と改めて感じました。
中谷さんがこう言って下さったのは、「私はまた同じことを繰り返してしまいそうな気がするのです、そうならないために、私になにが出来るのでしょうか」と尋ねた時です。私の書き方に、責められるように感じられたなら申し訳ありません。
でも人の向き合い方は様々だと思います。行って思ったのは、1番大事なのは“忘れない事、事実を知る事、そして繰り返さないためにどうしたらいいのか考える事”。行かなくても、人それぞれいろんなやり方でそれは出来るのではないかなと思うんです。
日本も過去に戦争し殺し殺され酷いこともしました。人はなぜ残虐になれるのか、私はここに行けばもしかしたらなにか答えのようなものが見つかるのかも・・とも思ったんです。が、逆でした。もっと知りたいと思うようになりました。中谷さんにガイドしていただけたお蔭もあって、行って本当に良かったと思っています。
長くなって申し訳ありません。
また読んで下さり本当にありがとうございました。
そしてまたこれからも宜しくお願い致します。
なぽ
-
- aoitomoさん 2020/01/27 00:15:07
- 分かりやすさにも感動!ありがとうございます!
- なぽさん こんばんは~
アウシュヴィッツ博物館の旅行記しっかり拝見しました。
途中で映画『シンドラーのリスト』も再度みたりしました。
(amazonプライムビデオですぐに見れました。)
アウシュヴィッツ博物館への行き方から、
公認日本人ガイド中谷さんへの予約方法までいたれりつくせり。
さらには、
アウシュヴィッツ博物館を自分も見学しているかのように、
わかりやすい解説ありがとうございました。
これだけ分かりやすく解説している旅行記は見たことがないです。
もし、私も訪れる事ができたらこの旅行記で復習させていただきます。
「過去を忘れる者は、過ちを繰り返す」
「涙を流すより、考えてほしい。」
「あなたたちに責任はない。しかし、同じ過ちを繰り返さない責任はある。」
これらの言葉も凄く理解できます。
スタートは事実を知ることですから・・
現代社会でも、自分がどうあるべきか・・
傍からみたらどう思われるのか・・なども考えもせずに、
上からの指示に坦々としたがっている人間がうじゃうじゃいるわけです。
ナチスの指示に従って動く人間とオーバーラップしてしまいますよ。
だれもが一度ここに来て、
史実を知って、なぜこうなったのか。
どうすれば防げるのか。
そんなことを考えないと、無意識のうちに同じ過ちを繰り返してしまいそうです。
またもや勉強させていただいたとともに、
アウシュヴィッツ博物館にさらに行きたくなりましたよ。
aoitomo
- なぽさん からの返信 2020/01/29 09:19:59
- RE: 分かりやすさにも感動!ありがとうございます!
- aoitomoさん、おはようございます♪
こちらこそどうもありがとうございます!
> アウシュヴィッツ博物館の旅行記しっかり拝見しました。
> 途中で映画『シンドラーのリスト』も再度みたりしました。
> (amazonプライムビデオですぐに見れました。)
『シンドラーのリスト』は私もamazonで見たんですー。便利ですよネ。
ただ、机に座ってデスクトップで見て(画面が近くて怖くて)何度も停止。
制限時間ギリギリに見終わりましたー・・。
映画も十分怖かったですが、実際はこんなものではないのでしょうね・・・
> アウシュヴィッツ博物館への行き方から、
> 公認日本人ガイド中谷さんへの予約方法までいたれりつくせり。
博物館への行き方は中谷さんがメールで教えて下さったんです。
あと、ポーランド在住でクラクフ市公認ガイドをされている
綾香さんという方のサイトがとても詳しいです。
博物館について、また行き方や、他にもヴィエリチカ岩塩抗や
切符の買い方など様々なことを丁寧に説明して下さっています。
https://witam-pl.com/2016/02/08/blog64/
行かれる際はとても役立つと思います。
当初中谷さんの連絡先を見つけられず、
アウシュヴィッツ博物館に直接問合せたりしたんです。
後でこのメールアドレスをネットで見つけて半信半疑で連絡してみたら、
2週間前で日が近かったこともあったからかすぐにお返事を下さいました。
とても親切で信頼できる方で、ガイドも本当に良かったです。
> さらには、
> アウシュヴィッツ博物館を自分も見学しているかのように、
> わかりやすい解説ありがとうございました。
> これだけ分かりやすく解説している旅行記は見たことがないです。
> もし、私も訪れる事ができたらこの旅行記で復習させていただきます。
aoitomoさんにそう言っていただけて本当に嬉しいです♪(T_T)。。
ただ、当日は見るものが多く限られた時間なので、
一つ一つゆっくり見ることは出来ずどんどん進む感じでした。
話を聴きながらで難しく写真も撮れなかった時もありました。
(私は遅れ気味でよく一番最後でした・苦笑)
そんな感じでしたので抜けているものもあります・・。
(それでも写真だけでも撮っておいて後から調べようと、
けっこうな枚数になりましたが・苦笑)。
>
> 「過去を忘れる者は、過ちを繰り返す」
> 「涙を流すより、考えてほしい。」
> 「あなたたちに責任はない。しかし、同じ過ちを繰り返さない責任はある。」
>
> これらの言葉も凄く理解できます。
> スタートは事実を知ることですから・・
“スタートは事実を知ること” 目を覚まさせられる言葉でした。
だからここに行って、実際に見て聞いて起こった事実を
知ることに大きな意味があるのですね。
> 現代社会でも、自分がどうあるべきか・・
> 傍からみたらどう思われるのか・・なども考えもせずに、
> 上からの指示に坦々としたがっている人間がうじゃうじゃいるわけです。
> ナチスの指示に従って動く人間とオーバーラップしてしまいますよ
なにも考えず与えられたことを黙々とこなすのではなくて、
ヘスからの息子への言葉のように、よく考えないといけないのですね。
スタートは事実を知ること、そしてよく考えて判断し、
しっかりした自分の意見を持つことが大事なのだと思いました。
>
> だれもが一度ここに来て、
> 史実を知って、なぜこうなったのか。
> どうすれば防げるのか。
> そんなことを考えないと、無意識のうちに同じ過ちを繰り返してしまいそうです。
私はここに来て、もっと知りたくなりました。
というかまだまだ難し過ぎて・・これからも本などを読んで勉強し
考え続けて行きたいと思います。
>
> アウシュヴィッツ博物館にさらに行きたくなりましたよ。
行かれたら、これはぜひぜひ旅行記をお願い致します。
aoitomoさんのご意見や感想をぜひお伺いしたいです。
長編を読んでいただき、またメッセージまで
本当にありがとうございました。
そしてまたどうぞ宜しくお願いします♪
なぽ
-
- バモスさん 2020/01/26 17:50:10
- アウシュヴィッツ
- なぱさんへ
こんばんは~☆
クラコフのカフェはステキですね☆
人気店なのも頷けます。
アウシュヴィッツへはバスで行かれましたか、その方が便利ですね。
私は電車で、そう駅から20分ほど歩きました。
同じ人間として何故こんな事を!と驚愕したのを覚えております。
”過去を忘れる者は、過ちを犯す”と旧ユーゴやカンボジアなど、
悲しいことに人間は過ちをくりかえしていますね。
”愛するものを守るために、人は信じられないほど残虐になることも出来る”
自分もそうなるのか?と自問してみました。
バモス
- バモスさん からの返信 2020/01/26 17:57:26
- RE: アウシュヴィッツ
- なぽさんへ
御名前を間違えました、すみません。
バモス
- なぽさん からの返信 2020/01/28 10:33:38
- RE: アウシュヴィッツ
- バモスさんへ
おはようございます♪
いつもどうもありがとうございます。
> クラコフのカフェはステキですね☆
> 人気店なのも頷けます。
ここ、紅茶にオレンジとレモンの輪切りが添えられていたり
美味しいしオシャレでとても気に入りました( *´艸`)♪
ダンナはボリューム満点オムレツの前日のカフェの方が
良かったみたいですが・・(^^;。
> アウシュヴィッツへはバスで行かれましたか、その方が便利ですね。
> 私は電車で、そう駅から20分ほど歩きました。
そうなんです、便利なバスにしましたが・・・
でもツアーは午後からだったし行きくらいは町の様子を見ながら歩くのも
良かったかなぁ・・なんて今さら思ったりもします。
> 同じ人間として何故こんな事を!と驚愕したのを覚えております。
> ”過去を忘れる者は、過ちを犯す”と旧ユーゴやカンボジアなど、
> 悲しいことに人間は過ちをくりかえしていますね。
> ”愛するものを守るために、人は信じられないほど残虐になることも出来る”
> 自分もそうなるのか?と自問してみました。
異常者や悪魔のような人間ではなく、
勤勉な会社員のような人間が起こした事がさらに恐ろしくショックでした。
直接手を下すことがないからか、罪悪感もなく・・・・
自分だったら・・・と考えたら怖いです。
過ちを繰り返すなとヘスが息子へ掛ける言葉が、
まるで私自身に言われているような気がしました。
読んで下さって本当にありがとうございました。
またどうぞ宜しくお願い致します。
なぽ
- なぽさん からの返信 2020/01/28 10:38:06
- RE: RE: アウシュヴィッツ
- 名前のことは全く気付きませんでしたが、
気付いて大笑いしてしまいました! (●>艸<)ププ!爆
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